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2019年4月8日

お釈迦様のお誕生日4月8日を祝う「花まつり」に近所の禅宗名刹に行ってきたという話です






おはようございます。

2019年4月の仏教徒の端くれでありますビルメン王からのブログ配信記事です。

毎年4月8日は、お釈迦様のお誕生日ということで、世界中の仏教徒およびその世界にスピリチャルな魅力を感じる人は、インド(厳密にはネパール)でかのゴータマ・シッダールタ(ブッダ)という王族の人が35歳にして悟りをひらいたかの菩提樹の下にまで参ったり、各地の寺院ではお参りをしたり食事を囲んで祝ったりと、いろいろ忙しい日になっております。

さて筆者も、一休さんの名前で人口に膾炙している一休宗純和尚(おしょう)やたくあん漬けで有名な沢庵和尚も輩出した京都大徳寺という禅宗臨済宗寺院を総本山とする、福岡地元の名刹「崇福寺」での花まつりへのお招きにあずかるということがございましたので誘われるまま行ってまいりました。

ご老師(当該お寺のトップのお坊さん)以下の迫力ある読経が詠まれる中、生まれるや否や、七歩歩み出て「天上天下唯我独尊」と天にむかって指を指した、という釈迦像に対して、甘茶をかけたり、手を合わせて拝んだりする法要が終わりますと、ご老師による法話がございました。

お釈迦様は脇の下から生まれたというのはなぜでしょうか。

答えは、インドネパールで昔から非常に厳格に定められている(当然、今もある)カースト制度に基づく「解釈」なのです。

バラモン(僧侶)、クシャトリア(貴族)、バイシャ(庶民)、シュードラ(奴隷)のこの4つの大きなカースト(身分)に基づいて、生まれ出てくる体の場所が違う、すなわち、バラモンは頭から、バイシャは一般人だからお腹から、そしてシュードラは足から生まれてくると「信じ」られており、そしてクシャトリアとしての身分で生まれたブッダは脇の下から生まれてきたというわけです。

その下に、さらに、アウトオブカーストといいますか、不可触賎民という「層」がありまして、これらは、地面から湧いて出てくる、などということがまことしやかに信じられていたわけであります。

そんなカースト制度といった矛盾や憎しみや悲しみ(とほんの一瞬の歓喜や得意な瞬間)に満ちているこの世の中を、ブッダは「六道」であると喝破しました。

六道とは、輪廻転生する我々の世界観を表したもので、ひどいもの(下)から数えていきますと、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間(じんかん、と読む)、天という6つの世界を表しています。

人間、生命の終わりという「死」を迎えて、輪廻天生ということでまたどこかの「界」に生まれ落ちるというわけですが、この六道の中を、我々は死なずとも一瞬一瞬を、まさにこの中をぐるぐる回っているともいえるのです。

ちょっといいことがあると得意げになり有頂「天」になり、その直後に不安になってライバルとの「修羅」の戦いに落ち、犬「畜生」といわれるような振る舞いをした挙句になんでも欲しがる「餓鬼」道まで、簡単に行き着くことができます。

レバノンに数十億円送っても、やっぱり送り足りない、このような業に苛まれた人間ははすでに餓鬼道をはるかに上に見る「地獄」なのかもしれません。

このような、六道を超えて、七歩目を踏み出し「解脱」するという、この輪廻の外に出ようという強い意志が、ブッダ生誕の時に歩いたという「七歩」の由来だというのです。

そうして、ご老師は、ブッダが放った「天上天下唯我独尊」という言葉の解釈を、これは自分ファーストというわけではない、「世界にひとつだけの花」なのである、と述べ、平成最後の法話を締めくくられました。

スマホでSMAPの歌「世界にひとつだけの花」を流す念の入れようです。

法話というのは堅苦しい話かと思いましたが、今回のお話は非常にわかりやすく、ためになる、まさにブログ記事のお手本のようなものでしたので、ささやかながら要点だけ、ご紹介させていただきました。

手塚治虫「ブッダ」全巻を読み返してみたいと強く願った筆者からの、平成最後の4月8日の配信記事は以上です。

(2019年4月8日 月曜日)

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日本の仏教の隆盛について浄土真宗と曹洞宗を例に論じてみるという記事です