このブログを検索

2019年11月30日

(2019/11/30)フィンランドと日本の国交樹立100周年に寄せて激アツのフィンランドという国の歴史を紹介します!






おはようございます。

2019年11月も押し迫った月末の最後の配信記事です。

本日は、フィンランドと日本の国交樹立100周年(1919年−2019年)に寄せて、激アツのフィンランドという国の歴史を紹介します。

この記事を読み終えれば、フィンランドという国の人々の熱意と根性と不屈の闘志と、それから日本に対して向けてくれている好意的な眼差しがわかると思います。

お互い地球のほぼ反対側にある国々同士ながら、どうしてこれほどまでにフィンランドの人たちは、我々日本という国にシンパシーを感じて、寄り添ってくれるのか、それをたどるには、この国のそもそもの成り立ちから現在に至るまでの歴史をざっとおさらいする必要がございます。

ほとんどの日本人が知らない、世界にあまたあります親日国の一つ、北欧フィンランドの物語です。

フィンランドは、「フィン人の国」という意味で、「スオミ」はそのフィン人の自称です。

「スオミ」の語源については多くの説が提唱されており定説はありませんが、現在「スオミ」は、フィンランド語で「湖沼・沼地」を表す単語「スオ」(suo)に由来すると言われています。

文字通り、白夜と湖と沼地と森が広がる、とても美しい大地です。

フィンランドは、もともと旧石器時代から人が居住していたようです。

南には農業や航海を生業とするフィン人が居住し、のちにトナカイの放牧狩猟をするサーミ人が、北方に生活を営むようになりました。

そのうちに、1155年にはヴァイキングの子孫である、スウェーデン王エーリク9世が北方十字軍の名のもとフィンランドを征服し、同時にキリスト教を広めました。

1323年までにはスウェーデンによるフィンランド支配は完了し、正教会のノブゴロド公国との間で国境線が画定したことで、名実ともにスウェーデン領となります。

そこから、長いフィンランド独立運動が始まり、一定の成果として、1581年にフィンランドの独立が模索された結果、ヨハン3世が「フィンランドおよびカレリア大公」(のちにフィンランド大公となった)となり、スウェーデン王国が宗主国となる形で「フィンランド公国」の建国が宣言されます。

王国でも共和国でもなく、大公国、という一段格下げの形ではありますが、ようやく自らの「国」を持つことができたのです。

しかし、国といっても外形的なものに過ぎず、スウェーデンを宗主国とする「帝国」の一部であるに過ぎませんでした。

それから、時は流れて1700年に始まった、スウェーデンとロシアという、北方の大国が天下分け目の戦いを演じた「大北方戦争」の結果結ばれた、1721年のニスタット条約で、フィンランドの一部(カレリア地方)がロシア帝国に割譲されました。

そして、ロシア帝国のアレクサンドル1世はかの地(カレリア)に、改めて1809年にフィンランド大公国の建国を宣言し(昔は公国だったのが大公国に格上げ)、自らが「フィンランド大公」を兼任することになりました。

こうして、ここから、フィンランド人たちの、ロシア帝国→「史上最悪の共産主義革命という社会実験場(筆者命名)」ソヴィエト社会主義共和国連邦からの圧政と攻撃に長く耐えつづけるという苦難の歴史が始まります。

そんな折、フィンランドの人々を勇気付けた数少ないことがらの一つに、1904年に、極東の小国、大日本帝国が、ロシア帝国と国土の存亡をかけた戦争を仕掛けるという事件が起こります。

日露戦争(1904年-1905年)です。

それを遠因として、ロシア革命が起こり、帝政ロシアは崩壊し、代わって共産主義革命によるソヴィエト社会主義共和国連邦(以下単にソ連)が成立し、その混乱に乗じる形で第一次世界大戦末期の1917年にはフィンランド領邦議会は独立を宣言するのです。

日本との国交樹立は1919年、以来100年にわたり、フィンランドと日本は、仲良くやってきたのです。

その後、フィンランド内では親ソのフィンランド共産党による赤軍と、自由主義経済を主張する共和国軍(白軍)による内戦状態となりますが、間もなくフィンランド南部で優勢だった赤軍は稀代の用兵家である軍人マンネルヘイムによって鎮圧され、1919年にフィンランド共和国は共和国憲法を制定して名実ともに独立したのです。

さっくりと、フィンランドの歴史上で最も尊敬される人(2000年同国調査)であるカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイムが出てきたので補足しておきますと、この人は、もともと士官候補生としてロシア帝国陸軍に入隊し、日露戦争などで実績を積み将軍となりました。

そして、第一次世界大戦中にフィンランドが独立すると、その後の混乱から起こったフィンランド内戦で白軍総指揮官に就任し、内戦を勝利に導くと、国防軍最高司令官(元帥)に推挙されたのです。

もう一人、同じくフィンランドの歴史上で二番目に尊敬される人(同上調査)であるリスト・ヘイッキ・リュティを紹介します。

こちらは、そんな独立を成し遂げたばかりのフィンランドに次々とふりかかる災厄を、その万能の政治力で跳ね除け続けた、弁護士であり銀行家、そして伝説の政治家です。

1939年、第二次世界大戦が勃発する前夜、突然ナチスドイツとソ連との独ソ不可侵条約が締結され、世界を驚かせることになりますが、この表の条約と同時に結ばれた裏の条約(モロトフ=リッベントロップ協定、秘密議定書)には、公表された条文である「相互不可侵および中立義務」という素敵な平和っぽい文言にはない恐ろしい企みが含まれていました。

すなわち、これは東ヨーロッパとフィンランドをドイツとソ連の勢力範囲に分け、相互の権益を尊重しつつ、相手国の進出を承認するというものであり、すなわち、①独ソ両国によるポーランドへの侵攻、②ソ連によるバルト諸国併合、③フィンランドに対する侵略戦争(冬戦争)、④ソ連によるルーマニア領ベッサラビアの割譲要求、といった災厄を撒き散らすものであったのです。

これらの侵略行為は、公然とこの秘密議定書による黙認の元行われ、これに伴いイギリスとフランスによるドイツへの宣戦布告を招いて第二次世界大戦が引き起こされたのです。

この戦争を引き起こした本当の当事者は、ナチスドイツだけではなく、本当は2国いて、その一方のソヴィエトは、なんと大戦終結時には「戦勝国=連合国」の側にいるという、世界史史上稀に見る「お前がそれを言う」という状況になるのですが、それは別の機会に譲りまして、お話をフィンランドに戻します。

フィンランドでは、このように大国ナチスドイツとソヴィエトによって生贄にさせられたわけで、どの国の援助もないままソヴィエトに踏み潰されるかとみられました。

そこに立ちはだかったのが、当時の大統領であったリスト・リュティと、国防軍最高司令官であるマンネルヘイム元帥でありました。

大統領は予備役となって事前活動をしながら世界中を歴訪しているマンネルヘイムに祖国の危機であると説いて最高司令官就任を打診(懇願)します。

マンネルヘイム(リストより年上)でなければフィンランドを守ることはできないことをリストは知っていたのです。

マンネルヘイム元帥が最高司令官に就いてすぐ出した最初の命令が胸を打ちます。

大統領は1939年11月30日をもって私をフィンランド軍の最高司令官に任命した。勇敢なるフィンランドの兵士諸君!私がこの職に就いた今、我々の不倶戴天の敵が再びわが国を侵している。まずは自らの司令官を信頼せよ。諸君は私を知っているし私も諸君を知っている。階級を問わず皆がその本分の達成のためであれば死を厭わないことも知っている。この戦争は我々の独立の継続のため以外の何者でもない。我々は我々の家を、信念を、国を守るために戦うのだ。

怒涛のごとく侵攻してくるソヴィエト軍を、その湖、沼、凍った湖上や森の中といった地形を十分に利用し、敵の戦車軍団を撹乱し、分離し、包囲し殲滅し、そしてじりじりと後退しながらも戦線(マンネルヘイム線(注1))を維持し、フィンランド本土へのソヴィエト軍の本格的侵入を許しませんでした。

(注1)マンネルヘイム戦とは、ソ連軍の侵攻に対抗するためフィンランド軍がラドガ湖とフィンランド湾の間のカレリア地峡(現在はロシア領)に長さ135km、幅90kmに亘り築いた防衛線であり、軍事上の最重要拠点、戦線となりました。

フィンランドの必死の抵抗、そしてフィンランドの国際連盟への提訴によるソヴィエトの国際連盟からの追放など、必死の政治工作による国際世論はフィンランドに同情的であったところを冷静に見極めたリスト大統領が、誠に不利な条件ながらもソ連と講和するときにそれを最も支持したのがマンネルヘイムであり、二人は強い信頼関係に結ばれていたのです。




冬戦争によってソ連に割譲したフィンランド国土(Wikipediaより)



政事と軍事を完全に分けて、軍事を政事の一つとして完璧に従属せしむる。

このことひとつを見ても、マンネルヘイム元帥の大局観と戦略眼、立ち位置について驚嘆を禁じ得ません。

冬戦争は、リスト大統領の決断による電撃的講和により終結しました。

しかしながら、その傷も癒える間もなく、冬戦争からさらに衝撃の、フィンランドにとって国家存亡の危機となる国難が、襲いかかります。

ナチスドイツのヒトラーが、突如、独ソ不可侵条約を破棄し、ソ連へ侵攻するのです。

これによって、ソ連との対抗上ドイツとの関係を深めざるを得なかったフィンランドには、さらに難しい、厳しい状況が襲うのです…。

話が終わらなそうですので、いつもは1記事一つの話題なのですが、続きは次回にします。

次回を読みたいと思われる方、もうしばらく、(他の記事などお読みになりながら)お待ちください。

最後に、マンネルヘイムが最高司令官に就任したのは1939年11月30日、すなわち80年前本日です。

本日のこちらからの記事は以上です。

(2019年11月30日 土曜日)

▷▷次の記事は

(2019/08/02)ホワイト企業ならぬホワイト国(カントリー)の話を簡単にわかりやすくしておきます(特に韓国経済について)

*ホワイト国には当然フィンランドは入っています、という紹介です。

2019年11月29日

(2019/11/29)コンテンツの価値を決めるのはユーザーだけではないもっと広い概念での人々の「評判」であるという「説」を茶道を例に論じてみます






おはようございます。

2019年11月も押し迫った月末の配信記事です。

本日は、ある会社のある経営戦略系のミーティングで出た話が面白かったので、その話から始めたいと思います。

出た話、といいますが、実は、筆者の方から言い出しました。

世の中に、ゲームやコンテンツは溢れておりますが、その「価値」は誰が決めるのかと言ったら狭義のユーザーにとどまらない、世界中の人たちということになります。

コンテンツの価値を決めるのはユーザーだけではない、もっと広い概念での人々の「評判」であるという「説」を披露します。

例えば、戦国時代末期、もはや天下が武力的には統一されつつあるという世の中にありまして、かつて元寇で戦った鎌倉武士に対して十分な「土地の」恩賞を与えることができずに弱体化し(評判を落とし)、没落した上で滅んでしまった鎌倉幕府のことを知っていた織田信長は、画期的かつ破壊的な解決策を編み出しました。

「茶の湯」という芸能、文化、セレモニーという価値そのものを高めたのです。

「名物」と言われる茶器を自ら買い集め、そうして、それを配下の武将たちの武勲に応じて「恩賞」として取らせたのです。

こんなの、「領国」「領地」を与えるという、相互にめんどくさい調整や下打ち合わせが必要な、会社の玉突き人事をはるかに超えるめんどくささに比べれば、簡単なものです。

そうして、セレモニーである「茶道」というものに、思い切り振り切った権威づけを行いました。

茶道は、茶を立てるという単なる技術ではなく、茶器という芸術品を単に愛でるものでもなく、一体とした茶の湯という時間を使った人が人を心からもてなす、というもてなしセレモニーとして、その文化度を極限まで高めてきたわけです。

もはや、「宗教」といっても問題ないレベルまで、当時、茶の湯というものを高めた名プロデューサーに、織田信長により「抜擢」されたのが、表千家、裏千家、武者小路千家という、今に続く三千家(三千の家があるわけではなくて、三つの「千家」、わかりにくいですが)の祖になった、千利休(せんのりきゅう)という人なわけです。

千利休は、織田信長の茶の師匠として、何の軍事的政治的経済的バックグラウンドもなく、本当に人間力唯一を武器にしてのし上がっていった、という、筆者勝手格付けによりますところの、日本の偉人NO.2くらいに位置する人です。

ちなみに歴史マニア、人物マニアを辞任しております筆者が、45歳現時点で自分のランキングNO.1に推戴しているのは、ダントツで、奈良時代、四国に突如として生まれた、あの万能人類、レオナルド・ダ・ヴィンチも軽く凌駕するであろうと筆者が勝手に想像する(イタリア人には怒られるかもしれませんが、たとえとして)、文武両道、完璧なる自由人、「ザ・天才」弘法大師空海さんその人です(直接はもちろん存じ上げないのですが、調べて実際に高野山に行ってみたという経験を元にした感想としては、です)。






さて、千利休さんに話を戻しますが、堺の商家魚屋の倅(せがれ)が、町人身分だから茶会に出るための名前をわざわざ天皇から頂戴(注1)するまでになるのには、単なるシンデレラストーリーだけではない、ものすごい人間力、懐に飛び込める度胸と人格、人間味の面白さがあったに違いなく、茶の湯を究極の文化文芸まで高めるために、ひたすら人の心に寄り添い、おもてなし道を追求し続けたその姿は、筆者個人的に「代表的日本人」を著するにあたっては外せない人物です。

(注1)「利休」の名前は天正13年(1585年)の禁中茶会にあたって町人の身分では参内できないために正親町天皇から与えられた居士号です。

そんな高潔かつ素養ある大人物でありながら、それでも時の権力と深く深く結びつき、自らの「黒い」欲にも従順であった、漆黒の黒を最高のものと愛でて愛した、この千利休という人は知れば知るほど面白いわけです。

その後継者であるはずの、現在の大阪府堺市の方々の中から、これほどの、大人物が出てきてくることを、切に願っているところでございます(堺の方々へ、古墳と利休の次に筆者に面白いものがあればご紹介ください)。

さて、こうして、茶の湯というセレモニーの格式が高くなっていくのと並行して、それに用いる茶器も高騰し、それこそモナリザやゴッホのひまわりのように、破格の値段がつく、もしくはプライスレスな宝物((注2)名物(めいぶつ)と言われます)として、珍重されることになりまして、この茶器一つで一国以上の価値があるとまで言われるようになるのです。

仮想通貨バブルもびっくりの、このような「価値観」の大変革が、この安土桃山の時代にも行われたという、熱い熱い時代だったわけです。

(注2)代表的な「大名物」としては、天下三肩衝と呼ばれた茶器「楢柴肩衝」「新田肩衝」「初花肩衝」や、名高い茶入の「初花」の他「曜変天目茶碗」「白天目茶碗」「灰被天目茶碗」「富士茄子」「本茄子茶入」「唐物茄子茶入」「井戸茶碗」などが挙げられます(当然、筆者も全ては知りません、このような名前の名物があって、特に大名物と言われているという程度の知識です)。
これらの逸品(名物)は、足利義政など室町将軍家や織田信長、豊臣秀吉、徳川将軍家など名だたる大名が所有したことで有名ですが、もともと製造された時代は、中国の南宋または元時代の作と推定されるものが多いそうで、さらに珍重される伝承としては、中国唐代まで遡り、「初花肩衝」は日本に伝来する以前は唐の玄宗皇帝の妃、楊貴妃の持ち物だった、などともいわれているそうです。

このように、領国経営という政治的な地位を補完するために、このような文化的な分野においても頂点に君臨しようとした、当時の為政者の苦労の跡が偲ばれます。

今日も話し始めて全く別の話になってしまいました。

筆者の歴史偉人ランキング、知りたい方は直接お問い合わせください。

日によってランキングが上下しますし、もともと時の権力の地位にいた、というような出自、最初の立ち位置の点で大きく減点するという筆者独自のランキングバイアスがかかっております点についてはご容赦ください。

ちなみに、歴史の教科書にも載っている、『代表的日本人』(だいひょうてきにほんじん、原題:Representative Men of Japan/Japan and the Japanese, Essay)は、明治時代の内村鑑三による著作でありますが、キリスト教徒でもあった内村鑑三先生が、主に海外(西洋)向けに、日本の歴史とは、日本人とはこういうものだというのを、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮の生涯をその例に骨太の英文で、きっちり紹介したものであり、その筆致の伸びやかなること、この小文ブロガーなどの及ぶところではございません。





筆者としては、それでも、これに習った筆者版「代表的日本人」を著してみたいという欲望がございます。

それでは、こちらからは以上です。

(2019年11月29日 金曜日)

▷▷次の記事は

(2014/11/19)ざっと1,200年以上続いている四国お遍路の旅についてさわりだけ述べておきます(世紀の偉人、弘法大師空海のお話)

2019年11月28日

(2019/11/28)フリマアプリとブックオフを利用して3年以上使ってきたiPhone7(黒)をiPhone8(黒)へ買い替えることに成功しました





おはようございます。

2019年11月の配信記事です。

ついに、3年以上使ってきたiPhone7(黒)を買い換えることに成功しました。

しかしながら、ホームボタンが好きなので、iPhone8(黒)への買い替えです。

3年前の最新機種から、2年前の最新機種へ、私のiPhoneシリーズライフも、当初は、最新版と共にありましたら、いつしか周回遅れ、2周回遅れとなり、今般、1年持ち直したものの、2年以上遅れたままというところに落ち着きました。

しかし、ホームボタンの安心感には代えられません。

これで良かったと思います。

さて、どのように買い替えを行うか、これは最近のフリーマーケットアプリ全盛時代における新しい物品調達手段として、メルカリとペイペイフリマを併用してみました。

まず、SIMフリーのiPhone8端末を、これらのフリマアプリを使って探索します。

iPhone8、4万円以下、本体、といったキーワードで検索をしてみますと、背面ガラスの割れてしまったものや、バッテリーが劣化したなどの「訳あり」の本体がわずかながら出てきました。

それでも、背面や横側が割れたiPhone8などは、2万2,000円、といった(2019年11月現在)破格の値段で飛ぶように売れていくことを見て取り、しばらく、数日それらのフリマアプリを時々眺めていましたら、出てきました。

40,000円、送料込み、数ヶ月仕様のほぼ新品(のように写真では見える)の美品のiPhone8が出てきました。

出品者の他の出品履歴をみますと、どれも非常に丁寧に使ったものであることが確認できましたので、少し高いなとは思いましたがそのまま即購入意思ボタンを押し、さっくり購入と相成りました。

そして待つこと数日。

いよいよ、メルカリ便が届きました。

開封の儀です。

ガラスフィルムもきっちり貼られており、お洒落なケースにも入ったiPhone8(黒)とのご対面です。

そして、今まで使っていたiPhone7(黒)のデータ移行も、iCloudのバックアップデータを利用しないという、そのままデータ伝送機能で、ものの30分ほどで完了してしまいました。

