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2019年3月11日

なぜブログを書くのかそれは筆者が作り変える力を持つ日本人の末裔だからという話です






おはようございます。

2019年3月の日本人とその歴史に関するビルメン王の雑感記事です。

昔の日本人ってすごかったと思うんですよ。

古くは、あれでしょ、「漢字」。

話し言葉しかなかった「やまと言葉」に、外来の中国からのありがたい漢字を当てて、訓読みとかいう形に仕上げて、原文の中国読みに近い読み方は音読みとかしちゃって、「山」という字を、「サン」と読んだり「やま」、と書いたりして同時に理解しちゃうという、ものすごいハイブリッドかつ二元的世界観でやってきています。

片仮名(カタカナ)と平仮名(ひらがな)だってそうです。

「やまと言葉」を漢字に当てて、「万葉仮名」で書いていたのもつかの間、主だった漢字を崩して「カタカナ」、「ひらがな」を編み出して、もともと日本人が音として発音していた50音に当てはめて、初期のころは変態仮名もあったけれども、今に続く50音というものを完成させた、これは小林秀雄の言うところの「作りかへる力」と言うやつの真骨頂だと思います。

時代は降って(下って)明治時代になりますと、オランダ語や英語にフランス語にロシア語とまあ、外来語がいくらでも入ってきます。

これを、カタカナで表記して済ましてしまって本当はよく知らないのに多用する今の日本人などははるかに上回る能力を駆使して、かの時代の日本人たちは、ソーシャルを社会だの、コンスティチューションを憲法などといちいち漢字(日本語)に変換し、その意味づけを忠実に行ってきたのです。

ついには、マックス・ウェーバーの資本主義の精神(無論ドイツ語)やルソーの民約論(当然フランス語)を完璧に日本語に訳して日本国民に紹介するような変態能力者も現れたのです。

日本語に対する、極限までの理解能力がないとできない芸当です。

何しろ、新しい日本語という言葉を「創造」するのと同じことですから。

このように、日本人の何千年にもわたる作り変える力というものは、これからの世界においても大いに強みになるのではないかと駄文をもって訴えたいところであります。

ご先祖様に少しでも近づくように、駄文でも何でも間を置いた習慣でアップし続けようと思っております。

カタカナで表記して済ましてしまって本当はよく知らないのに多用する今の日本人の典型になりかねない、ビルメンブログのノンペーパーパブリッシングをライブリーフッド(生業)にしている筆者からは以上です。

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英語で書いたという記事を日本語で書いて日本語と英語の違いを語る話