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2019年11月15日

(2019/11/15)集中して仕事をするためには身体を覚醒状態に保っておくような食事を取ることだという話です





おはようございます。

2019年11月の集中して仕事や勉強ができるようになる、いわゆる生活改善についての配信記事です。

日中、なかなか集中できないことがあります。

筆者にはよくあります。

こんな日は、そもそも二日酔いであったり寝不足であったりもするわけですが、十分な睡眠を取っていても、例えば大人になっても高校生並みに朝昼ドカドカ食べていれば、胃腸が疲れてしまって、血糖値が上がってしまって、すぐ眠くなってしまいます。

要するに、太古の数十万年前から人類が発生してから、ほんの直近までずっと、狩猟や採集による生活をしてきた我々にとって、空腹を満たすことは最高レベルに重要で優先順位が高いことであり、それを満たしたが最後、脳内物質の分泌により次は身体を休ませよう=眠ろう、という風になっているというのは仕方がないことなのかもしれません。

現代の、食事ではなく「働くこと」「労働」が生存上必要であるという「環境」に、今後人類が少なくとも数万年晒された場合、人類自体がその次の形質に「進化」することはあるかもしれませんが、古代文明が勃興したといってもせいぜい数千年から1万年程度の近代化の歴史においては、人類はまだまだ動物であった太古の狩猟採集生活における優先順位から脱することはできないというわけです。

ということで、食べると眠くなるのはそういう「仕様」である、として、具体的にはどのようなメカニズムになっているのでしょうか。

昭和後期生まれの筆者が小さい頃には解明されていなかった脳科学の世界で、最近は新しい発見が相次いでいるらしいので覗いてみましょう。

脳の覚醒と睡眠に、オレキシンという物質が重要な役割を果たしているという研究成果が出てきました。

当時米国のテキサス大学で研究をしていた日本人教授たちのグループの成果といいますから、日本人としてはさらに胸アツなところです。

オレキシンは、食欲を刺激する脳の中の「食欲中枢」という場所に存在し、オレキシンが活発に働いているときに、ヒトを含めた脊髄動物の多くは覚醒し、オレキシンの働きが鈍ると睡眠状態に入るという相関関係が示されました。

野生動物は空腹になると、というより通常状態である「空腹状態」を脱するため、餌を捕食しなければなりません。

そして、その捕食行為とは、今のように食卓にカレーやチャーハンやラーメンが並んで安全に食べられるというわけでは当然なく、相手を狩りで倒し、自分も傷つく可能性がある大変危険な行為でもあり、またいつまで探し続けても捕食相手が見つからないという、非常にしんどく、そして意識を最高レベルに高めた覚醒状態で取り組まなければならない、そのような高度な血湧き肉躍る、そういった振る舞いなわけです。

このような、(空腹で)捕食が必要、なときに、野生動物にはオレキシンにより神経細胞が刺激され、活発化されます。

これが、いわゆる「覚醒状態」であると考えられています。

こうして最高レベルに覚醒した動物は、これぞという狙いを定めて獲物を捕獲し、そうして餌にありつく成功の栄誉に浴するわけです。

そうして、餌を食べて満腹になったところで、それまでの「疲れ」がどっとやってきます。

満腹になると、もう餌をとるという危険な行動はしばらく必要ありません。

それよりも、酷使した身体を少しでも早く、長く休ませることの方が大切です。

ですので、満腹になるとオレキシンの活動が鈍って、覚醒状態から解かれる、要するに「眠く」なるというわけです。

ホモ・サピエンス、万物の霊長などといっても、生物の進化の結果生まれたという「種」の一つであるということは変わりありませんし命は有限ですから、このような野生時代の脳の働きを立派に継承しているのはある意味当然で、なんら不思議なことではありません。

ということで、現代社会で仕事やプロジェクトや勉強や学習や研究を、集中できる状態においてやり切るためにもっとも大切なことは何かというと、「食べすぎない」ということに尽きることになります。

腹八分目、とは昔の人はうまいことを言ったものです。

小腹が空いたら、血糖値をガンガン上げてしまう糖質、パンとかご飯とかうどんとかラーメンとかチャーハンとかカレーとか、そういうものを少しだけ控えて、素焼きのナッツなどを、少量口に含むだけにするといった、ランチは鳥のささみ肉にサラダにざるそばにするといった、そのような対策が必要となってきます。

食物をガンガン取ってしまうと、胃腸で消化するという「別の作用」にエネルギーが取られるという側面もあります。

ですので、仕事に集中したいならば、仕事をする時間=ある程度の空腹の時間と割り切って、身体に摂取するものを適切に「選ぶ」ということが、若くない壮年層以降の人には非常に必要だと思っています。

いつも朝食から早弁、学校の食堂で定食大盛り、午後は購買部で銀チョコ食べながら、部活の後の男ラーメン玉二つ、帰って夕食、みたいな、1日5食6食といった生活は、例えば甲子園を目指す高校野球球児であれば全く問題ありませんが、大人になってそのような生活をすれば、胃が悲鳴を上げて身体がパンクしてしまいます。

その上、夜は酒やビールで肝臓や内臓を痛めれば、早死にへのレッドカーペット状態です。

今回は、より仕事をフルモードで効率よく、集中してできるようにどのように身体と心のほうを整えておくかという観点で、少し極端な例を上げて説明してみました。

今日は金曜日、業務が終了します。

それでは早速、仕事が終わったので好きな居酒屋焼き鳥屋から締めのラーメン坦々麺までのコースに繰り出したいと思います。

と、このように、自分で書いていることがなかなか実践できない筆者からのコメントは以上です。

(2019年11月15日 金曜日)

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(2019/06/11)ポケモンGOがついに寝ること(睡眠領域)をもゲーム化することを発表したという話です

2019年11月14日

(2019/11/14)ソフトバンクが傘下のヤフーを通じてLINEを買収するという観測記事が出たことを受けての三国志風の雑感です

劉備玄徳(三国志演義より)




おはようございます。

2019年11月の日本経済に関する観測配信記事です。

歴史調に書いてみます。

2019年11月の今を振り返ること1年くらい前から、日本市場では、キャッシュレス社会の到来ということで、フェリカ端末といった「機器設置費用」に当たる設備投資費用がそんなにかからず中小販売業者や中小零細食品店や外食産業のお店においても、QRコードという「紙」を置いておくだけで客のほうからスキャンカメラアプリでかざして金額を入力する、「スキャン入力」というキャッシュレス決済が本格化し、何とかペイというQRコード決済仕様が乱立し、何パーセント実質還元といったセールを打ちながら戦国時代の様相を呈しておりました。

そうして、その決定的な物量広告作戦、販売促進活動費用をかけたおかげで、どうやら一歩リードし始めたらしいソフトバンク(SOFTBANK:やわらか銀行)グループのPayPayが、おそらく(筆者の想像では)日本のQRコード決済全体の6割弱を握る、いわば中国古代の三国志になぞらえれば、事実上の0代目皇帝曹操により打ち立てられた、魏志倭人伝でも有名な「魏」の国のような存在になってきた模様です。

その次に、孤高のポジションで追撃する、いわば「呉」の立場にあるのは、韓国資本で日本でのSNS市場に食い込み続けてきているLINEグループで、このLINEという、スマホでのコミュニケーションに特化し続けて日本市場に一定の地位を得たSNSアプリから展開するLINEPayがあります。

LINEPayの市場シェアは、大体3割弱、というところでしょうから、まさに三国志で言えば「呉」の立場にそっくりです(少なくとも筆者目線では)。

最後に、三国志演義において非常に重要なファクターである、「蜀漢」でありますが、実は歴史上に存在した、後漢の正当なる血統後継者を「自称」する劉備玄徳が四川省成都で打ち立てた正式国名「漢」、通称「蜀」という国ですが、これは、稀代の軍略家であり戦略家であるところの諸葛亮孔明が、「天下は複数あってよい」というコペルニクス的転回の発想により、魏の曹丕(曹操の子)が帝位を漢王朝から簒奪して魏の皇帝を称したところの対抗策として、劉備をして後漢の正当な後継者として(国の実力はとりあえず度外視して)皇帝の地位に就かせることで対抗しようとしたものです。

その流れの中、「あの蜀でも帝位かよ」と判断した呉の孫権も、帝位につき、結果、3つの「帝国」が並び立つ、三国志の時代が成立するというわけです。

しかしながら、面白いことに、その力関係では(これも筆者の勝手な解釈ですが)6対3対1、という魏呉蜀の関係であったところ、一番優位だった魏が、ようやく最弱の蜀を滅ぼしてほっとしたのもつかの間、魏の宰相の地位にあった司馬氏によって国自体が「乗っ取られ」てしまい、晋という国に代わり、そうして晋が呉を併呑して、三国志時代はあっけなく終わるということになるわけです。

さて、2019年11月の日本経済市場に目を移しますと、PayPayで市場シェアの6割を握りつつあるソフトバンクがLINEを「買収する」という話が出てきています。

業界3位のメルカリ(メルペイ)としては、そもそもこうやって強者が統合してしまい相手が市場の9割近くのシェアを握るとなると生きていけなくなるので、その前に、諸葛亮孔明並みの軍師や戦略家が出てきて、早い段階でソフトバンクのPayPayと全面戦争を仕掛けておくべきでした。

その上で、レッドクリフ(赤壁の戦い)よろしく、蜀と呉が連合して魏に当たる、そうやって三国鼎立状態をわずかでも現出させ、最強国魏を足止めしつつ、「漢」の後継国家であるという「血筋」「毛並みの良さ」をもって南国(田舎)の呉(LINEは外資の韓国企業)をたらしこみながら、その状態をしばらく続けることで次の展開をはかる、という戦略が純国内企業のメルカリにとって最善の方策だったと思うのですが、どうもフリマアプリのメルカリ事業の収益化を優先したあまり、メルペイについては起死回生の戦いをソフトバンクに仕掛けられないまま、このまま押し切られてしまいそうです。

時代の流れというものは非常に残酷なものであり、チャンスは一回しかめぐってこないし後でああやっておけばよかったと後悔しても遅いです。

一瞬一瞬が勝負ということでしょう。

残念ながら、メルカリが孤塁を守ろうとしている国内フリマアプリ市場においても、資金力で10倍のソフトバンクが、自前のフリマアプリで本格的に乗り込んでくるか、または買収を仕掛けてくるでしょう。

少し考えれば、総人口1億人強の日本市場で、細かく争っていても、世界人口75億人の過半を握る(中国を除く)GAFAM(グーグルアマゾンフェイスブックアップルマイクロソフト)と呼ばれる世界の巨大プラットフォーマーに勝てるわけはないので、そろそろ、日本国内市場での「予選」に残された時間などはあまりない、とも言えそうです。

その、国内では最強を誇るソフトバンクグループも、不動産賃貸業にしか過ぎないのではなかったのかという世界資本市場の疑問に答えられなかったWeWorkへの巨額(割高)投資に手を焼いており、決して状況は良くないわけであり、もともと旗色が悪い百家騒乱の日本市場、漢書地理志にいう、「夫れ楽浪海中に倭人有り。分れて百余国と為る。歳時を以て来り献見すと云ふ。」といった状況から一応の統一政権ができるまで数百年がかかったことを考えれば、なかなか世界の強豪たちに力を合わせて伍していく体制を作るのは難しいのかもしれません。

現在の状況をまとめますと、ソフトバンクのPayPayとLINEのLinePayが統合されるということは、魏と呉が一緒になって蜀に攻めてくるという感じです。

市場シェア10%の蜀(メルペイ)としては、6割の魏と3割の呉をうまく仲たがいさせてそのうちに地歩を固めないといけなかったわけですが、残念ながらメルカリに諸葛亮孔明並みの軍略を仕込んでおく時間がなかった、といえそうです。

以上、ソフトバンクもLINEもメルカリもすべて上場企業であり、その公開資料を用いて筆者の責任で勝手な論を展開しました。

いちおう、「公益社団法人日本証券アナリスト協会検定会員」、及び「国際公認投資アナリスト(CIIA)」というれっきとした投資アナリストの「資格」は保有しております筆者からの素人薄口経済解説は以上です。

(2019年11月14日 木曜日)

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(2019/07/11)Felica決済(要するにSuica決済)か何とかPAY(QRコード決済)かという陣取り合戦が始まった日本の決済現場の話

2019年11月13日

(2019/11/13)そして誰もいなくなった公園≒廃墟を整備し続けなければならないという宿痾(しゅくあ)について



おはようございます。

2019年11月、時代は令和元年となりました近所の公園、遊び場についての考察配信記事です。

筆者は鎮西福岡市という現在の日本では最後発の「人口衰退踏みとどまり都市」に住んで活動しておりますが、その筆者からみても、周りの少子化や過疎化が相当進んできたなと感じています。

総論では、総務省が2019年(令和元年)7月10日に発表した2019年(平成31年)1月1日時点の住民基本台帳に基づく人口動態調査によると、国内の日本人は1億2477万6364人で10年連続の減少、前年比で過去最大の43万3239人が減ったとあります。

そして、昨年(2018年1月から12月)の1年間の出生数は過去最少の92万1千人、死亡数は過去最多の136万3564人で、12年連続で出生数が死亡数を下回っています。

そして、市町村別で見ますと、「福岡市」が前年比1万10人増となり、増加数は社会増も加味した全国トップとなっております。

この、人口が過去1年間で、1万人増えたということについてですが、この1万人のうちの3/4、76%は65歳以上の高齢者人口の増加ですということは、(あえて)語られません。

大半は、若い人が流入していると思っているのかもしれませんが、64歳から65歳に自然と「年を取る」ことで増加しますし、他の市町村からの社会増についても然り、つまりこれだけ、高齢者の割合がそもそも福岡市ですら重くなっている、という現実がまだまだ浸透していないのではないかと思うのです。

そして、近所の公園においても、「誰もいない公園」が増えてきています。

そもそも、子供が駆け回り、大声で叫び、そしてお年寄りも日向ぼっこで読書やゲートボールなどに興じている、というのが公園のスタンダードだったと思うのですが、いつのころからか、「声を出さないで遊びましょう」「ボール遊び禁止」といった、禁止事項ばかりが積み上がり、誰も立ち寄らない、事実上の「廃墟」になってしまった「(元)公園≒廃墟」をよく見かけるようになりました。

近所の住人からの、遊んでいる子供の声がうるさい、というクレームを貰った市役所などの行政当局が、「声を出すことの禁止」を周知しつづけた結果、子供の方が、さらにはその子供の保護者の方も、「あの公園で遊ぶといろいろクレームが面倒だから」と敬遠し、寄り付かなくなる、これは人間の正常な防衛本能だと思います。

そういうわけで、日中にもかかわらず、人気もなく、ひっそりとした公園は、本来遊びまわって踏み固められるはずの地面からも雑草が伸び放題、となってしまい、逆に公園維持費用がかかるという笑えないことにもなっているという、行政当局の人からの話も漏れ伝わってきます。

無視して遊んでいると、顔の見えない近所の住人に、警察に通報された挙句、警察官がやってきて「指導」を受けるという有様です。

警察に通報されるか気にしながら、公園で遊ぶとは、それはスリルがありすぎます。

もちろん近所の住民の静謐な環境に配慮する、という人権保護の姿勢も必要でしょう。

しかしながら、危ないからと遊具を撤去して、危ないからとボール遊びを禁じ、そして危ないからと花火を禁止して、危ないからと外遊び自体を禁じ、家に籠もってゲームをやればゲーム依存症だと揶揄されるのであれば、それこそこの世に生きる場所はどこなのかということになりそうです。

このように、あらゆるものが、他人の人権と本人の安全という「利益」のために禁止され続けた結果、何の体験も教育も受けられない子供が、そして大人が増えていき、そうして人が人を育てることすら「めんどくさいこと」と避けてしまう風潮が続けば、人口なんて、これからもつるべ落としに簡単に減っていくでしょう。

そろそろ、先回りして禁止すること自体を見直して、チャレンジする、挑戦することを生暖かく見守るだけにする、見当違いのクレームは軽やかに受け流す、このような減量経営をしないと、市町村の財政の前に、市町村の住民自体が精神的にやっていけそうにならないだろうと思っています。

遊ぶというと、「飲むこと」くらいしか思いつかないつまらない大人になる前に、できるだけ、いや大人こそ、いろいろと創造性や体力づくりに繋がる「外遊び」を積極的に行うべきなのです。

子供も大人も、のびのびと気兼ねなく「遊べる」環境を用意する、用意しなくても別段禁止しないようにする、というのは、手っ取り早くてコストのかからない、よい公共政策だと思っています。

筆者も、自宅の庭で餅つきをやっていましたが、かつて煙が迷惑だと通報され、警察がやってきたという経験がありまして、いつしかやめてしまいました。

小学生に最近、ドラえもんで出てくる空き地って、どこにあるのと真顔で聞かれて、本当に困ったことを覚えています。

平気で入れる裏山、というのも、絶滅危惧種なのではないでしょうか。

こういうのも、大きな損失だと思います。

昔は海や川や山に出かけて釣りや草や雪の滑り台、探検基地づくりに興じていた昭和生まれ少年からのコメントは以上です。

(2019年11月13日 水曜日)

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(2018/07/09)睡眠禁止帯とも言うべき寝るには効率の悪い時間帯を誰でも持っているという話です

2019年11月12日

(2019/11/12)いわゆる「お金持ち」と「庶民」の違いについて私見を述べて解説しておきます

住民税は日本全国でほぼ一律10%です





おはようございます。

2019年11月のいわゆる「お金持ち」と「庶民」の違いについて私見を述べて解説しておくという記事です。

要点を最初に申し上げますと、収入という入口は1つだけで、消費という出口は無限に増えてしまう、無限に増えてしまうように「運動」「営業」されるというのが、経済社会におけるリアルな現実なわけです。

