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2018年7月12日

自らはいい歳でもう自分は絶対にやらないことを他人特に何も知らない子供や年少者に勧めるのは欺瞞と思うという話です







おはようございます。

本日は若干筆致強めでまいります。

2018年7月のマスコミ大新聞の記事に関して筆者があくまで個人的に思うことを空気読まずに述べるという配信記事です。

2018年7月9日(月曜日)付日本経済新聞の夕刊(第4版)という日本有数の大新聞の一面に「あすへの話題」というコラムがありますが、この日の内容は、コニカミノルタ取締役会議長の松崎正年氏が書いた「「はだしっ子」が原点」という文章でした。

少し引用しますと、

「(子供時代は)毎日自然と格闘していた。子供たちは群れを作って元気に遊び回っていた。今日のモラルでは非難されるべきことも沢山あったが、多くの経験を重ね、体力・気力・感性・知恵等々、生きていくための基盤が知らずして育まれ・・」

「(中略)・・踏切の無い線路を北側に歩いて渡って、・・・暗くなりコウモリが飛び回る時間まで遊び回っていた。(線路の)南側に住む子供と北側に住む子供の石合戦をはじめ、落とし穴を掘ってサバイバルゲームをした・・」


といった一見、さらっと読めば昔は良かった的な牧歌的な話が語られています。

しかしながら、少し注意して読むに、さすが、取締役会議長ともなると、昔の想い出話を書くだけで大新聞の一面を飾れるのかと思う気持ちと、こんな文章をよく掲載OKした新聞編集側の危機意識の欠如と二重基準(ダブルスタンダード)に控えめに申し上げて当惑というか、率直に言って大いに落胆失望したのです。

どこが筆者の感性を大いに下方方面に刺激したかと少しだけ説明いたしますと、これだけ幼少期のいじめとか職場でのパワハラやセクハラ、学校大学でのアカハラ(アカデミックハラスメント)といった問題が取りざたされていて、児童や学生、従業員や社員、働く人々個人のモチベーションを維持向上させることが急務とされているのに、こうした問題点には何らの解決方針も示さず、幼少時の腕白遊びや「危なそうなところで危なそうなことをする遊び」こそ万全の解決策だと思い込んでいる、救えない懐古趣味です。

控えめに申し上げて迷惑ですし、率直に言って有害です。

もし本当にここに書いてあることがいいことであれば、年の大小に限らず、この筆者も、いい年なんでしょうが、今からも現役で「踏切のない線路を渡って」「石合戦」だの「防空壕探検」して、「今日のモラルでは非難されるべきこと」も沢山やればいいのです。

モラルで非難されるどころか、立派な犯罪です。

集団でのいじめや暴力暴行は暴行罪であり傷害罪ですし、踏切横断は鉄道法に道路交通法違反、落とし穴は(自分の土地でないことはほぼ確実でしょうから)不動産損壊罪や侵奪罪にあたります。

子供が暗くなって徘徊していたら、青少年保護条例で補導されます。

老人の徘徊だって警察保護の対象です。

または犯罪予備行為として職務質問の対象にもなりましょう。

さらに、このようなことをやったら今の世の中、いじめ、鉄道法違反、暴行障害としてすぐさま拡散され、思い切り世間の非難を浴び、SNSで叩かれ、そして学内アンケートによる教育委員会からのいじめ公表に始まり捜査機関の捜査と司直の裁判、そして大マスコミ(当然日本経済新聞も含みます)の格好の記事ネタとして長く繰り返し繰り返し晒されることになること必定です。

新聞の方も、こうした無責任なる文章を掲載しておきながら、いじめ問題などが起こると徹底究明が必要だと叩き批判するのはダブルスタンダードも過ぎる卑怯な対応だと思います。

現代を生きている、企業の経営者、管理職、そして学校の教諭や校長、そして家庭で実際に日々の子育てに奮闘している保護者や親に対して、この文章は全く、何ら有益なソリューションを提供していません。

石合戦して、自分の子供の目が見えなくなった怪我を受けたら、親としてはどうすればよいのでしょうか。

または、管理している学校の責任は?

怪我させた子供本人と、その保護者の教育責任は?

地域社会の取り組みは?

再発防止策は?

そんな特集記事を、大新聞やマスコミは、こぞって書き立てるのではないでしょうか。

それで、記事の閲覧数を増やそうと姑息にも考えるのではないでしょうか。

だいたい、はだしで駆け回って押しピン踏んで大怪我した、という場合ですら、裸足で走らせる方が悪い、いや押しピンを使わせている学校が悪い、という論調になるのが、今の大新聞・マスコミの大多数の報道姿勢ではないのでしょうか。

筆者は(筆者ももういい年ですけど)小学校のとき、普通の運動靴で外を走っていたら割れた瓶で凹型になっていて尖った部分を踏んづけてしまって、ガラスが足裏に刺さり、静脈を傷つけたのでしょう、靴下と靴が血でべっとり真っ赤に染まって大変なことになりました。

割れたビール瓶と破片はそこらへんに転がっている、そんな時代だったのです。

その時は危なかったな、注意して走らなきゃな、という感想くらいしかないですが、靴ですらそうなったのだから、やはり裸足は危ないな、というのが本音のところです。

防空壕探検なんて、天然洞穴探検で閉じ込められて1ヶ月近くかかって保護されたタイの子供達を笑えないのではないでしょうか。

もはや自らは功なり名を遂げた「いい年」であることを理由に、自分は絶対にもうやらないことを、他人、とくに何も知らない子供や年少者に勧めるというのは、大いなる欺瞞だし不誠実な態度だと思うのですがいかがでしょうか。

真におすすめすることであるならば、せめて野山を駆け回る、というところで止めておけばいいものを、俺だって昔は悪かったんだぜ、というのを公表して反省もなくかっこつけるじいさん経営者、控えめに申し上げても痛いしあまりにも恥ずかしすぎるのではないでしょうか。

恥ずかしい、という感覚すらないのではないかと思うのでした。

これと同じ文章やコメントを、70歳無職独身生活保護者の独居老人(男)が発した場合、受ける印象は全く変わると思います。

ですが、やったこと、は「やったこと自体」で評価されるべきで、「やった人」によってやったことの評価が変わるのはおかしい、ということです。

これは、筆者も大学法学部の刑事訴訟法のゼミでも、罪刑法定主義、ということで学びました。

ゼミでは圧倒的な劣等生であり不勉強であった筆者ですら覚えています。

大統領だろうが総理大臣だろうがスティーブ・ジョブズだろうが街中の浮浪者だろうが子供だろうが、言っていることは言っている人と分けて考えるということが必要なのではないかということを改めて強く思いました。

少なくとも、石合戦で怪我をした知人や知り合いが筆者のまわりにいたとしたら、筆者としては悲しいですし、小さい頃、冬の雪合戦で石を入れたのか偶然入ったのかが目に当たって失明寸前になった知り合いがいた、という話をリアルに知っている世代としては、全て子供のはだしっ子遊び、と割り切れる自称大物経営者、その想像力の宇宙レベルの粗さに驚きの思いを禁じえません。

いつもは適当な記事が多いのですが、こうした自称大物の「肩書ビジネス」に惑わされない、健全な批判的精神を持ってこれからも生きていければと思いまして、少しだけ筆者独自の解説をさせていただきました。

コニカミノルタのカメラなどは幸いにも持っていませんが、とりあえず他人のふり見て我がふり直せ、と改めて締め直したい筆者からのコメントは以上です。

(平成30年7月12日 木曜日)

2018年7月10日

反射的に概念を理解できる漢字かな交じり文という日本語の優れたところについて考察する






おはようございます。

2018年7月の漢字に関する配信記事です。

上の作文は、最初はさらりと読んでしまいますが、おかしいと思って読み返すと気持ち悪い文章です。

なにしろ、使われている漢字が実に半分間違っているという状況なのです。

それでも、なんとなく語感で意味を取ることができるのが漢字かな交じり文という、世界でも独特の文字文化を持って、日々学校や教育現場でそれを鍛え続けている日本人の優れた認識能力ということになります。

これは、表意文字と言われる日本語の「漢字」の持つ素晴らしい機能でありまして、特に漢字2文字の「単語」の種類はことのほか多く、2語を瞬時に意味ある概念につなげて認識することができるのは、漢字かな交じり文を小学校1年生(6歳)からひたすら読み書きして訓練している賜物です。

