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2018年7月3日

2018年7月3日(火)早朝に日本が見たW杯の夢と本気のベルギーの話です(2-3)






おはようございます。

2018年7月のサッカーワールドカップに関する配信記事です。

まずは海外から送られた日本に対する称賛の言葉です。

Today is a day when #Japan made Asian football proud.
Sometimes results don't portrait the right picture... Japan played better than Brazil against Mexico. Respect Japan may have lost the match but they definitely won our hearts! .


これからの日本サッカーで長く語られるであろう、2018年ロシアワールドカップベスト16、日本対ベルギーの戦いは、2-3でベルギーが勝ちました。

勝てば間違いなく日本サッカー史最大の歴史的1勝となった本気の試合でした。

まずは2018年ロシア大会の予選リーグを突破した、16か国を再掲しておきます。

Still unbelievable Japan is alive in the knockout rounds(16/32)

<Qualified>
Europe 10/14
South America 4/5
North America 1/3
Africa 0/5
Asia 1/5 <-------- Only Japan

<FIFA ranking>
2 Brazil
3 Belgium
4 Portugal
5 Argentina
6 Switzerland
7 France
10 Spain
12 Denmark
12 England
14 Uruguay
15 Mexico
16 Columbia
20 Croatia
24 Sweden
61 Japan <--------
70 Russia









FIFAランキング61位の日本は、決勝トーナメント1回戦で同3位のベルギーと対戦しました。

ベルギーが赤い悪魔なら、日本はサムライ・ブルーです。

前半、ベルギーに押し込まれる場面が多かった日本でしたが、後半3分(48分)にMF原口元気(27)(ハノーファー(ドイツ))が走りこんで受けたパスをワンステップでずらして右足で「ここしかない」ところを突いた見事な先制ゴールを挙げます。

続いて、後半7分(52分)にはMF乾貴士(30)(ベティス(スペイン))が、こちらも見事なペナルティエリア外からの、豪快かつ繊細な、見事なコースを突いた無回転ミドルシュートで2点目を挙げます。

日本サッカーの全員で攻めて全員で守り、最後は技ありの一刺しで決める、見事な試合運びを見せました。

しかし、ここから本気のベルギーがなりふり構わず迫ってきます。

思わぬビハインドを背負ったベルギーは64分、長身フォワード、194cmのフェライニ選手らを投入して勝負に出ます。

そして、69分、ベルギーがいきなり1点を返します。

コーナーキックで上がったエリア内の高いボールを、日本ゴールキーパー川島永嗣(35)(メス(フランス))の位置を見定めたベルギーのフェルトンゲンが、頭でふわっとしたボールをゴールに向けて供給、これが見事に枠に収まってゴールとなりました。

これで得点の形を得たベルギーは、続いて本気モードで日本に襲い掛かってきます。

そして74分、コーナーキックの流れからクロス(センタリング)で待っていた長身フェライニ選手にドンピシャリのヘディングが決まります。

日本、本気のベルギーに6分間で痛恨の2失点を喫します。

ここからベルギーは、高さを生かしたパワーゲームを仕掛けてきます。

日本は非常に苦しい時間が続きます。

相手クロスからヘディングシュートを2本放たれますが、守護神の川島が2本とも見事な反応で防ぎ切ります。

さらに直後のフェルトンゲンのミドルシュートも止めます。

日本も必殺必中のカウンターでベルギーゴールに迫りましたが、最後の最後、後半アディッショナルタイムにおいて、日本が得たコーナーキックを奪われ、ベルギーに一撃必殺のカウンターを許してしまい、押し込まれ万事休すでした。

西野監督は、試合直後

「W杯の怖いところでしょうか。追いつめましたけど、やっぱり何が足りないんでしょうね。本気のベルギーがそこにありました」

と語りました。

ワールドカップ、負けてしまいました。

戦前、あれだけ弱い勝てない期待できないと言われ続けた今回の日本代表、しかしながら間違いなく日本サッカー史に残る名勝負を仕掛け、世界の強豪ベルギーを驚かせ、慌てさせ、本気にさせた、堂々たる試合運びでした。

言葉にならない悔しさですが、正々堂々、まさに勝ちに行く試合運びと姿勢は、何より日本の、世界のファンに刻まれました。

8年前の2010年南アフリカ大会も、死闘に敗れ、ベスト8の夢は破れました。

2002年日本・韓国大会も、ベスト8に届きませんでした。

しかし、今回、私が声を大きくして言いたいのは、この戦いができて世界を驚かすことができたということは、近い将来、おそらく日本の個々の選手の能力アップと代表チーム内での競争によっては、もっと先に行くチャンスが確実に見えたということです。

事前の予想や批判は、あまり関係なく、むしろ注目されていることを力に変えるくらいの強い精神力で準備して試合に臨めば、想像しえないかなり遠いところに行くことができるということを、このチームには教えてもらったような気がします。

日本は頑張った、いまは悔しさしかないですが、その姿勢を讃えたいと思います。

ベルギーは次の準々決勝で、ブラジルと対戦することが決まりました。

本気を見せてもらったベルギーには、この戦いをバネにして、優勝目指して突き進んでもらいたいものです。

そろそろ自分も本気出したいと思いました筆者からは以上です。

(平成30年7月3日 火曜日)

2018年7月1日

2018年6月の大阪府北部地震は一部損壊が多く公的支援が行き届かない恐れがあるので寄付を合わせてお願いします






おはようございます。

2018年6月に起こった大阪府北部地震についての配信記事です。

大阪府北部の高槻市等で震度6弱を観測した地震については、被害調査が進んで来まして、被災した家屋の数は近畿4府県で8千棟超に拡大したとのことです。

しかしながら、そのほとんど(99%)は倒壊を免れた一部損壊のケースとなっておりまして、こうなりますと原則公的支援や地震保険の対象外となってしまうため、復旧工事に進め方などに戸惑う被災者が多く、地震規模としては小さかったところ、ブロック塀が倒れるといったセンセーショナルな事案も含めて、全国的に影響が大きくなってきています。

そんな当該地区の各市町村自治体の窓口には、被災者からの相談が殺到しておりまして、これを受けて、被災家屋を多く抱える大阪府は無利子の融資制度を新設する準備に入った模様です。

現在用意されている住居の再建に向けた公的支援の主なものは、災害救助法に基づいたもので、大規模半壊や住居半壊の場合、1世帯あたり58万4千円を上限に公費で屋根や外壁、柱の修理修繕が可能となっています。

また、被災者生活再建支援法を適用すれば、被災者に対して最高で300万円が支給される仕組みも用意されています。

ただし、これらは全体の被害規模がある一定以上であることが条件となっており、今回の地震では規模が小さかったため、ほぼ適用されないという状況になっています。

公費での支援と並行して、保険制度による手当ても用意されています。

地震保険に加入していれば、多くの場合で保険金が出ます。

居住用の建物の場合は各保険会社の担当者が震災後に現地を調査し、損害額を算定します。

家屋や家財の時価に対する損害額の割合に応じ損害の程度が4つに区分され、損害額が家屋の時価額の50%以上ならば「全損」と判定され、保険金が満額支払われることになります。

しかしながら、ほかの区分は被害程度が大きい順に「大半損」、「小半損」と続き、「一部損」の場合に支払われる金額は保険金額の5%に過ぎません。

そして、被害が軽微と認定され、損害額が家屋の時価の3%未満と判定されると保険金が支払われないのです。

しかしながら、半損だろうが一部損壊だろうが、屋根だけで100万円を優に超える修繕工事費用がかかり、またブロック塀の撤去については、数百万単位のお金が平気でかかってしまうという状況です。

また、地震保険はブロック塀やプレハブといった建屋には適用されないので、こちらも自費での対応が迫られます。

直接の地震被害から、どのように街を立て直すか、地震の規模に関わらず地震国日本に住む我々が全体として考えておかなければならないとあたらめて思いました。

思う以上に、民間としてできることは、公的団体への寄付です。

ヤフージャパンで手軽にできるTポイント寄付を始め、数クリックで寄付ができる仕組みがたくさんありますので、これ読まれて大変だと思われた方、手持ちのTポイントの余りの数十円数百円分で結構ですので、寄付のご検討をよろしくお願いします。

その昔、関西で学生時代を過ごした筆者からのお願いは以上です。

(平成30年7月1日 日曜日)

2018年6月30日

第二次世界大戦時にチャーチルの演説でイギリス国民の目が覚めたという例え話です







おはようございます。

2018年6月最後の、よい演説に関する配信記事です。

第二次世界大戦前夜、自分の意思を貫く政治指導者がまずドイツに現れました。

名前はアドルフ・ヒトラー。

第一次世界大戦に敗北し、ハイパーインフレに喘ぐドイツの国の誇りを威信を取り戻し、経済を発展させ、アウトバーンを通し、産業企業を育成し、ドイツ民族の敵としてユダヤ人を敵視しました。

