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2019年3月5日

障害者をお客さんではなく本当の戦力として雇用して利益を生み続ける戦略で堂々と突き進む奇跡の会社の話をします







おはようございます。

2019年3月の障害者雇用から本当の企業の競争優位を探すというテーマのビルメン王の配信記事です。

社員約80人の7割が知的障害者という、粉が出ないダストレス・チョークという分野で大きなシェアを持つ、「日本理化学工業」という奇跡の会社があります。

一定数(平成30年4月1日からは45.5人以上)の雇用を持つ民間事業主は、全体の2.2%以上の障害者を雇用しなければならず、雇用できない(これを満たさない)企業からは不足分1人あたり月額50,000円の障害者雇用納付金を徴収しており、この納付金をもとに雇用義務数より多く障害者を雇用する企業に対して調整金を支払ったり、障害者を雇用するために必要な施設設備費等に助成したりしています(障害者雇用納付金制度)。

また、法定雇用率より「多くの」障害者を雇用した場合には、納付金の反対の給付金が支給されるという制度もありますが、これを積極的に利用しようとする企業は非常に少ないです。

このような状況の中、すでに50年にもわたり障害者雇用を積極的に行い、社業を盛り立てている奇跡の会社、日本理化学工業のご紹介です。

これは、以前の記事にも書きましたが、要約しますと、当時社長だった大山泰弘さんが近くの養護学校の卒業予定の2名に、企業としての採用はできなくとも、せめて「働く体験」だけでもさせてくれないか、と頼み込まれて、引き受けてみたのが始まりでした。

二人の少女の1週間だけの作業体験で、周囲の人々は、彼女らの仕事に打ち込む真剣さと幸せそうな仕草と笑顔に心を打たれます。

約束の1週間が終わる前日、十数人の社員全員が大山さんを取り囲んで、「みんなでカバーしますから、あの子たちをぜひ正規の社員として採用してください」と訴えた。

大山さんは、会社であくせく働くより安全な施設でのんびりしているほうが「楽」であるのに、なぜ彼ら障害者はこんなに一生懸命働きたがるのか、最初は不思議でした。

しかし、禅寺のお坊さん曰く、幸福とは、人の役に立ち人に必要とされることである、この幸せは施設で安全に暮らしているだけでは決して得られないものである、と諭され、これこそ会社の存在価値であると定めたのです。

ですが、持続的に、働ける「場」を提供し続けるためには、企業の世界で競争優位を築いていかなければなりません。

補助金もらって、作業のふりをするのは、これに比べれば簡単です。

しかし、それでは、安全な施設で作業してもらうこととほとんど変わりがありません。

最初は、知的障害者の働く喜びに心打たれて「私たちが面倒をみますよ」と言ってくれた社員ばかりでしたが、やがて後から入ってきた人たちには不満が募ります。

「自分たちの方が仕事をしているのに、なぜ給料が変わらないのか」というわけです。

また、通常の業務や社員旅行や懇親会の場においても、健常者の社員は、障害者の世話をしなければならないと思うと、存分に楽しむことができないのです。

それは「逆差別」ともいうべき相互の断絶につながるリスクがありました。

そして、大山さんは決断します。

「障害者雇用に徹底的にこだわる会社として、生き残りをかける」

障害者の持つ真剣さ、人間性に賭けた経営を行う、障害者をお客さん扱いしない、彼らの能力を限界まで引き出して社業に還元すると腹を括ったのです。

障害者雇用に反対する株主もいました。

障害者を「お手伝い」ではなく、主力にして、本当に品質・生産量を維持できるのだろうか、という問いに、そこから数十年、会社は取り組んでいくことになります。

そして、作業工程を徹底的に見直し細かく切り分け単純化し、障害者(知的障害者を含む)が持つ特性であるモチベーションの高さ、単純作業の繰り返しを長時間一定のペースで行い続けることができる忍耐力を強みにして、分業をさらに進めることで、競争優位を保っていくのです。

たとえば、ビデオカセットの組み立て、カセットの中に5つの部品を組み付ける仕事については、別の大手メーカーにも発注しているそこでは一人1日約1,000個組み立てるというものでした。

この作業を1人でやらせては、到底1,000個の目標には到達しません。

そこで、5人の障害を持つ社員を並べて、各人が責任を持って、部品を1種類ずつ組み付けるようにしました。

すると、見事に5人で1日5,000個を組み立てることができたのです。

一人当たり1,000個、しかも、不良率は大手メーカーのそれを凌駕しました。

この作業の切り分けを、健常者で行なった場合、おそらく生産性は落ちると思われます。

作業の「慣れ」「倦怠」により、一種類の作業を長時間続けることに、健常者の脳と身体は持たないからです。

ですので、これは、障害者が持つ特性をうまく作業にマッチさせた、生産性向上の得策であり、障害者でないとこの生産性は達成できない、と言えるのです。

このように、障害者に限らず、例えば発達障害、自閉症、アスペルガー、注意欠如・多動性障害(ADHD)といった、「障害」言い換えれば「特徴」を持っている人が、いわゆる「健常者」言い換えれば「普通の、ありきたりの」人に対して優っている部分を取り出して、企業の生産活動に直結するようにする、これこそが経営者の手腕であり考え方の軸にすべきところでしょう。

こうなれば、障害者雇用は、メセナ活動や社会貢献活動(CSR)という衣をまとった補助金頼みの不採算事業、ではなく立派な企業戦略として再定義されるのです。

変えなければならないのは、自称「健常者」であるところの企業経営者の頭の中のほうなのではないでしょうか。

工程を単純化したことで、知的障害者たちは目の前の作業に集中できるようになり、その自分たちの能力を最大限発揮できる「場」を得た彼らは、自らのモチベーションを最大に高め、持てる能力を余すところなく(サボること全くなく)発揮して、健常者以上の仕事をチームでやってのけるようになったということです。

企業は市場競争に勝って、利益を生み出さなければ生き残っていけません。

障害者だから生産性は低くとも良いは通用しません。

それでは、商品構成が貧弱だから、社長が大卒じゃないから、社員が優秀じゃないから、取引先の販路が細いから、というようなこと全てが負けを正当化する理由になってしまいます。

だからこそ、知的障害者が多い、という個性を生かして品質、生産性を発揮できる工程を必死で考えようとした、自分のこととして課題認識をして正面から取り組んだ、この経営者のマインドこそ一番学ばなければならないことだと思うのです。

いわゆる福祉の世界では、(ステレオタイプに申し上げて一部の人の気を悪くすることを承知で書きますが)税金を貰って、それで知的身体障害者の面倒を見ています。

その限りにおいては、決して、彼らに「健常者並みの仕事をしてもらわねばならない」という切羽詰まった危機感や工夫は生まれないのです。

その代わり、ヒリヒリした競争社会における達成感や人の役に立っているという喜びもないのでしょう。

福祉施設における知的身体障害者はあくまで保護を受ける対象ですが、企業ならば働くことを通して、社会に役立ち、その対価として給料を受け取る大事な戦力です。

そして、知的身体障害があろうがなかろうが、このように「(戦う)喜び」を与えられるのは、福祉でなく絶対に日々勝負している「企業」であると、浅学なる筆者などは強く思うのです。

皆、己の人生を戦っています。

己に恥じぬ戦をしましょう!

障害者に対する同情融和思想の本質が人間の冒涜であることを喝破した、有名な水平社宣言の最後の文でこのコラムは締めさせていただきます。

人の世に熱あれ、人間に光あれ。

そろそろ(経営者としても)本気を出そうと思った筆者からのコメントは以上です。

(2019年3月5日 火曜日)

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