例えば、テレビジョンといった「一方向の」メディアについて考えてみましょう。

この「文明の利器」は、それまでの新聞といった紙媒体をはるかに超えるパワーで、一気に大衆の興味を「コマーシャル付き動画」という手段で引き寄せることに成功しました。

インターネットの世界でも、テキストベースの(この文章のような)ブログ形式の発信物よりも、画像や動画の方が、インスタやユーチューブの隆盛を見るまでもなく、影響力が大きいものです。

つまり、モノやサービスを「消費」する蛇口や機会は、それこそそこら中に潜んでおりまして、インターネットやテレビの世界を出て街に出たとしても、今度は特に用もないののコンビニやスタバに立ち寄り、別にそこで買わなくても(自宅で十分淹れることができるはずの)コーヒーや軽食などを買ってしまう、このような「誘惑」がたくさん潜んでいるものなのです。

しかるに、消費の反対サイド、いわゆる「収入面」に話を展開しますと、この収入というのが、多様化している、消費するけれどもそのことが引き金となって双方向で稼いで収入にしている、という人はなかなか少ないと思っています。

この、収入と消費が双方向になっておらずに、消費する蛇口ばかりが勝手に増えていく、収入手段は単一もしくは非常に限られたものしか持っていない、というのが多くの大衆経済主体側の「問題」であろうということです。

つまり、お金持ちと言われる人々、富裕層と言われる属性の人たちは、そうした収入手段がたった一つだけ、ということは稀なのです。

ざっと種別で挙げてみても、まず個人の給与収入をベースに、別に事業収入、不動産収入、配当収入と異なる収入手段を複数持っているのが「通常」になっています。

さらに、事業法人を事実上「保有」していて、その「法人」を通じた収入もあれば最強です。

これまでの時代では、こうした複数の収入手段(もしくはお財布)を保有することは時間的にも手間的にも、また副業禁止の世の中の商慣習上も、なかなか難しいところであったと思うのですが、これからの時代は、たとえ現在給与収入しか収入手段がないという純粋サラリーマンであっても、今からでも準備することが多いということです。

もちろん給与収入はとても大切です。

ただし、全てがガラス張りで経費化することが非常に困難な(基礎控除というものがありますが)収入でもあり、この給与収入は増えるごとに累進課税の税額や社会保険料という事実上の税金も跳ね上がるという恐ろしい性格も有しています。

ですので、この給与収入の「貰い額」だけをハネあげようという戦略は、あまり賢いものではないとも言えるのです。

この点、給与所得、いわゆる「労働力」という人間の時間そのものを激しく捧げて提供することで得られる最高度の年収としては、少なくとも日本の会社における日本人経営者においては、5億円〜10億円というところが、2019年11月現在においては上限でありますので、そこから所得税(最高税率45%)と住民税(一律10%)を足し合わせた55%が税金として納入義務がある日本においては、引き受けるリスクと心理的体力的負担に鑑みるとあまり賢い選択ではないのではないかと思っています(そんな経営者に実際なったことはないので想像するだけですが)。

つまり、この給与収入だけで、富裕層になるということはかなり難しい、そのようなことは非効率であるということを言いたいのです。

給与所得は、他の収入を作り出すいわば「種銭」と言えるものだと思います。

決して給与収入だけで富裕層になった、などと思わないようにしておく、これは非常に重要なことです。

個人としての年収が額面500万円から年収1,000万円になったら、生活が二倍楽になるわけではなく、実は社会保険料と所得税住民税がえらく高くなって、それだけ額面でもらっている実感はないよね、というのがリアルな給与所得の世の中なのです。

大事なのは、この給与所得という種銭を使って、他の収入手段やネットワークを作り出すことの方がはるかに大切であろうということです。

また、給与収入というのは、一見安定しているように見えますが、勤めている会社の事業環境や、はたまた自分の「絶対年齢」によって、簡単に役職定年を迎えて下がったり、定年で有期雇用社員にシフトしていきなり下がったりすることが「まま」あります。

これは、会社側としてもできるだけ若手の後進に前に出て働いてもらった方が会社としての事業展開上有益であるという判断のもとに行われているものなので、その合理性に逆らってしがみつくのは並大抵のことではありません。

あなたより年齢が下で時間があり、有能でモチベーションも高く仕事ができる後進や若手は、わんさかやってくる、これが会社組織のいつわらざる姿なのです。

年俸10億円を誇っていた、1999年に日本の日産自動車にやってきて、かつては日本最強の雇われ経営者の地位をほしいままにしていたカルロス・ゴーン氏も、スキャンダル一つでその地位を追われる、そのような時代です。

給与所得は大切でありますが、その地位は安定したものではない、また高額給与所得者にはそれ相応のリスクとしんどさ(税金も含めて)がある、ということはわかってもらえたと思います。

そのような給与所得者であるサラリーマンの方は、2008年のリーマンショック後の賃金カットなどに伴って副業を解禁する企業も増えてきましたので、何らかの形で事業収入を作り出すことをおすすめします。

具体的に、どんな事業を手掛けるといいかというヒントは別の機会に原稿にしたいと思いますが、できれば一緒に考えていきましょう。

個人事業の良さは、何と言ってもサラリーマンと違って経費が認められる幅が非常に広がるということです。

いままでは、使えないからとそのまま捨てていた領収書などが俄然生きてくるということです。

個人事業の接待交際費は上限無制限です。

学会(講演や勉強会など)への研修参加費だとか、旅費だとか、取引業者とのゴルフコンペだとか、経費負担が一気にこれで軽くなります。

自宅を執務室としていれば、その分の家賃も経費で落ちます。

国は、それだけ税制面で「優遇」して、国民こぞって新事業でより多くチャレンジして、さらに儲けてもらってその中から税金を頂戴したい、大きく育てて儲けたら税金面でも貢献してほしい、という意思を込めて、このように事業収入については大幅な経費参入を認めているのです。

この国からのありがたい「思い」に応えないことはありません。

つまり、個人・法人事業収入は自分の生活が事業と一体化する限りにおいて、経費の点では柔軟性があるということです。

より具体的に申し上げますと、サラリーマンの人が、帰宅途中の酒場で同僚と、会社や会社をとりまく環境や上司の愚痴を語り合っても、それは1円も経費にはなりませんが、同じことを事業者として情報交換をしたという場合、それが「事業の一環であると合理的に説明できる」以上は接待交際費に計上できるということです。

また、自らの労働力以外の、自らの意思を反映した「株」や「債券」といった有価証券、および「不動産」に働いてもらうという方法もあります。

配当収入や不動産収入という「収入手段」の確保です。

不動産収入も経費の幅が大きいです。

賃貸不動産に投資することで、購入検討物件の現場調査や既に保有している物件の管理会社の管理状況のチェックのために必要な経費が計上できます。

例えば、不動産の視察のために自動車が必要であれば、それは経費となります。もちろん家族が使うから全額は無理としても、その場合は家事按分を使って事業と私用を分ければよいわけです。

自宅をオフィス(事業場)として使う場合は、こちらも家事按分を使って、事業に必要なスペースや水光熱費を計上することができます。

このように、そろそろ富裕層がどのように金持ちとして振る舞っているのかということが、だんだんわかっていただいたのではないかと思います。

つまり、「富裕層」と言われる人々は、外径的には「同じ支出項目」であっても、どこから支出すれば経済的な痛みが少ないのかを心得ていて、自然にそれにそった経費の使い方をしているということ、さらに、収入手段を複数もっており、自らの経済活動をそれらの複数の収入手段に紐つくように振る舞っている、無駄がない双方向の経済活動を行っている、という言い方ができるでしょう。

それに対して、給与収入のみに収入手段を依拠している給与所得者(サラリーマン)というのは、そのサラリーマンとしての地位がいくら上がってたとえ年俸が増えたとしても、実は最も累進で増えるのは社会保険料と所得税と住民税という税負担であるということですので、そうした「痛み」を和らげる方法は非常に定されているということなのです。

サラリーマンだと経費で落ちないもの、個人では経費で落ちないけど法人では落ちるもの、逆に法人では上限が定められているけど、個人では無制限に落とせるものなど世の中の経費の仕組みはいろいろです。

ということで、支出項目の見直しと同じように、収入項目の多様化を図って行った方がよいのではないかという結論でした。

収入、といいましても、そのまま現金収入と考えるのは早計であり、例えば田舎の親から米を送ってもらうとか(その代わりに孫の顔を時々見せに行くとか)、他の代替手段はいくらでもあるのではないかと考えております。

これからの時代をしなやかに生き抜いていくためには、こうした早い段階から収入手段の多様化というか武器をたくさんそろえるほうが「生き抜く闘い」を有利に進められていくのではないかと思います。

いずれにしても、身体が唯一の資本であることは変わりませんから、健康第一で、楽しく健やかに過ごしたいものです。

本日もご購読まことにありがとうございました。

こちらからの本日の記事は以上です。

(2019年11月12日 火曜日)

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(2013/10/23)馬券を買った儲けに課税されるかどうかという二重課税に関する問題について

2019年11月11日

(2019/11/11)自らの幸せのためにチャレンジしつづけることが大切だという自己承認要求についての深い話をします





おはようございます。

2019年11月11日のポッキーの日に、自らの幸せのためにチャレンジしつづけることが大切であるという自己承認要求に関する深い話に挑戦します。

何かに挑戦することは自分の幸せのために大切です。

そして、そのやった結果として、たまに起こる「うまくいく場合」と、大抵そうなる「うまくいかない場合」があります。

そして、そのやった結果うまくいかない場合を一般に失敗と呼びまして、その結果を受け入れるところに大きな心理的負担がかかるというのが一般の人間の習性ということになります。

筆者もそうです。

失敗することを受け入れるのは非常に辛いわけです。

これは、自分の自尊心を非常に傷つける行為でもあるのですが、ではなぜそうした自尊心を傷つける恐れのあるチャレンジを促すのか、それを説明したいと思います。

そもそも「幸せに生きる」ために必要なものとしては「承認」されていることを「実感している」ということが非常に大切だと思っています。

自分という存在が世界から必要とされている、承認されているという「実感」が得られているという状態が幸せという状態に非常に近いのではないかというのは45年生きてきて感じています。

人間という存在が、アフリカの奥地で20万年前に「発生」してから、彼ら我々のご先祖様は、狩猟という手段で世界中に土着して、数限りない活動の結果、現代のこのテクノロジー文明社会を作り上げました。

その「成功体験」に最も資する我々人類の資質を一つ挙げるとすると、群れの中で生活してコミュニケーション、情報のやり取りを行い知見を集団の中で定着させていくこと、いわば「学習」のPCDAが回る社会組織運営スキル、コミュニケーション技能であった、ことは間違いありません。

そうした、群れの中で生活することによる最も我々が「ご褒美」としてもらえるもの、それが「承認」というわけです。

そして、この幸せの実感となる素となる「承認」ですが、これこそ我々の幸福度の本質だと考え、その承認が実感されているかを度数ではかる、ということを考えていきたいと思います。

そして、この「承認」行為は、もちろん「他人」から与えられるものもありますが、もう一つ、「自分」から与え続けることも当然にできるわけです。

この、特に後者の、自らが自らに与える「承認行為」が強いと、自信があり、エネルギッシュに見えてきます。

なお承認要求を他人に求めすぎるのは危険だ、というのは、アドラー心理学でも言われることでありまして、それは他人の心はコントロールできないからそれに頼るのは危険だと言われるわけですが、自分が自分に対して「期待」するのは本来全く自由にできることだと思います。

そこで、自らの心理的幸福度≒承認実感度を要素分解して解説します。

縦軸に、大切な「自己承認力」を取ります

横軸に、こちらも大切な「外部承認力」を取ります。

そうして、この平面のできるだけ右上に行くように、自分の環境や習慣を持っていくというのがおすすめとなります。

この縦軸の自己承認力が非常に高い、要するに前向きで心が折れない(ように訓練した)人で、そのレベルが最高度に達した人たちは、歴史上の偉人たちや現代の阿闍梨(あじゃり)などの修行者に見ることができるでしょう。

生きながらあらゆる煩悩を超越した存在、日本の歴史でいうなれば弘法大師空海や伝教大師最澄、少し時代の下ったところで見真大師親鸞(親鸞聖人)などでしょうか。

確かに、外部環境がいかに変化しようが、この自己承認力を究極まで高めることができれば、世界がどんなに乱れても、自らの近辺がいかに悲惨な状況に陥ろうが、どんな環境においてもいつでも幸せを感じることができるようになるでしょう。

しかしながら、歴史上それに成功した人物は非常に少なく、それゆえに彼らは偉人聖人として歴史に叙せられているわけですから、もう少しレベルを下げた一般人向けのスタンダード版のソリューションも欲しいところです。

そこで、もう一つの尺度である「外部承認力」が得やすい環境に自らをシフトする、ということが大切になってくるわけです。

内部と外部、その二つの合わせ技で幸せを追求するという考え方です。

そうして、やった失敗ならいくらでもフォローしてくる人が現れるけれども、そもそも失敗すらしてない、「やってない失敗」を外部からフォローすることは非常に困難になります。

これは、外部承認力を得る手段を自ら放棄しているということです。

もちろん、外部の手助けを借りずに自らの内部承認力で聖人レベルまで幸せを感じることができるように達するという解決方法もあります。

しかしながら、この難易度の高い「解脱」に至る長い「修行」に入る前に、まずは手前の小さい挑戦から具体的に動いていく、ということを筆者はお勧めいたします。

まずは動く、そして失敗したら周りにフォローを求める、というサイクルです。

周りの環境を変えるということは、自らに前向きの言葉をかけてくれて、雰囲気が良い、そのような組織や「場」に属するようにする、他人の悪口や自分に対するマイナスイメージの言葉が渦巻いている環境からは少しずつ離れていく、という振る舞いも大切です。

これを含めて、まずは動こう、という提案です。

よくない環境に留まるのはよろしくありません。

自らの承認実感力を二つのベクトルで少しずつ達成し、幸せレベルを上げていけたら素晴らしいことだと思います。

健全な失敗への恐れ、緊張感がある環境で、その中で、自分が自分の意思と他者からの励ましや前向きな声かけで、そうした緊張感ある具体的なチャレンジができる、そのような状態こそがすなわち「成功」しているという状態ではないでしょうか。

本日は人生における幸せとは何かということから出発して、その幸せが感じられる実感、状態の正体に迫り、そうして「成功」というのがどういった状態であるかを簡単に解き明かしてみました。

要するに、まずは動いてみよう、ということです。

それでは、うまく記事がかけたかどうか不安ですが、とりあえずやってみた成果として、この記事をアップして本日の出稿を終わります。

こちらからは以上です。

(2019年11月11日 月曜日)

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(2019/05/02)虚礼を排して簡素にして厳かな儀式とはこういうものをいうのかというお話です

2019年11月10日

(2019/11/10)来たる2020年(令和2年)も年賀状を出すことを卒業したので欠礼しますという予めのご連絡になります





おはようございます。

ブログ「Ueda News」を主催配信運営する管理人兼筆者です。

2019年11月の筆者に関する年賀状についての配信記事です。

来年早々の年賀状ですが、当職については「欠礼」いたします。

かつての、筆者からの毎年の年賀状を楽しみにしていました方々におかれましては、大変恐縮なのですが、2019年より、身の回りの整理と言いますか、いわゆる就活ならぬ終活、人生の終局活動の第一歩といたしましても、毎年の新年の特定期間に臨時労働者を集めてまとめて行うという郵便事業者の方々の負担軽減のためにも、合理化できるところはできるだけ前倒しでやっておきたいと考えるようになっております。

紙資源の無駄という面もございますし、情報の伝達手段としてはインターネット経由のSNSという手段がここまで発展している現在において、さらに毎日近況なりをこのブログなどで披歴しております当職などにおいては尚更、万人にやってまいります新年の喜びはひっそりと噛み締めたいと考えるようになりました。

しかしながら、確かに、お世話になっております皆様に対して礼儀を欠くことにはなりますので、その点については始めた昨年2018年末と同様、心苦しいところではあるのですが、それでも欠礼させていただくことをここにご報告します。

繰り返しになりますが、昨今のインターネットテクノロジーを通じたSNSやブログといった、オウンドメディアの発達によりまして、個人の立場においても、その活動を逐一報告することが可能になった、そのような時代となっております。

近況報告といいますか、筆者が暑苦しく生存していてせわしなく活動しているという点につきましては、特に手紙でそのことを出さなくてもわかると思います。

むしろ、正月を含む365日(閏年に関しては366日)、何をやっているのか逐一報告できるくらいに発信しております。

このように、常時連絡がつく相手に、何らかの定期的な紙媒体での連絡事項を、世間体に合わせて決められた同一日(今回の年賀状に関しては正月)に一斉送付する、という必要性は薄れてきたと判断いたしました。

また、SNSなどやっていない、インターネットは見ない、という方もいらっしゃいますが、それでも、こちらが主体的にネット上に晒している情報からたどって筆者を見つけ、連絡することは簡単に「可能」でありますので、別段年賀状を欠礼しても特段お互いに不便もないであろうと考えています。

それからもう一つあります。

「日本郵便」という明治以来の逓信省由来の伝統的会社の繁忙期の業務(イベント負担)を緩和し、彼らの働き方改革を後押ししようという戦略です。

郵便切手分の郵送料を含んだハガキの束数百枚を購入し、その裏にキンコーズ等で自分の年賀状原稿を印刷出力し、またおもて面には.csv形式でダウンロードしたスマホのGoogle電話帳から自宅住所を抜き出して、これまたキンコーズに持ち込み宛名印刷を行うというような作業を行い、そのハガキの現物を、数百枚筆者の知り合いに、1月1日に届くように手配しまとめて一気に輪ゴム付きで郵便ポストに投函して配送を依頼する、これはインターネットを使えば瞬時に情報のやりとりができる世の中においては、大変贅沢かつ人件費のかかるやりとりであると思います。