そのヒトラーの信じるところに、ドイツ国民は熱狂的な支持を集め、そしてドイツの拡大主義は頂点に達します。

そして、それまで宥和政策で鳴らしたイギリスでは、その行き詰まりを察して退陣したチェンバレン首相の後任として、与党の中では人気がなく、野党と国民の支持を勝ち取りつつあった偏屈者で、こちらも自分の意思を貫くことでは人後に落ちない政治指導者に恵まれました。

名前はウィンストン・チャーチル。

チャーチルは、ドイツとは徹底的に対決しなければならないことを、イギリス国民に語りかけるため、演説の機会を持つことにしました。

ヴェルサイユ条約での決まりごとに、いかにドイツが反して軍備増強を図っているか、勝手に領土的野心を露わにしてチェコの北部一帯のズデーテン地方、ここにはドイツ人居住者が多かったことから、ヒトラーがドイツへの併合を要求し、1938年のミュンヘン会談で英仏がひたすら容認の姿勢を崩さなかったため、ドイツに割譲されたこと、その際に、ヒトラーは、「領土的要求はこれで最後とする」と演説したものの全くそんな気がないこと、ドイツの増強中の艦船や航空機(戦闘機や爆撃機)の実働数、といった具体的状況や事情を滔々と述べるという方法もありました。

しかし、チャーチルは道すがら考えて、聴く人にとってわかりやすい、例え話から話し始めることにしたのです。

「みなさん、ベルリンの動物園では、羊と狼が同じ檻で、仲良く暮らしているそうです」

「そしてそれはとても人気の訪問スポットになっているそうですよ」

「私は、その動物園で、そんな羊と狼が仲良く暮らす檻がある、その秘訣は何ですかと聞いたのです」

「飼育員は、それに答えて、ああそうですね。。。狼の方はそんな問題ではないのです。簡単に、すぐに見つかります。でも、羊の方はね。。。毎朝、違う子羊を連れてこないといけないので、大変なんですよ」

この例え話は、獲物を喰らう、ナチスドイツの姿を、イギリスの「見たい現実しか見ない」聴衆にありありと思いえがかせ、イギリスが、現在、一体どのような悲惨な状況下にあるのか、すぐに想像イメージさせたのです。

いくら数字や政治のデータを見せたところで、それを心から信じていない希望的観測を、予見を持ってしまっている人には響きません。

それよりも、本質をズバリと突く、例え話の方が、聴衆に、聴くものにダイレクトに訴えることができる技術がある、そんな自分の意思を貫き通した、偏屈かつユーモアに溢れた指導者、チャーチルの演説のお話でした。

だいぶ年を重ねておっさんとなり、人前で講演などする機会も増えて来ましたが、なかなかチャーチルの域どころか足元にも達しない浅才の筆者からの記事は以上です。

(平成30年6月30日 土曜日)

2018年6月28日

国語というものを初等教育から高等教育まで教えるのはなぜかという話をします







おはようございます。

2018年6月の教育に関する国語という科目に関する配信記事です。

最近旗色が悪いように感じる、文系の筆者です。

国語の指導や勉強方法について、悩むことが多いです。

自分自身は本をよく読む方ですし、このような形で駄文を書くのも好きなので、国語は得意になりましたが、どうも他人に国語を教えるとはどういうことか、実のところよくわかっていないのです。

しかし、国語とは、母国語を駆使し、算数や理科、数学や物理化学といったいわゆる専門専攻知識を身につけるための大きな土台になるものであることは間違いありません。

物事を、頭ではなくて身体全体で感じることができる感受性や、他者との関わりの中で自分の立ち位置と自分のやりたいことを定めることができる決断力や、他人を尊重する共感力といった「感覚」を養う、学問の前の人格形成に大変大切な基本の科目なのかもしれません。

計算問題をときまくったり、漢字の書き取りをひたすらこなすというような、数をこなすというアプローチではだめです。

合理的に、定理を定めて演繹的に考えるという、数学的思考でも難しいです。

それが、国語という根源的な人間の疑問に向き合う、非常に原理的な学問であるゆえんだと思います。

国語力が人格力であると考えられる以上、国語力を高めるとは、教える側が心を込めてその想いを注ぎ込むだけです。

これは、甘やかすということではありません。

心ないことをしたり放り出そうものなら本気で怒る、叱る、そしてがんばった時は手放しで褒める、そしていろいろな対話や体験を一緒にやる、まさに松下村塾のような心のやり取りを行うことで、国語という科目の力は急激に伸びます。

そして、そんな誰でもできることで、誰もが続けてできないこと、その心の入った指導ができる指導者に出会えたら、それは学習者として大変幸運であると言えましょう。

情熱を持って接する、これは社会人になっても大学生になってもとても大切なファクターで、結局人は人によってしか動かされないということなのです。

ビッグデータや人工知能によって人個人個人が動かされることではなく、心を添わせてどれだけ共感したか、そういうところに教育の真髄があるような気がします。

こうした教育に触れて自己啓発できている生徒の答案は、他とは全く違ったものに仕上がり、読む者を感動させます。

時々、新聞の懸賞作文にそのような文章が載ることがありますが、かつて見た、小学生の作文で、病院から戻ったお母さんが作る料理の味がおかしくなってしまった(おそらく抗がん剤のような強い薬の投与から来ている味覚障害)から自分がお母さんの舌の代わりを申し出て一緒にご飯をつくる、という作文がありまして、このような泣ける、素晴らしい、熱量のこもった文章を作れる人間はきっと深い洞察ができるはすであると刮目したものです。

これが、国語という科目がある理由であり、この科目の特異なところであって、独自なところで、代えのきかないところだと思います。

しかしながら、必要以上におだててしまうのは逆効果です。

いわゆる学習者が、なんかご褒美や、砂糖を舐めさせてくれないと頑張れない、といった、いわば心の虫歯にならないようにしなければなりません。

学ぶ理由は自分自身で見つけ出す、定めることができる。

これが、生徒や児童それぞれに、オリジナルな大切な価値観が芽生えるために非常に大切なプロセスだと思います。

他人(の成績)との比較ではなく、自分基準で自己評価して、前に進むことができる。

こうして自ら立った人間を、大いに認めることが、真の自立心を育てることになると、本当に自分を大切にすることにつながるのであるということを伝えることが、国語という科目を教えるにあたって最も大切なことであると思っています。

一生懸命受験勉強して入った高校や大学で、もしくは一生懸命面接対策やセミナーをこなして入った憧れの会社で、その中でその者が輝くのかどうか、それは本気で自分自身のことを考えてきたか、それによるところが大きいと思います。

国語という科目の話を超えた、人格形成の話になりましたが、ここで終わります。

こちらからは以上です。

(平成30年6月28日

2018年6月15日

ものごとは始めることより区切りをつけて終わらせることの方が数倍難しいという話です






おはようございます。

2018年6月の物事の始め方より終わらせ方に関する配信記事です。

小さく産んで大きく育てよ、といった言葉もありますが、事業でも趣味でも学校の部活動でも、実は始めることは簡単なのですが終わらせる、区切りをつける、卒業することのほうが難しいものです。

それまで積み上げた多少の技量や経験が勿体無い、という風に捉えられてしまう、というのが一般の理解かもしれませんが、果たしてそうなのでしょうか。

実は、辞めることも練習が必要ではないかと思っている筆者がいます。

物事のはじめかた、についてはかなりやり方が広まっていて、興味を寄せる方法もたくさんあり、また勧誘の方法も出回っています。

しかし、物事の終わらせ方については、あまり広まっていなく、いわばノウハウの蓄積が少ない社会に私たちは生きているのかもしれません。

例えば、就職、そして転職です。

確かに多くの学生や候補者が自己分析をしっかり行って、企業側の採用選考をかいくぐって、そして多少なりの妥協を経て新卒採用にたどり着きます。

しかしながら、外から見る企業や会社と、中で働くことというのはそれこそ180度違います。

仕事の性格や質など、それは千差万別で、そしてその企業に就職している人たちにとっては、その企業や会社が自分の世界の多くを占めるため、勢い、そこから飛び出そうという人を心から応援するという風潮にはなりにくいのです。

世間で言われる大きな、立派な企業に勤めていればいるほど、周りの人(その人たちも同じ会社の人であることがほとんどなので、同調圧力、ポジショントークが無意識的に入っているのですが)からは、「こんないい給料はもらえない」「年収下がる」「大会社にはもう行けない」などと、脅しともつかぬコメントをいただくだけで、残念ながら有益なアドバイスがなされるということはほとんどないわけです。

