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2019年10月31日

(2019/10/31)東京オリンピックのマラソン競技と競歩競技が札幌に疎開されそうになっているという件についての筆者の公式コメントです





おはようございます。

2019年10月最後の、東京オリンピックのマラソン競技と競歩競技が札幌に疎開されそうになっているという件についての筆者の公式コメントを配信いたします。

その前に、先ほど飛び込んできました、福岡市にありますプロ野球球団本拠地の球場であるヤフオクドームがペイペイドームになるというニュースに関しましては、特に地元の福岡市の人たちにとっては驚きと、それに加えて、それはちょっとない、といった微妙な、ありていに申し上げますと歓迎されない、非寛容な反応も垣間見えているような、そんな今日この頃です。

しかしながら、筆者などは、2,000年前から世界の最先端文化芸能言語に宗教習慣ファッションセンスに「渡来人」という人間そのものまで、誰彼となく受け入れ関西地方関東地方にパススルーしてきた博多の人たちが、たかだかヤフオクドームという、球技場の名称を、しかも「フリーマーケット取引所」の名前からいち「QRコード決済」の名前に変えたところで大騒ぎするようなものではないと考えているのです。

そもそも、この福岡市では、かの平和台球場を本拠地にした野武士軍団「西鉄ライオンズ」を失ってから、「福岡にベースボール球団を!」という地元の悲願に男気を以って応えた故中内オーナーが、当時小売業で並いる百貨店を凌駕して天下に号令した、スーパーストア「ダイエーグループ」の総力をかけて、福岡ドームを百道の地に建設し、そして近畿の南海電鉄から、名門「ホークス」球団を引き取り誘致してくれたからこその、今の福岡ソフトバンクホークスの隆盛であることを忘れてはいけないと思います。

ヤフオクからペイペイに変わる程度で驚きおののくメンタリティでは、2,000年前からかの大和朝廷と対峙してひたすら権力と財力を削がれ続けた、九州由来の豪族たちの我慢の歴史や事実上の流刑地、配流地に貶められたこの地を継ぐものとしては、そこじゃないだろう、むしろ時代の半歩先を行って、今のこの日本の東京一極集中の経済社会を変えてやる一里塚であるくらいの気概を持ってもらわないと、泉下に眠る我々のご先祖様にも顔向けできないというくらいに本当は考えているのです。

かつて栄華を誇ったであろうその跡地、例えば吉野ヶ里遺跡の登楼や、朝倉市平塚川添環濠集落遺跡の見事な六重の環壕などの遺跡を見るたびに、こうしたかつては王国の中心こそがここにあったといった気概だけは持ってもらいたい、そういうような気持ちです。

さて、話題の舞台を東京(160年くらい前までは江戸、400年前はただの海と湿地帯)に移しますが、今般、急に、いつも決定とは否定的に取る方にとっては急なものですが、東京オリンピックのマラソン競技と競歩競技の開催地が、いきなり東京都から札幌市にIOCの強権により変更になりそうだ、という雲行きになってきております。

これなども、黒船来航並みに驚きのグローバルなる裁定でありますが、我が国としては、東京オリンピックを標榜する以上、冬のオリンピックをやったことのある札幌市での開催はまたの機会としまして、やはり東京都という「都市」「行政単位」にこだわることにしたいところです。

こんなことを許していては、「同じ空の下」で、北は北極圏から南は南極大陸まで、地球中の津々浦々まで、一開催地となり、それこそ虚構新聞の「地球、晴れのち曇りところにより雨、寒冷地は寒く熱帯地は暑くなるでしょう」の統一天気予報になってしまい、虚構が現実になって社主が謝罪に追い込まれてしまうではありませんか。

明らかに琵琶湖の湖畔、筆者も大学時代という多感な時代を過ごしたその滋賀県という、本来は大津宮と安土城という、日本での当時の最高権力が君臨した場所を持つ県にしては、琵琶湖そのものが県域とされているという雑な扱いを受けており残念な県を根城にされていると推測される虚構新聞社主様にも、申し訳がたちません。

すなわち、さらにこの草ブログにおいても、東京オリンピックのマラソンや競歩をどこで開催するかで、いろいろな立場の人たちが揉めている中、そのあまりにバカバカしいやりとりにさらに燃料を投下することになってしまうのですが、東京オリンピック開催での国内選考、すなわち予選で負けた福岡市としましては、ここは東京開催にこだわっていただきたい、すなわち、こうなったら東京オリンピックのマラソンって札幌じゃなくて小笠原諸島でやったらいいんじゃないかと提案いたします。

小笠原諸島の父島の例でいいますと、例年8月の日中最高気温は30℃前後で東京23区よりずっと涼しいし、小笠原諸島は紛れもない「東京都」なわけでありますので、「東京でマラソンを」という要望に完全に完璧に徹頭徹尾合致しています。

父島をぐるぐる周る周回コースか、または平地が多い硫黄島などもいいかと思います。
先の太平洋戦争の惨禍を乗り越えて、世界中のアスリートが硫黄島に集結して平和の祭典オリンピックの白眉であるマラソン大会を行う、競歩競技で摺鉢山を巡る、日本の主催オリンピックとして、これほどのインパクトのある取り組みはないと思います。

東京都には、頑張ってもらいたいです。

国内選考で負けて誘致の涙を飲んだ、そんな福岡市の一市民からの提言は以上です。

(2019年10月31日 木曜日)

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(2019/08/07)長崎新幹線はいっそのこと佐賀県を通らずに通した方が実現は早いのではないかと考えた話です(あくまで妄想頭の体操ですが)

2019年10月30日

(2019/10/30)企業の買収や合従連衡が世界中を舞台に行われているというグローバルな話です






おはようございます。

2019年10月の企業買収、合従連衡のグローバルな国際記事です。

米高級宝飾大手でありニューヨーク証券取引所に上場しているティファニーが2019年10月28日、「ルイ・ヴィトン」などの高級ブランドを多数抱え、ユーロネクスト・パリ市場に上場している仏モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン(LVMH)から、1株120ドルでの買収提案を受けたと公表しました。

これを受け、同日のニューヨーク株式市場でティファニー株は前週末比3割以上も急騰し、この買収提案額を上回る129ドルで終えました。

これは、わずか1日のニュースで同社の時価総額が約4千億円分も膨らんだという計算です。

3割で4千億円ですから、10割だと1兆3千億円、超巨大ブランド百貨店状態のLVMHからすれば、「お手頃」な価格なのでしょう。

このティファニー側からの思わぬ「全世界リリース」に対し、LVMH側も、2019年10月28日に声明を出しましたが、これは、「ティファニーとの取引をめぐり初期的な協議をした」という、抑え気味のものでした。

さらに、「合意に至る保証はない」と釘を刺す歯切れの悪さです。

つまり、これは、どうせ買収されるのであれば一円でも高く売り付けたいティファニー側と、できるだけ交渉の最終段階まで地下潜航的に進めて、一気にディールまで持って行きたかったLVMHの思惑の違いから来ていると思われます。

双方、上場企業として、それぞれの株主からいらぬ腹を探られ、「株主代表訴訟」などを食らうのはまっぴら御免であり、双方の経営陣が最も警戒するのは、この一点だと言って良いかもしれません。

買われるティファニーの方が強気なのも、買収額さえ折り合えば、実は誰に売ってもいいと開き直った方が強いわけで、その方が株主にとって得だと判断したからこそこのことの公表に踏み切ったのでしょう。

買収額が(ティファニーの思惑通り)釣り上がると見た一般投資家が、1株120ドルという買収価格を上回る市場価格で売買しているのも、その意味では理屈が通っているということです。

もう一つ、Googleの親会社であるAlphabetが、筆者の左手にもついているウェアラブルデバイス(Charge3)製造のニューヨーク上場企業のFitbitと買収交渉を進めていると、いう報道がなされています。

こちらは、当事者同士のコメントやリリースはないものの、かなり突っ込んだところまで交渉が進んでいるようです。

Googleは、ウェアラブル市場においては、アップルウォッチシリーズを展開するAppleの後塵を大きく拝しています。

ここで、「1日一回の充電の手間が要らず、アップルウォッチより安くて軽くて使い勝手が良い」手首ウェアラブル市場のトップランナーであるFitbitを手に入れるのは、Googleの向かう方向にとって非常に良いものだと個人的には思います。

Fitbit側としても、独自にこのウェアラブル市場において新製品を投入し、広告宣伝をして販売網を自前で広げていくには、手首ウェアラブル市場はすぐにもアップルウォッチといったスマートウォッチ市場に食われてしまう危険性があり、埋没しマーケットを失ってしまわないためには今後大きな資金投下が必要であることが予想されますので、GoogleというITジャイアントの傘下に入って体制を立て直す、というまたとないチャンスだと思っています。

今は独自のIDで記録されている、筆者の左手からの生体(生態?)データも、Googleアカウントに紐ついて管理されるようになれば、アップルウォッチに変えずにFitbitで続けてきた筆者の努力と我慢も報われるというものです。

(本当は、アップルウォッチが高くて買えなかっただけですが。。)

フィットネス分野のトラッキングに特化した、時計機能がかろうじてついているだけの、専用の(かつ安い)手首ウェアラブルデバイスには、筆者のような固定客の確実な市場が存在するようです。

ちなみに、筆者は、先の記事でも述べたように、「1日3,000カロリー消費」という毎日のタスクをクリアするために、このFitbitを使っており、もはやカロリー計算の方式や比較対象も、Fitbitでしかできない体になってしまっているので、金銭的には非常に細い顧客でありながらロイヤルティの高い客であることは間違いありません。

このFitbitの買収交渉の情報が流れるや否や、Fitbitの株価は一瞬で30%近くアップしました。

といっても、こちらのFitbitは、2015年に上場した直後に1株48ドルの高値をつけたものの続落、2017年以降は6ドル前後となり、今年8月には3ドルの安値をつけており、先行きが不安視されていました。

買収の報道を受けた2019年10月29日現在は、6.05ドルとなっており、この株価での時価総額は、約1,672億円といったところです。

一時代を築いたブランドが大手に寄って買われる、これもダイナミックな経済社会のなせる技であり、今後も注目して行きたいと思います。

投資に関してはいつも後追い記事しかかけずに予想すれば外れることが多い筆者からのコメントは以上です。

(2019年10月30日 水曜日)

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(2016/05/05)企業会計における営業資産であるところの「のれん」について説明しておきます

2019年10月29日

(2019/10/29)人類全体の共通の「故郷」「実家」がアフリカ大陸ボツワナの一地方に判明したという話です





おはようございます。

2019年10月の、人類全体の共通の「故郷」「実家」がアフリカ大陸ボツワナの一地方に判明されてきたという話です。

人類全体が、アフリカ大陸の中央部から発生して世界中に広がった、という説はかなり前から唱えられていましたが、どうやら、かなり狭い部分まで特定されてきたようです。

その場所は、アフリカ大陸のボツワナ北部にある、「マカディカディ・オカバンゴ」という地域であり、今は水のない塩湖やサバンナが広がる広大な荒野になっておりますが、大体13万年前くらいまでは、この場所のはるか北西に位置するナイル川の源流でもある「ヴィクトリア湖」の2倍もの面積を持つ巨大な池があり、その池から広がる広大な湿地帯に、現在の人類の共通のご先祖様である「ホモ・サピエンス・サピエンス」が生息、定住していたということなのです。

現生人類は、この住みやすい地に誕生してから約7万年、平穏に過ごしてきましたが、今から約13万年前に、気候変動や天変地異が起き、この巨大な湖は消失、そこからバラバラに安住の地を求めて難民さながら、グレートジャーニーという世界中に散らばる旅に出たというわけです。

そうして、数万年のうちに、実に南極大陸をのぞく世界中、地球の隅々まで、その足跡を記したのです。

7万年にも及ぶ長い訓練の時を経て、天変地異による故郷、実家の文字通り「喪失」を経てからの旅の軌跡は、まさに奇跡と言ってよいでしょう。

そうして出アフリカというアフリカ大陸を飛び出しヨーロッパに向かった者たちには、すでにそこに先住していた「ネアンデルタール人」という別の人類との遭遇も経験します。

そうして、一部混血しながら、肌と髪の白い(金髪の)新しいミックス人類を生みながら、それでもホモ・サピエンス・サピエンスは広がり続けます。

以上を時系列でまとめますと、

・ホモ・サピエンス・サピエンスの誕生(ボツワナ北部にある、「マカディカディ・オカバンゴ」)20万年前
・ホモ・サピエンス・サピエンスの移動開始 13万年前
・ホモ・サピエンス・サピエンスの出アフリカ 6万年前
・ホモ・サピエンス・サピエンスの世界展開(南米チリの最南端ホーン岬に到達)1万年前

という現時点での現代人類による現生人類発展の「通説」となります。

人類全体の実家が、このようにDNA解析により判明しつつある中、聖地巡礼ということでボツワナ北部への旅行者も増えることになるのでしょうか。

実は、ボツワナという国は、1966年の独立以後、豊かな天然資源と手堅い経済政策、安定した政治状況や高い教育程度に基づき、世界最高水準の経済成長率を1980年代末まで維持し続けたアフリカの優等生というべき国です。

IMFの統計によると、2017年のGDPは約174億ドルであり、これは人口(200万人)の国として一人当たりのGDPは推定7,584ドルで世界水準と比較しておよそ70%となっておりまして、実は隣国南アフリカ(6,180ドル)より高いのです。

今後、同国がこの「人類全体の実家、故郷、聖地」という観光業を打ち出すような気がしてなりません。

21世紀の後半、地球最後に残されたユートピアであるアフリカ大陸において人口爆発が起こることが確実視されている今こそ、我々人類全体の故郷である中央アフリカに思いをはせてみるのも良いかもしれません。

聖地巡礼というと東京秋葉原を思い起こしてしまうだけの、時代感覚の短く近視眼的な筆者からのコメントは以上です。

(2019年10月29日 火曜日)

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(2019/03/04)2100年の世界の人口は108億人でアフリカのナイジェリア人が9億人以上になるんだって知ってた?

2019年10月28日

(2019/10/28)人間力を鍛えるためには強烈な前向きの圧力をかけることが必要だと思う件です





おはようございます。

2019年10月の教育、要するに人間力を鍛えることに関する配信記事です。

人間力を鍛えるためには、強烈な「前向き」の圧力をかけ続けることが絶対必要だと思っていまして、これは当人にお節介と言われようがうざったいと言われようが、とにかく必要な人間力の養分補給だと思っていまして、食べる方がそのありがたみに気づくのが後になったとしても、必要な時期に、必要な関わりを持たないと人間力の滋養には至らないのではないかと思っています。

この圧力という、どちらかといえば積極的にも消極的にも取れる字句を使うのにもわけがありまして、こういう概念を、「愛情」とか「世話」とかいったその字句そのものに良い意味が混ざっている言葉を使ってしまうと、本質を正しくわかってもらえないのではないかと思って(危惧さえして)いるのです。

すなわち、圧力とは、当人が嫌だと思っていても、ある意味無理やりやらせる「勉強」とか「学習」とか、朝早く起きなさい、朝ごはん食べなさい、歯を磨きなさい、挨拶をしなさい、風呂に入れ、よく噛んで食べろ、年長者は敬え、親に口答えするな、卑しい真似をするな、ならぬものはならぬ、といった躾や指導、そして説教の類ももちろん入り得ます。

もちろん、褒めることや認めること、も多分に含まれるのですが、当人がやっていないのに無理やり褒めるということもまたおかしな話であり、あくまでも、当人の努力や取り組みを引き出すためにかける前向きな圧力や振る舞い、そして世話焼きや指導、ということになります。

これこそが、「教育」の本質であろうと思いまして、どこにやる気のスイッチがあるかなんて、子供だろうが大人だろうが、本当に千差万別であるのですから、多く試してうまくいったものをとりあえず類型化しつつもいつも新しいことを試し続けるくらいしか有用な解決策はありません。

そして、「こうやっておけばOK」という固まった指導方法が確立してしまった瞬間、それはいきなり陳腐化します。

必勝のノウハウも、自分で「必勝」などと銘打ってしまった瞬間、いきなり「愚策」に逆戻りするような事象は、筆者も当年45歳になるまで、随分と見てきた気がします。

しかしながら、いつも最新ハウツーバージョンに触れていなければ時代に遅れていってしまうということではございません。

時代が変わっても、悩み生きてそして死ぬという人間社会は不変のものでありまして、おそらく人間の心の中は100年前も、1,000年前も、10,000年前も、そんなに心象風景としては変わっていないのだと思っています。

電子デバイスに囲まれ、大量の情報が一瞬にして脳に届くこの2019年令和元年の時代になっても、それでも人間が対応できることはそんなに変わりはなく、本質というか豊かに生きることができる方法そのものはあまり変わっていないのではないかとも思うのです。

リベラルアーツという学問領域の言葉がありまして、これはもともと、教養という学問分野のことを言っていたわけですが、日本の大学教育の中での教養学部とは、専門教育に上がる前の、大学モラトリアムの時間、といった「悪い」意味がまとわりついてしまっておりました。