あとは、SuicaやLINEといった、端末ごとにユニークな設定が必要なソフトだけ、微調整をかければ、もう完全に移行も完了です。

最後に、SIMカードをiPhone8の方に差込み、これで完全に完了です。

さて、受け取った当日に、移行もすみましたので、古くなったiPhone7 (黒)を売却するために、近くのBookOffに向かいました。

ソフマップといった専門店の方が、高額買取をしてくれるのかもしれませんし、さらには、メルカリやヤフオクで売った方が、さらに高値が出るのかもしれませんが、出品手続きも面倒なので、そのままBookOffで査定してもらいました。

結果、18,000円で売却できました。

これで、ほとんど手間をかけずに、40,000円ー18,000円=22,000円で、新しいiPhone8(黒)を手に入れたということになります。

この端末を、きっちり2年使い切ったら、月額の負担額は、1,000円を切るという計算です。

現在、SIMは、日本の三大キャリアのものを使っていますが、こちらも格安SIM会社(楽天含む)の評判を見ながら試していきたいと思います。

これで、端末代月額1,000円、モバイル通信代金3,000円、といった世界に突入できれば、日本におけるデータ通信やスマホ端末の市場はものすごく広がるのではないかと思っています。

最新版より2周回遅れで走っていますが、それはそれで快適な筆者からのスマホライフ報告は以上です。

(2019年11月28日 木曜日)

▷▷次のページは

(2015/10/30)スマホ手袋の登場により冬のスマホもようやく市民権を得たという話です

2019年11月27日

(2019/11/27)生活習慣を見直して生活をシンプルにしてやりたいことや仕事に集中する環境を作ろうという話です






おはようございます。

2019年11月の生活をシンプルにしてやりたいことや仕事に集中するためのメソッドを、卑近な例から紹介しようという雑談記事です。

前も書いたかもしれませんが、筆者は仕事で使う、着用するスーツといえば「黒」と決めています。

黒も黒、真っ黒な、まさに(日本の)戦国時代末期、茶道を確立し精神世界で日本の当時のトップクラスに君臨した、あの千利休が説いたところの、全てを包み込む漆黒の黒です。

かつて流行ったジブリアニメ「魔女の宅急便」のキキが纏っているローブも黒なのですが、黒は女を引き立たせる、というおソノさんの言葉に触発されたわけでもないのですが、黒はどの場面においてもしっくりくるのです。

具体的には、急な葬式や通夜、結婚披露宴(こちらは急に決まるということはありませんが、土曜日か日曜日かを間違え、翌日の日曜日だと思っていたところ当日の土曜日であった、かつ自らは出先であった、というような場合があります)などにおいても、ネクタイの色さえ白黒間違えなければ、スーツが黒であるだけで、なんとかなります。

それから、下に着るワイシャツは、「白」と決めています。

こちらも、黒白で最もフォーマルな場所においても「それなりに存在できる」格好であることが大きいです。

さらに、筆者以外の筆者の周りにいらっしゃるみなさんはファッションに通暁(つうぎょう)していて、いろいろな色合いのカラーシャツを着こなしていらっしゃいますが、スーツを黒と決めている以上、白以上に「合う」組み合わせを思いつかない筆者は、同じメーカーの、同じ形態安定のシャツ、首回り42センチ、腕の長さ84センチ(腕が少し長い)のものを5枚購入して、来たら洗ってクローゼットの奥にかける、ということを繰り返しています。

これで、いつも朝には、押し出された5日前のワイシャツが一番前(右手)に出てくるので、それを取ればいいだけなのです。

スーツは黒いので、実は上下で別メーカーを着てしまった、という場合でもまず、バレることはありません。

非常に重宝しています。

さらに、靴下ですが、筆者は営業職で現場主義を標榜(ひょうぼう)し、さまざまな場所に出向いていきますので、靴下はすぐにすり減ってしまいます。

そして、一旦、最も丈夫な登山用靴下を検討したのですが、こちらは、山という厳しい環境において「目立つ」ことを大切にしていることから、真っ黒の靴下というものがないのです。

そこで、探索の方向を変えて、最終的に、足にフィットし極限まで丈夫な、バスケットシューズ用に特化した黒い靴下、にたどり着きました。

この靴下は、ワンポイントが上の方についていますが、少なくとも、外から見える部分については、真っ黒なままです。

そして、極めて丈夫です。

筆者は爪が手足の指とも大きく、歩き回る衝撃を繰り返すことですぐ靴下に穴を開けてしまうのですが(1日3,000キロカロリー消費することを自らに課しています)、このバスケット用靴下は、その過酷な対応にも、ある程度持ってくれます。

この靴下を、同じタイプの黒のものを、例えば3足まとめて購入します。

そうして、この靴下専用のバスケット(と言っても小さめのトートバッグみたいなもの)に入れておきます。

そうすると、洗濯して乾燥して、片一方なくても、片一方だけ親指の先が破けても、その破けた/失くしたものは無視して、靴下群のプールの中から、靴下を二つ取り出して、はけばいいだけです。

筆者は、特に洗濯したときに、片一方だけ靴下がなくなるという、人類史開闢(かいびゃく)以来問題となっている、あの「いつもの光景」に非常にストレスを感じておりましたが、この方法を取ることにより、「形あるものはいつかは壊れる」という諸行無常の境地になり、かなり平穏に、淡々と過ごすことができるようになりました。

また、破れてしまった靴下の最後の利用方法として、風呂の掃除やシンクの掃除、トイレでの拭き取りなど、思い切った利用をすることができるようになったのも幸いでした。

ですので、筆者は、基本、勤務日もオフの日も、靴下は一種類、黒いバスケット用のものだけです。

ワイシャツや、靴下のアマゾンでの購入履歴も雄弁に物語っています。

生活習慣の改善、ということで書き始めたこの記事ですが、黒いスーツと白い形状安定ワイシャツ、そして丈夫な黒い靴下だけの3点セットでこの分量となってしまいましたので、続きは、不定期に、後日の記事ということにさせていただきます。

本日の生活改善提案の記事は以上です。

(2019年11月27日 水曜日)

▷▷次のページは

(2019/06/08)「自分のことは自分でする」という当たり前のことを言うと炎上する不思議な「あたらしい」世の中について

2019年11月26日

(2019/11/26)ニートの人たちに耳より情報!「地域おこし協力隊」という業務委託のお仕事があります!





おはようございます。

2019年11月の、少子高齢化真っ只中に突き進む日本においては、これからはなんでも職業や業務、食い扶持になることになります、という紹介記事です。

特にニート、十五歳から三十四歳までの、家事・通学・就業をせず、職業訓練も受けていない人などには、朗報だと思います。

▷「NEET」は Not in Education, Employment or Training の略で、イギリスで言われはじめて、2004年ごろから日本にも広まった造語です。

教育、および雇用もしくは研修(職業訓練)という状況にない状況ということになります。

そんな方にも、「地域おこし協力隊」という業務委託のお仕事があります!

これは、少子化高齢化に悩む地方のコミュニティインフラの維持のために、行政機関が、もはや自前での職員派遣ではできなくなった(お金も手間もかけられない)ことから、それまでの「モノ・ハコ」への公共投資に振り向けていた原資(=税金や地方交付税)の一部を、その地域に少なくとも業務委託期間だけでも「定住」して活動してくれる「人」そのものに振り向けてしまおうという政策であり、要するに、公務員ではないけれども、市町村といった地方公共団体から、地域活性化という業務の「委託」を受けて、3年といった期限を区切って「定住」してもらう、という試みです。

実在する人であることの存在価値というやつです。

そして、この業務の委託方法ですが、これまでは、「(市町村の)嘱託職員として週30時間(という微妙な時間での)の雇用契約」ではなく、「地域おこし協力隊員個人への業務委託(※市町村との雇用関係はありません)」というレベルまで門戸が広がってきています。

ただいま、筆者が見た、人口減少県No.1という長崎県での公募を拝見しますと、

募集人員(長崎県)

地域おこし協力隊員 5名(伊王島、高島、野母崎、外海、琴海地区に各1名)

応募条件

(1)長崎市の過疎地域等の活性化に意欲があり、心身ともに健康で、地域住民とともに積極的に活動ができる
(2)応募時点で3大都市圏をはじめとする都市地域(離島、山村、半島、過疎等の地域に該当しない市町村。)に在住している、又は長崎市以外で 地域おこし協力隊員として2年以上活動し、かつ、解嘱後1年以内
(3)長崎市が行う選考において合格した場合、速やかに各活動地区に住民登録を移し居住できる
(4)普通自動車免許を有している ※高島地区を除く
(5)パソコン(ワード、エクセルなど)の一般的な操作、SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)による情報発信ができる
(6)地域おこし協力隊としての業務委託終了後に長崎市内で起業または就業し、定住する意思がある
(7)反社会的勢力(暴力団)などに該当しない

となっておりまして、要するに、

①インターネットにアクセスできるリテラシーを持ちSNS情報発信ができて
②住民票移して現地に住むことができて
③現在それほど田舎に住んでいない大人

であれば、誰でも応募できるという優れものです。

ここまで、世の中は、コミュニティというか社会性をもって人間活動を活性化できる人材を求めているという時代になったのです。

もはや、都会で人間関係に疲れている場合ではございません。

もちろん、田舎の方が人間関係が濃くて大変だ、という面もあることはありますが、もしこれを読んでいるみなさんが、ブラック企業や長時間労働問題、それから過大な営業ノルマや縮んでいくマーケットに対するリストラという名の合理化に苛まれているのであれば、このような地域移住手段(Iターン)を考えてみるのも一手だと思います。

これまで、このような地域おこし協力隊については、三大都市圏に「限定」した「都会」の居住者にしか門戸が開かれておらず、また、協力隊といっても、市町村の嘱託職員としての立場の縛りがあって、なかなか飛び抜けた活動をすることができないきらいがあったのですが、それではそもそも人が集まらない、ということで人的対象者要件が「普通の市」レベルに居住していればOK的に緩和されているだけではなく、こうした雇用によらない業務委託の形態が採用されるなど、柔軟に制度も変わってきています。

田舎へのIターンを考えている方々、長期の旅に出たい方、そんなこと思っていなくてもとりあえず現状を変えてみたい方、やる気さえあればこのような身の振り方もございます、というお話でした。

日本全体が限界集落となっていく中、限りある人的資源を有効に活用していかなければなりません。

無用な競争環境が残る業界で人的リソースを疲弊させるより、目を少し外に向ければいくらでもニーズがあるこのような分野に労働資源を振り向けるような取り組みが進めばいいと思います。

先祖は熊本県上天草市松島町、いわゆる天草上島でして、かつては天草・島原の乱で幕府軍15万の軍勢と対峙し島原の原城に立て篭もった4万人のうちの1.5万人は天草側だったといいますから、当時から域内経済軍事に意気軒高だった、そのようなご先祖様を持っている、田舎出身の筆者からの記事は以上です。

(2019年11月26日 火曜日)

▷▷次のページは

(2017/11/20)空前の少子化の時代にわざわざ辺鄙な田舎で廉価版学習塾をやろうという会社があるという話です

2019年11月25日

(2019/11/25)名刺と連絡先情報のリンクができれば最高だと思う話です(EightとLinkedin情報の結合)

名刺入れ




おはようございます。

2019年11月の連絡先および名刺管理に関する筆者個人の現状と今後の希望を含めて論じてみたいと思います。

連絡先は、Googleの連絡先管理が最初だったと思いますが、これは、かつて年賀状をオフラインで作って出していたとき(年賀状は2018年の年賀状を最後に欠礼することになりました)に、宛名の住所録代わりに用いていました。

さらに、Gmailをメインで使うようになれば、自然とメールアドレスがその連絡先情報に溜まってきて、そうして、携帯電話番号といった音声伝達手段の連絡先情報もその連絡先に溜まっていったという経緯があります。

ですので、かつては、名刺を受け取り次第、その名刺を自分の目で見て、Googleの連絡先情報に、氏名からメールアドレス、携帯電話、自宅住所がわかったら年賀状を出す際のために、その住所も手入力で登録していたというわけです。

ここから、ビジネスSNSという名のLinkedinが出てきます。

ビジネス上のキャリアの履歴や能力、専門性がわかるSNSということで、海外を中心に急速に伸びてきたこのLinkedinでしたが、筆者は自分のキャリアを英語で記載してはいましたが、特にうまく使いこなしていたわけではありませんでした。

また、最近では、日本初の名刺SNSといって良い、Sansan社から個人向けに出ているEightという名刺管理クラウドが出てきました。

筆者も、一念発起して、SansanやEightから提供されている、専用名刺スキャナを利用して、夜な夜な社会人になってから溜め込んだ、数千枚(9,000枚程度)の名刺を数晩ひたすらスキャンし続けた結果、Eightの私のクラウドには、1万枚を超える名刺情報が格納されました。

このEightの名刺情報は、Googleの連絡先情報と連携することができますので、今のところ、Eightで取り込んだ名刺情報上のメールアドレスや携帯電話番号を検索することは容易であり、直接連絡も取れるのですが、最近では、そのような迂遠なことをせずとも、なんらかのSNS、最も多いのは相変わらずFacebookですが、このSNS内のメッセンジャー機能でやり取りすることが多くなってきました。

さらに、クローズドなやり取りであれば、SlackやTeams、ChatWorkといったクラウド型コミュニケーションツールを使ってやり取りすることも多くなってきました。

しかしながら、そもそもこうしたやりとりをする相手方が、どのようなビジネス経験を経ているのかということを解るためには、もう少し、名刺情報を深掘りすることが必要になってくるとずっと思っておりました。

ここで、ついに、Microsoftの傘下となりビジネスSNSとしてその地位を不動にしつつあるLinkedinが、そのアカウント機能に「名刺情報」を取り込むとリリースしましたので早速使ってみました。

iOSで手元の名刺を「写真」に撮って、そうしてSNSでリンクされている連絡先情報を紐つけるという方式のようです。

これは素晴らしいことですが、残念ながら、名刺を一枚一枚撮影するたびに、Linkedinの連絡先情報に紐つけていかなければならないので、屋根裏部屋の奥にしまってある筆者の過去1万枚もの名刺情報を一気に取り込むということは難しそうです。

データの整備には、これまで使っていた旧システムから新システムへのデータ移行が最も大変であるというのが、改めて解る事例です。

できましたら、Eightにある私の名刺データを、うまいことLinkedinにある私の知り合い連絡先SNSアカウントに紐つけていただければ助かるのですが、難しいところなのでしょうか。

また、これから新しい名刺をもらうたびに、

・Eight(個人持ちのアカウント)
・Sansan(会社で登録している会社役職員としてのアカウント)
・Linkedin(個人で管理する業務用SNSアカウント)

それぞれのアプリを立ち上げ、それぞれ名刺の撮影写真を取り込むという3重の手間が続くと考えてしまうと、便利な世の中を維持するためのオペレーションコストというものが結構高くつくなと考えてしまうところもあります。

この問題は、いきなり解決することはなく、おそらくどこかで折り合っていくものではないかと思いますが、突き詰めますとビッグデータの維持管理をどのような思想で行うかということであり大変興味深い事例だと思いましたので、ここに述べさせていただきました。

皆さんも、仕事や作業のしやすいネットワーク構築のために、いろいろなシステムや仕組みをお使いかと思いますが、環境の維持にどれだけのコストをかけるべきか筆者は悩みながら過ごしていますので、お会いいただく際にはそのような話にお付き合いいただければと思います。

こちらからは以上です。

(2019年11月25日 月曜日)

▷▷次の記事は

(2019/05/30)スマホガジェットiPhone7に「無音」の着信音を装備し完全に沈黙させることに成功した話です

2019年11月24日

(2019/11/24)インプット素材は無限にある現在に大切なのはインプットのやり方を個別に教えることだと思うという話です





おはようございます。

2019年11月に、筆者が小さい頃を過ごした、2世代前の「昭和」の昔を振り返りながら今の経済を論じてみようと思う記事です。

うまくいくかはわかりませんが。

昭和の昔には、家庭に一台あるカラーテレビのチャンネル争いというものがありました。

お父さんがプロ野球中継(巨人戦しか田舎では放映されない)や大相撲を離さないとなれば、とっととお父さんには焼酎など飲んで引っ込んでもらって(ビールは高いから酒飲みには単位当たりの値段が一番安い焼酎というのが定番でありました)、僕ら子供たちは、ドリフターズのお化け番組の全員集合やら世界の映画監督北野武がまだビートたけしという若手の芸人でタケちゃんマンなんかをやっていた俺たちひょうきん族などの時間帯を必死に守ってテレビの前に陣取り構えていたものであります。

そのうち、ビデオデッキというものが標準装備されるようになったのですが、敵もさるもの、任天堂という京都の花札遊戯制作会社が突然発表した「ファリミーコンピュータ」(ターと伸ばさないところがミソ)によって、テレビ画面は、単にTV番組を写す機会という以上の、ゲームモニターという役目を与えられ、テレビの前に紐ついたこのファミリーコンピュータの前に群がる家族のまたコントローラー争奪戦が起こったのです。

ドラゴンクエスト(ⅠとかⅡとかを付けないのが本物の「通」です)をやり込んだ小学生の横では、父親が四人打ち麻雀やテトリス、ボンバーマンなどをやり込んでいたのが、団塊世代と団塊ジュニア世代の昭和末期におけるリアルなリビングテレビ前の風景だったのです。

団地の子だった筆者のところには、友だちもやってきて、一緒にツインビーやらマリオブラザーズ(「画面スクロール」というまさにスーパーな仕様によって展開するスーパーマリオが発表されるのはその後)をやっていたのが懐かしいわけです。

今や、テレビ画面の前に釘付けとなるような時代ではありません。

モニターは、今筆者が打ち込んでいるノートPCに限らず、スマホの画面でもタブレットでも、ありとあらゆるところに溢れております。

チャンネルも増えました。

YouTubeチャンネルのランキングを見ると、日本で1位(2019年11月現在)のはじめしゃちょーの登録チャンネル数は実に825万人、67億回再生、2039本の動画「番組」を擁しているという、まさにお化けコンテンツです。

産業別就業者数(男女計、就業者数計=6,664万人、2018年平均)によりますと、卸売業・小売業、製造業に続く医療福祉産業に従事する831万人とほぼ同値、ものすごいチャンネル登録数ではないでしょうか。

登録者数1,000人未満のチャンネルには広告収入など寄越さない、とYouTubeの親会社であるGoogleさんが宣言しているのも、むべなるかな、という感じです。

このように、チャンネルは無限にある、画面やモニターも無限にある、通信環境も、ギガ環境が格段に改善されつつあるこの現在においては、もっとも足りないのは視聴者側の「時間」「手間」「試聴機会」「自学時間」、要するにアウトプット時間の方ではなのではないかという結論に至りました。

従いまして、これからは、どのような手段で学習したりインプットしたりするかというよりも、「これとこれとこれを見て、確認テストをやるからそれで理解度が合格レベルと認定されたら次に行く」といった、アウトプットにフォーカスしたコーチング学習スタイルになるということは間違いありません。

例えば、数学の大切な概念である「微分積分」というものについて、その概念をわかりやすく論じた数本の(厳選した)動画を見てもらい、そしてこれも理解度を試す演習問題を与え、その解法も動画で用意し、理解度が一定に進めば実際の演習問題でひたすら時間内に解くことができるように訓練する、といった学習方法となり、この最初の導入部から演習すれば解答速度が格段に高くなるという「予測」が十分に立つところまで持ってくるのが、あらゆる学習や教育や訓練において、最も大切かつストレスのない「スキル、ノウハウ」になってくると思うわけです。

最初から、「これだけ視聴すれば」その分野のあらゆることがすぐできるようになる、というのは真っ赤な嘘です。

しかしながら、その分野のあらゆることを「自学」で掘り進むことができる最初の武器を与えてあげる、最初のとっかかりを気づかせてあげるというのが、0から1にするという意味で、非常に大切なことであると筆者は考えており、これは世界中のYouTubeを人工知能に機械学習されれば個人ごとに最適な解法を与えてくれるようになるわけではないと思うのです。

ここに、アウトプット型の真の学習にいざなう最後の「人間」としての「需要」が残っていくような気がしてなりません。

何度もいいますが、インプットの教材や情報は、もはや人類が味わい尽くせない程度に膨大に広がりました。

Googleさんありがとう、だけどもうこれ以上は人間の時間の方が有限だ、というわけです。

各個人に残された有限な時間の中で、自分が主体的に学びとる「振る舞い方」「態度」「習慣」をつけることの方がより大切です。

テレビの話から大きく飛躍しましたが、現在の自分の問題意識を文字化してみました。

こちらからは以上です。

(2019年11月24日 日曜日)

▷▷次の記事は

(2019/08/24)我が家にもGoogle Home(mini)がようやくやってきたので遅まきながら使ってみた話です

2019年11月23日

(2019/11/23)50年前からこの国では少子化が真の国難でありそしてそれに対して何もやってこなかった結末が今からの地獄となります



おはようございます。

2019年11月の配信記事です。

Be sure to taste your words before you spit them out.