ですので、「文宇」も「文字」とすんなり読めますし、「埋解」も「理解」できるのです。

文字の字が宇宙の宇と書くことは、通常では極めて稀でありますし、理解の理が埋めるという文字になることも、めったに起こりません。

この、あり得ない組み合わせ、を自動的に排除し、あり得る組み合わせを瞬時に脳内にフラッシュバックするというのが、いわゆる学習効果ということになります。

そして、こうした地道な学習や勉強の「訓練」や「習慣」がついたものにしか、本当に新しい発想や仕組みというものは「降りて」来ないものなのかもしれないと思いました。

そのためにも、日々勉強する姿勢や習慣を大切にしたいと改めて思いました。

今日から勉強、と思いながら明日に先延ばししてしまうことだけは得意な筆者からの意気込みは以上です。

(平成30年7月10日 火曜日)

2018年6月8日

個々の受講者や部員の現状のスキルに応じた個別の教育プログラムを施す必要について







おはようございます。

2018年6月の学業やスポーツ、芸能などの習熟や進化のための教育に関する配信記事です。

学業でも、いわゆる部活動のようなスポーツでも、芸能ごとであっても、文芸や絵画、音楽といった芸術分野であっても、その他プログラミングだろうが実験だろうが英会話であろうがなんでありましょうが、いわゆる教育による習熟度を上げていく仕組みとしてこれまでの人類社会でずっと行われてきたのが「スクール形式」と呼ばれる集団座学教育です。

これは、黒板(緑の場合が多いですが)に板書しながら、習熟度に長けた先生が、決まったテキストを用いてその解説を行い行間を示す授業形式を取ることが多いです。

この授業形式自体については、問題はないと思うのですが、問題は、この単一の一連の授業を受ける受講生側が、少なくても二十人程度、多いと数百人程度にも上ってしまうというところにあります。

受講生の側の「今から受けようとする」授業の現時点での理解度は、まちまちです。

それなのに、1人の講師や指導者の1つの授業というソリューションしか提示できないのは、あまりにもミスマッチであると言えるのです。

具体的には、上に示したグラフのように、教える側(教授側)において、一定のレベルで受講者側の学力習熟度は、逓増していくという風に割り切って、その進度に応じた最大公約数的な授業で進んでいくということになりがちです。

そうして、残念ながら、その教授側で勝手に設定した授業やスポーツ学習の進度についていけないスピードの生徒は、容赦無く切り捨てられてしまうことになります。

では、その授業の進度を遅くすれば問題は解決するのでしょうか(護送船団方式)。

やはり解決しません。

逆に、進度が早い生徒のモチベーションを著しく下げ、彼らの能力の伸びを頭打ちにさせてしまい、教育機会の欠如となってしまうのです。

これでは教える側も教わる側も、そして教わる側に確実に散在する進度が早い生徒も遅い生徒も不幸です。

さらに、同じ人物についても、教わる科目というのはそれこそ何百種類もあるわけですので、それ毎に、得意科目不得意科目といった偏りができてしまうというわけなのです。

これを防ぐには、各科目、できるだけ細かい進度を設定したクラス編成をするか、もしくは教えることをブロック形式にして、授業ではなくタブレットの視聴方式にして、ある課題がクリアされたら次の課題(ステージ)という風に考えざるを得ないのではないかと思っています。

すなわち、ゲーム的に段階を追って、スーパーマリオブラザーズのステージ1-1から8-4まで、順番に個々の受講者(プレイヤー)の進度と理解度習熟度に合わせて進めていくしかないのではないかと考えるようになったのです。

そして、インターネットとテクノロジーの進化によって、こうした個別切り分け授業の随時視聴ということも全く可能となった現在、教育プログラムも大きく変わることが期待されます。









すなわち、この図のように、まっすぐ切り上がった進度の早い学習者には、どんどん先に進んでもらうようにカリキュラムを自動的に高速回転することも簡単にできますし、標準的な進度の学習者にはそれに見合った学習速度で伸びてもらうことができます。

また、一旦つまづいて、または大きなブランクを感じた生徒で習熟度がその間全く上がらなかったとしても、次に態勢を整えて勉強をやり直してまたゾーンに入って急速に追いつくペースができたとするならば、一気に習熟度を急上昇させることもできるわけです。

なにごとも、習熟には、長い期間に渡っての、間を置いた反復が必要です。

ですので、あまり幅の広くない、限られたペースでの授業については、そこから外れた場合のリカバリーが大変ですが、そのあたりのつまづきも考慮に入れた、懐の広いカリキュラムの中では、なかなか脱落しないし、また進度が遅すぎてつまらなくなってしまって頭打ちになるというリスクも低くなろうかと思います。

これは、学業に限らず野球やサッカーのようなスポーツ競技でも、演劇や文芸、もしくはお笑いや芸能といった分野でも全く同じことが言えると思います。

個々の成長カーブに即した多様なカリキュラムを提示する、これがこれからの教育機関や指導者に求められるマルチな才能であるのかもしれません。

さて従来、伸びが今一つのままこの年になってしまいました大器晩成型の筆者からの意見は以上です。

(平成30年6月8日 金曜日)

2018年5月8日

教育動画コンテンツの昨今の急速な進化について考察しました






おはようございます。

2018年5月の教育授業に関する考察記事です。

昔から、中学で英語を始めるときに英語教師から進められるコンテンツの一つに、NHKラジオ講座の「基礎英語シリーズ」があると思います。

筆者も中学生の時に聞いていましたが、筆者の頃の「This is a pen. (これはペンです)」的な例文ではく、最近のはそのまま日常会話に出てきそうな超重要な言い回しや使える例文のオンパレードで、プログラムの進化を感じます。

最近は、基礎英語1でデートに出かけたりするんですよ!

それはさておき、更に、テクノロジーの進化とは凄いもので、ラジオ講義にとどまらず、ビデオ講義の視聴環境も格段に向上しました。

筆者も学生時代に司法試験の勉強をやりまして、実際の予備校に通う時間を効率化するために、ビデオ講義を8㎜フィルムに撮ったものを講座料として購入し、専用の再生機も買って自宅で流して勉強したものですが、現在においては、タブレットやスマホ一台で、専用アプリを使えばそのようなビデオ講義も廉価で見放題となっております。

さらに、そうしたビデオ講義ですが、筆者が聞いていた司法試験塾「伊藤塾」の伊藤真講師の凄かったところは、講義のスピードが非常に速くて聞いている方が退屈しない、というところだったかと思うのですが、最近はテクノロジーの進化で、講義の視聴自体を、1.25倍速~2.00倍速あたりまで可変速度再生できるため、丁寧にゆっくりした講義であっても、例えば倍速にするだけで、非常にスピーディーな効率的な授業に変貌するのです。

伊藤真講師の時代は、講師の能力で講義自体を高速化することそのものが価値でしたが、テクノロジーの進化により、視聴側で自由に速度を変えられるということは恐ろしい進化だと思います。

これにより、同じ内容でも理解度に合わせて等速で聞いたり倍速で聞いたりすることができ、学習において本当に必要な「自分のわからないところをわかるようにする」ことが間違いなく効率的にできるようになったと思うからです。

現在、リクルート社から、「スタディサプリ」という講義シリーズが出ていますが、これは中学受験を控えた小学校4年生から大学受験、さらには社会人向け講義、それから英検やTOEICといった資格試験にも対応している現時点では最強クラスの教育ソフトだと思っています。

筆者が昔高校生だったころ、Z会や進研ゼミから専用端末と共に送られてきた英語や数学のポイント授業(今考えると超遅いけれども当時としては画期的なソフトだった)をはるかに上回る効率性と深度の深さで、ラインナップが揃っています。

今の中高生の教育環境の激変ぶりには驚くことばかりです。

これからも、一人一人の実情に沿った教育システムの進化は進んでいくと思います。

全ての人に、ベストチャレンジができる教育環境が整えば日本ももっと良い国になるのではないかと思います。

さて、よい講義に巡り合えたものの本人の努力不足で学生時代司法試験には受かり損ねましたが、まだ負けたと思っていないので、いずれリベンジする気満々の筆者からは以上です。

(平成30年5月8日 火曜日)

2018年5月6日

新しい時代の組織マネジメントスタイルについて考えてみたという話です

部長






おはようございます。

2018年5月のマネジメントスタイルに関する配信記事です。

平成という時代があと1年となってきている現代においても、未だ組織のマネジメントスタイルはあまり変わっていないように思います。

すなわち、組織の力は数の力、率いる部下の数が多いのが良くて、その階層がきっちり分かれていて、新卒、ヒラ、主任、課長代理、課長そして次長がいての部長、みたいな組織がかつては理想とされたようです。