しかしながら、人生とは時間の流れそのものではないでしょうか。

筆者も遅まきながら、それに気づいたので、最近やっていることは、毎日その会社に就職するつもりで出社する、ということです。

これは、故スティーブ・ジョブズというアメリカでアップルという会社を創業した人(このブログ記事がはるか将来に読まれてもわかるように)が、有名なアメリカ西海岸のスタンフォード大学(これも、はるか将来に読まれてもわかるように)で講演したときに、毎日この日が人生の最後の日だと思って過ごしなさい、そしてそれは必ずその通りになるから、といったことをもじって考えてみたものですが、毎日、その会社(同じ会社ですが)に転職して来た、というくらいの覚悟や心構えで接すれば、マンネリ化してしまう自分の精神に軸が立つな、と思ってやっています。

人間、「やめることができる」というのは最高の価値のあるオプション(権利)です。

生命は、その終わりが必ずあるから、輝くわけです。

嫌だったら(気がむかなかったら)辞めればいい、そして辞めた経験を少なくとも若いうちに多くやっていた方がいい、これは「挑戦する」というキーワードと同じくらい、対になって広まっていていいのではないかと思っています。

時間こそ人生であるならば、辞めるということはそのこと以外のことに時間を振り向けるということです。

やることができる、やめることができる。

何事も、前向きに行きたいものです。

やらなければならない、やめなければならない。

こうしたネバネバ病になると、時間は自分のものではなく、自分が生み出したねばねば病のものになってしまいます。

ちなみに悩むというのも決断の準備段階ですから、大いに悩むべきです。

こうした、大人になるための準備運動というのは大切で、自分の能力ややりたいこと(Will)に関係ないことを仕事にしてしまった人には、それ以外のちょこちょこした時間の節約方法やライフハックの手段をいくら教えてもそれはあまり意味がないということになってしまいます。

そろそろ、他者比較ではなく自分比較で行きたいものです。

過去や現在の自分と違った自分を、もしくは進化した自分をどれだけイメージできるか。

それが、日々の行動習慣や心構え、そして大きな目標設定といった手段で明確にすることができた人には、幸せな人生が待っているのではないかと思います。

自分の適性に合っていて、Willに従ったことであれば、人間大抵の困難には耐えられます。

耐える以上に、そこから大きく学ぶことすらできます。

高校卒業後に親の反対を押し切って上京し、新宿で複数店舗のラーメンチェーンを展開しオーナーになって成功したものの、働きすぎで体を壊して三宅島に移住、そこで小さなラーメン店やってリタイアしたと思ったら三宅島が噴火して全島避難、そしてさらに移住した福島県で始めたラーメン店で、また東日本震災の原発災害で立ち退き、それでも、齢80になっても、やっぱり仮設住宅で出したラーメンを食べたいと子供らがいうからまたラーメン店始めるよ、と語っていた人をテレビで見ました。

自分の外で起こる事象(自身の健康含めて)がいくら不幸なものであろうとも、自分のやりたいことに進めるならば、人間大抵大丈夫です。

人間続けることができます。

と、いうことで、人生においては、「挫折」「失敗」「挑戦」「成功」すべての経験が糧になるのだということで、このとりとめない文を締めたいと思います。

今日は眠いしなんとなく会社に行きたくない筆者からは以上です。

(平成30年6月15日 金曜日)

2018年6月11日

PCのGmail設定が新しくなって全て既読にできる機能が追加されたのがうれしい話






おはようございます。

2018年6月のガジェットに関する配信記事です。

おそらく15年以上のGmailユーザーの筆者としては、日々進化するこのクラウド型メールシステムについて、いろいろな意見を持っています。

その中には、改悪と呼んでいい仕様変更もあるのですが、今回、2018年5月に行われたレイアウト変更において、もっとも筆者が喜んだ機能についてご紹介します。

それは、受信しているメールを全て既読にする、という「その他」機能です。

これまでは、Gmailに日々到着するメールの中で、一瞬で返信や返答が必要なメールを瞬時で頭の中で選び取り、そしてそのメールをチェックしたあとは、「時間があったら読む」的な情報メールになりますので、時間がないときには、一括処理として「未読メールを先頭にする」というソート(振り分け)機能を使って読んでいないけれども読む必要の薄いメールを一括表示させてから、それを全選択して、既読にするボタンで既読状態にしておりました。

これが、これからはこうした手間を一切かけずに、現在のGmailの設定から一発で、全てを既読にすることができるわけです。

1こか2こだけ残ってしまった未読メールを、これまではこうした作業をして探し当ててから、表示させて既読状態にしていた(中身は当然見ていない)ことの手間に比べますと、雲泥の差です。

未読のメールの「表題」だけを確認すれば、中身を読まなくても自分にとって必要かどうかはすぐわかります。

いちいち、全部のメールに目を通していたら、それこそメールチェックで大切な時間が大幅にとられてしまいます。

情報はどんどん積み重なっていく現代だからこそ、情報を選び取るという技を身につけて、適度な情報ライフを送って心身共にすっきり行きたいものです。

こうしたライフハック的な要望に対応できるグーグルという会社、やはり気が利くなと思った小さいながらも筆者にとっては大きな出来事でした。

自分が毎日使うツールが便利になるのは大変すばらしいことです。

今後もこのようなユーザー目線に即したサービスを展開してもらえればと思いました。

メールの文章が長いのでなかなか読んでもらえない筆者からは以上です。

(平成30年6月11日 月曜日)

2018年6月7日

上場を目指さず地域に根ざして世界と勝負しようという素敵な会社があるという話です






おはようございます。

2018年6月の地域に根ざしたいい会社を紹介しようとする配信記事です。

筆者は北九州市八幡の出身です。

昭和49年の生まれですから、ずいぶん生きて来ましたが、遥か前に北九州の地に生まれてしっかりと根を下ろした会社があります。

シャボン玉石けん、という会社です。

現社長の祖父であります森田範次郎が、その名を冠した商店を起こしたのが、1910(明治43)年と言いますから、日露戦争が終わり、ハレー彗星がやって来てほうき星と言われて日本中大騒ぎになっていた頃のことです。

そして、先代の故森田光徳社長が、合成洗剤の危険性に気づいて、すべてを無添加石けんの製造・販売に切り替えたのが1974(昭和49)年、すなわち筆者が生まれた年となります。

しかし、そこから売り上げは急減。それまでの実に1%にまで落ち、そして足掛け17年もの赤字が続くという状態となります。

真にお客のためになるという長期的な価値の提供という理念を続け、そうしてようやく光明が見えたのは1991(平成3)年のこと、光徳社長による『自然流「石けん」読本』の上梓がきっかけとなり、折からの環境問題への意識の高まりの気運とぴったり合致し、翌年会社はようやく黒字に転じたのです。

筆者は高校生になっていました。

そして、今は三代目の森田隼人社長が率いるシャボン玉石けんは、創業100周年を超え、ますます意気軒昂、先代の築いた「健康な体、きれいな水」の石けん、というスローガンを守りながら、そして伸ばしていこうとますます意気軒昂です。

地域に根ざし、地域から世界を伺い、上場は考えず、それは花王、P&G、ライオンが代表するメジャーの「合成洗剤会社」に買われてその無添加事業部になっては困るからだと堂々と宣言する森田社長と、シャボン玉石けんの役職員のみなさんのこれからの活躍を、地元出身の者として応援しております。

福岡市在住ですが、故郷にはできるだけの応援をしたいと思います筆者からの北九州市レポートは以上です。

(平成30年6月7日 木曜日)

2018年5月31日

「すぐやる」「必ずやる」「出来るまでやる」という三原則に入るための心の準備について考察します

日本電産株式会社ホームページより




おはようございます。

2018年5月のなかなかできない筆者のような人間に効く配信記事です。

筆者も学生時代を過ごした、日本の古都である京都において、

・すぐやる。
・必ずやる。
・出来るまでやる。

という精神を掲げて創業以来驀進する、日本電産という会社があります。

その創業者の永守重信さんは、すぐやることが成功に欠かせない普遍的な原則で、この習慣、癖を持ってさえいれば、どんな人でもどんな分野でも必ず成功されると言っています。

すぐやることの、やることを決めることも大切なのですが、本当は決めているのに行動に移さない、そのリードタイムが無駄だと喝破されているのです。

だいたい、「検討しています」というのは筆者の例に限らず嘘であることが多いです。

既に、やるべきであることは決まっているのですが、そのはじめの一歩が踏み出せないのです。

つまり、

・あとでやる。
・できればやる。
・出来なかったらあきらめる。

ということになってしまいます。

ここまであからさまに書いてしまうと、さすがに書いた方も少しはやらないといけないな、と思うところが面白いところです。

そして、すぐやることに集中するために、つまり最初の一歩を踏み出してそのまま流れていく「フロー」な状態に入るにはどのようにすればよいか、それを書いておきたいと思います。

それは、テレビやインターネットからの「自分ごとではない情報」を絶ってみる、ということです。

たとえば、惰性でテレビをつけるのをやめる。

なんとなくネットサーチや動画視聴をしない。

ということです。

自分の世界の周りに、自分とは全く関係ない他人やその他諸々の情報が、資格や聴覚を通じてどんどん入ってきてしまうという状態で、自分のことを自分ごとで考えよというのは、かなり無理な話であるわけです。

