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2018年5月10日

機動戦士ガンダムシリーズの背景をおさらいして昭和のクリエイターの大構想に触れようという話です

2018年5月5日公開





おはようございます。

2018年5月の壮大なアニメ、といいますか宇宙世紀の伝説、日本の誇るいわゆるガンダムシリーズというコンテンツのさわりだけに関する配信記事です。

筆者が小学生の頃にはすでに完成していた宇宙世紀の世界観について少し補足して話を始めますと、宇宙世紀は「世紀」とは称しますが、100年区切りのセンチュリーの世紀ではなくて、実際には「年」をカウントする「暦」「歴」のことであります。

例えば、ガンダムシリーズ第1作「機動戦士ガンダム」の舞台となる「宇宙世紀0079年」とは、宇宙世紀に入って79年目の年であることを意味します。


そして、その呼び方は、常にゼロを含む4桁で表記されることも決まっておりまして、読みも0001年は「トリプルオー・ワン」、0079年は「ダブルオー・セブンティナイン」、0123年は「オー・ワン・トゥエンティスリー」と英語読みするのがならわしです(ここ重要、テストに出ますよ!)。

宇宙世紀は、本来ならば宇宙暦とでも称するべきですが、そういうことで最初の設定を変更せずそのままきまして、略称も、西暦のA.D.や紀元前B.C.に習い、U.C.と表記されます。

これは、長い地球上の紛争を経てついに地球統一政府である地球連邦政府初代首相に就任したリカルド・マーセナスという人の演説によると、本当は「ユニバース・センチュリー」とするべきところ、「人類はひとつになれるという事実を普遍化し、協調し、一個の種として広大な宇宙と向き合う」という祈りを込めて、あえて普遍的世紀(ユニバーサル・センチュリー)と名付けたといいます。

「universal」には、宇宙に関するという意味合いもあるといえばありますので。

さて、そもそも西暦何年をもって宇宙世紀0001年とするのかは、公式には定められておりません。

ただ、人類のスペースコロニーへの移民が開始された年を0001年(元年)とすることだけは決まっています。

ですので、このSF(サイエンス・フィクション)に現実世界が追いつくことをもって、公式に西暦何年から宇宙世紀が始まるのかどうかは決まってくるということだと思います。

さていよいよガンダムシリーズの本論を…まず一年戦争の手前から…、と思いましたが、すでにだいぶ紙面を割いてしまっているので、次回以降に繰り延べたいと思います。

ただ一つだけ、宇宙世紀0079年の初頭から0080年の年頭にかけて行われた「一年戦争」とは、スペースコロニーと地球政府とは壮絶な戦争を行ったもので、人類はその総人口110億人のうち、実に半数の55億人を一週間で失ったという、恐ろしい動乱のはじまりです。

宇宙世紀元年以降、地球における人口爆発の根本的解決策として、宇宙への移民が進められ、そうして建設されたスペース・コロニーへの移民が地球連邦政府による事実上の強制によって強力に推進された、という背景があります。

そうして、一年戦争開戦前までの時点で人類の総数110億人のうち約半数がコロニーに移住するに至ります。

ここで、地球から最も遠いスペース・コロニーであるサイド3において、地球連邦政府の圧政を跳ね除けようという独立戦争という動きが起こるのです。

そしてガンダム観たことのない人でも観たことがあるであろう、放棄したスペースコロニー自体を地球に落下させ、数十億人の命を奪った「ブリティッシュ作戦」(通称コロニー落とし)の有名なシーンに続くのです。

この世紀の大虐殺、植民地(コロニー)を喪失したことで大英帝国が衰退した故事にちなみ、さらにその植民地(コロニー)を本国にぶつけるという意味で「ブリティッシュ作戦」と名付けたようですが、こんなこと現代で構想したならイギリス政府から公式ルートで抗議が届きそうなレベルです。

