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2019年4月15日

知識や技能をコストパフォーマンスで計ってよかったという時代などなかったと思う話です

レオナルド・ダ・ヴィンチ




おはようございます。

2019年4月のビルメン王こと筆者が好きに語る壮大な人間の「知」や「教養」に関するブログ配信記事です。

先日、大学入学式での式辞を紹介する記事や、タブレット動画配信授業の紹介により、いわゆる定期的な教育プログラムというものの「効率」は非常に高まった、というような話をいたしました。

GAFAMとか頭文字で言われます、超巨大クラウドテクノロジー企業が、この世の知識や技能を丸ごと吸い取って、そうして集めた知能や技術を再構成して最適化したプログラムとして人々に提供し、革新的なサービスや商品に仕立て上げるといった「技」がまことしやかに喧伝され、そうして世界はそういったクラウドテクノロジー企業たちに支配されるのではないかという、不安とも期待ともしれない風潮が横たわるそんな世の中になりました。

しかし、世の中見渡してみても、どうも人間便利に効率的に生きて死ぬ、ということに喜びを感じる生き物ではなさそうなのです。

効率的に進めるのは、その効率的に行うことで確保した「時間」なり「手間」なりで何ができるか、そのオリジナルに異なる何かをそれぞれの人間生命体が見つけない限り、いくら効率的に知識を導入できても、大学や研究や資格試験での「成果」をあげたとしても、人間として幸せとは言えないのではないかと思うわけです。

そういう意味で、「知」とは無駄の塊です。

無駄なものに、一定のフレームワークを与えて試験や資格に仕立て上げたのが人間ということであれば、そんな「効率」を求めるカリキュラムをいくらなぞっても、問題を作った人間を超えることはできないわけです。

こういう、知識のバラ売りといいますか、マネタイズといいますか、コストパフォーマンス主義というのは、もうこれだけテクノロジー全盛の時代にあって、なかなか限界を迎えつつあるのではないかと思うのです。

すぐに役に立つ知識やコストパフォーマンスとしての教養、このようなやり方では深い人間的洞察はできないのです。

人間とか社会とか生命とか、そういったものを深く洞察して、一見してビジネス社会での「稼ぐ」こととは全く関係ないように見える「教養」というものをつけておくのが、人類社会を前に進めるような壮大なイノベーションに繋がるというのは、過去の歴史を見てもけっこう明らかなのです。

例えば、中世ヨーロッパに忽然と現れた(ように見える)人間として天才といえるレオナルド・ダ・ヴィンチについてですが、彼は正規の学校教育というものを受けていません。

学校の成績が振るわなかった天才たち、ということでよく例に出されるのがアインシュタイン博士ですが、ダ・ヴィンチに至ってはそもそも学校教育の外にありました。

「モナ・リザ」という絵を書いたことで、画家としての名声が一番高い、ことになっていますが、彼は万能の天才であり、あらゆることを深い洞察で見抜き、極めて高い論理性を兼ね備えた人物であったとのことです。

しかも、ここが重要ですが、彼にとっての「通常」「普通」の考察を、彼以外の誰もが驚嘆しましたが、彼としては全くそれによって奢ったりせず(というか他人の評価などに興味がない)、淡々と、自己の興味の向くまま、考察や思索、創作に勤しみました。

科学的創造力の面での成果としては、ヘリコプターや戦車の概念、太陽エネルギーや計算機の理論、二重船殻構造の研究、さらには初歩のプレートテクトニクス理論も理解していたといいます。

さらに生命や発生についての知見もはるか世の中の先を行っていました。

これらは、今現在の知識の中で「正解」を効率よく教えるいわゆる学校教育とは真逆のアプローチです。

そうして、こうした振る舞いを見せる「天才たち」に対して、無駄や非効率を切り取ろうとするのは、彼らにとって非常に不利益であるということです。

そして、このような「天才性」は、分野こそ限られるでしょうが、あらゆる人間に 備わっている徳目ではないかと思うのです。

ともすれば、「趣味」「趣向」の世界に「マニアック」に矮小化されそうな世界に、そうした天才の種が詰まっているというのは、かのダヴィンチもなんでもメモに取って考察するメモ魔であったことからも見て取れると思います。

人間、ある程度の生きていく振る舞いができるだけの自活能力を備えたら、それ以上はあまり容喙、介入せず、レッセフェール(意訳「好きにしろ」)で見守るという態度が必要になってくるのかもしれません。

そんなことを考えながら本日の記事を終わります。

凡人が天才を語る、そんなこちらからのお話は以上です。

(2019年4月15日 月曜日)

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