特に、動画や音声というのは、感覚的なものであり、言語や言葉での解釈を飛び越えて心と体にダイレクトに届いてしまいますから、それに引きずられていろいろな感情で反応してしまいます。

自動的に、こうした外からの情報を受動的にダウンロードして、それに影響された感情を持ってしまうわけです。

そうしてダウンロードされてインストールされてしまった情報によって影響された感情は、一体自分の感情なのか、テレビやインターネットによる情報によって掻き立てられた作られた感情なのか、それは当人にもよくわからなくなってしまうのです。

自分の感情をコントロールするためには、受け取る情報、特に視覚と聴覚に直接訴える動画や写真や音声については、その情報を絞る、ということがこの平成も終わりの世の中には絶対に必要な生きる態度であろうと思います。

だいたい、テレビやインターネットで激しく繰り返されている情報というのは、あまり幸せではない情報が多いものです。

その方が、個人の根元の感情を刺激し、メディア側としては中毒性があり、繰り返し見られるので広告収入等も見込めるからでしょう。

例えば、このブログのような、薄口なテイストのものは、あまり受けません。

写真も動画も豊富ではありませんし、センセーショナルなタイトルもございません。

しかし、一般的な強力メディアが流す情報は、ほとんど自分とは直接関係ない他人の話しながら、まるで知っていないと自分の世界が終わる最優先課題のように迫ってくるわけです。

しかし、かの野球界の伝説、国民栄誉賞を受賞した松井秀喜選手もおっしゃるように、

自分ではどうすることもできない自分以外のことについてはフラットに接する

ということができないと、世界中の情報の渦に、自分以外に気をとられて、感情をとられて、思考やマインドシェアをとられて、本当に考えなければならない、付き合わなければならない自分というものがますますお留守になってしまいます。

こうして、自分のことを最もケアして相手をしてあげるべき、自分がいわば外出中となってしまい、本来で会わなければならない未知の自分への探索が止まります。

あらゆる人間が、これからいろいろな出会いをするでしょうが、一番の出会いは自分です。

未知の「我」への出会いのために、自分が主体的にやること、そちらにこだわりフォーカスしていきたいところです。

自分の目を向けずに、思考がお留守になったところに、絶え間なくテレビやインターネットから、またまた自分とは全く関係のない他人や他国や他者の情報や感情や思考が流し込まれるという、ある意味恐ろしいデバイスに囲まれて私たちは生きているともいえるのです。

この状態で「自分の軸」とか「やりたいことをやって生きよう」とか言ってもなかなか難しいわけです。

スマートフォンの画面から顔を上げて、前を向いて歩くだけでも違ってくるでしょう。

そうすれば、身体も適度にほぐれて、心もすっきりし、すぐやる気構えが出来てくるのかもしれません。

テレビやインターネットの情報から一旦距離を置いて、自分のやることをやっていけば、勝手に自分のアンテナが研ぎ澄まされて、自分にとって必要な情報や人や組織には、必ず出会えるような気がしています。

そういう、自分は運がいい、と感じられる自己承認や自己信頼というのが、自分軸で生きるいうことの手始めなのかもしれません。

でもやっぱり、仕事は検討しておきます、と言ってテレビの前で寝転がってでプロ野球見ながらビールとおつまみで一杯やりながらそのまま寝ちゃうというのが最高だと思うダメダメ人間の筆者からは以上です。

(平成30年5月31日 木曜日)

2018年5月29日

「己を捨てたら勝てる」経営理念で頑張る地域の老舗タクシー会社のお話です

光タクシー 本社ホームページより





おはようございます。

2018年5月の経営に関する配信記事です。

筆者の好きな漫画に、「賭博黙示録カイジ」(1996年)に始まる「カイジ」シリーズというのがありますが、この漫画は、初出1996年(平成8年)ということで、筆者が社会人生活を始めるときと同じくらいに連載が始まったものであり、世相を反映して長く読み継がれています。

この、同時代的に進んだシリーズとは別に、すでに筆者が学生であった時にはベストセラーの地位を確立していた「ナニワ金融道」シリーズについては、筆者は就職した金融機関(長期信用銀行の関西採用)において学ぶべきところの多い、大阪の下町の金融街の一面の真実が描かれており、銀行の研修では決して教えない経済社会のありかたを教えてもらいました。

さて、そんな世知辛い世の中においても希望を失わない、といったテーマで描かれる上記の漫画の中に、「己を捨てたら勝てる」といった言葉が出てきます。

この精神をそのまま体現している素晴らしいタクシー会社が、人口減の北九州市で奮闘しています。

新日鐵八幡製鉄所(2019年4月から日本製鉄)のおひざ元、八幡東区枝光本町(えだみつほんまち)に本社を構える「光タクシー」は、製鉄所構内に乗り入れ可能な地場タクシー会社として、地域と共に歩んできました。

筆者も北九州市八幡東区出身ですから、子供のころはよく光タクシーを配車してもらい、黒崎やら八幡駅前やらに連れて行ってもらいました。

北九州市は、昭和56年にその人口のピーク106万人を数えましたが、その後続いた「鉄冷え」「産業の空洞化」により、人口は減少をはじめ、平成30年現在では95万人となっております。

高齢化も進み、いわば日本都市圏ではその最先端を行っている地域です。

ピンチに立たされているこの地域の商店街は、大型ショッピングモールやコンビニに押されて、気が付けばシャッター通りとなってしまいます。

そんな中、福岡県北九州市にある枝光本町(えだみつほんまち)商店街は多くの人で賑わっており、わずかながら店の数も増えているといいます。

ここは以前、官営八幡製鉄所の本社事務所のおひざ元でした。

日本で最もイケてる製造業の総本山の一つだったのです。

明治34年に事務所ができ、「鉄の街」として発展しました。

日清戦争で得た賠償金をもとに作られた、1901年の記念高炉が、今もそびえたっています。

筆者が小さい頃は、建設当時の姿でその高炉はあり、そばまで行って眺めたり触ったりすることもできたのです。

日本のサラリーマンたちの憧れの住宅街として、10万人もの人が商店街周辺に住んでいたといいます。

しかしながら、平成2年(筆者中学生のころ)に事務所が移転すると人口は激減、一気に高齢化と人口減少に見舞われます。

「お客が減り、このままでは商店街が無くなってしまう」

危機感を抱いた光タクシーの石橋社長は、年金生活の身にはタクシーは使えないというおばあさんに尋ねます。

「買い物のために、どういう乗り物が必要ですか?」

答えは、

「安い乗り物」

でした。

そこで石橋さんは12人乗りのマイクロバスを導入し、地域を巡回する乗り合いタクシー事業を始めるのです。

「枝光やまさか乗合タクシー」(通称:ジャンボタクシー)です。

この地域の住宅街は、高台にあり(平地は全て工場でした)、お年寄りが歩いて下ってこれたとしても、重い買い物荷物を手にもって坂を上がるのは厳しいところでした。

筆者の育った実家も、高台の公団住宅アパートでしたから、このことはよくわかります。

このタクシーは、どこで乗って、どこまで行っても200円単一料金です。

実に、年間延べ10万人以上が利用する商店街の集客マシンとなりました。

光タクシーは採算度外視でジャンボタクシーを運営していますが、地域の足として貢献している同社の理念は、地域はもちろん全国に知られることになり、同じく少子高齢化に苦しむ地域からの視察も多いということです。

こんなブログで同じ地域出身者が紹介するのも、光タクシーの人徳があるからこそでしょう。

これを読まれましたみなさん、北九州市八幡や戸畑に来られたら、是非光タクシーを利用してあげてください。

己を捨てたら勝てる、その経営を体現している会社の息吹が聞こえると思います。

重ねて、お願いしておきます。

こちらからは以上です。

(平成30年5月29日 火曜日)

光タクシー 企業紹介より

2018年5月11日

商業施設のお店やテナントに勤めるスタッフのみなさんが自然に交流できるところを作りたい







おはようございます。

2018年5月のタイムカードに関する配信記事です。

日本の経済社会は、今後数十年続く少子高齢化の影響で、先細っていくことが目に見えている、そんな実感が世の中を覆っているところです。

そんな中、商業施設の物販施設やテナントで働く人たちも、疲弊が目立ってきています。

そもそもあんまりお客さんがやってこない、ちょっとさびれたお店に勤めるスタッフというのは、とてもキツイものです。

オペレーションできる人員はどんどん減ってしまい、あげくスタッフ一人のワンオペになり、さらに本社の(何も知らない)社内官僚的なエリアマネジャーらからは、暇な時間があったら気の利いた販促策を考えろとか、ぐちゃぐちゃ言われるものです。