有名なガンダムやザクやグフ、ドムやズゴック、ゲルググといったMS(モビルスーツ)も、そもそもそうした宇宙戦争を勝ち抜く兵器として開発されたのです。

なんとここまで書いてもまだまだ物語の「背景」にしか過ぎないというところに、これを構想した日本の昭和なクリエイターたちの壮大な世界観、これが50年近く経過してもまだ広がっていることに、驚きを禁じ得ないわけであります。

いつも構想なきままに書き始めてしまうので、いつも尻切れとんぼな記事にしてします筆者からの雑文は以上です。

(平成30年5月10日 木曜日)

2017年10月13日

2020年度の大学入試英語改革がなんだか変な方向に進んでいるような話




おはようございます。

2017年10月の記事です。

先日、2020年度から大幅に変わると言われている大学入試改革の英語科目につきまして、英検準一級を取っていればだいたいOK的な話をさせていただきましたが、どうも雲行きが怪しくなってしまったので、お詫びと共に経過の報告をさせていただきます。

大学入試センター試験に代えて2020年度に始まる「大学入学共通テスト」の英語について、国立大学協会の理事会が開かれ、従来型のマークシート式と実用英語技能検定(英検)などの民間試験の「両方」を全国立大82校の受験生に課す方針を決めたとのことなのです。

これは、近く開催する同協会の総会に諮り正式決定されてしまうとの予定であり、この「決定」が他の私立大や公立大の入試にも影響を与えそうなのです。

ちなみにこの理事会、約20の国立大学法人の学長らが出席した模様ですが、文部科学省が2017年7月に公表した共通テストの実施方針としては、英語は2024年度から民間試験に全面移行するが、2023年度までは、あくまでも移行措置として大学側が共通テストのマークシート式か民間試験、またはその両方を選択できる仕組みとしておりました。

これはあくまで、いわゆる「浪人生」に対する配慮の面が強く、前年は「現役生」としてマークシート方式で受験した学生が、次の年にすべて英検取ってね、マークシート方式のテストはなくなったから、というのも酷であろうということから取られたあくまでも激変緩和措置という位置づけでした。

しかしながら、理事会では「大学ごとに英語のテスト形式が異なると、出願先の変更などが難しくなり、受験生が混乱する」といった「意見」が出たらしく、全国立大で足並みをそろえることにしたらしいのです。

しかし、これでは英検などの民間委託試験が単純に追加されただけで、受験生の負担増でしかありません。

こんな余計なことをするのであれば、マークシートのまま、このまま現行通り続けた方が良いわけです。

もともとの制度趣旨として、読む聞く話す書くの英語に限らず語学の4つの技能をバランスよく判定するためには、マークシート方式のテストでは限界があるということから生じたテスト方式の改革であったのに、これでは先祖返りどころかそれよりも悪いことになっています。

単純にまとめますと、

【当初の構想】英検か試験かどっちかだけやればいい → 4技能に優れた英検に一本化(納得)
【実際の運用】英検もやるけど、試験もちゃんとやれ → えっ(絶句)

という図式であり、誰のためにもならない(英検の試験機関だけが儲ける)のは明白です。

一体、国立大学の学長ともあろう見識と能力をお持ちであるはずの人たちが集まって、話し合って出てきた結論がこれだとは面白いものです。

これでは世界主要大学100番から日本の大学が消える日もそう遠くないな、そんな感じも致しました。

そんなリーディングオンリーの昭和英語学習者であった筆者からの感想意見は以上です。

(平成29年10月13日 金曜日)

2017年1月6日

表現の自主規制の変遷について(妖怪人間ベムはもう見れないのか?)




