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2019年9月4日

(2019/09/04)古代平城京に輝きを放った皇親派の巨頭であり大政治家であったために藤原氏に謀殺された悲劇の長屋王を偲ぶ記事です






おはようございます。

2019年9月の久しぶりの日本の歴史、それも筆者が戦国時代より好きで興味の尽きない古代史に関する配信です。

古代平城京に輝きを放った皇親派の巨頭であり人間力も超高い大政治家、それゆえに藤原氏に全力で謀殺されてしまった悲劇の皇孫「長屋王」を偲ぶ記事です。

国譲りの神話を残して亡くなった(譲ったのではなくて奪われた)大国主命(おおくにぬしのみこと)が眠る出雲大社、都を呪って亡くなった崇徳上皇(すとくじょうこう)を祀って建つ金刀比羅宮(ことひらぐう)、そして有名な平将門の首塚があって行くとそこだけいつも温度が低く感じる東京都千代田区大手町の大手企業ビル群の谷間、それから事実上配流されてその先で亡くなった菅原道真公の墓所の上という(異例な場所に)建立された太宰府天満宮と、日本の歴史は、その対象人物の人生が非業な死を遂げ終わるほど、「本流」の歴史とはまた違った強烈な印象を当時の世の人々に与え、人々はそれを「本流」の人々とは違ったところで口伝えに伝え、そして現代に生きる我々にまで届けてくれる、というところがとても興味深いところのように感じております。

今回、令和元年という改元に際し、九州出身の筆者の大先輩である大杉耕一先輩が、「令和万葉秘帖〜長屋王の変〜」という書籍を上梓されました。

古代律令国家を建設した奈良の都「平城京」と、遠の朝廷(とおのみかど)とも呼ばれた筑紫国「太宰府政庁」とを結んで繰り広げられる、藤原氏の一族に刻まれたこの国を支配したいという「悲願」から繰り出される謀略の数々とそれによって憤死させられた長屋王とその腹心であった、藤原氏を軽く凌ぐ軍事力と名声を誇った古代貴族の大伴氏の首長、大友旅人(おおとものたびと)、長屋王に見出された頭脳明晰な学者・歌人の山上憶良を軸に、旅人の嫡子である大伴家持(おおとものやかもち)を立派に成人させるまでの歴史を、緻密な時代考証と膨大な資料の読み込みをもって描き上げた大作・労作です。

分量は大書と呼ぶようなものではありませんが、まるで長屋王の変の前後を見てきたように写実的に捉える骨太かつ繊細な人間描写に満ちた筆致は、プロの作家も舌を巻くレベルだと思います。

長屋王は奈良時代初めの皇族(皇親派)の巨頭です。

豪放磊落、頭脳明晰、情にも厚い人間力豊かな真の貴族で世の人々の敬慕の的でした。

平城京遷都以後、政界の中心だった右大臣藤原不比等(ふひと)が死ぬと、皇親派の代表として主導者となり権勢を誇りました。

長屋王は、壬申の乱において大功あった天武天皇の第一皇子、高市(たけち)皇子の嫡子であり、「天武天皇」の直系として天皇位を継ぐ可能性を持った名族、貴種でありました。

本来天皇の子供しか許されない「親王」の呼称も特別に得ていたことが、出土した木簡からも明らかになっています。

そのライバルとなる藤原氏の実質的開祖となる藤原不比等は、実は藤原性を賜る前の中臣鎌足の子ではなく、天智天皇の子(落胤、らくいん)であり、自身の子を妊娠した女御を臣下の鎌足に与えた、という説があります。

この「令和万葉秘話」もその説に沿っておりまして、結果、藤原氏は「血に刻まれた」一族の究極の目標として、壬申の乱で破れた天智天皇系とそれに付き従う藤原氏のみの栄華を望み、天武天皇系の皇親派とそれを支持する古来地方豪族群を根絶やしにするという、狂気じみた目標を掲げて暗躍するわけです。

そして、対する柱石長屋王を失った大伴旅人は、山上憶良の建言に従い、その藤原氏の目を眩ませようと、太宰府において、「梅の花」をお題に我が国空前絶後の歌宴を催す、それが1,300年後の改元元号「令和」に繋がる、という壮大なお話です。

今に生きる全国の藤原さんおよび五摂家といった元公家の名門のみなさんにとっては、まことに耳の痛い、吃驚(きっきょう)する問題作でありましょうが、一新興貴族に過ぎなかった藤原氏が、大伴氏といった古来からの名門貴族(豪族)を排除して、自らが外戚として操る皇子を天皇にし、以来1,300年間もの間、からみつく「藤」の木のつるのように、天皇家にまとわりついてこの国の権勢を舐め尽くす、そのような一族の原型がもっともプリミティブに、赤裸々に描かれております。

ちなみに言わずもがな、であってもあえて記録しておきますが、「五摂家」とは鎌倉時代に成立した藤原氏嫡流で公家の家格の頂点に立った五つの家(近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家)のことであり、 大納言・右大臣・左大臣を経て摂政・関白、太政大臣に昇任できる家格です。

かの太閤秀吉も、五摂家筆頭である近衛前久の養子になるということで、関白という地位を射止めております。

このように、「天智天皇落胤説」をとるならばその最初の最初の出自から裏がある藤原一族、いわば中大兄皇子から天智天皇という、自ら蘇我入鹿を愛人でもあった女帝の目の前で殺すといった、血なまぐささでは第一等の「異形の」天皇の「分身」として、常に歴史の暗部に足を突っ込み手を汚してきたのだと思うと、加えまして、筆者が自分が出た大学(京都帝国大学)OBの中で最も尊敬し難い部類第一位に擬する「近衛文麿公」までその系譜は続いているのだと思うに、人の歴史とは大いに繰り返しており学ぶべきところが本当に多いなと思うのです。

「令和万葉秘帖〜長屋王の変〜」は、筆者のところにも在庫がありますので、自らの人生の指針にも、歴史の血生臭さとリアル感を感じるためにも、ぜひ手にとってお読みください。

こちらからは以上です。

(2019年9月4日 水曜日)

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