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2018年7月19日

世界一になるには世界一練習しないとダメだと語った小学生が見た世界の話






おはようございます。

2018年7月の将来の夢に関する配信記事です。

今を遡ること少し前に、ある小学校6年生が書いた作文を紹介します。

ぼくは大人になったら、世界一のサッカー選手になりたいと言うよりなる。
世界一になるには、世界一練習しないとダメだ。
だから、今、ぼくはガンバッている。
今はヘタだけれどガンバッて必ず世界一になる。
そして、世界一になったら、大金持ちになって親孝行する。
Wカップで有名になって、ぼくは外国から呼ばれてヨーロッパのセリエAに入団します。
そしてレギュラーになって10番で活躍します。
一年間の給料は40億円はほしいです。
プーマとけいやくしてスパイクやジャンバーを作り、世界中の人が、このぼくが作ったスパイクやジャンバーを買って行ってくれることを夢みている。
一方、世界中のみんなが注目し、世界中で一番さわぐ4年に一度のWカップに出場します。
セリエAで活躍しているぼくは、日本に帰りミーティングをし10番をもらってチームの看板です。
ブラジルと決勝戦をし2対1でブラジルを破りたいです。
この得点も兄と力を合わせ、世界の強ゴウをうまくかわし、いいパスをだし合って得点を入れることが、ぼくの夢です。

すごいですね。

書いた夢がそのまま現実になっているというのは、こういうことを言うのでしょう。

3度目のワールドカップに出場し、その全てで得点を入れた、セリエAの強豪クラブで10番をつけた、そしてもちろん日本代表の看板になったのは、もうわかりますね、あの本田圭佑選手です。

しかし、本田選手は、数ある高額の講演のオファーを断って、自分の出身の小学校にボランティアで挨拶に出向き、そして子供達にこう伝えたそうです。

「自分は夢を叶えるために、今そこにある困難に立ち向かう勇気を持ちつづけるようにしたい」

これこそ、
世界一になるには、世界一練習しないとダメだ。
だから、今、ぼくはガンバッている。
今はヘタだけれどガンバッて必ず世界一になる。
と決めたときから続けてきた、彼の壮絶な努力への姿勢を示すものでしょう。

この卒業文集の作文で一番読むべきところは、世界一練習するために頑張る、というこの困難な部分ではないかと思うのです。

日本のJリーグからオランダリーグに入団した時、必死に覚えたオランダ語で挨拶し、日本車のHONDAじゃないけど、あれくらい正確無比な高性能プレイを披露する本田と覚えてください、とジョークまで飛ばして会見した、普通の人間では持ち得ない強力なメンタル(精神力)を持ちつづけたこと、これこそが本田選手が自ら認めて恃(たの)んだ自身の強い才能であったのかと思います。

サッカーの才能に頼るのではなく、困難に立ち向かう勇気を持ち続けて、困難と格闘し続けたこと、努力を続けたこと、サッカーだけではなく、周囲に自らを認めて貰うために、オランダ語だろうが何だろうが何でも吸収して糧としたこと、卒業文集にワールドカップで得点を決めることと宣言して、そこから逆算して今やるべきことを、日々明確に決めづつけて歩んできた太い人生の軌跡が、日本初のワールドカップ3大会連続得点(総得点4)という、奇跡を生んだのです。

ロシアワールドカップ2018も終わり、数々のドラマがありました。

夜を徹して生中継を見られた方も多かったかと思います。

こちらも、お仕事やその他やること多い中、たいへんお疲れ様でした。

人生という舞台を思い切り燃やすため、日々過酷な努力を続けるアスリートたちの晴れ姿をとことん見られるということが、こうしたスポーツの最大の醍醐味ではないかと思いました。

ここまで書いておきながら、それでも努力するよりぐうたら寝ていたい筆者からは以上です。

(平成30年7月19日 木曜日)

2018年6月29日

2018年6月FIFAサッカーワールドカップで日本がグループリーグを突破









おはようございます。

2018年6月の、ロシアサッカーワールドカップに関する配信記事です。

2018年6月29日(木)深夜、日本はグループリーグHの最終戦をポッド1のポーランド(世界ランク9位)と戦い、0-1で敗戦したものの、勝ち点首位であったセネガルもコロンビアに0-1で敗れたため、

・勝ち点4点で同点
・得失点差も0点で同点
・得点も4点で同点
・直接対決の結果も2-2の同点

となり、最後の、2018年ワールドカップから適用されたルールである「イエローカードを多く貰っていない」というフェアプレーポイントで、セネガル6枚に比して日本4枚、ということでかろうじてグループリーグ2位という結果となり、H組2位で8年ぶりのグループリーグ突破を果たしました。

より詳しくレギュレーションを確認しますと、






各グループ上位2チームが、決勝トーナメントに進出する。
順位は、以下の順に従い決定される。
1. 全試合での勝ち点
2. 全試合での得失点差
3. 全試合での得点
4. 当該チーム同士の対戦における勝ち点(3チームで争う場合もあるため)
5. 当該チーム同士の対戦における得失点差(同上)
6. 当該チーム同士の対戦における得点(同上)
7. フェアプレーポイントでの判定
 (FPP。警告がマイナス1、警告2回による退場がマイナス3、一発退場がマイナス4、等)
8. 抽選

となっておりますので、今回の例によりますと、7.のFPPが採用されることで優位な地位にいる日本チームは、ポーランドとの試合の最終盤は、終始自陣でのボール回しに終始し、ただ時間を稼いで0-1のままのスコアで試合を終了させました。

この戦い方は、賛否両論あると思います。

筆者も、これについて、どちらが賛成という立場はとれないと思います。

ポーランド相手に1点を取りに行くという戦い方よりも、引いて時間稼ぎして、コロンビアがセネガルから1点取られないこと、に賭けたという采配です。

他人任せの他力本願の極致ですが、それも、目標設定とそれに対する取り組みという意味で筋の通った戦略でした。

当然、見ていて楽しいものではなく、心苦しい、というかさわやかではないサムライ・ブルーの戦いぶりでしたが、生存という目標に向かって泥臭く行くという意味で、日本代表も大人になったなというのが率直な感想でした。

身体を張り、レッドカード、イエローカードのリスクも抱え、それでも、あくまでも自力で勝つ(攻めて1点入れて、グループリーグ1位通過)ことを追い求め、それがフェアプレイだと観客の喝采を受けて、そして負けること。

反対に、残り10分(アディショナルタイムも含めて10数分)、指折り数えてフェアプレイポイントなどと言われるのは恥ずかしい、憚られる後方でのボール回しをしながら時間を稼ぎ、観客からブーイングされ続け、自力で勝つことも戦うことも諦めて、何がフェアプレイなのか物議を醸し出して、そしてコロンビアに完全に運命を預けて待って、そして試合に負けてグループリーグを突破すること。

この対比で、それでも筆者は後者を選ぶ、それが生きることなのではないかなどと思いました。

もちろん、見苦しいものでしてもう一つのセネガルーコロンビア戦にチャンネルを変えながら、気が気でない時間を過ごしました。

攻めて、もう1点入れてたら、グループリーグ1位で自力突破ですが、さらにポーランドにカウンターきめられて失点したら、グループリーグ敗退です。

もしくはセネガルがコロンビアに1点返して同点に追いついたらやっぱりグループリーグ敗退でした。

一点、コロンビアも勝ちを拾うために、1-0でリスク取らずにボールを回しに行くだろうと考えた日本の西野監督の決断は、結果として目標であるグループリーグ突破を引き寄せました。

