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2019年10月19日

(2019/10/19)物事を相対的に比較対象として見るために歴史を学ぶということについて書きます





おはようございます。

2019年10月の配信記事です。

MacのOSが新しいバージョンになり(macOS Catalina)、筆者が持っている3年落ちのMacについても、動きが非常に滑らかに「戻り」、非常に執筆環境が向上しました。

以前までは、OSを新しくすると古い端末ではスペックオーバーでうまく動かない、といったことが散見されましたが、最近のOSについては、PC端末も、タブレット端末も、スマホ端末も、全て歴代の機器全部に最適化されたバージョンを配信して囲い込みを図っているようで、これは良い傾向だと思っています。

端末というハードの性能を最大限引き出すソフトが継続的に提供され続ける、そのような環境にあることが、ユーザーの満足度を上げるほぼ唯一の方策だと思うわけです。

さて、そんなガジェットに関して言及してから本論に入りますが、やはり、物事を相対的に比較対象として見て、自分の立ち位置や考え方を明確にするためには、歴史に学ぶのが手っ取り早いと考えています。

そうして、歴史的事象を知る際に最もやってはいけないのは、「今の(多数派を占める)価値観」を無意識に過去の事象にあてはめて「解釈」してしまうことです。

例えば日本史を例にしますと、政治史は抗争と暗躍と政争と内乱と外患の連続であり、たかだか平和が続いたとしても数十年の「つかの間」に過ぎません。

しかしながら、これだけをもって、戦乱の世ばかりであった、みんな不幸せだった、というように結論づけるのは早計です。

その戦乱の合間合間に、政治史では登場しなかった「国を治めるための」文化や仕組みとしての「仏教」やら、「律令制」といった考え方、いわゆる新知識/イノベーションが入ってきて、そんなバイオレンスな日常の世の中に、大きな指針を与えていたのです。

日本の歴史を論ずるときには、歴史好きでもライト層でも何でもやっぱり、①戦国時代、②幕末明治維新、のこの2時代が大好きで、NHK大河ドラマなどはもう、この①②を交互に、それから(視聴率的なバランスに配慮して)東西に分かれて、持ち回りで開催しているといっても過言ではありません。

しかし、争いの経過を、例えば誰それと誰それが争って、誰が勝ったとか負けて滅亡したとか、そういう「事象面」だけにこだわっていては、それ以上の面白さにたどり着かないのです。

何で戦国最強の騎馬隊を有した甲斐信濃の武田家や、西国十数カ国を領有し、明らかに領土的成功では群を抜いていた西国の毛利家がおりながら、どうして彼らは尾張半国から始まった織田信長に敗れたのか、さらにその信長が天下統一(天下布武)、というバイオレンス・恐怖・イデオロギーの完成を見る前に突然殺されたのは何故なのか、その後そんな混乱をまとめた秀吉が、「征夷大将軍」という過去、鎌倉室町両幕府でワークした仕組みではなくて、藤原摂関家の後継の筆頭、近衛家の養子になるというウルトラCを駆使して太政大臣、そして関白太閤となり、その権威をもって100年続いた戦国時代を終了させる、という流れに至った理由とかに迫りたいわけです。

さらにさらに、日本列島内では戦争できないけれども当時世界最有力の軍事大国に成り上がってしまった(100年間内乱しまくっていれば自然とそうなる)ことをもって、かのチンギス・ハーンを模したアジア全土征服という、「信長様の夢」を見ちゃった秀吉による明国征服の手始めとしての朝鮮出兵など、確かにこの時代の動きは事象面を見ても目まぐるしく楽しいわけです。

ですが、それと同じように、では例えば奈良時代から平安時代にかけて、ゆっくりと、それまで一旦定めた大宝律令(701年)という天皇を中心とした、当時の世界最先進国「唐」を模した中央集権制度で国をまとめたはずが、どうにもうまく人民の(まだ国民という概念がない)「農地開発」のモチベーションを上げることができなかったことから、わずか40年あまりで、全く逆の「墾田永年私財法」(743年)による貴族私有制荘園システムが出来上がってしまうという、この、徹底した中央集権の原始共産主義からいきなりの何でもありの地方分権制の資本主義社会への転換というような、このなんとなく平和でさらーっと流してしまう時代においても、歴史の潮流とは、このように「急激」に変わるというのを知ると面白くてたまりません。

このように、日本の歴史は、さらに世界の歴史についても、ほんの数十年単位で、ころころ考え方の根本から変わるのです。

植民地獲得競争に、どうにも英国に先を越されてしまって国力が「相対的に」衰退した、と信じたフランス国民は、それまで徹底的に尊敬していたブルボン王朝の王様(ルイ16世)を、自らで「効率的な処刑方法」と考案したギロチンで殺して滅ぼしてしまう、という国の成り立ちや連続性としては破壊的・破滅的な、行き着くところまで行ってしまったことから、この、王権に変わる人間社会維持のよりどころ、として「自由」「人権」という思想を考案したわけです。