筆者も、「教養」学部で2年間をそれはもう、遊んで暮らした自由と放埒の日々を思い出しながら振り返るのですが、覚えているとすれば、毎週行くたびに変わっている大学教養部の「折田先生像」の新しいクリーチャーぶりを見て、横の生協で唐揚げ定食(450円)を食べて講義には出ない(そもそもどの教室でどの講義が行われているかもわからない)というようなダメ大学生であったわけですが、それでも、リベラルアーツという言葉に込められた「真の教養」というものには、「専門教育」の前に学習する一段低い教育といった意味でない、真の教養という意味を感じておりました。

最近までの多くの大学を主流とする日本の高等教育機関は、その存在意義を「役に立つ人材」を育てることに当てていたようですが、筆者の入ってそして(運良く4年で)卒業できた大学はそういうところから当時も(今はよくわかりません)一番遠いところにありましたので、なるたけ早く専門教育を行い、その専門のスペシャリストを育てるのではなく、長い人生において、どこかで突き詰めた良さを発揮できる、どちらかといえば大器晩成型を歓迎するという風潮がありました。

で、それを体現する「変な」「変わった」教授陣や大学職員陣を、確かに抱えておりました(繰り返しますが今はよくわからんです)。

筆者の周りにおいても、大学入るために1年や2年の「浪人」という強化学習期間を持ったものや、加えて入学後も学部2年、修士2年の修業年限をはるかに超えて勉学が好きで、学部の6回生とか、修士の3回生とか、そういった「勉強好き」のものがうようよいましたが、そういった方々が自由と放埒の日々を過ごしながら、少なからず親を心配させ、就職無「理」学部といった賢者の学び舎で、研究にいそしむという良さもあったわけです。

結局、人間を育てるということであり、大学や高校という教育機関の一番の効用としては、何か本当にやらないといけない分野が現れた際に、こうした人材プールやネットワークから、これぞという人間を洗い出す、というような、人間と人間を引き合わせるという作用が一番大切なのではないかと思っておりまして、これが、一番、「信用に足る」人間を引き合わせる、見つけ出すためのコストがかからず外しが少なく将来長く一緒に仕事なりプロジェクトなりが遂行できるということであろうという結論です。

明らかに、「カネでは転ばない」「正直」「率直」そして加えるならば「頭が良い」「体が動く」「営業センスがある」といった要素を加味して人は人を選ぶわけですが、このようなコミュニティに多くアクセスすることができるかということ自体が、教育における一番大切な要素ではないかと思っておりまして、「わからないことを聞ける人」をより多く持ち、ある材料で積極的に「自学」できる人が最強であろうという結論になっています。

この両方の根本的スキルを身に付けるためには、ただ優しく生暖かく見守っているだけではダメで、そうやると結局、子供は動画ばかり口を半開きにして見ているだけになってしまうので、積極的に手を動かし自学ができること、そしてわからないことをそのままにせず自分の興味に応じて飲み込まずに他人に問える対外発信力の双方を鍛える、そのために、前向きな圧力をかけ続けるという「教育」が必要になる、そういったところでしょうか。

そして、「教育」を与える方も、「教育」が当然自らにも必要であることをわかっている、この方がはるかに与えられる方の受け取り方が違うというのもようやく最近わかってきました。

公文の算数の分数の足し算引き算掛け算割り算ならば、一緒に親もやってみましょう。

以外に、子供達の計算速度の速さと正確さに驚きます。

筆者などは、ちょっと闇練してから子供に見せて威厳を示しましたが、例えば九九の掛け算などは、99から11まで逆に言ってみる、というのを夜中コソ勉してから披露することなどをお勧めします。

ガミガミ言うよりよほど「おおーっ」と言われて尊敬されること間違いないです。

教育とは、これからを生きる全ての人に必要なスキルであると思いました。

それでは、今日はこの辺にいたします。

営業センスのないこちらからは以上です。

(2019年10月28日 月曜日)

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(2019/08/07)長崎新幹線はいっそのこと佐賀県を通らずに通した方が実現は早いのではないかと考えた話です(あくまで妄想頭の体操ですが)

2019年10月27日

(2019/10/27)著者の死後50年が経過してパブリックドメインに帰した名作を使い自己表現を筆者もしてみむとてするなり





おはようございます。

2019年10月の、令和の時代のはじめに名文を紹介します。

著者の死後50年が経過してパブリックドメインに帰した名作を使い自己表現を筆者もしてみむとてするなり(紀貫之「土佐日記」より)という記事です。

中島敦「山月記」ですが、著者死後50年が経過しており、いわゆるパブリックドメイン(public domain、公有)に帰った著作物ですので、知的財産権が発生していない状態または消滅した状態にあります。

しかしながら、著者の人格権ほか他の権利には十分配慮尊重していかなければならないことは当然のことであります。

中島敦先生は、わずか33歳でこの世を去られた夭折の大文学者ですが、それゆえに、この山月記は高等学校の国語の題材として、今でも読み継がれている名作です。

原文の二次利用を行うにあたり、当方で改変した部分は赤文字(あかもじ)としておりますので合わせてご参照ください。

鎮西(ちんぜい)筆者(ひっしゃ)は博学才穎(はくがくさいえい)、平成年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、ついでメガバンク銀行員(ぎんこういん)に補せられたが、性、狷介(けんかい)、自みずから恃(たの)むところ頗(すこぶ)る厚く、賤吏(せんり)に甘んずるを潔(いさぎよ)しとしなかった。
いくばくもなく銀行を退いた後は、故郷(こきょう)福岡市に帰臥(きが)し、人と交まじわりを絶って、ひたすらブログに耽(ふけ)った。
下吏となって長く膝(ひざ)を俗悪な大官の前に屈するよりは、ブロガー、ユーチューバーとしての名を死後百年に遺(のこ)そうとしたのである。
しかし、文名は容易にらず、PVも伸びず、生活は日を逐(お)うて苦しくなる。
筆者は漸(ようや)く焦躁(しょうそう)に駆られて来た。
この頃ころからその容貌(ようぼう)も峭刻(しょうこく)となり、肉落ち骨秀(ひい)で、眼光のみ徒(いたずら)に炯々(けいけい)として、曾(かつ)て第二帝国大学に登第(とうだい)した頃の豊頬(ほうきょう)の浅黒き少年の俤(おもかげ)は、何処どこに求めようもない。…(中島敦「山月記」より)

面白くなってきたので、もう一つ行きます。

次は、太宰治「走れメロス」です。

こちらも、著者の死後50年経過したことをもって、「青空文庫」において誰でも読むことができます。

筆者は激怒した。
必ず、かの邪智暴虐(じゃちぼうぎゃく)の教授を除かなければならぬと決意した。
筆者には博士号学術論文の良し悪しはわからぬ。
筆者は、田舎墓多学生である。
大学にはろくに行かずボートを漕いで暮して来た。
けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。
きょう未明筆者琵琶湖河畔の合宿所を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此この京都大学祭にやって来た。
筆者には父も、母も無い。
女房も無い。十六の、内気な妹と二人暮しだ。
この妹は、村の或る律気な一牧人を、近々、花婿(はなむこ)として迎える事になっていた。
結婚式も間近かなのである。
筆者は、それゆえ、花嫁の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる大学にやって来たのだ。
先ず、その品々を買い集め、それから都の大路通や百万遍をぶらぶら歩いた。筆者には竹馬の友があった。
水谷康弘君である。 …(太宰治「走れメロス」より)

もともと少ない読者のうちの、さらにまたほんの一部の読者の方々にしかわからないネタを差し込んでしまい誠に申し訳ございません。

しかしながら、不覚にも、続きが読みたいと思ってしまいました。

さすが、名文の書き出しの力は違います。

このように、2019年令和元年の時代には、触れようと思えば簡単に、ほぼ無料もしくは極めて低いコスト(時間や費用)でたどり着くことができ、高校受験や大学受験においても、「情報がない」ということで困ることなど、「適切なコーチングをして親身になって相談に乗ったり励ましたりしてくれる大人や仲間」がいる限り、全くないと言い切れると思っています。

かつて、「歩いて4キロメートル(1時間)」の街のビル一棟まるごと書店であったという、「ブックセンター」に出向き、大学受験の学習参考書コーナーから、どれが良いのかを選びながらその辺の別の本の立ち読みに耽ってしまいあっという間に数時間が経過し、立ち読み本を読むのに支える左手の肘の部分が固まった、というような原体験を持っている筆者などにすれば、非常に「いい」時代になったと思う反面、知識にしろ快感にしろ、何でもすぐ得られてしまう現代の世相については、若干の違和感なしとしません。

いいところは積極的に取り入れ、そしていつも時代にも必要である「自分で学ぶ」「自学」のスタイルと効用については、常に口を酸っぱくして自分に対しても言い続けていこうと思いました。

水谷康弘君の没後、満13年が経過し、筆者は45歳になりました。

毎年、自分の誕生日を迎えるたびに、彼の没後の年数も重なりますので思い出すのに都合が良いです。

亡きあちらの世界の友へ。私は今この瞬間も生きています。もちろん次の瞬間、何が起こるかわかりません。生きてるかもしれないし、さっくり死ぬかもしれません。しかし、それでも私は今確かにここにいて、君のことはときどき思い出します。だから安心してほしいです。君に見られていると思うと背筋が伸びます。 これからも、よろしく頼みます。

最後はオリジナルの文章で締めさせていただきました。

こちらからは以上です。

(2019年10月27日 日曜日)

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(2018/07/23)〔我が友水谷康弘君に捧ぐ〕承認欲求についてつらつら考えてみたことを書いておきますという記事です

2019年10月26日

(2019/10/26)心のさもしい貧乏で怠け者な人たちに影響されないようにするために読んでおくこと






おはようございます。

2019年(令和元年)10月の配信記事です。

令和元年!と言えるのもあとわずか2ヶ月に迫ってきました今日この頃ですが、いつも通りの通常運転で行きたいと思います。

いわゆる「偉人」の言葉を引用するのは気が引けるのであまりやらないのですが、今日はそれでも紹介しておきたいジャック・マーという起業家の言葉を紹介します。

中国でアリババ・グループという2019年10月時点で中国(中華人民共和国)の総合オンライン小売業でトップの一つとなっている巨大IT企業の創業者です。

貧乏マインド、心のさもしい人たち 
「ジャック・マー」アリババ創業者 
貧乏マインドの人に尽くすことほど
無駄で最悪なことはないのです 
「何か無料プレゼント」したら
「これは罠だ」と非難します 
「少額投資で大丈夫」というと
「だったら儲からないじゃん」と文句を言います 
「多くの投資が必要」というと
「そんな金ない」と文句たらたらです 
「新しいことに挑戦しよう」と誘っても
「経験がないから無理」とハナから諦めています 
「伝統的なビジネスだよ」というと、
「じゃあ成功しないね」と却下されます 
「新しいビジネスモデル」というと
「ああ、ネズミ講だね」と決めつけます 
「店を持って経営してみたら」というと
「自由がなくなる」と主張します 
「起業してみたら?」といっても
「プロじゃないから無理」と受け入れません 
貧乏マインドの人たちの共通点とは
グーグル検索が大好きで
似たような貧乏マインドの友人の話ばっかり集めて慰め合っていることです
口先だけは大学教授並み
でも行動はナマケモノ以下(ナマケモノにも失礼) 
彼らにこう聞いてみましょう
「じゃあ、あなたは何ができますか」
何も答えられないから 
言い訳を熱弁している暇があったら
もっと素早く行動に移せば良いのです 
いつも考えて批判しているよりも
何か実際にやってみてはどうでしょうか 
貧乏マインドの人々は、この共通点により必ず失敗します
ずっと待っているだけで、自ら「何も」行動しないからです
 

さて、この言葉ですが、より原文のニュアンスに近い英語でも記載しておきます(本当は中国語になるのでしょうが)。
日本語にするときに、少しばかり「意訳」しているところがありますが(特に「盲人」のところなど)、合わせて比較いただければと思います。

Jack Ma Founder of ALIBABA 
The worst people to serve are the poor people. 
Give them free,They think it's a trap. 
Tell them it's a small investment, They'll say can't earn much.
Tell them to come in big, They'll say no money. 
Tell them try new things, They'll say no ecperience. 
Tell them it's traditional business, They'll say hard to do. 
Tell them it's a new business model, They'll say it's MLM. "Multi-level marketing"
Tell them to run a shop, They'll say no freedom. 
Tell them run new business, They'll say no experitse. 
They do have some things in common, They love to ask GOOGLE, listen to friends who are as hopeless as them. 
They think more than a university professorand do less than a blind man. 
Just ask them, what can they do. 
They won't be able to answer you. 
My conclusion,Instead of your heart beats faster, why not you just act a bit faster. 
Instead of just thinking about it, why not do something about it. 
Poor people fail because of one common behaviour.
Their whole life is about WAITING.

なかなか胸に刺さるお言葉でした。

努力不足を環境や世の中の不公平自体の「せい」にすることはできません。

お金がなければ、一日二食にして納豆と卵かけごはん、よく出汁のきいた味噌汁を自炊して、古本屋で本を買って読んで勉強したらいいと思います。

それが一番の未来への投資というものです。

もう一度書いておきますが、努力不足を環境や世の中の不公平自体のせいにすることはできません。

そういうのは「庶民」でも「被害者」でもなく、ただの「怠け者(ナマケモノにも失礼)」というのだと思います。

当年45歳にして学習と行動がまだまだ足りない筆者からのコメントは以上です。

(2019年10月26日 土曜日)


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(2019/02/03)死んだじいちゃんが生前言っていた「卑しいことはするな」を簡単に一文にまとめましたので披瀝します

2019年10月25日

(2019/10/25)フランチャイズシステムを維持するためにFC本部が各店舗に維持費を補填する時代になったという話です(人材不足の話)






おはようございます。

2019年10月、令和元年の人手不足のニュースです。

令和の時代は、昭和生まれの「かつて、世界は子供で満ちていた」昭和の終わりを子供時代として経験してきた筆者のような世代では経験すらなかった、空前の人手不足が続く時代になることを予感させるような出来事が立て続けに起こる時代のようです。

日本のコンビニエンスストア最大手のセブン&アイホールディングスが、今月、傘下のセブンーイレブン・ジャパンのフランチャイズチェーン(FC)加盟店での利益配分を見直すと発表したのです。

FCの基本契約を見直し、低収益の加盟店である約7千店に対し、月額20万円を実質的に支給するなどの、本部からの支援を行うとしたのです。

「稼げない店はとっとと畳め」とばかりに、出店した周囲にも同じセブンイレブンをどんどん折り重ねるように出店していくセブンーイレブンのやり方は、「ドミナント戦略」としてチェーンストア経営の本にも載っているような、それ自体が「勝てる方式」でしたが、既存店舗の収支不調と、人手不足によるコンビニチェーン網自体の維持コスト上昇の観点から、弱いものに対する一方的な措置を改め、保護策に転じたものと言えましょう。

(株主などの)投資家からの圧力はあるのでしょうが、背に腹は変えられない、というところです。

そもそも、365日24時間営業というビジネスモデルの持続が限界を迎え、特に地方では難しくなっている中、本部が加盟店に譲歩する形で、24時間営業を継続する加盟店で、月間の粗利額が550万円以下の店の場合は、低収益店として、本部へのロイヤルティーを20万円減額するというものです。

現在の想定では、その「減額」される加盟店は、全部のFC店2万店(別に直営店4百店)のうち、7千店といいまうから、実に3分の1以上の店舗が実に収支不調に陥っているということでもあり、その原因のほとんどは、特に深夜帯におけるパート・アルバイトが集まらないという人員不足の負の連鎖です。

人手こそタダといわれた昭和末期から平成中期にかけて育ち(実は昭和中期くらいまでは、高度経済成長であり若手労働力は金の卵などと言われました)、そうして、「3つの過剰(設備過剰、在庫過剰、人員過剰)」などと経済新聞市場で揶揄された、そのような世代に育ち、今から初老と言われるような年代に差し掛かった我々、団塊ジュニア(もうジュニアという呼称はやめて、団塊第二世代とでも呼んで欲しいのですが)といたしましては、世代として多くの子供達を作ることができなかった、という後悔の念と、それでも外部環境としては厳しいままではなかったか、というないまぜの気持ちがあり正直気持ちの整理が非常に難しいところです。

日本の人口が減ることは、随分前からわかっていたのに、実際にそうなってからしか対処的にしか考えられないというのが人間社会の性というものでありましょうが、あまりにも無策なままこの世界的な人口減少社会の嚆矢となって突っ込んでいく我が国の状況を見ますと、我々世代も、老け込むのではなくもう少し胸を張って文字通り若返って頑張らなければならないと思いました。

ということで、今後しばらくは45歳ではなく35歳というつもりで過ごしていこうと思います。

365日24時間無休のコンサルタント・ブロガーの筆者からの記事は以上です。

(2019年10月25日 金曜日)

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(2016/01/22)コンビニ市場は2015年に10兆円を超えた(百貨店市場は6兆円台))

2019年10月24日

(2019/10/24)変えるべきところと変えない方が良いところを見分けるのが経営の才能だと思う話です(松下電器グループの話)

松下電器グループ(1985年)





