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2019年10月16日

(2019/10/16)天皇位は天皇家の男系しか継いではいけないという不文律が定まった「継体天皇」即位の話です

神武天皇




おはようございます。

2019年10月の、久しぶりに書く歴史、それも日本古代史から現代まで一貫して続いている天皇位の話です。

天皇位は天皇家の男系しか継いではいけない、すなわち皇族に生まれなかった男性は、「絶対に」天皇にはなれない、なれても外戚として、天皇の母系の祖父までにしかなれません、という不文律が定まった「継体天皇」即位の話をします。

これは、大変な「男性差別」でもあります。

男女差別ではありません、男性差別です。

一見、天皇位は男性だけに開かれていると見る向きは、「女性差別」ではないか、と言ったりするのですが、さにあらず、女性は一般女性として生まれても、美智子皇太后および雅子皇后、紀子妃殿下の例を見るまでもなく、「皇籍」に入ることができます。

そして生まれた男子には当然に皇位継承権が生じます。

天皇の妃(皇后)にもなれるし、天皇の母にもなれるわけです。

しかしながら、これと決定的に反対に、日本において皇族ではない一般の男性として生まれてしまった以上、もう確実に、いかに権力を持ったとしても、経済的に豊かになろうとも、議会で絶対権力を握って授権法によってその議会自体を永久解散しても、首相になっても月に行ったとしても、それでも天皇には「絶対に」なれない、そういうことなのです。

世界中で最も権威があり、そして2019年10月時点で、唯一「King」でも「Queen」でもなく「Emperor」というラテン語由来の西洋言語で呼ばれる日本の「天皇(すめらみこと)」の位ですが、この日本において世界最長の期間続いている「王朝」は、言い伝えによりますと初代神武天皇即位から、ざっと、いわゆる「皇暦(こうれき)」神武天皇即位紀元2679年の長い時間にわたっているものです。

ちなみに、神武天皇即位紀元元年は、西暦(キリスト紀元)前660年です。

覚えやすいので覚えておいてください。

その重要な「皇位の先例」を作ったのが、この「継体天皇」即位の話ということになります。

『日本書紀』によれば、506年に武烈天皇が後嗣を定めずに崩御したため、大連(おおむらじ)である大伴金村(おおとものかなむら)、物部麁鹿火(もののべあらかひ)、大臣である巨勢男人(こせのおひと)ら有力豪族が協議し、越前にいた「応神天皇の5世の孫(相当遠い系譜)」の男大迹王(おおどおう)を迎えようとしたものの、疑念を持った男大迹王は河内馬飼首荒籠(かわちのうまかいのおびとあらこ)を使いに出し、大連大臣らの本意に間違いのないことを確かめて即位を決意したとされています。

そうして、翌年の507年、58歳にして河内国樟葉宮(くすばのみや)において即位し、武烈天皇の姉にあたる手白香皇女を皇后とし、即位19年後の526年にして初めて大倭(後の大和国)に入り、都を定めた、とあります。

ここで、当時の「大連」や「大臣」であった有力豪族たちの誰かが、「じゃあ私が天皇に」とはならずに、皆で協議して新しい天皇を迎えることにした、というところが、日本の国の形(統治のあり方や運営方法)としてとても面白いところであり、「応神天皇の5世の孫」という、相当遠い系譜であろうが、天皇位には天皇に連なる一族しかなれない、という「文化」「原則」が根付いていて、その方がよく国が治まるということを、当時の人たちは実体験として知っていたということになりましょう。

かつて強大な勢力を誇った「女王国」である邪馬台国においては、卑弥呼(ヒミコ)や壹与(イヨ)といった女性が神官として統合の象徴となり国を治めた、とありますが、そのやり方では「うまい統治の再現性」が図られないことがわかったこともあり、この、男系を立てる新しい天皇(すめらみこと)統治システムが持ち上がったのではないかと思われます。

その後、天皇家を政治的経済的には大きく凌ぐ権威を持つことになる蘇我氏や、その後の藤原氏においても、その一族の長者が娘を入台させることによって、天皇の外祖父(孫を天皇位につける)にはなれても、自らが天皇位を奪うといったことは(あえて)避けられたまま、時代はずっと下って現代に至ります。

その間、確かに、天皇位に迫った外部の人物として、弓削道鏡(天皇の愛人)、足利義満(天皇になろうとした将軍)、織田信長(第六天魔王)といった少しばかり「この枠」をはみ出た特殊な者も出るには出ましたが、日本においては、幸いにも、フランス革命のような「民衆が自ら王様をギロチンにかけて滅ぼす」といった活動的なことは起こらず、また逆に、活動的すぎた「天皇」であった後醍醐天皇の方を逆に吉野に放逐するなど、「天皇位」は、世俗の権力をむしろ遠ざけてひたすら権威としての存在を追求していった結果、こんなにも長い間、時の試練を経て、現在まで続いた、日本国が誇る「文化」「伝統」となりました。

天皇即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律によって、即位礼正殿の儀が行われる日の令和元年年(2019年)10月22日は、休日となります。

天皇陛下の即位が、滞りなく進むことと、皇室および日本国民の弥栄(いやさか)を祈りまして、筆を置かせていただきます。

こちらからは以上です。

(2019年10月16日 木曜日)

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