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2019年2月3日

死んだじいちゃんが生前言っていたことを簡単に一文にまとめましたので披瀝します







おはようございます。

ブログ「ビルメン王に俺はなる!」を主催広告運営する管理人兼筆者です。

2019年2月の配信記事です。

今日は、私の死んだじいちゃんの言っていたことを最近簡単にまとめたので、それを共有したいと思います。

爺さんは、何度かこのブログにも書きましたが亡くなった祖父は戦時中、宇佐海軍航空隊に志願して召集され、零戦(零式艦上戦闘機)の少年航空隊整備兵として、たくさんの手練れのパイロット達を見送ってきたそうです。

昭和元年生まれですから、終戦時に19歳という若さです。

ちなみに、これも以前書きましたが、西暦1926年(大正15年)12月25日に大正天皇が崩御(亡くなること)され、「その日」に昭和と改元されました。

ですから、昭和元年は12月25日から月末の31日までのわずか一週間だけとなります。

が、爺さんは大正15年と言わずに、おそらく誕生日も大正15年のどこかだったのでしょうが、昭和元年というのを好みました。

今年、生まれた日本人たちも、大きくなれば平成31年生まれではなく、新元号元年生まれと称することになるのでしょうか。

この点興味が尽きません。

話を元に戻しますと、今は、米軍や日本の自衛隊にも空軍や「航空」自衛隊がありますが、飛行機が登場する前から旧来存在した「陸軍」「海軍」それぞれに、航空攻撃防御部門として航空機が配備され、旧日本陸軍は爆撃機の百式重爆撃機「呑龍」や戦闘機の一式戦闘機「隼」、旧日本海軍は爆撃機の一式陸上攻撃機(一式陸攻)や零式艦上戦闘機(零戦)といった航空機を駆り、世界の陸と海の空を制し、一時は世界のトップを紛れもなく走っていたのです。

死んだ爺さんは、宇佐「海軍」航空隊においてとして従軍していたということから、筆者が爺さんから聞いたは話は海軍の方が圧倒的に多かったので、その点偏りがありますが、死んだばあちゃんの方は、下の弟二人を、一人は陸軍でビルマにて斥候中に戦死、一人は大和特攻作戦の二番艦、軽巡洋艦「矢作」に機関士として乗組み激戦の末沈没、戦死したということです。

死んだ爺さんは、どうせ兵隊に召集されるのであれば、中国奥地や東南アジアを歩いて背嚢や銃剣を背負って行軍していかなければならない陸軍と違って海軍は、軍艦が戦場まで連れて行ってくれる、もしくは航空隊ならば飛行場での勤務になるから楽である、という理由で海軍に志願したと言っておりましたが、あながち外れたものではなかったようです。

それもそのはず、当時の日本地図は、日本本土と南樺太と千島列島と台湾、朝鮮半島までが日本の本土としての赤色、満州国やビルマやシンガポールも事実上の衛星国家もしくは軍政占領地としてピンク色でした、ために、昭和初期の日本人にとって、日本およびその影響国の範囲は、2019年2月の今よりずっとずっと広大だったのです。

ただし、海軍のほうが、各戦科における専門指導が殊の外厳しく、祖父も航空隊整備兵として一人前になるまでそれは激しく厳しくしごかれたといいます。

ヘマしたら、スパナで背中や尻、足を殴られるようなこともあったと聞いています。

下手な整備をすれば最後、貴重な航空機とパイロットが戦わずして失われてしまうという緊張感で、そっちはそっちでそれは厳しいものであった、と小さい頃の筆者に語ってくれました。

19歳で志願して海軍航空隊の航空整備兵、ですから、勉強したかったのに大学にはいけませんでした。

不肖の孫は、大学にも行かせてもらい、44歳の今まで惰眠を貪っているわけです。

さて、そんな爺さんが、長生きをして、戦後立派に勤め上げ、結婚し、私の母親を産み育て、そうして好きな本を好きなだけ読めるようになって自適に過ごしながら、爺さんの家に当時居候していた高校生時代の筆者に語ったところによれば、だいたい、人の値打ちというのは以下の言葉に集約されるようです。

爺さんが言っていたことを、聞いていた筆者が簡単に要点をまとめますと、筆者が読んだ本の中で、これにぴったりのものがあったので紹介します、城山三郎著の「粗にして野だが卑ではない―石田礼助の生涯」という本のタイトルにあやかって、

曰く、

「粗忽で野暮であっても、卑しくはなるな」

というものです。

卑しい、というのは精神的なものも物質的なものも含みます。

卑しいことはしない、というのは、かの、1999年に就任してから50億円累計で報酬をもらっておきながら、さらに50億円、いやそれ以上を会社からちょろまかしたフランス国籍のレバノン人の自動車会社経営者、の彼なりの言動を見るときに、非常に指針となります。

移民の子として、貧困から成り上がる際に大事な人間性を見失ったか、と爺さんなら言うかもしれません。

強引だが的確な手腕で、当時破綻の淵にいた日産自動車をV字回復させた、というニュースは、当時の筆者にも強烈に印象に残っておりまして、彼の著書も結構読みました。

GEの最強経営者、ジャック・ウェルチの経営書と合わせて、随分考え方の参考にしたものです。

しかしながら、真の人間力というものが、これら既存の組織上の地位とか報酬とかのみで測れるものであるのか、という根本的な疑問があったわけです。

この答えは、意外に近いところにあったわけです。

「粗忽で野暮であっても、卑しくはなるな」

だいたいこれを肝に銘じておけば、長い人生で間違うことは少ないであろうと思います。

会社の金をちょろまかそうとか、ちょっと接待費を多く使っちゃおうとか、予算をごまかそうとか、サラリーマンにしろ経営者にしろ個人事業主にしろ、いろいろと誘惑は多いわけですが、それらが「卑しい」かどうかは、やってる自分がいちいち一番よくわかります。

死んだ爺さんは、大変な本好きで、ソファに寝転びながら、またソファに腰までかがみながら、またベッドの枕元でも、レコード音楽を聴きながら古今東西のあらゆる本を読みまくっていました。

そして、あまりにも本が多くなったので、市立図書館に大量に寄贈し、「平田文庫」としてコーナーになっていたくらいでした。

そこまで読んでいた爺さんが、簡潔に残した言葉が

「粗忽で野暮であっても、卑しくはなるな」

というのは、結局最後は「人間」の勝負である、ということだったのです。

米海軍戦闘機グラマンF6F「ヘルキャット」、文字通り地獄の猫、という通り名の戦闘機の攻撃を宇佐海軍航空隊でくらい、そうして数メートル先の戦友がグラマンの機銃掃射で枯れ葉のように飛び跳ね転がり絶命したたのを目の前で見た爺さんは、人の世を正しく見極めるため、いろいろと勉強して、そうして近くにいた孫に簡潔に伝えてくれたわけです。

これは、事業でも教育でもスポーツでも勉学でも研究でも芸能でも、何でも通じる至言だと思います。

平成も最後の年となりましたが、まだまだ挽回できると信じてやっていこうと思います。