おはようございます。

企業のイメージ戦略に関する(昭和後半生まれ45歳の)筆者があくまで個人的な意見を自らの発表の場で述べて配信しようとする独善的な記事です。

昔、松下電器産業という大きな会社がありました。

松下幸之助という、不正出の「経営の神様」と呼ばれた人が作り上げた日本の家電業界のみならず日本のお茶の間全体を牽引する、まさにスーパー企業でした。

国内ブランドはナショナル、海外ブランドはパナソニック、という二つの商品ブランドを作り上げ、それとは別の上位概念としての企業グループとして、「松下電器グループ」を標榜し、松下電器産業を大親分に、松下電気工業、松下通信工業、松下電子部品、松下住設機器、松下産業機器、松下電池工業、松下電器貿易、松下冷機、九州松下電器、松下精工、松下寿電子工業、松下電送、などを傘下に有し、「技術で拓く世界の繁栄」を企業理念(旗印に)、世界中に国内・海外510社を展開する、一大企業グループ(1985年当時)として君臨していたのです。

筆者も、英語教材として親しんだ、「家出のドリッピー」シリーズの上級編、「追跡(The Chase)」の主人公は、日本の財閥グループ「松本インダストリー」の御曹司が数奇な冒険を経て成長するという物語なのですが、明らかにこの松下電器グループをイメージしているのです。

米国のトップ作者のシドニィ・シェルダンの書き下ろしという英語教材で、かつてブームになりましたが、このストーリーのプロットにもなった世界の松下電器グループ、大阪から世界を制覇したあのスティーブ・ジョブズも憧れた、「自由闊達にして愉快なる理想工場」ソニーに並ぶ日本の家電メーカーの面目躍如の存在だったのです。

しかしながら、海外ブランドの「パナソニック」の名称に企業名も統一してから、どうも筆者には馴染みが薄くなってしまいました。

「ナショナル」ブランドの乾電池をよく買いに行っていた昔が懐かしいです。

さて令和元年の10月、同じように、日本の老舗かつ先端サービス企業が古いブランドを一気に変えるという記事が飛び込んできました。

「宅急便」という商標ブランドを持つ、国内宅配事業首位のヤマトホールディングスが2019年11月29日に旧社名の「大和運輸」から数えて、創業100周年となるのを機に、グループの「クロネコ・シロネコ」のキャラクターを実に28年ぶりにリニューアルすると発表したのです。

このリニューアル後のキャラクターが、何だかユニセックスな感じで、今までの、ちょっと空回りのオスのクロネコと、化粧とつけまつげの濃い感じのメスのシロネコという、インパクトのある愛されキャラクターに取って代わってしまうということで、筆者のような旧守派としては、そこ変える?もっと変えないといけない(従業員の待遇とか宅配のシステムとか)部分があるのでは?と思った次第で、松下電器がパナソニックに変わった時と同じような感覚を覚えてしまったのです。

名残惜しいので、リニューアル前の、クロネコ・シロネコのキャラクターについても、念のためアップしておきます。

アマゾンの通販サイトの写真からの転用です。


クロネコヤマト「シロネコ・クロネコ」2019年11月まで


その昔、JALが「鶴丸」という世界に通用した日本の鶴のマークをやめて、特徴のない「JΛL」というような、ロゴにしたことがありますが、これなどは、「ジェイ、(ギリシャ文字の)ラムダ、エル」としか海外の人たちは読めずに???となっていたところ、経営破綻を経て結局また鶴のマークに戻してことなきを得た、ということがありました。

これと同じように、ロゴや呼称というものは、その企業のものだけではなく、利用する顧客や関係者にとっても大切な資産であるということをよく考えて、できるだけサービスの「中身」をよくする方向に使った方がいいのではないかと改めて思いました。

ちなみに松下幸之助さんは、尋常小学校を4年で中退し、9歳で宮田火鉢店に丁稚奉公に出された、徹底的な現場主義の方であり、本社の奥まった会議室の中で、広告会社が持ってきた「イメージ戦略」なるプレゼンを聞くだけで会社ロゴや会社キャラクター変更という一大事を「(個別の役員は無答責であろう)合議制で」何となく決めてしまうような愚かなことはされなかったであろうと、「愚考」しております。

筆者の拙い経験で恐縮ですが、かつて1902年、日露戦争後の重化学工業部門の資金不足を解消すべく、日本政府保証の下ロンドン市場等で、外債を発行し、国内重工業への融資を行う調達のために設立され、戦後は高度経済成長を牽引したかつての国策銀行、日本興業銀行という銀行の100年の歴史の最終盤に入行し、その2002年の終焉まで付き合い、看取ることができたことを密かに誇りに思っております。

最後に、

「あっかるーいナショナル、あっかるーいナショナル、みんな、うちじゅう、なーんでも、ナーショーナールー」

という宣伝文句が、耳の音にこだまするくらい、テレビCMが流れていた、そんな昭和の時代を少年時代に過ごした筆者からの昭和時代の回想記事は以上です。

(2019年10月24日 木曜日)

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(2018/09/02)外側に責任を求める他責思考と内側に責任を求める自責思考について書いておきます(松下電器創設者の松下幸之助さんの言葉)

2019年10月23日

(2019/10/23)「かつて、世界は子供で満ちていた」気持ち悪いことも表現の自由という「権利」として当年45歳を迎えました自らの人生を重ねて語ります





おはようございます。

2019年10月、令和元年の日本から昭和のニュースをお届けします。

お届けするのは、この令和元年10月22日(火)に祝日として、盛大に世界中の要人を招いて天皇陛下が即位を宣明された「即位礼正殿の儀」と同じ月に誕生日を迎え、当年もって45歳となりました、団塊ジュニア世代真っ只中の中年男子の筆者です。

昭和49年10月生まれの団塊ジュニア。

子供のころは、いつも、たくさんの同級生がいて、世界は子供で満ちていました。

それでも幼稚園(年中)の入園式の後に親が帰ってしまうのが嫌で校門(お寺の門)でしがみついて泣いていました。

そんな私も幼稚園のお泊まり会でのお化け屋敷大会では先頭・・から二番目でなんとか進み、泣かずに戻ってくるくらいには成長しました。

今でも桂幼稚園の園歌を「みどりのお庭のきんもくせい・・・」と歌うことができます。

そうして小学校に上がります。

企業祭という強烈大きなお祭りがあり、行きつけの病院は製鉄病院、鉄ビルストアで買い物をして同級生が転校する先は、「光」「堺」「大分」「君津」そして「釜石」。

当時は日本の大都市には必ず製鉄所(溶鉱炉)があり、日本とは大体上記の都市と、今いる「八幡」だと本気で思っていました。

東京や大阪、名古屋や京都を知るのはずっと後になります。

ビックリマンシールを集め、パッチンを飛ばしあい、総取りしていました。

立派な賭け事です。

子供会のソフトボール大会は、ガチで練習して、夜9時近くまで近くの「ベビー球場」の外野で練習しました。

練習場は、何と石砂利です。

そんな中でゴロのノックを受けるのです。

ボールがなくなると、見つかるまで探すよう監督に言われ、それでも見つからない時は全員でケツバットを食らいました(私がキャプテンでした)。

しかし、それが普通だったのです。

子供に虐待して、と言い出す親はいませんでした。

そんな中、日航機123号機が墜落し、上を向いて歩こうの歌手ほかみなさんが犠牲となり、奇跡的に生き残った4名の生存者を除く520名死亡の大災害を、毎日テレビで見ていました。

生存の4名の方々のプライバシーなど、あったものではありませんでした。

それから、ファミコンが出て、スーパーマリオで大ブームの後、すぐにドラゴンクエストが発売され、近くの百貨店「そごう(今はない)」に半年前から予約して買いに行きました(学校があったので、親に頼んで)。

近くのゲームセンターでは、普通にカツアゲされるので、両方の靴下に帰りのバス賃だけは確保して、お金持っていない→そこで跳んでみろ(ジャラジャラいったらカツアゲされる)と言われた場合の「対策」もバッチリやって、ゴールデンアクスなどのアーケードゲームの最後の輝きを楽しんだ世代です。

バブルボブルやシューティングゲームの1942、という、上手い奴がプレイし始めると50円で100面クリアみたいな猛者による、ゲーム回転率の悪さもあり、そうして台頭した家庭用ゲーム機(ファミコン)に急速にとって変わられる、そのような百貨店屋上やよく家族が利用するスーパーの中二階の、アーケードゲームコーナーがありました。

1942、なんてシューティングのアーケードゲーム、今、日米の旧軍関係者が見たらどう思うのか、今では想像もできません。

リアルすぎます。

小学校の体育館で、文部省特選のタイトルがついた「はだしのゲン」を児童みんなで見ました。

泣いて気分が悪くなった女子生徒もたくさんいました。

今や、「首実験」の写真を授業で見せるだけで人権問題になる、そんな令和の時代からは考えられない仕打ちです。

鉄ビルストアに併設した、昭和30年代の建築で十分オンボロの賃貸アパートに、親父は鐵工所勤めで母親は家庭内洋裁をやっています、みたいな友達の家で、ゲームしたり本の貸し借りをしたり、時々勉強をしたりしながら過ごしました。

中学校は、ヤンキーが仕切っていました。

国鉄は、JRになって車両内に所狭しと設置されていた子供の目の高さに合ったあの特注灰皿がなくなりました。

普通に灰皿を触った手で、子供が指しゃぶりをしていました。

そんな今の世界が見たらクレイジーな時代だったのです。

中学の部活動は、基本ヤンキーの集まりでした。

競技をしたかったのですが、その辺の付き合いが面倒でした。

使える参考書を選びに、4キロメートル先にある「黒崎駅」まで出向いて、そこの「ブックセンター」という、アマゾン全盛の令和の時代にはありえない巨大書店で、半日過ごして立ち読みしまくって、そして目指す本を握り締めて暖かくなった硬貨で買い、そして帰りのバス賃不足でまた歩いて帰る、みたいな生活でした。

そんな、やたら世間は景気が良さそうな中、天皇陛下が崩御されて時代が平成に変わります。

一気に、世の中が不景気になります。

天気の子、ならぬ公営団地(団地)の子である筆者は、「文字のわりと多い本が好きなだけ」で中学までずっと成績は1番だったので、高校は、その中学からわずかしか進めない域内公立進学高に進みます。

母親がリューマチとなり、一級障害になる、そのくせ入った部活(山岳部)で夜遅くなる→家事ワンオペの父親の迷惑になるのも悪いということで、母親の実家の祖父母宅に高1の冬より居候することになります。

山岳部の活動を続けつつ、祖父母に迷惑かけたくない一心で大学はすっぱり現役で九州外へ出ることを決意します。

ベルリンの壁が壊れます。

ソヴィエト連邦が15の独立国家共同体なる、わけのわからない存在に解体されます。

そうして、アルベールビルオリンピックの松任谷由美のテーマソングを聴きながら、コタツで缶ビール片手に勉強します。

当時は、ビールはゼット!というビートたけし(令和の今なら、世界の北野武、昭和の時代は8時だヨ!全員集合の裏番組のタケちゃんマン)がビールの宣伝に出るくらいの存在でした。

令和の今では考えられないでしょう。

上記二つの事象含め、祖父母(両方鬼籍に入った)をして、あんなことが起こるなんてね、と言わしめました。

消費税が3%で始まります。

天安門事件は、その物凄さの割にあまり報道されなかったです。

集中力と気合とヤマカンが当たり大学に滑り込みます。

大学は京都なのになぜか壬申の乱で有名な瀬田の唐橋を毎日わたるのではなく下を潜るボート部の生活に入ります。

学生運動と宗教活動が盛んな大学でした。

今の京都とは比べ物にならないくらい、当時の京都は、平安神宮のそばという絶好のロケーションに下宿を構えながらも、観光客もおらず閑散としており、文字通り、日本人にも見向きもされない修学旅行生がかろうじてやってくるだけの、死にかけた街。

それが筆者がいた時の京都の偽らざる実感です。

それから30年、観光客ひしめく京都がこんなことになるとは思いもよりませんでした。

阪神大震災と地下鉄サリンで世紀末を実感し、生きる実感を味わいます。

Jリーグが始まり、ドーハの悲劇を生で見て慟哭します、4年後、ジョホールバルで「初めての」ワールドカップ本戦に出場します。

当時の日本人選手は、鬼気迫る、触れたらキレそうな眼光でテレビカメラを睨み付けていました。

世界との「格差」は明らかに、高くそびえていました。

・・もっと書いていきたいところですが、とにかく、ここに書いたことは全て筆者の見た当時の世界であり、「今の感覚」からすると、ものすごく遠い世界のような感じもしますが事実です(あくまでも主観では)。

ワールドカップ出たことがなかったことも、ワールドカップなんて、キャプテン翼の漫画の中にしかなかったし、地下鉄でサリンが撒かれて数千人が被害を受けるなんて、直下型大地震が神戸淡路島に(それこそ数百年ぶりに)起こるなんて、そして5千人以上が死ぬなんて、日本の日本航空の国内線が、いきなり操縦不能になって墜落、520人が死ぬなんて、そしてソ連が解体されるなんて、天皇陛下が亡くなるなんて、神戸の透明な中学生が、知り合いの小学生の首を興味で糸鋸で切り落として、その首を自分の中学校の校門に置いておくなんて、そんな強烈な時代を少年時代にバンバン経験してきたことなんて、今の高校生に聞いたら宇宙人を見るようなものではないでしょうか。

それなのに、今45歳になりましたならば、世間では初老と言われ、地域社会には貢献せよだの、部下にいばり散らしてはパワハラだの、家庭でも介護に子育て、家事もできなきゃダメと言われ、随分多能になるだけの経験はさせてもらっているけれど、なんだか団塊ジュニアと言われて随分余裕のなくなった社会における高齢労働者としてこれからも大いに汗をかくことを期待されている感じがしてきついなあというようなところでしょうか。

しかしながら、結局のところ、自分の人生を決めて過ごして振り返り評価するのは自分だけであるというのが真実でしょう。

他人やコメンテーターから、「何とか世代」と言われようがそれは関係ないというものです。

そこで、我々は、冴えない人生とたまに言うのもいいけれども、それでもどっこいこの荒波を生きてきた、ということを噛み締めることで、結構自分の人生の味も出てくるのではないかと思うようになりました。

100万円のスーツをバブル時代に着ていた人も、それでもなんだか焦燥感があった、というような話を、安いハイボールを飲みながら語るにつけ、その100万円、何か別のことに使っておけばよかったのにとも思うけれども、100万円の(アルマーニの紫の)スーツが、数十年後に、安いハイボールでの飲み会の話のネタになるのであればそれもまたよしということなのでしょう。

そういえば、当時の最先端のWinPCだった98シリーズのデスクトップ、スタンドも入れたら35万円でしたっけ(遠い目)。

使ったのは結局ワープロソフトくらいでしたが。

それくらい、令和の現代からすれば、わけのわからない「遠い世代」からやってきた宇宙人なのです我々は。

日本での多数派にじわじわと成長しつつある、「平成生まれ」の諸君へ、「令和生まれ」が君たちの目の前に現れるまでざっと20年、その時の衝撃を受けた君たちの顔つきを、たのしみに、もうしばらくこの世で粘ってみようと思っています。

昭和生まれのこちらからの幻想は以上です。

(2019年10月23日 水曜日)

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(2019/01/08)平成31年1月7日をもちましてこの世から昭和生まれの20代は絶滅したことを宣言いたします

2019年10月22日

(2019/10/22)令和の時代の「即位礼正殿の儀」を拝見した素晴らしい一日の話です





おはようございます。

令和元年十月二十二日の火曜日は、日本は祝日となりまして、「即位礼正殿の儀」を拝見することができました。

直前に日本に来襲した台風19号による水害被害が広がる中、パレードは「延期」され、さらに、折からの雨で来訪者も宮中の庭に出ての参列ができないという(部屋で待機)、縮小した祭礼となりましたが、これも、両陛下の国民に寄り添うお気持ちが天に通じたのではないかと思いました。

そして、令和の時代に起きた奇跡、すでに報道やインターネットのSNSなどで大きく話題になっている通り、本当に神話のような展開となったのです。

東京ではあれだけ朝から強かった雨と風が開始時間が近づくと弱まり、天皇・皇后両陛下の登場を待っていたかのように宮殿に差し込む光、そうしていつの間には、雨は上がっていたのです。

そして、皇居の空が晴れ、周辺では、『即位礼正殿の儀』が始まった13:00頃、大きな虹がかかりました。

天皇陛下は、高御座の台座で即位を国内外に宣言する「おことば」を述べられました。

「さきに、日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより皇位を継承いたしました。ここに「即位礼正殿の儀」を行い,即位を内外に宣明いたします。
上皇陛下が三十年以上にわたる御在位の間,常に国民の幸せと世界の平和を願われ,いかなる時も国民と苦楽を共にされながら,その御心を御自身のお姿でお示しになってきたことに,改めて深く思いを致し,ここに,国民の幸せと世界の平和を常に願い,国民に寄り添いながら,憲法にのっとり,日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います。
国民の叡智とたゆみない努力によって,我が国が一層の発展を遂げ,国際社会の友好と平和,人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。」