そんなになったら、もはや通勤するのもおっくうになってしまいます。

しかし、そんな個別のお店やテナントでは同じような問題を抱えているのに、ショッピングセンター全体を見渡せば、そんな他のテナントさんのスタッフさんとの付き合いは正直生まれにくいものです。

売上は企業秘密、という縦の土管型(サイロ型)秘密主義もあるけれど、なかなか自分の仕事の話はしにくいものなのです。

そんなに、バカ売れしているわけではないから。

正直、失敗も多いですし。

外した販促も多い。

そもそも、百貨店とか雑貨モールといった、縦に長い現代的建物においては、フロアが違えば会うことも見ることもないという関係ばかりなのです。

それよりも疲れたんだからとっとと帰って寝る、というのが通常の姿でしょう。

そんないわゆる普通のショッピングセンターに、階層ごとに、テナントごとに分かれて孤立しているそんな現場のテナントを回しているスタッフたちが、何とか縦横の関係が作れたら面白いという社会実験をしてみようと思い立った人がいます。

ショッピングセンターのちょっとした空きスペースを、テナント従業員の休憩所として使うのではなくて、レトロなタイムカードを置いて、繁華街じゃないけれどちょっとした職場帰りのおしゃべりコミュニティを作るというコンセプトで、立ち飲食できる場所として作ってみるという「ゆるい」社会実験です。

これまでは、喫煙者ならば、喫煙ルームでちょっとしたコミュニティを作り上げたりしていましたが、現代においては、文字通り喫煙所は煙たがられるだけで、喫煙者も激減しています。

この、ちょっとした飲食スペース店は、週末(商業テナントとしての週末は、日曜日の夕方から夜)であればその商業施設に勤める人は無料にしてしまうことも考えているそうです。

そうすると、これまでは無理して販促活動して呼び込んでいた人が、勝手にやってきて勝手にしゃべり始める、それ自体が他の人たちの吸引力になるのではないかという期待です。

無理して販促費を予算消化のために使って、クリスマスパーティーとかボーリング大会とか主催しても、それが施設内のコミュニティ育成に本当に役に立つのかというのは実に懐疑的で、実際横のつながりができたという話は筆者も寡聞にして聞きません。

そして、このスペースがあることで、例えばその日のレジ締めの作業を終えたテナントのスタッフさんが、適当に買ってきたおつまみやビールで、違うフロアの他のテナントの、今まで見かけたことしかないスタッフさんとちょっとした話をする、そんな面白い景色を作るという野望です。

少子高齢化でものすごく物販、サービス消費の厳しい時代、昭和の高度経済成長期を生きてきた本社のもうおっさんおばさんになっている人たちには感じることのできない現場の厳しさ。

きつい一日のシフト仕事が終わった後、そんな愚痴やら自分の温めている夢を語りあったりする場所や共有できる時間があれば、少しは明日への活力につながるはずです。

そんな、営業が終わった昼は華やかな商業施設の一角で、何やらレトロなタイムカードの機械を囲んで楽しそうな雰囲気の店内を遠目に見た、その商業施設の隣のお店に立ち寄ったほかのお客も、もしかしたらその立ち飲み屋に立ち寄るかもしれません。

施設の全体管理者としては、そんな疲れたスタッフの顔を見るのはつらい、そして販促費の残りがあるのなら、生きた使い方をしたい、そのような思いでこの企画を通してくれたのでしょう。

コンクリートの大きな商業施設という檻の建物の縦と横を、いわば磁石のようにくっつけて、本当に人が交流できるコミュニティを作っていけるかもしれない、という一見陳腐な、それでも破壊的な可能性を秘めた、そんなプロジェクトが福岡の、とある一等地商業施設の片隅で始まります。

お店の名前は「タイムカード」

さあみんな打刻せよ

ご期待ください

立ち飲み屋でも、スタッフさんに話しかけられるか自信のない筆者からは以上です。

(2018年5月11日 金曜日)

2018年3月31日

すぐできてお金も手間もかからず絶対的に良い印象を持たれる習慣について書きます






おはようございます。

2018年3月のすぐできて最高に良い印象を持たれる習慣に関する配信記事です。

ここまで書いても、筆者を含めてやらないことが多いことなのであえて書いていきます。

とにかく挨拶です。

世界中のどこにいようが、どんな組織に属していようが、とにかく社会的存在である人間にとって挨拶は基本中の基本です。

とにかく朝初めて会った時にしっかり挨拶ができるというだけで、かなり見た目からの評価が変わるのは間違いありませんが、筆者を含め何となく恥ずかしいのでそのままぼそぼそしているというのが通常の姿です。

とりあえず元気よくおはようございますと挨拶することから初めて自分の中の眠気もシャキッとしたいものです。

欧米の人たちは、挨拶に加えて握手をすることが多く、これなんかは訓練された素晴らしさを感じることが多いです。

とりあえず初めて会ったら挨拶、これを徹底するだけで印象は全然違います。

4月を控えて、新しい社員(新人)や新入生を迎える組織も多いと思いますが、彼らに対する教育や自己啓発をする前に、筆者を含め基本的な人間社会の基本である挨拶を今一度きちんとできるようにしておくというのは、お金も時間もかからないとてもコストパフォーマンスが良い基本的なところであると思います。

資格や能力、成果ももちろん大切ですが、それらを兼ね備えていても基本ができていないならば、よほどの天才でもない限りそれを組織や社会なりで活かすこともできないわけです。

筆者を含め自戒を込めて書いた記事は以上です。

(2018年3月31日 土曜日)

2018年3月28日

明日からがんばるのではなく今日からがんばるのでもなく今日だけがんばる






おはようございます。

2018年3月の営業研修に関する配信記事です。

外部顧問的といいますか、外部役員的なお役目を頂戴しているところの、スタートアップ企業で話をしていましたら、人材育成や新人研修といった話になりました。

そこで筆者は、筆者自身も20何年か遡れば立派な新卒新人であったわけであり、もうほとんどのことを忘れてしまっているものの、一つだけ覚えていることがあり、それは、「ビジョナリーカンパニー」というビジネス本と「ナニワ金融道」という漫画のことであった、という話をしたところ、やたら反応が良く雑談に花が咲きました。

普通、外部役員的なおっさんが話をするとなると、非常に退屈なものだと思うのですが、やたらそうした話をしてくれという空気になりましたので、調子に乗ってどんどん深い議論になってきたのですが、そこで気づいたのは、筆者が新人であった20年前においてもすでに漫画コンテンツが心構えやモチベーションといった分野で非常に奥深い名言を残したり印象を与えたりしていたところ、時代が下りますますそうした分野においても漫画やコンテンツといった手法で訴えることがむしろ普通になってきているなというようなことでした。

つまり、歴史の授業、例えば日本史なんかの理解をさっと行うためには漫画「日本の歴史」を通読するのが一番です。

いきなり教科書を頭から読んでも頭にはいりませんところ、漫画日本の歴史では中だるみせず、日本の有史2,000年くらいをさらりと読破できるわけです。

同じように、金融業をやるなら(銀行業も金融業の一つ)ナニワ金融道で、取り込み詐欺の話や法定利息の話、取り立ての現場や現実を追体験することができるという意味で、その意義は図り知れません。

さて議論の中で、最近の漫画コンテンツの中で、目標設定や心構えに関する心の整え方、といったところで話に挙げたいのは、「賭博破戒録カイジ」というカイジシリーズ初期の作品中のセリフです。

引用します。

 「明日からがんばろう」という発想からは…
 どんな芽も吹きはしない…!
 そのことに 20歳を超えてもまだわからんかのか…!?

 明日からがんばるんじゃない…
 今日…今日だけがんばるんだっ…!

 今日がんばった者…今日がんばり始めた者にのみ…
 明日が来るんだよ…!