そんな昭和の組織は、例えば銀行の営業部隊、ゼネコンの受注部隊などがそうであったように、営業本部は営業本部長に役員が就任し、そして営業部長にその会社の帰趨を握るバリバリの叩き上げ、そしてその下に複数の第一課、第二課、、と続き、課ごとに地域別業種別取引先区分がなされて各課長は激しく相互に競争させられ、そして営業部長は営業成績全体の責任を、ときに管理部門の役員より多く負い、プレッシャーに耐えながら夜毎の接待や打ち合わせに消えて行ったのです。

筆者もそんな営業第何部、というような組織に属して夜な夜な接待に繰り出したり早朝から特急あずさに乗って遠く信州松本や清水の次郎長の清水港まで、取引先を訪問しに行った経験を持っています。

さて時代は平成となり、バブル経済が弾け、そのような重厚長大営業スタイルはだいぶ遠くなりました。

しかも平成も末期になると、日本社会を覆う少子化の波は、労働人口の急減という形で各職場を直撃し、かような末広がりの若手がたくさんいるという組織スタイルを全く許さなくなりました。

ここにきて、部長や課長といったマネジメントスタイルも大きく意識変化をしなければなりません。

すなわち、自ら動くプレイングマネジメントスタイルへの変容であり、これまでの、組織の上にデンと座って全体に睨みを聞かせる「ボス」型ではなく、係員一人一人と目標設定で折り合える「リーダー」型であることがより求められるのではないかと思うのです。

そうして、これまでは一般に上位の職位にあるものの方が社会経験が多い=年上であった場合が多かったですが、そのような年功や年上優遇といった形はだんだん溶け出し、仕事をする組織として企業は洗練されていきます。

年齢序列の逆転も普通に起こります。

女性や(日本人にとっての)外国人の社長、女性の会長、役員、部長に本部長、課長に課長代理も普通になってきます。

すなわり、仕事、業務の遂行能力によって企業は各従業員を格付けし、その組織の利潤向上に最も資するようにバランスをとって従業員の職位配置、人員配置を行い、そこに一切の忖度や妥協はなくなっていくということになります。

なんとなく若い時は横並びということはなくて、その都度その都度、若手が少なくなっていることから余計にシビアに、どのような環境におけば個々の従業員の能力開発が図られ、ひいては会社の利益になるのか、会社は冷徹にそこを見極めようとするのです。

社長や役員も、これまでのように多くの部門、多くの部下を直接に率いていることで権力の源泉にしたという時代も終わりました。

重要なのは、会社を次のステージに持っていくことができるかというビジョンであり、それを実行できるだけの覚悟やマインドセットができるかということの方になったのです。

ですから、これまでは「部長がそんな仕事をしなくてよいでしょうに」といったことは通用しませんで、例えばライドシェアサービスを展開したければ、社長自らが一日街に出て、実際に15分100円のシェア自転車を街中で実際にアプリ起動して乗ってみて移動してみて、そして使い勝手(使えない勝手)なりなんなりを一利用者の立場として感得しなければならないのです。

大変な時代になりましたが、それはそれで考え方によっては面白い時代になりました。

あまり仕事はしたくありませんので、仕事はできる方々にお任せしてうまいこと逃げ回れないかなとひそかに思っている筆者からは以上です。

(平成30年5月6日 日曜日)

2018年4月29日

「日本といつでも対話の用意」と朝鮮半島南北首脳会談で北の将軍が述べたことについての印象






おはようございます。

2018年4月の国際政治と近所の不良(我が国国内)についての配信記事です。

例えば近所の不良高校生(未成年)がいたとしまして、その彼/彼女が、例えば近所の一般人や同級生に対して暴行障害事件を繰り返していたのを、「このたび暴行や障害を行わないことに向けた努力を開始する」旨を宣言したとして、それを受けて、それまで甚大な被害を被ってきた近所の人や同級生らが諸手をあげて歓迎のコメントを出す、ということはあまり想定できないことです。

しかしながら、この話を国際政治に引き伸ばして見ますと、同様なことがいわゆる北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国と名乗っているが国交がないため我が国からそのように公式に呼ぶことはできず単に便宜上北朝鮮と呼ぶ領域)の事実上の首領(こちらも正式に認めている国家の代表ではないため、いわゆる事実上の最高指導者という言い方でしかありません)である金正恩氏が行ったことについては、特に日本の大手マスコミはこぞって楽観的希望に満ちた報道をしているように感じています。

非常におめでたいことだと思います。

国際政治の状況のことではなく、報道者の頭の中についての印象です。

日本はいい国ですが、どうも自国内のことと国際社会のこととを無意識のうちに別の基準で考えてしまい、その無意識はものすごく他国の通常の感覚を迷わし、日本は不思議な国だ、大丈夫かと言われる一因を作っているように見えてなりません。

同じ基準ならば、核開発を行い核実験を行い、世界各国の制止を無視して核弾頭を積むことを想定した大陸間弾道ミサイルを我が国に向けて発射し続ける、日本国民を何らの理由もなく拉致するといった非道な相手に対しても、あれだけ寛大な対応や報道を取れるのは不思議です。

例えば比較として、マスコミ記者との会食中にセクハラ発言を行ったとされその録音音源を公開されたとされる事務次官(注1)に対する報道や、また夜中に酔っ払った勢いで同じNHK番組に出演している女子高生を自宅に呼び出し、押し倒してキスをするなどの強制猥褻をはたらいたとされる5人組芸能グループの構成員(メンバー)である46歳男(注2)に対する報道姿勢と比べますと、明らかにバランスが悪いように感じております。

日本の大手マスコミは、いわゆる北朝鮮の首脳周辺から、何か意図的な報道をするように求められているのではないか、そのような疑念すらなしとしない報道姿勢です。

ここは、悪いものは悪い、ということで複数の基準ではなく、できれば国内問題を扱うレベルできちんと実情を踏まえて報道をしてもらいたいと感じております。

零細報道機関を自称いたします当ブログ管理人からの、率直な疑問については以上です。

(平成30年4月29日 日曜日)

(注1)財務省の福田財務次官のテレビ朝日所属女性記者との会食時のいわゆるセクシャル・ハラスメントと見られる発言に関する事案
(注2)いわゆるジャニーズ事務所所属の芸能グループ「TOKIO」構成員(いわゆる「メンバー」と表記された)山口氏による未成年者(女子高校生)への強制猥褻事案

2018年4月23日

外食チェーンの禁煙化が顧客を呼び込む大きな力になると思っている話です







おはようございます。

2018年4月の焼肉チェーンに関する配信記事です。

現時点で国内最大手の焼肉チェーン店でもある「牛角」ですが、昔東京で働いていた時によく行っていました(だいたい一人で)。

七輪を備え付けたテーブルやカウンターで、ビールをちびちびやりながら、塩ダレとか漬け込んだ中落ちカルビというカルビの廉価版メニューだけでよく粘っていたものです。

レインズインターナショナルという会社がそのチェーンを統括しておりますが(店舗運営はフランチャイズ形式が主)、このレインズインターナショナルは、株式会社コロワイドに買収され、現在は同社の一事業部門として展開されています。

全国に、700店弱の店舗網を持っているとのことです。

さてこの焼肉店が一気に繁盛チェーンになったことの一つに、店への(どちらかというとネガティブな)ご意見を、あえて300円の一律割引で聴取したということがあります。

確かにむちゃくちゃな要求やクレーマーからのコメントもあったようですが、地道に、やれることをやるということで改善を進めて行ったところ、口コミマスコミで取り上げられるようになり、筆者のような在京サラリーマンの人気店となったようです。

さて、その牛の角をアンテナに見立てて「お客様のニーズをすばやくキャッチする」という発想で店名も「炭火焼肉酒家 牛角」となって牛角のチェーン店が、筆者の会社のそばにできたものですから、久しぶりにランチに行ってみたのです。

しかし、正直あまり繁盛しているとは言えませんでした。

メニューも、写真のようなもので特に問題があるというわけではないと思います。

その原因として、もっとも筆者が瞬間感じたのは、「禁煙席がない」ということだったのです。

当然のように、禁煙席をお願いしたところ、当店は全席喫煙席です、ということだったのです。

これには驚きました。

スターバックスのようなコーヒーチェーンに限らず、現在はほとんど全ての外食店舗で全面禁煙のスタイルです。

あのマクドナルドの業績が急回復したのも、顧客の志向に対応して、全店禁煙にするという方針を打ち出し、いわゆるサラリーマン喫煙層を捨てても、それ以上の別の顧客層を取り込んだからだと思います。