おはようございます。

2017年1月の記事です。

2017年新春の特別番組もひと段落し、いよいよ通常運転の2017年の始動というところでしょうか。

さて、そんな新春番組を見ながら考えたのですが、小学校の頃大人気だった週刊少年ジャンプ600万部発行世代の筆者としまして、最近の映画やアニメやいわゆるコンテンツの自主規制というか表現の自由といいますか、視聴者に受け入れられる程度が劇的に変わってきたことを感じましたので述べさせていただきたいと思います。

筆者が小学生の時に読んでいた週刊漫画雑誌の代表格と言える「週刊少年ジャンプ」におけるキラーコンテンツは、名作「ドラゴンボール」を筆頭とした錚々たる面々でした。

「北斗の拳」「魁!!男塾」や「ジョジョの奇妙な冒険」といった、ありとあらゆるヒーローたちの独壇場だったのです。

しかし、そんな少年少女の心を鷲掴みにした、例えばドラゴンボールの第1巻を改めて手に取って見ますと、いきなりノーパンのブルマ(主人公の悟空のお守り役のお姉さんの名前です)を見て鼻血を垂らす武天老師(かめはめ派を編み出したその時点では無敵のお師匠さん)、といった塩梅です。

これは、今の少年誌ならばNGではないでしょうか。

また、毎週のように数人(または数十人単位で)殺戮を繰り返す「北斗の拳」など論外でしょう。

筆者の昔のうっすらとした記憶ですが、この漫画のアニメ版が、ヨーロッパのある国(たしかフランスと記憶しております)で放映されたところ、あまりにも批判・非難の声が多すぎて、放映中止に追い込まれたという話もあるようです。

確かに、いかに悪者とはいえ、少々殺しすぎではあると思うのですが、あの時代(本記事執筆よりおよそ35年ほど前)の少年たちは、嬉々として「お前はもう死んでいる」といいながら経絡秘孔(けいらくひこう)を突き合っていたのです。

心臓が右についている、と言えば聖帝サウザーが即座に出てくる、そんな時代だったのです。

絶対に、北斗七星はケンシロウの胸についていなければならなかったのです。

そのほか、さらに時代がさかのぼりますが、「妖怪人間ベム」これはもうネーミングからしてNGのような感じです。

三つ指の不完全擬態の妖怪人間ベム、ベラ、ベロ。

妖怪人間の目標は、「早くにんげんになりたい」とアニメ主題歌に歌われます。

もはや21世紀の小学校では、その存在すら口に出せそうにありません。

筆者が小学校の自分に校内で行われたのど自慢大会において、筆者は細川たかしの「北酒場」を歌いましたが、筆者の弟は友達5人で水中眼鏡と被って「妖怪人間ベム」の歌を燃焼して踊り、見事特別賞に輝きました。

児童も生徒も教師も校長も、保護者も教育委員会ですら、みんなそんな歌唱を、仮装を微笑ましく見ていたのです。

時代は変わったと本当に思います。

そのほか、飛ぶシーンでは必ず下着が見えてしまい、父親が絵描きでバイトはヌードモデルで超能力者である「エスパー魔美」とかも、普通に月曜19時のゴールデンタイムでアニメでやっていたのですが、これももはやお茶の間には流せない類のものになってしまっているのでしょう。

ドラえもん、の主要女性キャラクターであるしずかちゃんは、さまざまな時代の要請を受けてスポーツもできる活発な女性の側面も付与されてきましたが、最初はいつものび太にお風呂シーンを覗かれるだけだったのです。

日本のコンテンツに限りません。

映画界の名作とあることは疑いない、「スタンド・バイ・ミー」という映画があります。

CGのドラえもんの「スタンドバイミードラえもん」ではありませんよ。

このドラえもん版は、オリジナルの「スタンド・バイ・ミー」を当然にオマージュしてつけた邦題だとわかるのは、実は本稿執筆時点(2017年)において35歳以上の人だけではないのでしょうか。