口に出す前に自分でその言葉をよく味わえ、とでも訳すのが正しいのでしょうか。

言われて嫌な言葉はできるだけ出さない方が身のためです。

そうなのですが、なかなか怒りやその他の感情に任せて汚い言葉を出してしまうことを少なくするために、この言葉を脇に置いておこうと思います。

もう年も45歳となりましたので、そろそろ、勢いに任せて(悪い方向に)行くのはやめて、勢いに乗って調子に乗るなら良い方向、前向きな方向、人の助力が得られる方向に調子に乗って行った方が良いと思うわけです。

悪態の応酬からはいいアイデアは生まれません。

人に過大な要求を突きつけて詰る(なじる)より、その矢印を自分自身に向けて自分が率先してやるようにすれば意外に物事が解決に向かうような場合が多いとようやく気づいてきたところがあります。

言われたからやれ、というより、自分との約束を果たさないのは自分が一番恥ずかしいということを身をもって示し続ける方が、部下やチームのメンバーが自立して自主的に主体的に働くようになる再現性が高いようです。

子女に勉強しろと要求するより、自分が学習(自学)している姿を見せる方がよほど勉強も捗る(はかどる)というものです。





ところで、このようなことを書いているのも他ではありません。

人のことを攻撃している暇はないくらい、日本は始まって以来の、人口減少の国難の真っ最中なのです。

2020年から2045年の25年間(四半世紀)に減るのは約2,200万人、すなわち、2020年に12,410万人(1億2,410万人)の日本の人口は、今後25年(筆者70歳)で、ざっくりと、九州の1,300万人と北海道の500万人と、四国の350万人を足したくらいの人口がいなくなる、消失するということなのです。

衝撃です。

そりゃいなくなるのは高齢者がほとんどですが、下からどんどん高齢者になっていきますし出生率は2を大きく下回ったままと推計されますので、高齢者比率は下がりません。

おそらく、70歳の筆者も働いていなければ、生活的にも、世の中のお仕事的にも、おそらく回っていかないであろうことは明白です。

ひたすら自動運転、自動配送、ネットショッピングになったところで、生活に必要な最低限のサービスやインフラを維持更新していくという「手間」がどうしてもかかるはずであり、さらに限界集落などと言われている地域は文字通り「消失」するでしょう。

リモートワークが「通常」となり、どこにいても働いたり、消費したりするという、価値のリモート化が進み、空き家が日本中に溢れ、おそらく不動産価値というものは大都市圏のみにしか維持できないようになることは当然に予想されます。

さてこんな長期の、ずっと続く国難を前にして、内閣府特命大臣である少子化担当相を置く程度の、17人を上限とする、国務大臣の末席程度の「重み」で本当に良いのか甚だ疑問であります。

ちなみに、内閣法では、内閣総理大臣を除いた国務大臣の数は原則14人とし、必要であれば更に3人まで任命できます(内閣法第2条第2項)。

しかしさらに例外がありまして、復興庁及び東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会推進本部が置かれている間は最大19人まで任命できるということになっています。

つまり、内閣総理大臣とその他の国務大臣を合わせて20人までが同時に「大臣」となれるわけです。

昔に比べて、相当多くなっています。

人口は減っていくのに、です。

で、

内閣総理大臣 - 内閣府の長
総務大臣 - 総務省の長
法務大臣 - 法務省の長
外務大臣 - 外務省の長
財務大臣 - 財務省の長
文部科学大臣 - 文部科学省の長
厚生労働大臣 - 厚生労働省の長
農林水産大臣 - 農林水産省の長
経済産業大臣 - 経済産業省の長
国土交通大臣 - 国土交通省の長
環境大臣 - 環境省の長
防衛大臣 - 防衛省の長
内閣官房長官 - 「内閣官房」の長。内閣府の事務を総括する
国家公安委員会委員長 - 国家公安委員会の会務を総理し、国家公安委員会を代表する
内閣府特命担当大臣 - 必要に応じて内閣府に置かれるが、「沖縄及び北方対策担当」、「金融担当」、「消費者及び食品安全担当」は必ず置かなければならない(内閣府設置法10条、11条、11条の2)

とありますが、今の内閣府特命特命担当大臣(少子化対策担当)がどなたか、ご存知の方は少ないのではないでしょうか。

大分の72歳の3期目の参議院議員の方でこのたび初入閣の方が、内閣府特命担当大臣
(少子化対策)(沖縄及び北方対策担当)(消費者及び食品安全担当)(海洋政策担当)という、なんと4つの内閣府特命大臣の掛け持ちだそうです。

筆者としては、総務、法務、外務、財務、文部科学、厚生労働、農林水産、経済産業、国都交通、環境に防衛、内閣官房長官、国家公安委員会、これら全ての「実働部隊である省庁官僚部隊を持つ国務大臣」よりもはるかに格上に擬すべきだと思うのですがいかがでしょうか。

今の日本から九州と北海道と四国合わせた人間の頭数が消失して、長期的には、1941年太平洋戦争に突っ込んでいった時の8,000万人弱にまで減ってしまう、しかもその国民の4割が65歳以上という、この老人国家の日本がやっていけるとは到底想像できないわけです。

どうなるか。

・需要は急減、土地も設備もモノも余りまくってデフレーション継続
・労働人口は半減、特に田舎に労働力は期待できない
・税収は減る一方、消費税30%とか?ただし消費自体がもう喚起できない
・現役の減少と高齢者の急増で、あらゆる社会保険が破綻する
・こうした日本の国力低下により、円安加速、輸入品、輸入食料は暴騰

という風に、もう簡単に頭に浮かぶのに、国会で行われているのは

「桜を見る会」

なのがいかにも、日本沈没直前の内輪揉め状態であることは否めません。

どの国会議員もどの政党も、「抜本的な人口減少抑制案」を出さない構造になっています。

それに言及することは、たくさん投票してくれている、いわゆる「票田」である現在の高齢者じ対する、厚すぎる社会保障や税金の振り分けを減らさないといけないからであります。

そのような議員を選んでしまっている有権者=国民の方の責任は重大です。

そろそろ本当の話を始めましょう。

でないと間に合わなくなります。

こちらからの怖い話は以上です。

(2019年11月23日 土曜日)

▷▷次の記事は

(2018/06/05)お金がかかるゴルフ、サーフィン、釣り、スキースノボのマーケット崩壊について

2019年11月22日

(2019/11/22)ガジェット最先端!リビングに鎮座するカメラを搭載した Google Nest Hub Max。ビデオ通話、外出先からの見守りなど






おはようございます。

2019年11月のガジェット最先端の配信記事です。

個人持ちはiPhoneやアンドロイド端末、家族用にはiPadを持っているというご家庭は多いと思います。

もちろん、デザイナーや写真家、プレゼンターなどは、個人でiPad Proといった大画面のタブレット端末を持っていると思うのですが、大抵の「普通の」ご家庭では、タブレット端末は家族で共用しているという場合も多いのではないかと思います。

その、アップルのiPadが席巻している、現在のタブレット市場に、大きな(ビッグ)ウェーブがライバルGoogleからやってきています。

「忙しい家族の、大きな味方」

と題した、タブレット型のGoogleホームから格段の進化を遂げた、カメラと入力画面(もちろんマイクも)搭載した Google Nest Hub Maxという商品のリリースです。

これは、リビングの真ん中に鎮座し、ビデオ通話、外出先からの見守りなど、忙しい家族とのコミュニケーションを強力に支援します。

つまり、ホームカメラによる見守り、テレビ、電話、それからスマートロックや他の家電機器などへの制御なども、おそらくできてしまうのでしょう。

入力方法は、これまでのGoogle Homeである「人の声」から格段にバージョンアップして、声、指のタッチ、キーボードでの入力(周辺機器が必要ですが)、またカメラを通した人の動きや虹彩情報といった個人情報などを専用アプリを通じて認識するのでしょう。

この、Google Nest Hub Maxは、現代の「電子頭脳ハレルヤ(火の鳥宇宙編)」と言って良いGoogle アシスタントにオンラインでつながっていますから、気になる情報を声にするなどして入力するだけで、ひと目で簡単に(画面で)確認できるというわけです。

これは、タブレット市場における大きな革命です。

常時、電源とインターネットに接続されていて、カメラなどで監視している、サーバーのような存在になるのでしょう。

これまでは、iPadはカバーをして、カバーを開けたら画面が表示されるという、あくまで持ち歩く前提で実装されていました。

しかし、今後はホームアプライアンス(要するに家電全般)を「統括」する立場として、このグーグルの人工知能が「鎮座」するということになるわけです。

おそらく、一家に一台、このような家電統括者(というか複合家電そのもの)が行き渡ることになるでしょう。

ここから、外部への発信も、YouTubeの投稿も、ショッピングも、伝言も、電話も通話もオンラインミーティングも、あらゆることができることになるでしょう。

あと必要性が残されているのは、このホームアプライアンスを通じてやり取りする場合における、外に音漏れしない「静謐な環境」のみになるでしょう。

英会話の勉強を本気でやりたい場合、演劇の役者よろしく、昔は京都の大学の西部講堂や鴨川べりで「アメンボ赤いなあいうえお」「柿木栗の木かきくけこ」に合わせて、英文を繰り返し朗読していれば良かったのですが、権利意識の向上によりそうした騒音と認定されうる振る舞いはなかなかやりにくくなってきています。

音を立てないで公園で遊べと言われてしまうような令和の時代です。

そこで、段ボールなどで、ある程度の遮音性と視界を遮断した「秘密基地」を作るなり、室内に一人用テントを立てるなどして、その中で「音が出る」作業や学習を行うことになるのではないかと考えています。






さらに、日本ではSansanという会社が、企業向けにはSansan、個人向けにはeightの商品サービス名で展開している、名刺を写真に取り込みクラウドに格納するというサービスを、Microsoftの傘下に入った世界最大級のビジネス特化型SNSであるLinkedinがついに日本でも始めるというリリースがなされ、いよいよ生活、ビジネス情報のGAFAMによる総取り、が始まったかと思われます。

以上、Google Nest Hub Maxという革命的な可能性を秘めたホームアプライアンスの紹介でした。

こちらからは以上です。

(2019年11月22日 金曜日)

▷▷次の記事は

(2018/07/11)音楽もクラウドシステムで自分用のを外部保管して取り出しながら聴く時代になったという話です

2019年11月21日

(2019/11/21)近畿大学が全学生にSlackを導入するという時代にもっとも効果的に仕事をする方法を探る個人的な記事です






おはようございます。

2019年11月の近畿大学がいよいよコラボレーションコミュニティツールであるSlackを導入したというニュースに触発されての関連配信記事です。

これまでは対面や電話で行っていたやりとりに加えて、「Slack」を利用することになりますが、最も手っ取り早いのは、「情報共有」「報告」でしょう。

「議論」は対面もしくはグループオフラインで行う方が生産的であると思いますので、まずはそもそも講義がいつどこで行われるのか、急な休講や補講の連絡などから始まっていくのでしょう。

ある程度の「チーム」や「組織」でしたら、必ず情報の共有や連絡が常時行われているはずですので、このSlackを利用することで、クラウド上に常に「共有」できて必要に応じて「削除」もできる共通リアルタイム掲示板のようなものがリリースされ組織に実装されるということは、単に電子化された手紙のやりとりに過ぎない電子メールや、発信したら最後、発信側では削除することができずに受取人からスクショが週刊文春に持ち込まれてしまうLINEやFacebookのメッセンジャーなどに比べれば、はるかに情報漏洩や流出のリスク観点からも有用なツールとなっています。

代わりに、膨大なサーバー要領上の情報を、リアルタイムに動かし続けなければならないため、ホスト側の工数は増していくばかりでSlack本体の収益性についてやや疑問な点はあるものの、同様のサービスはGAFAMの一角であるMicrosoftも「Teams」という同様のクラウドコミュニティツールで対抗しようとしており、日系のチャットワークス含めて三つ巴の三国志状態になっており熱い戦いが繰り広げられています。

実は、筆者は、このSlack、teams、そしてチャットワークの3つとも、それぞれ別の組織で使っております。

それぞれ一長一短がありますが、概ね目指しているところは同じであり、ユーザーの経験値が上がり要望が整理され次第、新しい機能が実装されるという日進月歩の進化です。

おそらく、この記事の文章も、後で読み返せば古い感じが漂うものになることは間違いありません。

このチャットツールの一番の利点は、個々に個別に対応していた学生や構成員からの質問や相談を、Slack上に蓄積し共有することで、検索を容易にし、同じような事象や問題提起における先行対応事例として引き出すことができるということです。

例えばある時点であるビジネス上の重要な決断を行ったということであれば、どのような合意形成を行うための仕掛けが用意され、その仕掛け上で各プレイヤーがどのように振る舞い、最終的に組織としての意思決定となったのかという履歴や経緯を、一方的な報告文書や電子メールでの経緯文に比べればはるかに衡平に洗い上げることができるのです。

これにより、業務や教育や研究の質は劇的に向上する効果が見込めると個人的に思います。

このように、これから少子高齢化が本格化し、就労人口が減り続けることが数十年確定している我が国におきましては特に、製造業の生産現場に限らず、サービス業や事務作業の場面においても、大胆に業務を効率化して仕事の見える化を進めないと生き残れません。

電話や電子メール、オフラインでの対面という情報共有手段や合意形成手段、相談協議手段の有用性がますます増していく以上、一段下がった「情報共有」や「報告」については、大いにこのようなチャットツールを使って適切に流していくことが求められていると思います。

最近は、4つめの「Discord」というチャットツールにも参画しております、まだまだ新しもの好きな45歳21世紀中年の筆者からは以上です。

(2019年11月21日 木曜日)

▷▷次の記事は

(2018/07/21)トップはソリューションを提示するのではなく未来の話をしなければならないと思う(業務効率化の話)

2019年11月20日

(2019/11/20)「完璧」の語源になった完璧な玉(璧(へき))という完璧に面白い話をさせていただきます





おはようございます。

2019年11月の、完璧という言葉についてのお話です。

完璧に面白い話をさせていただきます。

その前に、小さなことだけれども自分の周りに結構ある身近なことですよという例としまして、LGBTに関する講演やワークショップなどでよく聞く話を紹介させていただきます。

LBGTの人など、自分の周りにはいない、と言っている人について、それは間違いで、その自分の認識が不足しているのです。

かなり信頼できる程度の調査によりますと、なんとLBGTの定義にあたる人は、人口全体のだいたい3%以上いるということです。

こうなると、例えば、日本において「鈴木さん」「佐藤さん」という、日本の定番の姓の人を足したくらいと同じ程度に「存在」するわけでありまして、まさか、日本のみなさんが、鈴木とか佐藤とかそんな苗字の人は自分の周りにはいない、などと言うことはできないでしょう、というようなことになります。

自分のよく知るものと、事実として存在するものには、大きなギャップがあるということなのです。

筆者自身も、よく気をつけて見ていくようにしたいと思います。

鈴木さん、佐藤さん、いっぱい存じ上げております。

さて、完璧に話を移して、「完璧」な話に移ります。

完璧な話の舞台は、古代中国戦国時代、日本の漫画キングダムの時代の少し前です。

完璧とは、欠点や不足することがなくて立派なさまや振る舞いのことを言いますが、これは下の部分が「玉」であり「土」ではありません。

「土」だと「壁(かべ)」になってしまいますので、気をつけましょう。

ぬりかべ、の「壁」ではなくて、へき、の「璧」です。

さて、古代中国の戦国の七雄と言われた大国・趙の国において、璧(へき)が出ました。

和氏(かし)の璧といいまして、璧は古代中国より「鏡」より上位の宝物として珍重されてきました(この名璧が出た逸話も、これまた強烈なのですが、話を絞るためにここでは割愛します)。

魏志倭人伝に、魏の皇帝が、日本の邪馬台国の卑弥呼に対して、229年くらいに、「真偽倭王」の称号と銅鏡百枚を渡した、とありますが、あの「鏡」よりもさらにずっと上位の宝物、お宝です。

薄い玉(ぎょく)の一種で、装飾が施されてあり、真ん中には穴が開いています。

そして、キングタムの時代、戦国七雄と言われた大国の中の、趙の王が和氏(かし)の璧(へき)を手に入れたという噂を聞きつけ、キングダム主人公の「国」である当時の秦の王はそれが欲しくなります。

この点、茶道の名物の「三日月茶壺」という茶器を献上して、いきなり織田信長の懐に飛び込み、出身の四国阿波で蠢き長曾我部元親と明智光秀を追い込むことになる、三好三人衆の三好氏の話を思い出しましたが、このように、歴史において「宝物」とはそれだけで大きな力、魔力を持っていたのです。

そうして、秦王は、この壁を、城15個と引き換えに譲ってくれないかと趙王に要請するのです。

ちなみに、古代中国から近代近くまで、本場中国で「城」といったら日本の姫路城や熊本城、松本城のような城郭のことではなくて、城壁で囲まれた行政単位の町そのもののことを言います。