この作業、全体として、ハガキ代だけで配送にかかるこの繁忙期の人件費が賄えるとは思えないのです。

少子高齢化社会に突入した日本においては、労働力の無駄遣いをできるだけ避けて、より生産性のある業務に従事していただくのが筋ではないかというようなことも少しだけ考えまして、少なくとも(効用の薄い、代替表現手段を持っていると考える)筆者の年賀状は謹んで今後も廃止継続といたします。

思えば、昨年(2018年末)より年賀状作成の作業を中止しましたが、特段、困ったことはありませんでした。

予め年賀状を欠礼しますと申し上げたこのブログの告知が良かったのかもしれませんが、年賀状が届かなかったことによる人間関係のトラブルも特にありませんでした。

こういった意味で、日本経済の再興に資する「公共の福祉」として、今回の年賀状廃止を前向きに捉えたいと思います。

決して、年賀状を書くのが間に合わないのではありません。

書けるけれども、それでもやらない、という業務改善にシフトした、とお考えください。

ちなみに、終活の一貫と申し上げましたが、例えば筆者が死ぬような時は、ハガキや新聞広告での通知ではなく、おそらくこのブログに最後の記事をアップしてそれまでのご厚誼にお礼をもうしあげ、はい左様なら、ということにさせていただきたく、葬儀も、そのブログ記事を見れるようにしておいてもらえれば良いとさえ考えております。

それでは、予めになりますが、謹賀新年、来年もよろしくお願いします。

長い終活を望んでおります、こちらからは以上です。

(2018年12月24日 月曜日)

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(2018/12/24)来年2019年早々より年賀状を出すことを卒業して欠礼しようと決定したことの連絡になります

2019年11月9日

(2019/11/09)国境離島「壱岐島」の自学型学習塾の開校にあたり最初に入塾した生徒さんに言葉を贈りました

壱岐武原塾開講




おはようございます。

2019年11月の「学び」を自分のものにするというテーマでの配信記事です。

2019年9月、国境離島の壱岐島に、自学型学習塾が開校しました。

都市圏の駅前大型受験対策塾では対応できない、地方地域、特に過疎の田舎や離島の生徒に自ら学べる学校と自宅以外の集中できる学習の場を、自学型の学習スペースや機会を提供したいと願った地元の熱意ある人に、筆者のような口うるさくしつこい連中が絡んで、何回か説明会やら講演会やらを行い、少しずつ「営業」して「浸透」して、ぽつぽつと集まってきた塾生の皆さんです。

最初の第一期生(小学校6年生から高校1年生までの計5名)に対して、自学塾創設の関係者(自称顧問)として、開校に当たっての辞、塾生に対する訓示をさせていただくことになりました。

幕末の松下村塾に習い、いつの世も、全ての人々にとって必要なのは「自由」と「教育」であると信じております筆者にとっても感動の一里塚(マイルストーン)です。

気合を込めて書かせていただきました。

全文をここに披露します。

壱岐武原塾への入塾おめでとうございます。 
この塾は、あらゆる人が自主自立の精神で、大いに学び、学びを自分ごととして考える人が集う場にしたいと考えて、壱岐の島の将来を真剣に考えに考えた武原由里子さんが満を侍して世に放った本当の学び舎です。
小さい学び舎ですが、あなたたち5人という、とても将来の楽しみな生徒さんを受け入れることができました。
本当に感謝いたします。
 
入塾にあたり、この塾の理念と目指す姿を共有してもらいたいと思いまして、3つお話しします。 
一つ、人に頼るのではなく 「自立」すること。誰かに言われたからではなく、自立した鍛錬を継続する者こそ、真に「成長」します。自分ごととして考えて、矢印を自分に向けてください。そして成長している自分を感じたとき、「感動」する。このことを実践し、習慣づけて、大いに感動してください。
一つ、簡単に他人をけなしたり、簡単に他人の悪口を言ったりする人になってはいけません。その「人」には自分自身も当然含みます。
人を思いやり、人の良い面を語る人になれる人は、最も自分のことも大切にすることができます。心の卑しい人にならないよう、自分の人間性を鍛える、このことを肝に銘じて、大切な自分自身を決してけなしたりしないで、自分の時間を大切に生きて欲しいです。
 
一つ、それぞれの状況は違います。目指す方向も違います。他人と比べることをやめましょう。その代わり、昨日の自分、将来の自分とは大いに比べて下さい。目標を設定し、そこに向かう「絶対距離」を正確にはかり、その差を、毎日の習慣でコツコツ埋めていく、その繰り返しで驚くほど人は伸びます。なかなか目に見える結果が見えずに不安になることも多いと思います。しかし、そうした不安や恐れなどこそが、人生の大きな味なのです。不安や困難とほどよく同居すること、これこそが人生をスパイスの効いた、いい感じに楽しむコツのようなものでもあります。不安と同居すること、そうした部分も含めて自らを受け入れること、そうしてまたコツコツ進むこと、こうしたことを学び実践する場として壱岐武原塾は最高の場所と環境を用意しました。 
皆さんの自主独立の精神の滋養と、今後の成長に大いに期待します。
塾生みなさんの人生に熱あれ。
壱岐武原塾に栄光あれ。

2019年9月に創立した、離島の小さな自学型学習塾、壱岐武原塾のホームページはこちらです。

壱岐島にお越しの際は、ぜひお訪ねください。

こちらからは以上です。

(2019年11月9日 土曜日)

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(2017/11/20)空前の少子化の時代にわざわざ辺鄙な田舎で廉価版学習塾をやろうという会社があるという話

2019年11月8日

(2019/11/08)第51回社会保険労務士試験不合格(通算5回目)のお知らせと次回挑戦のスケジュールについて記載しておくという記事です

『徳川家康三方ヶ原戦役画像』(徳川美術館所蔵)



おはようございます。

2019年11月の、薄口社会評論家の筆者からの配信記事です。

2019年11月8日(金)の本日、第51回社会保険労務士試験の結果発表がありました。

筆者は通算5回目の挑戦にして、また不合格を繰り返す結果となりました。

まったく残念なことでありますが、そもそもこの社労士資格の先に、「司法試験」受験資格を得るための「予備試験」に満を持して挑戦しようと考えている筆者にとって、この試験くらいで気後れするようではいけません。

気後れはしていないのですが、足踏みが長すぎますので、そろそろ本気の本気を出そうと思います。

後ほど、追って詳細な結果の通知があるでしょうから、さっそく「どの分野で点数を取り漏れたのか」「どの分野を強化すればよいのか」といった合格までの絶対距離を正確に測ることから着手して、来年2020年8月こそは完璧な準備のもと、試験を攻略したいと考えています。

その決めたことを、ここに記しておき、折に触れて見返すようにすれば、おのずと勝利は近づくというわけです。

この方法は、かの徳川家康も用いたものであり、彼は、若かりし頃甲斐の武田信玄の軍と三方ヶ原で戦い、完璧に負けたという苦い経験を持っています。

浜松城で籠城するという当初の策を、三方ヶ原から祝田の坂を下る武田軍を背後から襲うという積極攻撃策に急遽変更し、通り過ぎた武田軍の背後を襲うべく、浜松城から追撃に出たのです。

それが完璧に武田信玄の思う壺となりまして、夕刻に三方ヶ原台地に到着したところ、なんと武田軍は「魚鱗の陣」を敷き万全の構えで徳川軍を待ち構え、先制攻撃を仕掛けてきたのです。

徳川軍は、そんな百戦錬磨の武田軍にいいように撃破され、日没までのわずか2時間ほどの会戦で多数の武将が戦死して壊走した、という苦い史実があります。

一説には、その敗走の際に家康は脱糞したとも言われております。

恥ずかしいこと、この上ありません。

これが、「神君」徳川幕府初代将軍の生きた経験なのです。

そうして、家康はこのことを忘れないように、この時の自分の姿を『徳川家康三方ヶ原戦役画像』(徳川美術館所蔵)という形にして晒して、長く自らの戒めとして、そしてのちの徳川家の家訓として後世に伝えたというわけです。

このように、目標とするところが高いところにあればあるほど、そのようにならなかった現実との乖離や絶対距離を正確に測り、理解しておく必要があります。

このことを、あからさまにするのは極めて恥ずかしいことでありますが、自分の絶対位置を正確に把握して宣言しておくというのは、自分にとっても世間にとっても非常に有益なことです。

たとえば今のところ勝っているスポーツチームや部活動のライバルが、これを始めたら、今度はこちらが危うい、ということです。

あらゆる勝負事は、自分の正確な位置と目標との絶対距離を正確に把握し、それを習慣の力で詰めていくことである、と、かの東照大権現という徳川幕府の「守護神」として日光東照宮に祀られることになる家康自身が雄弁に教えてくれているというわけです。

三方ヶ原で惨めな敗者となった家康は、後に織田家が武田家を滅ぼした時に、その武田家の遺臣を積極的に召し抱えました。

そうして、武田家の遺臣である山県昌景や小幡信貞の騎馬隊「赤備え」を股肱の臣、井伊直政に継がせた(井伊の赤備え)のも、当然こうした敬意の表れということになるわけです。

敗者の気持ちがわかる最終的な勝者、になりたいものです。

勝者になれなくても、挑戦するスピリットを失わず進むことができたならば、人生のほとんどは「成功」といっていいと思います。

このようなことを考えながら、不合格通知を受け入れ先に進もうと思いました筆者からは以上です。

(2019年11月8日 金曜日)

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(2014/07/09)ここから学ぶ日(2014年7月W杯準決勝においてブラジルがドイツに1-7で大敗)

2019年11月7日

(2019/11/07)「見守り」「位置情報」指定システムの使い道について素人なりに考察してみました記事です





おはようございます。

2019年11月の位置情報サービスに関する素人考察記事です。

鎮西の福岡市では、市内に通う公立小学校の児童に対して、みまもり端末を無償で配布し、校区のスポットのWifi網にそのランドセルに入れていることを想定しているみまもり端末が入ってきたときに、電子メールなりでその端末の位置情報を指定したメールアドレス(2019年11月時点では3つのメールアドレスを指定可能)まで飛ばすことを行うというサービスが、域内最大の電力会社グループの音頭によって開始されました。

もちろん、リアルタイムで親機のスマホからこのみまもり端末を直接捕捉し、位置情報を指定するというサービスもありますが、この「親機」になれるスマホやPC端末が、2019年11月現時点では1台にユニークとなっておりますので、その使い勝手はあまり良いとは言えません(他の端末から親機IDでログインすると、それまでログインしていた端末からは自動的にログアウトするという仕組み)。

さて、このみまもり機能を登録しておくことで、小学校の通学路上にあらかじめ指定されたスポット、例えば薬局とか市議会議員の事務所とかコンビニとかクリーニング屋とか喫茶店とか、そういった地元の「よくわかっている」スポット近くを端末が入ったランドセルが通過するたびに、その端末位置が必要なところに届く、そして、この端末情報は、警察にも届けることをあらかじめご了承ください、と端末の利用規約には記載されているという流れです。

これで、校区内の小学校児童が少なくとも小学校校区の近辺から突然いなくなってしまった、という場合でも、少なくとも校区からの足取りは掴めますし、管理者権限を利用すれば、その端末のリアルタイムの位置まで警察によって捕捉できますので、犯罪や不幸な事故を未然に防ぐ抑止力の効果は相当ありそうです。

これまでは、同じような端末を持たせていても、小学校の校門をくぐった、通過したことだけを知らせてくれるだけのサービスに止まっていたわけですので、登校したのか下校したのかすら不明な状態という、いわば、「点」での捕捉だったのに対し、これからは、少なくとも小学校校区内の「面」での把握が可能になるということで時代は急速に進化していくものだと感じました。

持たせる端末は2つということになりますが、それはサービス導入初期には仕方のないところでございましょう。

それにつけても、このGPS端末とWifiを利用した捕捉システムですが、筆者のような外回りの営業職に会社に付けられたら、と思うとゾッとします。

時代の流れなのでしょうが、社員証や通関証、入管証のようなものに、このGPS機能と電源(ボタン電池)を一体化したような端末が開発されてしまったが最後、常に会社の本部に位置情報を把握されるということに早晩なりそうです。

一瞬ゾッとする、というようなことを思わず書いてしまいましたが、(少なくとも公的には)そんなことだけもなくて、これは、業務時間とそうでない時間というのを厳密に切り分けるという利点もありまして、わざわざ外出先から今日は直帰します、明日は直行します、というような連絡を入れなくても、位置情報だけで客先や出張先に業務時間に入った瞬間存在していることをお互い確認できれば全く問題なく、隔地間での勤怠時間の把握に一役も二役も買うかもしれません。

そして、余計な出張業務報告のフォーマットに、交通費精算書と一緒に請求するために記載することも省略できるかもしれません。

出先に出ている側としても、「どうせ見られていない」というのと、「位置情報は履歴でトレースされている」というのでは、前向きな気合いの入り方が違ってきます。

実際の営業数字の成果が出ていなくても、きちんとしつこく「訪問」して商材を「売り込み」「訴えている」という「行動」は、しっかりと記録に残る、これを実際に上がっている売り上げ数字や成果と照らし合わせれば、世の中で、この令和の時代にあっても行われている気合と根性だけの営業方式に、一筋の合理性や効率という光明が見えるかもしれないのです。

位置情報をいかに活かすか、このサービスでできることの考察は今始まったばかりです。

とりあえず自分がGPSを持たされる直前までには、こうしたテクノロジーといかに付き合うか、決めておくことができるように精進しておきたいと思います。

営業先における昼休み中のこちらからは以上です。

(2019年11月7日 木曜日)

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(2018/02/10)スマホで撮影した写真や動画に位置情報や撮影時刻を付与しない方法があります

2019年11月6日

(2019/11/06)「働き方改革」を具体的に実地に落とし込む究極の雇用形態案を提示してみるという話です





おはようございます。

2019年11月の、月額制料金制度、いわゆるサブスクリプションサービスに関する考察雑感記事続編です。

先日、筆者のサブスクリプションサービスをアップした記事を掲載したところ、少なからぬ反応がありました。

高い、無駄、何それ?という方もいらっしゃいましたが、反応を丁寧に追いますと、概ね、みなさん身近なところで皆サブスプリクションサービスの影響を受けているなという感覚を持ちました。

そして、究極のサブスクリプションサービス、それは「正社員」という雇用形態ではないかと考えたわけです。

企業側や事業主側からして、これほどの、月額(ほぼ)定額のコストはありません。

その定額のコストから、できるだけ多くの売り上げを上げていかなければなりません。

これが、「人を雇うことの怖さ」というものです。

逆に、会社の売り上げや業績に連動して給与がフルコミッションで変わる、という労働制度は、残念ながら日本の雇用慣行に紐ついている労働基準法令によって罰則付きで禁止されているので、できるとすれば、正社員としての拘束時間を一週間のうちのある曜日の午前中3時間だけ(9時〜12時)にする、といった特殊な就業規則を作るしかありません。

残りの時間は、あくまで対等な会社と(個々の従業員でもある)個人事業主との間の業務委託契約として、消費税も支払い、個人事業主側では確定申告の義務も生じます。

実例で書いてしまうと、就業規則上、正社員の業務労働時間は、例えば「火曜日の9時から12時」の3時間だけだと(仮に)定めます。

余談ですが、なぜ火曜日にしたかといいますと、最近祝日が月曜日にスライドすることが多く、月曜日を定例にすると、祝日対応する場合が多くて大変手間だからです。

そして、この3時間は、「全社ミーティング」という情報共有の場として、売上にはカウントしない、完全なコストセンターとして扱います。

社長の訓示も、各部門の目標設定や宣言、朝礼の類、業務計画の策定や報告も全てこの時間に済ませます。

そうして、実際の「業務」「作業」、そして「営業」は、この指定された時間の外で行うということにします。

この「正社員」の時間で受け取る「給与」は、例えば月額額面5万円とします。

そうして、社会保険料(年金保険料、健康保険料)としてのランクは一番下ではありますが、れっきとした社員として雇用されていることになりますので、正社員雇用、社会保険料完備となり、従業員(個人事業主側)で国民健康保険も、国民年金保険料も支払う必要はなくなります。

あとは、会社と個々の従業員(でもある)個人事業主との間で、業務委託契約を締結し、それぞれの業務に従事してもらうということになります。

有給、とか、火曜日が法定の祝日で休日の場合などの取り扱いについて、もう少し詰めた議論が必要ですが、月給制というサブスクリプションを限界まで取り去ろうとすると、このくらいの「技」を駆使せねばならず、かなり会社側も従業員側も負担であるということになります。

しかしながら、世は空前の人手不足であり、個別対応の時代であります。

働き方改革、というお題目だけが先行して世に出回っていますが、こうした雇用慣行や雇用情勢に対する立派な対案として、副業というような言葉の裏にある「ついでの」といった概念ではない、会社として必要な個人の能力や時間やエネルギーを必要なだけ給料を見合いとして一分一秒単位で借り受ける、という考え方で、もう少し柔軟に考えられることは多いと思います。

こうすると、平日の5日を、5社の「全体ミーティング」にそれぞれ参加して、5社分の仕事を業務委託契約の内容如何によって割り振るといった、究極の分散リスクヘッジシステムで働くこともできるのです。

そのうちの1社の業績が傾いて、倒産することになったとしても、逆に1社からリストラということで雇い止めにあったとしても、生活の基盤が根こそぎ奪われるというリスクからはかなり遠くなり個人の生活としては安定します。

逆に、会社側としても、「解雇」ではなく「業務委託契約の解約」という対応でその大部分の出費を止めることができるので(正社員部分については、通常の解雇制限にかかるため、簡単に解雇はできませんが、逆にその部分は月額額面5万円に止まるところでもあり、逆に被雇用者にとって居座るインセンティブも働きにくいということになります)、非常に使いやすいシステムということになります。

サブスクリプションサービスの本質は、サービスや財の「共有」「シェアリング」にあることは間違いありません。

そろそろ、「人間の労働力」という他に替えがたいものについても、複数の雇用主というか「業務の発注側」が同時にアプローチできる、そのような仕組みが進めば、皆幸せに、社会が円滑に回るのではないか、と考えているのです。