おめでとうございます。

次は、ベスト16、決勝リーグで2018年7月3日、午前3時のベルギー戦です。

組織運営とかマネジメントとか、そういう観点でも、非常に面白かった、そして息苦しかった昨夜深夜のサッカー観戦の感想は以上です。

(平成30年6月29日 金曜日)

2018年6月14日

今どきの山登りについては地図もスマホの中のアプリで読んで記録して共有する時代になったという話です








おはようございます。

2018年6月の登山に関する配信記事です。

筆者は高校時代山岳部というのに所属していまして、縦走登山という20キロメートルくらいの稜線伝いのコースを、複数の山から山へ歩いて降りる、というのを一泊二日でやるという、高校時代の課外活動としてはかなりアドベンチャーで面白い、泊りがけの山行きをこなしておりました。

夏合宿で、九州から北アルプスの槍ヶ岳や奥穂高岳を、槍沢や涸沢というベースキャンプから攻める、というビッグイベントもありまして、それは強烈な思い出を持っております。

まあ体力がなかったので(筆者は短距離走の方が向いています)、付いていくのに必死だったのですが、とにかく集団の後方でいいので引っ付いていけばかなりその組織に引っ張られてかなりのところまで行くことができる、ということを学びました。

最近は、山の道具も進化が凄まじく、靴やザック、シュラフ(寝袋)や雨具の進歩についてはわかっていましたが、地図についてもこれだけのサービスの進化が起こっていることも初めて知りました。

ランニングやマラソンをする人が、GPS機能のついた端末(もしくは手持ちのスマホにアプリの形でインストールして)と一緒に走って、その軌跡を地図上に記録する、とうことをよくやっていますが、これの山行き版みたいなアプリが出て来たのです。

提供しているのは、その名も「ヤマップ」という福岡の会社が提供しているその名も「YAMAP」というアプリサービスで、PCでもスマホでも参照することができますが、Wifiや携帯の電波が届かない山の中においても、予めダウンロードしておいた地図の上に、スマホ内蔵のGPS機能で現在地を知ることが出来るのです。

これは、山での遭難事故の一番の原因が道を間違えたり迷ったりすることである、ということを考えれば画期的なソリューションです。

地図があっても現在地がわからなければ、対処は難しいからです。

「YAMAP」は無料版であっても、登山コースとコースタイムが記載された地図を制限なしにダウンロードして使用することができます。

該当の山域の地図をダウンロードしておき、登山開始の時にスマホの電池を切らさないように、Wifiを切って、携帯の電波も切ってしまう「機内モード」にしてしまうことをお勧めします。

こうすれば、数時間に渡る登山中でも、電源が切れてしまうということもなく、安心してコースマップ上に走破情報を記録できます。

道中、写真を取っておけば、その撮影場所も登山軌跡の上に表示されるという親切設計です。

というわけで、山行の心理的ハードルが下がったように感じたので、さっそく先日、実に高校時代から25年ぶりに、近くの若杉山(福岡県篠栗市)に登ってみました。

高校時代は、ここから大宰府に連なる砥石山、三郡山、そして宝満山まで縦走し、そして石畳の階段を駆け下りて全行程約20キロメートル弱を制限時間5時間半という厳しいタイムコースを、23キログラム平均の荷物を背負ってゴールする、という山岳部の高校縦走部門競技というのをやっていたのですが、25年たった今は、とりあえずほとんど空荷で若杉山だけ登って下りてくる、というお気楽コースです。

それでも、逆走してくるかつての高校時代の山岳部顧問の先生と頂上で落ち合って一緒に下りてくる、という面白い山行になりました。

テクノロジーの進化で改めて昔やっていた趣味に新しく出会えたようでうれしいひと時でした。

ヤマップを創業した社長さんも、山岳部の出身らしいです。

やはり、その道を究めた人が作るサービスは素晴らしいと思いました。

次は、久しぶりに縦走登山でもやってみようかと思った筆者からは以上です。

(2018年6月14日 木曜日)

2018年6月4日

2018年中学校の運動会の正式プログラムに昇格したリレーで出場したPTAおやじ組チームが優勝したという話






おはようございます。

2018年6月の中学校運動会に関する配信記事です。

当年43歳にして、昨年の運動会に引き続き、運動会のリレーに出場です。

ちなみに憧れのスポーツ選手は、同世代では(一学年年上の)圧倒的にイチロー選手です。

この年齢にして、イチロー選手は、直前までメジャーリーグの舞台に立ち、打って守ってそして一流の走塁術を見せていたのです。

準備さえ怠らなければ、普段からの身体のメンテナンスを完全にしていれば、年齢はそんなに関係ないというお手本のような存在です。

さて、かなり後塵を拝している後輩といたしましても、こうした先輩の行いを見習うべく、今回、昨年に引きつづき中学校で行われるリレーに、今度はエキシビションではなくてプログラムに記載された正式なチームとして、PTA組織の「おやじ組」で出場する栄誉にあずかりました。

出場するのは、「教諭チーム」「男女混合中学1年生Aチーム」「同Bチーム」「PTAおやじ組Aチーム」「同Bチーム」の5チームです。

距離は、全体で運動場一周200メートルを、3周です。

走者は原則6人(100メートルずつ)ですが、「PTAおやじ組Bチーム」および「教諭チーム」に関しては、50メートルの走者も散在する、という変則ルールとなりました。

筆者は、PTAおやじ組Aチームのアンカーとなりました(2年連続2回目)。

そうしてレーススタートです。

おっといきなりのおやじ組Bチームの転倒です!

それを尻目に飛び出した教諭チームを追うおやじ組Aチーム、トップスピードに乗って、そして見事にダイブです!転倒です。

しかしそこからのリカバリーが素晴らしい、すぐ立ち上がり2位をキープしています。

最終走者の直前の走者、PTAおやじ組はおやじ組メンバーのおやじくさい「息子」を投入し一気に勝負に出ます。

対する教諭チーム、痛恨のバトンパスのミス!バトンを取り落としました!!

横を駆け抜けるおやじ(っぽい)おやじ(の本当は息子)のダッシュにより、最終走者の筆者には、ウイニングランのビクトリーロードが拓けました!

軽快に走り出し、そして途中は悠々と、バトンを振り回しながら、そして最後は張られたゴールテープに、ウサイン・ボルト選手が歴史の表舞台に躍り出た、あの2008年北京オリンピック並みの両手を広げたパフォーマンスでゴールいたしました。

非常に爽快でありました。

ご協力いただいたチームのみなさん、そして学校関係者のみなさんありがとうございます。

学校側より、後日はもう少し速いチーム(部活動の二次選抜など)で来年は開催するというありがたいオファーもいただきましたので、次回も機会を得て出場したいと思います。

当然の如く翌日以降、しばらく筋肉痛による全身の発熱に苦しむことになりました筆者からは以上です。

(平成30年6月4日 月曜日)

2018年6月3日

2018年ロシアサッカーワールドカップ日本代表メンバーが決定しました!