いわば、進撃の巨人でのシガンシナ地区自体のことや、ドラゴンクエストⅠの城塞都市メルキドのようなものを想起していただければ、令和に生きる日本のみなさんにもわかりやすくイメージできるかと思います(令和生まれにはまだまだ難しいかもしれませんが)。

さて、そんな絶対に反故にするであろう「15の城」と引き換えの「和氏(かし)の璧」を差し出せと言う話、本当は受けたくないのですが反対すれば軍勢が攻め寄せてくるというのを避けたい趙王としては、食客であった「藺相如(りんしょうじょ)」という人物が推挙された結果、彼に玉を託して秦に出し、かの国と交渉させることにしたのです。

交渉の経緯は割愛しまして(べつに特記するような交渉はなく、ただ寄越せと言われるだけ)、要するに秦国としては、15の領地を割譲する気などさらさらなく、和氏の壁だけを分捕ろうとしていることがわかるや否や、藺相如は、この和氏の璧もろとも自分の頭も砕くがよろしいかと一喝して、そうして無事にこの璧を趙の国に持ち帰るのです。

実は、このとき激怒した藺相如の髪の毛は怒りのあまり逆立ち、帽子をかぶっているかのようだったと言いまして、この様「怒髪天を衝く」という別の関連語も生んでいます。

藺相如(りんしょうじょ)、すごいですね。

このように、古代の戦国時代には、現代での「常識」では測れない、ちょっといっちゃっている人物やその逸話がいろいろ出てきます。

こういうのを知れば知るほど、現代の「常識」から遠く離れていきそうになるのが抑えられないところです。

話か完璧に逸れそうなので、完璧に戻しますと、そうして、完璧とは、「壊すことなく元の姿のまま持ち主に返すこと」という意味の言葉として人口に膾炙(じんこうにかいしゃ)するようになったというわけです。

完璧な話は壊すことなくそのまま本来の持ち主に返すこと、が語源であるということがわかりました。

完璧を完璧に使うには、まず字を「玉」にして「土」にはしないこと、それから、もともと、元のまま本来の持ち主に返す、という語源に添った使い方をしたほうが、特に本場中国においては「教養」があるとみられるかもしれません。

完璧な記事からは程遠い紹介記事でしたが以上です。

*一文字だけ、璧を壁に間違えて記載してしまったようです。元に戻って探してみましょう。

(2019年11月20日 水曜日)

▷▷次の記事は

(2017/03/10)またグラブ持って応援に来てと言う完璧な対応をされた山田選手は本当に素晴らしい選手という話です

2019年11月19日

(2019/11/19)疲れる前に休む(寝る)ことを強くお勧めする話です(質の良い睡眠の話)






おはようございます。

2019年11月のかつてビルメン王と称しておりました45歳男性の配信記事です。

この年になっても、いやむしろこの年であるからこそ、自分への投資というかご褒美となる自分自身で学習したり調べたりトレーニングしたりする時間を毎日取るということは非常に大切なことです。

小学校中学校高校くらいまで、多くの少年少女は部活動に入って運動やスポーツ、それから芸術的な文化部活動に勤しみます。

身体を鍛えるということで、例えば高校野球球児などを例に取れば、朝は5時台に校門を潜り、体を解(ほぐ)してから準備運動、全体練習、そうしてピッチャーとか外野とか内野とかいったパート別の守備練習、バッティング練習と移っていきます。

これらを、授業が始まるぎりぎり直前までやります。

放課後は、午後の授業が終了した後のホームルームが追われば、即部室に集合し、個々の道具の整備から試合形式の練習を見越した道具設備出し、グラウンド整備(グラセン)を行って監督コーチ、上級生の「ご来場」を待って帽子を取って挨拶しながら黙々と準備します。

そうして、深夜の筋力トレーニングまでみっちり、部活動に時間を費やすわけです。

食事は1日5食。

水は飲むな。

これが当たり前な昭和生まれの部活指導でした。

このように、人生の初期段階において、人体成長のごく初期段階において、かなりハードなトレーニングを課し、そうして甲子園全国制覇、というかなりリスクの高い、ハイリスクな、危険すぎるギャンブルに親子、一族郎党みなみなこぞって身を駆り立てるわけです。

さて、スポーツや芸術で一番を狙うということは非常にワクワクするし、アドレナリンも出ます。

しかしながら、その人が、社会人として、その「技」や「技能」でずっとやっていこうと思うのであれば、その自らが示す「技」や「技能」「振る舞い」を、一体何人の人たちが、楽しみに見ているのかをあらかじめ「測っておく」のは非常に大切なことになります。

これは、市場の裾野の話でありまして、例えば、全世界でもっともプレイされている、興味を引いているスポーツは、サッカーです。

次は、野球、と思われるかもしれませんがそんなことはありません。

次は、特にインドなどで国技並みに扱われている「クリケット」なのです。

クリケットの超一流選手がもらう年俸は、日本プロ野球機構の一番年俸の高い選手の、軽く5倍10倍となっています。

なぜかと言えば、日本の熱狂的なプロ野球ファンが、1億2千万人の日本人の中から出てくるのに比べて、12億人以上いるインドの国土中にひしめくクリケットファンからの「注目」が金銭的価値=すなわちお金、年俸に反映されるというわけなのです。

クリケットの試合のスポンサーや協賛企業の広告は、全インド中に中継されるクリケットの優勝決定戦に、それこそ数時間に渡って掲出されつづけます。

こういうこと(環境)が、自分がやっていることの「価値」「金銭的報酬」につながっていくというわけです。

これは、スポーツに限らず、神羅万象にひしめくありとあらゆる事業や仕事や業務と報酬とのゆるやかだけれども厳然とした相関関係として説明できます。

価値とは、人の目を引く、人の興味の対象になる、人の役に立つ、人に好意的に見られる、ということと同値なのです。

そうして、その価値をはかる物差しとなる「人」は、ほぼあらゆる人を含む「平均的な」人ということになります。

特定の層、例えば金持ちとか貧乏人とか特定の宗教カテゴリに属すといった、カテゴライズされない、全世界の平均的な人物像ということになります。

ですから、Twitterのフォロワー数が、その人の影響力≒当該フィールドでの存在感にほぼ比例して受け入れられるのです。

あいつのフォロワーはレベルの低い人ばかり、あの人のフォロワーはレベルが高い、という「議論」はあまり参考にならずに、絶対的な「人数」によって左右される、厳然とした、戦術も奇策も必要のない、(非常に高度に一般化標準化された)人の評判や信頼、興味を得られるかどうかという影響力競争のフィールドに、みなさんも筆者も否応なく立たされているということでもあるのです。

このような、社会政治学、行動様式理論と実践をつなぐアプローチとして、筆者が現在取り組んでいるシェアオフィスやオンラインコーチングといった世界での影響力調査や研究は、非常に面白い取り組みでありまして、その一環で、地域(特に田舎)の居場所作りやまちづくり、場作りなどを実践することが大事だと思っています。

なお、このように考えるといつも動き回っていなければならないと考えてしまいがちですが、最も大切なのは、定期的な休息、つまり有り体に申し上げると寝ることです。

ある程度習慣的に、強制的に定期的な休憩を取って作業や業務に集中して取り組んだ方が、実は平常時(ずっと業務に精励する)場合に比べて、ミスが半分以下に減るなどの実証実験の結果も(働き方改革の研究結果として)報告されています。

こういう「知見」を広く広めて、休む=生産性を下げる、サボる、といった間違った認識を改めてもらうというのが、筆者なりの理論と実践をつなぐアプローチだと考えています。

要するに、「疲れる前に休む」というのを愚直に実践すべきだということです。

愚直にできない組織や所属母体からの同調圧力には、しっかりとした「理論」で反駁し、むしろ生産性を高める効果的な方策であることをきちんと説明して、これを実践していきたいものです。

疲れる、という自覚症状はかなり重度のもので、実は、「飽きたな」と感じる時点ですでに疲れている、疲れたと思ったらもう重症だとのことだそうです。

かように、疲労とは、脳の方に原因があることが多く、脳の神経がすり減り疲労が蓄積してしまうと、脳自体が傷つく、物理的に傷がついて広がるということだと思います。

それを回復させるためには、身体の方から「運動」して体と脳という二つの身体の部分をまとめて疲れさせて、よく寝て脳を一緒にリフレッシュさせるのが一番だと思います。

脳が覚醒したまま眠ろうとしても、なかなかこの脳は真面目で休んでくれないのです。

そして、一番よくないのは無理して頑張ってしまうことであり、一気に悪化します。

同じ怪我でも、骨折したら誰でもギプスをはめるのに、脳の物理的な損傷や異常を関東精神とか精神論、根性論で何とかしようとするのはまったくもっておかしいということです。

ということで、筆者は45歳にしてようやく睡眠の量と、ついでに質についても気を遣って生きるようになりました。

バイブルは、いつも21時に就寝する(起床は5時半)真面目な教授の姿を描いた古典的漫画「天才柳沢教授の生活」です。

それでは、本当に長くなりましたが今日はこの辺にいたします。

こちらからの雑感は以上です。

(2019年11月19日 火曜日)

▷▷次のページは

(2014/06/30)睡眠不足は健康の大敵でありできるだけ解消しておくことが望ましい話

2019年11月18日

(2019/11/18)西南学院大学商学部において「会計学」というテーマで社会人講師として参加型講義をしてきました






おはようございます。

2019年11月の、大学での講義を「する方」に参加しました、というレポート記事です。

西南学院大学商学部において「会計学」というテーマで社会人講師として参加型講義をしてきました。

西南学院大学、という鎮西福岡に100年以上の歴史を持つ、キリスト教プロテスタント派、バプテスト(Baptist)教派の流れを組む私立大学において、商学部の講師の先生の持つ1回生、2回生の学生(それぞれ15名ずつくらい)に対して、90分の授業をそれぞれに対して、要するに、90分×2コマの「講義」を、筆者と筆者の同僚1名と一緒に行うという形式にしました。

ちなみに筆者の実家は、禅宗曹洞宗派の寺院の檀家です。

社会人を招いての講義というのは、いろいろな大学で取り組まれていることですが、こちらとしては事実上大学の教壇で話すことなど稀なので、どうしようかといろいろ迷って考えた結果、やはり「質問を受ける形式」にまさるゼミ方式はないだろうと思いまして、このようにさせていただきました。

それというのも、この2019年の令和元年の世の中におきましては、インプット方の学習方法としては、それこそユーチューブだのGoogleだのスタディサプリだのといった、「神授業」やユーチューバー中田の日本史お宝講義動画などがあふれておりまして、今更個人ベースの知識やノウハウで、一方通行の「与える」形の講義をしたところで、競争優位は保てないし、また講義とは、受ける側と一緒に作り上げていく共同作業であり、そのライブ感が面白くて皆リアルに大学なりに登校してきているのだと考えれば、自ずと、学生側からできるだけ「問い」を立ててもらって、それに答える、少しだけ一般化して敷衍するという形で進めた方が断然、講義をやる方も受ける方も面白いと感じたのです。

そこで、会計の概念、という複式簿記という悪魔的な発明で神羅万象の世界中ありとあらゆる「事業」というものを数字に引き直して通訳できてしまう手法、ツールであるという通り一遍の話をさらっとした後で、自由に学生から問いを受け付けるという形式にしました。

なかなか日本の真面目な学生さんから質問をもらうのは難しいです。

しかしながら、グループワークで考えてもらう、目を見ながら微動だにしない、というような社会人耐性により鍛えられた各種の「技」を駆使しながら、なんとか少しずつ雰囲気をアイスブレイクして、だんだん質問がスムーズにもらえるようになってきました。

ともすれば、講師側にとっては沈黙が怖くて喋り続けてしまうのですが、それをあえてやらずに、こちらのコメントは要点だけでぶつぶつにぶった切って、すぐ「質問タイム」に戻るということを繰り返すことで、最初の方はぎこちなかったのが、意外に質問が出てくるようになり、双方向の演習といった感じになりました。

こうなると、時間が経つのが非常に早くなります。

ここで、気持ちよく具体的なことを喋り続けてしまうという誘惑に抗しながら、あとでググって調べといて、と黒板に書いて講師側の話はさっくり切って、質問とその回答を高速で回すことに集中します。

こうして、90分の講義はあっという間に過ぎました。

意外に、疲れたという感じもなく、また質問したことに対する(講師側の)回答、という風に講義が進むので、興味が削がれることなく時間を有意義に使えたのではないかと思います。

ここで狙っている本当のポイントは、学習とはインプットだけではだめで、アウトプット、自学して演習して成果物を自ら提出して衆人に晒す、このような取り組みも車の両輪として非常に必要であるということです。

「会計」は質問の導入に過ぎず、これはどのようなテーマでも本当は良いわけです。

できるだけ、このインプットアウトプット双方に資する形で、大学の講義やゼミは運用されるべきであり、そのためには、学生さんには「問いを立てる能力」を磨いてもらいたいし、そもそも講義を作り上げていくための「コミュニケーション能力」を、修羅場をくぐって高めていってもらいたいものです。

修羅場といっても、衆人が見ている中で、自分の「問い」を発言するということだけなのですが、これがなかなか同調圧力の強い集団ではできません。

1回生の講義では、なんと学生全員が、教室の「後ろの方」に偏在して座ってしまいましたので、講義側の我々二人は、学生側に「寄って」目の前の机で寄り倒すような講義、というか質問の受付を行いました。

2回生になると、なんとなく真ん中の方に座ってくれたので、左右前後ろをうろうろしながら、包囲網を敷きながら質問を受け付けることができ、質問の収穫率もかなり高くなり嬉しかったです。

このように、オンラインでのインプット学習ではできない、本当のリアルなコミュニケーションを取れることが、講義やゼミの本来の有用性であるということを、繰り返し繰り返し原点に立ち戻るように言い込み、解決方法(ソリューション)を提供するのではなく、問い(クエスチョン)を立てることができる人材をこれからの社会は、国家は、世の中は、会社は求めているというメッセージをしつこく手を替え品を替え、訴えてまいりました。

少しは伝わっていればと思います。

最後に、光陰矢の如し、君たちも、もう「すぐ」に、「令和生まれ」の出現に驚くことになるだろう、その時を楽しみにしておけと予言して、1日1日、一瞬一瞬を大切に、勝負して生きてください、と締めておきました。

かつて「平成生まれ」が社会人として登場してきたときに、衝撃のあまり寝込みかけた記憶が生々しい、そんな昭和生まれの筆者からのコメントは以上です。

「カレーを目に入れる程度でパワハラとは片腹痛い」

「昭和のそれなど、ここでは言えないレベルだから」

こちらからは以上です。

(2019年11月18日 月曜日)

▷▷次のページは

(2019/11/18)世界大学ランキング(2018年)が発表され日本の大学の地盤沈下が鮮明に

2019年11月17日

(2019/11/17)電車やバスといった公共交通機関での移動中でも十分にできる「インプット」の学習とは


胸アツ!中国歴代王朝領土変遷動画版(2時間完全版)



おはようございます。

2019年11月の朝夕冷えてきた秋の夜長に、ラーメンがうまい季節になりました。

といってもラーメンは年中食べているのですが、少し福岡市の都心から足を伸ばした郊外のラーメンの名店においてラーメン・餃子、焼き飯という黄金三点セットなどを食しながらこの記事を書き始めました。

以前、この店に数年前来たときには「現金決済オンリー」だったところ、QRコード決済のペイペイとLINE Pay、くしくもこの2社の「経営統合」の一報が駆け巡った直後の訪問でしたのでさらに印象深かったのですが、食べるお客の方も、結構このQRコード決済を使ってさっさと決済していくのが印象的でした。

当然、消費税増税対策という名のポイント還元制度や、ペイペイ自体が行っている独自ポイント還元制度も続いているので、現金で支払うよりはるかに「お得」であることは間違いないこのQRコード決済なのですが、これはお店側にも相当のメリットがあるように感じています。

レジに現金をためて、毎日締めて現金を数える必要が減りますし、さらにレジに売上金を入れておくことによる盗難や持ち逃げのリスクに常に晒されている、このような不安から解放されるわけです。

筆者は、こうした決済の手間や現金持ち運びのリスクを極力排除したいと日頃から考えているので、こうした場合には遠慮なくペイペイなりで、お代は「先払い」し、このような文章を書きながら、手持ちのiPhone7黒にはユーチューブ動画のお気に入りの動画、例えば古代中国から現代までの歴代王朝領土変遷(2時間超完全版)というような、ひたすら地図上の各王国の領土が色分けで変遷していくだけの動画や、日露戦争の戦況推移のロシア軍日本軍それぞれの軍勢の動く様子がプロットされ続けるだけの動画といった、そのような動画を流し見ながらラーメンをすすっています(汁まで飲んでしまいます)。

なお、スマホやタブレットを、いい感じの角度に固定しておく、アルミ製のミニスタンドも購入し、持ち歩くことで、いつでもどこでも好きな角度で、両手を空けて、かつワイヤレスイヤホンで音も聞きながら動画を楽しむことができるようになりました。

時代の進化を感じます。

このような時間の使い方(あと読書)というのが、もう時間の過ごし方としてたまらないと思う性向の筆者なのですが、このように考えてみますと、もはや、知識のインプットにおいてスクール形式で「集団学習」する意味はほとんどなくなってきたなと感じています。

どんな有能教師の神授業でも、リクルート社が提供する動画オンライン授業のスタディサプリの2倍速授業、もしくはユーチューブ講義の2倍速つまみ食いといった「インプット」+それに対応したテキスト(既存の教科書で全く可能)で勝ち続けることは難しいです。

学習指導というのは、決して、インプットのみが大切ということではなくて、そのインプットで得た知識を、自分で咀嚼してアウトプットすることまで完結させないと効果が上がりません。

インプットとアウトプットは、いわば車の両輪のようなものです。

そうして、アウトプットで成果を出すことができるためには、講義を聞いているだけでは絶対にダメで、学習者が自分で手を動かして、「演習」しないといけません。

この「演習「自学」といった大切な学習の時間や機会が、現在の全日制中学、全日制高校にカリキュラムとして組み込まれているとは到底思えない、というところが、筆者が大いに疑問視しているところなのです。

例えば、一定の英単語を覚えてこい、と放課後や自宅での深夜早朝の「宿題」で命ずるのではなく、1から100までの英単語演習(書き取り、聞き取り)を、タブレットでのクイズ形式で書かせて完璧になるまで演習を繰り返す、タイピングテストの「寿司打」のようなソフトで個々人が「正規授業の時間を使って」「それぞれが自学」すれば良いだけなのです。

ちなみに、「寿司打」はローマ字入力用のタイピング練習ゲームです。

専用ソフトは不要で、ブラウザベースでできますので、非常に手軽にいつでもどこでも取り組むことができます。

お皿が流れてしまう前に画面の文字をタイプして、どれだけモトを取れるか(= たくさん食べられるか)を競います。

これは、きちんと指をホームポジションに置いておくようにしないと、高得点(高速タイピング)が見込めないので、基礎基本の練習に非常になります。

例えば、高校英語においても、Z会から出ている「速読英単語(必修編)」約1,800単語について、この寿司打よろしく、英単語のタイピングで回すようにすれば、速攻覚える高校生が続出し、通常の国公立大学レベルの大学入試レベルなどには簡単に到達すると考えているのですがいかがでしょうか。