  講談社「賭博破戒録カイジ」第7話「亀裂」より

発言の主は、地下強制労働で他人から吸い上げることしか頭にない、大槻班長という超小物でありますが、こんな誰からも目標にされないような人間であっても、それでもその生き方に学ぶべきところがあるのかもしれないという、衝撃の名言です。

人間ですから、人間って、ついつい「明日しよう」と思ってしまいます。

でも、「明日しよう」はなんの決断でもないのです。

明日が今日になったらまた別の日です。

そうではなく、今日からずっとがんばるのではなく、とりあえず「今日だけ」頑張るという発想の転換です。

今日からずっとではなく、今日だけ、明日のことは考えない、今だけ頑張る。

明日も今日になった時に「今日だけ」頑張る。

こうして、1日1日を本気で生きていけば、けっこう人間変われそうな気がします。

「明日からがんばる」でもなく「今日からがんばる」でもなく「今日だけがんばる」を意識すること、こうすれば人生しんどいけど楽しくなっていくのかもしれません。

偉そうに若手の前で喋りましたが、今日やることは明日やる、明日になったら先延ばしの筆者からは以上です。

(平成30年3月28日 水曜日)

2018年3月27日

専門家って何だろうと改めて考えさせられる素敵な話(ハリーポッター誕生秘話)






おはようございます。

2018年3月のコンテンツに関する配信記事です。

専門家って何だろうと考えさせられる話をします。

J・K・ローリングというシングルマザーの女性が、子供を眠らせるためにベビーカーで街を歩いたあとに、近くの「THE ELEPHANT HOUSE」というカフェにこもって、時には何時間も粘りながら執筆したのが、あの「ハリー・ポッター賢者の石」という作品です。

映画化もされ世界中の人が知っているとは思いますが、「ハリー・ポッター」シリーズは、処女作「賢者の石」から合計7巻、現代のイギリスを舞台にしながら、魔法を使える魔法族の学校「ホグワーツ魔法学校」を舞台に、ハリーの両親を葬った闇の魔法使いのボス、ヴォルデモートとの因縁と最終決戦を描き切った物語です。

世界全土で数億部のベストセラーです。

筆者もその読者の一人です。

その作者であるJ・K・ローリングさんは、小さい頃からもともと物語を書くのが好きだったそうですが、祖国であるイギリスを離れてポルトガルに渡ってそこで結婚、一児(娘)の母となりました。

しかし、夫との生活がうまくいかず、ほどなく離婚して子連れでイギリスに帰国します。

お金もないし、子供は育てていかなければならない、その状況で高校のフランス語の教師になるという道もあった中、迷っていた小説を書くことを仕事にするということについてアドバイスを求めるべく、途中まで書いていたハリーの物語を妹に見せて感想を聞いたそうです。

感想が、通り一遍のものだったならば、思いを断ち切って高校教師になるべく準備をしよう、と決めていたところ、妹からは「これは面白い、続きが早く読みたいわ」との感想で、それならばということで高校教師は辞めて小説家一本で行けるところまで行こうと決めたそうです。

そうして数ヶ月後、「ハリー・ポッター」の草稿が完成しました。

実はこの間、離婚後の生活苦と貧困でうつ病になり、自殺も考えたことがあったそうです。

そして、このうつ病の苦しさの経験がハリー・ポッターシリーズに登場するかの「ディメンター」のもととなったとも語っています。

娘の存在という支えと自身の強固な意志でうつ病を治し、そして貧しいシングルマザーとして生活保護を受けながら、カフェや自宅で書き溜めた「ハリー・ポッター」シリーズ第1作「ハリー・ポッターと賢者の石」は完成します。

早速、出版社を回ったローリングさんですが、この作品があまりに長編で、出版する会社は一向に現れませんでした。

持ち込まれた出版社の担当者は一様に、「これは長いね、退屈だよ」といった感想だったそうです。

ろくに読みもしないのに。

そして、いよいよだめかと思った時に朗報がもたらされます。

新人による子ども向け書籍の出版に取り組んでいたブルームズベリー出版社が本書を出版することとなったのです。

エージェントより受け取った原稿を、同社の社長のニュートン氏が自分で読む前に8歳の娘のアリス・ニュートンさんに手渡して反応を見たのです。

アリスさんは約1時間後、「ほかのどの小説より、とても面白い!」と目を輝かせて自室から出てくると、その後数カ月間、ニュートン氏に「あのお話の続きが読みたい」とせがみ続けたということです。

出版後のベストセラーぶりはみなさんご存知のとおりです。

振り返れば、孤独な挑戦を続けたJ・K・ローリングさんには、2人の味方が現れたわけです。

一人はローリングさんの小説家としての才能を認めてくれた妹さん。

そしてもう一人はこの小説を面白いといって初めてのファンになった出版社社長の娘さん。

ここに、出版や小説家の「専門家」って一体何だろうと考えされられるのです。

「まことに残念ですが…」と題した不朽の名作への『不採用通知』という本がありまして、ここには、パール・バックの「大地」やメルヴィルの「白鯨」などのさまざまな不朽の名作が世に出る際に、出版を断られた出版社から届いた「断り状」の言葉が集められています。

世の中を見通すことは難しく、また全てを受け入れることはできません。

であれば断るときにも心に沿った断り文句を心がけたいものです。

将来、大成功した相手と世間から物笑いになる場合であっても、少しは癒されるでしょう。

専門家の人も、専門家でない人も、開かれた未来に対しては全く平等なのだというようなことを感じます。

こちら、まことに残念ですが、ブログが売れるにはまだまだ時間がかかりそうな筆者からは以上です。

(平成30年3月27日 火曜日)

2018年3月21日

世の中を本気で変えたいと思ったらどう振舞うべきかを科学的に考えてみた話





おはようございます。

2018年3月の心構えや振る舞い方に関する配信記事です。

全ては思うところから始まる、とは筆者の恩師が述べた言葉だったと思います。

大学への入学でも、職探しでも、それよりももっと大きな世の中を変えたいといった漠然とした願いも、全てはより強く思うところから始まるというわけです。

その何とかしたいという思いを、かのソフトバンク創業者の孫正義社長が、「志」という言葉で熱く語ってくれました。

何かを成し遂げたいと希求する強烈な熱意、それが「志」いうわけです。

そして、その熱意は周囲に伝わり、その熱にみんなが参画して、思いを乗っけていくことになります。

そして、節目節目でそういった志をつないでいってくれる仲間や支援者やメンターや協力者がそこここに現れてくるものだ、というようなことを語っています。

世の中を変えるだけの人の条件は、志を持つこと、そして志は、全て思うところから始まるとなります。

もう少し具体的に話を進めます。

例えば、事業遂行能力や事理認識能力といった、いわゆる人の「能力」については、かなり客観的に測れるようになっていて、その多寡や度合いもわかるのですが、実はそれだけで世の中を変えるだけの原動力を持つ人になると問われたら、ほとんどの人たちが感覚的に違うと答えます。

経験的にも直感的にも、「能力」だけでは決定的に何かが足りないのです。

そして、このテクノロジー全盛の時代は、実は才能や能力すら、世界中にアクセスして借りてくることができるわけで(アウトソースできるともいう)、問題は、能力それ自体ではないという論拠をさらに強くしているように思います。

となれば、なぜ生きるのか、自分の人生において何を為したいのか、といったところを具体的に、期限を切って語れる熱い目標がある人が浮かび上がってきます。

そうした振る舞いができる人が、志がある人として人に認知され、そしてリーダーとなって行くのではないでしょうか。

そして、志という言葉には、目標に向かってハードワークする、必死に頑張るという過程が必ず対となってきます。

この、ハードな目標に向かう過程というか心構えがなければ、「志」は「願望」に格下げされます。

そうなったらいいな、では残念ながらその実現は遠いでしょう。

実現する前に寿命が尽きてしまうかもしれません。

というわけで、世の中を変える可能性のある人の資質を重要なものからまとめると、

・志

・努力する過程

・能力

というところだと思いますが、最後に、正しい方法論というのを付け加えておきたいと思います。

これだけの情報化社会にあっても、人間なかなか必要なところにリソースを割かないで、別の他に任せていいところにばかりこだわってしまったり、また逆に方法としては全く正しくない方法で突き進んで行ってしまうという失敗があとをたちません。

この方法論、こそ学習によって修正できるところではないかと思っています。

最後にまとめますと、世の中を変える人に必要な要素は、

・志、継続力(努力する姿勢、心構え)、能力、そして正しい学習による方法論の確立

というところになりそうです。

異論反論、論評お待ちしています。

いい記事を書けたみたいなので、まずは酒でも飲みたいと強く願う筆者からは以上です。

(平成30年3月21日 水曜日)

2018年3月9日

「いい人」がこれからは大切な資質として崇められる世の中になるのではないかと思う理由





おはようございます。

2018年3月のいい人に関する配信記事です。

いいひと。という漫画が1990年代の昔にありました。

ひたすらいい人に徹する主人公とその周りの社会人たちの物語なのですが、正直その当時はいい人だけでは世の中渡れないという常識に対するアンチテーゼではなかったかと思うのです。

しかしながら、今や時代は変わりました。

陰徳を積むという言葉がありますが(隠匿ではありません)、興味深いのは、そうした陰徳を積むいい人の行いというのは、それまではお天道様しか見ておらず、本当に人の目に触れることは少なかったのですが、このIOT全盛のテクノロジーの時代が、そうした陰徳を陰徳として許さず、すかさず「シェア」という方法で全世界に同時に拡散できる手法が確立されたことで世の中変わったのです。

逆に、それまで「隠匿」されていた不都合な事実などが、同じ手法で一気に暴かれそれまで注意深く築かれてきた虚構の信用が一気に崩れ去るという、いわばまともな世の中になったのです。