いくら焼肉店とはいえ、全席に灰皿が置かれてがらんとしている店内を見て、これはお客様のニーズをすばやくキャッチすることをモットーにしてクレームを成長の原動力として成長してきた焼肉チェーン店の状況なのかと少しばかり驚きました。

幸い、店内の客もまばらでしたので、受動喫煙被害にあうこともなく、食事自体はとても美味しくいただいたのですが、このように、受動喫煙を食らうリスクが高い以上、おそらく当分は同店にはいかないだろうなと思いました。

東京オリンピック2020年を控え、この先進国の中ではもっとも遅れた喫煙文化の国、日本も急速に変わるべきだろうと考えておりまして、百のおもてなしよりただ一つの禁煙の徹底(徹底した分煙、受動喫煙のリスクをなくすこと)こそ世界中から求められているということを、大手マスコミや大手出版社、テレビもラジオもタバコメーカーによるスポンサードによって骨抜きにされているという一面もあるのかもしれないと思いまして、あえて提言させていただきました。

たまには主張をもった記事を書いてみました筆者からは以上です。

(平成30年4月23日 月曜日)

2018年4月20日

動画配信教育サイトがますます多くの顧客に広がっていくであろうという話です






おはようございます。

2018年4月の勉強方法に関する配信記事です。

テクノロジーの進化によって、我々の勉強の方法論もだいぶ変わってまいりました。

クラウド技術が発達し、自分が勉強すべき教材を、その都度音声動画テキストの形で、スマホやタブレットを用いて簡単に呼び出せるようになったのです。

例えば、リクルート社が提供するスタディプラスという教育サービスがあります。

これには、ざっと小学校4年生から高校3年生、大学受験生まで含んだ科目や教科ごとのレベル別の講義動画とそれに対応したテキストが全て含まれています。

つまり、スクール形式の座学でできる学習内容なら、ほぼ全て、スマホタブレット講義をいつでもどこでも視聴できるわけです。

大学受験を超えた、社会人として必要な資格であるTOEICスコアや英検1級の対策講座も用意しています。

この講義が凄いところは、講義自体のレベルが高いこともありますか、そのレベルの高い講義動画を、1.25倍、1.5倍、2倍の速度で音声付きで早送りで再生できることです。

人間は、耳で聞くより早く物事を考えることができるので、ほとんどの講義は1倍より早い速度で聞いた方が、かえって別のことを考えることなく講義に集中することができると思います。

また、予習不要で参照するテキストを黒板講義動画と同時に参照できるのは大変効率的です。

テキストを別途持ち歩く必要がありませんし、何より電車やバスの移動中のちょっとした隙間時間での利用に最適なツールです。

朝起きてからすぐにでも講義に出ることができます。

英語の場合、スペルは書かないと覚えられませんが、そこは指文字でテーブルをなぞって筆者は済ませています。

勉強は習慣ですが、何事も見える化しないと進捗もわからないし、達成感もありません。

この動画講義コンテンツは、やった履歴がいつでも見れますし、一日一回、受講サマリーとして分単位の受講時間が電子メールで送られてきますので、継続的にやる気を保って進めることができます。

こうしたクラウド技術を利用した教育ノウハウの提供や利用がますます増えてくると思います。

大学や専門学校といった専門分野のノウハウ取得にも、こういった動画再生座学システムがますます利用されていくことになるでしょう。

いつかは講座を持って授業して、神授業と言われてみたい筆者からの願望は以上です。

(平成30年4月20日 金曜日)

2018年3月5日

日本の大学教育の方向性がどうにも定まらないように思えて意見したい話





おはようございます。

2018年3月の日本の大学に関する配信記事です。

文部科学省によると、日本の大学は大学ごとに3種類に格付けして分類し、それぞれ管理するということのようです。

少子化で大学の経営環境はますます厳しくなる中、認可している私立大学、国立大学法人、その他公立大学や大学校も含めて、大学ごとの特色を明確にする、と謳っていますが、はっきり言って大きなお世話だと思うのは筆者だけでしょうか。

文部科学省の素案では、「世界的研究・教育の拠点」「高度人材の養成」「実務的な職業教育」の3種類に分類するとのことですが、一体日本の今からの将来の大学において、「世界的研究・教育の拠点」などと本当に言える大学があるのか甚だ疑問であります。

世界的研究・教育の拠点というならば、世界大学ランキングあたりでは、常時、そうですね20位以内くらいには常時入っていただいておかなければならないと思うのですが、21世紀に入ってからそうした日本の大学があったか、筆者の耳が遠いのか寡聞にして存じ上げません。

文部科学省によると、「世界的研究・教育の拠点」となる大学は世界でも卓越した研究力をめざし、博士課程を含む大学院を中心に、高度人材の留学生も呼び込み、国をリードする人材を育てるらしいですが、日本の有為な人材にとってみれば、正直米国や欧州、アジアの主要大学の博士課程(大学院)へ無償の奨学金込みで入れば良いし、学部生の能力と意欲さえあれば問題なく入れるので、わざわざ受験トリビアを駆使して日本の大学学部への異常なまでに厳しい大学入試過程を経る必要など本来ないわけなのです。

日本においては高専や地方国立大学の工学部電気系や機械系学科で学部生のうちはしっかりと勉強して、あとは英語と、できれば中国語とシミュレーション系に汎用的に使えるプログラミングさえできれば、そのまま全くフィルターなしで欧米の一流大学の大学院への道がまっすぐに拓けてくるのに、あえて日本の私立大学や国立大学の文系学部に行ってサークル活動やゼミ運動といったコミュニケーション系の活動だけしかやってなくて何の専門性もない学生のまま卒業を迎える段になって、それまで個性を重視した教育だの言っていたその口が、百人一色の同じ色のスーツを身にまとい、新卒一括同一待遇採用という謎の雇用慣行に縛られた日本の企業群へ一斉に就職活動と称して突っ込んでいく様は滑稽を通り越してむしろ哀れですらあると考えています。

個性を重視するなら、自分の好きなことを突き詰めるなり、専門性を高めるために大学時代という貴重な時間を費やすべきで、コミュニケーションや議論など、実は社会人になって背負っているものが大きくならないと、本気の付き合いや議論などはできないと思う分野のシミュレーションをやったところで役に立たないと思うのです。

さらに、文部科学省は自分が交付金をこれ以上出せないというところから、国立大学については法人化させ(直営をやめて)、私立大学を含む大学全般への運営交付金も減らしていっているのにどうして、このようなよくわからないカテゴリを付して管理を強めるのか、これこそ狭い日本しか見えていない日本の官僚仕事の最たるものではないかと思うのです。

世界の大学と本気で伍していくのであれば、高校卒業を半年早めて8月には卒業させ、世界標準である9月入学にしないと、日本の学生もいつも一年遅れの浪人生で不利ですし、日本の大学の留学生の受け入れも全く進みません。

日本の大学を所管する文部科学省も、本当はもういい加減国におんぶにだっこをやめて、大人なんだから自分で稼いで生きていってほしいと思っているくせに、例えば稼ぎのいいことを見つけてきても、それは世間体的にダメだとかくだらない容喙をして自主性を損ねているとしかいいようがないと思うのです。

どんなに経営環境が厳しくても、それを打開する方策を必死に考えて実行する組織だけが本当に生き残るのであって、たとえばイギリスのケンブリッジ大学なんかは世界最古の大学と言われるオックスフォード大学を街ごと追い出された流浪の学生たちがケンブリッジに流れ込んで創立した、というように、志さえあれば何とでもなると思うのです。

そのようなハングリーさがなければ、世界的研究機関など絵に描いた餅でありましょう。

それでも、筆者は日本の国立大学の中には、きちんとした運営戦略と有為な人材を糾合する仕組みを続ければ、研究や教育、そして実社会における名誉ある地位と実績を出せる可能性があるものが少なくないと思っています。

そういうわけで、日本においては受験シーズンですが、各大学におかれましては入試問題の出題が誤っていたといった瑣末な問題にとらわれるのではなく、世界と勝負する気概と意志を持ってほしいなと思います。

本当は東のハーバード大学に対する西のスタンフォード大学かオックスフォード大学から分離独立したケンブリッジ大学に留学したかった筆者からは以上です。

(平成30年3月5日 月曜日)

2018年2月24日

通信制高校は不登校生徒の受け皿を超え完全な高等教育の一形態になったと思う





おはようございます。

2018年2月の配信記事です。

以前の記事で、ほぼ全ての文系学部の座学部分はネット配信動画で代替しうると述べましたが、よく考えれば実際の高等学校教育の中では、すでにネットによる双方向の授業が確立しており、単に高校履修過程を終了する以上に、それ以上の高等教育、すなわち大学入試に耐えうるだけの学力もつけることができる、そのような時代にすでになっておりますということを話します。