そのようなことを考えながら、移動する電車の中では、歴史各王朝諸侯の領土動画の続きを見て、中国の三国志の後の東晋西晋の時代や、そもそも日本の授業では「前漢後漢」というのを本場の中国では「西漢東漢」と言うのだというのを知ったり、中国人の作った動画なのに、日本の鎌倉幕府滅亡後からの南北朝時代や応仁の乱からの戦国自体などを細かく描写していて、歴史好きにとって国籍などは関係ないなあと一人にやにやしておりました。

さらに胸アツな動画「諸侯領土変遷日本史バージョン」


そのような隙間の時間を利用しながら、いつのまにか電車は目的地を通り過ぎてしまいました。

今回も、雑感になりましたが、自分の時間をできるだけ捻出して、インプットの時間をアウトプットの自学の時間を分けて考えるというのは、非常に有用な、やることが多くて頭が回らないときにはなおさら、ストレスのたまらない良い方法であると思いました。

ブログというアウトプットの時間だけは、PC画面の後ろにいる読者の皆様のことを感じれば一気に集中することだけはできる筆者からの雑感記事は以上です。

(2019年11月17日 日曜日)

▷▷次のページは

(2019/07/06)2019年7月6日(土)9時の人生初のラジオ番組出演を通して感じたこと(雑感)

2019年11月16日

(2019/11/16)少子高齢化時代を控えて中心市街地からの都市づくり撤退戦を行う覚悟が必要であるという話です





おはようございます。

2019年11月の土曜日の人口減少から衰退に向かう日本におけるまちづくり活動日記です。

少子高齢化時代を控えて中心市街地からの都市づくり撤退戦を行う覚悟が必要であるという話です。

久しぶりに実家、高校1年生の冬まで過ごした両親がいる北九州市八幡東区の公団住宅(住宅供給公社)のアパートに行きました。

両親も出迎えてくれますが、来るなり頼まれるのはパソコンやスマホの設定です。

今回も、いろいろと、ギガライト契約で月額負担が1,500円程度減りそうだから手続きしてくれだの、ポイントがたまったのは何に使えばいいのか、といったところから、PCについては動きが遅くなった、そもそもウィンドウズ10自体のアップデートができていなかったので、一旦全てアップロードしてアップデートをかまし、そしてNECや富士通のPCセットにありがちな、余計な(自称)ウィルス検知系ソフトや便利ソフトといいながら、単にPCの動作を重くしているとしか思えない草ソフトを、片っ端からアンインストールしていきました。

こんなことをやっていると、割と早い午前中にやってきたのにもうお昼になりました。

しかしながら、おかげさまでしっかりPCのソフトの整理をしたので、本チャンで使う、GoogleのChromeブラウザの動きも軽やかになり、動きが早くなった、起動がスムーズになったと喜んでもらいました。

さらに、gmailを専用に読むためのショートカットやら、音楽を聞きたいと言うので、CDからアップロードしたitunesなどのショートカットもわかりやすくデスクトップに整理して、まずはもらった要望や疑問点は全て解決したわけですが、こちらからも一つ、「YouTubeMUSIC」という破壊的なサービスを紹介し、ついでに、「クラシック音楽全集」のようなショートカットを付して説明しておきました。

もう直接、インターネットから情報を参照して、音楽でも映画でも、講義でも授業でも、聞ける時代になったということを説明し、それでも、今、(子供である話しやすい)自分がそばにいて解説したり会話したりしないと、そもそもサービスの利用方法がわからない、デバイスやガジェットは、「気の利く喋る取扱説明書」がないと何の役にも立たない、いくらスタディサプリのような神授業のオンラインの集積があっても、その子の真の目標に沿ってやり方を解説してくれるナビゲーターやメンターがいないと技術だけでは人間幸せにならない、と説明すると、いつの時代も人間はそうでないと成長しない、というような反応でした。

かつて、昭和の時代に家電の三種の神器と言われた、テレビ・洗濯機・冷蔵庫が揃い始めた時代から生きている世代ですが、いつの時代にもその時代を彩るイノベーションはあるものだという、妙に達観した姿がそこにはありました。

さて、そのような我が故郷である北九州市ですが、隣の福岡市が最後の人口増加の伸びを見せている一方で、全国的にも、長崎県長崎市や長崎県佐世保市と並んで、非常に高齢化少子化が激しい「都市」として有名です。

実際、筆者が小学生のときには子供ばっかりで賑わっていた街の中心市街地のホールも、まるごと空き区画でテナント募集中、というような有様です。

筆者とほぼ同い年である、この実家の住宅供給公社の公営アパート(46歳)も、かつては狭いながら家族住まいを想定した3DKといった造りでしたが、単身者や介護の老人夫婦の入居を促進するためか、空き部屋の大規模リニューアルに着手しており、壁を全てぶち抜いて真ん中にリビング・ダイニング・キッチンがほぼ一つになった1LDKへのリノベーションが進んでおりました。

これで、入居率が上がれば、この公営アパートも、あと10年くらいは耐用年数が延びそうです。

このように、人口減少社会における社会インフラの整備において、一番大切なのは、撤退戦というか殿(しんがり)をいかにつとめるのかということであり、古来撤退戦で名を馳せた関ヶ原からの島津の退き口(しまづののきぐち)の例など本来豊富にある記憶を呼び覚まして、ここから長く続く縮小経済の世の中をうまくマネジメントしていくことです。

つまり、今後の人口減少が本格化する中で中心市街地の戦い方としては、兵站路(退き道)の策定をまずやらねばいけません。

どのような未来像を描くか、事実から引き直して、将来のエリアマネジメントを並行して考慮し、開発や維持が難しい地域は思い切って考慮から外すことも考えなければ、うまい撤退戦にはなりません。

損切り基準を定めない場合、虎の子の未来に残すべき資産すら、消滅しかねず、将来に何も送ることができません。

いわば、遅退防衛の殿(しんがり)混成部隊を組織できるプラットホームを設置し、限られた戦力を必要な分野に集中投入しないと、全滅の憂き目を見るということであり、この点において、昭和時代から平成初期に流行った、郊外ニュータウンを切り開き流入人口を撒き散らす、みたいな拡大住宅施策はとっとと中止しなければなりません。

将来、かつて満蒙開拓団の引き揚げに苦慮した旧憲法下の日本の二の舞になります。

反対の立場におります筆者の考えを申し上げますと、中心市街地の長屋を復活させて、戦線の延び切りを防ぎます。

補給路を短く取り、食住一体化した街づくりをやります。

大型商業施設ではなく、商店街の中小商店を守り、徒歩生活圏を死守します。

寺子屋形式の自学施設の運営とオンラインインプット方法の拡充・最大利用により、教育水準の維持をはかります。

オンラインでの店舗管理ノウハウを積極的に導入して、人手を食いすぎる分野の省力化と見える化を進めます。

要するに、かつてのノモンハン、インパールの轍を踏まず、物量少なくても敢闘したペリリューのように、味方戦力を大事に使って消耗を極力減らし耐えるということになります。

これからの、引き算のまちづくりに必要な考え方が詰まっています。

こうした語り合いに基づく具体的なプランを、深い見識と確かな実行力で行える「壮士」を、この令和の時代に求めるものです。

こちらからは以上です。

(2019年11月16日 土曜日)

▷▷次のページは

(2018/02/07)日本史上類を見ないエクストリーム帰宅選手権「関ヶ原からの島津の退き口(のきぐち)」について語ります!

2019年11月15日

(2019/11/15)集中して仕事をするためには身体を覚醒状態に保っておくような食事を取ることだという話です





おはようございます。

2019年11月の集中して仕事や勉強ができるようになる、いわゆる生活改善についての配信記事です。

日中、なかなか集中できないことがあります。

筆者にはよくあります。

こんな日は、そもそも二日酔いであったり寝不足であったりもするわけですが、十分な睡眠を取っていても、例えば大人になっても高校生並みに朝昼ドカドカ食べていれば、胃腸が疲れてしまって、血糖値が上がってしまって、すぐ眠くなってしまいます。

要するに、太古の数十万年前から人類が発生してから、ほんの直近までずっと、狩猟や採集による生活をしてきた我々にとって、空腹を満たすことは最高レベルに重要で優先順位が高いことであり、それを満たしたが最後、脳内物質の分泌により次は身体を休ませよう=眠ろう、という風になっているというのは仕方がないことなのかもしれません。

現代の、食事ではなく「働くこと」「労働」が生存上必要であるという「環境」に、今後人類が少なくとも数万年晒された場合、人類自体がその次の形質に「進化」することはあるかもしれませんが、古代文明が勃興したといってもせいぜい数千年から1万年程度の近代化の歴史においては、人類はまだまだ動物であった太古の狩猟採集生活における優先順位から脱することはできないというわけです。

ということで、食べると眠くなるのはそういう「仕様」である、として、具体的にはどのようなメカニズムになっているのでしょうか。

昭和後期生まれの筆者が小さい頃には解明されていなかった脳科学の世界で、最近は新しい発見が相次いでいるらしいので覗いてみましょう。

脳の覚醒と睡眠に、オレキシンという物質が重要な役割を果たしているという研究成果が出てきました。

当時米国のテキサス大学で研究をしていた日本人教授たちのグループの成果といいますから、日本人としてはさらに胸アツなところです。

オレキシンは、食欲を刺激する脳の中の「食欲中枢」という場所に存在し、オレキシンが活発に働いているときに、ヒトを含めた脊髄動物の多くは覚醒し、オレキシンの働きが鈍ると睡眠状態に入るという相関関係が示されました。

野生動物は空腹になると、というより通常状態である「空腹状態」を脱するため、餌を捕食しなければなりません。

そして、その捕食行為とは、今のように食卓にカレーやチャーハンやラーメンが並んで安全に食べられるというわけでは当然なく、相手を狩りで倒し、自分も傷つく可能性がある大変危険な行為でもあり、またいつまで探し続けても捕食相手が見つからないという、非常にしんどく、そして意識を最高レベルに高めた覚醒状態で取り組まなければならない、そのような高度な血湧き肉躍る、そういった振る舞いなわけです。

このような、(空腹で)捕食が必要、なときに、野生動物にはオレキシンにより神経細胞が刺激され、活発化されます。

これが、いわゆる「覚醒状態」であると考えられています。

こうして最高レベルに覚醒した動物は、これぞという狙いを定めて獲物を捕獲し、そうして餌にありつく成功の栄誉に浴するわけです。

そうして、餌を食べて満腹になったところで、それまでの「疲れ」がどっとやってきます。

満腹になると、もう餌をとるという危険な行動はしばらく必要ありません。

それよりも、酷使した身体を少しでも早く、長く休ませることの方が大切です。

ですので、満腹になるとオレキシンの活動が鈍って、覚醒状態から解かれる、要するに「眠く」なるというわけです。

ホモ・サピエンス、万物の霊長などといっても、生物の進化の結果生まれたという「種」の一つであるということは変わりありませんし命は有限ですから、このような野生時代の脳の働きを立派に継承しているのはある意味当然で、なんら不思議なことではありません。

ということで、現代社会で仕事やプロジェクトや勉強や学習や研究を、集中できる状態においてやり切るためにもっとも大切なことは何かというと、「食べすぎない」ということに尽きることになります。

腹八分目、とは昔の人はうまいことを言ったものです。

小腹が空いたら、血糖値をガンガン上げてしまう糖質、パンとかご飯とかうどんとかラーメンとかチャーハンとかカレーとか、そういうものを少しだけ控えて、素焼きのナッツなどを、少量口に含むだけにするといった、ランチは鳥のささみ肉にサラダにざるそばにするといった、そのような対策が必要となってきます。

食物をガンガン取ってしまうと、胃腸で消化するという「別の作用」にエネルギーが取られるという側面もあります。

ですので、仕事に集中したいならば、仕事をする時間=ある程度の空腹の時間と割り切って、身体に摂取するものを適切に「選ぶ」ということが、若くない壮年層以降の人には非常に必要だと思っています。

いつも朝食から早弁、学校の食堂で定食大盛り、午後は購買部で銀チョコ食べながら、部活の後の男ラーメン玉二つ、帰って夕食、みたいな、1日5食6食といった生活は、例えば甲子園を目指す高校野球球児であれば全く問題ありませんが、大人になってそのような生活をすれば、胃が悲鳴を上げて身体がパンクしてしまいます。

その上、夜は酒やビールで肝臓や内臓を痛めれば、早死にへのレッドカーペット状態です。

今回は、より仕事をフルモードで効率よく、集中してできるようにどのように身体と心のほうを整えておくかという観点で、少し極端な例を上げて説明してみました。

今日は金曜日、業務が終了します。

それでは早速、仕事が終わったので好きな居酒屋焼き鳥屋から締めのラーメン坦々麺までのコースに繰り出したいと思います。

と、このように、自分で書いていることがなかなか実践できない筆者からのコメントは以上です。

(2019年11月15日 金曜日)

▷▷次のページは

(2019/06/11)ポケモンGOがついに寝ること(睡眠領域)をもゲーム化することを発表したという話です

2019年11月14日

(2019/11/14)ソフトバンクが傘下のヤフーを通じてLINEを買収するという観測記事が出たことを受けての三国志風の雑感です

劉備玄徳(三国志演義より)




おはようございます。

2019年11月の日本経済に関する観測配信記事です。

歴史調に書いてみます。

2019年11月の今を振り返ること1年くらい前から、日本市場では、キャッシュレス社会の到来ということで、フェリカ端末といった「機器設置費用」に当たる設備投資費用がそんなにかからず中小販売業者や中小零細食品店や外食産業のお店においても、QRコードという「紙」を置いておくだけで客のほうからスキャンカメラアプリでかざして金額を入力する、「スキャン入力」というキャッシュレス決済が本格化し、何とかペイというQRコード決済仕様が乱立し、何パーセント実質還元といったセールを打ちながら戦国時代の様相を呈しておりました。

そうして、その決定的な物量広告作戦、販売促進活動費用をかけたおかげで、どうやら一歩リードし始めたらしいソフトバンク(SOFTBANK:やわらか銀行)グループのPayPayが、おそらく(筆者の想像では)日本のQRコード決済全体の6割弱を握る、いわば中国古代の三国志になぞらえれば、事実上の0代目皇帝曹操により打ち立てられた、魏志倭人伝でも有名な「魏」の国のような存在になってきた模様です。

その次に、孤高のポジションで追撃する、いわば「呉」の立場にあるのは、韓国資本で日本でのSNS市場に食い込み続けてきているLINEグループで、このLINEという、スマホでのコミュニケーションに特化し続けて日本市場に一定の地位を得たSNSアプリから展開するLINEPayがあります。

LINEPayの市場シェアは、大体3割弱、というところでしょうから、まさに三国志で言えば「呉」の立場にそっくりです(少なくとも筆者目線では)。

最後に、三国志演義において非常に重要なファクターである、「蜀漢」でありますが、実は歴史上に存在した、後漢の正当なる血統後継者を「自称」する劉備玄徳が四川省成都で打ち立てた正式国名「漢」、通称「蜀」という国ですが、これは、稀代の軍略家であり戦略家であるところの諸葛亮孔明が、「天下は複数あってよい」というコペルニクス的転回の発想により、魏の曹丕(曹操の子)が帝位を漢王朝から簒奪して魏の皇帝を称したところの対抗策として、劉備をして後漢の正当な後継者として(国の実力はとりあえず度外視して)皇帝の地位に就かせることで対抗しようとしたものです。

その流れの中、「あの蜀でも帝位かよ」と判断した呉の孫権も、帝位につき、結果、3つの「帝国」が並び立つ、三国志の時代が成立するというわけです。

しかしながら、面白いことに、その力関係では(これも筆者の勝手な解釈ですが)6対3対1、という魏呉蜀の関係であったところ、一番優位だった魏が、ようやく最弱の蜀を滅ぼしてほっとしたのもつかの間、魏の宰相の地位にあった司馬氏によって国自体が「乗っ取られ」てしまい、晋という国に代わり、そうして晋が呉を併呑して、三国志時代はあっけなく終わるということになるわけです。

さて、2019年11月の日本経済市場に目を移しますと、PayPayで市場シェアの6割を握りつつあるソフトバンクがLINEを「買収する」という話が出てきています。

業界3位のメルカリ(メルペイ)としては、そもそもこうやって強者が統合してしまい相手が市場の9割近くのシェアを握るとなると生きていけなくなるので、その前に、諸葛亮孔明並みの軍師や戦略家が出てきて、早い段階でソフトバンクのPayPayと全面戦争を仕掛けておくべきでした。

その上で、レッドクリフ(赤壁の戦い)よろしく、蜀と呉が連合して魏に当たる、そうやって三国鼎立状態をわずかでも現出させ、最強国魏を足止めしつつ、「漢」の後継国家であるという「血筋」「毛並みの良さ」をもって南国(田舎)の呉(LINEは外資の韓国企業)をたらしこみながら、その状態をしばらく続けることで次の展開をはかる、という戦略が純国内企業のメルカリにとって最善の方策だったと思うのですが、どうもフリマアプリのメルカリ事業の収益化を優先したあまり、メルペイについては起死回生の戦いをソフトバンクに仕掛けられないまま、このまま押し切られてしまいそうです。

時代の流れというものは非常に残酷なものであり、チャンスは一回しかめぐってこないし後でああやっておけばよかったと後悔しても遅いです。

一瞬一瞬が勝負ということでしょう。

残念ながら、メルカリが孤塁を守ろうとしている国内フリマアプリ市場においても、資金力で10倍のソフトバンクが、自前のフリマアプリで本格的に乗り込んでくるか、または買収を仕掛けてくるでしょう。

少し考えれば、総人口1億人強の日本市場で、細かく争っていても、世界人口75億人の過半を握る(中国を除く)GAFAM(グーグルアマゾンフェイスブックアップルマイクロソフト)と呼ばれる世界の巨大プラットフォーマーに勝てるわけはないので、そろそろ、日本国内市場での「予選」に残された時間などはあまりない、とも言えそうです。

その、国内では最強を誇るソフトバンクグループも、不動産賃貸業にしか過ぎないのではなかったのかという世界資本市場の疑問に答えられなかったWeWorkへの巨額(割高)投資に手を焼いており、決して状況は良くないわけであり、もともと旗色が悪い百家騒乱の日本市場、漢書地理志にいう、「夫れ楽浪海中に倭人有り。分れて百余国と為る。歳時を以て来り献見すと云ふ。」といった状況から一応の統一政権ができるまで数百年がかかったことを考えれば、なかなか世界の強豪たちに力を合わせて伍していく体制を作るのは難しいのかもしれません。

現在の状況をまとめますと、ソフトバンクのPayPayとLINEのLinePayが統合されるということは、魏と呉が一緒になって蜀に攻めてくるという感じです。

市場シェア10%の蜀(メルペイ)としては、6割の魏と3割の呉をうまく仲たがいさせてそのうちに地歩を固めないといけなかったわけですが、残念ながらメルカリに諸葛亮孔明並みの軍略を仕込んでおく時間がなかった、といえそうです。