すばらしい展開であり、お式でした。

それほど信心深いというわけではありませんが、天地も陛下の即位を祝うかのような展開に、この式を拝見することができて、ますます背筋が伸びました。

天皇陛下の御即位に、改めて心よりお祝いを申し上げます。

私も、一国民として頑張ろうと思います。

こちらからは以上です。

(2019年10月22日 火曜日)

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(2019/10/16)天皇位は天皇家の男系しか継いではいけないという不文律が定まった「継体天皇」即位の話です

2019年10月21日

(2019/10/21)「邪馬台国」比定地について筆者説をアップデートして「筑紫平野」と変更します





おはようございます。

2019年10月の邪馬台国比定地論争に関して、これまで筆者がいろいろ述べていた一応の比定地を、今般その後の研究も含めて「筑紫平野一帯」と変更しますという記事です。

これまでは、2014年10月31日付記事にもありますとおり、水行10日、陸行1月、という記述を元に、宮崎平野あたりを比定していたのですが、この説を改め、新たな筆者説としては、「筑紫平野」を比定地といたします。

先の記事を書いてから5年間に、いろいろと筆者も「勉強」「学習」しまして、その軌跡を詳か(つまびらか)にしますとちょっと紙面が足りなくなりますので、要点だけ端折って申し上げます。

まず、①魏志倭人伝の記述である「帯方郡から女王国にいたるにのに、一万二千余里」とあり、そして②「帯方郡から狗奴韓国まで七千余里、狗奴韓国から松盧国まえが三千余里、そこから伊都国までが五百里」とありますので、これを合計すると一万五百余里となります。

とすれば、①−②で伊都国から女王国までは、千五百余里ということになります。

伊都国から山を超えた向こうの、広大な筑紫平野に広がるのが邪馬台国、そして卑弥呼がいるので連合王国の長としての「女王国」でもあったのではないでしょうか。

そして、このまま続いて、③それと矛盾する、なんだか伝聞的な「南、投馬国に至る、水行二十日。南、邪馬台国に至る、水行十日、陸行一月」という記述については、この開始点を、「不弥国」ではなく、おおもとの「帯方郡」からの道のりをおおよそ記載した、と読むことで解決できるのではないかという結論です。

そして、投馬国の方は、(帯方郡より)水行20日で着くということですから、今の宇佐大社がある、宇佐平野(現在の豊前市、中津市、宇佐市)を比定します。

そして、卑弥呼を継いで女王となった壱与(トヨ、とも言う)は、水害が起こって国力が落ちた筑後川流域から、この投馬国があった宇佐平野に移って、そしてそこで「即位」したのではないかと想像します。

こうして、邪馬台国から投馬国が「女王国」となり、この南に位置する狗奴国、おそらく熊本平野か菊池平野あたりに勢力を持っていた男王の国、と対峙したのではないでしょうか。

今日は結論と、最もそのよりどころとなった基本的な解釈の変遷だけを記させていただき、詳細は今後の発表に代えさせていただきたいと思います。

古代史好きからの今日のコメントは以上です。

(2019年10月21日 月曜日)

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邪馬臺国謎解きシリーズ(2014年10月版、全5回)

(その1)

(その2)

(その3)

(その4)

(その5最終回)

2019年10月20日

(2019/10/20)天皇陛下が即位を宣言される『即位礼正殿の儀』が2019年10月22日に行われこの日は祝日となります







おはようございます。

天皇陛下が即位を宣言される『即位礼正殿の儀』が2019年10月22日に行われます。

世界の王室からは、イギリスからはチャールズ皇太子、オランダのウィレム国王夫妻、スペインのフェリペ国王夫妻、ベルギーのフィリップ国王夫妻、サウジアラビアのムハンマド皇太子などが参列する予定、となっております。

そして、各国の「大統領」などの首脳級では、ドイツのシュタインマイアー大統領、トルコのエルドアン大統領、フィリピンのドゥテルテ大統領、インドのコーヴィンド大統領らの参列が予定されています。

世界最古の王朝として、ギネスブックにも載っている日本の皇室については、日本の人が思う以上に世界で関心があり、忙しい日程をぬって世界各国からの要人が文字通り日本に集結します。

日本の皇室は、世界に類を見ない、少なくとも1,500年以上間違いなく続いているという、世界最古の王朝なのです。

歴史自体が長い国は、エジプトや中国、中東の国々にももちろんありますが、国号が変わらず、ひとつの国として突出して長い歴史を持つ国は、もうこれは日本以外にはありません。

そして、この一つの国としての貴重な歴史を紡いできた源泉が、間違いなく天皇と皇室なのです。

もちろん、天皇から政治や経済を「委託」されて権勢をふるった、いわば地上の権力者は、どの時代にもおりまして、古くは摂関家(藤原氏)やら、時代が下ってからは将軍家やその将軍家を補佐する立場ながら将軍位を上回る権力を手にした執権(得宗家)や、本来将軍の統括する幕府の出先機関に過ぎなかった九州探題やら関東管領、太宰少弐といった職種や職位自体が地場の豪族権力と結びついて強大な力を持ったりするということもありましたが、とにかく、全ての世俗の権力の源泉でありながら、その権力からは一定の距離をおいて、ひたすらに国民の安寧を祈る、祭祀者としての天皇という存在が、この国号日本という王朝の長寿を決定的にしました。

この、世界にほかにない、奇跡的な存在に対して、世界中の国々が、敬意と憧れを持って集まるのです。

さらに、今回の、上皇陛下から天皇陛下への「譲位」は、第119代光格天皇以来、約200年ぶりだったことも注目されています。

日本人にとっては、200年間というのは、まあその程度かという感覚ですが、例えば、アメリカ合衆国を例にしますと、その建国自体から250年経過していない、というような「普通の国々」にとりますと、ものすごいことなのです。

世界の外交の常識として、日本において本当は誰に会いたいか、ということになると、世界で唯一「Emperor」の称号を保っている天皇陛下、皇后陛下でありまして、総理大臣、衆参両議院の議長よりも、最高裁判所長官といった三権の長をはるかに超える、さらに周辺国の「国王」よりも、国の文化や宗教といった国のなりたち、文明そのものを代表しているという位置付けになるのです。

世界史を紐解けば、20世紀までは、たしかに20世紀まではドイツやオーストリア、エチオピアなどの国でエンペラーを名乗る地位がありましたが、現在、長い世界の歴史の中でずっとエンペラーであり続け、今も続くのは日本の天皇だけです。

海外においては、国民による下からの革命によって、王室や帝室が廃絶されることが少なくありませんでした。

しかしながら、70年前、日本の敗戦という、未曾有の国難に際して、昭和天皇は、進んでGHQに出向き、連合国最高司令官マッカーサーの度肝を抜き、そして戦争で焼け野原になった日本全国各地を進んで巡幸され、直接出向き、そして国民はそれを大いに歓迎し、感激したのです。

そのような、日本人が持っている奥深い伝統と慎ましい精神性を紡いでいく今回の即位の礼に出席し、その雰囲気を味わおうと世界の国々から人々が集うのです。

いち国民としても『即位礼正殿の儀』を厳かに迎えたいと思います。

こちらからは以上です。

(2019年10月20日 日曜日)

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(2019/10/19)物事を相対的に比較対象として見るために歴史を学ぶということについて書きます

2019年10月19日

(2019/10/19)物事を相対的に比較対象として見るために歴史を学ぶということについて書きます





おはようございます。

2019年10月の配信記事です。

MacのOSが新しいバージョンになり(macOS Catalina)、筆者が持っている3年落ちのMacについても、動きが非常に滑らかに「戻り」、非常に執筆環境が向上しました。

以前までは、OSを新しくすると古い端末ではスペックオーバーでうまく動かない、といったことが散見されましたが、最近のOSについては、PC端末も、タブレット端末も、スマホ端末も、全て歴代の機器全部に最適化されたバージョンを配信して囲い込みを図っているようで、これは良い傾向だと思っています。

端末というハードの性能を最大限引き出すソフトが継続的に提供され続ける、そのような環境にあることが、ユーザーの満足度を上げるほぼ唯一の方策だと思うわけです。

さて、そんなガジェットに関して言及してから本論に入りますが、やはり、物事を相対的に比較対象として見て、自分の立ち位置や考え方を明確にするためには、歴史に学ぶのが手っ取り早いと考えています。

そうして、歴史的事象を知る際に最もやってはいけないのは、「今の(多数派を占める)価値観」を無意識に過去の事象にあてはめて「解釈」してしまうことです。

例えば日本史を例にしますと、政治史は抗争と暗躍と政争と内乱と外患の連続であり、たかだか平和が続いたとしても数十年の「つかの間」に過ぎません。

しかしながら、これだけをもって、戦乱の世ばかりであった、みんな不幸せだった、というように結論づけるのは早計です。

その戦乱の合間合間に、政治史では登場しなかった「国を治めるための」文化や仕組みとしての「仏教」やら、「律令制」といった考え方、いわゆる新知識/イノベーションが入ってきて、そんなバイオレンスな日常の世の中に、大きな指針を与えていたのです。

日本の歴史を論ずるときには、歴史好きでもライト層でも何でもやっぱり、①戦国時代、②幕末明治維新、のこの2時代が大好きで、NHK大河ドラマなどはもう、この①②を交互に、それから(視聴率的なバランスに配慮して)東西に分かれて、持ち回りで開催しているといっても過言ではありません。

しかし、争いの経過を、例えば誰それと誰それが争って、誰が勝ったとか負けて滅亡したとか、そういう「事象面」だけにこだわっていては、それ以上の面白さにたどり着かないのです。

何で戦国最強の騎馬隊を有した甲斐信濃の武田家や、西国十数カ国を領有し、明らかに領土的成功では群を抜いていた西国の毛利家がおりながら、どうして彼らは尾張半国から始まった織田信長に敗れたのか、さらにその信長が天下統一(天下布武)、というバイオレンス・恐怖・イデオロギーの完成を見る前に突然殺されたのは何故なのか、その後そんな混乱をまとめた秀吉が、「征夷大将軍」という過去、鎌倉室町両幕府でワークした仕組みではなくて、藤原摂関家の後継の筆頭、近衛家の養子になるというウルトラCを駆使して太政大臣、そして関白太閤となり、その権威をもって100年続いた戦国時代を終了させる、という流れに至った理由とかに迫りたいわけです。

さらにさらに、日本列島内では戦争できないけれども当時世界最有力の軍事大国に成り上がってしまった(100年間内乱しまくっていれば自然とそうなる)ことをもって、かのチンギス・ハーンを模したアジア全土征服という、「信長様の夢」を見ちゃった秀吉による明国征服の手始めとしての朝鮮出兵など、確かにこの時代の動きは事象面を見ても目まぐるしく楽しいわけです。

ですが、それと同じように、では例えば奈良時代から平安時代にかけて、ゆっくりと、それまで一旦定めた大宝律令(701年)という天皇を中心とした、当時の世界最先進国「唐」を模した中央集権制度で国をまとめたはずが、どうにもうまく人民の(まだ国民という概念がない)「農地開発」のモチベーションを上げることができなかったことから、わずか40年あまりで、全く逆の「墾田永年私財法」(743年)による貴族私有制荘園システムが出来上がってしまうという、この、徹底した中央集権の原始共産主義からいきなりの何でもありの地方分権制の資本主義社会への転換というような、このなんとなく平和でさらーっと流してしまう時代においても、歴史の潮流とは、このように「急激」に変わるというのを知ると面白くてたまりません。

このように、日本の歴史は、さらに世界の歴史についても、ほんの数十年単位で、ころころ考え方の根本から変わるのです。

植民地獲得競争に、どうにも英国に先を越されてしまって国力が「相対的に」衰退した、と信じたフランス国民は、それまで徹底的に尊敬していたブルボン王朝の王様(ルイ16世)を、自らで「効率的な処刑方法」と考案したギロチンで殺して滅ぼしてしまう、という国の成り立ちや連続性としては破壊的・破滅的な、行き着くところまで行ってしまったことから、この、王権に変わる人間社会維持のよりどころ、として「自由」「人権」という思想を考案したわけです。

ですので、この時代の前に、「人権」という考え方はそれ自体、ありません。

奴隷もいたし、農奴もいましたし、魔女だっていました。

魔女裁判で火あぶりにしちゃったりしています。

それでも、こんな絶対王政による統治の方が、社会を安定的に運営する「システム」として有用であった、ということなのです。

そこに、そのフランス革命によってもたらされた「新思想」を当てはめて論じることがナンセンスなのです。

人権思想を言うのであれば、フランス国王ルイ十六世とその妃のマリー・アントワネット(こちらはオーストリア・ハプスグルグ家からの嫁入り)を人民側の熱狂と恐怖でギロチン(断頭台)に送った当時の人民たちこそ、王様に対しては人権思想のかけらもないわけで、そこが歴史の面白いところなのです。

しかし、彼らがそこまで振り切ってしまったからこそ、徹底的に極端な社会構造の変化を経験しちゃったからこそ、その上に新しい「考え方」が生まれて、王権が残った国々も、この「共和制」と折り合うための「立憲君主制」というこれまた悪魔的な考え方を編み出して、そしてそれをうまいこと適用していくわけです。

さらに時代を遡れば、実は古代ローマは「共和制」で始まり周囲の「蛮族」の王権と切り結びながら、イタリア半島を統一し、そして植民地をいくつか作ったところで、やっぱり植民地(属州)支配のためには事実上の王権、のほうが良かろう、でも王様はいやだから、「皇帝」なる地位を考案して適用しよう、ということでだんだんとそのような共和制から帝政への移行が起こったわけです。

古代中国の、漫画「キングダム」の時代も、たくさんの王国がある中で、それを一気に統一した秦の国王が、皇帝という概念を「創作」して始「皇帝」と名乗るわけです。

そして、その、これまでの「結構うまく行ってきた」共和制とのせめぎ合いの中で、決して、いきなりカエサル(シーザー)が、「今から帝政ね!」と宣言したわけではなく、彼は、事実上0代(零号機)のローマ皇帝だと言えますが、あくまで、「終身独裁官」という、臨時の、危急の時に設置される特別職、についていただけなのです。

初代(初号機)であるカエサルの養子のオクタヴィアヌス(アウグストゥス)が、その長い長い治世の中で、こっそりと、着実に、浸透させた制度が、ローマ皇帝位というわけです。

ですので、ローマ皇帝位の正式名称を読めばよくわかります。

オクタヴィアヌスさんの死後の最終的に固まった称号は次の通りです。

Imperator Caesar Divi Filius Augustus Pontifex maximus Tribuniciae potestatis XXXVII Imperator XXI Consul XIII Pater Patriae 
インペラートル・カエサル・ディーウィー・フィーリウス・アウグストゥス・ポンティフェクス・マクシムス・トゥリブニキアエ・ポテスタティス37・インペラートル21・コンスル13・パテル・パトリアエ
最高司令官、カエサル、神の子、尊厳なる者、最高神祇官、護民官職権行使37年、インペラトル歓呼21回、執政官当選13回、国家の父 

ここで「終身」とか「最高」とか「国家の父」とかいいますと何だか今の「常識」ではおそらく死ぬまでその「国家主席」という地位にいるでありましょう、隣国中華人民共和国の習近平氏とは違いまして、おそらく「無期限」「期限のない」、つまりいつでもその地位は元老院によって剥奪されうる、そのような「不安定」な地位であったと思われます。

「神の子」なんて、全世界11億人の現在のローマ・カトリックの方々からすれば、噴飯物の称号でしょうが、オクタヴィアヌスさんがなくなったのは紀元14年、でありますから、実は、全世界のキリスト教徒のみなさんからすれば衝撃でしょうが、こちらの彼の方が、「先輩」なのです。

「神の子」の先輩です。

しかも、最初の「最高司令官」、最後の「国家の父」より劣後するという、ちょっと残念な立ち位置です。

「無期限出場停止の処分」といってもいきなりそれが解除されていつのまにか対外試合ができることになる、どこかの芸能界や大学アマチュアスポーツチームの例を見るまでもないわけです。

これも、「現代の常識」で過去の事象を解釈してしまうことによる、大きな誤解だろうと思います。

多くの過去の事象に虚心坦懐に触れていき、「当時の人たちがどのように考えていたか」に忠実に忖度して考えるようにすると、現代という「結果」での考え方を過去「原因」に押し付けるという、おかしなことになってしまうと思います。

筆者の生きてきた、わずか45年程度においても、その始まりと2019年の現在では、価値観の違いというものは非常に埋めがたいものになっています。

本シリーズの次回では、筆者の生きてきた時代単位に絞って、その価値観の違いについて迫っていきたいと思います。

こちらからの本日の記事は以上です。

(2019年10月19日 土曜日)

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(2017/11/06)PKを外すことができるのはPKを蹴る勇気を持った者だけだとロベルト・バッジョは言った