ところで、不登校というのはどういった状況になった生徒を指すのかと言いますと、一応調査の定義がありまして、年度の間に合計30日以上欠席した児童生徒数のうち、その理由を不登校を理由とする者が不登校児と一般に呼ばれるということです。

そして、不登校とは、いろいろ原因はありますが、何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因・背景により、児童生徒が登校しないまたはしたくともできない状況(ただし、病気や経済的理由によるものを除く)をいうようです。



不登校生徒が高校一学年に3万人いる時代(3%)



最初から通信制高校に入る人もいれば、通学制の高校を何らかの理由で行けなくなってしまって通信制高校に入り直す人もいますが、まだ多くの通信制高校が高校卒業自体を目標としています。

そんな中、注目したいのが広域通信制度で展開するN高校です。

これは、自宅のパソコンで好きな時間に授業をオンラインで受けることができます。

各科目の単元ごとに確認の小テストを受け、月に6回程度、ネット上でのレポートの提出も行います。

ネット上ですが、部活動もあり、オフラインで合宿もすることができます。

全国から集まった定時制の生徒と一緒に合宿する機会を作るのは、むしろ通学制の生徒より優れているかもしれません。

さて、こうした通信教育のネットの強みを最大限に発揮できるのが、大学受験指導です。

これまでの動画による授業に加えて、大手予備校の講師らによる配信授業も同時に受けることができます。

「自習」もネットで行うことができます。

これは、どうしても自宅の自室では集中できない場合が多い生徒に好評な制度で、勉強を始める前に、パソコンの前で勉強します宣言を行い画面を切り替えると、他の大学受験コースの生徒たちが勉強している姿と、自分自身が勉強している姿がネット上に共有され、担任の講師含めてみんなが見ることができるという仕組みです。

ネットによる社会的組織的自習空間が、たちどころに出来上がるというわけです。

自宅で一人でも、人に見られているという感覚で、緊張感をもって濃い時間を過ごすことができるのです。

受験担当のメンターとは、定期的にネットを通じて個人面談を行います。

他の受験生とのグループ面談だってあります。

そこには、他の受験生に加え、希望の大学に合格した先輩OBやOGたちも混じって、ビデオチャットで臨場感ある話が聞け、率直な悩みの相談になり、また次のやる気が湧くというわけです。

受験準備期間で培うべき学力を、定量的に、イメージをもって養成して、勉強の進み具合を随時報告相談して、アドバイスを受けてまた集中して取り組む、というたゆまぬ改革・改善のプロセスを、PCDAを回すことができるのです。

もはや、通信制という選択は、在宅ワークと同様完全に市民権を得つつあるのではないかと思います。

引きこもり、ひたすらネット記事を書きまくりたい筆者からは以上です。

(平成30年2月24日 土曜日)

2018年2月22日

私はまだまだ負けていない だって息していますからねと述べた加藤一二三棋士






おはようございます。

2018年2月のネバーギブアップの配信記事です。

2017年、73歳で将棋プロ棋士の現役を引退となった、加藤一二三さんのことを紹介します。

もう私はギブアップ

お手上げです

参りました

とは言わない

だって、まだ生きているんだから

まだ息しているんですからね

NHKの特集番組で加藤一二三さんは語りました。

2017年、加藤棋士が73歳で戦った将棋のリーグ戦、順位戦の全7局、そのどれも全て、持ち時間6時間をほとんど使い果たす、5時間50分以上考え抜いて指されたとのことです。

年齢を重ねると、体力が低下しているためにあまり考えずに指してしまうこともある棋士もいるという話もありますが、加藤さんは、絶対に負けない、その闘志を露わにして、制限時間いっぱいいっぱいまで考えに考え抜いて、勝負の手を繰り出していったのです。

実際に加藤さんが引退することになった最後の公式戦、高野四段との戦い。

その対局終了後、感想戦という将棋の内容を検討する流れを行わず、ノーコメントで、そのまま帰路につきました。

加藤さんの悔しさゆえの行為であり、加藤一二三棋士の棋士としての勝負師としての闘志が最後まで燃えていたことの証左です。

ネバーギブアップ。

老いても刀折れても矢がつきても、それでも闘志を燃やして指し続けた加藤一二三棋士。

神武以来(じんむこのかた)の天才と呼ばれ華々しくデビューした天才少年は、半世紀以上経っても、現役引退となっても、勝負の最前線に泥臭く自ら立っているのです。

まだ生きていますからね

まだ息しているんですからね

チャレンジャーは偉大です。

加藤一二三さんを見習って、少しは本気出そうと思った息してる筆者からは以上です。

(平成30年2月22日 木曜日)

2018年2月21日

日本国憲法において最も改正議論が本来起こらなければならない部分について(私見)






おはようございます。

2018年2月の配信記事です。

筆者は大学は文系学部(法学部)に学び、それなりに勉強したことも勉強しなかったこともありますが、昨今のテクノロジーの進化は文系学部のほぼ全ての講義というものを駆逐しつつあるとすら感じております。

もはや、大学の授業、教授とはオンラインでほとんど代替され、わずかに実験系やシミュレーション、フィールドワークが必要な理系学部の一部のみが生き残る場になっていくのではないかと本気で考えております。

もちろん、それぞれの学生が学ぶ場としての大学が大切であろうとは言えるのですが、板書にスクール形式のいわゆる授業というものは早晩消えて無くなるだろうな、と思うわけです。

一緒に学ぶ学徒や教授が一緒になんらかの議論をするとしても、それはすでに前提とされている知識や技能が与えられている状態で行う、いわゆるフィールドワークや議論討論、ゼミの場やプレゼンテーションといった形になるのでしょうか。

さてそんなことを考えながら、本日は最近言われるようになってきた日本国憲法改正の風潮において、筆者が憲法学徒(一応大学の憲法の単位はたった一つの「優」であります)の端くれとして感じている点を申し上げます。



日本国憲法第89条(公金その他の財産の支出)



本来、最も改正議論が起こっていなければならないのは、天皇に関する章でもなく、戦争放棄の第9条でもなく、いわんや憲法改正手続自体を規定する第96条でもなく、やはり第89条(公金その他の財産の支出)であろうと考えるのです。

時代にそぐわない条項として、これ以上のものはないと思うわけです。

原文にあたります。

日本国憲法 第89条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

とありますので、本来、宗教団体性の強い政党に対する政党助成金交付は当然にアウトですし、私立大学といった宗教性(先覚者)を多少は帯びるもの、もしくは宗教性が全くなくても「公の支配に属しない教育の事業」であることは明確であります。

さらに慈善、教育若しくは博愛の事業で「公の支配に属さないもの」など、NGOや町内会を考えればいくらでも出てくるのですが、そういったものに対する補助金や助成の一切が違憲となるのはどうみてもおかしいわけです。

現在、第9条の合憲判断などよりもっとずっと飛躍した論理、すなわち、「公の支配」という領域を限界いっぱいまで解釈上広げることにより、私立大学や私立高校に対する助成金や、NGOに対する補助等、さらには特定の宗教団体との関係性が事実上濃く認められる政党への政党助成金など、これらすべて「公の支配」にゆるいながらも属しているのだという解釈です。

合憲にしなければいけないので、これが通説です。

例えば、私立学校も色々な法律に服しているし、広い意味で、「公の支配」に属しているという解釈です。

しかし、これでは、「公の支配」は、単に「日本国内」にその存在がある、という程度の意味しか持たなくなり、この第89条は一体何のためにあるのだということになるのです。

こうした、論理的な破綻が明らかな条文の適切な時代の要請に即した「改正」を通じて、日本国が、日本国憲法の目指す自由な世の中になっていくことを望みますし、その議論の過程で他の憲法改正候補についての論点が整理されることが何よりも国民にとっては大切な共通の財産になることだと思っています。

たまには、真面目な話もすることができる筆者からの吹っかけ議論は以上です。

(平成30年2月21日 水曜日)

2018年2月17日

中学三年生で15歳の藤井五段が全棋士参加棋戦優勝により半月で六段に昇段したという話





おはようございます。

2018年2月の配信記事です。

将棋界にまるで往年の日本競馬のディープインパクトのような衝撃でプロ入りした藤井棋士が、五段に昇段してからわずか16日後、日本将棋連盟の昇段規定にある「全棋士参加棋戦優勝」により六段に昇段しました。