おはようございます。

2018年6月のサッカーワールドカップに関する配信記事です。

今回のW杯は、ロシアで行われる2018年大会となりますが、連続出場を決めた日本代表、今回は最も期待感が薄いメンバーで構成されているようです。

個別の選手の名前を羅列することは控えますが、とにかく既視感(デジャブ)がどうしても出てしまいます。

サッカーというのは、一試合で10キロ以上を走破する、それは厳しい競技ですし、世界で最も知られている簡単にできるスポーツでもあります。

したがいまして、多くのライバルとの日々の競争により、新しい勢力が台頭し、ベテランといわれる選手は淘汰選別されていく、そのような世界です。

天才プレイヤーとして君臨し、FCバルセロナの下部組織(カンテラ)から将来を嘱望され、そして期待通りに育ちスーパープレイを連発、スペイン代表のキャプテンマークを巻いているイニエスタ選手についても、トップチームのバルセロナを去ってJリーグに移籍してくるくらいです。

それがサッカーの世界の習いでありまして、どんなに優れた選手であってもピークの状態をずっと維持していくことはできません。

そして、ピークを過ぎた後は確実に衰えていきます。

ハードワーク、すなわち走り回り身体的負荷をかけ続けるサッカーという競技の特性上、これは仕方がないところです。

そして、それゆえに、ピークにある選手、もしくはピークに向かって能力を開花させつつある若手選手をワールドカップという最高の舞台で見たいというファンの心理も、非常によくわかるのです。

しかしながら、かような現実を踏まえた上で、日本代表の選考については、世界からかなり奇異の目で見られているのでありましょう。

繰り返し、すでにワールドカップ(W杯)ロシア大会を戦う23人の日本代表が発表されましたので申し上げますが、4年前のブラジル大会に参加したメンバーがほぼ半数の11人なのです。

そして、その11人のうちさらに5人は8年前の南アフリカ大会にも出場しています。

これは、流れの早い世界で見れば、まさに奇跡的な、化石のようなチームであろうと思われます。

これでは、前2大会の状況を見れば、日本代表の活躍や躍進を期待する気持ちがほとんど起きてこないと多くのファンが嘆くのも当然になってきます。

面白いことに、メンバー選考の過程の最後の最後の土壇場で、それまでずっと指揮をとっていたハリルホジッチ監督を、日本サッカー協会は解任してしまっているのです。

その理由も、選手とのコミュニケーションという、いかにも日本的な、曖昧な、要するに理由不明のものでした。

監督を選んだのであれば、チーム作りは監督の専権であり、コミュニケーションが取れない選手がいたとすれば、それは外して、多くのタレントから選び直せば良いだけだと思います。

そもそも、激戦が予想され日本代表の実力からして非常に高いハードルになることは間違いない一次リーグ突破という目標のためには、コミュニケーションでどうの、といっているレベルでは到底及びもつかない、ハードワークと献身、爆発的な能力の伸びが必要であることは間違いありません。

それなのに、選手選考を行う権限を、外国人監督から奪い取り、前例踏襲のメンバーの招集でお茶を濁したとあっては、ロシアへの卒業旅行かと言われても仕方ないところかと思います。

日大アメリカンフットボールクラブの不正タックル事件に端を発し、スポーツ社会を見る目は非常に厳しくなってきています。

ある意味一般企業と同じように、運営における世間への説明責任というのがますます必要になってきている中、世界に挑戦するという責務がある日本サッカー協会は、後手に回った感が否めません。

1998年フランス大会、日本が初めてW杯に出場した年、岡田武史監督は成績不振により解任された加茂監督のあとをうけ監督に就任しました。

監督に就任してからの最初の関門は、直前遠征先のスイス合宿で「カズ、外れるのは三浦カズ」とが宣告した記憶は、20年経っても多くの日本人に鮮明に映っています。

筆者はサッカーは小学生のときにしかやったことがありませんし、プロでもないしプロ的な視点もなにも持ち合わせていませんが、このところの日本代表の試合を見ていると、日の丸のユニホームを着ているにもかかわらず、気持ちが伝わってこない試合が以前より増えたようには感じます。

1994年のアメリカ大会の最終予選の最後の最後、ドーハの悲劇という後半ロスタイムで同点に追いつかれてW杯の出場を逃した、あの世紀の最終予選、日本代表は、技術こそ現在の代表メンバーとは雲泥の違いながら、真のサムライスピリッツを持ってボールを懸命に追い、最後の最後まで諦めない気迫のプレイをしていました。

昭和が良かったとは申し上げませんが、あの時の、生まれ変わっても日本人になってW杯に出たいとまで言わしめた、ラモス瑠偉選手のような、魂でボールを蹴るような選手がいるのかと言われれば正直疑問です。

いろいろ書きましたが、今回選ばれた23人は、日本国民の歴史と期待を背負うわけですので、見る者に何かが伝わるような試合を見せてほしいと思います。

サッカーは、あまり知らない筆者からのコメントは以上です。

(平成30年6月3日 日曜日)

2018年4月10日

日本サッカー協会はロシアW杯直前に代表監督のハリルホジッチ氏を解任して西野監督を招聘






おはようございます。

2018年4月のサッカー日本代表に関する配信記事です。

日本代表は、今年の6月に迎えるロシアワールドカップに向けた最終調整においても、全く調子が上がってこないチーム状況に対し、ハリルホジッチ監督を更迭するという大ナタを振るいました。

後任は西野監督です。

Jリーグ最多勝利監督として、輝かしい実績を国内では積んでいます。

それでも西野監督の代名詞は、日本サッカー史に燦然と輝く「マイアミの奇跡」と呼ばれる、1996年アトランタオリンピックでのU23オリンピック代表の戦いでなんと日本がブラジルに1−0で勝つという「ありえない」試合を打ち立てた立役者であるということです。

当時フル代表を練習試合で破るほどに最強と呼ばれていたブラジルが放ったシュートは計28本、対する日本のシュートは4本でした。

それでも、GK川口能活の神がかったセーブと、数本のシュートがゴールポストを直撃するという運も味方し、最後までシュートの雨を浴びボール支配率ほぼ100%のブラジルは、ついに日本のゴールを割ることができなかったのです。

日本サッカー史上、最高の快事であり、ブラジルにとっては、まさにマイアミの屈辱として長く記憶されたのです。

この結果を招来するために、日本側は自らの実力を冷静に分析し、ブラジルのスーパースター選手それぞれの特長を消すためにマンツーマンで守備要員を配置し、攻撃面ではU23のオーバーエイジ枠で採用されたCB(センターバック)とGKの連携に勝機ありと踏んで、後半の一瞬の隙をつき、ゆるいロングボールをCBの裏に蹴りこむというほぼワンチャンスをものにして得点を挙げました。

しかし、その後の日本サッカー協会は、自らの代表選手の活躍を、アトランタ五輪大会後、日本サッカー協会(JFA)技術委員会によるJFAテクニカルレポートの中で、

「守備的なサッカーで将来につながらない」

という厳しい評価だったのです。

この自らの身体的能力や個々の選手のパフォーマンスを完全に無視したかに見える、偉そうな高説により、その後の日本代表は力をつけつつも、1998年フランス大会以降なんとかワールドカップの本戦に出場することはできておりますが、大一番であるワールドカップ本戦では控えめに言って惨敗、といった試合が多くなっております。

これは、日本代表は、ワールドカップ予選で当たるアジア勢に対する戦い方と、ヨーロッパや南米、アフリカといった真のサッカー強豪国がひしめいているワールドカップ本大会で求められる戦い方が全く別物であるという難しさに通じるところなのです。