この「予想」が少しずつ「現実」になることを祈りながら、いつかは有力出版社からの、超大型書籍化の話が舞い込んでくることを夢見ながら、日々記事更新に勤しんでいきたいと思います。

こちらからは以上です。

(2019年11月6日 水曜日)

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(2019/11/01)自らが使っている月額定額制(サブスクリプションサービス)を洗い上げてみるという話です

2019年11月5日

(2019/11/05)西欧型国民国家というものが急速に相対化しているとは考えられないかという話です

シーランド公国




おはようございます。

2019年11月の歴史考察、国民国家というものに関する配信記事です。

最近、幕府とか将軍とか執権とかいった日本史上の存在に対しての筆者の理解といいますか、解釈を掲載したところ少なからず反響がありましたので、調子に乗りましてもう少しこのあたりを論じていきたいと思います。

日本において、統治機構の発展は古くて新しい独自の形態を取りました。

諸外国、なかんずく西洋近代社会におきましては、「王権」というものが中世社会より異常に伸長しまして、その上で絶対王政という、王様が神の権力、いわゆるキリスト教精神世界の守護者としても、世俗の権力の王としても、絶対的な権力をふるう、そのような時代がやってきますが、日本において、そのような「絶対権力」という存在はついに、2,000年以上の長きにわたって、現れなかったといえそうです。

現れそうにはなりましたが、弓削道鏡にしろ、足利義満にしろ、織田信長にしろ、絶対権力を目指す過程で必ず周りの人間たちがそれをなんらかの方法で止めに入る、その手段はご神託だろうが権謀だろうが暗殺だろうが、とにかく絶対権力を握らせないという日本国のありようについては驚きを禁じ得ません。

絶対権力を握ろうとした場合、後醍醐天皇の例を見るまでもなく、天皇ですら放逐されるというのが日本のスタンダードなのです。

そうして、その絶対権力体制という体制にアンチテーゼを起こし、市民平等と人権思想という全く新しい考え方を奉じて国王と王妃をギロチンにかけて市民革命を成し遂げてしまった西洋の、特にフランスを震源地といたします革命思想により、突然、為政者である王様が、共和制国家における大統領を選挙で「国民」が選んで、その国家のトップと人民とが一体となった「国民国家」とやらが、全治全能の人権思想を掲げて世界中を植民地にしながら荒らし回る、という不思議な全世界覇権主義の時代がやってまいります。

老大国の清朝などは、この欧米(人権諸国)列強に、いいようにやられてしまいまして、ほぼ国内は分割統治状態になるという有様ですが、日本は、世界的に特異な識字率と天皇・将軍という国家の成り立ちにこの欧米列強の人権思想と国民国家思想をうまくブレンドして、明治維新を成し遂げて「大日本帝国」なる欧米列強に呉する国家を作り上げたのです。

これをもって、欧米は東アジアの奇跡と呼び、あの孤立政策で有名だった世界中の支配者となりおおせたイギリス連合王国を持ってして、日英同盟という、南アフリカのボーア戦争で極東ロシアの南下対策まで手が回らなかったという大人の事情はあるにせよ、極東の日本と対等の軍事同盟を結び、ロンドン市場で日本の国債を発行して戦時調達の手助けをするなど、積極的に極東とそれ以外の世界の棲み分けを図ったというのは周知の事実です。

こうして、日露戦争が勃発、日本は満洲の荒野までロシア軍を後退させ、海では日本海海戦でロシアの極東艦隊に続いてバルチック艦隊も撃滅させ、なんとか勝利の体裁を保って講和に持ち込むことができました。

農奴制から近代市民革命を経ずして上からの近代化を成し遂げたロシアと、欧米とは別種の国民国家成立形態を経た大日本帝国と、双方死力を尽くした痛み分けであったわけですが、これを見るに、近代国家の成立過程において、(現代社会における通説である)善悪の判断は置いておいて、素直に歴史をたどると、日本の開国から明治維新、日露戦争勝利までの国家運営は、まさにチャンスを生かし切った、世界史上稀に見る急激な台頭であったことが見て取れます。

もちろん、これは戦国時代、そして(江戸)幕藩体制という中で、日本人が自ら学び、識字率も高く、身分の上下によって機会を奪われることを少なくしてきたという人材登用策の為せる技でありまして、遠くは織田信長の時代から、能力に応じた人材登用というのは行われておりまして、もっと時代を遡っても、例えば四国の若い僧侶で体力だけが自慢だったと思われる空海弘法大師が突然身分の違いを乗り越えて国費留学で唐にわたったりすることができるのも、学者としての見識を見込まれ、他の貴族が驚き慄くほどの出世をひた走り、(藤原氏以外の)人臣として初めて右大臣の地位にまで上り詰めた吉備真備といった逸話を見るにつけても、日本という国は、もちろん完全な人権思想に基づいた平等思想が市民革命によって成し遂げた欧米的な完璧なる国民国家ではないかもしれませんが、こと人材登用に関しては、かなり融通の利く、そのような国であったのかもしれないと認識を改めるのです。

機会をうかがい努力を怠らない者には、それなりのチャンスが回ってくる、というのは、社会の活力を保つ上で非常に大切な要素だと思います。

そのような仕組みを保持してきた日本の社会構造において、そうした面を隠し去り、古い時代はいつも人民は搾取され続けてきた、権力者は自らの享楽のみを追求し、民から搾り取ることしか考えていなかった、と考えて、あまつさえそれを教壇に立って教えたりするのは、歴史を生きた先人たちを正しく理解する態度ではなく、むしろ失礼に当たるのではないかと考えるのです。

先の大戦においても、日本国が、どのように世界の中で振る舞おうとしたのか、何を目指して北は満洲、西はインド、東はハワイ、南はポートモレスビーまで長駆遠征し軍政を敷き、何を得ようと当時の一億人の日本人の死力を尽くして世界に訴えようとしたのか、思想的に何があったのか、もう少し冷静な歴史の検証を待った方が良いと思うのです。

ひょっとすると、今の西欧由来の国民国家像という考え方が急速に相対化する、そのような時代を生きているのではないか、アラブの王族や中国の国家主席、ロシアの大統領、そして西欧型国民国家の最右翼であるはずのアメリカ合衆国大統領などの話を聞いているとそう思わざるを得ないところがありそうですがいかがでしょうか。

本日は西欧型国民国家というものの相対化、というお題を勝手に立てて論じてみました。

日本国が世界に対して発信したり主張したりすることはこれからまだまだ出てきそうだと思い実は心強く感じております筆者からの歴史談議は以上です。

(2019年11月5日 火曜日)

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(2018/04/15)ドイツと日本の大きな歴史の類似点についてざっくりとした見解を述べておきます

2019年11月4日

(2019/11/03)鎌倉幕府の本質とは平将門が夢見た関東独立王国であったいう説を考察する素人の配信記事です






おはようございます。

2019年11月の歴史好きの筆者によります、鎌倉幕府の本質とは何であったかということを考察する素人配信記事です。

源氏という、武家の(東の)棟梁である征夷大将軍源頼朝が開いた鎌倉幕府があります。

その成立は、1192(いいくに)年と昔は覚えましたが2019年の今は1185(いいはこ)年と呼ばれているようです。

なぜかと申しますと、歴史をたどりますと、源氏は源氏の棟梁であります源頼朝は東国御家人の本拠地である鎌倉を動かず、実弟の源義経を総大将として平氏追討の軍を差し向け、ついに壇ノ浦の戦い(1185年)で平氏を滅ぼします。

ここで、国内に源氏以上の武力を兼ね備えた権威がいなくなるので、そこで鎌倉「幕府」成立としてしまうのです。

同じく、同年、文治の勅許(1185年)というもので朝廷から正式に頼朝へ与えられた諸国への守護・地頭職の設置・任免を許認可権によりまして、名実ともに日本の支配者としての立場を確立します。

そして1190年(建久元年)頼朝が権大納言兼右近衛大将に任じられ、公卿に列し荘園領主の家政機関たる政所開設の権も得たことで、いわば、公卿公家に対しての守護者、統治機構としての合法性を帯びるようになりまして、最終的に、最後の仕上げと言いますか、1192年には征夷大将軍の宣下がなされたというわけです。

このように、日本史上初めての「武家政権」が成立したわけですが、まだまだ律令国家からの荘園制という旧来の公家貴族政治体制も多分に残っておりまして、各国の守護の設置という、諸国の治安維持を確かに鎌倉幕府は担当したものの、その支配は領域的にも実質東国、機能的にも限定的であったわけです。

最初から、「江戸幕府並」の強力な幕藩体制をイメージしてはならないのです。

それから、次第に範囲を拡大し、承久の乱や元寇を経て、北条得宗家の専制支配が全国的な支配権を確立するに至ったというのが正しい解釈です。

ということで、当時から武家政権を「幕府」などという近世的な言い方で呼んでいたわけではありませんで、朝廷・公家からすれば、東国、関東などと(一段低く)呼び、武士からは鎌倉殿、一般の人からは武家と称されていたようです。

鎌倉幕府の「吾妻鏡」に征夷大将軍の館それ自体を「幕府」と称している例が見られるように、もともと幕府とは将軍の陣所や居館を指す概念でありまして、実は武家政権を幕府と称したのは、その後ずっと後の江戸時代後半、幕末という言葉が生まれた頃からのことであり、ここでも、「現代の常識で過去の歴史を見てしまう」といういつも筆者が気をつけておきたいと願う歴史を振り返る時の不具合というか悪しき伝統というかそういったものに侵されてしまった嫌いを感じるのです。

すなわち、鎌倉幕府、と便宜上現代の我々が呼んでいるものの実態は、江戸幕府という、幕府保守本流の葵の御紋のあの徳川幕府を知っている我々が幕府という言葉に引きずられてイメージしてしまうあの幕府的なものではなくて、もっと、実態としては、かの平将門が関東を制圧して短いながらも独立政権として新皇と称した、あの平将門の乱で登場した政体が、一応の朝廷の「認可」を得て永続性を許された(少なくとも征討される類の存在、朝的ではない)程度のものであるという認識を持った方が近いのかもしれません。

そういう意味ですから、鎌倉幕府というのは、「源氏」の政権なのではなく、実態は、そうですね、あの近畿地方に6世紀ころから成立し始めたところの「大和王権」に近い、要するに「関東に土着した武士団たちの地方独立政権」という性格の方が近いわけです。

そして、清和源氏の大将であったところの源頼朝は、この鎌倉幕府のオーナー経営者ではなくて、あくまで、「血筋が良かったための」雇われ経営者の立場に過ぎないというわけなのです。

もちろん源頼朝も、関東で一旗あげたいという野望はあったでしょうが、より現実的には、「京都の都の公家どもや朝廷に、これ以上搾取され、支配され、蔑ろにされるのはまっぴら御免」と立ち上がった関東武士団の挙兵に、うまいこと担がれた、という神輿の上の大将であったというところを忘れてはいけません。

清和源氏の大将ですから、元は京都育ちのおぼっちゃまで、京都の貴族たちに対してもある程度対等にものが言える、少なくとも意味が通じる言語でコミュニケーションが取れる、顔が利く奴ということで見込まれたに過ぎません。

この点、平清盛は京都で一族の栄華を極めてしまったので、この「有力御家人連合」のパワーに勝てなかったというわけです。

清和源氏を旗印に、集ったのは、北条氏、足利氏、安達氏、比企氏、和田氏、といった関東の有力豪族団でした。

そして、筆頭となり「執権」という将軍の代理という便利な地位を「開発」し、得宗家として鎌倉幕府を牛耳ることになるのが北条家であり、そしてその北条家はれっきとした桓武平氏であり、要するに平将門が思い描いた関東独立国、を同じ平氏の一門が後の世に現出させたということでもあるのです。

源氏は三代で滅び、そうしてもっと便利な京都の公家の将軍、さらには皇族将軍と、得宗家である執権北条氏は、鎌倉幕府という関東の王の権威を高め、関東武士団の利益代表として君臨しました。

そうして、元寇の時にも、遠く西国の九州まで、関東武士団を「派遣」して、その勢力伸長に余念がありませんでした。

西国の土着の豪族たちは、名門でありながらこうした関東の「田舎武士ども」にいいように扱われ、元寇の際にも先鋒や殿(しんがり)といった損で犠牲の多い役回りに回され、さらに勢力を削がれることになります。

あの南九州、薩摩の覇者である島津家ですら、元は関東武士団というのですから、驚きです。

鎌倉御家人であった島津家の家祖・島津忠久が鎌倉殿である源頼朝より薩摩国・大隅国・日向国の3国の他、初期には越前国守護にも任じられ、鎌倉幕府有力御家人の中でも異例の4ヶ国を有する守護職に任じられたというのが、2019年現在まで続く島津家の家系であり、この長さは相当長いです。

そんな関東御家人の利益代表として君臨した源頼朝は、その関東武士団の守護者という立場を堅持し振る舞いました。

京都に帰って平家のように栄華を極めるのではなく、田舎の鎌倉にとどまって、関東の王国を発展させる仕事に邁進したのです。

しかしながら、あくまで関東武士団の棟梁としての存在でしかありません将軍職は、東国武士団の合議制の中から傑出した北条得宗家によって牛耳られ、将軍家ですら都合が悪くなると消されるという塩梅になりました。

というわけで、初代の源頼朝からして、京都の官位への希望や期待を覗かせたその瞬間、関東武士団は、そんな「関東の王」の自覚を忘れた頼朝を、そのタイミングで、落馬死事件として闇に葬ります。

で、関東の御家人全員が「落馬です、事故死です、残念です、悲しいです」と口を揃えて言ってます。

これはもう、北条だけの単独犯ではありません。

もし、そうであるなら、頼朝に忠誠を誓っているはずの他の御家人が黙っていないはずです。

でも、誰も「暗殺だ」などとは騒ぎません。

これが、恐ろしいところです。

要するに、東国御家人衆、鎌倉御家人全員が「グル」になって源頼朝以下三代の源氏の将軍を暗殺したか、暗殺に加担したか、見て見ぬふりをしていたかとしか言いようがないのです。

要するに、俺たち関東御家人の独立国家関東政権を守るために、都合の悪いトップは暗殺してすげ替える、という意思です。

鎌倉幕府は、このように、将軍職からしてその性格からして、江戸幕府といった固まった存在というより、平将門の時に目指した関東独立王国のような体裁であったという理解のほうがより正しい歴史の理解であろうという結論です。

こちらからは以上です。

(2019年11月4日 月曜日)

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(2019/11/03)本能寺の変後の予定調和の動きを丁寧に追い天下の謀反人明智光秀の名誉を回復したいと願う記事です

2019年11月3日

(2019/11/03)本能寺の変後の予定調和の動きを丁寧に追い天下の謀反人明智光秀の名誉を回復したいと願う記事です





おはようございます。

歴史上有名ながらも、その背景や原因がさっぱりわからないことで有名な「本能寺の変」についての配信記事です。

本能寺の変とは、旧暦天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、京都本能寺に滞在していた織田信長を家臣である明智光秀が謀反を起こして襲撃し討ち果たした、とされる事件です。

信長は寝込みを襲われ、包囲されたのを悟ると、寺に火を放ち自害して果てたということです。

そして、信長の嫡男で織田家当主を与えられていた信忠は、宿泊していた妙覚寺から二条御新造に退いて戦いましたが、やはり館に火を放って自刃したということです。

創業者と現在の太守の2名を連続して失うという、織田家2人の非業の死によって安土城政権は崩壊し、一瞬、天下人となった明智光秀でしたが、「中国大返し」で畿内に戻った羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れて、僅か11日後に光秀もまた同様の運命を辿ります。

ここで、一首の歌をご紹介します。

心知らぬ人は何とも言わば謂(い)え
身をも惜しまじ名をも惜しまじ

(江戸時代以降、読み人知らず)

この歌が、果たして明智光秀自身が詠んだのかどうかはわかりません。

しかしながら、後の世の人々が、この裏切り者の汚名を一身に着せられた明智光秀の本心を推し量るための縁(よすが)として、この歌と語り継ぎ、書物に記して本当のことを忘れないように受け継いできたのは間違いありません。

この時点で、稀代の前衛改革者であった織田信長によって、その身を滅ぼされようとしていた「反・信長連合」の勢力や人々は、一様に安堵し、そうしてモデレートした後継者に収まった羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に擦り寄り、そうして口を拭って保身に走った、といえば言い過ぎでしょうか。

信長の跡を継ぎ天下人となった秀吉は、本能寺の変の明くる年、大坂本願寺の真上に、安土城を上回る巨大な大坂城を建設します。

この秀吉の政権には、かつての信長の敵が次々に参加しました。

毛利、上杉、長宗我部などをはじめとした戦国大名に続き、終生信長に対立し続けた、あの室町将軍足利義昭すら、1万石を与えられ、秀吉のそばに侍(はべ)ることになりました。

続いて天正15年、秀吉は京の都の聚楽第に移り住みます。

そうして、朝廷や公家とも密接な関係を築き、政治をおこなっていくことになります。

秀吉が権力を確立していく過程で、光秀は謀反人の汚名を一身に背負わされました。

諸大名も公家衆も、本能寺の変に加担した可能性もあり、加担していなくても心の奥底で信長の死を願った人々はみな口を拭(ぬぐ)い、秀吉の政権に参画することで、その身の安全をはかりつつ、本当の事実に繋がる証拠を隠滅した、そうとも考えられるのです。

こうして、本能寺の変は当時最大の権力者であった信長が死亡し、時代の大きな転換点となったのは明らかであるにもかかわらず、信長を討った光秀がその動機を明らかにした史料はなく(残っているはずがない)、また光秀の重臣も短期間でほとんど討たれてしまったため、その動機が明らかにされることはありませんでした。

