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2019年10月1日

(2019/10/01)日本で一番有名な松尾芭蕉の「俳諧」がなぜ楽しいのかを考察する記事です

俳諧(俳句)を詠む人





おはようございます。

2019年10月はじめの、消費税がめでたく計算されやすい10%になった初日の配信記事です。

さてそんな新たな1日、通勤している道すがら、知り合いのベンチャー企業の「福」社長の男性が、前後ろに子供を載せることができる専用の自転車で「通勤」しているのに出会いました、「(保育園送迎の)お勤めおつかれさまです」と声をかけさせていただきました。

このような、「通勤」風景がもっと普通のことになってほしい、それが日本の国難である少子化を止める唯一の方策だと感じました。

さて、話のマクラが長くなりましたが、日本で一番有名な文化であるところの「俳諧」がなぜ楽しいのかを考察するため、改めまして松尾芭蕉です。

世界の歴史上で一番影響力のある「人物」を判定するサイト、というものを以前ご紹介させていただいたことがありますが、その中で、日本の一位に輝いたのが俳諧の創始者松尾芭蕉です。

「第六天魔王」織田信長さんや「先の戦争責任は全て私にある」と語られた昭和天皇陛下を抑えての、堂々の日本史累計第1位、ちなみに第4位には浮世絵の葛飾北斎先生がランクインしています。

さらにちなみに、今生きている(存命での)日本人1位(累計8位)は日本のアニメを世界の文化として広めた立役者の1人と言って良い宮崎駿監督です。

俳諧とは、日本語の五、七、五という定型詩の中に、日常の風景+アルファの虚構を混ぜ込んだ独特の世界を読み込み、それを吟じて想像力の翼を広げながら楽しむという、非常に高度な言葉遊びと言えましょう。

これは、2019年10月現在、インスタ映え、とか「今の話盛ってる」といった、誇張するという意味での言葉の使い方に似ているところがありまして、要するに、虚構の話なのだけれどもそのような想像力を働かせた「世界」を描き出して、それをみんなで「鑑賞」して楽しむ、ということなのです。

この俳諧の世界から、時代が下って近代芸術になると、やたら写術といった技術論に固まるようになり、自由な、「盛った」表現を楽しむという発想は影を潜めてしまいます。

こうした流れからの、「反論」が、今の、盛った自撮り写真をインスタグラムにアップする若者の所作からも感じ取れるのかもしれません。

この「誇張する」という意味での「盛る」が出てくるのは、何らかの話題の話し方に関して「盛る」という場合と、見た目に関して「盛る」という場合の二つがありますが、俳諧における「誇張した表現」については、まるで見てきたかのように、言うなれば少々の嘘を混ぜて表現すること、同じ風景の「解釈」を変えることを楽しむ、そのような両方の楽しみ方があるというわけです。

かの、松尾芭蕉のものとして最も有名な、

古池や 蛙飛び込む 水の音

という句にしても、カエルは一匹なのか複数なのか、もしかしたらネズミ(レミング)の大群のような大量の「群れ」なのか、解釈は実は無限にあるわけで、さらに水の音、といっても、我々が「普通」思い浮かぶ「ぽちゃん」とした音なのか、「ざばっ」としたものなのか、もしかしたらカエルがウシガエルのような大きな食用ガエルであれば、「ザバーン」といった音なのかもしれないのです。

こうした解釈の幅を広げることを提唱したのは、当然に筆者が初めてではありませんで、このカエル大量群れ説で豪快に論じられたのはかの大詩人の高浜虚子先生なのですが、このように、「高浜虚子がこういっている」という解釈をもって「へえ」と感心できる、このような解釈の面白さも、俳諧が世界の文化として今も人々の心を離さない、ことばによる芸術である所以だと思っています。

今日も話が長くなりました。

インスタに 映えぬ日常 生える草

こちらは季語がないので川柳です。

失礼いたしました。

こちらからは以上です。

(2019年10月1日 火曜日)

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