ですので、ワールドカップ本戦を直前に控えたところでの監督解任というのも、それはそれで悪手ではなく、日本が日本としてもっとも相手の良さを消すという現実的な戦い方にシフトしたというように捉えることもできると思います。

西野監督に、20数年越しの「奇跡」を期待したいと思います。

サッカーは小学生のときにDFを少しやりましたが、ほぼ素人の筆者からは以上です。

(平成30年4月10日 火曜日)

2018年2月26日

平昌(ピョンチャン)冬季オリンピック2018年の感想など徒然なるままに語ります






おはようございます。

2018年2月の冬季オリンピックに関する配信記事です。

平昌(ピョンチャン)オリンピックが閉幕しました。

続いて、平昌パラリンピックが開催される予定ですが、とりあえず、今回の冬季オリンピックの終了を受けて、素人視聴者の筆者より、感想など述べてみたいと思います。

まずは、ほとんどテレビの前で観戦することのなかったオリンピックでしたが、データ通信やスマホの動画機能(公式)を利用することにより、かなり効率よく見たい演技だけを繰り返して見ることができてよかったです。

余計な解説もない、純粋なノーカット版の演技などを期間限定ながら公式動画としてアップしてくれたスポンサー番組の関係各位(NHKなど)には感謝の言葉を贈りたいと思います。

通信料として臨時受信料を支払ってもいいくらいだと思いました。

NHK以外の場合の民放系の動画の場合は最初に、変な広告を見せられるのがたまに傷ですが、無料で見るというシステムでやって行くためには仕方のないところだとは思います。

次に、具体的な競技に入る前に、各国のメダルの数というものについての変な煽りや言及、時間稼ぎのTV放送にありがちな無用な応援団と称する素人の解説とも応援ともつかない前説に自分の時間を取られることがなかったのは良かったです。

はっきり言って、冬季オリンピック競技で毎シーズン注目しているような競技は、申し訳ないながら素人の筆者にはございません。

4年前の2014年冬季ソチオリンピック以来ぶりに初めて見るような競技ばかりです。

スピードスケートのパシュートやマススタートに至っては、こんなにしっかり見たのは人生初めてと言っても良いと思います。

それでも、4年に一度、メジャーな競技もマイナーな競技も、等しく脚光を浴びることができるこのオリンピックという機会は人類共通の舞台として大切にしたいと思いました。

なぜなら、明らかに、階段を一段飛ばしに駆け上がるように、こうした大きな大会において人類の技能は格段に進歩するからです。

フィギュアスケートの世界でも、スピードスケートの世界でも、戦略や駆け引き、そして普段からの強化トレーニングやチーム育成から全てをかけた総力戦になってきています。

選手個人の才能はもちろん、それを支える国やチーム、各競技連盟の力も試される非常にレベルの高い大会になってきています。

そして、選手の年齢など何も関係ない!

15歳の金メダリストも出れば、40台後半で決勝の舞台を踏む選手も出てきています。

競技特性に年齢は関係ない、人類が様々な知恵を絞りさまざまな競技を考案し、それぞれに壁を破るトップ選手がいたからこそ、ジャンプは4回転に、ハーフパイプのコーク系も1440(4回転)を連続して持ってくるという時代になりました。

個人的に最も感動したのは女子パシュートの金メダルです。

個々人では劣る総力を、3人1組のチームでいかに早く滑り切るか。

年間300日をともに過ごした4人の選手たちとスタッフの努力が結ばれた、特にオランダとの決勝戦は世紀の一戦でした。

乗馬やボートにおいて、人馬一体とか一艇ありて一身なしといった言葉がありますが、この3人のまるで(適当な例えが思い浮かばず語彙を恥じますが)一匹の海へびがぐねぐねスイスイ進むような、まさに隊列あって一身なしの見事な美しい軌跡でありました。

もう一つ。

女子マススタート。

競輪を彷彿とさせる駆け引きのレースで、先頭を引かずに最後まで強い選手に粘り強くついていき、最後のコーナーから一気に内側に仕掛けてトップをかっさらった高木菜那選手、何度も動画で観ました。

本当におめでとうございます。

17日間のオリンピック、存分に楽しませていただきました。

しばしの休息と充電を。

メダリストのみなさんなどは特に、勉強していない大手マスコミや配慮のない週刊誌系記者などに追いかけられてペースを崩されることのないよう、今後のご活躍をお祈りいたします。

人生においても最後の直線に備えて、体力をためております筆者から以上です。

(平成30年2月26日 月曜日)

2018年2月20日

平昌オリンピック2018スピードスケート女子500m金メダルに輝いた小平選手おめでとうございます






おはようございます。

2018年2月の配信記事です。

平昌(ピョンチャン)冬季オリンピックが開催中です。

その平昌五輪第10日目の2月18日(日)、スピードスケート女子500メートルが行われ、小平奈緒選手(相澤病院所属)が36秒94の五輪記録で優勝しました。

これは、未だ誰も出したことがない低地での36秒台の記録でした。

冬季五輪の女子日本選手としては、1998年長野大会の里谷多英選手(女子モーグル)、2006年トリノ大会の荒川静香選手(女子フィギュアスケート)に続く、史上3人目の優勝となりました。

おめでとうございます。

この小平選手のエピソードですが、まさに人格ある選手には人が集まり、人が支えて人の和が広がる話に満ちています。

小平選手は、地元長野の病院所属の選手です。

ただ、病院がスケート選手を養成して、何か病院経営に得になることがあるでしょうか?

しかし勤務先の病院の理事長は、長野で世界を目指す選手をなぜ応援できないんだ、と言って、この選手を応援することこそ地域の、社会に対する相澤病院の答えであると決めて、スケートに夢をかける小平選手を応援することにしたのです。

小平選手は病院勤務職員です。

病院勤務の職員の立場のまま、スピードスケートに専念させ、そしてヨーロッパ遠征の経費も、職員の海外出張費として捻出するのです。

飛行機は、公式遠征費用としてはエコノミー分しか出せないので、ビジネスクラスへのアップグレード分は理事長個人が負担し、合わせて年間1,000万円もの多額の援助をしてきました。

この陰の支えに、陰徳に小平選手は見事応えました。

社会的に企業が意義ある活動をするというのがCSRの姿ですが、ここには前々からの、小平選手と病院側との、理事長との相互の信頼や深い尊敬があったのです。

松澤病院の患者の皆さんも、殊のほか喜ばれたと思います。



何のために滑るのか誰と健闘を称え合い誰に成果を報告するのか



誰のおかげでプレーすることができるか。

自分にどれだけの人が自分の夢を乗せてくれているか。

誰と喜びや悔しさを分かち合いたいか。

そもそも、冬季競技は華やかなフィギュアスケートを除けば、オリンピックの時くらいしか注目されないのです。

ですので、専門選手をサポートしたところで企業の広告効果などは実はほとんど見込めず、受け入れる企業や活動資金を援助するスポンサーは非常に少ないのです。

筆者も、日本国内では全くスポンサーがつきにくいマイナー競技となってしまったボート競技については少しは知っておりますので、そのことはよくわかります。

ボート競技が明治時代に海外から初めて輸入された時には、琵琶湖から流れ出す瀬田川のレガッタの両岸には5万人もの観客に埋め尽くされた、と当時の新聞にあるくらいですが、時代とともに観客の嗜好も変遷するのです。