#Me too 運動の広がりなどはその最たるものと言えるでしょう。

そういう世の中になった以上、事業活動を行う企業としても、人材採用において興味深い方向にシフトしています。

つまり、「いい人」という資質を認めてそれを積極的に自社の社員として取り込もうとするのです。

いい人だけでは仕事はできない、という考え方はもう古いのです。

なぜかというと、グーグルやフェイスブックといったテクノ系大企業においては、天才的な知能や高度なスキル、ネットワークや才能などは、それぞれが必要な時にピンポイントで、世界中のリソース(全世界の人口75憶人に直接)にアクセスしてその都度外注(アウトソーシング)すればいい、と考えているのです。

もしくはプロジェクトごと買収するといった話です。

優秀な社員がいる会社なので、会社ごと買ってしまった、というのは、自分の好きな電車ダイヤを組むために電鉄会社ごと買っちゃうといった発想ですが、今やスキルは何でも買えるので、自社のコアな従業員(正社員)に唯一望むものは、いい人であるという資質それのみであるということになるわけです。

いい人こそ雇え、これは日本の浪花節映画の金字塔である、例えば男はつらいよの寅次郎や、釣りバカ日誌シリーズの浜ちゃんに通じるGood Personこそ、これらの会社が求める人物像なのかもしれません(すみません未確認ですが)。

とにかく信用できるいい人に出会えれば、何らか飯の種は見つかるものだと信じている筆者からは以上です。

(平成30年3月9日 金曜日)

2018年3月6日

満足感や達成感は努力のプロセスそのものにあり結果にあるのではないという話





おはようございます。

2018年3月の納得感に関する配信記事です。

満足感や達成感、納得感は、努力のプロセスそのものにあるのであって、決して結果にあるのではないという話をします。

充足感は努力そのものの中にあるということは、かのインドという多民族多階級の複雑社会であるインドの光となった偉大な政治家マハトマ・ガンジーも言った言葉です。

ちなみに、マハトマとは、サンスクリット語(南アジアおよび東南アジアにおいて用いられた古代語であるが、文学、哲学、学術、宗教などの分野で広く用いられ、ヒンドゥー教、仏教、シーク教、ジャイナ教の礼拝用言語でもあり、現在もその権威は大きく、現代インド公用語22のうちの一つでもある)で、「偉大」を意味する「マハー」と「魂」を意味する「アートマン」を合わせた、「偉大な魂」を意味する尊称です。

最初から、マハトマ・ガンジーさんという人がいたわけではありません。

ガンジーさん(こちらは本名)が、インド独立の運動を粘り強く行ったプロセスに感嘆したインドの人々が、彼にこの尊称を贈ったわけです。

努力することが成功することそのものであるということでしょう。

結果を求めるための目標を設定することは大変重要です。

しかし、一旦定めた目標に向かって具体的なアクションを行わなければ、目標はただの絵に描いた餅となってそのままです。

ただ、その目標に向かって行った具体的な努力や過程や実践は、目標それ自体が達成に至らなくても、その人の血となり肉となり経験となり、その後の人生において非常に重要な指針やよりどころとなるのです。

そうしたよりどころのようなものを言い換えて、達成感とか納得感とか満足感と呼ぶのかもしれません。

究極的には、達成されない目標であっても、そこに向かって努力した軌跡は残る。

ただし、努力を始めるには目標(望ましい結果)を定めなければならない。

こういったところでしょうか。

結果が結果として成就するか成就しないかはさほど重要ではないが、結果(目標)を定めてそこに向かった具体的なアクションを始めることは超重要、と言い換えることもできます。

プロスポーツ(アマチュアスポーツであるオリンピックもここでは含む)やビジネスといった世界では、よく結果が全てといった言われ方がなされます。

しかしながら、この結果に向かった個々のアスリートやビジネスパーソンの努力のプロセスは、それぞれの人生にかけがえのない糧となってその人たちとその人たちの周りの人生を豊かにするのでしょう。

正しいプロセスを積み重ねるということが大切です。

たとえ、競技で金メダルに輝いたとしても、ドーピングというプロセスを経ていた場合は剥奪されるように、そのプロセスは誰もが納得できる公明正大であることが求められます。

試験ならばカンニングはしない。

競技ならドーピングはしない。

結果にこだわる姿勢は、「より目標をクリアにイメージして、これから踏み出す具体的な努力の一歩を明確にするため」に使いたいものです。

日本銀行、日本開発銀行、日本郵船、東京三菱銀行(当時)、三和銀行(当時)…。

かつて、当職が就職面接に落ちた会社たちです。

どう社会人として働くのか、何を目指すのかといったことを考えるためにも、こうした機会は大変重要でありました。

これが、結果それ自体がそんなに重要ではないという筆者なりの根拠です。

ここまで書いてもなお、楽してお金を稼ぐ結果が欲しいと思ってしまう煩悩な筆者からは以上です。

(平成30年3月6日 火曜日)

2018年2月26日

平昌(ピョンチャン)冬季オリンピック2018年の感想など徒然なるままに語ります






おはようございます。

2018年2月の冬季オリンピックに関する配信記事です。

平昌(ピョンチャン)オリンピックが閉幕しました。

続いて、平昌パラリンピックが開催される予定ですが、とりあえず、今回の冬季オリンピックの終了を受けて、素人視聴者の筆者より、感想など述べてみたいと思います。

まずは、ほとんどテレビの前で観戦することのなかったオリンピックでしたが、データ通信やスマホの動画機能(公式)を利用することにより、かなり効率よく見たい演技だけを繰り返して見ることができてよかったです。

余計な解説もない、純粋なノーカット版の演技などを期間限定ながら公式動画としてアップしてくれたスポンサー番組の関係各位(NHKなど)には感謝の言葉を贈りたいと思います。

通信料として臨時受信料を支払ってもいいくらいだと思いました。

NHK以外の場合の民放系の動画の場合は最初に、変な広告を見せられるのがたまに傷ですが、無料で見るというシステムでやって行くためには仕方のないところだとは思います。

次に、具体的な競技に入る前に、各国のメダルの数というものについての変な煽りや言及、時間稼ぎのTV放送にありがちな無用な応援団と称する素人の解説とも応援ともつかない前説に自分の時間を取られることがなかったのは良かったです。

はっきり言って、冬季オリンピック競技で毎シーズン注目しているような競技は、申し訳ないながら素人の筆者にはございません。

4年前の2014年冬季ソチオリンピック以来ぶりに初めて見るような競技ばかりです。

スピードスケートのパシュートやマススタートに至っては、こんなにしっかり見たのは人生初めてと言っても良いと思います。

それでも、4年に一度、メジャーな競技もマイナーな競技も、等しく脚光を浴びることができるこのオリンピックという機会は人類共通の舞台として大切にしたいと思いました。

なぜなら、明らかに、階段を一段飛ばしに駆け上がるように、こうした大きな大会において人類の技能は格段に進歩するからです。

フィギュアスケートの世界でも、スピードスケートの世界でも、戦略や駆け引き、そして普段からの強化トレーニングやチーム育成から全てをかけた総力戦になってきています。

選手個人の才能はもちろん、それを支える国やチーム、各競技連盟の力も試される非常にレベルの高い大会になってきています。

そして、選手の年齢など何も関係ない!

15歳の金メダリストも出れば、40台後半で決勝の舞台を踏む選手も出てきています。

競技特性に年齢は関係ない、人類が様々な知恵を絞りさまざまな競技を考案し、それぞれに壁を破るトップ選手がいたからこそ、ジャンプは4回転に、ハーフパイプのコーク系も1440(4回転)を連続して持ってくるという時代になりました。

個人的に最も感動したのは女子パシュートの金メダルです。

個々人では劣る総力を、3人1組のチームでいかに早く滑り切るか。

年間300日をともに過ごした4人の選手たちとスタッフの努力が結ばれた、特にオランダとの決勝戦は世紀の一戦でした。

乗馬やボートにおいて、人馬一体とか一艇ありて一身なしといった言葉がありますが、この3人のまるで(適当な例えが思い浮かばず語彙を恥じますが)一匹の海へびがぐねぐねスイスイ進むような、まさに隊列あって一身なしの見事な美しい軌跡でありました。

もう一つ。

女子マススタート。

競輪を彷彿とさせる駆け引きのレースで、先頭を引かずに最後まで強い選手に粘り強くついていき、最後のコーナーから一気に内側に仕掛けてトップをかっさらった高木菜那選手、何度も動画で観ました。

本当におめでとうございます。

17日間のオリンピック、存分に楽しませていただきました。

しばしの休息と充電を。

メダリストのみなさんなどは特に、勉強していない大手マスコミや配慮のない週刊誌系記者などに追いかけられてペースを崩されることのないよう、今後のご活躍をお祈りいたします。

人生においても最後の直線に備えて、体力をためております筆者から以上です。

(平成30年2月26日 月曜日)

