このブログを検索

2019年11月8日

(2019/11/08)第51回社会保険労務士試験不合格(通算5回目)のお知らせと次回挑戦のスケジュールについて記載しておくという記事です

『徳川家康三方ヶ原戦役画像』(徳川美術館所蔵)



おはようございます。

2019年11月の、薄口社会評論家の筆者からの配信記事です。

2019年11月8日(金)の本日、第51回社会保険労務士試験の結果発表がありました。

筆者は通算5回目の挑戦にして、また不合格を繰り返す結果となりました。

まったく残念なことでありますが、そもそもこの社労士資格の先に、「司法試験」受験資格を得るための「予備試験」に満を持して挑戦しようと考えている筆者にとって、この試験くらいで気後れするようではいけません。

気後れはしていないのですが、足踏みが長すぎますので、そろそろ本気の本気を出そうと思います。

後ほど、追って詳細な結果の通知があるでしょうから、さっそく「どの分野で点数を取り漏れたのか」「どの分野を強化すればよいのか」といった合格までの絶対距離を正確に測ることから着手して、来年2020年8月こそは完璧な準備のもと、試験を攻略したいと考えています。

その決めたことを、ここに記しておき、折に触れて見返すようにすれば、おのずと勝利は近づくというわけです。

この方法は、かの徳川家康も用いたものであり、彼は、若かりし頃甲斐の武田信玄の軍と三方ヶ原で戦い、完璧に負けたという苦い経験を持っています。

浜松城で籠城するという当初の策を、三方ヶ原から祝田の坂を下る武田軍を背後から襲うという積極攻撃策に急遽変更し、通り過ぎた武田軍の背後を襲うべく、浜松城から追撃に出たのです。

それが完璧に武田信玄の思う壺となりまして、夕刻に三方ヶ原台地に到着したところ、なんと武田軍は「魚鱗の陣」を敷き万全の構えで徳川軍を待ち構え、先制攻撃を仕掛けてきたのです。

徳川軍は、そんな百戦錬磨の武田軍にいいように撃破され、日没までのわずか2時間ほどの会戦で多数の武将が戦死して壊走した、という苦い史実があります。

一説には、その敗走の際に家康は脱糞したとも言われております。

恥ずかしいこと、この上ありません。

これが、「神君」徳川幕府初代将軍の生きた経験なのです。

そうして、家康はこのことを忘れないように、この時の自分の姿を『徳川家康三方ヶ原戦役画像』(徳川美術館所蔵)という形にして晒して、長く自らの戒めとして、そしてのちの徳川家の家訓として後世に伝えたというわけです。

このように、目標とするところが高いところにあればあるほど、そのようにならなかった現実との乖離や絶対距離を正確に測り、理解しておく必要があります。

このことを、あからさまにするのは極めて恥ずかしいことでありますが、自分の絶対位置を正確に把握して宣言しておくというのは、自分にとっても世間にとっても非常に有益なことです。

たとえば今のところ勝っているスポーツチームや部活動のライバルが、これを始めたら、今度はこちらが危うい、ということです。

あらゆる勝負事は、自分の正確な位置と目標との絶対距離を正確に把握し、それを習慣の力で詰めていくことである、と、かの東照大権現という徳川幕府の「守護神」として日光東照宮に祀られることになる家康自身が雄弁に教えてくれているというわけです。

三方ヶ原で惨めな敗者となった家康は、後に織田家が武田家を滅ぼした時に、その武田家の遺臣を積極的に召し抱えました。

そうして、武田家の遺臣である山県昌景や小幡信貞の騎馬隊「赤備え」を股肱の臣、井伊直政に継がせた(井伊の赤備え)のも、当然こうした敬意の表れということになるわけです。

敗者の気持ちがわかる最終的な勝者、になりたいものです。

勝者になれなくても、挑戦するスピリットを失わず進むことができたならば、人生のほとんどは「成功」といっていいと思います。

このようなことを考えながら、不合格通知を受け入れ先に進もうと思いました筆者からは以上です。

(2019年11月8日 金曜日)

▷▷次の記事は

(2014/07/09)ここから学ぶ日(2014年7月W杯準決勝においてブラジルがドイツに1-7で大敗)