そして、現在の冬季競技の選手の多くは、トレーニングとは別に生活の基盤となる所属企業やスポンサー探しを行ないながら競技を続け、そうした逆境もバネにして、そして立派に戦っているのです。

小平選手のように成果を挙げた選手も、競技結果が伴わなかった代表選手たちも、等しく競技自体の地位向上と社会的意義をも感じて、それぞれの厳しい勝負の世界を生きているのです。

相変わらずスケートではイの字ストップができるくらいのほぼ素人ですが、氷上や雪上のスポーツも見て応援したいと思った筆者からは以上です。

(平成30年2月20日 火曜日)

2018年2月18日

羽生結弦選手がフィギュアスケート男子競技で2大会連続優勝して世界を驚かせた話です






おはようございます。

2018年2月の記事です。

平昌(ピョンチャン)オリンピックが開幕中です。

政治色の強いきな臭い冬季オリンピックなどと言われる向きもありますが、やはりトップ選手たちの各競技における素晴らしい演技は迫力の一言です。

そんな中、日本選手団の大本命、羽生結弦(はにゅうゆずる)選手がフィギュアスケート男子として、実に66年ぶりとなる二大会連続優勝を遂げました。

2018年2月17日(土)、フリースタイルの演技に臨んだ羽生選手。

得意のプログラム映画「陰陽師」のテーマ曲「SEIMEI(安倍晴明より)」に乗せて、高難易度の4回転サルコーや4回転トーループなどを披露し、4分半の演技を終えました。

会場を祈りの空間に巻き込んだのが4年前のソチオリンピックの浅田真央選手ならば、今回の羽生選手は会場を呪いの術にかけるような、そんなおどろおどろしい、神がかった気迫のこもった表現でした。

これで足を怪我しているというのですから驚きです。




ネット配信の威力




こう書けるのも、オリンピックでの感動の演技が、公式スポンサーであるNHKや民法の公式サイトで配信されているからです。

それをネットで簡単に見返すことができます。

ライブで見れなくても、まるでその場で踊りだすような、全部ノーカット実況なしのフィギュアスケート動画を公式ツィッターにアップしたNHKスポーツさんなどには、フィギュアファンからのありがとう!や解説ない氷の音や選手の息遣いまで聞こえてきて感動したといった声にあふれています。

アスリートたちの本気の本番舞台が、このようにネットを通じていつでも視聴できる時代になったとは、これはものすごいイノベーションを感じたものでした。

平昌オリンピックにおいては、試験的にではありますが、現在のモバイル通信規格である4Gの実に100倍の通信速度を誇る5Gの通信環境が提供され、実証実験が進められているそうです。

4Kや8Kでの超絶微細かつ繊細な画像や動画が視聴できるのと、極めて速くて使い勝手の良い高速通信網による即時動画配信の実験です。

今後ますます、いながらにして臨場感たっぷりな経験ができることになっていくでしょう。

そして、こうした波は、「教育」「文化」の面においても我々の生活を根底から変えていくことだと思います。

スケートですが、イの字ストップまではきっちりできるようにスクールで教えてもらった筆者からは以上です。

(平成30年2月18日 日曜日)

2018年2月15日

スキー男子モーグル2018冬季オリンピック銅メダルに輝いた原大智選手の亡きコーチへの誓い






おはようございます。

2018年2月の配信記事です。

2018年冬季オリンピック、平昌(ピョンチャン)オリンピックが開催中です。

今回、この平昌オリンピックで、モーグル男子で銅メダルに輝き、日本に初の表彰台をもたらした原大智(はらだいち)選手のことを書きます。

あまり、こうしたスポーツニュースで、メダルを獲得したといった記事を取り上げるのは好きではありませんが、今回はそこに向けたひとりの選手とその師匠の壮絶な人生を見て感動したので、少しだけ触れたいと思います。

原大智選手は、幼少の頃からスキーの才能を見込まれ、13歳からフリースタイルスキー・モーグル男子の選手兼コーチとして活動していた平子剛(ひらこつよし)さんのもとで指導を受けていました。

二人はとてもよいコーチと教え子、師弟関係だったそうで、いろいろな話をしながら、共に成長していきました。

しかし、原選手が指導を受け始めて3年後、15歳の時に、師匠として慕っていた平子剛さんが、なんと27歳の若さ急性心筋梗塞で倒れ他界してしまいます。

原大智選手にとっては受け入れがたい事態です。

心労はいかばかりのことだったでしょうか。

想像もできません。




亡き師匠に誓った宣言




しかし、15歳の原大智選手は、平子さんの葬儀の棺の前で、こう宣言します。

「平子剛先生、僕は絶対にオリンピックで金メダルを取ります」

皆に聞こえるよう、高らかに宣言した原大智選手は、こうして志半ばで亡くなった平子剛さんの思いを胸に秘め、より一層の鍛錬を積み、その悲しい出来事のあとの5年後、見事2018年冬季平昌オリンピックへの出場権を獲得し、そして表彰台に登ったのです。

弱冠20歳。

師匠と仰いだ人の背中を追い、そして空に昇った師匠に報告する。

素晴らしいことだと思いました。

原大智選手の2倍以上生きていながら、未だ決意がつかない筆者ですがもう少しは頑張ろうと思いました。

こちらからは以上です。

(平成30年2月15日 木曜日)

2018年2月1日

2018年シーズン入りを告げるプロ野球キャンプインで抜群の存在感を放った球団があった話






おはようございます。

2018年2月の記事です。

今年も日本プロ野球はキャンプインのシーズンを迎えました。

そして、昨年の覇者福岡ソフトバンクホークスも宮崎にキャンプインしたわけですが、ここで異例の首脳陣から事実上の野手のレギュラーの確約がなされたことが話題となっております。

工藤監督はキャンプインの歓迎式典の前の全体ミーティングにおいて、集まった球団選手に対して異例のメッセージを送ったのです。

2018年2月のキャンプイン時点での福岡ソフトバンクホークスの野手の事実上のレギュラーは、DHを含めて、

内川、今宮、松田、中村晃、柳田、デスパイネの6選手をレギュラー当確とした上で、残りの捕手、二塁、右翼の3ポジションについては「激しい競争をしてくれ」と通達したのです。

日本一連覇へ向け、盤石のレギュラー発表、しかも6人です。

筆者も福岡ソフトバンクホークスのファンですが、筆者のような素人も凄みを感じるのは、このチームにおいては、少なくともマスコミも見ている公式の場では、「全員に対してチャンスがある」「全員横一線での競争」といった、ベテランもレギュラーもなく同じ立場であるというようなタテマエ(嘘とはいいませんが)を述べるのが一般的であるところ、図抜けた能力を持った選手はレギュラーだと全員の前で宣言し、首脳陣が競わせるポジションは捕手と二塁と右翼、要するに外野手と内野手と捕手は枠が空いていますよ、と明確にするので他の選手の目標設定がしやすいというわけです。