2019年10月18日

(2019/10/18)45歳の誕生日に自分のこれからやりたいことや基本理念の棚卸しをしておきます

農林水産省サイトより引用





おはようございます。

2019年10月18日(金曜日)、本日をもちまして当方満45歳になりました生誕日記念の配信記事です。

もう最近のIT技術やSNSのテクノロジーはすごく発達しておりまして、筆者のところにも、この「誕生日おめでとう」というメッセージや通知やらが、昨年自分比+70%くらいの勢いでやってきております。

まことにありがとうございます。

一つ一つに返信ができておりませんことをこの場をお借りしてお詫び申し上げます。

さりながら、筆者は実は筆者の実母と誕生日が23歳違いで同じ、という非常に珍しい家系でありますので、朝、福岡市中央区で起きたすぐに、実家の北九州市八幡東区に電話をして、68歳になった母親におめでとうございますの意を伝え、お互いのこれからの健康を願い合いました。

さて、45歳という、四捨五入で50代、初老と言われるキリの良い年齢、時期に差し掛かってきたわけですが、最近心身ともに整えてきた成果も出てきており、いよいよこれから本気出す、という気概に満ちております。

一番変わったのは食生活でして、体重もおかげさまで66.0kgと、高校3年生卒業時+2.0kgまで落とす(元に戻す)ことに成功しました。

あくまでも体重減少は結果に過ぎないのですが、このために心がけたことは、とにかく、1日の0時から24時の間の「24時間」で、

3,000Kcal(キロカロリー)を消費する

というタスクを決めて実行してきたことが大きいです。

Fitbitという利用者の手首にリストバンド的に「装着」することにより「運動ログ」を取り込み、スマホのアプリで随時確認できる、という機器がありますが、このFitbitの最新版(2018年版「charge3」)においては、普段の表示をアナログ時計にすることができ、これはもう、普通の腕時計と同様に使うことができるということで非常に気に入っています(加えて50M防水性能であり、つけたまま風呂にも入れてプールで泳ぐこともできます)。

以前は、「歩数」「運動時間」「食事制限」といったブレの多く曖昧な「指標」を目標にしていたのですが、もう運動まるごと全て、言ってしまえば寝ていても消費される「キロカロリー」で運動総量をはかる方がはるかに客観的であろうというデータログ経緯実行至上主義の筆者としては、このキリの良い、1日3,000キロカロリー消費というタスクを毎日こなしていき、このキロカロリーの範囲内での「(適切な)暴飲暴食」に止めておけば、自然と体重の無駄な増加は防げるのではないかという「説」に従い、そして現在のところ非常に有用な「自分メソッド」となっております。

1日7,000キロカロリーの食物を摂取する、というラグビーワールドカップ日本代表のフォワードの選手たちや、大相撲の力士、また1日5,000キロカロリーを摂取しないと厳冬期の南極越冬隊の隊員としてやっていけない、といった過酷な環境にいる人たちは、体重を減らさないために、極度の「逆の節制」を自らに課して、1日5食の食事を取るわけですが、筆者のような、ほっとくと暴飲暴食の胃が大きいままの人間にすれば、「消費されるカロリー量」を決めてその逆算から食べる量を決めるというアプローチの方が良いようです。

なので、飲んだ日にはあえて歩いて帰宅したり、夜中のゴミ捨てついでに歩く、風呂で泳ぐことすらこなしてなんとかその日の24時までに3,000キロカロリー消費をクリアする、というタスクを課しているのです。

従いまして、これにより、「朝寝坊」「夜更かし」といったことも減りました。

朝寝坊すると、すでに午前中が終わらんとしているのに、消費カロリーがわずか数百カロリーということに陥ってしまい、ものすごいビハインドから始まります。

この喪失感は大きいです。

寝ている、もしくは部屋でごろごろしているだけの時間を過ごすと、だいたい消費カロリーは、「1分あたり1キロカロリー」ですので、1時間で60キロカロリー、仮に午前中寝過ごして、昼の12時に起きたとすれば、消費カロリーはわずか720キロカロリーなのです。

ここから、12時間で2,280キロカロリーを盛り返すのは容易なことではありません。

さらに面白いことに、このカロリー計算、当然に運動すれば消費カロリーが増えますが、どうも、「集中して勉強している」ことでもカロリー消費が増すのです。

劇的ではありませんが、これにより、なんらかアクティブに(精神的にも)活動していることをもって、カロリー目標をこなしていくことができると思えるようになったので、かえって読書やブログ記事制作作業に集中できるようになりました。

思わぬ効用があったわけです。

このように、自分の生命活動全般の目標を、「カロリー」という何でもカウント可能なものに置き換えて可視化
することにより、1日1日を、より大切に使うというか、仕事にしても遊びにしても飲み会にしても、キレよくメリハリをつけてやることができるようになったという気がしています。

本来の目標体重である、BMI22、高校3年卒業時の64Kgに向けて、これからが正念場ですが頑張って参りたいと思います。

以上が45歳にあたって考えたことです。

もうすぐ(あと55年くらいで)死にますので、そろそろ本気出していきたいと思います筆者からのこれからの抱負と心構えは以上です。

(2019年10月18日 金曜日)

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(2014/08/23)誰でも必ず持っている大切な日付である「誕生日」そのものを考察してみたというお話です

2019年10月17日

(2019/10/17)月額会費制の提携宿泊施設(ホテル)「泊まりたい放題」「住み放題」サービスという究極のサブスクリプションサービスをご紹介します

HafH(ハフ)の月額プラン



おはようございます。

2019年10月の働き方改革、暮らし方改革の最前線をレポートしようとする記事です。

月額制(サブスクリプション)サービスがいろいろ出てきております。

筆者も、食べ放題、飲み放題、コワーキングスペースの使い放題、といった様々なサブスクリプション(会費制)サービスを紹介してきましたが、今回、その究極の形になったのではないかと思われる「泊まりたい放題」「住み放題」サービスをご紹介します。

つまり、文字通り、世界中を飛び回って移動しながら仕事をしている、という人にとって、自前の「住居」すら月額制の会員プランとして、毎月定額で、全世界のゲストハウス・ホテル・宿泊施設コミュニティ「HafH」の提携施設が、泊まり放題となります。

インターネットさえば、どこでも仕事ができる職種や人たちが増えていく中で、いわゆる「フリーランス」や「ノマドワーカー」だけでなく、企業に勤める人もリモートワークやワーケーションを通じて「旅しながら働く」という暮らし方/過ごし方が選べる時代がやってきています。

そうしたニーズに対応するように、世界中の提携ホテルを、一月に「5日」「10日」「1ヶ月まるごと」使える月額会費制のサービスというわけです。

2019年10月時点において、この1ヶ月まるごとプラン、の料金は税込82,000円となっております。

賃貸で住むところを探し、旅行の時にはホテルを取る、というこの二つのキャッシュアウトポイントを、まとめて一つにしてしまったこのプラン、まさに、暮らしの中に旅を、旅の中に暮らしを取り入れ、旅するように働き、働くように旅する、こうした「地球を家とした」過ごし方の一つの提案として面白いものだと思います。

もちろん、自分の拠点をすでに持っている人が、でもその日常を少し変えていきたい、そんな場合は、「5日プラン」といった軽めのプランもあります(こちらは税込16,000円です)。

提携している宿泊先は全施設Wi-fi完備しており、長期旅行者の利用にもお勧めです。

現在の働き方や遊び方に、非常な変革を迫るこのサービスの動きにも注目していきたいと思います。

「ランチ食べ放題」サービスの紹介記事が、思わぬ反響を呼びましたので、二番煎じながら、同様の、さらに拡大したサービスを紹介してみました。

ご意見などありましたらよろしくお願いいたします。

こちらからは以上です。

(2019年10月17日 木曜日)

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(2019/10/14)月額定額制ランチ食べ放題ドリンク飲み放題という究極のサブスクリプションプランが福岡に上陸したのでレポートします

2019年10月16日

(2019/10/16)天皇位は天皇家の男系しか継いではいけないという不文律が定まった「継体天皇」即位の話です

神武天皇




おはようございます。

2019年10月の、久しぶりに書く歴史、それも日本古代史から現代まで一貫して続いている天皇位の話です。

天皇位は天皇家の男系しか継いではいけない、すなわち皇族に生まれなかった男性は、「絶対に」天皇にはなれない、なれても外戚として、天皇の母系の祖父までにしかなれません、という不文律が定まった「継体天皇」即位の話をします。

これは、大変な「男性差別」でもあります。

男女差別ではありません、男性差別です。

一見、天皇位は男性だけに開かれていると見る向きは、「女性差別」ではないか、と言ったりするのですが、さにあらず、女性は一般女性として生まれても、美智子皇太后および雅子皇后、紀子妃殿下の例を見るまでもなく、「皇籍」に入ることができます。

そして生まれた男子には当然に皇位継承権が生じます。

天皇の妃(皇后)にもなれるし、天皇の母にもなれるわけです。

しかしながら、これと決定的に反対に、日本において皇族ではない一般の男性として生まれてしまった以上、もう確実に、いかに権力を持ったとしても、経済的に豊かになろうとも、議会で絶対権力を握って授権法によってその議会自体を永久解散しても、首相になっても月に行ったとしても、それでも天皇には「絶対に」なれない、そういうことなのです。

世界中で最も権威があり、そして2019年10月時点で、唯一「King」でも「Queen」でもなく「Emperor」というラテン語由来の西洋言語で呼ばれる日本の「天皇(すめらみこと)」の位ですが、この日本において世界最長の期間続いている「王朝」は、言い伝えによりますと初代神武天皇即位から、ざっと、いわゆる「皇暦(こうれき)」神武天皇即位紀元2679年の長い時間にわたっているものです。

ちなみに、神武天皇即位紀元元年は、西暦(キリスト紀元)前660年です。

覚えやすいので覚えておいてください。

その重要な「皇位の先例」を作ったのが、この「継体天皇」即位の話ということになります。

『日本書紀』によれば、506年に武烈天皇が後嗣を定めずに崩御したため、大連(おおむらじ)である大伴金村(おおとものかなむら)、物部麁鹿火(もののべあらかひ)、大臣である巨勢男人(こせのおひと)ら有力豪族が協議し、越前にいた「応神天皇の5世の孫(相当遠い系譜)」の男大迹王(おおどおう)を迎えようとしたものの、疑念を持った男大迹王は河内馬飼首荒籠(かわちのうまかいのおびとあらこ)を使いに出し、大連大臣らの本意に間違いのないことを確かめて即位を決意したとされています。

そうして、翌年の507年、58歳にして河内国樟葉宮(くすばのみや)において即位し、武烈天皇の姉にあたる手白香皇女を皇后とし、即位19年後の526年にして初めて大倭(後の大和国)に入り、都を定めた、とあります。

ここで、当時の「大連」や「大臣」であった有力豪族たちの誰かが、「じゃあ私が天皇に」とはならずに、皆で協議して新しい天皇を迎えることにした、というところが、日本の国の形(統治のあり方や運営方法)としてとても面白いところであり、「応神天皇の5世の孫」という、相当遠い系譜であろうが、天皇位には天皇に連なる一族しかなれない、という「文化」「原則」が根付いていて、その方がよく国が治まるということを、当時の人たちは実体験として知っていたということになりましょう。

かつて強大な勢力を誇った「女王国」である邪馬台国においては、卑弥呼(ヒミコ)や壹与(イヨ)といった女性が神官として統合の象徴となり国を治めた、とありますが、そのやり方では「うまい統治の再現性」が図られないことがわかったこともあり、この、男系を立てる新しい天皇(すめらみこと)統治システムが持ち上がったのではないかと思われます。

その後、天皇家を政治的経済的には大きく凌ぐ権威を持つことになる蘇我氏や、その後の藤原氏においても、その一族の長者が娘を入台させることによって、天皇の外祖父(孫を天皇位につける)にはなれても、自らが天皇位を奪うといったことは(あえて)避けられたまま、時代はずっと下って現代に至ります。

その間、確かに、天皇位に迫った外部の人物として、弓削道鏡(天皇の愛人)、足利義満(天皇になろうとした将軍)、織田信長(第六天魔王)といった少しばかり「この枠」をはみ出た特殊な者も出るには出ましたが、日本においては、幸いにも、フランス革命のような「民衆が自ら王様をギロチンにかけて滅ぼす」といった活動的なことは起こらず、また逆に、活動的すぎた「天皇」であった後醍醐天皇の方を逆に吉野に放逐するなど、「天皇位」は、世俗の権力をむしろ遠ざけてひたすら権威としての存在を追求していった結果、こんなにも長い間、時の試練を経て、現在まで続いた、日本国が誇る「文化」「伝統」となりました。

天皇即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律によって、即位礼正殿の儀が行われる日の令和元年年(2019年)10月22日は、休日となります。

天皇陛下の即位が、滞りなく進むことと、皇室および日本国民の弥栄(いやさか)を祈りまして、筆を置かせていただきます。

こちらからは以上です。

(2019年10月16日 木曜日)

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(2016/08/24)天皇の生前退位(約200年ぶりの譲位)で憲法改正は必要か(憲法の勉強から天皇位の取り扱いについて)

2019年10月15日

(2019/10/15)「(サービス使い放題)サービス」に関する当職の現時点での見解を述べておくという記事です






おはようございます。

2019年10月の、「(サービス使い放題)サービス」に関して、先日アップしました2019/10/15付のこの記事に関して、多くの反響とご意見をいただきましたので、当職の現時点での見解を述べておきたく筆を取りました。

多くは、食べ放題とは画期的である、これめっちゃお得やん、という(ユーザーサイドからの好意的な)ものでしたが、一部の、普段より深く考える方々だと筆者が考えている方々からは、以下のような(事業者サイドにタッ他冷静かつ批判的な意見が寄せられました。

安売りで周辺店を潰してから独り占め、古典的な「やっちまうの?」に見えるのですが・・・何が画期的なのでしょうか? 域内全ての飲食従業員と食材供給業者に皺が寄るのに見合う効果って何なんでしょう?

考えてみますと、かつて福岡市では、「(実質的)白タク乗り放題」というサービスが、「社会実証実験」として実施され、そして突然に(国土交通省による指導により)終了した、という前例がございました。

本サービスが実施されたときに当方が書いた2015/02/11付配信記事はこちらです。

この「社会実証実験」については、UBERというライドシェアサービス業者が、資金力に任せてプロモーションと称して、大量の(実質的)白タクドライバーを急遽地元に「養成」して、実施したものです。

みんなのUBERにおけるライドシェア実験とは

UBER×産学連携機構九州=みんなのUBER
という枠組みで、あくまでも実証実験として、UBERが産学連携機構九州と組んで福岡市で実験をしたものですが、国土交通省により、無料での白タク事業であると「認定」され、禁止の指導が入ったという経緯があります。

その後、自動配車アプリによる既存タクシーの配車システムとして、DiDiなどのアプリが導入され、2019年10月現在では、既存タクシー会社の中にも本アプリでの配車システムを利用して配車の効率化やユーザーサービスの向上に取り組んでいる、という状況です。

タクシー配車アプリDiDiについての当方が書いた2019/07/03付配信記事はこちらです。

このように、あくまで、サービスの提供初期段階においては、既存のサービスとの摩擦(コンフリクト)は当然に生じることは間違いありません。

確かに、「無料」で、「白タク事業」を福岡市といった都心で展開されては、既存のタクシー業者としてはたまったものではなく、国土交通省といった規制当局としても、素人が個人タクシー業の認可もなく、運送契約類似行為を行わせては顧客の安全や道路の正常な利用が阻害されるという観点から規制(禁止)の措置を行ったというのも肯けます。

さて、今回の「定額食べ放題」については、今後どのような展開を見せるでしょうか。

明らかに、上限なしの「食べ飲み放題」になっていますから、顧客が殺到しますと、このサービスは、10円で仕入れたものを1円で売っている、というような状態になってしまい、その「費用負担」は当該定額制サービスを行っている会社が一義的には負担していることになります。

しかしながら、いつまでもそのような「赤字の」「運転資金」が続くわけはなく、どこかで、「1日一食一店舗限定」といった「まともな」サービスに収束することが「予想」されます。

さらに、この人口減少社会においては、「ランチ営業」というものの利ざやは非常に薄くなってきていることが「想定」されますので、外食業においても、「朝食限定」や「昼食限定」のメニューについては絞って単品営業として、実質的な人員配置の効率化や運営のスリム化を行うことで、必要なリソースを夕食や夜間の営業に振り向けようというインセンティブもあるのではないかと考えています。

24時間365日営業が「当然」であったコンビニエンスストアの営業にしても、FC(フランチャイズチェーン)の人手不足から見直しが起こっている、昨今の状況からすれば、今回の「定額制」サービスの「実験」により得られた知見を地域社会で還元すれば、より良い、客と事業者双方にとっての良い着地点が見つかるかもしれないと期待しております。

なお小職としましては、一時的にせよ、既存の、本サブスクリプションに参加していない、特に零細飲食業者に対するしわ寄せが行くことを踏まえて、できるだけ目配りしてそのようなお店の良いところを紹介するなり実際に利用してお金を落とすなりしていこうと思います。

定額制サービス全般につきまして、非常に冷静かつ本質的なご意見をいただきましたので、それに対する当方の見解を、かつて福岡市に上陸した「無料白タク」の経緯と比較しながら論じてみた記事は以上です。