そのオリジナル「スタンド・バイ・ミー」のあらすじを一行で述べるとこうです。

線路に轢かれて死んだ少年の死体を見にいく12歳の少年4人組の旅。

冒頭、よくある少年たちの秘密基地で12歳の少年たちは、タバコをふかしながらカードゲーム(おそらくポーカー)に興じています。

おそらく金も賭けていたでしょう。

これでは、のっけから現代の地上波放送は難しいと言わざるを得ません。

最近発表された「風立ちぬ」という宮崎駿監督の最後の作品と言われるアニメーションにおいても、登場人物(当然大人)の喫煙シーンが多すぎると批判されているくらいです。

30年も経てば世の中変わります。

その中を、1年生から100年生くらいまでが平気で同じ時間を生きているというのが改めて不思議な感じがいたしました。

つまり、同じものを見ても、感じることは全く違うということなのです。

新春、業務に疲れてうつ病になり自殺した社員の責任を取って、その会社のトップ(社長)が辞める、といったことがありました。

これだけ、時代が変わったのです。

残業月間80時間の社員がいる会社は公表されるという、その一方で、深夜23時を回っても、近所のコンビニにたむろす学習塾や予備校帰りの中高生が制服着てたむろしている、というよくわからないバランスの社会に生きている気も少しだけいたします。

昭和は遠くになりにけり。

平成も29年目になりました。

皇紀で言えば2677年です。

そんなことを考えます新春ですが、今年も本ブログをご贔屓に、よろしくお願いいたします。

昭和49年生まれ寅年、今年は本気出したい筆者からは以上です。

(平成29年1月6日 金曜日)

2016年12月25日

2016年クリスマスの奇跡(iPhoneが電話着信音だけ鳴るリアル文鎮に)

早いもので、2016年12月のクリスマスになりました。

クリスマスには奇跡が起こるといわれますが、リア充ひしめく福岡天神の街のど真ん中で、筆者にも奇跡が起こりました。

筆者の電話が鳴ったのです。

筆者の電話が鳴ることは珍しいです。

マナーモードにしているから…ではなく、友達が少ないからであることもありますが、そもそもほとんどの連絡手段をフェイスブックのメッセージやライン(LINE)で済ませてしまうので、電話で話すという必要がほとんどなくなってきているのです。

さて久しぶりの電話なので取って話そうとしたのですが、私のiPhoneの画面が真っ黒なままなのです。

そのうち、音は鳴らなくなってしまいました。

しかし、画面ロックにしては真っ黒すぎるその画面をみながら、ホームボタンを押したり引いたり(引くことはできませんね)しても、うんともすんとも言いません。

勢い余って電源を「切って」しまいました。

電源を切っても、すでに切っていたような状態であり、今電源が入っているのか落ちているのかわかりません。

何度か電源ボタンをいじってしまってから、ようやくそのことに気づきました。

そこで、携帯している充電器を使ってライトニングケーブルを差し込んでみました。

すると、幸い、「フォン」という電源がはいりましたよ〜という「音」を真っ黒い画面のこの文鎮躯体は発したのです。

嬉しくなりました。

しかし、こちらから彼(彼女かもしれませんが、手で触りまくっているためなんとなく遠慮しました)に音を発するよう「命ずる」ことはそれ以外できません。

彼には、電話が着信した時の「音」と、電源を差し込んだ時の「音」しか発することができず、しかも、電話は誰からかかって来たのかこのままでは永久にわからないのです。

そもそも、筆者の使っているiPhoneは、すでに何世代か前になっている iPhone5cです。

そのまま、福岡天神にありますアップルストアに持ち込んで下取りできるか聞いてみますと、画面が作動しない状態では下取り不可、単なる0円引き取りとのことでした。

全く、自社製品なのに、古いバージョンに対するこの仕打ち、冷たさはありません。

例えていうなら、糟糠の妻をポイ捨てするくらいの所業ではないでしょうか。

そうですかそうですか。

そんなにiPhone7だのの新製品に乗り換えさせたいのですか。

などと考えながらアップルストアを出て、近くにある携帯下取りショップへ向かいます。

そして、仮の、別の画面をつけてもらい(移植手術のようなものです)、なんとか起動を確認することができ、端末の全ての情報を初期化し、下取りしてもらうことができました。