彼ら6選手の能力に満たなくても、レギュラーになり1軍の試合に出られるわけです。

それに、レギュラーと言われた選手にも自覚が芽生えます。

何しろ公式に全員の前でレギュラーだと言われたわけです。

今宮ならショート、松田ならサードのポジションを死守しようと、それこそプライドをかけてキャンプでアピールするようになるでしょう。

そして、マネジメント側に対する納得感や尊敬も勝ち得ることができます。

嘘、とは言いませんが建前と本音が限りなく同じというのは所属している組織構成員に安心感を与えます。

やって結果や成果を出せば、正しく報われるというわけです。

人を掌握する場合、組織目標や目的をできるだけ明確にした方が良い場合が多い、というのを地で行っている、これは大したマネジメントだと思うのです。

ちなみにメジャーリーグのイチロー選手も、キャンプインの前のインタビューで、背番号の付いていない1A2Aの選手たちが、自分たちを脅かそうと必死に努力する姿を見て、自分も負けていられないと心のネジを巻き直す、というようなことを言っており、これも同じようなものだと思いました。

何はともあれ誰が生き残るか、這い上がるか目が離せない各球団のキャンプインを迎えました。

今年は急ピッチで調整して、早く投球練習に入ろうと思います筆者からは以上です。

(平成30年2月1日 木曜日)

2017年12月4日

2017年12月アビスパ福岡は名古屋グランパスにJ1最後の席を譲り昇格ならず




おはようございます。

2017年12月のニュース、将来においては記録となる出来事です。

J2のシーズンを過ごした日本プロサッカーリーグの福岡アビスパは、シーズン年間4位という好成績を収め、J1昇格プレーオフを戦ってまいりました。

そしてその昇格プレーオフの最終戦において、シーズン年間3位、前年にJ1から初めて降格してきた名古屋グランパスエイトと、向こうのホームでもある豊田スタジアムで長いシーズンを締めくくる最後の大勝負を行いました。

結果、負けなかったけれど勝つことができませんでした。

昇格プレーオフですから、年間下位のチームは試合に勝たないと上がれないレギュレーション(引き分けの場合は年間上位の名古屋が昇格)、相手ホームの完全アウェイという環境でありました。

それでも、0-0というスコアレスドローでの敗戦、一瞬の隙をついての得点がとても遠かったというのは残念なことでありました。

全国からさまざまな機会や手段を含め、福岡から明らかに遠いであろう先方ホームの豊田スタジアムに終結した熱心なサポーターのみなさん、そうではなくても遠く福岡で、またそれぞれの場所からアビスパの昇格を願い応援してくださった全ての人たちの力は、確かにアビスパ福岡の選手たちの力となり、彼らは最後まで激しく闘志を燃やし、泥臭いサッカーを見せてくれたのではないかと思います。

すでに年末12月になっていながらさらにシーズンのガチンコサッカーができるというのは幸せなことで、長いシーズン、浮き沈みもありましが常にJ2の一線に踏みとどまり数十試合を戦い抜いたチームは誇りを持って迎えたいと思います。

最後に、Jリーグ創設時からの名門クラブ、オリジナル10として鳴らした名古屋グランパスエイト、初のJ2降格という「屈辱」を経てのJ1復帰、誠におめでとうございます。

この経験と失敗をバネに、来期J1での優勝しちゃうくらいの大躍進を祈念いたします。

また来年も、アビスパ福岡の応援をそれぞれの形で、どうぞよろしくお願いします。

サッカーも野球も、あまり上手でない筆者からは以上です。

(平成29年12月4日 月曜日)

2017年11月29日

世界を動かすにはまず自分を動かさねばならないとソクラテスは言ったという話





おはようございます。

2017年11月の記事です。

今からざっと 2,500年ほどまえ、ギリシャのアテネに道ゆく人を捕まえては問答をふっかける、変な恐妻家の中年男がいたそうです。

世界を動かすには、まず自分を動かさなければならない

という至極当たり前のことをわかったと言いふらして、その後2,500年の間、人間界に知られ続けることになりました。

ソクラテスという、おそらく体系的には有史以来初めてであろう思想家です。

ソクラテスは問答により自分の中にある世界を変えていきましたが、反対に自分の中の世界を全く変えずして、世界のほうを変えようと請い願う人間のなんと多いことでしょう。

最良の環境や状況が勝手に世界のほうが用意してくれることはありません。

あくまで、自らの考え方と行動でもって、整えていく、ものなのです。

それが、世界を動かすということにつながるのでしょう。

世界を動かすために自分を整える、これは何事も準備が必要だということであり、準備とは何を目標として準備するかがわかっていないとできることではなく、目標とは真に自分がやりたいことがわかっていないと安易な寄り道に流れてしまうこと必定であります。

自分の能力をアップし世界で勝負できるようになるためには、何よりも自らを律するための目標を持つこと、自分が真にやりたいことと真剣に向き合うことであろうと改めて思います。

とりあえず、このブログの閲覧数についてははるか上位の目標を起き、そしてそれに向かって爆速で伸び続けることを目標にしたいと思います。

本当は、夜のラーメンを控えることを目標にせねばならない筆者からは以上です。

(平成29年11月29日 水曜日)

2017年9月1日

夏の甲子園に現れた不動の応援団長が格好良いと話題になった話




おはようございます。

2017年9月はじめの記事です。

昨日はサッカー日本代表の嬉しいニュース(W杯出場決定)でしたが、本日は甲子園野球の話をしたいと思います。

野球といっても試合ではなくて試合を応援する応援団の話です。

応援団ってカッコ良いですよね。

しかし、応援団たるもの、応援するアルプス席全員をその気合いと人間力で統率していかなければならないので、活動全てが修行といった感じになるそうです。

実は筆者が高校生の時分は山岳部所属でしたが、横の部室が応援部で、その上下関係の厳しさや練習後の下級生を立たせての総括的な訓示など、雰囲気は真逆でしたがお互い仲良くやっておりました。

で、野球の定期戦や甲子園の予選などで応援団が全校生徒を統率するのですが、確かに歴代の応援団長は相当の人格者でなければ務まらない重責だったと思います。

筆者の母校も今年2017年夏の甲子園に出場し、そしてまた応援団長(最近は連続して女性が応援団長)がアルプス席に陣取り、これでもかと集った生徒や学校関係者を統率して気合いの入った応援をしておりました。


天理高校の不動の応援団長



さて、そんな今年(2017年)の夏の甲子園において、「不動の応援団長」という特異な応援スタイルで応援する高校がありました。

奈良県代表天理高校、春夏通算で50回以上の甲子園出場の歴史を誇る、あの鮮やかな紫色のユニフォームで有名な古豪です。

この高校の応援団長は、炎天下の甲子園スタンドにおいて、スクールカラーの紫色の羽織袴に仁王立ちで立ち腕を組み、そしてグラウンドを睨み続けて一言も発しない、動かないというスタイルで試合を見守ります。

どうしてこんなスタイルになったのか「なぜ始まったのか、いつから始まったのか」すら同校関係者にもはっきりわからないということです。

しかし、伝統とは理不尽なほど引き継がれるといわれる通り、2017年の天理高校も準決勝までこの応援団長に率いられた応援団と戦いました。

2017年8月22日の準決勝、広島の広陵高校の中村捕手が2本の本塁打を放ち、1大会通算本塁打6本とこれまでPL学園の清原選手が持っていた記録を破る活躍を見せる中、天理高校も9回の土壇場に3点を挙げて3点差まで食らいつき、必死の粘りを見せました。

しかしそして最後、空振りに取られ、ベスト4で敗退、試合は終了となりました。

全国3839校の4校まで残り、不動の応援団長を務め上げた木村団長の目からも一筋の涙が頬を伝いました。

応援団、かっこいいです。

応援されるくらいに頑張ろうと思った筆者からは以上です。

(平成29年9月1日 金曜日)

