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2019年5月6日

新時代「令和」における働き方についての考察を会社の飲み会について論じることで始めてみたいと思います






おはようございます。

2019年(令和元年)5月のビルメン王(@shinya_ueda)提供の新時代令和における人々の働き方に関するブログ配信記事です。

昭和生まれの筆者が働き始めた平成の前半期においては、会社の飲み会はまがうことない強制参加でした。

そして、令和の現在になっても、会社の飲み会には参加する必要があるのかというテーマについて、よく議論になっているように感じます。

しかし、この結論は筆者の中では決まっておりまして、「会社の飲み会に参加する必要はない」ということです。

それ以上でもそれ以下でもありません。

飲み会は大いに結構。

しかし、強制される、強制する筋合いのものではない。

ということです。

業務終了後、業務時間外の従業員の時間の使い方は、基本的にそれぞれの「自由」です。

ですので、もちろん飲み会に参加したい人は、大いに参加すれば良いです。

飲みたい人で集まり飲む、これは素晴らしいことであり、逆に会社の飲み会なんて害悪だとまで言われる筋合いも、こちらもないわけです。

飲むのが好きな人が集まり会を催し語り合う、それ自体を楽しむ人はとことん楽しめばよいだけです。

飲み会に限らず、「業務時間外に」なんであっても、「強制参加」「半強制」「出ないと言いにくい雰囲気がある」というイベントがありますと、それを苦痛に感じる人は必ず現れます。

ですので、たとえ費用負担なしでの会社の飲み会であっても、完全自由参加にしないと、そこに参加することを強制することで負担や苦痛を感じる人が必ず出るのであり、たとえ飲み代タダであっても、参加しない人には参加しない自由を尊重しないといけません。

筆者も昭和生まれの人間ですから、会社の飲み会が悪いとは全く思っていませんが、それを楽しめる人がいれば、それをあまり楽しめない人も同様に存在するという当たり前の事実があるということです。

もともと、業務時間外の時間の使い方は人それぞれです。

会社は、その使い方について、あれこれいう権利も義務も、筋合いもないのです。

家に帰ってゲームしたりゆっくりしたり、家族と食事を取りたい、子供の勉強をみてやりたい人もいれば、友達や恋人と時間を過ごしたいという人もいるでしょう。

その、本来は全く、徹頭徹尾自由であるはずの、業務時間外の時間で「強制参加」のイベントを作り出すからおかしなことになります。

どうしてもやりたいならば、「業務時間中に」「業務として」行うしかありません。

では、どうしてこのような不合理なことがまかり通ってきたのか、それは、長時間残業で従業員のモチベーションが低下していたり、従業員が健康を害していたり(健康には、当然精神的なものを含みます、というより精神的なものの方が主であるとすら言えます)、要するに従業員の会社への帰属意識が低下していることが明らかで、経営者や管理職としてもそんなことよくわかっているといったようなときに、その原因となっている長時間労働には正面から向き合わずに、「飲み会でコミュニケーション」みたいな謎な理論に逃避することがよくあるからなのです。

経営者自体も、長時間労働で頭が少々回らなくなってきているのでしょう。

社員間のコミュニケーションを活性化させたければ、日本人は時間を守ると言われますが、どうも開始時間は厳格に守るくせに就業時間は全くといっていいほど守らない、守ろうとしないところからの意識界改革を図らなければならないと思っています。

どうしても飲み会をやりたいのであれば、業務時間開始直後のブランチ会とか休憩時間の任意参加のランチ会とか、そういうもので代替するしかなさそうですが、手っ取り早いのは、経営者が従業員の話を、とりあえず最後まで聞く、ということしかないと思っています。

逆に、従業員の中には、上司や管理職や役員や社長に対して、飲み会において、よくわからない「要求」をするケースも散見されます。

でも、上司だって飲み会には徹頭徹尾、頭の上から足の先まで、プライベートで来ているので、そんな「部下」や「社員」に対して、仕事上必要な役立つ話だの、面白い、ためになる話だの、今後のキャリアに役立つような人間を紹介して欲しいだの、いろいろ要求されても困ります。

業務ではない、ということは、単に上司や役員の側も、楽しいから来ているだけであり、お互い楽しく飲んで話せば良いだけです。

こういう「社員」に限って、飲み会は業務ではない、などと当然のことをさも賢(さか)しげに言いふらす割に、上司や管理職にはこのような、「(教育という名の)仕事」を押し付けようとして平気なのか、筆者のような昭和生まれにはどうしてもわからないところではあります。

憲法学における人権判断基準の「二重の基準」でも存在するのでしょうか。

ですので、筆者も最近、そのような「お作法」が必要な会社関係の飲み会に参加することには、実は二の足を踏んでいるのです。

セクハラ、パワハラの温床、みたいな言われ方をするのも解せません。

どうして、「業務時間外」の「完全プライベートな空間」において、都合の良い時だけ上司や管理職、役員となってセクハラだのパワハラだの言われる危険を背負わなければならないのでしょうか。

おっさんにもおっさんの人権があり、それを必要以上に忖度せよなどとは申しませんが、他と同等程度の尊重を受けることくらいは求めても良いはずだと思っています。

最後は愚痴ばかりになりましたが、本日の筆者のコメントは以上です。

(2019年5月6日 月曜日)

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