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2019年6月16日

「リストラ部署」に配属された「不幸な」大手企業の社員の声を拾った記事を読んで感じたことです






おはようございます。

2019年(令和元年)6月の、会社的には休日ですけれども、時間に縛られない働き方を標榜しているので通常の営業日ではできない資料の読み込みやら説明資料の作成やらといった「楽しい」整理作業に没頭しております筆者ことビルメン王(@shinya_ueda)からのブログ配信記事です。

「リストラ部署」に配属された「不幸な」大手企業の社員の声を拾った記事を読んで感じたことを書こうと思います。

いちおう、筆者は所属している会社では「経営者」ですから、昨今「不当に」労働者を縛る働かせすぎるな、という法律的制約からは一定の距離を置いていられます。

地位と責任に応じて結果責任を果たせ、というのが近代資本主義社会の労働に対する厳然としたルールであると思っておりまして、例えばその地位と責任が一定程度に縮減されている現場労働者職やスタッフ職に対しては、労働基準法令による強制力で働かさせすぎて心身を痛めるといった不当労働行為は厳しく規制されるべきでありますが、会社を潰しては元も子もなくて、潰れた証券会社の社長がかつて記者会見で「社員は悪くありません」と号泣した事案などもありましたが、別に泣いても会社がフェニックスの如く華麗に炎の中から復活するわけではありません。

経営者というのはそういうものだと思っています。

株主に突き上げられ、顧客に突き上げられ、債権者(銀行など)にも逐一報告を求められ、社員にはあの社長朝令暮改やりすぎ、何考えてるのかわからない、と飲み屋で愚痴られるのが「お役目」なのです。

そのリスクが嫌なら、速やかにその地位から離れた方がよく、その方が、会社を取り巻く債権者や株主、サービスを受けている取引先や潜在的顧客、そして社員にとっても良いわけです。

そうならないために、会社を潰さないために、個人事業でも全く同じで自分の屋号でやっている事業を回していくために、企業経営者(個人事業主)は、必死になって自分の時間を削って、顧客開拓や自己研鑽、組織マネジメントや店舗回り、チームビルディングに業界団体の運営など、実にさまざまな活動を、骨身を削って行なっているのです。

決して、楽して儲けているわけではないわけです。

原発事業で大失敗して、不正会計問題で上場廃止の危機にある、筆者に言わせれば国策原発会社ともいいうる東芝というかつては経団連会長も輩出した「名門」会社がありますが、その会社のグループ(100%子会社)の中で、「新しい部署」、すなわちリストラ部屋ともいうべき部署ができたそうです。

そこには、割増退職金を提示された希望退職に応じなかった社員たちが配属され、社内外の多忙な工場や物流倉庫で単純作業を業務命令として受けているといいます。

この会社(東芝エネルギーシステムズ(川崎市))は、火力や原子力など発電所の需要低迷という、本業の不振を理由に、勤続10年以上の45歳以上を対象に2019年3月末での希望退職を募集したとのことですが、その際に、会社(上司)に募集を促されながらも拒んだ社員らが配属されたということです。

このニュースを当該労働者側に立って「報じて」いる朝日新聞によりますと、複数の社員による取材の結果、2019年4月中は「研修」として社外の人材コンサルタントらの講義を受け、経営環境の厳しさを理解し、配属を前向きに考えるよう求められたとのことです。

自分を省みて変えるべき点を同僚に表明し、作文にもまとめたといいます。

その後、各社員に対し、応援先として新潟県の電池工場やグループ外の物流倉庫が示され、2019年5月(令和元年)から各自の応援先に出向き、運搬や仕分けなどの作業に従事しているということです。

応援先での作業は肉体労働が中心で、「不慣れな肉体労働で疲労がたまる。こんな作業を続けていても先が見えない」「同僚が次々と他社に移るなかでも、自分は残ってがんばってきた。なぜこんな仕打ちをうけるのか」と「憤って」いる社員の声があるそうですが、残念ながら、このような「発揮する能力」と「待遇」が大きく乖離しており見合っていないと長い時間をかけて判断されたところの社員を、労働基準法令の「待遇の不利益変更の原則禁止」という制約に従い、どうしても使い続けなければならない会社経営側と他の役職員、顧客、株主や債権者の側としましても非常に「憤り」たい事態です。

このような、法律の「不当な」制約による、お互いにとって、不幸な事態が、日本のあちらこちらに広がっているような気がします。

労働者である、ということのみをもって、会社が消滅の危機にある状態においても適切な「労働者にとっての主観でやりがいのある」仕事を与え続けなければならないとすれば、会社や事業が滅んでも労働者だけの権利は保証されるべきという、おかしな主張にまで到達する可能性もあります(現に、朝日新聞社はそのような見解をお持ちなのかもしれません)。

この記事を掲載した、大マスコミであります「朝日新聞社」はそれをあえて「意図」しているのかもしれませんが、自社マスコミ媒体がこれだけのインターネット発展によるデジタル化、個人レベルでの記事や意見表明が容易になった世界に対して「恨み」のようなものを持っているのではないかと「邪推」してしまうレベルの偏った記事ではないか、と零細ブログ記事配信社である筆者などは考えております。

「同僚が次々と他社に移るなかでも、自分は残ってがんばってきた」というのは当該労働者個人の主観ではありましょうが、別の評価では「優秀な同僚は次々と会社を去り別の場所で頑張っている中、無能でチャレンジもできない自分は沈みゆく会社にしがみつき続けた」という正反対の評価もありえるのです。

そもそも、労働者個人の主観を記事に掲載するならば、公平を期して、会社側の「主観」、すなわち、当該労働者に関しては早期退職優遇制度で好条件を出してまでも、会社を去ってほしい、辞めて欲しいのではなかったのかという点についてもきちんと触れるべきではないでしょうか。

東芝という歴史ある上場会社は、不適切会計処理を行い(完全に違法で本来ならばかつての「ライブドア」事件との事案の比較考量上からも、同社については今でも上場廃止すべきだと個人的には考えております)、今日に至るまで、経営の改革や従業員の処遇変更に対する時間的猶予はずいぶんあったと考えています。

つまり、他の会社や事業や世界で「必要とされる人材」、もしくは会社が危殆にひんしているからこそ、決して「手放したくない人材」として再起する時間的余裕や機会はこれまでに、いくらでもあったと拝察するのです。

それを、今までとなんら変わらず、肉体労働をしている他部署の社員を、下に見た偉そうな物言いという風に映りまして、ビルメン現場で自転車整備や客列整備、トイレ清掃の見積もり作業や作業標準化、飯場や清掃員待合所の整理整頓を黙々とやってきた筆者などは考えるのです。

現場の作業をされている大切な同僚に対する、このような「上級労働者」のような物言いは、決してやってはいけない、それをマスコミに垂れ流すなど、会社、顧客、そして同僚に対する裏切り行為以外の何者でもありません。

まかされた仕事があるのですから、しっかり取り組む、そして自分から改善を提案する、そのような振る舞いや心構えこそ、文句言う前に果たすべき社員としての務めではないかと感じた次第です。

40歳後半だろうが50歳代だろうが、自分にあった仕事ややってみたい仕事に、積極的にチャレンジしていきたいと考えております筆者からのやわらかい主張は以上です。

いつか社長になるぞ!

(2019年6月16日 日曜日)

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