2017年8月31日

サッカー日本代表6大会連続のワールドカップ出場を決めた一戦




いつもはおはようございますですが、本日は夜遅くなりましたこんばんは。

2017年8月最後の記事です。

やりましたサッカー日本代表。

これまでワールドカップ予選でも本戦でも勝ったことがなかった天敵ともいえる高さとデカさで立ちはだかってきたオーストラリアをホームゲームで2−0で見事降して6大会連続のワールドカップ出場を決めました。

本田、香川、岡崎という、これまで日本代表を牽引してきた主力選手を外し、20歳そこそこの選手をスタメンとしてピッチに送り出しました。

結果、前半終了間際に22歳の浅野選手が先制点をもぎ取ると、後半も終了間際に、21歳の井手口選手が技ありのドリブルから持ち込んだミドルシュートを叩き込み、試合を決めました。

井手口選手は福岡市出身、ガンバ大阪のユースで鍛えられ早くからその才能と運動量は注目されていたようですが、まさに1998年に鮮烈なデビューを飾ったかつての中田英寿選手を彷彿とさせる風貌やプレースタイルで、堂々と世界のフットボールの主役に踊り出たのです。

日本代表を率いたハリルホジッチ監督は、戦術をハイプレスからのこぼれ球をカウンターで素早く相手ゴールに放り込む、という明確な戦術で、ボールを奪い、球際でオーストラリアの巨漢選手に負けず、蹴り出すカウンターアタックを連続して繰り出し、オーストラリアに仕事らしい仕事をさせずに2点を奪ったのです。

オーストラリアは、ロングボールをつないで崩していくスタイルと球際の強さと高さで勝負をかけてきましたが、日本代表はそのパスの出どころを狙い高い位置でプレスをかけてボールを奪いに行きました。

後半終了間際になっても全く落ちなかった運動量で、オーストラリアの足元からボールを剥ぎ取り、自前のドリブルで展開し、そのまま相手ゴールにぶち込む、こんな力強く泥臭いチームに仕上げたハリルホジッチ監督の名采配でありました。

さあ今日だけは歓喜に酔えばいいですが、明日からまた本戦で勝ち上がるためのより一層のチーム内競争の始まりです。

ワールドカップ出場で満足するのではなく、本戦が本当の戦いだと目標を定めて、日本が達成したことのないベスト8、ベスト4といった高みを目指してもらいたいと思います。

日本代表のロシアワールドカップでの大活躍を祈念します。

こちらからの喜びのコメントは以上です。

(2017年8月31日 木曜日)

2017年8月12日

運をも掴み取る圧倒的な実力を目指す日本のプロゴルファーの挑戦の話




おはようございます。

2017年8月の記事です。

ゴルフは好きですがスコアは3桁を切ることは滅多にない筆者です。

さて、今年の世界ゴルフのメジャー最終戦、全米プロ選手権が終わりました。

日本からの期待のプレイヤー、松山選手は、最終日を2位でスタートしましたが、スコアを伸ばすことができずに5位という結果でした。

プレー後のインタビューで、松山選手は口数少なく、悔し涙を滲ませながら答えていましたが、ゴルフのメジャーで5位になった選手が悔し涙を流すようになった、ということで筆者のような素人ファンでも日本のゴルフ界に期待が高まるような、そんな気が致しました。

メジャーに最も近い実力者、として既に有名な松山選手ですが、やはりメジャー制覇ということの重みは凄く、日本人プレイヤーとして初となる同タイトルはなかなか簡単には取らせてくれません。

しかし、見守る日本のファンの声としても、まだまだ応援するという声が多く、こちらも、ファンの側もかなりゴルフの世界に洗練してきた結果だと合わせて思いました。」

ゴルフというのは、自然相手のスポーツですから、思わぬ風で打球の方向がそれたり、または一旦それたボールが木に当たってフェアウェイに跳ね返ってきたするという偶然性に左右されるスポーツです。



運をも掴み取る圧倒的な実力を目指して



しかしそういった「運」を超えた実力の持ち主にしか、栄冠は輝かないわけで、それは、個人競技で世界中から注目されるひりつくような緊張感の中、1日5時間を4日間ぶっ通しで続けるという究極に精神力を要求されるスポーツであるからでしょう。

メジャーともなると、素人ではいつまでたってもカップインできないようなえげつないコースセッティングやグリーンの難しさになり、それはテレビで見ているような我々のような素人には想像を絶する世界なのでしょう。

「運」も引き寄せる強力な「力」を身につけるしかないのかもしれません。

そして、その力がなかったと松山選手本人が認めているからこそ、5位で悔し涙を流し、そしてそれをも力に変えて来シーズンも戦ってくれると思います。

松山選手が勝てなかったのはとても残念ですが、来年からの松山選手のメジャーでの活躍がまた楽しみになってきました。

よく泣くくせに進歩のない筆者からは以上です。

(平成29年8月12日 土曜日)

2017年8月7日

2017年世界陸上男子100メートル決勝の結果に見る報道の姿勢という話




おはようございます。

2017年8月の暑い夏の記事です。

スポーツ大会が目白押しなこの季節ですが、世界陸上が行われ注目の男子100メートルでは、35歳のジャスティン・ガトリン選手(アメリカ)が9秒92で優勝しました。

そして、21歳のクリスチャン・コールマン選手(アメリカ)が9秒94で2位となりました。

それから、今大会を最後に引退するウサイン・ボルト選手(ジャマイカ、30歳)は9秒95で3位となりました。

優勝したガトリン選手は、2004年アテネオリンピックで優勝(金メダル)に輝いてから、2度のドーピング検査による失格、処分を経て35歳での鮮烈な復活を遂げました。

テニスの世界でもフェデラー選手やナダル選手が30代半ばで最高峰の大会で決勝を戦ったり優勝したりするなど、選手のケアとスポーツ医学やトレーニングの向上により、選手生命は伸びているという印象がありましたが、最もスプリント力の試される100メートル走という陸上競技において35歳で9秒92という記録を出すとは驚きです。



世間の注目はボルトばかりだったのか



しかしながら、このような偉業であったにも関わらず、新聞等の紙面では、「ボルト3位で有終の美を飾れず」といった記事が大勢を占めているようで、少々残念です。

たとえば、こんな感じです。

〝男子100メートル決勝が行われ、今大会で現役引退を表明している“人類最速の男”ウサイン・ボルト(30)=ジャマイカ=は9秒95で3位に終わり、個人種目ラストランを飾れず、最速伝説に終止符が打たれた。〟

もともと、世界記録9秒58の保持者であるボルト選手が、この大会で引退することは随分前から公表されておりましたので、ニュース性には乏しいと思います。

でありながら、やはり優勝して引退することをマスコミは期待したのでしょう。

それはそれとして尊重しますが、結果が出た以上は勝者をまず讃えるべきだと思います。

ガトリン選手にも、2位のコールマン選手にも、そしてボルト選手にも失礼な気がします。

そして、同選手権、日本選手団は3人(サニブラウン・ハキーム、ケンブリッジ飛鳥、多田修平)が準決勝に進みましたが、決勝への壁は厚かったです。

同種目での日本勢初の決勝進出は将来に持ち越しとなります。

最後に、マスターズ陸上105歳~109歳の部の100メートル世界記録は42秒22、日本の宮崎秀吉選手が保有しています。

こちらの記録を目指したい筆者からは以上です。

(平成29年8月7日 火曜日)