(2019年10月15日 火曜日)

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(2019/10/14)月額定額制ランチ食べ放題ドリンク飲み放題という究極のサブスクリプションプランが福岡に上陸したのでレポートします

2019年10月14日

(2019/10/14)月額定額制ランチ食べ放題ドリンク飲み放題という究極のサブスクリプションプランが福岡に上陸したのでレポートします

八十八(やそはち)さん提供の定額制ランチサービス「おにぎり定食」4種類のお米のおにぎりが楽しめます




おはようございます。

2019年10月、月額定額制ランチ食べ放題ドリンク飲み放題という究極のサブスクリプションプランが福岡に上陸したのでレポートします。

always/lunch・always/drink(オールウェイズ・ランチ/ドリンク)という名のサービスで、福岡市のスタートアップ施設(旧「大名小学校」の南校舎を転用)である「福岡グロースネクスト(略称fgn)に入居している、イジゲン株式会社がリリースしたのです。

alwaysとは、
月額定額料金で登録してある店舗(2019年10月現在福岡市と京都市に対象店舗あり)のランチメニューについては、税別4,980円で、ドリンクメニューについては、月額税別2,000円で、1ヶ月食べ飲み放題となるという、画期的すぎるサービスです。

これは、街をそのまま社員食堂的に使いながら、少し足を伸ばしても対象店舗への人の流れを加速するという飲食業振興策の一環なのでしょうが、明らかに、運営側に取っては割に合わないので、今後のサービス継続については、顧客動向をみながらということになるのでしょうが、画期的であることは間違いありません。

最初から、「1日いずれかの店舗での一食限定」「1日いずれかの店舗での一杯限定」といった制限を付してしまうと、なかなか会員が増えないと踏んだのでしょう、なんと、どの店舗でも何回でも食べ飲み自由という破格の待遇で、一気にこのalways会員は増えてきているようです。

サービスのローンチ(提供開始)において、あえて細かくサービスを作り込むことを行わず、パイロット的に、プロモーション費用込みで、大判振る舞いを行っておくというマーケティング手法は、かのQRコード決済で大きく還元セールを行っているペイペイやLINE社の向こうを張った方法です。

地方のいちスタートアップが、地域や行政の助力を得て、地元飲食店を一気に繋ごうとするこの定額制ランチ/定額制ドリンクサービスが、新しい商流になることを期待しながら、平日の通勤昼食時に限らず、休日におけるおじさんの街歩きのインセンティブになることを期待しながら筆をおきたいと思います。

LUNCH プレスリリース(税別・4980円)https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000009.000045771.html

DRINK プレスリリース(税別・2000円)
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000008.000045771.html

それでは、ランチ限定食べ放題メニュー、「おにぎり定食」をいただきたいと思います。




大変美味しくいただきました。

こちらからは以上です。

(2019年10月14日 月曜日)

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(2015/05/18)毎年5月の恒例行事となっております潮干狩りに行って調理して食べた話

2019年10月13日

(2019/10/13)小学館学習まんがシリーズ「日本の歴史」は最良の鉄板受験勉強導入書であると強く推薦する記事です








おはようございます。

2019年10月の受験生コーチングに関する配信記事です。

小学館学習まんがシリーズ「日本の歴史」は最良の鉄板受験勉強導入書であると強く推薦する記事です。

中学受験、高校受験、大学受験全てに共通することなのですが、いわゆる日本史の問題について、質問をもらいました。

歴史的「出来事」一つ一つはきっちりと覚えているのですが(筆者と違って真面目な生徒さんですね)、その事象や出来事を古い順に並べ替える問題が苦手、というお問い合わせです。

出来事や事象を流れで覚えたいのですが、どのようなやり方が効果的でしょうか。

というご質問でした。

ああ、これこそ日本のスクール型講義型授業のやり方の最も良くないところだなあと思った次第です。

例えば、1年間の授業・講義時間をかけて、太古の旧石器時代から現代の平成の終わり(令和ですかそうですか)までをぶつぶつ切って細かくやっていくから、歴史のダイナミズムがわからないのです。

小学校で1回、中学校で1回、高校で1回、このように、たらたら流しても、学習は繰り返すものであるという「流れ」がわからないと実力はつかないでしょう。

そこで、筆者メソッドでは、「日本史まんが学習シリーズ」をまず通読すること、をお勧めしています。

そして、この漫画シリーズ、いろいろな出版社から出ていますが、筆者としては「小学館」の「学習漫画少年少女 日本の歴史 最新24巻セット」をお勧めしたいと思います。

このシリーズは、対象年齢こそ小学校高学年から、となっておりますが、率直に申し上げて、大学受験の日本史まで完璧にカバーしているといって過言ではありません。

大学受験で出題される日本史など、本格的な歴史好きからすれば、基本中の基本であり、もっと大切なのは、「どの時代のことも満遍なく知っていて穴がない」というのが受験対策上非常に重要であり、例えば邪馬台国の機内説と九州説の概説とそれぞれの弱点をのべよ的な問題は、たとえ東大の入試でも出ないわけです。

なぜならば、これこそが「大学以上」で実際に論理とプライドをぶつけ合いながら進めている歴史考古学の最先端研究課題なのでありまして、そのような「面白すぎる」アップトゥデイトな事象について、いちいち大学入試や高校入試などで問うて物議を醸したくないと考えているからです。

というわけで、この「日本の歴史」を通読しておけば、分厚い歴史の受験参考書を読みながら必死に暗記するけど事象ごとの前後関係がわからないという残念なことは避けられるというわけです。

さて、小学館の「日本の歴史」は、学習まんがシリーズ全体の老舗であり、定番の中の定版といえる作品です。

1981年という、昭和末期に刊行され、細かい改訂は行われていますが、大きい改変もなく、大人も安心して読める作品です。

最近の歴史物は、奇を衒った(てらった)新解釈やイデオロギーに基づいて記載されているものも多く、そのような「挑戦」も確かに大切なのですが、まず基本の型というものを身につけてからそういった発展形に進んでもらいたい筆者のような昭和生まれの保守派としては、この、古い昭和の香りがするテキストの感じがむしろ大切だと思います。

人物の描きわけ、画面の構図、それから歴史的事実の描写などは、残っている肖像画や絵巻物、近代になれば人物や風景の写真を参考にしており、高校で使うことになろう山川出版社の日本史や世界史の図録や教科書を見て、この小学館学習漫画のイラストと同じだ(本当は学習漫画のイラストがこれらの文献が参考に作られた)と思うようなことがたくさんあります。

受験ノウハウ漫画のドラゴン桜や、底辺学力から慶應義塾大学に合格して映画化もされた「ビリギャル」さんも、この学習漫画での歴史学習方法で学習を進めたといいますから、この方法は、筆者のみならず「再現可能性の高い」自信をもってお勧めできる学習方法だといえそうです。

実は、Kindle版として電子書式になっている無料版の「日本の歴史」を読んでみたのですが、改めてその完成度の高さと時代考証を加味した安定の解釈に驚き、ハマって読み耽ってしまいました。

ともに歴史の基礎を学んで、より最先端の歴史解釈を語り合いましょう。

歴史学徒が増えてくれれば本当に嬉しい歴史好きの筆者からは以上です。

(2019年10月13日 日曜日)

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(2019/08/18)日本の長い歴史においては動と静の波動を正確に理解しなければ正しい解釈が進まないと思っている話について

2019年10月12日

(2019/10/12)最大手コンビニ「セブンイレブン」の7iホールディングスの収益が好調であることに見る社会経済の本質について






おはようございます。

2019年10月の日本の経済社会に関する配信記事です。

国内最大手コンビニチェーン「セブンイレブン」を傘下に拡大中の7i(セブンアイ)ホールディングスの業績が好調です。

セブンイレブンといえば、直近のQR決済「セブンペイ」アプリの不具合による不正利用で使用中止に追い込まれたり、ネット通販事業の「オムニ」事業の停滞、さらには24時間365日無休営業を続けてきたFCオーナーたちが、人手不足に悲鳴を上げて休業時間を申し出るといった「逆境」が伝えられてきたように思うのですが、実際の収益面で見ますと、同社の2019年3月から8月の半期での連結営業利益は2,000億円超と、これは同社の最高益を更新した模様なのです。

人手不足が全国で強まり、そしてスマホ決済アプリ「セブンペイ」の不正利用問題も起こりその収束に時間も手間も取られたところ、逆に、全社的な広告宣伝費の見直しを行い、本部の経費を下げ、コストを抑え、そして国内外のコンビニ事業を順調に拡大させ店舗網を拡充した結果、これだけの利益を上げるという成果を上げました。

国内の同社コンビニ「セブンイレブン」の店舗数は、2019年8月末で実に21,030店となっており、沖縄県に初進出するなど、半年前から約160店純増させ、収益基盤の拡充に余念がありません。

このことは、マスコミなどで喧伝される各種問題点に対する「対策」を、コンビニチェーン本部で着実に実行し、悪い方向に行く予兆や前兆をできるだけ早期に取り除き、そして適切な対策を打っていくという、日本人の得意な「改善活動(通称カイゼン)」の賜物であろうと思います。

一朝一夕では確立できない、細かいコストを抑えつつ一定の収益や売り上げを見込めるように動く、このような各店舗の現場力の総計が、セブンイレブン全体のブランドを高め、そしてこの半年での2,000億円という巨額の営業利益を生んでいるのです。

しかしながら、こうした現場のコツコツとした努力の姿は、あまり華々しく宣伝されたり広報されたり新聞テレビで紹介されることもありません。

華々しい成果も大切ですが、それ以上に、普段の普通の「振る舞い」で大きな差がつくのであるということを改めて感じました。

それでは、まず細かいところから、次のバス停までは歩いてダイエット再開と行きたい筆者からのコメントは以上です。

(2019年10月12日 土曜日)

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(2018/11/12)いちおう証券アナリストの筆者が企業分析を語ってみようと思います

2019年10月11日

(2019/10/11)季節の最後に超強力な台風19号が東京千葉に接近上陸予定!命を守る備えと行動を!!





おはようございます。

2019年10月、季節の最後に超強力な台風19号が東京千葉に接近上陸予定という緊急ニュースです。

ちょうど一ヶ月前に、千葉県に長期間停電の被害等をもたらした台風15号をはるかに上回る強さと勢力を持った大型台風19号は、2019年10月11日15時現在、気象庁の発表によりますと八丈島の南南西約550キロメートルにあって、時速25キロメートルでゆっくりと北北西に進んでいます。

中心気圧は925ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は50メートル、最大瞬間風速は70メートルにもおよびます。

70メートルといいますと、看板や倒木はおろか、車も重機も「舞う」というレベルの猛烈な風というより空気の壁が襲いかかってきてあらゆるものを持ち上げて空に放り投げる、といった感覚が正しいので、絶対に外に出ないようにしてください。

飛んできた飛来物で怪我をしたり、打ち所が悪ければ死に至る状況です。

停電や、塩害、窓ガラスが飛来物により割れて飛散する、といった被害も予想されますので、網戸があれば締め切っておけば良いと思いますが、なければ養生テープを貼るなりの対応も必要になってくると思います。

台風15号の規模と、今回接近中の19号との差がわかる画像を付しておきます。





しかしながら、それでも、台風は、ある程度襲来が「予想」でき、その準備の時間が取れる自然災害です。

その意味では地震に比してははるかに「対処」する方法があります。

この前回の台風15号による千葉県房総半島の被害は大きなものであったことを考えますと、今回の台風19号については、できるだけの対策をしておくに越したことはないでしょう。

筆者の思い過ごしで終われば本当にいいのですが、これは、正直「とんでもないこと」になるのではと思っています。

東京での仲間や友人や親戚や親も心配ですし、その他いろいろどうなるのか、非常に不安に思っています。

何がどうなるかは、これからの推移次第でわかりませんが、あり得る「万が一」のときに備えて、できることを準備しておこうと思います。

ボランティアや災害救助など、一般人でもできることは本当に多いはずです。

もちろん、このようなことが杞憂となり、筆者の思い過ごしで終わることを願っておりますが、あえて、皆様の、特に関東地方のお友達やお知り合いのみなさんのご無事をお祈りいたします。

こちらからは以上です。

(2019年10月11日 金曜日)

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(2014/07/09)台風に注意する季節になりましたので注意点などを少し書いておきます

2019年10月10日

(2019/10/10)急速に変わりゆく世の中においては新しいものより変わらないものを見つけてこだわることの方が大切かもしれないという話をします






おはようございます。

2019年10月の技術やサービスの「革新」に関して述べたい配信記事です。

今日は、急速に変わりゆく世の中においては新しいものより変わらないものを見つけてこだわることの方が大切かもしれないという話をします。

テック企業を興して時価総額100兆円倶楽部(クラブ)に入った、そうですね、アップルとかアマゾンとかGoogleとかFacebookとかMicrosoftとか、そういった会社の創業者で巨万の富(保有している株式時価総額)を得た人たちに、人々は興味本位でよく質問をぶつけます。


  • 「あなたたちには未来が見えていたのですか?」
  • 「これから世界を変える新しいウェーブはなんですか?」
  • 「これからのゲームチェンジャーやチャンスはどういった分野ですか」


このように、過去の成功事例を「再現」できると考える人たちは、成功者に向かってこのような「後追い」の質問をしていきますが、聞かれた方も、よくわかっていないことが多い、答えを持ち合わせていないことが多いものです。

すなわち、みんな「将来」の「変化」のトレンドを知ることが重要だと思っているのですが、実は、人間社会における本当の価値で深く掘り下げていかなければならないものは、「過去」においても「現在」においても「将来」においても、おそらく「変わらないもの」であろうという「説」が提唱されるのです。

人は必ず死ぬとか、神はいるのかいないのか、とか、人間には教育が大切だろうとか、そういった、古くから変わっていないように思われる「価値」を大切にしたほうが、トレンドによって、またマーケットや市場の力学や人間の不可解な行動原理によって変わりゆく「トレンド」を予想して追いかけるよりも、何が変わらないかを深く考え、そこに拘ったものに、時間やカネや人材を投入投資しつづけることはできるし成功の可能性や確率も高いであろうという考え方です。

アマゾン、という1994年にガレージの片隅で生まれ出た会社は、創業以来、一貫して、そのブランドの価値体現の最上位に、「タイムリーでローコストな直接配送」という非常に単純かつ明快な理念を置いていることは間違いありません。

おそらく、今後の(インターネット)ショッピングの顧客としても、配送の遅延や割高な商品配送費用は好まないと思われるので、この「不変の」ニーズにしたがって、アマゾンは、上げているその巨大な利益を、その配送コストセーブとクイック配送運用進化のため、時間と金を惜しまず再投資を続けて、巨大な配送センターやら人力に変わるロボット配送システムなどの巨額なプロジェクトを推し進め、他の顧客のIT開発ニーズに応えるために、ひたすら高性能のサーバーを格納したデーターセンターをアリゾナやアラスカの広大な砂漠や氷原あたりに建設し続けて、世界最高品質のクラウドサービス(AWS)を展開し続けているわけです。

その変わらない、求められる価値に最も時間と金と熱意を注ぎ続けた結果、アマゾンはオンラインマーケットの王者という現在の地位を得たわけですが、これは彼らを上回る「不変の価値」への熱意を持った者が現れた時には容易に覆されうるということでもあるのです。

ライバルは自分自身、アマゾンやアップル、Googleといった会社の創業者や幹部は、このように常に自省し、心を整え、そうして自らが信じる「変わらないもの」に対する貢献を誓うのです。

始皇帝が将来をかけて拘った不老不死とか(こだわるあまり毒性の強い水銀入りの丸薬飲んで却って命を縮めたという説もあります)、日本史上における最大のタブーである「皇位簒奪」に挑戦した弓削道鏡や足利義満や織田信長、といった歴史の出来事に少しでも学ぶこと、それから孫子の兵法といった戦略が今だに現代の経営指南書のトップに来るような、そのような「(複雑という意味では)不変の」人類社会に生きているという「実感」を大切にしながら、日々を大切に(死ぬまで)生きていきたいと思います。

このたび使っている数年落ちのMacBook(PC)のOS(macOS)のバージョンが上がり(macOS Catalina)、非常に打ち込みが快適になったことで、Appleデバイスに対するロイヤリティがまた増しました筆者からのコメントは以上です。

(2019年10月10日 木曜日)

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(2015/02/23)不老不死を願い続けた始皇帝が最後に葬られた死後の都始皇帝陵を語る(一度しかない人生)

2019年10月9日

(2019/10/09)セミナーや講演会の講義講演発表の後の質疑応答が全くそわそわするだけで何もなく終わる現象に名前をつけたいという話です







おはようございます。

2019年10月のセミナーという名の人間活動に関するファシリテート(会議進行)に関する意見配信記事です。

筆者も、かような「講演」をする場合がありますが、こうしたセミナーにおいて、登壇者が用意していた発表を一通り終えた後、どうあがいても質疑応答が全く盛り上がらず、司会者や進行者も助け舟(必要なファシリテート)も期待できずに、「質疑応答の場」なるエアな時間が10数秒流れて唐突に会自体が終わる、あの謎現象のことです。

