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2019年11月29日

(2019/11/29)コンテンツの価値を決めるのはユーザーだけではないもっと広い概念での人々の「評判」であるという「説」を茶道を例に論じてみます






おはようございます。

2019年11月も押し迫った月末の配信記事です。

本日は、ある会社のある経営戦略系のミーティングで出た話が面白かったので、その話から始めたいと思います。

出た話、といいますが、実は、筆者の方から言い出しました。

世の中に、ゲームやコンテンツは溢れておりますが、その「価値」は誰が決めるのかと言ったら狭義のユーザーにとどまらない、世界中の人たちということになります。

コンテンツの価値を決めるのはユーザーだけではない、もっと広い概念での人々の「評判」であるという「説」を披露します。

例えば、戦国時代末期、もはや天下が武力的には統一されつつあるという世の中にありまして、かつて元寇で戦った鎌倉武士に対して十分な「土地の」恩賞を与えることができずに弱体化し(評判を落とし)、没落した上で滅んでしまった鎌倉幕府のことを知っていた織田信長は、画期的かつ破壊的な解決策を編み出しました。

「茶の湯」という芸能、文化、セレモニーという価値そのものを高めたのです。

「名物」と言われる茶器を自ら買い集め、そうして、それを配下の武将たちの武勲に応じて「恩賞」として取らせたのです。

こんなの、「領国」「領地」を与えるという、相互にめんどくさい調整や下打ち合わせが必要な、会社の玉突き人事をはるかに超えるめんどくささに比べれば、簡単なものです。

そうして、セレモニーである「茶道」というものに、思い切り振り切った権威づけを行いました。

茶道は、茶を立てるという単なる技術ではなく、茶器という芸術品を単に愛でるものでもなく、一体とした茶の湯という時間を使った人が人を心からもてなす、というもてなしセレモニーとして、その文化度を極限まで高めてきたわけです。

もはや、「宗教」といっても問題ないレベルまで、当時、茶の湯というものを高めた名プロデューサーに、織田信長により「抜擢」されたのが、表千家、裏千家、武者小路千家という、今に続く三千家(三千の家があるわけではなくて、三つの「千家」、わかりにくいですが)の祖になった、千利休(せんのりきゅう)という人なわけです。

千利休は、織田信長の茶の師匠として、何の軍事的政治的経済的バックグラウンドもなく、本当に人間力唯一を武器にしてのし上がっていった、という、筆者勝手格付けによりますところの、日本の偉人NO.2くらいに位置する人です。

ちなみに歴史マニア、人物マニアを辞任しております筆者が、45歳現時点で自分のランキングNO.1に推戴しているのは、ダントツで、奈良時代、四国に突如として生まれた、あの万能人類、レオナルド・ダ・ヴィンチも軽く凌駕するであろうと筆者が勝手に想像する(イタリア人には怒られるかもしれませんが、たとえとして)、文武両道、完璧なる自由人、「ザ・天才」弘法大師空海さんその人です(直接はもちろん存じ上げないのですが、調べて実際に高野山に行ってみたという経験を元にした感想としては、です)。






さて、千利休さんに話を戻しますが、堺の商家魚屋の倅(せがれ)が、町人身分だから茶会に出るための名前をわざわざ天皇から頂戴(注1)するまでになるのには、単なるシンデレラストーリーだけではない、ものすごい人間力、懐に飛び込める度胸と人格、人間味の面白さがあったに違いなく、茶の湯を究極の文化文芸まで高めるために、ひたすら人の心に寄り添い、おもてなし道を追求し続けたその姿は、筆者個人的に「代表的日本人」を著するにあたっては外せない人物です。

(注1)「利休」の名前は天正13年(1585年)の禁中茶会にあたって町人の身分では参内できないために正親町天皇から与えられた居士号です。

そんな高潔かつ素養ある大人物でありながら、それでも時の権力と深く深く結びつき、自らの「黒い」欲にも従順であった、漆黒の黒を最高のものと愛でて愛した、この千利休という人は知れば知るほど面白いわけです。

その後継者であるはずの、現在の大阪府堺市の方々の中から、これほどの、大人物が出てきてくることを、切に願っているところでございます(堺の方々へ、古墳と利休の次に筆者に面白いものがあればご紹介ください)。

さて、こうして、茶の湯というセレモニーの格式が高くなっていくのと並行して、それに用いる茶器も高騰し、それこそモナリザやゴッホのひまわりのように、破格の値段がつく、もしくはプライスレスな宝物((注2)名物(めいぶつ)と言われます)として、珍重されることになりまして、この茶器一つで一国以上の価値があるとまで言われるようになるのです。

仮想通貨バブルもびっくりの、このような「価値観」の大変革が、この安土桃山の時代にも行われたという、熱い熱い時代だったわけです。

(注2)代表的な「大名物」としては、天下三肩衝と呼ばれた茶器「楢柴肩衝」「新田肩衝」「初花肩衝」や、名高い茶入の「初花」の他「曜変天目茶碗」「白天目茶碗」「灰被天目茶碗」「富士茄子」「本茄子茶入」「唐物茄子茶入」「井戸茶碗」などが挙げられます(当然、筆者も全ては知りません、このような名前の名物があって、特に大名物と言われているという程度の知識です)。
これらの逸品(名物)は、足利義政など室町将軍家や織田信長、豊臣秀吉、徳川将軍家など名だたる大名が所有したことで有名ですが、もともと製造された時代は、中国の南宋または元時代の作と推定されるものが多いそうで、さらに珍重される伝承としては、中国唐代まで遡り、「初花肩衝」は日本に伝来する以前は唐の玄宗皇帝の妃、楊貴妃の持ち物だった、などともいわれているそうです。

このように、領国経営という政治的な地位を補完するために、このような文化的な分野においても頂点に君臨しようとした、当時の為政者の苦労の跡が偲ばれます。

今日も話し始めて全く別の話になってしまいました。

筆者の歴史偉人ランキング、知りたい方は直接お問い合わせください。

日によってランキングが上下しますし、もともと時の権力の地位にいた、というような出自、最初の立ち位置の点で大きく減点するという筆者独自のランキングバイアスがかかっております点についてはご容赦ください。

ちなみに、歴史の教科書にも載っている、『代表的日本人』(だいひょうてきにほんじん、原題:Representative Men of Japan/Japan and the Japanese, Essay)は、明治時代の内村鑑三による著作でありますが、キリスト教徒でもあった内村鑑三先生が、主に海外(西洋)向けに、日本の歴史とは、日本人とはこういうものだというのを、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮の生涯をその例に骨太の英文で、きっちり紹介したものであり、その筆致の伸びやかなること、この小文ブロガーなどの及ぶところではございません。





筆者としては、それでも、これに習った筆者版「代表的日本人」を著してみたいという欲望がございます。

それでは、こちらからは以上です。

(2019年11月29日 金曜日)

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