まだ卒業前の中学三年生、15歳での快挙です。

2018年2月17日(土)、東京都内で行われた第11回朝日杯将棋オープン戦を勝ち進み、準決勝では羽生竜王(47歳)を破り、決勝ではA級リーグの広瀬八段(31歳)を退けて破竹の10連勝、一次予選から勝ち上がり栄冠を手にしました(年齢は当時)。

解説していた佐藤天彦名人(30歳)も気づかなかったという桂馬打ちの妙手で形勢を引き寄せた、という新聞解説がありましたが、正直筆者レベルにはなんのことやらよくわかりません。

しかしながら、とにかくレベルがますます上がって行くこの世界において、神武以来(じんむこのかた)の才能が現れたことは間違いありません。

いまも対局を重ねるごとに強くなっている藤井棋士ですが、師匠の杉本七段(48歳)も、実はつかみどころがなく予想外なところが強さの秘密ではないか、という謎のコメントを残しています。

筆者も、部下や後輩の方が能力が高いと認められる場合には、同じようなコメントを残すかもしれませんが、とにかく凄いレベルの話であります。

これから、藤井棋士に限らずプロ棋士の棋譜を並べて勉強してみたいと思います。

藤井棋士の三倍程度生きているはずなのですが、将棋も囲碁もまだまだ伸び盛りの筆者からは以上です。

(平成30年2月17日 土曜日)

2018年2月16日

「ガルシアへの手紙」を読んでくださいー知らない人も知っている人ももう一度原文で





おはようございます。

2018年2月の配信記事です。

「ガルシアへの手紙」の話を知っている方も多いと思いますが、改めてこの話を紹介して自らへの戒めというか指針にしたいと思いましてメモがわりに書いておきます。

もともと、アメリカで1899年に出された原作「A Message to Garcia(Elbert Hubbard)」はほんの小さな小冊子で、日本語で翻訳しても数ページほどの分量です。

ですので、ぜひ原文で読んでください。

英語だから全文は厳しくても、最初と最後の部分だけでもぜひ。

この小冊子が世界に与えた衝撃は大きく、その影響力は1913年の時点で世界で4000万部印刷されたという事実から容易に推測できます。

世界中で1億人が読み、そして日本の明治天皇陛下も絶賛したとのことです。

何しろ100年以上前の本になりますので、現代では知らない方もいると思うのであえて言及します。

世界中が読んだ名著であり、そして、ゲティスバーグという片田舎で簡単に話された手短な話が、米国史上最大級に有名になったかのリンカーン大統領演説であるというのに似たものを感じます。

それでは早速紹介します。



ガルシアへの手紙


エルバート・ハバード(1899年)
筆者勝手抄訳

キューバ戦争において、私の記憶の中に、火星が大接近した衝撃に似て最もはっきりと思いだす人物がいる。

アメリカとスペインとの間で、キューバをめぐって戦争が起きた時、合衆国はどうしても、反乱軍のリーダーと連絡をとらなくてはならなくなった。

そのリーダーの名はガルシアという。

キューバの山奥の要塞にいるらしい。

どこにあるのか誰も知らない。

郵便も電報も届かない。

しかし、大統領はガルシア将軍の協力を取りつけなくてはならない。

事態は至急を要する。

どうすればいいのだ!

誰かが大統領に進言した。

「ガルシアを見つけ出せる者がいるとしたら、それは、ローワンという男です」

ローワンは呼ばれた。

そして、大統領からガルシアへの手紙を受け取った。

私は、ローワンという名の男が、どのようにガルシアへの手紙を受け取り、それを防水の小袋に密封し胸に革ひもでしばりつけ、四日後の夜に小舟でキューバの海岸に上陸し、ジャングルの中に消えていき、敵地を歩いて横断し、ガルシアに手紙を渡し、三週間後に別の海岸に現れたか、それを詳しく語ろうとは思わない。

ただ、言いたいのは、次のことである。

マッキンレー大統領はローワンにガルシアへの手紙を渡したが、そのときローワンは、その手紙を黙って受け取り、「ガルシアはどこにいるのですか」などとはひとことも聞かなかったということである。

この男こそ、ブロンズで型にとり、その銅像を永遠に国中の学校に置くべき人物である。

私たちに必要なのは、学校における机上の勉強ではなく、あれこれ細かな知識技能でもない。

ローワンのように背骨をピシッと伸ばしてやることである。

自らの力で物事に取り組もうという精神を教えることである。

勇気を教えることである。

そうすれば、人々は、信頼に忠実に応えられる人物、すぐ行動に移せる人物、精神を集中できる人物となり、そしてガルシアに手紙を持っていく人物となるであろう。

…(中略)…

この、ガルシアに手紙を届けられる人の願いは、何であろうと聞き入れられる。

このような人は、どこの都市でも、どこの街でも、どこの村でも求められている。

このような人は、どこの会社でも、どこの店でも、どこの工場でも求められている。

世界中が、このような人間を、必死に、呼び求めているのだ。

世界はいつでも、本当にどこでも、必要としているのだ。

ガルシアへ手紙を届けられる人間を。



…いかがでしたでしょうか。

このような駄文ブログ記事全てを吹き飛ばす衝撃の文章だと思います。

繰り返しますが、ぜひ原文で読んでください。

それでは本日も頑張っていきましょう。

まずは切れてしまった指定ゴミ袋から買ってこようと思いました筆者からは以上です。

(平成30年2月16日 金曜日)

2018年2月11日

人材不足な世の中なのにどうして定年制度が続いているのか疑問に思うという話





おはようございます。

2018年2月の配信記事です。

日本は今空前の人口減少状況にありまして、もはや高齢化傾向すらそろそろ終わり、単純に人口が減っていくというステージにさしかかっているというのはかなり共通の認識になってきたものと思っています。

そして、企業や組織の生産現場やサービス供給現場では、人材不足はますます深刻となり、24時間開店サービスがその根幹であった外食やコンビニエンスストアチェーンですら、もはやローテーションの人員が確保できないと、一定の時間閉鎖するというオペレーションに移行するといった状況になってきています。

しかるに、人材雇用における定年制、いわば65歳といった絶対年齢を持って一律強制的に公開している解雇制度がずっと続いているのは何故なのか疑問に思うわけです。

半ば強制的な雇用の維持、のために企業側に義務として65歳までは勝手に解雇してはダメですよ、ですが65歳まで耐え切ったら晴れて公認しておおっぴらに解雇できる権利が予定されていて、そして雇用契約を自動的に終了させることができるというわけです。

本来ならば、年齢に達した際の強制解雇予定制度、と呼ぶべきものが、単に定年、という曖昧な言葉で濁されています。

なぜ、定年に達したら仕事を辞めなければ、またやめさせなければいけないのでしょうか。

今の時代、スキルがある高齢者であれば、同じ会社としてもあと数年くらいは今の現場で働いて欲しい、という場合もあるはずです。

もちろん、雇用延長や再雇用といった制度はあるものの、例えば何の人事的な裏付けのない人を例えば管理職として置いた場合、その元管理職がゾンビ的に実際の部門運営をすることと、雇用形態が再雇用といった期間限定のもの(+給与面でも劣後する)であれば、ついていく部下も気を使って大変なところがあります。

筆者はまだ65歳に到達しておりませんが、人は60歳以上になると急に仕事ができなくなるのかといえばそのようには思いません。

逆に、若くてもすでに墓場に埋められたくらいの温度の低い人もいて、さらに別に温度が高かろうが低かろうが仕事の遂行能力というものはそういうものとはあまり関係ないという論調もあります。

思うに、これまでは一方的に雇用側の雇う義務がクローズアップされてきましたが、そもそも本来は立場の違いはあっても対等な立場で雇う側と雇われる側が日々ここで働く、労働力を提供する、労働力の提供を受けて給料を支払う、ということが合理的に納得感あって続いている限りにおいて本来雇用契約は維持されるべきです。

そうした信頼関係に変化があった場合、雇われる側から申し出るのが退職であり、雇う側から申し出るのが解雇であって、本来その2つで良いわけです。

定年制度は、解雇権濫用法理によって、ほぼ通常の解雇が不可能となった今の厳しい雇用者側にとっての労務規範のバーターとして、一定の年齢に達すれば自動的に公認された解雇権を発動できるという、単なる強制解雇制度です。

一般的には定年「退職」という曖昧な表現となっていますが、定年解雇とは表現されません。

退職は、先に書いた通り解雇なのですが、定年「解雇」とは表現せず、本来自主的に基づくはずの退職のはずが、本人の意思とは関係なく一定年齢で雇用契約が終了、すなわち雇用側の事情で解雇するというのが定年退職の実態です。