質疑応答から、本当のリアルな討議の場が始まると思っているのですが、それなければ、YouTubeで講師側の動画を一方的に配信しておけば良いだけだと思うのですが、それでも、講師側の話を聞いた後の直後にもかかわらず、だれも手を上げないし発言もないというのが、とても講師側にはこたえます。

そして、そんな沈黙の場を切り裂くように、司会者が裁定を下します。

「散会」と。

そして、「散会」してからが、長ーい名刺交換に来られる人たちと「個別」に話す時間が流れます。

ここで、個別に質問を受けることも多く、これは、マジで苦痛です。

そして、それぞれがそれぞれの質問をしている後ろで、名刺をひたすら交換したい人がただ待っている、という図が展開されます。

筆者が講師の場合、すでにこのようなことは「予定」されているので、名刺は最初に配るようにしております。

そうすると、結局車座のようになって、聴衆のほんの一部ですが、「まとめて」質疑応答する「ミニ版」ができるのでなんとかなるのですが、その辺りのファシリテートをしてもらいたい司会者や後詰の方々は、なんだかいそいそと会場の片付けなどをやっている、といった感じでどうもすれ違っている感じがしてならないのです。

ですので、筆者が司会者側や聴衆側である時には、司会者として、一つ二つ質問を、サクラとして持っておき、沈黙が流れるようならば「擬制的に」質疑応答がなされた、ということにして終わるようにしています。

偽りの討論でも、ないよりはマシ、という判断です。

この現象が、筆者の知る限りにおいて最大限度に「展開」されたのが、かつて福岡の地に、ノーベル平和賞を受賞したかの有名なマイクロファイナンスのムハマド・ユヌス氏を招いて行われた1,000人規模のセミナーでした。

その氏はさすがノーベル賞、大変ユニークかつ興味深いお話をされたのです。

そして、VIPにはめずらしく、さらに加えて講演後にその場にしばらくとどまってくれたのにもかかわらず、敬虔で慎み深い日本人のみなさん(筆者は除く)は、時間通りに真面目に聴講にやってきて話を聞いたあと、実に静かに1,000人もの日本人男女のみなさんは、一糸乱れず整然と、講演が終わったらそのまま整然と出口に向かって一斉に移動し退出していったのです。

おいおい、ユヌスさんまだいるのにって。

この点、講演には実に数十分遅れてやってきて、端っこのほうで立ち見をしていた筆者でしたが、折角ステージにいたままで、むしろ所在なげにぽつねんとしているように見えたノーベル平和賞ムハマド・ユヌス氏に向かって、これは「可哀想だ」と思い大股に歩み寄り、Welcome to Fukuoka! Haha! などといいながら手を差し出しガッチリ握手をしました。

誰かが動けば世界が変わる、というではありませんか。

彼はにっこりと笑いました。

筆者には、この凍りついた場を溶かしてくれてありがとう、と言っているように読み取りました。

そうすると、それを見ていた十数人の、(筆者などよりはるかにユヌス師に私淑しているであろう)人々が筆者の後ろにビタっと並んだのです。

そうして地元テレビ局や西日本新聞社のインタビューも始まったのです。

筆者は、そんな場作りに成功したことを奇貨としまして、さっとユヌス氏を後ろの人に譲り、そして周りのスタッフや大学教授と少しだけ談笑し、盛り上がるユヌス氏の周りを見ながら会場を後にしました。

ですので、この現象には、「ユヌス問題」という名前を付けたいと思います。

ノーベル平和賞という、尊敬すべき相手に対し、誰も相手をしないという「遠慮」が「不作法」まで沸騰してしまいそうな危機的状況を、大げさに申し上げるならば、遅れてきて脇で見ていただけの筆者が救ったわけなのでした。

筆者以外の大多数の聴衆は、過度に自己主張することによる反発を防ぐために一歩下がるという謙譲の美徳をお持ちだったわけですが、これは裏返すと自ら目立って余計な責任を負いたくないという自己防衛と紙一重なのです。

みなさんの周りにも、多くの「ユヌス問題」が転がっていることと思います。

そういう時には、一瞬の勇気で場の空気を変えましょう。

ここが思案のしどころです。

いつもぶらぶらしておりますが、こうした瞬間を見逃さない社会や組織の潤滑油でありたいと考えております筆者からのコメントは以上です。

(2019年10月9日 水曜日)

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(2014/06/16)せっかくの機会なのだから聞きたいことがあるなら一番に手を挙げようという話です

2019年10月8日

(2019/10/08)自学する環境を整備して学習者の心を整えるようにすれば自ずと学力はついてくるものであるという話です





おはようございます。

2019年10月の、人間はわりと簡単に変わるという配信記事です。

住まなくなった「家」は、急速に埃まみれになり傷んでいくものです。

これは、よほどのゴミ屋敷でない限り、人間が生きて中に住んでいることで、知らず知らずのうちに必要な機器設備の「更新」および「メンテナンス」を習慣づけてやっていることで、家の美観や効用は保たれるというものです。

トイレやキッチン、風呂や洗面台、といったファシリティ機能は、適度に使われないと急速に劣化します。

筆者も、ビルメンテナンス業、という建物「設備」管理業務に従事していた時期もありましたので(その時のブログ名が「ビルメン王に俺はなる!」でした)、よくわかるのですが、たとえ新築ビルでも、そこに設置されているエレベーターやエスカレーターの中で、テナント構成上「使用しない」ようになってしまったこれらの重設備については、再稼働するときにはよほど慎重にしないと、まず、そのまま稼働することはありません。

このように、日々、まを置いて反復しながら使い続ける、というのは、人間の体のあらゆる部位についてもそうで、適度なエクササイズを繰り返さないと、心も身体もなまってしまい、元の状態に戻るのに時間がかかるのは道理です。

実は、これに近い言葉を、フランスのピアニスト、アルフレッド・コルトー(1877-1962)という人が残しておりまして、曰く、


  • 1日練習しなければ自分に分かる。
  • 2日練習しなければ批評家に分かる。
  • 3日練習しなければ聴衆に分かる。


という名言が有名ですが、「毎日休まず必死に練習に打ち込みむべきだ」とは言っておらず、同時に、


  • 午前中を中心に5時間以内の練習をするように


という言葉も残しています。

つまり、練習すればするほど効果がある、というわけではなく、きっちり時間を、それもできるだけ朝から午前中のうちに、決めて打ち込むことの大切さを強調しているのです。

さらに、一般素人にも響くであろう、ピアノの歴史的達人として名高い、コルトーに影響を受けた後輩の、かの有名なピアニストのフレデリック・ショパンは


  • ピアノは1日3時間で、疲れたらその都度休むように


という言葉を残し、時間を決めて練習する事と同時に、適宜休息をとって練習を行うことが大切だと説いています。

さて、この点身体とともに最もエネルギーを使う、脳の体操である「学習」についても全く同じことが言えます。

一番大切なのは、学習する「時間」と「集中できる場所」を確保して、整えることです。

ガリガリやるのではなく、きちんと時間場所を整える、これが間を置いた反復という学習習慣を続けるために最も大切な仕組みであり取り決めです。

そして、学習者本人の周りにいる保護者や家族ができることは、とてもたくさんあります。

別段、本人がやっている勉強自体の内容に深く関わりコミットすることが必要なのではありません。

出すぎないように気をつけながら、環境や時間について、学習者本人を応援できるところを見つけてサポートしく姿勢を見せるだけで十分だと思います。

一番は、学習者本人が集中できる「時間」と「場所(空間)」の整備です。

事業にも学習にも、「構え」が重要です。

その構えが取れるようになるための集中する「場」の整備がとても大切なのです。

もちろん、学習者本人は大学合格や高校合格といった目標に向かって努力するわけですが、こうした目標への道程を通じた「学び方そのもの」を体得していることが、その後の大学生活、高校生活、そして自ら稼いで社会の構成員となっていく社会人への準備となっているということです。

世のいわゆる受験生を持つご家族や保護者の方々には、本人が集中できるように、引き続き生活習慣を整え、早寝早起きで健康に過ごしていただけるよう目配りをお願いします。

なぜ早寝早起きが良いのか、という点ですが、人間は起きて何時間経過したところが一番集中しているかということを調べてみますと、「4時間〜5時間後から」という結果が出ています。

ということになりますと、受験日当日(もしくは模試の当日)、例えば一番頭を使う超絶難解言語の長文が課される「国語」の試験が9時に始まるとすれば、朝5時には起きていたい、ということになるわけで、こうした「習慣」の力は本番での準備としてあまり大手の受験塾や予備校などでは教えていないところなどが、当方として敢えて申し上げておきたい「ノウハウ」になります。

筆者もよく知っている、大手塾の講師や担当者に尋ねてヒアリングした結果においても、夜型は朝型にかなわない、というのは(合格)実績でもかなり明確に証明されているけれども、それでも「塾の(受講料が取れる)カリキュラムの都合上」夜型の授業や自習をやめられない、というジレンマがあるわけです。

この点、「学習」の本質は個別の「自学」であると決めてしまえば、夜は早く寝て、朝スッキリ起きて先に勉強にとりかかるように(オンラインなどを通じて)「指導」することができますが、夜遅くまで続ける駅前塾などに行かせてしまうと必ず夜中の夕食になったりして、朝は寝坊がちになり、そのうち胃もたれもして精力減退し、頭もぼーっとして、そのうちインフルエンザにかかったりして気が滅入ったりします。

このような「やり過ぎ」のリスクや危険に十分注意しながら、まずは心と身体を整え、習慣や場作りを通じて学習の「形・型」を整えること、から始めていきたいと思っています。

飲み会や懇親会の場作りは得意な筆者からのコメントは以上です。

(2019年10月8日 火曜日)

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(2019/07/05)小中高教育においてはもっと「自学」の時間を正規の授業時間で取るべきだと強く主張したい話です

2019年10月7日

(2019/10/07)大手経済新聞社の社説に載っていた金利も支払えない「ゾンビ企業」に関して思ったことを書いておきます(後日振り返っておくべき記事))

学級新聞は軽減税率対象外です(週2回以上を紙で配達してもらう定期購読に該当しないため)(注)





おはようございます。

2019年10月の日本経済に関する大手経済新聞社の社説に載っていた、銀行に金利も支払えない、いわゆる「ゾンビ企業」に関して思ったことを書いておきます。

日銀が主導する、超金融緩和(マイナス金利)の持続により、売上高1,000億円を誇るような優良企業に対する貸出金利は、ついに0.1%を割る水準までやってきたという事例の紹介から、この超低金利環境の長期化が、こうした優良企業の過度な金利引き下げ競争を呼び起こし、銀行の収益悪化に拍車をかけている、さらに、生産性の低い企業でも生き延びてしまう、健全な新陳代謝が図られない、といった銀行業界の「声」を取材して取り上げています。


  • 「親分の日銀が金利を下げ続けてきたから、貸出金利で十分な利ざやを得られず収益不調」


ということなのでしょうが、さらに、現状では、ほとんど0%という金利でお金が借りられる状況においては、事業計画もそういう甘い条件を前提にしたものとなっている、という地方銀行幹部の言葉を挙げて、要するに少しでも金利が上がれば途端に立ち行かなくなる脆弱な企業がはびこっている、このような長期化する金融緩和であふれた資金が本来は退出を迫られるべき「ゾンビ企業」を甘やかしているとも言える、と(独自の)論を進めます。

それを一般化し、人口減少社会における労働者数の絶対数は減る一方であり、企業の生産性を高められなければ、経済の維持は期待できないところ、金融緩和長期化の一番の問題は、銀行の経営体力を奪っていることではなく、生産性を高める役割を担うべき「企業」の足腰が弱まっていることが本質的な問題点である、として結んでいます。

さて、この記事の責任者である「日本経済新聞 経済部 亀井勝司さん(将来、この出典の検索を容易にするために記すものです)」および同紙編集部の皆様に今度はこちらから申し上げたいのですが、

  • ほとんど0%という金利でお金が借りられる状況においては、事業計画もそういう甘い条件を前提にしたものとなっている
  • 長期化する金融緩和であふれた資金が本来は退出を迫られるべき「ゾンビ企業」を甘やかしている

というコメントなどに示される、銀行様に金利も支払えない企業など、存在意義もないとでも言わんばかりの論調、素晴らしく拝読したのですが、それでは、


  • ほとんど0%という金利で預金が集まる状況においては、事業計画もそういう甘い条件を前提にしたものとなっている
  • 長期化する金融緩和であふれた資金が本来は退出を迫られるべき「ゾンビ銀行」を甘やかしている


ということも同様に、等しく言っていただかないと衡平ではないと思います。

銀行も、当然に論じているところの「企業」の一つであり、本来「世の経済の役に立たない」のならば経済の舞台から退出を迫られるべきなのです。

さらに、この記事を書いている「新聞社」も当然に企業の一つであり、これもまた「世の経済の役に立たない」のであれば早急に退出すべきなのです。

経済記事を書くときに、自身や直接取材した者のことを無意識に外す、というのは客観的な立場を非常に危うくします。

こうした(あくまで筆者視点で)粗悪で、当方ブログの記事ネタくらいにしかならない「論説」を読むために、月額数千円にも上る購読料を支払っていると思うと、そんな自分の愚かさ含めて慚愧に堪えません。

預金金融機関という特権や再販制度といった既得権益を長期間浴び続けていると、この銀行、それから、この記事を編集した新聞社のような、偉そうに論じて自分のことは関係ない、というズレた残念な感覚に簡単に転ぶという好例なのかもしれませんが、この新聞社こそ、特に軽減税率で守られないと滅ぶという業界ならであればなおさら、まとめてさっさと退場すべきかと思います。

こちらからは以上です。

  • (注)当該ブログ通信のような、インターネットを通じて配信する電子版の新聞は、電気通信回線を介して行われる役務の提供である「電気通信利用役務の提供」に該当し、「新聞の譲渡」に該当しないことから、軽減税率の適用対象となりません(消法2①八の三)。 出所:国税庁

(2019年10月7日 月曜日)

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(2019/02/03)死んだじいちゃんが生前言っていた「卑しいことはするな」を簡単に一文にまとめましたので披瀝します

2019年10月6日

(2019/10/06)筆者が毎日ほそぼそとこのブログを続けていて今後も続けるであろう理由について

筆者近影(イメージ)






おはようございます。

2019年10月のブログ記事そのものに関する書いている人の心境に迫るという記事です。

ブログはなぜ続けているのか、ということを自分で考えた場合、もうこれは食事後にやる歯磨きとか、起きてすぐトイレに行って顔を洗うとか、その他疲れて帰ってきたら一杯ビールをあおるか、とかスッキリ風呂に入ってゆっくりしたいとか洗濯しなきゃとか、そういった、毎日やっている「習慣」になったということなんだろうと思っています。

自分が普段思っていることや、ビジネス社会(ビルメン業やシェアリングエコノミーの業界)や趣味の世界(歴史談義など)に関する情報を発信していると、外部を含む関係者や趣味を同じくする人たちと「コストを下げて」話す、コミュニケーションすることで関係を作ることができるというのが、あえて書き出すと「メリット」ということになりますが、これは先に「メリットがあるから」「毎日ブログを書くねば」というネバネバ論になると非常に苦しくなります。

ですので、何かのネットワークを構築しなければならない、というより、自分との対話、自分の心を整えるということから始めた方が、結果としてブログも長く続くような気がします。

そして、書いたことは、意外に早々に忘れます。

筆者も、2013年の8月中旬から、原則毎日1記事、ずっとアップしているわけですが、もうほとんどの記事を書いたことを一旦、というか完全に「忘れて」います。

「思い出せない」のではなく、完全に「忘れている」というのは凄くて、何年何ヶ月後で読み返してみても、「こんなの書いたっけ?」と思うようなものばかりです。

これを、読者のみなさんが、例えばその中でもちょっとだけ人気で読んでくれるものがあれば、フェイスブックなどのSNSでいいね、がついたりその記事を読んでの「感想」というものが返ってくることもあり、これは自分の書いたものとはいえ、新しい発見に等しく、それはもう非常に嬉しいものです。

この、ゆるやかな外とのつながりというのが、ビジネスパーソンに限らず、人間力を広げて多種多様な世界観や価値観に触れる、一番手っ取り早い方法なのかもしれません。

筆者は、このブログやSNSを通じて知り合い、実際に会ったこともある友人知人たちが、それこそ世界のあらゆるところ(シンガポールとかフィリピンのセブ、タイのバンコクやジョージアのトリビシとかトルコのイスタンブールとかチェコのプラハとか)に出かけて行って、そこでまた面白い体験やら知見を知らせてくれる、このような壮大なマインドシェアの使い方がとても面白いと思っています。

これも、ヨーロッパには実際行ったこともないくせに、ヨーロッパの歴史経済について、例えば「モン・サンミシェルってすごいねー」(筆者は厳島神社しか行ったことがない)などと気の向くまま趣味のまま語っていたから起こることであり、気持ちも楽で、何何せねばならない、というネバネバ秒からも遠いところにいて自分の仕事ややることに集中することができる、一番の方策ではないかとすら思っているのです。

