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2019年10月9日

(2019/10/09)セミナーや講演会の講義講演発表の後の質疑応答が全くそわそわするだけで何もなく終わる現象に名前をつけたいという話です







おはようございます。

2019年10月のセミナーという名の人間活動に関するファシリテート(会議進行)に関する意見配信記事です。

筆者も、かような「講演」をする場合がありますが、こうしたセミナーにおいて、登壇者が用意していた発表を一通り終えた後、どうあがいても質疑応答が全く盛り上がらず、司会者や進行者も助け舟(必要なファシリテート)も期待できずに、「質疑応答の場」なるエアな時間が10数秒流れて唐突に会自体が終わる、あの謎現象のことです。

質疑応答から、本当のリアルな討議の場が始まると思っているのですが、それなければ、YouTubeで講師側の動画を一方的に配信しておけば良いだけだと思うのですが、それでも、講師側の話を聞いた後の直後にもかかわらず、だれも手を上げないし発言もないというのが、とても講師側にはこたえます。

そして、そんな沈黙の場を切り裂くように、司会者が裁定を下します。

「散会」と。

そして、「散会」してからが、長ーい名刺交換に来られる人たちと「個別」に話す時間が流れます。

ここで、個別に質問を受けることも多く、これは、マジで苦痛です。

そして、それぞれがそれぞれの質問をしている後ろで、名刺をひたすら交換したい人がただ待っている、という図が展開されます。

筆者が講師の場合、すでにこのようなことは「予定」されているので、名刺は最初に配るようにしております。

そうすると、結局車座のようになって、聴衆のほんの一部ですが、「まとめて」質疑応答する「ミニ版」ができるのでなんとかなるのですが、その辺りのファシリテートをしてもらいたい司会者や後詰の方々は、なんだかいそいそと会場の片付けなどをやっている、といった感じでどうもすれ違っている感じがしてならないのです。

ですので、筆者が司会者側や聴衆側である時には、司会者として、一つ二つ質問を、サクラとして持っておき、沈黙が流れるようならば「擬制的に」質疑応答がなされた、ということにして終わるようにしています。

偽りの討論でも、ないよりはマシ、という判断です。

この現象が、筆者の知る限りにおいて最大限度に「展開」されたのが、かつて福岡の地に、ノーベル平和賞を受賞したかの有名なマイクロファイナンスのムハマド・ユヌス氏を招いて行われた1,000人規模のセミナーでした。

その氏はさすがノーベル賞、大変ユニークかつ興味深いお話をされたのです。

そして、VIPにはめずらしく、さらに加えて講演後にその場にしばらくとどまってくれたのにもかかわらず、敬虔で慎み深い日本人のみなさん(筆者は除く)は、時間通りに真面目に聴講にやってきて話を聞いたあと、実に静かに1,000人もの日本人男女のみなさんは、一糸乱れず整然と、講演が終わったらそのまま整然と出口に向かって一斉に移動し退出していったのです。

おいおい、ユヌスさんまだいるのにって。

この点、講演には実に数十分遅れてやってきて、端っこのほうで立ち見をしていた筆者でしたが、折角ステージにいたままで、むしろ所在なげにぽつねんとしているように見えたノーベル平和賞ムハマド・ユヌス氏に向かって、これは「可哀想だ」と思い大股に歩み寄り、Welcome to Fukuoka! Haha! などといいながら手を差し出しガッチリ握手をしました。

誰かが動けば世界が変わる、というではありませんか。

彼はにっこりと笑いました。

筆者には、この凍りついた場を溶かしてくれてありがとう、と言っているように読み取りました。

そうすると、それを見ていた十数人の、(筆者などよりはるかにユヌス師に私淑しているであろう)人々が筆者の後ろにビタっと並んだのです。

そうして地元テレビ局や西日本新聞社のインタビューも始まったのです。

筆者は、そんな場作りに成功したことを奇貨としまして、さっとユヌス氏を後ろの人に譲り、そして周りのスタッフや大学教授と少しだけ談笑し、盛り上がるユヌス氏の周りを見ながら会場を後にしました。

ですので、この現象には、「ユヌス問題」という名前を付けたいと思います。

ノーベル平和賞という、尊敬すべき相手に対し、誰も相手をしないという「遠慮」が「不作法」まで沸騰してしまいそうな危機的状況を、大げさに申し上げるならば、遅れてきて脇で見ていただけの筆者が救ったわけなのでした。

筆者以外の大多数の聴衆は、過度に自己主張することによる反発を防ぐために一歩下がるという謙譲の美徳をお持ちだったわけですが、これは裏返すと自ら目立って余計な責任を負いたくないという自己防衛と紙一重なのです。

みなさんの周りにも、多くの「ユヌス問題」が転がっていることと思います。

そういう時には、一瞬の勇気で場の空気を変えましょう。

ここが思案のしどころです。

いつもぶらぶらしておりますが、こうした瞬間を見逃さない社会や組織の潤滑油でありたいと考えております筆者からのコメントは以上です。

(2019年10月9日 水曜日)

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