ですので、この時代の前に、「人権」という考え方はそれ自体、ありません。

奴隷もいたし、農奴もいましたし、魔女だっていました。

魔女裁判で火あぶりにしちゃったりしています。

それでも、こんな絶対王政による統治の方が、社会を安定的に運営する「システム」として有用であった、ということなのです。

そこに、そのフランス革命によってもたらされた「新思想」を当てはめて論じることがナンセンスなのです。

人権思想を言うのであれば、フランス国王ルイ十六世とその妃のマリー・アントワネット(こちらはオーストリア・ハプスグルグ家からの嫁入り)を人民側の熱狂と恐怖でギロチン(断頭台)に送った当時の人民たちこそ、王様に対しては人権思想のかけらもないわけで、そこが歴史の面白いところなのです。

しかし、彼らがそこまで振り切ってしまったからこそ、徹底的に極端な社会構造の変化を経験しちゃったからこそ、その上に新しい「考え方」が生まれて、王権が残った国々も、この「共和制」と折り合うための「立憲君主制」というこれまた悪魔的な考え方を編み出して、そしてそれをうまいこと適用していくわけです。

さらに時代を遡れば、実は古代ローマは「共和制」で始まり周囲の「蛮族」の王権と切り結びながら、イタリア半島を統一し、そして植民地をいくつか作ったところで、やっぱり植民地(属州)支配のためには事実上の王権、のほうが良かろう、でも王様はいやだから、「皇帝」なる地位を考案して適用しよう、ということでだんだんとそのような共和制から帝政への移行が起こったわけです。

古代中国の、漫画「キングダム」の時代も、たくさんの王国がある中で、それを一気に統一した秦の国王が、皇帝という概念を「創作」して始「皇帝」と名乗るわけです。

そして、その、これまでの「結構うまく行ってきた」共和制とのせめぎ合いの中で、決して、いきなりカエサル(シーザー)が、「今から帝政ね!」と宣言したわけではなく、彼は、事実上0代(零号機)のローマ皇帝だと言えますが、あくまで、「終身独裁官」という、臨時の、危急の時に設置される特別職、についていただけなのです。

初代(初号機)であるカエサルの養子のオクタヴィアヌス(アウグストゥス)が、その長い長い治世の中で、こっそりと、着実に、浸透させた制度が、ローマ皇帝位というわけです。

ですので、ローマ皇帝位の正式名称を読めばよくわかります。

オクタヴィアヌスさんの死後の最終的に固まった称号は次の通りです。

Imperator Caesar Divi Filius Augustus Pontifex maximus Tribuniciae potestatis XXXVII Imperator XXI Consul XIII Pater Patriae 
インペラートル・カエサル・ディーウィー・フィーリウス・アウグストゥス・ポンティフェクス・マクシムス・トゥリブニキアエ・ポテスタティス37・インペラートル21・コンスル13・パテル・パトリアエ
最高司令官、カエサル、神の子、尊厳なる者、最高神祇官、護民官職権行使37年、インペラトル歓呼21回、執政官当選13回、国家の父 

ここで「終身」とか「最高」とか「国家の父」とかいいますと何だか今の「常識」ではおそらく死ぬまでその「国家主席」という地位にいるでありましょう、隣国中華人民共和国の習近平氏とは違いまして、おそらく「無期限」「期限のない」、つまりいつでもその地位は元老院によって剥奪されうる、そのような「不安定」な地位であったと思われます。

「神の子」なんて、全世界11億人の現在のローマ・カトリックの方々からすれば、噴飯物の称号でしょうが、オクタヴィアヌスさんがなくなったのは紀元14年、でありますから、実は、全世界のキリスト教徒のみなさんからすれば衝撃でしょうが、こちらの彼の方が、「先輩」なのです。

「神の子」の先輩です。

しかも、最初の「最高司令官」、最後の「国家の父」より劣後するという、ちょっと残念な立ち位置です。

「無期限出場停止の処分」といってもいきなりそれが解除されていつのまにか対外試合ができることになる、どこかの芸能界や大学アマチュアスポーツチームの例を見るまでもないわけです。

これも、「現代の常識」で過去の事象を解釈してしまうことによる、大きな誤解だろうと思います。

多くの過去の事象に虚心坦懐に触れていき、「当時の人たちがどのように考えていたか」に忠実に忖度して考えるようにすると、現代という「結果」での考え方を過去「原因」に押し付けるという、おかしなことになってしまうと思います。

筆者の生きてきた、わずか45年程度においても、その始まりと2019年の現在では、価値観の違いというものは非常に埋めがたいものになっています。

本シリーズの次回では、筆者の生きてきた時代単位に絞って、その価値観の違いについて迫っていきたいと思います。

こちらからの本日の記事は以上です。

(2019年10月19日 土曜日)

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