よく寝て頭と身体をすっきり休めないと、いい仕事、生産性の高い仕事は望めません。

ブログは、このような睡眠や体操と同じように、頭の体操となり、よい習慣として、筆者という、そこそこサボりがちな人間の幅を少しだけ広げる手助けになる「習慣」なのかもしれません。

これが、筆者がブログを続ける理由の一つになります。

理由の二つ目は、これで大儲けできたらいいなあ、というものですが、あまりにも書き出すのがダサい考えでありますので、そっと後日削除しておこうと思います。

それでは、ブログ読んでると言われると記事のハードルが上がって書けなくなる「説」の筆者からは以上です。

(2019年10月6日 日曜日)

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(2019/09/27)ものごとは努力によって解決されない「こともある」ということを知っておくべきという話です

2019年10月5日

(2019/10/05)三菱商事の海外子会社の345億円損失に見る人を雇うことについての大きすぎるリスクについて

不正取引





おはようございます。

2019年10月の国際経済に関する配信記事です。

日本の総合商社首位の三菱商事が、2019年9月に同社シンガポール石油関連子会社「ペトロダイヤモンド・シンガポール」において約3億2000万ドル(約345億円)もの損失が発生することを発表しました。

これは、現地の中国籍の社員が(すでに解雇と刑事告訴)、顧客との取引にはない(相手のない自己勘定の取引)原油先物取引やデリバティブ取引(金融派生商品取引)を繰り返し、取ったポジションの「価値」が急速に下落して結果として損失が膨らんだというものです。

不正を起こして会社に巨額の不正による損失を被らせた社員は、2018年11月に同社に入社した中国国籍の男であり、中国法人顧客との原油取引を担当していたとのことです。

そして、入社後まもなくして、2019年1月頃から、顧客との取引とは全く関係ないデリバティブ取引を開始し、原油相場の見通しを見誤った2019年6月頃から急速にポジションの含み損を悪化させたということです。

こうして、2019年8月に元社員が欠勤することとなった際に、担当する取引を調査し不正と巨額の損失が明るみに出たというものです。

当該社員を2019年9月18日付で解雇し、翌日の9月19日付にて刑事告訴しましたが、このような巨額の損失を一個人が弁償できるわけもなく、結局、損失は当該海外会社、ひいては親会社である日本の総合商社首位、三菱商事(の株主)が支払うということになったわけです。

ちなみに関西経済界の重鎮である関西電力の歴代役員に繰り返し支給された菓子付き金の延べ棒や高級スーツお仕立券といった、ただれた残念な関係にしろ、海外子会社の一担当者が数百億円の損失をわずか数ヶ月で出してしまうことにしろ、会社の持ち主である株主からはえらく遠いところで簡単に会社自体の信用は毀損されるものなのです。

これを、代理人(エージェンシー)コスト、と呼ぶ場合があります。

会社の株主(持ち主)として、代理人(経営者)やその会社の従業員(雇用者)に仕事を任せることは一般的なのですが、この所有者と代理人では絶対に利害関係の不一致点があり、その解消をめざすための「エージェンシーコスト」は組織運営上避けられないコストなのです。

このエージェンシーコストというのは、人類社会が最高度に巨大化させた組織機構の一つである「国家」の運営においても非常に当てはまる考え方であり、憲法の制定から普通選挙の実施による議員(代議士)の選出、その議会の責任において構成される内閣といった国家統治機構の成り立ちや、そもそも「人権」という考え方そのものすら、巨大な「エージェンシーコスト」となっているわけです。

組織構成員の大多数がそれで良いと判断するものでも奪えない個人が個人として尊厳を保つための権利、というものを、基本的人権として保証して、どのような権力(たとえ他人の人権をもってしても)奪えない、としている決め事なのです。

会社組織という利益共同体における運営にも、このエージェンシーコストの考え方は非常に重要になります。

会社のブランド、として、上述のような「危ない」取引はしないようにしてきた、というのが社歴が長い名門企業の誇りとするところでありそれがブランドとなるわけですが、急速に拡大する組織マネジメントに綻び(ほころび)が出たまま放置すると、時にとんでもないことが起こってしまうという教訓でもあるのです。

本日は、エージェンシーコストというものの事例を見ながら組織運営について考えてみました。

全能の運営者になり得ない以上、人間は「分業」という技を駆使してこれだけの世界、国際社会を作ってきました。

そのベースにあるものが、「信頼」であり、どのような競争環境に置かれていても、その上でお互いの立場や考えを「尊重する」ということが今後も絶対に必要となってくるでしょう。

日頃のマネジメントの工夫によりエージェンシーコストを適切なものに限ることは可能であると思いますので、なかなかできておりませんが言われた側になって考えるということは必要だと自戒を込めて書いておきます。

こちらからは以上です。

(2019年10月5日 土曜日)

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(2019/07/17)仮想通貨取引所を運営するビットポイントジャパンが約30億円相当の仮想通貨の不正流出を発表

2019年10月4日

(2019/10/04)関西電力「2019金の延べ棒入り菓子箱事件」を題材に世界の中の日本経済界の課題を洗い出してみようという記事です

黒四(黒部第四ダム)建設記念碑(黒部ダム公式ページより)




おはようございます。

2019年10月の世界と日本経済のトピックを紹介しながら定点経済観測記事を行うという記事です。

徒然なるままに書いておきます。

中之島の関西電力旧本社の玄関に、かつてあった黒部第四ダム(黒四ダム)の現場をかたどったモニュメントがありました。

これは、関西電力がその総力をかけて取り組み、関西産業界への増大する電力供給を成し遂げた、黒四ダム建設を記念したモニュメントです。

キャタピラの轍(わだち)、作業靴の足跡、そこに投入された延べ1,000万人の工員たちの血と汗と涙の結晶です。

そんな尊敬するご先祖様と先達、先輩を持っているはずの現在の日本では「関電金貨まんじゅう(2019金の延べ棒入り菓子箱事件)」が話題となっておりますが、かの昔に「総会屋」として名を馳せた存在の最終ボス的な存在が、地方公共団体の助役として白日のもとに晒されたという感じがあり非常に味わい深いです。

どうして、関西経済界の最重鎮である関西電力の経営を預かるような方々が、このようなたかだか百万円〜数千万円程度のお金に転ぶのか、数千円のお小遣いの筆者にはわかりかねますが、本質的には日本のパワーエリート(Powerelite)層の報酬が安すぎるというところに根源的な問題があるのではないかと考えています。

関西電力という大組織にあっても、報酬レベルでは大したことのない取締役とか執行役員などが大量にいるボード(経営会議、取締役会、執行役員会議)である、やっている仕事には代わりはないのに、部長とか本部長とか担当執行役員とか担当常務執行役員とか、やたらめったらレイヤーが多く、中二階を積み上げながら、運動会では絶滅危惧種となった七段ピラミッドのようなミルクレープも驚きの重層組織構造を見せているのが日本のPowerエリート組織の特徴になっているという「説」です。

そして、能力というより、コネと毛並みとおべんちゃら、で、ところてんのような押し出しファイリング方式で順繰りに仲良くポジションをシェアしながら当該幹部社員は同じ会社内で「出世」していくので、最初に運良く(能力ではない)執行役員になれるのが、満年齢で実に53才程度という、もう大卒ストレートで入った22歳からでもざっと30年間を、おんなじ組織でぐるぐる回りながらゆっくり階段を登っていくわけですから、それはだいぶ感覚も「ズレ」ていく「おっさん」が出来上がっている、というのは間違いないところなのではないでしょうか。

そして、競争相手といえば、同期を中心としたプロパー社員の2〜3年レンジでどんぐりの背比べをするわけですが、本質的に大卒で集められた時に有意な教育上の差異がなく(東大とか京大とか出ていても所詮受験勉強が得意であったことが推定されるだけの所詮素人)、その後組織の中でのまともなビジネス教育や管理職という責任のある修羅場を経験することはほとんどないので、つまり能力や組織人としての実績で差異をつけることができずに、コネと毛並みと組織遊泳術だけが競争優位となった世界になってしまうわけです。

そんな中、それなりに剪定が進んだけれども、それでも無駄にうようよいる役員陣の中にまぎれこんだものの、そもそもの組織の収益性がそんなに高くないので、多すぎるマネジメント陣を満足させる報酬額を出すことができないのです。

流石に株主という外部の目もあります。

ここで、普通のグローバル組織であれば、例えば10人いる取締役を3人にして、その3人の報酬をそれぞれ3倍にすればいいだけなのですが、そして、その7人をリストラする基準は、当然に「業務遂行能力」ということになるのですが、日本のこうしたパワーエリート型上場企業においては、その肝心の業務遂行能力を測り、組織人全体に納得させるという仕組みや手段がないので、どうしても当然に行うべきそのようなスリム化ができず、官僚組織と同じく肥大化していく傾向があります。

これが、日本のパワーエリートの、報酬が安すぎる問題、の筆者なりの解説(仮説)です。

さて、このように、「不当に」報酬が低いと思っているマネジメント層、(自称)幹部社員は、簡単に天下りや渡りや袖の下に転ぶ傾向があります。

ここは、筆者も全面賛成するわけではありませんが、アメリカのように、現役のパワーエリートの報酬をある程度高くして、引退後は、天下りせずに現役時代の実績を売りに投資ファンドの経営なり事業支援という形でのコンサルティング(業務受託)をして、自力で稼ぐ仕組みにした方がはるかに健全です。

天下りではなく、それまで培ったネットワークや業務遂行能力、および責任を取る胆力といった機能才能に期待して採用されるのではなく、単に紐付きでの「渡り」ほど組織をないがしろにするものはないと思っています。

それなのに、東大も(筆者も出ている)京大も、日本市場でしか通用しないジリ貧のガラパゴス「既得権益」を握りしめたパワーエリート(自称)になることをやめず、かつて聞いていた戦前や高度成長期みたいな「旨み」なんかないじゃんか!と、いよいよ後戻りできない中年になってから気づいて、自らが唯一恃む偏差値にふさわしい?待遇を確保しようとして、焦って卑しい行為に転ぶのではないかと思うとたいへんに、それはもう、言葉に尽くせないほどにただ「哀れ」であります。

明治大正戦前や高度成長期のパワーエリートは、お国と国民のために頑張り、当然の結果として報われたという時代はあったと思うのですが、それを見て東大や京大に受験技術だけで押し寄せたベビーブームジュニアと言われた偏差値教育世代は、仕事の内容というより仕事上の地位ばかりに拘泥しており卑しく見えてきます。

筆者も、このような本質的な能力開発ができない日本の「固い」大企業、については23年前の大学後半時点でうっすらとそのようなことではないか、と思っていたのですが、入った長期信用銀行が5年で「3行統合」によりなくなる、100年の歴史に終止符を打つ、というシステム統合プロジェクトにめでたく採用され、そうして自ら入った銀行の勘定系基幹システムを自らの手で閉じるというとろこまでを実施し、多くの戦友と共に未曾有の2002年システムトラブル(人災)に立ち向かいましたが、日本経済におけるこうした既得権益崩壊は、銀行、証券、そうして電気事業法に守られた電力会社にもじっくりと着実に進んできたのではないかという感想を持っています。

目を世界に転じますと、時価総額5兆円(未上場ですが)ともてはやされたシェアオフィス最大手、Weworkの時価総額が、マスコミ得意の掌返しによるビジネスモデルへの不確実性の一斉の広がりによりCEOは事実上の更迭を受けてブランドが大きく毀損、そうして上場延期により時価総額が1/10以下の5000億円を切るといった観測記事が出ています。

わずか数週間前まで、9月中の上場ということで鼻息が荒かった世界の経済メディアの手のひら返しも含めて、非常に驚いて見ています。

今後、この組織が引き起こした問題は、同社だけにとどまらず、お金をたくさん必要とする不動産賃貸業の常として、早々に資金繰りショートを起こすようなことになれば、同社の金主である日本のソフトバンクとみずほ銀行とサウジアラビアの王子のファンドを道連れに、2008年リーマンショックに迫る世界金融危機の引き金を引くのかというところです。

日本の時価総額2位企業であるソフトバンクグループですが、ゾゾタウンという服飾オンラインショッピングのZOZOを買収したというニュースもつかの間、アメリカでのスプリントのTモバイルとの合併難航、アメリカカルフォルニア州でのウーバーのドライバーの従業員認定、ファーウェイの基地局使用禁止、アリババのアメリカ上場廃止などなど、もの凄い逆風が吹いているという状況です。

世界経済は大変な勢いで進んでいき、この観測の興味は尽きることがありません。

最後に、関電経営陣は、かつて関西経済界を救うため、黒四ダム建設に命を捧げた171人の犠牲者たちに、詫びてもらいたいです。

こういった「人間力」に関することこそ、今の、これからの「教育」できっちりとわかるまで子供たちに教えるべきことではないかと考えております。

そろそろ自分の仕事に戻りたいと思いました筆者からの昼休み記事は以上です。

(2019年10月4日 金曜日)

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2019年10月3日

(2019/10/03)「シェアリング業務」に従事する「専業ドライバー」「ケータリング業者」は従業員と認定される方向であるという記事です





おはようございます。

2019年10月の世界のシェアリングエコノミーにおいても人材不足の裁定作用(揺り戻し)が働いてきたという配信記事です。

アメリカのライドシェアサービス業界の1位2位である、ウーバーとリフトという同業の2社をはじめとした各社に対しては、非常に厳しい決定が下されました。

米国カルフォルニア州のギャビン・ニューサム知事が、2019年9月に、ネットを通じて単発で仕事を請け負う、いわゆる「ギグワーカー」と呼ばれる個人事業主的な働き方をする個人に対して、彼らを個人事業主もしくは請負労働者ではなくて、事業発注の継続性がある程度緩やかに認められる限りは従業員として扱うよう、企業側に義務付ける州法案に署名したというのです。

この州法の施行は2020年1月に施行されるということで、こうした「ギグワーカー」と呼ばれる、要するにウーバーイーツとかいうカッコいい名前で広まっていますが、その実は昔からあるピザやうな重、寿司折りやラーメン、チャーハン、唐揚げ弁当の「出前」業務を切り出したものにしか過ぎないということが改めてわかってくると、この「業務」の収益性が本当にテック企業のそれとして爆発的に伸びるかというと、疑問なしとしないわけであります。

さらに、「出前」サービスの単価がある程度低廉なもの(1回あたり税抜き350円程度)に張り付いている状況においても、原価である人件費や配送コストは、じりじりと上がっていくことは間違いなく、その意味でも、「出前」という仕事だけをアプリやネットを通じて適切に回す、と唄っても自ずと限界もあろうというのが、偽らざる現在の投資家の大多数のイメージなのでしょう。

従いまして、こうした「赤字基調」を脱せられない新サービス企業の株価は、IPO後も冴えず、続いて上場しようとした2019年10月現在で(私たち企業、という名前のような)世界最大のシェアオフィス企業や、(空のベッドアンドブレックファストという名前のような)民泊型宿泊施設マッチングサイト、といった未上場企業のIPO(証券取引所上場)の延期という形で影響が出てきているようです。

「出前」配送サービスや、「ライドシェア」という名前で言い換えた白タク事業について、その「事業」のみを切り出していくら効率的に瞬時にアプリを通じたマイクロ外注先を見つけてコストを下げても、やはり「他人」がサービス提供する限り最低限必要な賃金は発生してしまう、タダ乗りはできない、ということをお上にピシッと言われてしまった、というだけのことのような気もします。

請負受託者ではなくて、従業員ということになれば、失業保険の適用や最低賃金の保証や有給制度の創設などが必要になり、便益が受けられる一方、発注側の企業としては、サービスの原価の根幹に関わることとなり、大幅な事業構造の転換を図る必要に迫られるということになるでしょう。

これを解決する最も簡単なのが、顧客向けサービスの「値上げ」という手段ですが、残念ながら配送するだけというサービスに付加価値を感じる顧客は少なく、おそらく、「無料キャンペーン」といった形で単発的に利用するだけに止まると考えています。

シェアリングサービスという都合の良い名前のもと、他人の貴重な労働力や時間を、安い単価で買い叩き利ざやを上げる、というモデルは、どうやらテック企業自らが推し進めた情報の非対称性の解消の結果、急速に通用しなくなってきた、とも言えそうです。

日本だけでなく、世界でも、いよいよ本格的な人口減少社会の到来による空前の「人手不足」の経済社会がやってくることになりました。

ですので、シェアリングエコノミーについても、他人の労力を使うのではなく、自らの労力を自分のサービスのために使う、いわゆる自分労力型シェアリングサービスと言える、メルチャリやタイムズカーシェアのようなカーシェアリングサービス、自前運営型であるシェアハウスやシェアオフィス(コワーキング)といった領域については、今後も順調に拡大していくように感じております。

この次の動きで何がやってくるか、とても楽しみにしております。

ピザ、チャーハンにラーメン、お好み焼きの自前の宅配はよく利用しております(寿司とうな重は注文しません)、昭和生まれサラリーマン消費者の筆者からのコメントは以上です。

(2019年10月3日 木曜日)

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(2019/02/22)2019年2月現在での福岡市におけるシェアリングエコノミーの浸透について概略を述べておきます