要するに、後の世の「本当のことがバレると困る」秀吉およびそのまわりの人々によって、事実が改竄され証拠は隠滅されたという推定が働きます。

もちろん、更に光秀がおくった手紙等も後難を恐れてほとんど隠蔽されてしまったため、本能寺の変の動機を示す資料は極めて限定されているのです。

こうしたことから、この「事件」は、日本中世史研究においてはあまり重視されたテーマではなく、日本中世史を専門とする大学教授などの専門家が本能寺の変を主題とした単著は極めて少ないという状況です。

本能寺の変の歴史的意義としては信長が死んだことと秀吉が台頭したことであり、光秀の動機が何であれ、黒幕がいたとしても後世の歴史に何の影響も与えておらず、光秀の動機や黒幕を探る議論は正当な史学学会からは、要するに俗説でありキワモノであり、立証は不可能という低評価の有様です。

しかしながら、本当の歴史とは、史学学者や文献の保持者のみに許されたものではなく、より多くの個人の推理や憶測といった想像を働かせることが非常に大切であるということは間違いなく、この歴史の空白に思いを致すことは、別段日本中世史研究家ではない筆者のようなまるで「素人」でもまったく参入しやすいということでもあります。

好きに解釈して良いし、その自説をどのように自らの発表の場で披歴しても良いわけです。

信長と秀吉の時代を、その権力中枢があった場所、「安土桃山時代」というセンスのないネーミングでまとめてしまうような、そのような史学学会に対しては、素人ながら、もっと違う言い方や伝え方があるだろうと思うのです。

もう一度、素人考察ですが一番言いたいことを書いておきます。

信長によってその存在、生存自体が脅かされていた、諸大名も朝廷公家衆も宗教勢力に至っても、こぞって本能寺の変に加担した可能性があり、加担していなくても心の奥底で信長の死を願っていた人々、彼らは皆本能寺の変が実際に起こった後は、みな口を拭(ぬぐ)い、秀吉の政権に擦り寄り参画することで、その身の安全をはかりつつ、本当の事実に繋がる証拠を積極的に隠滅し、自らの本心を糊塗して光秀を貶めることで心の平静を保って生き延びた、このように考えられるのです。

こうした「変節」を経て一時は隆盛と栄華を極めた「歪んだ後継者」である秀吉政権でしたが、おそらく光秀の立場と気持ちに一番近かったであろう、徳川家康の粘りによってこれもまた、滅ぼされるということになります。

徳川三代将軍、生まれながらの将軍の名前は「徳川家光」。

徳川家康の「家」と、光秀の「光」の文字を使ったのは間違いない、と筆者は「信じて」いるのです。

明智光秀という稀代の大家臣に学ぶべきことは、オーナーやトップや社長や会長に仕える、全てのサラリーマンや部下にとっては特に、これからも多いと思っています。

こちらからは以上です。

(2019年11月3日 日曜日)

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(2017/02/28)(歴史探訪雑談)名付け親との関係性について具体例から論じてみたいと思います

2019年11月2日

(2019/11/02)「八幡製鉄所」の名称が日本製鉄の国内6事業所体制への再編で2020年4月に消滅するという衝撃の話です

高炉の元となった反射炉のモチーフ





おはようございます。

2019年11月の週末の配信記事です。

最近、自転車というと先の記事でも触れましたシェアリング自転車の「メルチャリ」ばかりに乗ることが多いのですが、久しぶりに今朝、自分の買い物(買い出し)に使おうとした自前の自転車の前輪の空気がすっかり抜けていたのに気付きました。

少し残念な気持ちもいたしましたが、これも、「1日3,000キロカロリー」のエクササイズの一環だと割り切り、買い物の前に目的のスーパーの目の前にある行きつけの自転車ショップに行って修理してもらおうと、自転車を押して歩いてショップの前までやってきたのですが、朝早すぎて開店時間ではなかったことが判明しました。

事前にグーグルマップの店舗情報なりで営業時間を調べておけば良いだけなのに、なかなかそういった詰めを怠るために、起きてしまう残念なことです。

最初の「残念なこと」である自転車のタイヤの空気が(パンクか何かの原因で)抜けていたということは、(筆者の能力や振る舞いにかかわらず)よくあることであり、行為者とはあまり関係のないことなのですが、後者の方は、行為者がきちんと事前に調べておけばわかるだけのことなので、避けられたはずの残念なことになります。

それでも筆者は、では開店までのこの30分間をどのように利用するか、と切り替えて、先にスーパーで買い物するものの目処をつけておき、そしてこの記事を書くことにしました。

買い物に出るだけなので、本来ならば、この今入力しているMacの端末を持って出なかった可能性もあったのですが、何が起こるかわからないので、筆者としては、カバンの中には財布や名刺や読みたい本などと一緒に、こうしたデバイス類もできるだけ一箇所に入れておくようにしています。

そもそも、よく物を失くす、どこに置いたかわからなくなるという立派な多動性障害の気がありまして、携帯電話ですら、一番自分の携帯電話を鳴らすのは自分で自分の携帯電話を探すために家の電話からかけるというような有様ですから、こうした不具合を回避するために、よく使うモノについてはそのモノがあるべき「ホームポジション」を定めるという「運用」にしているのです。

これに従えば、外出時には、とりあえずこのビジネスカバンの一式をまとめて出すということになりますので、今回の事例においても、開いた時間でこの記事を書けるという「良いこと」につながったわけです。

自転車屋の前で、開店を待っている人は稀です。

これが、パチンコ遊技場の前ですと、休日平日かかわらず、午前10時の開店前から、人の列が並び、時間になると、みなお目当ての「台」に向かってまっしぐらに、整然と入場していきます。

この周到な準備と勤勉さを、普段の仕事や生活にも活かせないものかと不思議になります。

ギャンブルとは、かなりの時間的拘束と労力を必要とする割に、成果が見込みがたい「事業」であるにもかかわらず、少ない可能性にその貴重な時間と労力と人生をかけ続ける人がこんなにも多いかと驚きます。

ほぼ100%、トータルでは「負ける」とわかっている事業、胴元が最低でも1/4(公営競馬の場合)を先に取っていってしまい、その残りを参加者で分け合うゼロサムゲームであるこうした振り分け事業、もちろん、大多数の負けた人の上に、ごくごく少数の、激しくレバレッジの効いた「勝者」「運のいい人」が登場するわけなのですが、同じやるなら、場への参加手数料のはるかに安い株式投資や債券投資、為替トレードなどに注力した方がより世の中のこともわかって一石二鳥だと思います。

そういう考察をぐるぐる回したのも、筆者は出身地北九州市八幡東区にあります1901年官営八幡製鉄所のお膝元に育ったので、地元応援の一環で日本の上場企業「日本製鉄」の株式をずっと、この鉄鋼貿易不況の中でも、激しい含み損を抱えながら律儀に持ち続けていたのですが、昨日、2019年11月1日に飛び込んできた、日本製鉄が、子会社の日鉄日新製鋼を含めて全国に計16拠点ある製鉄所や製造所を2020年4月に6製鉄所体制に統合、再編成すると発表し、明治時代の官営八幡製鉄所以来の歴史を持つ八幡製鉄所(北九州市八幡東区)も「九州製鉄所」となり、名称が消えるという筆者個人にとっては目を覆いたくなるような衝撃のニュースを受けて、すでに大損している、この日本製鉄の株式を「売る」「損切りする」踏ん切りがつきました。

これも残念でたまらないニュースですが、人生や時代を前に進めるためには仕方ないことなのでしょう。

「起きていることは全て正しい」

という言葉があるようですが、世の中のあらゆる事象も、受け取る側の解釈一つでどのようにも変わる、人生はその主観的に受け取り判断する側の振る舞いで決まる部分が大きい、と思い頑張ろうと思いました。

自転車の修理も終わり、どうやら小さい穴が開いていたのを塞いで終了でした。

チューブやタイヤの取り替えまで必要ではなかった、と考えればこれは大変ラッキーなことです。

「失恋したけど、詩が書けたからOKOK」

と言った(意訳)と言われるヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテという詩人、劇作家、小説家に習って、自分ではコントロールできない世の中の事象に対するフラットな解釈の訓練を、これからも積んでいきたいと思います。

最後に、いつも心に持っている岡本太郎の言葉で締めます。

人間にとって成功とはいったいなんだろう。
結局のところ、
自分の夢に向かって、
自分がどれだけ挑んだか、
努力したかどうか、
ではないだろうか。
(岡本太郎)

日本製鉄に代わる株式投資先をこれから探します筆者からのコメントは以上です。

(2019年11月2日 土曜日)

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(2018/05/19)帰ってきた日本の製造業・ザ・日本の高炉メーカー「日本製鉄」の復活について

(2019/10/24)変えるべきところと変えない方が良いところを見分けるのが経営の才能だと思う話です(松下電器グループの話)

2019年11月1日

(2019/11/01)自らが使っている月額定額制(サブスクリプションサービス)を洗い上げてみるという話です






おはようございます。

2019年11月初めの筆者自らが使っている月額定額制(サブスクリプションサービス)を洗い上げてみるという話です。

支払の手間がない、という以上に生活を便利にしてくれる定額制サービスですが、いつしか積みあがると自分はいったいいくつのサービスを利用しているのかわからなくなるので良い機会と思いましてやってみました。

ここでいうサブスクリプションサービスとは、原則月額定額を支払い、必要なサービス対価を受けるわけですが、その使い方についてはユーザー側の任意に大きく委ねられている、そういったサービスのことを自分定義で指します。

まず、レガシーなものとして、毎日配信される新聞媒体があります。

・日本経済新聞「Web」版 4,277円(税込)
・毎日小学生新聞「紙」版 1,580円(税込)
・LissN「電子」版 600円(税込)日本経済新聞(英文)読み上げアプリ

です。

これは、新聞の全記事を読みつくすことはできませんので、サブスクリプションサービスの最たるものだと思いますが、新聞のほかにも、筆者は、月間経済誌である

・ふくおか経済「紙」版 1,895円(税込)
・月間調査報道経済誌 FACTA「紙」「Web」版 1,300円(税込)(年間購読)
・月間調査報道経済誌 選択「紙」「Web」版 1,000円(税込)(年間購読)

という経済誌を購読していますので、これも定額制サービスに入ります。

以上は「読書」「情報インプット」に関するサブスクリプションサービスですが、同様に、インターネットからの情報インプットに関するサブスクリプションサービスについては、さらに以下のようになります。

・BBIQ インターネット接続サービス 10Gプラン 5,775円(税込)自宅Wifi環境
・Google YoutubePremium 1,180円(税込)楽曲聞き放題
・Dropbox 1,410円(税込)インターネット上帯域での自身ファイル共有
・Evernote 600円(税込)インターネット上帯域に自前「メモ情報」を保管更新する
・Adobe イラストレーター クリエイティブクラウド 1,078円(税込)ファイル作成ソフト
・Whereby インターネット会議ツール 1,101円(税込)ネット会議ツール
・Eightプレミアム (自動更新) 480円(税込)インターネット名刺クラウド
・itunes Match 332円(税込)自前音楽音源のインターネット保管ジュークボックス

さらに、物理的な「移動」に関する、これは厳密には従量制ですがほぼ価格が固定されているサービスがありますので、追記します。

・メルチャリ 約3,000円(税込)1分4円で福岡市の都心で使えるシェアサイクルサービス
・西鉄バス 約3,000円(税込)通勤やプライベート移動に利用する地域の足

加えて、毎日の飲食サービスや「場所貸し」サービスについても、サブスクリプションが浸透してきました。

・Always Lunch 5,478円(税込)月額定額ランチ食べ放題サービス(1日1回)
・Always Drink 2,200円(税込)月額定額ドリンク飲み放題サービス(30分に1回)
・働き方創造空間 Ta-Te 3,200円(税込)CozyなWifi完備の喫茶店にい放題のサービス(飲食は別途料金支払い)
・田川の廃校となった小学校を再利用した「いいかねPalette」の月額利用権 1,650円(税込)
・壱岐島の新鮮な食材が月1回届く名付けて「壱岐セット」 18,000円(税込)
・南九州の牛肉、豚肉加工食材が月1回届く「お肉の定期便」 6,000円(税込)

ほかにもあると思いますが、これだけたくさんの定額利用のサービスを使っているとは我ながら驚きでした。

定額制にすると、コストが均一になり、そのサービス提供の中で生活や仕事を組み立てていこうと工夫することができますが、ともすると、「契約していたのに忘れている」ということも多いのでこうやって節目で棚卸しておくのも良いかと思います。

そして最後に、

・京都大学ボート部寄付 5,000円(非課税)

がありました。

自らが大学生の現役時代に受けた多大な先輩方からの恩に比べれば大したことではありませんが、ボート競技の全日本選手権、全日本大学選手権優勝を目指し、琵琶湖湖畔で今も頑張っている後輩たちに、ささやかながら寄付を続けています。

このためにも、しっかり稼いで引き続き小さいながらも貢献していきたいと思い直した筆者からの自分向け記事は以上です。

(2019年11月1日 金曜日)

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(2019/01/27)間組の大先輩の間さんに関西電力の黒四ダムのことなど大学ボート部時代にいろいろ教えてもらったこと

2019年10月31日

(2019/10/31)東京オリンピックのマラソン競技と競歩競技が札幌に疎開されそうになっているという件についての筆者の公式コメントです





おはようございます。

2019年10月最後の、東京オリンピックのマラソン競技と競歩競技が札幌に疎開されそうになっているという件についての筆者の公式コメントを配信いたします。

その前に、先ほど飛び込んできました、福岡市にありますプロ野球球団本拠地の球場であるヤフオクドームがペイペイドームになるというニュースに関しましては、特に地元の福岡市の人たちにとっては驚きと、それに加えて、それはちょっとない、といった微妙な、ありていに申し上げますと歓迎されない、非寛容な反応も垣間見えているような、そんな今日この頃です。

しかしながら、筆者などは、2,000年前から世界の最先端文化芸能言語に宗教習慣ファッションセンスに「渡来人」という人間そのものまで、誰彼となく受け入れ関西地方関東地方にパススルーしてきた博多の人たちが、たかだかヤフオクドームという、球技場の名称を、しかも「フリーマーケット取引所」の名前からいち「QRコード決済」の名前に変えたところで大騒ぎするようなものではないと考えているのです。

そもそも、この福岡市では、かの平和台球場を本拠地にした野武士軍団「西鉄ライオンズ」を失ってから、「福岡にベースボール球団を!」という地元の悲願に男気を以って応えた故中内オーナーが、当時小売業で並いる百貨店を凌駕して天下に号令した、スーパーストア「ダイエーグループ」の総力をかけて、福岡ドームを百道の地に建設し、そして近畿の南海電鉄から、名門「ホークス」球団を引き取り誘致してくれたからこその、今の福岡ソフトバンクホークスの隆盛であることを忘れてはいけないと思います。

ヤフオクからペイペイに変わる程度で驚きおののくメンタリティでは、2,000年前からかの大和朝廷と対峙してひたすら権力と財力を削がれ続けた、九州由来の豪族たちの我慢の歴史や事実上の流刑地、配流地に貶められたこの地を継ぐものとしては、そこじゃないだろう、むしろ時代の半歩先を行って、今のこの日本の東京一極集中の経済社会を変えてやる一里塚であるくらいの気概を持ってもらわないと、泉下に眠る我々のご先祖様にも顔向けできないというくらいに本当は考えているのです。

かつて栄華を誇ったであろうその跡地、例えば吉野ヶ里遺跡の登楼や、朝倉市平塚川添環濠集落遺跡の見事な六重の環壕などの遺跡を見るたびに、こうしたかつては王国の中心こそがここにあったといった気概だけは持ってもらいたい、そういうような気持ちです。

さて、話題の舞台を東京(160年くらい前までは江戸、400年前はただの海と湿地帯)に移しますが、今般、急に、いつも決定とは否定的に取る方にとっては急なものですが、東京オリンピックのマラソン競技と競歩競技の開催地が、いきなり東京都から札幌市にIOCの強権により変更になりそうだ、という雲行きになってきております。

これなども、黒船来航並みに驚きのグローバルなる裁定でありますが、我が国としては、東京オリンピックを標榜する以上、冬のオリンピックをやったことのある札幌市での開催はまたの機会としまして、やはり東京都という「都市」「行政単位」にこだわることにしたいところです。

こんなことを許していては、「同じ空の下」で、北は北極圏から南は南極大陸まで、地球中の津々浦々まで、一開催地となり、それこそ虚構新聞の「地球、晴れのち曇りところにより雨、寒冷地は寒く熱帯地は暑くなるでしょう」の統一天気予報になってしまい、虚構が現実になって社主が謝罪に追い込まれてしまうではありませんか。

明らかに琵琶湖の湖畔、筆者も大学時代という多感な時代を過ごしたその滋賀県という、本来は大津宮と安土城という、日本での当時の最高権力が君臨した場所を持つ県にしては、琵琶湖そのものが県域とされているという雑な扱いを受けており残念な県を根城にされていると推測される虚構新聞社主様にも、申し訳がたちません。

すなわち、さらにこの草ブログにおいても、東京オリンピックのマラソンや競歩をどこで開催するかで、いろいろな立場の人たちが揉めている中、そのあまりにバカバカしいやりとりにさらに燃料を投下することになってしまうのですが、東京オリンピック開催での国内選考、すなわち予選で負けた福岡市としましては、ここは東京開催にこだわっていただきたい、すなわち、こうなったら東京オリンピックのマラソンって札幌じゃなくて小笠原諸島でやったらいいんじゃないかと提案いたします。

小笠原諸島の父島の例でいいますと、例年8月の日中最高気温は30℃前後で東京23区よりずっと涼しいし、小笠原諸島は紛れもない「東京都」なわけでありますので、「東京でマラソンを」という要望に完全に完璧に徹頭徹尾合致しています。