2018年2月24日

通信制高校は不登校生徒の受け皿を超え完全な高等教育の一形態になったと思う





おはようございます。

2018年2月の配信記事です。

以前の記事で、ほぼ全ての文系学部の座学部分はネット配信動画で代替しうると述べましたが、よく考えれば実際の高等学校教育の中では、すでにネットによる双方向の授業が確立しており、単に高校履修過程を終了する以上に、それ以上の高等教育、すなわち大学入試に耐えうるだけの学力もつけることができる、そのような時代にすでになっておりますということを話します。

ところで、不登校というのはどういった状況になった生徒を指すのかと言いますと、一応調査の定義がありまして、年度の間に合計30日以上欠席した児童生徒数のうち、その理由を不登校を理由とする者が不登校児と一般に呼ばれるということです。

そして、不登校とは、いろいろ原因はありますが、何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因・背景により、児童生徒が登校しないまたはしたくともできない状況(ただし、病気や経済的理由によるものを除く)をいうようです。



不登校生徒が高校一学年に3万人いる時代(3%)



最初から通信制高校に入る人もいれば、通学制の高校を何らかの理由で行けなくなってしまって通信制高校に入り直す人もいますが、まだ多くの通信制高校が高校卒業自体を目標としています。

そんな中、注目したいのが広域通信制度で展開するN高校です。

これは、自宅のパソコンで好きな時間に授業をオンラインで受けることができます。

各科目の単元ごとに確認の小テストを受け、月に6回程度、ネット上でのレポートの提出も行います。

ネット上ですが、部活動もあり、オフラインで合宿もすることができます。

全国から集まった定時制の生徒と一緒に合宿する機会を作るのは、むしろ通学制の生徒より優れているかもしれません。

さて、こうした通信教育のネットの強みを最大限に発揮できるのが、大学受験指導です。

これまでの動画による授業に加えて、大手予備校の講師らによる配信授業も同時に受けることができます。

「自習」もネットで行うことができます。

これは、どうしても自宅の自室では集中できない場合が多い生徒に好評な制度で、勉強を始める前に、パソコンの前で勉強します宣言を行い画面を切り替えると、他の大学受験コースの生徒たちが勉強している姿と、自分自身が勉強している姿がネット上に共有され、担任の講師含めてみんなが見ることができるという仕組みです。

ネットによる社会的組織的自習空間が、たちどころに出来上がるというわけです。

自宅で一人でも、人に見られているという感覚で、緊張感をもって濃い時間を過ごすことができるのです。

受験担当のメンターとは、定期的にネットを通じて個人面談を行います。

他の受験生とのグループ面談だってあります。

そこには、他の受験生に加え、希望の大学に合格した先輩OBやOGたちも混じって、ビデオチャットで臨場感ある話が聞け、率直な悩みの相談になり、また次のやる気が湧くというわけです。

受験準備期間で培うべき学力を、定量的に、イメージをもって養成して、勉強の進み具合を随時報告相談して、アドバイスを受けてまた集中して取り組む、というたゆまぬ改革・改善のプロセスを、PCDAを回すことができるのです。

もはや、通信制という選択は、在宅ワークと同様完全に市民権を得つつあるのではないかと思います。

引きこもり、ひたすらネット記事を書きまくりたい筆者からは以上です。

(平成30年2月24日 土曜日)

2018年2月22日

私はまだまだ負けていない だって息していますからねと述べた加藤一二三棋士






おはようございます。

2018年2月のネバーギブアップの配信記事です。

2017年、73歳で将棋プロ棋士の現役を引退となった、加藤一二三さんのことを紹介します。

もう私はギブアップ

お手上げです

参りました

とは言わない

だって、まだ生きているんだから

まだ息しているんですからね

NHKの特集番組で加藤一二三さんは語りました。

2017年、加藤棋士が73歳で戦った将棋のリーグ戦、順位戦の全7局、そのどれも全て、持ち時間6時間をほとんど使い果たす、5時間50分以上考え抜いて指されたとのことです。

年齢を重ねると、体力が低下しているためにあまり考えずに指してしまうこともある棋士もいるという話もありますが、加藤さんは、絶対に負けない、その闘志を露わにして、制限時間いっぱいいっぱいまで考えに考え抜いて、勝負の手を繰り出していったのです。

実際に加藤さんが引退することになった最後の公式戦、高野四段との戦い。

その対局終了後、感想戦という将棋の内容を検討する流れを行わず、ノーコメントで、そのまま帰路につきました。

加藤さんの悔しさゆえの行為であり、加藤一二三棋士の棋士としての勝負師としての闘志が最後まで燃えていたことの証左です。

ネバーギブアップ。

老いても刀折れても矢がつきても、それでも闘志を燃やして指し続けた加藤一二三棋士。

神武以来(じんむこのかた)の天才と呼ばれ華々しくデビューした天才少年は、半世紀以上経っても、現役引退となっても、勝負の最前線に泥臭く自ら立っているのです。

まだ生きていますからね

まだ息しているんですからね

チャレンジャーは偉大です。

加藤一二三さんを見習って、少しは本気出そうと思った息してる筆者からは以上です。

(平成30年2月22日 木曜日)

2018年2月16日

「ガルシアへの手紙」を読んでくださいー知らない人も知っている人ももう一度原文で





おはようございます。

2018年2月の配信記事です。

「ガルシアへの手紙」の話を知っている方も多いと思いますが、改めてこの話を紹介して自らへの戒めというか指針にしたいと思いましてメモがわりに書いておきます。

もともと、アメリカで1899年に出された原作「A Message to Garcia(Elbert Hubbard)」はほんの小さな小冊子で、日本語で翻訳しても数ページほどの分量です。

ですので、ぜひ原文で読んでください。

英語だから全文は厳しくても、最初と最後の部分だけでもぜひ。

この小冊子が世界に与えた衝撃は大きく、その影響力は1913年の時点で世界で4000万部印刷されたという事実から容易に推測できます。

世界中で1億人が読み、そして日本の明治天皇陛下も絶賛したとのことです。

何しろ100年以上前の本になりますので、現代では知らない方もいると思うのであえて言及します。

世界中が読んだ名著であり、そして、ゲティスバーグという片田舎で簡単に話された手短な話が、米国史上最大級に有名になったかのリンカーン大統領演説であるというのに似たものを感じます。

それでは早速紹介します。



ガルシアへの手紙


エルバート・ハバード(1899年)
筆者勝手抄訳

キューバ戦争において、私の記憶の中に、火星が大接近した衝撃に似て最もはっきりと思いだす人物がいる。

アメリカとスペインとの間で、キューバをめぐって戦争が起きた時、合衆国はどうしても、反乱軍のリーダーと連絡をとらなくてはならなくなった。

そのリーダーの名はガルシアという。

キューバの山奥の要塞にいるらしい。

どこにあるのか誰も知らない。

郵便も電報も届かない。

しかし、大統領はガルシア将軍の協力を取りつけなくてはならない。

事態は至急を要する。

どうすればいいのだ!

誰かが大統領に進言した。

「ガルシアを見つけ出せる者がいるとしたら、それは、ローワンという男です」

ローワンは呼ばれた。

そして、大統領からガルシアへの手紙を受け取った。

私は、ローワンという名の男が、どのようにガルシアへの手紙を受け取り、それを防水の小袋に密封し胸に革ひもでしばりつけ、四日後の夜に小舟でキューバの海岸に上陸し、ジャングルの中に消えていき、敵地を歩いて横断し、ガルシアに手紙を渡し、三週間後に別の海岸に現れたか、それを詳しく語ろうとは思わない。

ただ、言いたいのは、次のことである。

マッキンレー大統領はローワンにガルシアへの手紙を渡したが、そのときローワンは、その手紙を黙って受け取り、「ガルシアはどこにいるのですか」などとはひとことも聞かなかったということである。

この男こそ、ブロンズで型にとり、その銅像を永遠に国中の学校に置くべき人物である。

私たちに必要なのは、学校における机上の勉強ではなく、あれこれ細かな知識技能でもない。

ローワンのように背骨をピシッと伸ばしてやることである。

自らの力で物事に取り組もうという精神を教えることである。

勇気を教えることである。

そうすれば、人々は、信頼に忠実に応えられる人物、すぐ行動に移せる人物、精神を集中できる人物となり、そしてガルシアに手紙を持っていく人物となるであろう。

…(中略)…

この、ガルシアに手紙を届けられる人の願いは、何であろうと聞き入れられる。

このような人は、どこの都市でも、どこの街でも、どこの村でも求められている。

このような人は、どこの会社でも、どこの店でも、どこの工場でも求められている。

世界中が、このような人間を、必死に、呼び求めているのだ。

世界はいつでも、本当にどこでも、必要としているのだ。

ガルシアへ手紙を届けられる人間を。



…いかがでしたでしょうか。

このような駄文ブログ記事全てを吹き飛ばす衝撃の文章だと思います。

繰り返しますが、ぜひ原文で読んでください。

それでは本日も頑張っていきましょう。

まずは切れてしまった指定ゴミ袋から買ってこようと思いました筆者からは以上です。

(平成30年2月16日 金曜日)