以上、ソフトバンクもLINEもメルカリもすべて上場企業であり、その公開資料を用いて筆者の責任で勝手な論を展開しました。

いちおう、「公益社団法人日本証券アナリスト協会検定会員」、及び「国際公認投資アナリスト(CIIA)」というれっきとした投資アナリストの「資格」は保有しております筆者からの素人薄口経済解説は以上です。

(2019年11月14日 木曜日)

▷▷次のページは

(2019/07/11)Felica決済(要するにSuica決済)か何とかPAY(QRコード決済)かという陣取り合戦が始まった日本の決済現場の話

2019年11月13日

(2019/11/13)そして誰もいなくなった公園≒廃墟を整備し続けなければならないという宿痾(しゅくあ)について



おはようございます。

2019年11月、時代は令和元年となりました近所の公園、遊び場についての考察配信記事です。

筆者は鎮西福岡市という現在の日本では最後発の「人口衰退踏みとどまり都市」に住んで活動しておりますが、その筆者からみても、周りの少子化や過疎化が相当進んできたなと感じています。

総論では、総務省が2019年(令和元年)7月10日に発表した2019年(平成31年)1月1日時点の住民基本台帳に基づく人口動態調査によると、国内の日本人は1億2477万6364人で10年連続の減少、前年比で過去最大の43万3239人が減ったとあります。

そして、昨年(2018年1月から12月)の1年間の出生数は過去最少の92万1千人、死亡数は過去最多の136万3564人で、12年連続で出生数が死亡数を下回っています。

そして、市町村別で見ますと、「福岡市」が前年比1万10人増となり、増加数は社会増も加味した全国トップとなっております。

この、人口が過去1年間で、1万人増えたということについてですが、この1万人のうちの3/4、76%は65歳以上の高齢者人口の増加ですということは、(あえて)語られません。

大半は、若い人が流入していると思っているのかもしれませんが、64歳から65歳に自然と「年を取る」ことで増加しますし、他の市町村からの社会増についても然り、つまりこれだけ、高齢者の割合がそもそも福岡市ですら重くなっている、という現実がまだまだ浸透していないのではないかと思うのです。

そして、近所の公園においても、「誰もいない公園」が増えてきています。

そもそも、子供が駆け回り、大声で叫び、そしてお年寄りも日向ぼっこで読書やゲートボールなどに興じている、というのが公園のスタンダードだったと思うのですが、いつのころからか、「声を出さないで遊びましょう」「ボール遊び禁止」といった、禁止事項ばかりが積み上がり、誰も立ち寄らない、事実上の「廃墟」になってしまった「(元)公園≒廃墟」をよく見かけるようになりました。

近所の住人からの、遊んでいる子供の声がうるさい、というクレームを貰った市役所などの行政当局が、「声を出すことの禁止」を周知しつづけた結果、子供の方が、さらにはその子供の保護者の方も、「あの公園で遊ぶといろいろクレームが面倒だから」と敬遠し、寄り付かなくなる、これは人間の正常な防衛本能だと思います。

そういうわけで、日中にもかかわらず、人気もなく、ひっそりとした公園は、本来遊びまわって踏み固められるはずの地面からも雑草が伸び放題、となってしまい、逆に公園維持費用がかかるという笑えないことにもなっているという、行政当局の人からの話も漏れ伝わってきます。

無視して遊んでいると、顔の見えない近所の住人に、警察に通報された挙句、警察官がやってきて「指導」を受けるという有様です。

警察に通報されるか気にしながら、公園で遊ぶとは、それはスリルがありすぎます。

もちろん近所の住民の静謐な環境に配慮する、という人権保護の姿勢も必要でしょう。

しかしながら、危ないからと遊具を撤去して、危ないからとボール遊びを禁じ、そして危ないからと花火を禁止して、危ないからと外遊び自体を禁じ、家に籠もってゲームをやればゲーム依存症だと揶揄されるのであれば、それこそこの世に生きる場所はどこなのかということになりそうです。

このように、あらゆるものが、他人の人権と本人の安全という「利益」のために禁止され続けた結果、何の体験も教育も受けられない子供が、そして大人が増えていき、そうして人が人を育てることすら「めんどくさいこと」と避けてしまう風潮が続けば、人口なんて、これからもつるべ落としに簡単に減っていくでしょう。

そろそろ、先回りして禁止すること自体を見直して、チャレンジする、挑戦することを生暖かく見守るだけにする、見当違いのクレームは軽やかに受け流す、このような減量経営をしないと、市町村の財政の前に、市町村の住民自体が精神的にやっていけそうにならないだろうと思っています。

遊ぶというと、「飲むこと」くらいしか思いつかないつまらない大人になる前に、できるだけ、いや大人こそ、いろいろと創造性や体力づくりに繋がる「外遊び」を積極的に行うべきなのです。

子供も大人も、のびのびと気兼ねなく「遊べる」環境を用意する、用意しなくても別段禁止しないようにする、というのは、手っ取り早くてコストのかからない、よい公共政策だと思っています。

筆者も、自宅の庭で餅つきをやっていましたが、かつて煙が迷惑だと通報され、警察がやってきたという経験がありまして、いつしかやめてしまいました。

小学生に最近、ドラえもんで出てくる空き地って、どこにあるのと真顔で聞かれて、本当に困ったことを覚えています。

平気で入れる裏山、というのも、絶滅危惧種なのではないでしょうか。

こういうのも、大きな損失だと思います。

昔は海や川や山に出かけて釣りや草や雪の滑り台、探検基地づくりに興じていた昭和生まれ少年からのコメントは以上です。

(2019年11月13日 水曜日)

▷▷次のページは

(2018/07/09)睡眠禁止帯とも言うべき寝るには効率の悪い時間帯を誰でも持っているという話です

2019年11月12日

(2019/11/12)いわゆる「お金持ち」と「庶民」の違いについて私見を述べて解説しておきます

住民税は日本全国でほぼ一律10%です





おはようございます。

2019年11月のいわゆる「お金持ち」と「庶民」の違いについて私見を述べて解説しておくという記事です。

要点を最初に申し上げますと、収入という入口は1つだけで、消費という出口は無限に増えてしまう、無限に増えてしまうように「運動」「営業」されるというのが、経済社会におけるリアルな現実なわけです。

例えば、テレビジョンといった「一方向の」メディアについて考えてみましょう。

この「文明の利器」は、それまでの新聞といった紙媒体をはるかに超えるパワーで、一気に大衆の興味を「コマーシャル付き動画」という手段で引き寄せることに成功しました。

インターネットの世界でも、テキストベースの(この文章のような)ブログ形式の発信物よりも、画像や動画の方が、インスタやユーチューブの隆盛を見るまでもなく、影響力が大きいものです。

つまり、モノやサービスを「消費」する蛇口や機会は、それこそそこら中に潜んでおりまして、インターネットやテレビの世界を出て街に出たとしても、今度は特に用もないののコンビニやスタバに立ち寄り、別にそこで買わなくても(自宅で十分淹れることができるはずの)コーヒーや軽食などを買ってしまう、このような「誘惑」がたくさん潜んでいるものなのです。

しかるに、消費の反対サイド、いわゆる「収入面」に話を展開しますと、この収入というのが、多様化している、消費するけれどもそのことが引き金となって双方向で稼いで収入にしている、という人はなかなか少ないと思っています。

この、収入と消費が双方向になっておらずに、消費する蛇口ばかりが勝手に増えていく、収入手段は単一もしくは非常に限られたものしか持っていない、というのが多くの大衆経済主体側の「問題」であろうということです。

つまり、お金持ちと言われる人々、富裕層と言われる属性の人たちは、そうした収入手段がたった一つだけ、ということは稀なのです。

ざっと種別で挙げてみても、まず個人の給与収入をベースに、別に事業収入、不動産収入、配当収入と異なる収入手段を複数持っているのが「通常」になっています。

さらに、事業法人を事実上「保有」していて、その「法人」を通じた収入もあれば最強です。

これまでの時代では、こうした複数の収入手段(もしくはお財布)を保有することは時間的にも手間的にも、また副業禁止の世の中の商慣習上も、なかなか難しいところであったと思うのですが、これからの時代は、たとえ現在給与収入しか収入手段がないという純粋サラリーマンであっても、今からでも準備することが多いということです。

もちろん給与収入はとても大切です。

ただし、全てがガラス張りで経費化することが非常に困難な(基礎控除というものがありますが)収入でもあり、この給与収入は増えるごとに累進課税の税額や社会保険料という事実上の税金も跳ね上がるという恐ろしい性格も有しています。

ですので、この給与収入の「貰い額」だけをハネあげようという戦略は、あまり賢いものではないとも言えるのです。

この点、給与所得、いわゆる「労働力」という人間の時間そのものを激しく捧げて提供することで得られる最高度の年収としては、少なくとも日本の会社における日本人経営者においては、5億円〜10億円というところが、2019年11月現在においては上限でありますので、そこから所得税(最高税率45%)と住民税(一律10%)を足し合わせた55%が税金として納入義務がある日本においては、引き受けるリスクと心理的体力的負担に鑑みるとあまり賢い選択ではないのではないかと思っています(そんな経営者に実際なったことはないので想像するだけですが)。

つまり、この給与収入だけで、富裕層になるということはかなり難しい、そのようなことは非効率であるということを言いたいのです。

給与所得は、他の収入を作り出すいわば「種銭」と言えるものだと思います。

決して給与収入だけで富裕層になった、などと思わないようにしておく、これは非常に重要なことです。

個人としての年収が額面500万円から年収1,000万円になったら、生活が二倍楽になるわけではなく、実は社会保険料と所得税住民税がえらく高くなって、それだけ額面でもらっている実感はないよね、というのがリアルな給与所得の世の中なのです。

大事なのは、この給与所得という種銭を使って、他の収入手段やネットワークを作り出すことの方がはるかに大切であろうということです。

また、給与収入というのは、一見安定しているように見えますが、勤めている会社の事業環境や、はたまた自分の「絶対年齢」によって、簡単に役職定年を迎えて下がったり、定年で有期雇用社員にシフトしていきなり下がったりすることが「まま」あります。

これは、会社側としてもできるだけ若手の後進に前に出て働いてもらった方が会社としての事業展開上有益であるという判断のもとに行われているものなので、その合理性に逆らってしがみつくのは並大抵のことではありません。

あなたより年齢が下で時間があり、有能でモチベーションも高く仕事ができる後進や若手は、わんさかやってくる、これが会社組織のいつわらざる姿なのです。

年俸10億円を誇っていた、1999年に日本の日産自動車にやってきて、かつては日本最強の雇われ経営者の地位をほしいままにしていたカルロス・ゴーン氏も、スキャンダル一つでその地位を追われる、そのような時代です。

給与所得は大切でありますが、その地位は安定したものではない、また高額給与所得者にはそれ相応のリスクとしんどさ(税金も含めて)がある、ということはわかってもらえたと思います。

そのような給与所得者であるサラリーマンの方は、2008年のリーマンショック後の賃金カットなどに伴って副業を解禁する企業も増えてきましたので、何らかの形で事業収入を作り出すことをおすすめします。

具体的に、どんな事業を手掛けるといいかというヒントは別の機会に原稿にしたいと思いますが、できれば一緒に考えていきましょう。

個人事業の良さは、何と言ってもサラリーマンと違って経費が認められる幅が非常に広がるということです。

いままでは、使えないからとそのまま捨てていた領収書などが俄然生きてくるということです。

個人事業の接待交際費は上限無制限です。

学会(講演や勉強会など)への研修参加費だとか、旅費だとか、取引業者とのゴルフコンペだとか、経費負担が一気にこれで軽くなります。

自宅を執務室としていれば、その分の家賃も経費で落ちます。

国は、それだけ税制面で「優遇」して、国民こぞって新事業でより多くチャレンジして、さらに儲けてもらってその中から税金を頂戴したい、大きく育てて儲けたら税金面でも貢献してほしい、という意思を込めて、このように事業収入については大幅な経費参入を認めているのです。

この国からのありがたい「思い」に応えないことはありません。

つまり、個人・法人事業収入は自分の生活が事業と一体化する限りにおいて、経費の点では柔軟性があるということです。

より具体的に申し上げますと、サラリーマンの人が、帰宅途中の酒場で同僚と、会社や会社をとりまく環境や上司の愚痴を語り合っても、それは1円も経費にはなりませんが、同じことを事業者として情報交換をしたという場合、それが「事業の一環であると合理的に説明できる」以上は接待交際費に計上できるということです。

また、自らの労働力以外の、自らの意思を反映した「株」や「債券」といった有価証券、および「不動産」に働いてもらうという方法もあります。

配当収入や不動産収入という「収入手段」の確保です。

不動産収入も経費の幅が大きいです。

賃貸不動産に投資することで、購入検討物件の現場調査や既に保有している物件の管理会社の管理状況のチェックのために必要な経費が計上できます。

例えば、不動産の視察のために自動車が必要であれば、それは経費となります。もちろん家族が使うから全額は無理としても、その場合は家事按分を使って事業と私用を分ければよいわけです。

自宅をオフィス(事業場)として使う場合は、こちらも家事按分を使って、事業に必要なスペースや水光熱費を計上することができます。

このように、そろそろ富裕層がどのように金持ちとして振る舞っているのかということが、だんだんわかっていただいたのではないかと思います。

つまり、「富裕層」と言われる人々は、外径的には「同じ支出項目」であっても、どこから支出すれば経済的な痛みが少ないのかを心得ていて、自然にそれにそった経費の使い方をしているということ、さらに、収入手段を複数もっており、自らの経済活動をそれらの複数の収入手段に紐つくように振る舞っている、無駄がない双方向の経済活動を行っている、という言い方ができるでしょう。

それに対して、給与収入のみに収入手段を依拠している給与所得者(サラリーマン)というのは、そのサラリーマンとしての地位がいくら上がってたとえ年俸が増えたとしても、実は最も累進で増えるのは社会保険料と所得税と住民税という税負担であるということですので、そうした「痛み」を和らげる方法は非常に定されているということなのです。

サラリーマンだと経費で落ちないもの、個人では経費で落ちないけど法人では落ちるもの、逆に法人では上限が定められているけど、個人では無制限に落とせるものなど世の中の経費の仕組みはいろいろです。

ということで、支出項目の見直しと同じように、収入項目の多様化を図って行った方がよいのではないかという結論でした。

収入、といいましても、そのまま現金収入と考えるのは早計であり、例えば田舎の親から米を送ってもらうとか(その代わりに孫の顔を時々見せに行くとか)、他の代替手段はいくらでもあるのではないかと考えております。

これからの時代をしなやかに生き抜いていくためには、こうした早い段階から収入手段の多様化というか武器をたくさんそろえるほうが「生き抜く闘い」を有利に進められていくのではないかと思います。

いずれにしても、身体が唯一の資本であることは変わりませんから、健康第一で、楽しく健やかに過ごしたいものです。

本日もご購読まことにありがとうございました。

こちらからの本日の記事は以上です。

(2019年11月12日 火曜日)

▷▷次のページは

(2013/10/23)馬券を買った儲けに課税されるかどうかという二重課税に関する問題について

2019年11月11日

(2019/11/11)自らの幸せのためにチャレンジしつづけることが大切だという自己承認要求についての深い話をします





おはようございます。

2019年11月11日のポッキーの日に、自らの幸せのためにチャレンジしつづけることが大切であるという自己承認要求に関する深い話に挑戦します。

何かに挑戦することは自分の幸せのために大切です。

そして、そのやった結果として、たまに起こる「うまくいく場合」と、大抵そうなる「うまくいかない場合」があります。

そして、そのやった結果うまくいかない場合を一般に失敗と呼びまして、その結果を受け入れるところに大きな心理的負担がかかるというのが一般の人間の習性ということになります。

筆者もそうです。

失敗することを受け入れるのは非常に辛いわけです。

これは、自分の自尊心を非常に傷つける行為でもあるのですが、ではなぜそうした自尊心を傷つける恐れのあるチャレンジを促すのか、それを説明したいと思います。

そもそも「幸せに生きる」ために必要なものとしては「承認」されていることを「実感している」ということが非常に大切だと思っています。

自分という存在が世界から必要とされている、承認されているという「実感」が得られているという状態が幸せという状態に非常に近いのではないかというのは45年生きてきて感じています。

人間という存在が、アフリカの奥地で20万年前に「発生」してから、彼ら我々のご先祖様は、狩猟という手段で世界中に土着して、数限りない活動の結果、現代のこのテクノロジー文明社会を作り上げました。

その「成功体験」に最も資する我々人類の資質を一つ挙げるとすると、群れの中で生活してコミュニケーション、情報のやり取りを行い知見を集団の中で定着させていくこと、いわば「学習」のPCDAが回る社会組織運営スキル、コミュニケーション技能であった、ことは間違いありません。

そうした、群れの中で生活することによる最も我々が「ご褒美」としてもらえるもの、それが「承認」というわけです。

そして、この幸せの実感となる素となる「承認」ですが、これこそ我々の幸福度の本質だと考え、その承認が実感されているかを度数ではかる、ということを考えていきたいと思います。

そして、この「承認」行為は、もちろん「他人」から与えられるものもありますが、もう一つ、「自分」から与え続けることも当然にできるわけです。

この、特に後者の、自らが自らに与える「承認行為」が強いと、自信があり、エネルギッシュに見えてきます。

なお承認要求を他人に求めすぎるのは危険だ、というのは、アドラー心理学でも言われることでありまして、それは他人の心はコントロールできないからそれに頼るのは危険だと言われるわけですが、自分が自分に対して「期待」するのは本来全く自由にできることだと思います。

そこで、自らの心理的幸福度≒承認実感度を要素分解して解説します。

縦軸に、大切な「自己承認力」を取ります

横軸に、こちらも大切な「外部承認力」を取ります。

そうして、この平面のできるだけ右上に行くように、自分の環境や習慣を持っていくというのがおすすめとなります。

この縦軸の自己承認力が非常に高い、要するに前向きで心が折れない(ように訓練した)人で、そのレベルが最高度に達した人たちは、歴史上の偉人たちや現代の阿闍梨(あじゃり)などの修行者に見ることができるでしょう。

生きながらあらゆる煩悩を超越した存在、日本の歴史でいうなれば弘法大師空海や伝教大師最澄、少し時代の下ったところで見真大師親鸞(親鸞聖人)などでしょうか。

確かに、外部環境がいかに変化しようが、この自己承認力を究極まで高めることができれば、世界がどんなに乱れても、自らの近辺がいかに悲惨な状況に陥ろうが、どんな環境においてもいつでも幸せを感じることができるようになるでしょう。

しかしながら、歴史上それに成功した人物は非常に少なく、それゆえに彼らは偉人聖人として歴史に叙せられているわけですから、もう少しレベルを下げた一般人向けのスタンダード版のソリューションも欲しいところです。