2017年8月5日

2017年7月末ダルビッシュがレンジャーズからドジャースへ移籍



おはようございます。

2017年8月の記事です。

アメリカの大リーグでは、毎シーズンその年の7月31日がトレード期限として設定されており、この日には世間を驚かせる大型トレードが成立することが多いです。

2017年の7月31日、今回はテキサス・レンジャーズのエースであるダルビッシュ有(Yu Darvish)が、相手チーム3人との交換トレードで西海岸の強豪ロサンゼルス・ドジャーズへ移籍することになりました。

ダルビッシュ選手は日本ハムからレンジャーズへ海を渡って移籍してから6年契約の最終年となっており、FAとして再契約もありうる中、一方今年こそワールドシリーズを制覇したいというドジャース首脳陣とチームの再構成を図りたいレンジャーズ側の思惑が一致した大型トレードでした。

ダルビッシュ選手は、結果的にレンジャーズでの最終登板となった7月26日の対マーリンズ戦で、イチロー選手を含むマーリンズに対し4回途中10失点でKOされ、自己ワーストに並ぶ9敗目を喫していました。

初回にいきなり2本のソロ本塁打を浴び、4回にはマーリンズ・イチロー外野手に適時二塁打を許すなど7安打を集中され8点を奪われたという内容でした。



地元紙の全面広告でファンに惜別の挨拶



ダルビッシュ選手は、この試合が不甲斐なかったとして、地元新聞に感謝の全面広告を掲載し、レンジャーズを後にしましたが、レンジャーズのファンからは、6年間ありがとうという感謝の言葉が多く並んだということです。

新天地に降り立ったダルビッシュ選手、早速8月4日にはドジャースの先発投手としてメッツ戦でのマウンドに上がり、シティフィールドにおいて、移籍後初登板で7回99球を投げ3安打1四球無失点、10三振を奪う力投で7勝目(9敗)を飾りました。

さすがです。

強烈な挨拶がわりの投球でした。

世の中が動くときは一瞬だということを改めて感じる、そのような出来事でした。

こちらも暑い暑いと言ってばかりではなく、小さな変化もしっかり受け止めて過ごしていきたいと思いました。

草野球でリリーフしてみましたが4級連続ボールであえなく降板した筆者からは以上です。

(平成29年8月5日 土曜日)

2017年7月17日

衝撃!35歳ロジャーフェデラーが2017年ウィンブルドンを制した






おはようございます。

2017年7月、テニス界にまた一つ伝説が加わりました。

衝撃!35歳ロジャーフェデラーが2017年ウィンブルドンを制したという記事です。

テニスの最高峰、ウィンブルドン選手権(イギリスはロンドンで行われる世界四大大会でも最も格上と称される芝のコートで行われるテニス世界大会)で、2017年7月16日、男子シングルス決勝戦が行われ、第3シードのロジャー・フェデラーが第7シードのチリッチ選手を降して優勝したのです。

ロジャー・フェデラー選手と言えば、とにかく華麗で綺麗で強いテニスプレイヤーとして、一世を風靡しました。

しかし最近はさすがに年齢とハードワークがたたった度重なる怪我によって、かつての抜群の強さが影を潜めつつありました。

それでも世界ランク上位を維持し、適度な休息も交えながら抜群の集中力で今大会を戦い、なんとこのウィンブルドンで、全ての試合でストレート勝ちという偉業を成し遂げたのです。

フェデラーは、2017年の全豪オープンで素晴らしいプレーでカムバックし、7年ぶり5度目の優勝を飾っています。

これで2017年の四大大会2勝という、全盛期を彷彿とさせる強さです。

強さに上手さも磨かれ、まさに円熟の時に至っています。





来年もここに戻ってきたい




フェデラー選手は、また決勝で戦えると思えない時も正直あったしブランクもあったけれども、それでもできると信じて積み重ねてきた結果、そして来年もここに戻ってきたいと力強く語りました。

プロテニス選手で35歳でウィンブルドンを制覇する、このことの凄みを加え、これまでのウィンブルドンでの2003年2004年2005年2006年2007年2009年2012年で得た優勝タイトルに加え、5年ぶりに大会史上最多となる8度目の優勝、さらに四大大会歴代最多優勝数を更新する19勝目をあげたロジャー・フェデラー選手、凄すぎです。

そして最もすごいのが次の一言でしょう。

「来年もここに戻ってきたい」

やりたいという意欲、できるという強い意思。

海の日という休日の朝でだらだら過ごしていますが今日くらいは少し頑張ろうと思った筆者からは以上です。

(平成29年7月17日 月曜日)

2017年6月22日

神武以来(じんむこのかた)の天才加藤一二三棋士のことを語りつぐ話






おはようございます。

2017年6月の日本の将棋界に関する配信記事です。

神武以来の天才、と書いて神武このかたの天才(神武天皇以来の天才児)と読ませる粋な通り名で実に62年、プロ将棋界に君臨した加藤一二三棋士がついに引退しました。

神武以来、とはずっと昔から続いてきたことで、それが転じて、これまでずっとなくて初めて起こったことを強調する表現です。

我が国が始まってからずっとなかったレベルの天才。

それが加藤一二三棋士です。

14歳7ヶ月で史上初の中学生棋士となり、将棋は芸術を標榜し、それから2017年6月の引退まで62年間、常に全力で勝ちに向かって進み続けた熱量最大の戦いでした。

矢が折れて弾が尽きての引退ではなく、規定による降級によって引退となったわけですが、123歳まで指して将棋界に貢献するとおっしゃるその熱意は全く衰えていません。

2017年現在、同じく中学生でプロ棋士として鮮烈なデビューを果たした藤井四段が破竹の連勝を続けていますが、この同じ時期に同じく時代を代表した棋士が77歳にして引退するというのは非常な縁を感じます。




通算1324勝(1234の数字が使われている)





加藤棋士の通算成績は1324勝1180敗です。

一二三の名前通り、1324勝と1234を全て使った勝ち数です。

一歩一歩積み上げた高みを感じずにはいられません。

負け数は歴代一位ですが、62年間指し続けて53%の勝率を誇るのは尋常ではありません。

そんな加藤棋士は、将棋ファンのみならず一般の人にもひときわ愛されました。

将棋においては、相手側から盤を見たり(ひふみんアイと呼ばれる)、昼食も夕食もうな重を頼むのは食事を選ぶことで集中力を削ぎたくない、またベルトの下20センチ以上もネクタイを垂らすのはたまたまそうやって長く結んだ時の戦績がえらくよかったから、とのことで、いいと思ったことは常に続けて突き進む、まさに得意な居飛車棒銀戦法の如く、熱量高く棋界をリードし続ける稀有な棋士でした。

人間好きなことを突き詰めればどこまでも高みを目指せる、そんなことを考えた出来事でした。

ひょっとしたら加藤棋士を天才たらしめたのは、62年以上も棋界のトップでひたすらに勝利を追求し続けたその熱量にあるのではないかと感じた次第です。

加藤棋士に習って、77歳で元プロ野球選手に遠投で勝とうと画策している筆者からは以上です。

(平成29年6月22日 木曜日)