父島をぐるぐる周る周回コースか、または平地が多い硫黄島などもいいかと思います。
先の太平洋戦争の惨禍を乗り越えて、世界中のアスリートが硫黄島に集結して平和の祭典オリンピックの白眉であるマラソン大会を行う、競歩競技で摺鉢山を巡る、日本の主催オリンピックとして、これほどのインパクトのある取り組みはないと思います。

東京都には、頑張ってもらいたいです。

国内選考で負けて誘致の涙を飲んだ、そんな福岡市の一市民からの提言は以上です。

(2019年10月31日 木曜日)

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(2019/08/07)長崎新幹線はいっそのこと佐賀県を通らずに通した方が実現は早いのではないかと考えた話です(あくまで妄想頭の体操ですが)

2019年10月30日

(2019/10/30)企業の買収や合従連衡が世界中を舞台に行われているというグローバルな話です






おはようございます。

2019年10月の企業買収、合従連衡のグローバルな国際記事です。

米高級宝飾大手でありニューヨーク証券取引所に上場しているティファニーが2019年10月28日、「ルイ・ヴィトン」などの高級ブランドを多数抱え、ユーロネクスト・パリ市場に上場している仏モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン(LVMH)から、1株120ドルでの買収提案を受けたと公表しました。

これを受け、同日のニューヨーク株式市場でティファニー株は前週末比3割以上も急騰し、この買収提案額を上回る129ドルで終えました。

これは、わずか1日のニュースで同社の時価総額が約4千億円分も膨らんだという計算です。

3割で4千億円ですから、10割だと1兆3千億円、超巨大ブランド百貨店状態のLVMHからすれば、「お手頃」な価格なのでしょう。

このティファニー側からの思わぬ「全世界リリース」に対し、LVMH側も、2019年10月28日に声明を出しましたが、これは、「ティファニーとの取引をめぐり初期的な協議をした」という、抑え気味のものでした。

さらに、「合意に至る保証はない」と釘を刺す歯切れの悪さです。

つまり、これは、どうせ買収されるのであれば一円でも高く売り付けたいティファニー側と、できるだけ交渉の最終段階まで地下潜航的に進めて、一気にディールまで持って行きたかったLVMHの思惑の違いから来ていると思われます。

双方、上場企業として、それぞれの株主からいらぬ腹を探られ、「株主代表訴訟」などを食らうのはまっぴら御免であり、双方の経営陣が最も警戒するのは、この一点だと言って良いかもしれません。

買われるティファニーの方が強気なのも、買収額さえ折り合えば、実は誰に売ってもいいと開き直った方が強いわけで、その方が株主にとって得だと判断したからこそこのことの公表に踏み切ったのでしょう。

買収額が(ティファニーの思惑通り)釣り上がると見た一般投資家が、1株120ドルという買収価格を上回る市場価格で売買しているのも、その意味では理屈が通っているということです。

もう一つ、Googleの親会社であるAlphabetが、筆者の左手にもついているウェアラブルデバイス(Charge3)製造のニューヨーク上場企業のFitbitと買収交渉を進めていると、いう報道がなされています。

こちらは、当事者同士のコメントやリリースはないものの、かなり突っ込んだところまで交渉が進んでいるようです。

Googleは、ウェアラブル市場においては、アップルウォッチシリーズを展開するAppleの後塵を大きく拝しています。

ここで、「1日一回の充電の手間が要らず、アップルウォッチより安くて軽くて使い勝手が良い」手首ウェアラブル市場のトップランナーであるFitbitを手に入れるのは、Googleの向かう方向にとって非常に良いものだと個人的には思います。

Fitbit側としても、独自にこのウェアラブル市場において新製品を投入し、広告宣伝をして販売網を自前で広げていくには、手首ウェアラブル市場はすぐにもアップルウォッチといったスマートウォッチ市場に食われてしまう危険性があり、埋没しマーケットを失ってしまわないためには今後大きな資金投下が必要であることが予想されますので、GoogleというITジャイアントの傘下に入って体制を立て直す、というまたとないチャンスだと思っています。

今は独自のIDで記録されている、筆者の左手からの生体(生態?)データも、Googleアカウントに紐ついて管理されるようになれば、アップルウォッチに変えずにFitbitで続けてきた筆者の努力と我慢も報われるというものです。

(本当は、アップルウォッチが高くて買えなかっただけですが。。)

フィットネス分野のトラッキングに特化した、時計機能がかろうじてついているだけの、専用の(かつ安い)手首ウェアラブルデバイスには、筆者のような固定客の確実な市場が存在するようです。

ちなみに、筆者は、先の記事でも述べたように、「1日3,000カロリー消費」という毎日のタスクをクリアするために、このFitbitを使っており、もはやカロリー計算の方式や比較対象も、Fitbitでしかできない体になってしまっているので、金銭的には非常に細い顧客でありながらロイヤルティの高い客であることは間違いありません。

このFitbitの買収交渉の情報が流れるや否や、Fitbitの株価は一瞬で30%近くアップしました。

といっても、こちらのFitbitは、2015年に上場した直後に1株48ドルの高値をつけたものの続落、2017年以降は6ドル前後となり、今年8月には3ドルの安値をつけており、先行きが不安視されていました。

買収の報道を受けた2019年10月29日現在は、6.05ドルとなっており、この株価での時価総額は、約1,672億円といったところです。

一時代を築いたブランドが大手に寄って買われる、これもダイナミックな経済社会のなせる技であり、今後も注目して行きたいと思います。

投資に関してはいつも後追い記事しかかけずに予想すれば外れることが多い筆者からのコメントは以上です。

(2019年10月30日 水曜日)

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(2016/05/05)企業会計における営業資産であるところの「のれん」について説明しておきます

2019年10月29日

(2019/10/29)人類全体の共通の「故郷」「実家」がアフリカ大陸ボツワナの一地方に判明したという話です





おはようございます。

2019年10月の、人類全体の共通の「故郷」「実家」がアフリカ大陸ボツワナの一地方に判明されてきたという話です。

人類全体が、アフリカ大陸の中央部から発生して世界中に広がった、という説はかなり前から唱えられていましたが、どうやら、かなり狭い部分まで特定されてきたようです。

その場所は、アフリカ大陸のボツワナ北部にある、「マカディカディ・オカバンゴ」という地域であり、今は水のない塩湖やサバンナが広がる広大な荒野になっておりますが、大体13万年前くらいまでは、この場所のはるか北西に位置するナイル川の源流でもある「ヴィクトリア湖」の2倍もの面積を持つ巨大な池があり、その池から広がる広大な湿地帯に、現在の人類の共通のご先祖様である「ホモ・サピエンス・サピエンス」が生息、定住していたということなのです。

現生人類は、この住みやすい地に誕生してから約7万年、平穏に過ごしてきましたが、今から約13万年前に、気候変動や天変地異が起き、この巨大な湖は消失、そこからバラバラに安住の地を求めて難民さながら、グレートジャーニーという世界中に散らばる旅に出たというわけです。

そうして、数万年のうちに、実に南極大陸をのぞく世界中、地球の隅々まで、その足跡を記したのです。

7万年にも及ぶ長い訓練の時を経て、天変地異による故郷、実家の文字通り「喪失」を経てからの旅の軌跡は、まさに奇跡と言ってよいでしょう。

そうして出アフリカというアフリカ大陸を飛び出しヨーロッパに向かった者たちには、すでにそこに先住していた「ネアンデルタール人」という別の人類との遭遇も経験します。

そうして、一部混血しながら、肌と髪の白い(金髪の)新しいミックス人類を生みながら、それでもホモ・サピエンス・サピエンスは広がり続けます。

以上を時系列でまとめますと、

・ホモ・サピエンス・サピエンスの誕生(ボツワナ北部にある、「マカディカディ・オカバンゴ」)20万年前
・ホモ・サピエンス・サピエンスの移動開始 13万年前
・ホモ・サピエンス・サピエンスの出アフリカ 6万年前
・ホモ・サピエンス・サピエンスの世界展開(南米チリの最南端ホーン岬に到達)1万年前

という現時点での現代人類による現生人類発展の「通説」となります。

人類全体の実家が、このようにDNA解析により判明しつつある中、聖地巡礼ということでボツワナ北部への旅行者も増えることになるのでしょうか。

実は、ボツワナという国は、1966年の独立以後、豊かな天然資源と手堅い経済政策、安定した政治状況や高い教育程度に基づき、世界最高水準の経済成長率を1980年代末まで維持し続けたアフリカの優等生というべき国です。

IMFの統計によると、2017年のGDPは約174億ドルであり、これは人口(200万人)の国として一人当たりのGDPは推定7,584ドルで世界水準と比較しておよそ70%となっておりまして、実は隣国南アフリカ(6,180ドル)より高いのです。

今後、同国がこの「人類全体の実家、故郷、聖地」という観光業を打ち出すような気がしてなりません。

21世紀の後半、地球最後に残されたユートピアであるアフリカ大陸において人口爆発が起こることが確実視されている今こそ、我々人類全体の故郷である中央アフリカに思いをはせてみるのも良いかもしれません。

聖地巡礼というと東京秋葉原を思い起こしてしまうだけの、時代感覚の短く近視眼的な筆者からのコメントは以上です。

(2019年10月29日 火曜日)

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(2019/03/04)2100年の世界の人口は108億人でアフリカのナイジェリア人が9億人以上になるんだって知ってた?

2019年10月28日

(2019/10/28)人間力を鍛えるためには強烈な前向きの圧力をかけることが必要だと思う件です





おはようございます。

2019年10月の教育、要するに人間力を鍛えることに関する配信記事です。

人間力を鍛えるためには、強烈な「前向き」の圧力をかけ続けることが絶対必要だと思っていまして、これは当人にお節介と言われようがうざったいと言われようが、とにかく必要な人間力の養分補給だと思っていまして、食べる方がそのありがたみに気づくのが後になったとしても、必要な時期に、必要な関わりを持たないと人間力の滋養には至らないのではないかと思っています。

この圧力という、どちらかといえば積極的にも消極的にも取れる字句を使うのにもわけがありまして、こういう概念を、「愛情」とか「世話」とかいったその字句そのものに良い意味が混ざっている言葉を使ってしまうと、本質を正しくわかってもらえないのではないかと思って(危惧さえして)いるのです。

すなわち、圧力とは、当人が嫌だと思っていても、ある意味無理やりやらせる「勉強」とか「学習」とか、朝早く起きなさい、朝ごはん食べなさい、歯を磨きなさい、挨拶をしなさい、風呂に入れ、よく噛んで食べろ、年長者は敬え、親に口答えするな、卑しい真似をするな、ならぬものはならぬ、といった躾や指導、そして説教の類ももちろん入り得ます。

もちろん、褒めることや認めること、も多分に含まれるのですが、当人がやっていないのに無理やり褒めるということもまたおかしな話であり、あくまでも、当人の努力や取り組みを引き出すためにかける前向きな圧力や振る舞い、そして世話焼きや指導、ということになります。

これこそが、「教育」の本質であろうと思いまして、どこにやる気のスイッチがあるかなんて、子供だろうが大人だろうが、本当に千差万別であるのですから、多く試してうまくいったものをとりあえず類型化しつつもいつも新しいことを試し続けるくらいしか有用な解決策はありません。

そして、「こうやっておけばOK」という固まった指導方法が確立してしまった瞬間、それはいきなり陳腐化します。

必勝のノウハウも、自分で「必勝」などと銘打ってしまった瞬間、いきなり「愚策」に逆戻りするような事象は、筆者も当年45歳になるまで、随分と見てきた気がします。

しかしながら、いつも最新ハウツーバージョンに触れていなければ時代に遅れていってしまうということではございません。

時代が変わっても、悩み生きてそして死ぬという人間社会は不変のものでありまして、おそらく人間の心の中は100年前も、1,000年前も、10,000年前も、そんなに心象風景としては変わっていないのだと思っています。

電子デバイスに囲まれ、大量の情報が一瞬にして脳に届くこの2019年令和元年の時代になっても、それでも人間が対応できることはそんなに変わりはなく、本質というか豊かに生きることができる方法そのものはあまり変わっていないのではないかとも思うのです。

リベラルアーツという学問領域の言葉がありまして、これはもともと、教養という学問分野のことを言っていたわけですが、日本の大学教育の中での教養学部とは、専門教育に上がる前の、大学モラトリアムの時間、といった「悪い」意味がまとわりついてしまっておりました。

筆者も、「教養」学部で2年間をそれはもう、遊んで暮らした自由と放埒の日々を思い出しながら振り返るのですが、覚えているとすれば、毎週行くたびに変わっている大学教養部の「折田先生像」の新しいクリーチャーぶりを見て、横の生協で唐揚げ定食(450円)を食べて講義には出ない(そもそもどの教室でどの講義が行われているかもわからない)というようなダメ大学生であったわけですが、それでも、リベラルアーツという言葉に込められた「真の教養」というものには、「専門教育」の前に学習する一段低い教育といった意味でない、真の教養という意味を感じておりました。

最近までの多くの大学を主流とする日本の高等教育機関は、その存在意義を「役に立つ人材」を育てることに当てていたようですが、筆者の入ってそして(運良く4年で)卒業できた大学はそういうところから当時も(今はよくわかりません)一番遠いところにありましたので、なるたけ早く専門教育を行い、その専門のスペシャリストを育てるのではなく、長い人生において、どこかで突き詰めた良さを発揮できる、どちらかといえば大器晩成型を歓迎するという風潮がありました。

で、それを体現する「変な」「変わった」教授陣や大学職員陣を、確かに抱えておりました(繰り返しますが今はよくわからんです)。

筆者の周りにおいても、大学入るために1年や2年の「浪人」という強化学習期間を持ったものや、加えて入学後も学部2年、修士2年の修業年限をはるかに超えて勉学が好きで、学部の6回生とか、修士の3回生とか、そういった「勉強好き」のものがうようよいましたが、そういった方々が自由と放埒の日々を過ごしながら、少なからず親を心配させ、就職無「理」学部といった賢者の学び舎で、研究にいそしむという良さもあったわけです。

結局、人間を育てるということであり、大学や高校という教育機関の一番の効用としては、何か本当にやらないといけない分野が現れた際に、こうした人材プールやネットワークから、これぞという人間を洗い出す、というような、人間と人間を引き合わせるという作用が一番大切なのではないかと思っておりまして、これが、一番、「信用に足る」人間を引き合わせる、見つけ出すためのコストがかからず外しが少なく将来長く一緒に仕事なりプロジェクトなりが遂行できるということであろうという結論です。

明らかに、「カネでは転ばない」「正直」「率直」そして加えるならば「頭が良い」「体が動く」「営業センスがある」といった要素を加味して人は人を選ぶわけですが、このようなコミュニティに多くアクセスすることができるかということ自体が、教育における一番大切な要素ではないかと思っておりまして、「わからないことを聞ける人」をより多く持ち、ある材料で積極的に「自学」できる人が最強であろうという結論になっています。

この両方の根本的スキルを身に付けるためには、ただ優しく生暖かく見守っているだけではダメで、そうやると結局、子供は動画ばかり口を半開きにして見ているだけになってしまうので、積極的に手を動かし自学ができること、そしてわからないことをそのままにせず自分の興味に応じて飲み込まずに他人に問える対外発信力の双方を鍛える、そのために、前向きな圧力をかけ続けるという「教育」が必要になる、そういったところでしょうか。

そして、「教育」を与える方も、「教育」が当然自らにも必要であることをわかっている、この方がはるかに与えられる方の受け取り方が違うというのもようやく最近わかってきました。

公文の算数の分数の足し算引き算掛け算割り算ならば、一緒に親もやってみましょう。

以外に、子供達の計算速度の速さと正確さに驚きます。

筆者などは、ちょっと闇練してから子供に見せて威厳を示しましたが、例えば九九の掛け算などは、99から11まで逆に言ってみる、というのを夜中コソ勉してから披露することなどをお勧めします。

ガミガミ言うよりよほど「おおーっ」と言われて尊敬されること間違いないです。

教育とは、これからを生きる全ての人に必要なスキルであると思いました。

それでは、今日はこの辺にいたします。

営業センスのないこちらからは以上です。

(2019年10月28日 月曜日)

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(2019/08/07)長崎新幹線はいっそのこと佐賀県を通らずに通した方が実現は早いのではないかと考えた話です(あくまで妄想頭の体操ですが)

2019年10月27日

(2019/10/27)著者の死後50年が経過してパブリックドメインに帰した名作を使い自己表現を筆者もしてみむとてするなり





おはようございます。

2019年10月の、令和の時代のはじめに名文を紹介します。

著者の死後50年が経過してパブリックドメインに帰した名作を使い自己表現を筆者もしてみむとてするなり(紀貫之「土佐日記」より)という記事です。

中島敦「山月記」ですが、著者死後50年が経過しており、いわゆるパブリックドメイン(public domain、公有)に帰った著作物ですので、知的財産権が発生していない状態または消滅した状態にあります。

しかしながら、著者の人格権ほか他の権利には十分配慮尊重していかなければならないことは当然のことであります。

中島敦先生は、わずか33歳でこの世を去られた夭折の大文学者ですが、それゆえに、この山月記は高等学校の国語の題材として、今でも読み継がれている名作です。

原文の二次利用を行うにあたり、当方で改変した部分は赤文字(あかもじ)としておりますので合わせてご参照ください。

鎮西(ちんぜい)筆者(ひっしゃ)は博学才穎(はくがくさいえい)、平成年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、ついでメガバンク銀行員(ぎんこういん)に補せられたが、性、狷介(けんかい)、自みずから恃(たの)むところ頗(すこぶ)る厚く、賤吏(せんり)に甘んずるを潔(いさぎよ)しとしなかった。
いくばくもなく銀行を退いた後は、故郷(こきょう)福岡市に帰臥(きが)し、人と交まじわりを絶って、ひたすらブログに耽(ふけ)った。
下吏となって長く膝(ひざ)を俗悪な大官の前に屈するよりは、ブロガー、ユーチューバーとしての名を死後百年に遺(のこ)そうとしたのである。
しかし、文名は容易にらず、PVも伸びず、生活は日を逐(お)うて苦しくなる。
筆者は漸(ようや)く焦躁(しょうそう)に駆られて来た。
この頃ころからその容貌(ようぼう)も峭刻(しょうこく)となり、肉落ち骨秀(ひい)で、眼光のみ徒(いたずら)に炯々(けいけい)として、曾(かつ)て第二帝国大学に登第(とうだい)した頃の豊頬(ほうきょう)の浅黒き少年の俤(おもかげ)は、何処どこに求めようもない。…(中島敦「山月記」より)