そこで、もう一つの尺度である「外部承認力」が得やすい環境に自らをシフトする、ということが大切になってくるわけです。

内部と外部、その二つの合わせ技で幸せを追求するという考え方です。

そうして、やった失敗ならいくらでもフォローしてくる人が現れるけれども、そもそも失敗すらしてない、「やってない失敗」を外部からフォローすることは非常に困難になります。

これは、外部承認力を得る手段を自ら放棄しているということです。

もちろん、外部の手助けを借りずに自らの内部承認力で聖人レベルまで幸せを感じることができるように達するという解決方法もあります。

しかしながら、この難易度の高い「解脱」に至る長い「修行」に入る前に、まずは手前の小さい挑戦から具体的に動いていく、ということを筆者はお勧めいたします。

まずは動く、そして失敗したら周りにフォローを求める、というサイクルです。

周りの環境を変えるということは、自らに前向きの言葉をかけてくれて、雰囲気が良い、そのような組織や「場」に属するようにする、他人の悪口や自分に対するマイナスイメージの言葉が渦巻いている環境からは少しずつ離れていく、という振る舞いも大切です。

これを含めて、まずは動こう、という提案です。

よくない環境に留まるのはよろしくありません。

自らの承認実感力を二つのベクトルで少しずつ達成し、幸せレベルを上げていけたら素晴らしいことだと思います。

健全な失敗への恐れ、緊張感がある環境で、その中で、自分が自分の意思と他者からの励ましや前向きな声かけで、そうした緊張感ある具体的なチャレンジができる、そのような状態こそがすなわち「成功」しているという状態ではないでしょうか。

本日は人生における幸せとは何かということから出発して、その幸せが感じられる実感、状態の正体に迫り、そうして「成功」というのがどういった状態であるかを簡単に解き明かしてみました。

要するに、まずは動いてみよう、ということです。

それでは、うまく記事がかけたかどうか不安ですが、とりあえずやってみた成果として、この記事をアップして本日の出稿を終わります。

こちらからは以上です。

(2019年11月11日 月曜日)

▷▷次のページは

(2019/05/02)虚礼を排して簡素にして厳かな儀式とはこういうものをいうのかというお話です

2019年11月10日

(2019/11/10)来たる2020年(令和2年)も年賀状を出すことを卒業したので欠礼しますという予めのご連絡になります





おはようございます。

ブログ「Ueda News」を主催配信運営する管理人兼筆者です。

2019年11月の筆者に関する年賀状についての配信記事です。

来年早々の年賀状ですが、当職については「欠礼」いたします。

かつての、筆者からの毎年の年賀状を楽しみにしていました方々におかれましては、大変恐縮なのですが、2019年より、身の回りの整理と言いますか、いわゆる就活ならぬ終活、人生の終局活動の第一歩といたしましても、毎年の新年の特定期間に臨時労働者を集めてまとめて行うという郵便事業者の方々の負担軽減のためにも、合理化できるところはできるだけ前倒しでやっておきたいと考えるようになっております。

紙資源の無駄という面もございますし、情報の伝達手段としてはインターネット経由のSNSという手段がここまで発展している現在において、さらに毎日近況なりをこのブログなどで披歴しております当職などにおいては尚更、万人にやってまいります新年の喜びはひっそりと噛み締めたいと考えるようになりました。

しかしながら、確かに、お世話になっております皆様に対して礼儀を欠くことにはなりますので、その点については始めた昨年2018年末と同様、心苦しいところではあるのですが、それでも欠礼させていただくことをここにご報告します。

繰り返しになりますが、昨今のインターネットテクノロジーを通じたSNSやブログといった、オウンドメディアの発達によりまして、個人の立場においても、その活動を逐一報告することが可能になった、そのような時代となっております。

近況報告といいますか、筆者が暑苦しく生存していてせわしなく活動しているという点につきましては、特に手紙でそのことを出さなくてもわかると思います。

むしろ、正月を含む365日(閏年に関しては366日)、何をやっているのか逐一報告できるくらいに発信しております。

このように、常時連絡がつく相手に、何らかの定期的な紙媒体での連絡事項を、世間体に合わせて決められた同一日(今回の年賀状に関しては正月)に一斉送付する、という必要性は薄れてきたと判断いたしました。

また、SNSなどやっていない、インターネットは見ない、という方もいらっしゃいますが、それでも、こちらが主体的にネット上に晒している情報からたどって筆者を見つけ、連絡することは簡単に「可能」でありますので、別段年賀状を欠礼しても特段お互いに不便もないであろうと考えています。

それからもう一つあります。

「日本郵便」という明治以来の逓信省由来の伝統的会社の繁忙期の業務(イベント負担)を緩和し、彼らの働き方改革を後押ししようという戦略です。

郵便切手分の郵送料を含んだハガキの束数百枚を購入し、その裏にキンコーズ等で自分の年賀状原稿を印刷出力し、またおもて面には.csv形式でダウンロードしたスマホのGoogle電話帳から自宅住所を抜き出して、これまたキンコーズに持ち込み宛名印刷を行うというような作業を行い、そのハガキの現物を、数百枚筆者の知り合いに、1月1日に届くように手配しまとめて一気に輪ゴム付きで郵便ポストに投函して配送を依頼する、これはインターネットを使えば瞬時に情報のやりとりができる世の中においては、大変贅沢かつ人件費のかかるやりとりであると思います。

この作業、全体として、ハガキ代だけで配送にかかるこの繁忙期の人件費が賄えるとは思えないのです。

少子高齢化社会に突入した日本においては、労働力の無駄遣いをできるだけ避けて、より生産性のある業務に従事していただくのが筋ではないかというようなことも少しだけ考えまして、少なくとも(効用の薄い、代替表現手段を持っていると考える)筆者の年賀状は謹んで今後も廃止継続といたします。

思えば、昨年(2018年末)より年賀状作成の作業を中止しましたが、特段、困ったことはありませんでした。

予め年賀状を欠礼しますと申し上げたこのブログの告知が良かったのかもしれませんが、年賀状が届かなかったことによる人間関係のトラブルも特にありませんでした。

こういった意味で、日本経済の再興に資する「公共の福祉」として、今回の年賀状廃止を前向きに捉えたいと思います。

決して、年賀状を書くのが間に合わないのではありません。

書けるけれども、それでもやらない、という業務改善にシフトした、とお考えください。

ちなみに、終活の一貫と申し上げましたが、例えば筆者が死ぬような時は、ハガキや新聞広告での通知ではなく、おそらくこのブログに最後の記事をアップしてそれまでのご厚誼にお礼をもうしあげ、はい左様なら、ということにさせていただきたく、葬儀も、そのブログ記事を見れるようにしておいてもらえれば良いとさえ考えております。

それでは、予めになりますが、謹賀新年、来年もよろしくお願いします。

長い終活を望んでおります、こちらからは以上です。

(2018年12月24日 月曜日)

▷▷次のページは

(2018/12/24)来年2019年早々より年賀状を出すことを卒業して欠礼しようと決定したことの連絡になります

2019年11月9日

(2019/11/09)国境離島「壱岐島」の自学型学習塾の開校にあたり最初に入塾した生徒さんに言葉を贈りました

壱岐武原塾開講




おはようございます。

2019年11月の「学び」を自分のものにするというテーマでの配信記事です。

2019年9月、国境離島の壱岐島に、自学型学習塾が開校しました。

都市圏の駅前大型受験対策塾では対応できない、地方地域、特に過疎の田舎や離島の生徒に自ら学べる学校と自宅以外の集中できる学習の場を、自学型の学習スペースや機会を提供したいと願った地元の熱意ある人に、筆者のような口うるさくしつこい連中が絡んで、何回か説明会やら講演会やらを行い、少しずつ「営業」して「浸透」して、ぽつぽつと集まってきた塾生の皆さんです。

最初の第一期生(小学校6年生から高校1年生までの計5名)に対して、自学塾創設の関係者(自称顧問)として、開校に当たっての辞、塾生に対する訓示をさせていただくことになりました。

幕末の松下村塾に習い、いつの世も、全ての人々にとって必要なのは「自由」と「教育」であると信じております筆者にとっても感動の一里塚(マイルストーン)です。

気合を込めて書かせていただきました。

全文をここに披露します。

壱岐武原塾への入塾おめでとうございます。 
この塾は、あらゆる人が自主自立の精神で、大いに学び、学びを自分ごととして考える人が集う場にしたいと考えて、壱岐の島の将来を真剣に考えに考えた武原由里子さんが満を侍して世に放った本当の学び舎です。
小さい学び舎ですが、あなたたち5人という、とても将来の楽しみな生徒さんを受け入れることができました。
本当に感謝いたします。
 
入塾にあたり、この塾の理念と目指す姿を共有してもらいたいと思いまして、3つお話しします。 
一つ、人に頼るのではなく 「自立」すること。誰かに言われたからではなく、自立した鍛錬を継続する者こそ、真に「成長」します。自分ごととして考えて、矢印を自分に向けてください。そして成長している自分を感じたとき、「感動」する。このことを実践し、習慣づけて、大いに感動してください。
一つ、簡単に他人をけなしたり、簡単に他人の悪口を言ったりする人になってはいけません。その「人」には自分自身も当然含みます。
人を思いやり、人の良い面を語る人になれる人は、最も自分のことも大切にすることができます。心の卑しい人にならないよう、自分の人間性を鍛える、このことを肝に銘じて、大切な自分自身を決してけなしたりしないで、自分の時間を大切に生きて欲しいです。
 
一つ、それぞれの状況は違います。目指す方向も違います。他人と比べることをやめましょう。その代わり、昨日の自分、将来の自分とは大いに比べて下さい。目標を設定し、そこに向かう「絶対距離」を正確にはかり、その差を、毎日の習慣でコツコツ埋めていく、その繰り返しで驚くほど人は伸びます。なかなか目に見える結果が見えずに不安になることも多いと思います。しかし、そうした不安や恐れなどこそが、人生の大きな味なのです。不安や困難とほどよく同居すること、これこそが人生をスパイスの効いた、いい感じに楽しむコツのようなものでもあります。不安と同居すること、そうした部分も含めて自らを受け入れること、そうしてまたコツコツ進むこと、こうしたことを学び実践する場として壱岐武原塾は最高の場所と環境を用意しました。 
皆さんの自主独立の精神の滋養と、今後の成長に大いに期待します。
塾生みなさんの人生に熱あれ。
壱岐武原塾に栄光あれ。

2019年9月に創立した、離島の小さな自学型学習塾、壱岐武原塾のホームページはこちらです。

壱岐島にお越しの際は、ぜひお訪ねください。

こちらからは以上です。

(2019年11月9日 土曜日)

▷▷次の記事は

(2017/11/20)空前の少子化の時代にわざわざ辺鄙な田舎で廉価版学習塾をやろうという会社があるという話

2019年11月8日

(2019/11/08)第51回社会保険労務士試験不合格(通算5回目)のお知らせと次回挑戦のスケジュールについて記載しておくという記事です

『徳川家康三方ヶ原戦役画像』(徳川美術館所蔵)



おはようございます。

2019年11月の、薄口社会評論家の筆者からの配信記事です。

2019年11月8日(金)の本日、第51回社会保険労務士試験の結果発表がありました。

筆者は通算5回目の挑戦にして、また不合格を繰り返す結果となりました。

まったく残念なことでありますが、そもそもこの社労士資格の先に、「司法試験」受験資格を得るための「予備試験」に満を持して挑戦しようと考えている筆者にとって、この試験くらいで気後れするようではいけません。

気後れはしていないのですが、足踏みが長すぎますので、そろそろ本気の本気を出そうと思います。

後ほど、追って詳細な結果の通知があるでしょうから、さっそく「どの分野で点数を取り漏れたのか」「どの分野を強化すればよいのか」といった合格までの絶対距離を正確に測ることから着手して、来年2020年8月こそは完璧な準備のもと、試験を攻略したいと考えています。

その決めたことを、ここに記しておき、折に触れて見返すようにすれば、おのずと勝利は近づくというわけです。

この方法は、かの徳川家康も用いたものであり、彼は、若かりし頃甲斐の武田信玄の軍と三方ヶ原で戦い、完璧に負けたという苦い経験を持っています。

浜松城で籠城するという当初の策を、三方ヶ原から祝田の坂を下る武田軍を背後から襲うという積極攻撃策に急遽変更し、通り過ぎた武田軍の背後を襲うべく、浜松城から追撃に出たのです。

それが完璧に武田信玄の思う壺となりまして、夕刻に三方ヶ原台地に到着したところ、なんと武田軍は「魚鱗の陣」を敷き万全の構えで徳川軍を待ち構え、先制攻撃を仕掛けてきたのです。

徳川軍は、そんな百戦錬磨の武田軍にいいように撃破され、日没までのわずか2時間ほどの会戦で多数の武将が戦死して壊走した、という苦い史実があります。

一説には、その敗走の際に家康は脱糞したとも言われております。

恥ずかしいこと、この上ありません。

これが、「神君」徳川幕府初代将軍の生きた経験なのです。

そうして、家康はこのことを忘れないように、この時の自分の姿を『徳川家康三方ヶ原戦役画像』(徳川美術館所蔵)という形にして晒して、長く自らの戒めとして、そしてのちの徳川家の家訓として後世に伝えたというわけです。

このように、目標とするところが高いところにあればあるほど、そのようにならなかった現実との乖離や絶対距離を正確に測り、理解しておく必要があります。

このことを、あからさまにするのは極めて恥ずかしいことでありますが、自分の絶対位置を正確に把握して宣言しておくというのは、自分にとっても世間にとっても非常に有益なことです。

たとえば今のところ勝っているスポーツチームや部活動のライバルが、これを始めたら、今度はこちらが危うい、ということです。

あらゆる勝負事は、自分の正確な位置と目標との絶対距離を正確に把握し、それを習慣の力で詰めていくことである、と、かの東照大権現という徳川幕府の「守護神」として日光東照宮に祀られることになる家康自身が雄弁に教えてくれているというわけです。

三方ヶ原で惨めな敗者となった家康は、後に織田家が武田家を滅ぼした時に、その武田家の遺臣を積極的に召し抱えました。

そうして、武田家の遺臣である山県昌景や小幡信貞の騎馬隊「赤備え」を股肱の臣、井伊直政に継がせた(井伊の赤備え)のも、当然こうした敬意の表れということになるわけです。

敗者の気持ちがわかる最終的な勝者、になりたいものです。

勝者になれなくても、挑戦するスピリットを失わず進むことができたならば、人生のほとんどは「成功」といっていいと思います。

このようなことを考えながら、不合格通知を受け入れ先に進もうと思いました筆者からは以上です。

(2019年11月8日 金曜日)

▷▷次の記事は

(2014/07/09)ここから学ぶ日(2014年7月W杯準決勝においてブラジルがドイツに1-7で大敗)

2019年11月7日

(2019/11/07)「見守り」「位置情報」指定システムの使い道について素人なりに考察してみました記事です





おはようございます。

2019年11月の位置情報サービスに関する素人考察記事です。

鎮西の福岡市では、市内に通う公立小学校の児童に対して、みまもり端末を無償で配布し、校区のスポットのWifi網にそのランドセルに入れていることを想定しているみまもり端末が入ってきたときに、電子メールなりでその端末の位置情報を指定したメールアドレス(2019年11月時点では3つのメールアドレスを指定可能)まで飛ばすことを行うというサービスが、域内最大の電力会社グループの音頭によって開始されました。

もちろん、リアルタイムで親機のスマホからこのみまもり端末を直接捕捉し、位置情報を指定するというサービスもありますが、この「親機」になれるスマホやPC端末が、2019年11月現時点では1台にユニークとなっておりますので、その使い勝手はあまり良いとは言えません(他の端末から親機IDでログインすると、それまでログインしていた端末からは自動的にログアウトするという仕組み)。

さて、このみまもり機能を登録しておくことで、小学校の通学路上にあらかじめ指定されたスポット、例えば薬局とか市議会議員の事務所とかコンビニとかクリーニング屋とか喫茶店とか、そういった地元の「よくわかっている」スポット近くを端末が入ったランドセルが通過するたびに、その端末位置が必要なところに届く、そして、この端末情報は、警察にも届けることをあらかじめご了承ください、と端末の利用規約には記載されているという流れです。

これで、校区内の小学校児童が少なくとも小学校校区の近辺から突然いなくなってしまった、という場合でも、少なくとも校区からの足取りは掴めますし、管理者権限を利用すれば、その端末のリアルタイムの位置まで警察によって捕捉できますので、犯罪や不幸な事故を未然に防ぐ抑止力の効果は相当ありそうです。

これまでは、同じような端末を持たせていても、小学校の校門をくぐった、通過したことだけを知らせてくれるだけのサービスに止まっていたわけですので、登校したのか下校したのかすら不明な状態という、いわば、「点」での捕捉だったのに対し、これからは、少なくとも小学校校区内の「面」での把握が可能になるということで時代は急速に進化していくものだと感じました。

持たせる端末は2つということになりますが、それはサービス導入初期には仕方のないところでございましょう。

それにつけても、このGPS端末とWifiを利用した捕捉システムですが、筆者のような外回りの営業職に会社に付けられたら、と思うとゾッとします。

時代の流れなのでしょうが、社員証や通関証、入管証のようなものに、このGPS機能と電源(ボタン電池)を一体化したような端末が開発されてしまったが最後、常に会社の本部に位置情報を把握されるということに早晩なりそうです。

一瞬ゾッとする、というようなことを思わず書いてしまいましたが、(少なくとも公的には)そんなことだけもなくて、これは、業務時間とそうでない時間というのを厳密に切り分けるという利点もありまして、わざわざ外出先から今日は直帰します、明日は直行します、というような連絡を入れなくても、位置情報だけで客先や出張先に業務時間に入った瞬間存在していることをお互い確認できれば全く問題なく、隔地間での勤怠時間の把握に一役も二役も買うかもしれません。

そして、余計な出張業務報告のフォーマットに、交通費精算書と一緒に請求するために記載することも省略できるかもしれません。

出先に出ている側としても、「どうせ見られていない」というのと、「位置情報は履歴でトレースされている」というのでは、前向きな気合いの入り方が違ってきます。

実際の営業数字の成果が出ていなくても、きちんとしつこく「訪問」して商材を「売り込み」「訴えている」という「行動」は、しっかりと記録に残る、これを実際に上がっている売り上げ数字や成果と照らし合わせれば、世の中で、この令和の時代にあっても行われている気合と根性だけの営業方式に、一筋の合理性や効率という光明が見えるかもしれないのです。

位置情報をいかに活かすか、このサービスでできることの考察は今始まったばかりです。

とりあえず自分がGPSを持たされる直前までには、こうしたテクノロジーといかに付き合うか、決めておくことができるように精進しておきたいと思います。

営業先における昼休み中のこちらからは以上です。

(2019年11月7日 木曜日)