定年退職する人を囲んで、同僚でお祝いして、職場の人から花束などが渡されたりします。

こうしてみるに、定年退職とは卒業と同じようなものです。

例えるならば、学校の卒業式と同じようなものとして理解されているのかもしれません。

小学校は6年で、中学校と高等学校は原則3年で卒業です。

大学の学部は4年で、羽織袴を着てから卒業式に臨みます。

同じように、社会人としては43年、もしくは46年くらいで終わり、ということなのかもしれません。

本来、働いて給料をもらう関係である会社が、勉強して学費を払う学校と同じように理解されるのはよく考えれば不思議なところです。

今後の雇用体系については新卒一括採用も合わせてもう少し柔軟に変わって行くことが期待されます。

転職回数なら負けない筆者なら以上です。

(平成30年2月11日 日曜日)

2018年2月6日

トランプバブル崩壊の兆しかNY市場▲1,000ドル日経平均▲1,000円超の大暴落を演ずる






おはようございます。

2018年2月の記事です。

ずっと演じてきた世界同時株高ですが、ニューヨーク市場での1,000ドルを越す史上最大の下げ幅(金額)に端を発して、開けた東京市場も全面安、実に1,000円を越す下げで引けました。

割合にして、約5%もの世界中の富が消し飛んだことになります。

原因を後講釈でいろいろ論じることはできるでしょうが、この下落はいずれにせよ今までが調子良過ぎたことの反動であることは間違いないようです。

この場面でポジションを外すことができることができる方がいればご連絡をいただきたいところですが、ぎりぎりまで株上昇の利得を得ようと思っていた筆者のような零細投資家には厳しい洗礼でした。

さて、ここまで下がってきたところであっても、企業業績は好調であり、配当水準も高いいわゆるいい会社はたくさん転がっています。

いわば過剰評価されたところが剥げ落ちたところで、真にこれから伸びそうな会社や企業を物色して見ても良いのでは無いかと思います。

話が変わりますが、道を歩いていたら以下のような広告・問題?がありました。



ここで問題です




She said that that that that that boy said was wrong.

これを訳せというものです。

thatが5つも並んでいますが、どのthatもそれぞれ独自の意味があってそこに配置されています。

解説します。

まず一番目のthatは、いわゆるthat節を作るthatで、that以下の文章のことを彼女は言った、という意味です。

次のthatは、あの、という意味の指示のthatであり、三番目のthatは、thatという言葉そのものです。

続いて四番目は、関係代名詞のwhichの代わりとなりうるthatで、日本語的には〜ところの、と訳される例のthatです。

最後のthatは、二番目と同じ、あの、という意味の指示のthatであり、あの少年、という意味です。

これで、全て並べて日本語に訳しますと、

彼女は、あの少年が言った(ところの)あのthatは間違っている、と言った。

となり、5つのthatがきちんと説明される、ということです。

ここで、スマホやタブレット、PCを前にした皆さんも、

She said that that that that that boy said was wrong.

を繰り返して音読して、thatについての理解を深めていただければ幸いです。

あの筆者が投資したところのあの銘柄たちは間違っていた、と言われそうな筆者からは以上です。

(平成30年2月6日 火曜日)

2018年1月31日

300円を持って買い物に行きましたというたとえ話で物事の見方を考えるというお話です







おはようございます。

2018年1月の記事です。

300円を持って買い物に行きました。

150円のアイスを買うときのお釣りはいくら?

という問題がありました。

ここで、算数的に300-150=150円

と反射的に答えてしまってはいけません。

現実の買い物のシーンを「想像」すれば、持っている300円をそのまま出すことはないからです。

通常ならば、200円玉2枚を出して、50円のお釣りをもらうということになるでしょう。

それか、もしかするとこの瞬間に日本に300円玉が登場すれば別でしょうが、そういう前提がなければ150円のお釣りをもらうことは少ないと考えられます。

さらに考えますと、300円としか書いていないので、50円玉が一枚でも入っているのであれば、お釣りなしでいけそうですし、もしかしたら全部10円玉や極端に言えば全部1円玉であっても同じ結論となりそうです。

しかし、日本には法令上の「貨幣」の強制通用力というものがありまして、法令上の「貨幣」、すなわち2018年1月現在にあっては通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律の「貨幣」(一般には「硬貨」)については、同法第7条により、額面の「20倍」まで強制通用力を持つということになっております。

したがいまして、この場合だと全部10円玉で払うのはOKですが、全部1円玉で払うと150枚の一円玉ということになるので強制適用力はないということになります(相手側が支払いを認めてもらえば問題ありませんが)。

このように、物事を複合的多面的に見るというのは大切だというたとえ話でした。

小銭も紙幣もあまり持っておりませんし、仮想通貨にしたら盗られるし、ふんだりけったりの筆者からは以上です。

(平成30年1月31日 火曜日)

2018年1月26日

日本の雇用慣行では正社員というオプション込みで給料が低く抑えられているという事実






おはようございます。

2018年1月の配信記事です。

日本の雇用慣行においては、新卒(大体において大学学部修了時のことをいう)を毎年4月1日という世界的にはずれた年度初めに一括して採用するという独自のスタイルが取られておりまして、そうして集められた新卒社員に、業界内で定めた一定の給与水準でスタートするという世界的に見れば極めて独特なスタイルが採用されております。

ちなみに、日本の社会構造はここからナイアガラの滝の如く人口減少社会に突入していくわけでありまして、筆者も若いころ「世間」から言われていた「競争社会」「お前の代わりの若い奴などいくらでもいるんだ」的世界観とは全く変わってしまいました。

人は本当にいないので、企業側とすればお願いして来てもらわないといけないわけです。

大きなコストをかけて採用した新卒社員が、例えば3日で辞めてしまった、というようなことは極力避けなければならないのです。

一方パートの時給が上がっていくのは当たり前であり、これは正当な労働力の需給による価格上昇が反映されただけのことです。

企業側としては、毎年一定しか入らない(そしてかなりの部分が途中で離脱する)正社員に頼っていては必要な労働力が集まりませんから、非正規雇用と呼ばれるパート・アルバイト・派遣社員等の時給を上げていきます。

一方で正社員については、時給を上げなくても転職退職あんまり変わりません。

年功序列で給料が上がっていく「権利」がありますので、それを放棄してまで外部に活路を求めるという判断はできないのです。

したがって経営側としては正社員の賃上げのインセンティブはあまりありません。

この点、会社が儲かっている、儲かっていない、ということは「超越」しています。

外部環境が急変している第二次世界大戦(大東亜戦争、太平洋戦争)直前の状況下にあっても、通常の定期異動に定期昇進を行い、飛行機のことなんか基本ほとんどわからなかった司令官を空母機動部隊の司令官とし(航空戦術のわかる人は各空母の艦長クラスにしかいなかった、飛行機というものの時代がそれだけの年月しか経っていなかったため将官級の人材がいなかった)、「先輩に花を持たせよう」とした旧陸海軍を笑えないのであります。

実際、企業の儲かり具合と正社員の給与水準は、会社が赤字の場合は切り詰められますが、会社が儲かっているときはそれほどの相関はないように感じます。

正社員としての、全体の賃上げの低さの原因は、確実に終身雇用年功序列という雇用の身分保障の対価として、高いオプション料を支払って各正社員は「安心」を日々買っているのです。

ですから、会社が大統合したり(メガバンク)、究極的に事業に失敗したり(原発発動機会社や電力会社)した場合においては、正社員たちの狼狽・心配はマックスに達します。

いずれも、オプション料を支払っていた終身雇用年功序列という保障が取れるという恐怖心からくるものです。

安くない機会利益を会社という運命共同体に日々支払っているわけですから、その落胆や失望、会社に対する怒りもわかります。

筆者もメガバンクの構成要素の一つであった銀行に勤めていたこともありますので、その気持ちは痛いほどよくわかります。

さて、このような状況であれば、そのぬるま湯状況から飛び出し、外資系および日本的雇用慣行のない会社に転職すれば給料は上がるでしょうが、身分保障は失います。

したがいまして、身分保障による幸せ増幅機能がどの程度個々人の正社員にとって有用かという観点からすれば、それもポジティブに考えれば納得感もあるかもしれません。

極端な話をしますと、例えば東大東工大工学博士の天才プログラマーであっても、日本の、例えば白物家電メーカーの代表格のこの木なんの木気になる木のグループに就職したとすれば、事務職社員と同じ年収400万円からスタートするというのが、現在の日本の平等な雇用慣行であります。