面白くなってきたので、もう一つ行きます。

次は、太宰治「走れメロス」です。

こちらも、著者の死後50年経過したことをもって、「青空文庫」において誰でも読むことができます。

筆者は激怒した。
必ず、かの邪智暴虐(じゃちぼうぎゃく)の教授を除かなければならぬと決意した。
筆者には博士号学術論文の良し悪しはわからぬ。
筆者は、田舎墓多学生である。
大学にはろくに行かずボートを漕いで暮して来た。
けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。
きょう未明筆者琵琶湖河畔の合宿所を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此この京都大学祭にやって来た。
筆者には父も、母も無い。
女房も無い。十六の、内気な妹と二人暮しだ。
この妹は、村の或る律気な一牧人を、近々、花婿(はなむこ)として迎える事になっていた。
結婚式も間近かなのである。
筆者は、それゆえ、花嫁の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる大学にやって来たのだ。
先ず、その品々を買い集め、それから都の大路通や百万遍をぶらぶら歩いた。筆者には竹馬の友があった。
水谷康弘君である。 …(太宰治「走れメロス」より)

もともと少ない読者のうちの、さらにまたほんの一部の読者の方々にしかわからないネタを差し込んでしまい誠に申し訳ございません。

しかしながら、不覚にも、続きが読みたいと思ってしまいました。

さすが、名文の書き出しの力は違います。

このように、2019年令和元年の時代には、触れようと思えば簡単に、ほぼ無料もしくは極めて低いコスト(時間や費用)でたどり着くことができ、高校受験や大学受験においても、「情報がない」ということで困ることなど、「適切なコーチングをして親身になって相談に乗ったり励ましたりしてくれる大人や仲間」がいる限り、全くないと言い切れると思っています。

かつて、「歩いて4キロメートル(1時間)」の街のビル一棟まるごと書店であったという、「ブックセンター」に出向き、大学受験の学習参考書コーナーから、どれが良いのかを選びながらその辺の別の本の立ち読みに耽ってしまいあっという間に数時間が経過し、立ち読み本を読むのに支える左手の肘の部分が固まった、というような原体験を持っている筆者などにすれば、非常に「いい」時代になったと思う反面、知識にしろ快感にしろ、何でもすぐ得られてしまう現代の世相については、若干の違和感なしとしません。

いいところは積極的に取り入れ、そしていつも時代にも必要である「自分で学ぶ」「自学」のスタイルと効用については、常に口を酸っぱくして自分に対しても言い続けていこうと思いました。

水谷康弘君の没後、満13年が経過し、筆者は45歳になりました。

毎年、自分の誕生日を迎えるたびに、彼の没後の年数も重なりますので思い出すのに都合が良いです。

亡きあちらの世界の友へ。私は今この瞬間も生きています。もちろん次の瞬間、何が起こるかわかりません。生きてるかもしれないし、さっくり死ぬかもしれません。しかし、それでも私は今確かにここにいて、君のことはときどき思い出します。だから安心してほしいです。君に見られていると思うと背筋が伸びます。 これからも、よろしく頼みます。

最後はオリジナルの文章で締めさせていただきました。

こちらからは以上です。

(2019年10月27日 日曜日)

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(2018/07/23)〔我が友水谷康弘君に捧ぐ〕承認欲求についてつらつら考えてみたことを書いておきますという記事です

2019年10月26日

(2019/10/26)心のさもしい貧乏で怠け者な人たちに影響されないようにするために読んでおくこと






おはようございます。

2019年(令和元年)10月の配信記事です。

令和元年!と言えるのもあとわずか2ヶ月に迫ってきました今日この頃ですが、いつも通りの通常運転で行きたいと思います。

いわゆる「偉人」の言葉を引用するのは気が引けるのであまりやらないのですが、今日はそれでも紹介しておきたいジャック・マーという起業家の言葉を紹介します。

中国でアリババ・グループという2019年10月時点で中国(中華人民共和国)の総合オンライン小売業でトップの一つとなっている巨大IT企業の創業者です。

貧乏マインド、心のさもしい人たち 
「ジャック・マー」アリババ創業者 
貧乏マインドの人に尽くすことほど
無駄で最悪なことはないのです 
「何か無料プレゼント」したら
「これは罠だ」と非難します 
「少額投資で大丈夫」というと
「だったら儲からないじゃん」と文句を言います 
「多くの投資が必要」というと
「そんな金ない」と文句たらたらです 
「新しいことに挑戦しよう」と誘っても
「経験がないから無理」とハナから諦めています 
「伝統的なビジネスだよ」というと、
「じゃあ成功しないね」と却下されます 
「新しいビジネスモデル」というと
「ああ、ネズミ講だね」と決めつけます 
「店を持って経営してみたら」というと
「自由がなくなる」と主張します 
「起業してみたら?」といっても
「プロじゃないから無理」と受け入れません 
貧乏マインドの人たちの共通点とは
グーグル検索が大好きで
似たような貧乏マインドの友人の話ばっかり集めて慰め合っていることです
口先だけは大学教授並み
でも行動はナマケモノ以下(ナマケモノにも失礼) 
彼らにこう聞いてみましょう
「じゃあ、あなたは何ができますか」
何も答えられないから 
言い訳を熱弁している暇があったら
もっと素早く行動に移せば良いのです 
いつも考えて批判しているよりも
何か実際にやってみてはどうでしょうか 
貧乏マインドの人々は、この共通点により必ず失敗します
ずっと待っているだけで、自ら「何も」行動しないからです
 

さて、この言葉ですが、より原文のニュアンスに近い英語でも記載しておきます(本当は中国語になるのでしょうが)。
日本語にするときに、少しばかり「意訳」しているところがありますが(特に「盲人」のところなど)、合わせて比較いただければと思います。

Jack Ma Founder of ALIBABA 
The worst people to serve are the poor people. 
Give them free,They think it's a trap. 
Tell them it's a small investment, They'll say can't earn much.
Tell them to come in big, They'll say no money. 
Tell them try new things, They'll say no ecperience. 
Tell them it's traditional business, They'll say hard to do. 
Tell them it's a new business model, They'll say it's MLM. "Multi-level marketing"
Tell them to run a shop, They'll say no freedom. 
Tell them run new business, They'll say no experitse. 
They do have some things in common, They love to ask GOOGLE, listen to friends who are as hopeless as them. 
They think more than a university professorand do less than a blind man. 
Just ask them, what can they do. 
They won't be able to answer you. 
My conclusion,Instead of your heart beats faster, why not you just act a bit faster. 
Instead of just thinking about it, why not do something about it. 
Poor people fail because of one common behaviour.
Their whole life is about WAITING.

なかなか胸に刺さるお言葉でした。

努力不足を環境や世の中の不公平自体の「せい」にすることはできません。

お金がなければ、一日二食にして納豆と卵かけごはん、よく出汁のきいた味噌汁を自炊して、古本屋で本を買って読んで勉強したらいいと思います。

それが一番の未来への投資というものです。

もう一度書いておきますが、努力不足を環境や世の中の不公平自体のせいにすることはできません。

そういうのは「庶民」でも「被害者」でもなく、ただの「怠け者(ナマケモノにも失礼)」というのだと思います。

当年45歳にして学習と行動がまだまだ足りない筆者からのコメントは以上です。

(2019年10月26日 土曜日)


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(2019/02/03)死んだじいちゃんが生前言っていた「卑しいことはするな」を簡単に一文にまとめましたので披瀝します

2019年10月25日

(2019/10/25)フランチャイズシステムを維持するためにFC本部が各店舗に維持費を補填する時代になったという話です(人材不足の話)






おはようございます。

2019年10月、令和元年の人手不足のニュースです。

令和の時代は、昭和生まれの「かつて、世界は子供で満ちていた」昭和の終わりを子供時代として経験してきた筆者のような世代では経験すらなかった、空前の人手不足が続く時代になることを予感させるような出来事が立て続けに起こる時代のようです。

日本のコンビニエンスストア最大手のセブン&アイホールディングスが、今月、傘下のセブンーイレブン・ジャパンのフランチャイズチェーン(FC)加盟店での利益配分を見直すと発表したのです。

FCの基本契約を見直し、低収益の加盟店である約7千店に対し、月額20万円を実質的に支給するなどの、本部からの支援を行うとしたのです。

「稼げない店はとっとと畳め」とばかりに、出店した周囲にも同じセブンイレブンをどんどん折り重ねるように出店していくセブンーイレブンのやり方は、「ドミナント戦略」としてチェーンストア経営の本にも載っているような、それ自体が「勝てる方式」でしたが、既存店舗の収支不調と、人手不足によるコンビニチェーン網自体の維持コスト上昇の観点から、弱いものに対する一方的な措置を改め、保護策に転じたものと言えましょう。

(株主などの)投資家からの圧力はあるのでしょうが、背に腹は変えられない、というところです。

そもそも、365日24時間営業というビジネスモデルの持続が限界を迎え、特に地方では難しくなっている中、本部が加盟店に譲歩する形で、24時間営業を継続する加盟店で、月間の粗利額が550万円以下の店の場合は、低収益店として、本部へのロイヤルティーを20万円減額するというものです。

現在の想定では、その「減額」される加盟店は、全部のFC店2万店(別に直営店4百店)のうち、7千店といいまうから、実に3分の1以上の店舗が実に収支不調に陥っているということでもあり、その原因のほとんどは、特に深夜帯におけるパート・アルバイトが集まらないという人員不足の負の連鎖です。

人手こそタダといわれた昭和末期から平成中期にかけて育ち(実は昭和中期くらいまでは、高度経済成長であり若手労働力は金の卵などと言われました)、そうして、「3つの過剰(設備過剰、在庫過剰、人員過剰)」などと経済新聞市場で揶揄された、そのような世代に育ち、今から初老と言われるような年代に差し掛かった我々、団塊ジュニア(もうジュニアという呼称はやめて、団塊第二世代とでも呼んで欲しいのですが)といたしましては、世代として多くの子供達を作ることができなかった、という後悔の念と、それでも外部環境としては厳しいままではなかったか、というないまぜの気持ちがあり正直気持ちの整理が非常に難しいところです。

日本の人口が減ることは、随分前からわかっていたのに、実際にそうなってからしか対処的にしか考えられないというのが人間社会の性というものでありましょうが、あまりにも無策なままこの世界的な人口減少社会の嚆矢となって突っ込んでいく我が国の状況を見ますと、我々世代も、老け込むのではなくもう少し胸を張って文字通り若返って頑張らなければならないと思いました。

ということで、今後しばらくは45歳ではなく35歳というつもりで過ごしていこうと思います。

365日24時間無休のコンサルタント・ブロガーの筆者からの記事は以上です。

(2019年10月25日 金曜日)

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(2016/01/22)コンビニ市場は2015年に10兆円を超えた(百貨店市場は6兆円台))

2019年10月24日

(2019/10/24)変えるべきところと変えない方が良いところを見分けるのが経営の才能だと思う話です(松下電器グループの話)

松下電器グループ(1985年)





おはようございます。

企業のイメージ戦略に関する(昭和後半生まれ45歳の)筆者があくまで個人的な意見を自らの発表の場で述べて配信しようとする独善的な記事です。

昔、松下電器産業という大きな会社がありました。

松下幸之助という、不正出の「経営の神様」と呼ばれた人が作り上げた日本の家電業界のみならず日本のお茶の間全体を牽引する、まさにスーパー企業でした。

国内ブランドはナショナル、海外ブランドはパナソニック、という二つの商品ブランドを作り上げ、それとは別の上位概念としての企業グループとして、「松下電器グループ」を標榜し、松下電器産業を大親分に、松下電気工業、松下通信工業、松下電子部品、松下住設機器、松下産業機器、松下電池工業、松下電器貿易、松下冷機、九州松下電器、松下精工、松下寿電子工業、松下電送、などを傘下に有し、「技術で拓く世界の繁栄」を企業理念(旗印に)、世界中に国内・海外510社を展開する、一大企業グループ(1985年当時)として君臨していたのです。

筆者も、英語教材として親しんだ、「家出のドリッピー」シリーズの上級編、「追跡(The Chase)」の主人公は、日本の財閥グループ「松本インダストリー」の御曹司が数奇な冒険を経て成長するという物語なのですが、明らかにこの松下電器グループをイメージしているのです。

米国のトップ作者のシドニィ・シェルダンの書き下ろしという英語教材で、かつてブームになりましたが、このストーリーのプロットにもなった世界の松下電器グループ、大阪から世界を制覇したあのスティーブ・ジョブズも憧れた、「自由闊達にして愉快なる理想工場」ソニーに並ぶ日本の家電メーカーの面目躍如の存在だったのです。

しかしながら、海外ブランドの「パナソニック」の名称に企業名も統一してから、どうも筆者には馴染みが薄くなってしまいました。

「ナショナル」ブランドの乾電池をよく買いに行っていた昔が懐かしいです。

さて令和元年の10月、同じように、日本の老舗かつ先端サービス企業が古いブランドを一気に変えるという記事が飛び込んできました。

「宅急便」という商標ブランドを持つ、国内宅配事業首位のヤマトホールディングスが2019年11月29日に旧社名の「大和運輸」から数えて、創業100周年となるのを機に、グループの「クロネコ・シロネコ」のキャラクターを実に28年ぶりにリニューアルすると発表したのです。

このリニューアル後のキャラクターが、何だかユニセックスな感じで、今までの、ちょっと空回りのオスのクロネコと、化粧とつけまつげの濃い感じのメスのシロネコという、インパクトのある愛されキャラクターに取って代わってしまうということで、筆者のような旧守派としては、そこ変える?もっと変えないといけない(従業員の待遇とか宅配のシステムとか)部分があるのでは?と思った次第で、松下電器がパナソニックに変わった時と同じような感覚を覚えてしまったのです。

名残惜しいので、リニューアル前の、クロネコ・シロネコのキャラクターについても、念のためアップしておきます。

アマゾンの通販サイトの写真からの転用です。


クロネコヤマト「シロネコ・クロネコ」2019年11月まで


その昔、JALが「鶴丸」という世界に通用した日本の鶴のマークをやめて、特徴のない「JΛL」というような、ロゴにしたことがありますが、これなどは、「ジェイ、(ギリシャ文字の)ラムダ、エル」としか海外の人たちは読めずに???となっていたところ、経営破綻を経て結局また鶴のマークに戻してことなきを得た、ということがありました。

これと同じように、ロゴや呼称というものは、その企業のものだけではなく、利用する顧客や関係者にとっても大切な資産であるということをよく考えて、できるだけサービスの「中身」をよくする方向に使った方がいいのではないかと改めて思いました。

ちなみに松下幸之助さんは、尋常小学校を4年で中退し、9歳で宮田火鉢店に丁稚奉公に出された、徹底的な現場主義の方であり、本社の奥まった会議室の中で、広告会社が持ってきた「イメージ戦略」なるプレゼンを聞くだけで会社ロゴや会社キャラクター変更という一大事を「(個別の役員は無答責であろう)合議制で」何となく決めてしまうような愚かなことはされなかったであろうと、「愚考」しております。

筆者の拙い経験で恐縮ですが、かつて1902年、日露戦争後の重化学工業部門の資金不足を解消すべく、日本政府保証の下ロンドン市場等で、外債を発行し、国内重工業への融資を行う調達のために設立され、戦後は高度経済成長を牽引したかつての国策銀行、日本興業銀行という銀行の100年の歴史の最終盤に入行し、その2002年の終焉まで付き合い、看取ることができたことを密かに誇りに思っております。

最後に、

「あっかるーいナショナル、あっかるーいナショナル、みんな、うちじゅう、なーんでも、ナーショーナールー」

という宣伝文句が、耳の音にこだまするくらい、テレビCMが流れていた、そんな昭和の時代を少年時代に過ごした筆者からの昭和時代の回想記事は以上です。

(2019年10月24日 木曜日)

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(2018/09/02)外側に責任を求める他責思考と内側に責任を求める自責思考について書いておきます(松下電器創設者の松下幸之助さんの言葉)

2019年10月23日

(2019/10/23)「かつて、世界は子供で満ちていた」気持ち悪いことも表現の自由という「権利」として当年45歳を迎えました自らの人生を重ねて語ります





おはようございます。

2019年10月、令和元年の日本から昭和のニュースをお届けします。

お届けするのは、この令和元年10月22日(火)に祝日として、盛大に世界中の要人を招いて天皇陛下が即位を宣明された「即位礼正殿の儀」と同じ月に誕生日を迎え、当年もって45歳となりました、団塊ジュニア世代真っ只中の中年男子の筆者です。