▷▷次の記事は

(2018/02/10)スマホで撮影した写真や動画に位置情報や撮影時刻を付与しない方法があります

2019年11月6日

(2019/11/06)「働き方改革」を具体的に実地に落とし込む究極の雇用形態案を提示してみるという話です





おはようございます。

2019年11月の、月額制料金制度、いわゆるサブスクリプションサービスに関する考察雑感記事続編です。

先日、筆者のサブスクリプションサービスをアップした記事を掲載したところ、少なからぬ反応がありました。

高い、無駄、何それ?という方もいらっしゃいましたが、反応を丁寧に追いますと、概ね、みなさん身近なところで皆サブスプリクションサービスの影響を受けているなという感覚を持ちました。

そして、究極のサブスクリプションサービス、それは「正社員」という雇用形態ではないかと考えたわけです。

企業側や事業主側からして、これほどの、月額(ほぼ)定額のコストはありません。

その定額のコストから、できるだけ多くの売り上げを上げていかなければなりません。

これが、「人を雇うことの怖さ」というものです。

逆に、会社の売り上げや業績に連動して給与がフルコミッションで変わる、という労働制度は、残念ながら日本の雇用慣行に紐ついている労働基準法令によって罰則付きで禁止されているので、できるとすれば、正社員としての拘束時間を一週間のうちのある曜日の午前中3時間だけ(9時〜12時)にする、といった特殊な就業規則を作るしかありません。

残りの時間は、あくまで対等な会社と(個々の従業員でもある)個人事業主との間の業務委託契約として、消費税も支払い、個人事業主側では確定申告の義務も生じます。

実例で書いてしまうと、就業規則上、正社員の業務労働時間は、例えば「火曜日の9時から12時」の3時間だけだと(仮に)定めます。

余談ですが、なぜ火曜日にしたかといいますと、最近祝日が月曜日にスライドすることが多く、月曜日を定例にすると、祝日対応する場合が多くて大変手間だからです。

そして、この3時間は、「全社ミーティング」という情報共有の場として、売上にはカウントしない、完全なコストセンターとして扱います。

社長の訓示も、各部門の目標設定や宣言、朝礼の類、業務計画の策定や報告も全てこの時間に済ませます。

そうして、実際の「業務」「作業」、そして「営業」は、この指定された時間の外で行うということにします。

この「正社員」の時間で受け取る「給与」は、例えば月額額面5万円とします。

そうして、社会保険料(年金保険料、健康保険料)としてのランクは一番下ではありますが、れっきとした社員として雇用されていることになりますので、正社員雇用、社会保険料完備となり、従業員(個人事業主側)で国民健康保険も、国民年金保険料も支払う必要はなくなります。

あとは、会社と個々の従業員(でもある)個人事業主との間で、業務委託契約を締結し、それぞれの業務に従事してもらうということになります。

有給、とか、火曜日が法定の祝日で休日の場合などの取り扱いについて、もう少し詰めた議論が必要ですが、月給制というサブスクリプションを限界まで取り去ろうとすると、このくらいの「技」を駆使せねばならず、かなり会社側も従業員側も負担であるということになります。

しかしながら、世は空前の人手不足であり、個別対応の時代であります。

働き方改革、というお題目だけが先行して世に出回っていますが、こうした雇用慣行や雇用情勢に対する立派な対案として、副業というような言葉の裏にある「ついでの」といった概念ではない、会社として必要な個人の能力や時間やエネルギーを必要なだけ給料を見合いとして一分一秒単位で借り受ける、という考え方で、もう少し柔軟に考えられることは多いと思います。

こうすると、平日の5日を、5社の「全体ミーティング」にそれぞれ参加して、5社分の仕事を業務委託契約の内容如何によって割り振るといった、究極の分散リスクヘッジシステムで働くこともできるのです。

そのうちの1社の業績が傾いて、倒産することになったとしても、逆に1社からリストラということで雇い止めにあったとしても、生活の基盤が根こそぎ奪われるというリスクからはかなり遠くなり個人の生活としては安定します。

逆に、会社側としても、「解雇」ではなく「業務委託契約の解約」という対応でその大部分の出費を止めることができるので(正社員部分については、通常の解雇制限にかかるため、簡単に解雇はできませんが、逆にその部分は月額額面5万円に止まるところでもあり、逆に被雇用者にとって居座るインセンティブも働きにくいということになります)、非常に使いやすいシステムということになります。

サブスクリプションサービスの本質は、サービスや財の「共有」「シェアリング」にあることは間違いありません。

そろそろ、「人間の労働力」という他に替えがたいものについても、複数の雇用主というか「業務の発注側」が同時にアプローチできる、そのような仕組みが進めば、皆幸せに、社会が円滑に回るのではないか、と考えているのです。

この「予想」が少しずつ「現実」になることを祈りながら、いつかは有力出版社からの、超大型書籍化の話が舞い込んでくることを夢見ながら、日々記事更新に勤しんでいきたいと思います。

こちらからは以上です。

(2019年11月6日 水曜日)

▷▷次の記事は

(2019/11/01)自らが使っている月額定額制(サブスクリプションサービス)を洗い上げてみるという話です

2019年11月5日

(2019/11/05)西欧型国民国家というものが急速に相対化しているとは考えられないかという話です

シーランド公国




おはようございます。

2019年11月の歴史考察、国民国家というものに関する配信記事です。

最近、幕府とか将軍とか執権とかいった日本史上の存在に対しての筆者の理解といいますか、解釈を掲載したところ少なからず反響がありましたので、調子に乗りましてもう少しこのあたりを論じていきたいと思います。

日本において、統治機構の発展は古くて新しい独自の形態を取りました。

諸外国、なかんずく西洋近代社会におきましては、「王権」というものが中世社会より異常に伸長しまして、その上で絶対王政という、王様が神の権力、いわゆるキリスト教精神世界の守護者としても、世俗の権力の王としても、絶対的な権力をふるう、そのような時代がやってきますが、日本において、そのような「絶対権力」という存在はついに、2,000年以上の長きにわたって、現れなかったといえそうです。

現れそうにはなりましたが、弓削道鏡にしろ、足利義満にしろ、織田信長にしろ、絶対権力を目指す過程で必ず周りの人間たちがそれをなんらかの方法で止めに入る、その手段はご神託だろうが権謀だろうが暗殺だろうが、とにかく絶対権力を握らせないという日本国のありようについては驚きを禁じ得ません。

絶対権力を握ろうとした場合、後醍醐天皇の例を見るまでもなく、天皇ですら放逐されるというのが日本のスタンダードなのです。

そうして、その絶対権力体制という体制にアンチテーゼを起こし、市民平等と人権思想という全く新しい考え方を奉じて国王と王妃をギロチンにかけて市民革命を成し遂げてしまった西洋の、特にフランスを震源地といたします革命思想により、突然、為政者である王様が、共和制国家における大統領を選挙で「国民」が選んで、その国家のトップと人民とが一体となった「国民国家」とやらが、全治全能の人権思想を掲げて世界中を植民地にしながら荒らし回る、という不思議な全世界覇権主義の時代がやってまいります。

老大国の清朝などは、この欧米(人権諸国)列強に、いいようにやられてしまいまして、ほぼ国内は分割統治状態になるという有様ですが、日本は、世界的に特異な識字率と天皇・将軍という国家の成り立ちにこの欧米列強の人権思想と国民国家思想をうまくブレンドして、明治維新を成し遂げて「大日本帝国」なる欧米列強に呉する国家を作り上げたのです。

これをもって、欧米は東アジアの奇跡と呼び、あの孤立政策で有名だった世界中の支配者となりおおせたイギリス連合王国を持ってして、日英同盟という、南アフリカのボーア戦争で極東ロシアの南下対策まで手が回らなかったという大人の事情はあるにせよ、極東の日本と対等の軍事同盟を結び、ロンドン市場で日本の国債を発行して戦時調達の手助けをするなど、積極的に極東とそれ以外の世界の棲み分けを図ったというのは周知の事実です。

こうして、日露戦争が勃発、日本は満洲の荒野までロシア軍を後退させ、海では日本海海戦でロシアの極東艦隊に続いてバルチック艦隊も撃滅させ、なんとか勝利の体裁を保って講和に持ち込むことができました。

農奴制から近代市民革命を経ずして上からの近代化を成し遂げたロシアと、欧米とは別種の国民国家成立形態を経た大日本帝国と、双方死力を尽くした痛み分けであったわけですが、これを見るに、近代国家の成立過程において、(現代社会における通説である)善悪の判断は置いておいて、素直に歴史をたどると、日本の開国から明治維新、日露戦争勝利までの国家運営は、まさにチャンスを生かし切った、世界史上稀に見る急激な台頭であったことが見て取れます。

もちろん、これは戦国時代、そして(江戸)幕藩体制という中で、日本人が自ら学び、識字率も高く、身分の上下によって機会を奪われることを少なくしてきたという人材登用策の為せる技でありまして、遠くは織田信長の時代から、能力に応じた人材登用というのは行われておりまして、もっと時代を遡っても、例えば四国の若い僧侶で体力だけが自慢だったと思われる空海弘法大師が突然身分の違いを乗り越えて国費留学で唐にわたったりすることができるのも、学者としての見識を見込まれ、他の貴族が驚き慄くほどの出世をひた走り、(藤原氏以外の)人臣として初めて右大臣の地位にまで上り詰めた吉備真備といった逸話を見るにつけても、日本という国は、もちろん完全な人権思想に基づいた平等思想が市民革命によって成し遂げた欧米的な完璧なる国民国家ではないかもしれませんが、こと人材登用に関しては、かなり融通の利く、そのような国であったのかもしれないと認識を改めるのです。

機会をうかがい努力を怠らない者には、それなりのチャンスが回ってくる、というのは、社会の活力を保つ上で非常に大切な要素だと思います。

そのような仕組みを保持してきた日本の社会構造において、そうした面を隠し去り、古い時代はいつも人民は搾取され続けてきた、権力者は自らの享楽のみを追求し、民から搾り取ることしか考えていなかった、と考えて、あまつさえそれを教壇に立って教えたりするのは、歴史を生きた先人たちを正しく理解する態度ではなく、むしろ失礼に当たるのではないかと考えるのです。

先の大戦においても、日本国が、どのように世界の中で振る舞おうとしたのか、何を目指して北は満洲、西はインド、東はハワイ、南はポートモレスビーまで長駆遠征し軍政を敷き、何を得ようと当時の一億人の日本人の死力を尽くして世界に訴えようとしたのか、思想的に何があったのか、もう少し冷静な歴史の検証を待った方が良いと思うのです。

ひょっとすると、今の西欧由来の国民国家像という考え方が急速に相対化する、そのような時代を生きているのではないか、アラブの王族や中国の国家主席、ロシアの大統領、そして西欧型国民国家の最右翼であるはずのアメリカ合衆国大統領などの話を聞いているとそう思わざるを得ないところがありそうですがいかがでしょうか。

本日は西欧型国民国家というものの相対化、というお題を勝手に立てて論じてみました。

日本国が世界に対して発信したり主張したりすることはこれからまだまだ出てきそうだと思い実は心強く感じております筆者からの歴史談議は以上です。

(2019年11月5日 火曜日)

▷▷次のページは

(2018/04/15)ドイツと日本の大きな歴史の類似点についてざっくりとした見解を述べておきます

2019年11月4日

(2019/11/03)鎌倉幕府の本質とは平将門が夢見た関東独立王国であったいう説を考察する素人の配信記事です






おはようございます。

2019年11月の歴史好きの筆者によります、鎌倉幕府の本質とは何であったかということを考察する素人配信記事です。

源氏という、武家の(東の)棟梁である征夷大将軍源頼朝が開いた鎌倉幕府があります。

その成立は、1192(いいくに)年と昔は覚えましたが2019年の今は1185(いいはこ)年と呼ばれているようです。

なぜかと申しますと、歴史をたどりますと、源氏は源氏の棟梁であります源頼朝は東国御家人の本拠地である鎌倉を動かず、実弟の源義経を総大将として平氏追討の軍を差し向け、ついに壇ノ浦の戦い(1185年)で平氏を滅ぼします。

ここで、国内に源氏以上の武力を兼ね備えた権威がいなくなるので、そこで鎌倉「幕府」成立としてしまうのです。

同じく、同年、文治の勅許(1185年)というもので朝廷から正式に頼朝へ与えられた諸国への守護・地頭職の設置・任免を許認可権によりまして、名実ともに日本の支配者としての立場を確立します。

そして1190年(建久元年)頼朝が権大納言兼右近衛大将に任じられ、公卿に列し荘園領主の家政機関たる政所開設の権も得たことで、いわば、公卿公家に対しての守護者、統治機構としての合法性を帯びるようになりまして、最終的に、最後の仕上げと言いますか、1192年には征夷大将軍の宣下がなされたというわけです。

このように、日本史上初めての「武家政権」が成立したわけですが、まだまだ律令国家からの荘園制という旧来の公家貴族政治体制も多分に残っておりまして、各国の守護の設置という、諸国の治安維持を確かに鎌倉幕府は担当したものの、その支配は領域的にも実質東国、機能的にも限定的であったわけです。

最初から、「江戸幕府並」の強力な幕藩体制をイメージしてはならないのです。

それから、次第に範囲を拡大し、承久の乱や元寇を経て、北条得宗家の専制支配が全国的な支配権を確立するに至ったというのが正しい解釈です。

ということで、当時から武家政権を「幕府」などという近世的な言い方で呼んでいたわけではありませんで、朝廷・公家からすれば、東国、関東などと(一段低く)呼び、武士からは鎌倉殿、一般の人からは武家と称されていたようです。

鎌倉幕府の「吾妻鏡」に征夷大将軍の館それ自体を「幕府」と称している例が見られるように、もともと幕府とは将軍の陣所や居館を指す概念でありまして、実は武家政権を幕府と称したのは、その後ずっと後の江戸時代後半、幕末という言葉が生まれた頃からのことであり、ここでも、「現代の常識で過去の歴史を見てしまう」といういつも筆者が気をつけておきたいと願う歴史を振り返る時の不具合というか悪しき伝統というかそういったものに侵されてしまった嫌いを感じるのです。

すなわち、鎌倉幕府、と便宜上現代の我々が呼んでいるものの実態は、江戸幕府という、幕府保守本流の葵の御紋のあの徳川幕府を知っている我々が幕府という言葉に引きずられてイメージしてしまうあの幕府的なものではなくて、もっと、実態としては、かの平将門が関東を制圧して短いながらも独立政権として新皇と称した、あの平将門の乱で登場した政体が、一応の朝廷の「認可」を得て永続性を許された(少なくとも征討される類の存在、朝的ではない)程度のものであるという認識を持った方が近いのかもしれません。

そういう意味ですから、鎌倉幕府というのは、「源氏」の政権なのではなく、実態は、そうですね、あの近畿地方に6世紀ころから成立し始めたところの「大和王権」に近い、要するに「関東に土着した武士団たちの地方独立政権」という性格の方が近いわけです。

そして、清和源氏の大将であったところの源頼朝は、この鎌倉幕府のオーナー経営者ではなくて、あくまで、「血筋が良かったための」雇われ経営者の立場に過ぎないというわけなのです。

もちろん源頼朝も、関東で一旗あげたいという野望はあったでしょうが、より現実的には、「京都の都の公家どもや朝廷に、これ以上搾取され、支配され、蔑ろにされるのはまっぴら御免」と立ち上がった関東武士団の挙兵に、うまいこと担がれた、という神輿の上の大将であったというところを忘れてはいけません。

清和源氏の大将ですから、元は京都育ちのおぼっちゃまで、京都の貴族たちに対してもある程度対等にものが言える、少なくとも意味が通じる言語でコミュニケーションが取れる、顔が利く奴ということで見込まれたに過ぎません。

この点、平清盛は京都で一族の栄華を極めてしまったので、この「有力御家人連合」のパワーに勝てなかったというわけです。

清和源氏を旗印に、集ったのは、北条氏、足利氏、安達氏、比企氏、和田氏、といった関東の有力豪族団でした。

そして、筆頭となり「執権」という将軍の代理という便利な地位を「開発」し、得宗家として鎌倉幕府を牛耳ることになるのが北条家であり、そしてその北条家はれっきとした桓武平氏であり、要するに平将門が思い描いた関東独立国、を同じ平氏の一門が後の世に現出させたということでもあるのです。

源氏は三代で滅び、そうしてもっと便利な京都の公家の将軍、さらには皇族将軍と、得宗家である執権北条氏は、鎌倉幕府という関東の王の権威を高め、関東武士団の利益代表として君臨しました。

そうして、元寇の時にも、遠く西国の九州まで、関東武士団を「派遣」して、その勢力伸長に余念がありませんでした。

西国の土着の豪族たちは、名門でありながらこうした関東の「田舎武士ども」にいいように扱われ、元寇の際にも先鋒や殿(しんがり)といった損で犠牲の多い役回りに回され、さらに勢力を削がれることになります。

あの南九州、薩摩の覇者である島津家ですら、元は関東武士団というのですから、驚きです。

鎌倉御家人であった島津家の家祖・島津忠久が鎌倉殿である源頼朝より薩摩国・大隅国・日向国の3国の他、初期には越前国守護にも任じられ、鎌倉幕府有力御家人の中でも異例の4ヶ国を有する守護職に任じられたというのが、2019年現在まで続く島津家の家系であり、この長さは相当長いです。

そんな関東御家人の利益代表として君臨した源頼朝は、その関東武士団の守護者という立場を堅持し振る舞いました。

京都に帰って平家のように栄華を極めるのではなく、田舎の鎌倉にとどまって、関東の王国を発展させる仕事に邁進したのです。

しかしながら、あくまで関東武士団の棟梁としての存在でしかありません将軍職は、東国武士団の合議制の中から傑出した北条得宗家によって牛耳られ、将軍家ですら都合が悪くなると消されるという塩梅になりました。

というわけで、初代の源頼朝からして、京都の官位への希望や期待を覗かせたその瞬間、関東武士団は、そんな「関東の王」の自覚を忘れた頼朝を、そのタイミングで、落馬死事件として闇に葬ります。

で、関東の御家人全員が「落馬です、事故死です、残念です、悲しいです」と口を揃えて言ってます。

これはもう、北条だけの単独犯ではありません。

もし、そうであるなら、頼朝に忠誠を誓っているはずの他の御家人が黙っていないはずです。

でも、誰も「暗殺だ」などとは騒ぎません。

これが、恐ろしいところです。

要するに、東国御家人衆、鎌倉御家人全員が「グル」になって源頼朝以下三代の源氏の将軍を暗殺したか、暗殺に加担したか、見て見ぬふりをしていたかとしか言いようがないのです。

要するに、俺たち関東御家人の独立国家関東政権を守るために、都合の悪いトップは暗殺してすげ替える、という意思です。

鎌倉幕府は、このように、将軍職からしてその性格からして、江戸幕府といった固まった存在というより、平将門の時に目指した関東独立王国のような体裁であったという理解のほうがより正しい歴史の理解であろうという結論です。

こちらからは以上です。

(2019年11月4日 月曜日)

▷▷次のページは

(2019/11/03)本能寺の変後の予定調和の動きを丁寧に追い天下の謀反人明智光秀の名誉を回復したいと願う記事です