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2019年8月5日

(2019/08/05)筆者が福岡市に降り立って今年で15周年になりますので次の15年に向けた宣言をいたします






おはようございます。

2019年8月の、筆者の社会人としての福岡のキャリアを節目のイベントを軸に少し振り返るという配信記事です。

筆者が出身の北九州市を出たのは高校卒業の18歳の3月でして、それから京都(実際は琵琶湖河畔の瀬田の唐橋石山寺近辺)で大学生活を4年(!)で終え、そのまま東京の銀行に5年間勤めたところでその銀行が当時世界最大の金融機関の大合併、大統合を行うそのシステム統合を行うという最前線にて旧銀行の歴史の終焉を迎え、代わって登場した新銀行の大規模システムトラブルの突貫対応を行い、目処をつけてその新銀行を退職し、福岡市に拠点(居場所)を移したのは2003年12月、日中気温2度の粉雪吹きすさぶそのような福岡市の一角でした。

当時の筆者の年齢は、29歳。

同じ福岡県の中では筆者の出身の北九州市とそれほど離れていない福岡市ですが、気質も違うしビジネスの習慣も全く異なる、そのような新しい土地に来て戸惑うことも多かったです。

官営八幡製鉄所の高炉の火が灯ってから、100年以上にわたって製造業が幅を効かせている北九州市では、ビジネス上最も大切なのは、納期と製品の品質です。

これこそが、ビジネス上の信頼を得るためにもっとも必要なものだと肌で感じて生きてきました。

しかし、商都福岡市で求められるのは違いました。

移ろいゆく顧客ニーズをいち早く捕捉し、サービスとしてローンチできる柔軟性ある突破力というか、商品・サービス開発力こそ最も大事とされたのです。

不動産証券化、という、不動産という大きな「資産」を中小企業や個人に直接持分を安心した形で保有してもらい、安定的な賃料収入を(地方物件でも)届けるようにする、という理念で、金融のいわば地産地消、グローバルマネーの直接流入を標榜し、九州の経済の活性化に少しでも貢献したいと降り立ったこの地において、すでに活動は15年超にも及び、筆者の人生においてもこの地はまさに第二の故郷となりました。

九州出身及び九州に縁はなくてもその熱意に動かされ、移って来られた仲間やお取引先、また「風の人」という立ち位置で大企業の転勤の中でも、何回目かの福岡支店での赴任で地域経済の発展のためのコワーキング、ネットワーキング活動に余念のない方々など、さまざまな方々にお世話になった15年間でありました。

ここまでで、かなりの社会人のキャリアコンサルタント的なお仕事はできそうな、そんな自信もつきました。

しかしながら、決して順風満帆であった15年間ではなく、ITバブル崩壊(2003年)に始まり、ライブドアショック(2006年)、リーマンショック(2008年)、そして東日本大震災(2011年)、熊本地震(2016年)などなど、地方経済においてもグローバルの金融経済の波にさらされ、そうして幾多の経済不況や天災や人災によって大きく打撃を受けた年月でもありました。

それでもどうにかこれらの仕事を通じてやってこられましたのも、地域経済をどうにかしたいと願う皆さんがたそれぞれの郷土愛なり、地域愛、それから地域から直接世界に通用する会社や組織を育てたい、と考える多くの世界の友人たちの支えがあったからでありまして、ここに大きな感謝を申し上げます。

筆者が九州の小さい(けれどもある程度大きい)地域経済の中で日々もがいてきたこの15年のあいだでも、個人事業主、中小零細企業の抱える課題感は時代の変遷に合わせて変わり続け、そして後継者問題や人手不足の問題を含めて、非常に重くのしかかっているてように感じています。

筆者の30代前半、2000年代前半には、不動産証券化、M&A、企業再生のような、今は市民権を得たけれども当時は耳慣れないキーワードが謳われ、その後、リーマンショックを機に経営の合理化や効率化、リストラという削ぎ落としに関心が向かい、ハゲタカファンドや議決権行使におけるアクティビストの登場によって「会社とは一体誰のものなのか」という議論が巻き起こり、その答えはまだ明確には得られていません。

そして、ついに1930年代から日本が優位であった、国内GDPが、2010年に中国のそれに抜き返されます。

こうして、ますます日本の中小零細企業が急成長する(そして21世紀半ばからは急速に東アジアでは縮小する)アジア市場とどうやって向き合っていくのかという課題が起こり、筆者も慣れない東南アジアの出張などを契機にビジネス経験を積ませていただきました。

そんな中、再登板して政権の座にある安倍政権が主導する、異次元の金融緩和と財政出動、いわゆるアベノミクスにより、2013年より大企業の株高とトリクルダウンではその恩恵にあずかれていない中小零細企業の経営実態の乖離などを目にしながら、新時代令和の幕開けと社会不安の増大におののいているという状況です。

しかしながら、政治の世界では複数の重度障害者が参議院議員として登院を果たすなど、少しずつ、しかしながら確実に社会は変わっているという実感もあります。

新しい時代「令和」を迎え、「コワーキング」「シェアリング」「地方創生の時代」「人口減少時代の生き方」といった、これから長い下り坂を下がり続けなければならない我々を勇気づけてくれるような言葉も生まれ、好事例も全国各地で見られてくるようになりました。

逆に、グローバル経済覇権主義は、米中貿易戦争とその余波、アメリカや中国といった覇権国家の当主の振る舞いを真似る中堅発展途上国のトップの登場という風に、その不確実性を増しつつありますが、働き方、生き方、そして金融やおカネそのものについての価値観も大きく揺さぶられているような感じを持っています。

そういうわけで、これからも地方から日本を変えて、世界に号令する、という気持ちをもってまた次の15年頑張り、良い還暦を迎えて若い人々に大きな顔をしたい、と思います。

次の仕事の節目の目標は15年後の60歳(還暦)と申し上げましたが、実はブログはイベントが繰り返される100歳までキャリアコンサルタントとしての現役を標榜しております筆者からの宣言は以上です。

(2019年8月5日 月曜日)

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