昭和49年10月生まれの団塊ジュニア。

子供のころは、いつも、たくさんの同級生がいて、世界は子供で満ちていました。

それでも幼稚園(年中)の入園式の後に親が帰ってしまうのが嫌で校門(お寺の門)でしがみついて泣いていました。

そんな私も幼稚園のお泊まり会でのお化け屋敷大会では先頭・・から二番目でなんとか進み、泣かずに戻ってくるくらいには成長しました。

今でも桂幼稚園の園歌を「みどりのお庭のきんもくせい・・・」と歌うことができます。

そうして小学校に上がります。

企業祭という強烈大きなお祭りがあり、行きつけの病院は製鉄病院、鉄ビルストアで買い物をして同級生が転校する先は、「光」「堺」「大分」「君津」そして「釜石」。

当時は日本の大都市には必ず製鉄所(溶鉱炉)があり、日本とは大体上記の都市と、今いる「八幡」だと本気で思っていました。

東京や大阪、名古屋や京都を知るのはずっと後になります。

ビックリマンシールを集め、パッチンを飛ばしあい、総取りしていました。

立派な賭け事です。

子供会のソフトボール大会は、ガチで練習して、夜9時近くまで近くの「ベビー球場」の外野で練習しました。

練習場は、何と石砂利です。

そんな中でゴロのノックを受けるのです。

ボールがなくなると、見つかるまで探すよう監督に言われ、それでも見つからない時は全員でケツバットを食らいました(私がキャプテンでした)。

しかし、それが普通だったのです。

子供に虐待して、と言い出す親はいませんでした。

そんな中、日航機123号機が墜落し、上を向いて歩こうの歌手ほかみなさんが犠牲となり、奇跡的に生き残った4名の生存者を除く520名死亡の大災害を、毎日テレビで見ていました。

生存の4名の方々のプライバシーなど、あったものではありませんでした。

それから、ファミコンが出て、スーパーマリオで大ブームの後、すぐにドラゴンクエストが発売され、近くの百貨店「そごう(今はない)」に半年前から予約して買いに行きました(学校があったので、親に頼んで)。

近くのゲームセンターでは、普通にカツアゲされるので、両方の靴下に帰りのバス賃だけは確保して、お金持っていない→そこで跳んでみろ(ジャラジャラいったらカツアゲされる)と言われた場合の「対策」もバッチリやって、ゴールデンアクスなどのアーケードゲームの最後の輝きを楽しんだ世代です。

バブルボブルやシューティングゲームの1942、という、上手い奴がプレイし始めると50円で100面クリアみたいな猛者による、ゲーム回転率の悪さもあり、そうして台頭した家庭用ゲーム機(ファミコン)に急速にとって変わられる、そのような百貨店屋上やよく家族が利用するスーパーの中二階の、アーケードゲームコーナーがありました。

1942、なんてシューティングのアーケードゲーム、今、日米の旧軍関係者が見たらどう思うのか、今では想像もできません。

リアルすぎます。

小学校の体育館で、文部省特選のタイトルがついた「はだしのゲン」を児童みんなで見ました。

泣いて気分が悪くなった女子生徒もたくさんいました。

今や、「首実験」の写真を授業で見せるだけで人権問題になる、そんな令和の時代からは考えられない仕打ちです。

鉄ビルストアに併設した、昭和30年代の建築で十分オンボロの賃貸アパートに、親父は鐵工所勤めで母親は家庭内洋裁をやっています、みたいな友達の家で、ゲームしたり本の貸し借りをしたり、時々勉強をしたりしながら過ごしました。

中学校は、ヤンキーが仕切っていました。

国鉄は、JRになって車両内に所狭しと設置されていた子供の目の高さに合ったあの特注灰皿がなくなりました。

普通に灰皿を触った手で、子供が指しゃぶりをしていました。

そんな今の世界が見たらクレイジーな時代だったのです。

中学の部活動は、基本ヤンキーの集まりでした。

競技をしたかったのですが、その辺の付き合いが面倒でした。

使える参考書を選びに、4キロメートル先にある「黒崎駅」まで出向いて、そこの「ブックセンター」という、アマゾン全盛の令和の時代にはありえない巨大書店で、半日過ごして立ち読みしまくって、そして目指す本を握り締めて暖かくなった硬貨で買い、そして帰りのバス賃不足でまた歩いて帰る、みたいな生活でした。

そんな、やたら世間は景気が良さそうな中、天皇陛下が崩御されて時代が平成に変わります。

一気に、世の中が不景気になります。

天気の子、ならぬ公営団地(団地)の子である筆者は、「文字のわりと多い本が好きなだけ」で中学までずっと成績は1番だったので、高校は、その中学からわずかしか進めない域内公立進学高に進みます。

母親がリューマチとなり、一級障害になる、そのくせ入った部活(山岳部)で夜遅くなる→家事ワンオペの父親の迷惑になるのも悪いということで、母親の実家の祖父母宅に高1の冬より居候することになります。

山岳部の活動を続けつつ、祖父母に迷惑かけたくない一心で大学はすっぱり現役で九州外へ出ることを決意します。

ベルリンの壁が壊れます。

ソヴィエト連邦が15の独立国家共同体なる、わけのわからない存在に解体されます。

そうして、アルベールビルオリンピックの松任谷由美のテーマソングを聴きながら、コタツで缶ビール片手に勉強します。

当時は、ビールはゼット!というビートたけし(令和の今なら、世界の北野武、昭和の時代は8時だヨ!全員集合の裏番組のタケちゃんマン)がビールの宣伝に出るくらいの存在でした。

令和の今では考えられないでしょう。

上記二つの事象含め、祖父母(両方鬼籍に入った)をして、あんなことが起こるなんてね、と言わしめました。

消費税が3%で始まります。

天安門事件は、その物凄さの割にあまり報道されなかったです。

集中力と気合とヤマカンが当たり大学に滑り込みます。

大学は京都なのになぜか壬申の乱で有名な瀬田の唐橋を毎日わたるのではなく下を潜るボート部の生活に入ります。

学生運動と宗教活動が盛んな大学でした。

今の京都とは比べ物にならないくらい、当時の京都は、平安神宮のそばという絶好のロケーションに下宿を構えながらも、観光客もおらず閑散としており、文字通り、日本人にも見向きもされない修学旅行生がかろうじてやってくるだけの、死にかけた街。

それが筆者がいた時の京都の偽らざる実感です。

それから30年、観光客ひしめく京都がこんなことになるとは思いもよりませんでした。

阪神大震災と地下鉄サリンで世紀末を実感し、生きる実感を味わいます。

Jリーグが始まり、ドーハの悲劇を生で見て慟哭します、4年後、ジョホールバルで「初めての」ワールドカップ本戦に出場します。

当時の日本人選手は、鬼気迫る、触れたらキレそうな眼光でテレビカメラを睨み付けていました。

世界との「格差」は明らかに、高くそびえていました。

・・もっと書いていきたいところですが、とにかく、ここに書いたことは全て筆者の見た当時の世界であり、「今の感覚」からすると、ものすごく遠い世界のような感じもしますが事実です(あくまでも主観では)。

ワールドカップ出たことがなかったことも、ワールドカップなんて、キャプテン翼の漫画の中にしかなかったし、地下鉄でサリンが撒かれて数千人が被害を受けるなんて、直下型大地震が神戸淡路島に(それこそ数百年ぶりに)起こるなんて、そして5千人以上が死ぬなんて、日本の日本航空の国内線が、いきなり操縦不能になって墜落、520人が死ぬなんて、そしてソ連が解体されるなんて、天皇陛下が亡くなるなんて、神戸の透明な中学生が、知り合いの小学生の首を興味で糸鋸で切り落として、その首を自分の中学校の校門に置いておくなんて、そんな強烈な時代を少年時代にバンバン経験してきたことなんて、今の高校生に聞いたら宇宙人を見るようなものではないでしょうか。

それなのに、今45歳になりましたならば、世間では初老と言われ、地域社会には貢献せよだの、部下にいばり散らしてはパワハラだの、家庭でも介護に子育て、家事もできなきゃダメと言われ、随分多能になるだけの経験はさせてもらっているけれど、なんだか団塊ジュニアと言われて随分余裕のなくなった社会における高齢労働者としてこれからも大いに汗をかくことを期待されている感じがしてきついなあというようなところでしょうか。

しかしながら、結局のところ、自分の人生を決めて過ごして振り返り評価するのは自分だけであるというのが真実でしょう。

他人やコメンテーターから、「何とか世代」と言われようがそれは関係ないというものです。

そこで、我々は、冴えない人生とたまに言うのもいいけれども、それでもどっこいこの荒波を生きてきた、ということを噛み締めることで、結構自分の人生の味も出てくるのではないかと思うようになりました。

100万円のスーツをバブル時代に着ていた人も、それでもなんだか焦燥感があった、というような話を、安いハイボールを飲みながら語るにつけ、その100万円、何か別のことに使っておけばよかったのにとも思うけれども、100万円の(アルマーニの紫の)スーツが、数十年後に、安いハイボールでの飲み会の話のネタになるのであればそれもまたよしということなのでしょう。

そういえば、当時の最先端のWinPCだった98シリーズのデスクトップ、スタンドも入れたら35万円でしたっけ(遠い目)。

使ったのは結局ワープロソフトくらいでしたが。

それくらい、令和の現代からすれば、わけのわからない「遠い世代」からやってきた宇宙人なのです我々は。

日本での多数派にじわじわと成長しつつある、「平成生まれ」の諸君へ、「令和生まれ」が君たちの目の前に現れるまでざっと20年、その時の衝撃を受けた君たちの顔つきを、たのしみに、もうしばらくこの世で粘ってみようと思っています。

昭和生まれのこちらからの幻想は以上です。

(2019年10月23日 水曜日)

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(2019/01/08)平成31年1月7日をもちましてこの世から昭和生まれの20代は絶滅したことを宣言いたします

2019年10月22日

(2019/10/22)令和の時代の「即位礼正殿の儀」を拝見した素晴らしい一日の話です





おはようございます。

令和元年十月二十二日の火曜日は、日本は祝日となりまして、「即位礼正殿の儀」を拝見することができました。

直前に日本に来襲した台風19号による水害被害が広がる中、パレードは「延期」され、さらに、折からの雨で来訪者も宮中の庭に出ての参列ができないという(部屋で待機)、縮小した祭礼となりましたが、これも、両陛下の国民に寄り添うお気持ちが天に通じたのではないかと思いました。

そして、令和の時代に起きた奇跡、すでに報道やインターネットのSNSなどで大きく話題になっている通り、本当に神話のような展開となったのです。

東京ではあれだけ朝から強かった雨と風が開始時間が近づくと弱まり、天皇・皇后両陛下の登場を待っていたかのように宮殿に差し込む光、そうしていつの間には、雨は上がっていたのです。

そして、皇居の空が晴れ、周辺では、『即位礼正殿の儀』が始まった13:00頃、大きな虹がかかりました。

天皇陛下は、高御座の台座で即位を国内外に宣言する「おことば」を述べられました。

「さきに、日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより皇位を継承いたしました。ここに「即位礼正殿の儀」を行い,即位を内外に宣明いたします。
上皇陛下が三十年以上にわたる御在位の間,常に国民の幸せと世界の平和を願われ,いかなる時も国民と苦楽を共にされながら,その御心を御自身のお姿でお示しになってきたことに,改めて深く思いを致し,ここに,国民の幸せと世界の平和を常に願い,国民に寄り添いながら,憲法にのっとり,日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います。
国民の叡智とたゆみない努力によって,我が国が一層の発展を遂げ,国際社会の友好と平和,人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。」

すばらしい展開であり、お式でした。

それほど信心深いというわけではありませんが、天地も陛下の即位を祝うかのような展開に、この式を拝見することができて、ますます背筋が伸びました。

天皇陛下の御即位に、改めて心よりお祝いを申し上げます。

私も、一国民として頑張ろうと思います。

こちらからは以上です。

(2019年10月22日 火曜日)

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(2019/10/16)天皇位は天皇家の男系しか継いではいけないという不文律が定まった「継体天皇」即位の話です

2019年10月21日

(2019/10/21)「邪馬台国」比定地について筆者説をアップデートして「筑紫平野」と変更します





おはようございます。

2019年10月の邪馬台国比定地論争に関して、これまで筆者がいろいろ述べていた一応の比定地を、今般その後の研究も含めて「筑紫平野一帯」と変更しますという記事です。

これまでは、2014年10月31日付記事にもありますとおり、水行10日、陸行1月、という記述を元に、宮崎平野あたりを比定していたのですが、この説を改め、新たな筆者説としては、「筑紫平野」を比定地といたします。

先の記事を書いてから5年間に、いろいろと筆者も「勉強」「学習」しまして、その軌跡を詳か(つまびらか)にしますとちょっと紙面が足りなくなりますので、要点だけ端折って申し上げます。

まず、①魏志倭人伝の記述である「帯方郡から女王国にいたるにのに、一万二千余里」とあり、そして②「帯方郡から狗奴韓国まで七千余里、狗奴韓国から松盧国まえが三千余里、そこから伊都国までが五百里」とありますので、これを合計すると一万五百余里となります。

とすれば、①−②で伊都国から女王国までは、千五百余里ということになります。

伊都国から山を超えた向こうの、広大な筑紫平野に広がるのが邪馬台国、そして卑弥呼がいるので連合王国の長としての「女王国」でもあったのではないでしょうか。

そして、このまま続いて、③それと矛盾する、なんだか伝聞的な「南、投馬国に至る、水行二十日。南、邪馬台国に至る、水行十日、陸行一月」という記述については、この開始点を、「不弥国」ではなく、おおもとの「帯方郡」からの道のりをおおよそ記載した、と読むことで解決できるのではないかという結論です。

そして、投馬国の方は、(帯方郡より)水行20日で着くということですから、今の宇佐大社がある、宇佐平野(現在の豊前市、中津市、宇佐市)を比定します。

そして、卑弥呼を継いで女王となった壱与(トヨ、とも言う)は、水害が起こって国力が落ちた筑後川流域から、この投馬国があった宇佐平野に移って、そしてそこで「即位」したのではないかと想像します。

こうして、邪馬台国から投馬国が「女王国」となり、この南に位置する狗奴国、おそらく熊本平野か菊池平野あたりに勢力を持っていた男王の国、と対峙したのではないでしょうか。

今日は結論と、最もそのよりどころとなった基本的な解釈の変遷だけを記させていただき、詳細は今後の発表に代えさせていただきたいと思います。

古代史好きからの今日のコメントは以上です。

(2019年10月21日 月曜日)

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邪馬臺国謎解きシリーズ(2014年10月版、全5回)

(その1)

(その2)

(その3)

(その4)

(その5最終回)

2019年10月20日

(2019/10/20)天皇陛下が即位を宣言される『即位礼正殿の儀』が2019年10月22日に行われこの日は祝日となります







おはようございます。

天皇陛下が即位を宣言される『即位礼正殿の儀』が2019年10月22日に行われます。

世界の王室からは、イギリスからはチャールズ皇太子、オランダのウィレム国王夫妻、スペインのフェリペ国王夫妻、ベルギーのフィリップ国王夫妻、サウジアラビアのムハンマド皇太子などが参列する予定、となっております。

そして、各国の「大統領」などの首脳級では、ドイツのシュタインマイアー大統領、トルコのエルドアン大統領、フィリピンのドゥテルテ大統領、インドのコーヴィンド大統領らの参列が予定されています。

世界最古の王朝として、ギネスブックにも載っている日本の皇室については、日本の人が思う以上に世界で関心があり、忙しい日程をぬって世界各国からの要人が文字通り日本に集結します。

日本の皇室は、世界に類を見ない、少なくとも1,500年以上間違いなく続いているという、世界最古の王朝なのです。

歴史自体が長い国は、エジプトや中国、中東の国々にももちろんありますが、国号が変わらず、ひとつの国として突出して長い歴史を持つ国は、もうこれは日本以外にはありません。

そして、この一つの国としての貴重な歴史を紡いできた源泉が、間違いなく天皇と皇室なのです。

もちろん、天皇から政治や経済を「委託」されて権勢をふるった、いわば地上の権力者は、どの時代にもおりまして、古くは摂関家(藤原氏)やら、時代が下ってからは将軍家やその将軍家を補佐する立場ながら将軍位を上回る権力を手にした執権(得宗家)や、本来将軍の統括する幕府の出先機関に過ぎなかった九州探題やら関東管領、太宰少弐といった職種や職位自体が地場の豪族権力と結びついて強大な力を持ったりするということもありましたが、とにかく、全ての世俗の権力の源泉でありながら、その権力からは一定の距離をおいて、ひたすらに国民の安寧を祈る、祭祀者としての天皇という存在が、この国号日本という王朝の長寿を決定的にしました。

この、世界にほかにない、奇跡的な存在に対して、世界中の国々が、敬意と憧れを持って集まるのです。

さらに、今回の、上皇陛下から天皇陛下への「譲位」は、第119代光格天皇以来、約200年ぶりだったことも注目されています。

日本人にとっては、200年間というのは、まあその程度かという感覚ですが、例えば、アメリカ合衆国を例にしますと、その建国自体から250年経過していない、というような「普通の国々」にとりますと、ものすごいことなのです。

世界の外交の常識として、日本において本当は誰に会いたいか、ということになると、世界で唯一「Emperor」の称号を保っている天皇陛下、皇后陛下でありまして、総理大臣、衆参両議院の議長よりも、最高裁判所長官といった三権の長をはるかに超える、さらに周辺国の「国王」よりも、国の文化や宗教といった国のなりたち、文明そのものを代表しているという位置付けになるのです。

世界史を紐解けば、20世紀までは、たしかに20世紀まではドイツやオーストリア、エチオピアなどの国でエンペラーを名乗る地位がありましたが、現在、長い世界の歴史の中でずっとエンペラーであり続け、今も続くのは日本の天皇だけです。

海外においては、国民による下からの革命によって、王室や帝室が廃絶されることが少なくありませんでした。

しかしながら、70年前、日本の敗戦という、未曾有の国難に際して、昭和天皇は、進んでGHQに出向き、連合国最高司令官マッカーサーの度肝を抜き、そして戦争で焼け野原になった日本全国各地を進んで巡幸され、直接出向き、そして国民はそれを大いに歓迎し、感激したのです。

そのような、日本人が持っている奥深い伝統と慎ましい精神性を紡いでいく今回の即位の礼に出席し、その雰囲気を味わおうと世界の国々から人々が集うのです。

いち国民としても『即位礼正殿の儀』を厳かに迎えたいと思います。

こちらからは以上です。

(2019年10月20日 日曜日)

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(2019/10/19)物事を相対的に比較対象として見るために歴史を学ぶということについて書きます