むろん、この天才プログラマーが適正な処遇を求めていくことはできますが、そのスピードは、年功序列終身雇用オプションを支払っている以上非常に小さいものに留まることが予想されます。

同じ条件であれば、たとえば機電情報系の博士に加えて、プログラミング、英語、中国語をそうですね1年くらいかけてとりあえずできるレベルまでマスターしたら、中国の深圳市(Shenzhen)で年収1,000万円、アメリカのシリコンバレーで年収2,000万円の初任給の待遇になる人材だと思われますので、その格差たるや驚きです。

世界は広い、そういったお話でした。

とりあえず大きな話をしたので今日は奮発してお昼は1,000円のラーメンチャーハン定食を食べようと決意した日本のサラリーマン筆者からは以上です。

(平成30年1月26日 金曜日)

2017年12月31日

スタディサプリという自学テクノロジーサービスが凄すぎて刮目するレベル





おはようございます。

2017年12月の記事です。

今回の記事で、平成29年も最後となりますが、最後に超ド級のテクノロジーで学びが全く変わってしまうサービスに触れて蒙が開かれたのでその報告をしたいと思います。

今話題のスタディサプリというサービスのことです。

筆者は勉強するのが割と好きな方ですが、勉強するそのものより、効果的に学習する方法論を探すことについて相当のこだわりを持ってやってきました。

今回の、このスタディサプリというのは、学校はもとより学習塾や個別指導、家庭教師をも超えたものすごいサービスローンチだと思いまして紹介する次第です。

スタディサプリは、動画での授業を好きな時に好きなだけ受けて、教材もついでにダウンロードするなり印刷するなりして参照できる、このテクノロジー時代で可能となったWEB環境教育プラットフォームです。

リクルートグループの新規事業ですが、テクノロジーで学びを変える、という企業理念で爆進中です。

動画の講義ですが、例えば中学校1年生の国語の教科書(何種類かある)の何章何ページ、といった中間期末テストの対策をしたいということであれば、それに即応した動画講義を選んで聴くことができます。

そして、ここが筆者的に素晴らしいと思うのですが、講義スピードが最大2倍速まで早送りすることができるのです。

従いまして、ピンポイントで学びたい内容を、繰り返し再生されるために運営側で揃えた最高の講師陣で講義を届けることができるわけです。

同じように、例えば、福岡県の公立高校入試問題の国語の作文問題がなかなかうまくいかなくて、と思っている場合は、それに即応したピンポイントの作文問題講義を受けることができます。

これは驚きです。

47都道府県の主要入試科目である国語数学理科社会英語の全ての傾向ごとに講義が揃っています。

例えば、全国的にも問題レベルが高いと言われる熊本県ではそれに即した授業、全国的平均の問題レベルと言われる福岡県ではそれに即した傾向の授業、ということで厳選された講師陣が、一切の無駄を配した動画授業を作り上げています。

さらに、この動画授業を、1.5倍速ならびに2.0倍速で聞き続けることができるのです。

また、中1の国語の特定の、たとえば光村図書版の教科書を1ページから講義片手にやり直す、などということもできてしまいます。

教科書も、主要教科書は全て網羅していますから安心です。

国語なら光村図書ほか、数学なら啓林館ほかと豊富に取り揃えています。

これまで、特に国語の中間期末対策は、課題の文章が違えば全く対策にならないということが言われてきましたし、筆者もそう感じていました。

しかし、もうこれで悩むことはありません。

全国でも最高レベルの講師陣の講義が、いつでもどこでも倍速で、手持ちのスマホやタブレットやPCで聴けてしまうのです。

そして、利用料は全ての講座の聞き放題で、月額税抜き980円という安さです。

数万円払って塾にやったり、家庭教師にきてもらったり、はたまた保護者である自分の人件費をかけて教えていたことを考えると長足の進歩になりましょう。

社会人向けの講座も充実しています。

例えばTOEIC講座です。

850点オーバーを目指す得点アップ文法講座というものを聞いてみましたが、流石の内容で驚愕しました。

これは今後の教育を劇的に変えて行くことになるでしょう。

プロが授業をしていることがあらかじめ分かっているので安心して利用できます。

近くの塾や、そもそもこちらから変更することが非常に難しい学校の「良いのか悪いのかよくわからない」「当たり外れ大きすぎる」先生方のそれより、もう圧倒的に信頼感があります。

テクノロジーで学びが変わろうとしています。

明らかに、勉強ができない、のは「わからないところがわからない」からでるだけなのであり、随分前までわかっているところに戻って始めれば、ほぼ誰でも学ぶ喜びが味わえるわけです。

筆者も、勉強が分からなくてきついな、と思っているところでこれに出会えていたら本当に嬉しかったと思います。

だって、最高の教師の授業を聞き放題なのです。

例えば中学生に数学を教えていて、ルートの中の数字がマイナスになった場合は虚数を使うとか、接線のグラフは微分したらできるとかうっかり言ってしまって、その中学生にてっとり早く微分積分の概念を教えたいと思った時でも、該当する高校数学(高校2年生レベル)の初歩クラスの授業で微分のさわりの導関数や極限の考え方の講義を見せれば、それで食いついてくれます。

知識習得はそれを一番吸収したい時が最も効果が高いわけで、そうした機会を逃さないという面でもこれは素晴らしいです。

家にお金が少なくて塾に行けない子供だって、そもそも夜に通塾するなんて無理ご家庭も,遠くて民間教育事業が利用できない家庭だって、もはや何にも悩むことはありません。

不登校で授業受けるのもままならない学生さんや親御さんにとっては、このスタディサプリのような教育プラットフォームは、まさに福音のような存在になるのではないかと思うのです。

不登校だろうが、何らかのハンディキャップや障害があろうが、クラスのどのできる子よりもはるかに高みに達する、学年トップに躍り出ることも全く不可能ではない、そうしたチャンスを切り拓ける驚きのコンテンツだと思います。

筆者はこの「スタディサプリ」にもの凄い可能性を感じています。

普通の民間企業においては、業務改善は日々行われます。

でないと会社自体が潰れてしまうからです。

しかしながら、教育現場、特に公教育現場においては数えきれないほどの問題を抱えこんでいるわりには、変わって行くことが全くできていません。

そして、教育現場の中の大人たちの見ている世界は自分たちの仕事、言い換えれば利権を守ることだけに必死であり、新しいものを取り入れようなどとは本音では全く思っていない、と思うのであります。

膨大な機会費用と経費がかけられているリアルな教育現場をいい意味で刺激し脅かす存在になるこのテクノロジー、ぜひ一度触れてみてください。

2017年12月最後の記事は以上です。

(平成29年12月31日 日曜日)

2017年12月29日

2018年はつみたてNISA運用元年となり少額長期の資産形成が進むことになるでしょうという話






おはようございます。

2017年12月の記事です。

年末も押し迫ってきましたので、今回は2018年の新年から始まる新しい制度について説明しておこうと思います。

つみたてNISA(ニーサ)と呼ばれる投資優遇制度が始まります。

これは、年額40万円まで、期間最長20年にわたって投資信託に積み立てて投資してきた残高の売却益について、非課税になるという制度です。

つみたてNISA対象として金融庁に認定された投資信託等の金融商品への積み立て投資から得られる配当金・分配金や譲渡益が、期間20年にわたって非課税となるという非常に便益が高い制度になります。

普通の株式や投資信託の配当においても、20%の源泉調整課税が行われることから、この制度の優遇ぶりがわかると思います。

運用が終わってから譲渡したり売却したりした際にも、譲渡益に課税されることはありません。

一人一口座しか開設できませんが、つみたてNISAに限らず未成年でも開設可能なこうしたNISAの制度については、勉強されておいたほうが良いと思います。



筆者も口座設定やってみます



筆者も、一般のNISAは見送っておりましたが、2018年から新たに始まるつみたてNISAはやってみようと考えています。

既に証券会社に対して書類も請求しました。

年間40万円いっぱい枠をつかいきろうとするならば、専用のNISA口座で毎月3万円の投信買付けと、年に2回のボーナスがあるならば、その月にはプラス2万円積み立てれば、3万円×12ヶ月+2万円×2ヶ月で年間で40万円の枠いっぱいとなります。

実際にどんな投信を買い付けていくかということは、長期的資産育成に資するという観点で金融庁が認めた100本あまりの投信の中からということになりますので、とりあえず手数料が低く将来楽しみなものを選ぼうと思います。

そういうわけで、月額の飲み代についての再考の必要にも迫られておりますが、大きく儲けたらぱーっと使おうという気持ちだけは満々の筆者からは以上です。

(平成29年12月29日 金曜日)