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2019年3月29日

人間は失敗から学ぶ生き物であり成功か否かを論じる前に好きなことにフォーカスした方が良いと思う話です






おはようございます。

2019年3月のビルメン王提供の日本の教育に関するブログ配信記事です。

3月も末になりまして、大学入試の国公立大学の後期試験の結果も出揃い、いよいよ4月から新しい道が定まった学生さんも多いことと思います。

後期試験といいますと、たった10名の枠に数百人が殺到するというようなイメージがありますが、筆者が学生の頃から、最後まで諦めない者には福音があるといいますか、後期合格した強者は筆者の周りにもたくさんおられます。

同じ(国立)大学の同じ学部に、現役の前期後期、浪人の前期も落ちて、最後に後期で受かったとか(4回受けた)、経済的な事情で国公立、しかも自宅から通えるところだけ、というような制約の中、最後まで諦めず図書館の自習室にこもって勉強を続けて、見事後期試験に合格するといった話はそこここに転がっているのです。

人間、なんでも、諦めない限り可能性があるものです。

完全に目が消えたら、そこできっちり切り替えて次に進めばいいのであって、ほとんどの人が、結果が出ないうちに「諦めて」「決めつけて」チャレンジするのをやめるということが多いと思っています。

失敗を受け止める覚悟を持つというのは失敗しないことよりもはるかに重要です。

かのロベルト・バッジョも言っています。

「PKを失敗できるのは、PKを蹴った者だけだ」

人生において、本当の勝負の場面というのは実はそんなにやってきません。

何か大きなものにおののきながらチャレンジするという経験は、それを達成するために頭を働かせ、情報を収集し、自分で分析して納得して習慣にして対策を打つ、という生きるために必要なスキルや知恵を要請するまたとない機会です。

基本的に、人間は失敗からしか学べません。

成功すれば、それでよかったのだという「確認」に学びが後退してしまうのです。

教育現場においては、失敗を認めない、極度に恐るという習性から、われわれは「失敗から学習する」という進歩と修正のための道筋を自ら塞いでしまった感すらあります。

これは、同学年(同年齢)相対序列偏差値主義とも言えるレイヤー組織論に侵された病癖であるといえ、例えば日本の官僚組織の財務省の事務次官といったトップ役職が1年で変わること、これはこの同学年(同年齢)相対序列偏差値主義をそのまま社会人組織に入っても数十年続けているという困った証左であると筆者などは見ています。

すなわち、日本の上級公務員、銀行といった大組織においては、同学年で一斉に新卒採用を行い、この同学年(同年齢、大学の浪人生や留年生もいるが概ね+2年程度の範疇に収まる学年同期)内での相対序列主義を取っているため、大組織でありながら、薄い「同期」同士で割り当てられたポジションの奪い合いをやっているだけで、イノベーションやダイナミズムは生まれないように仕組み上なっていると思うのです。

というのも、筆者も大銀行に所属しており、◯◯さんは、昭和◯◯年入行、平成◯年入社でどんな部署を異動してきて出世してきたか、といった「経歴」を割と諳んじていた方であり、よく人にも他人の経歴の問い合わせがあったくらいですから、よくわかるのです。

しかしながら、学生や子供の数がとにかく多かった競争圧力が強かった筆者の世代のやり方では流石にこれからは難しくなりそうだというのはそんな筆者ですらわかります。

非常に気が滅入る予言になってしまいますが、日本の少子化により、高等教育機関としての日本の大学を含む学校教育はこれからますます落ち目になっていくでしょう。

世界大学ランキングで、東大が100位以下に没落するのも遠い将来ではないでしょう。

回復の見込みはありません。

18歳人口の急減によって、大学が次々と淘汰されて消えてゆきます。

公表資料によりますと、2017年度で大学を経営する660の学校法人のうち112法人(17%)が経営困難であり、大学を運営する法人の破綻や解散も相次ぐでしょう。

人口が「持続的に」減少するという社会は、人類がホモ・サピエンスとしてアフリカの奥地で誕生してから約20万年の「歴史」において、おそらく初めての事象です。

大きな病気や大災害、戦争があって一時的に人口が減ることはあっても、一貫して増えてきたのが社会性を身につけた人類の強みだったのですが、この21世紀というのはそうではありません。

それではどうすれば良いのでしょうか。

しかし、答えはわかりません。

初めて経験する状況なのですから当然です。

わかっているのは、このような状況や社会で生き延びる方途は筆者を含む一人一人が自分で自分なりに見つけるか創り出すなりするしかないということです。

メディアや情報網を駆使して、自分に必要な情報を集め(このブログがそのような一助になれば幸いです)、事実を直視している人の意見に耳を傾け、あるいは相談し、親身になってくれる(本音を言ってくれる)人に相談しながら、自分なりに環境や将来を分析して、自分で納得して、あとは(かなりの部分はわからないながらも)決断して跳ぶように生きる道を選ぶしかありません。

そして、選ばなかった人生などない、ことを肝に命じて、人生の選択を、正しいか否かを明らかにする行為ではなく、結果を全て受け入れる行為だと心から感じるようになることが、これからの後悔しない生き方になると信じています。

さて、大学その他の教育機関において、いったいどのような専門的な知識や技能を手につけたらよいのかを判断をする時、これまでは、そうした技術や知識が「食いっぱぐれない」とか「安定した地位や収入が持続的に期待できる」といった一般的な経験則や演繹法がありました。

しかしながら、世界の産業構造や雇用状況、そもそも働くといった概念からして、これから持続的に続く少子高齢化により激変していくことを考えると、そんな経験則だけに頼るのは非常に心もとないわけです。

ということで、ここは一つシンプルに、映画「シン・ゴジラ」の名言にもありました「好きにしろ」ということでいかがでしょうか。

筆者はアニメ初心者でもありますが、筆者のような初心者でも知っている名作「耳をすませば」という映画にも「雫の好きにさせようか」という言葉(台詞)がありました。

「学びたいことを学ぶ。身につけたい技術を身につける」「やりたいことをやる」「心の声に従う」ということです。

「やりたくはないけれど、やると食えそうだから」というのは、結局うまくいきません。

やりたいことだけをやる、やりたいことに時間を割けるように、やらなければならないことを調整する技術、これからはそのような振る舞いが必要になりそうです。

「やりたいこと」だけに集中することで、人間は自分の持つパフォーマンスを最も高めることができるからです。

そういった、パフォーマンスや生きる知恵と力を駆使して、これからの不確実な時代を乗り切り、生き延びようではありませんか。

皆さんのご健闘をお祈りします。

その前に、自分の人生をコントロールしたい筆者からの放談は以上です。

(2019年3月29日 金曜日)

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