こうして、現在、筆者はスマホ携帯にかけても繋がらない人になっています。

SIMは下取りの時に外してしまい、そのままこちらで保管しています。

ということで、お急ぎの際は恐縮ながらフェイスブックのメッセージやツィッターでご連絡いただけますと幸いです。

しばらく、携帯から離れてみまして、いずれ保管しているナノSIMが設定できるSIMフリーかdocomoのスマホを手に入れようかと考えております。

もしかしたら、昨日までの筆者よりもう少し自由な人生が待っているのかもしれません。

これこそ、クリスマスの奇跡と思えば自らの力では断捨離できなかった古いスマホを新しいものに脱皮させようと思うきっかけになるのではないかと思ったのです。

もうしばらく、電話のかかってこない静謐なクリスマスを楽しもうと考えております。

みなさんには今年のクリスマス、どんな奇跡が起こったでしょうか。

みなさんのこれからの人生に祝福あらんことをお祈りしまして、今年のクリスマス報告といたします。

リア充ひしめく福岡天神の真ん中で愛を叫ぶのではなくて、生きるということに命を賭けてみたいと歌った昭和世代の筆者からは以上です。

(平成28年12月25日 日曜日)

申年も、そろそろ去っていきます

2016年12月11日

全国にある護国神社において行われるみたままつりについて書いておきます

御朱印帳



おはようございます。

2016年12月の記事です。

日米開戦の1941年12月8日より、2016年で75年になりますが、このたび日本の安倍首相がアメリカハワイの真珠湾に向かうということが発表されました。

冬に開戦し、夏に終わった太平洋戦争です。

さて、会社では休みにならない向きも増えたように思いますが、依然として日本ではお盆の帰省は夏の風物詩です。

そして筆者の近所にあります護国神社でも、毎年お盆には「みたままつり」が行われています。

護国神社とは、原則「道府県」に1つ以上設置されています。

一つ、別格なのが東京都にある靖国神社ですが、国事殉難者・戦没者の霊を祀るために招魂場を設けて招魂祭を営んでいたことを源流とする点では一緒です。

そして各道府県の護国神社は、細かい違いはありますが、一般にはその道府県出身ないし縁故の戦死者、自衛官・警察官・消防士等の公務殉職者を主祭神とするということになります。

以前、近くの護国神社に年始のお参りをしていましたら、後ろの子どもたちが、護国神社ってどんな神様を祀っているのと聞いているのが耳に入りました。

このようなことは、日本人の常識として押さえておきたいのであえて書かせていただきます。

たとえば、筆者の近所にあります福岡縣護国神社でいえば、福岡県内出身・縁故者で明治維新から大東亜戦争に至るまでの約13万柱のご英霊をお祀(まつ)りしていますとあります。

明治維新という新しい国作りで巻き起こった各種の内乱(戊辰戦争ほか)から大東亜戦争(こちらが日本政府が国として決定した正式名称です。あくまで太平洋戦争はいわゆる通称です)までに殉じたご先祖自体が神さまということになります。

筆者のご先祖様も、母方の祖父は直接従軍し、そして母方の祖母は弟二人をそれぞれ陸軍のビルマ、海軍の坊ノ岬沖(大和特攻作戦)で亡くしたということですから、護国神社に祀られている神様というわけです。

上の弟は21歳、下の弟は19歳ということで、えらく若い神様ということになりますが、とにかく神様です。

いずれも従軍、ちなみに戦死時の年齢19歳~22歳というのは戦争末期には普通のことだったようです。

みたままつりは毎年8月13日から16日まで行われています。

そういうことをきちんと知らせておくことは重要だと改めて思ったこれから墓参りの筆者からは以上です。

(平成28年12月11日 土曜日)

2016年10月21日

新入社員の皆さんへ社会人として備えておくべき徳目を伝えたいと思います。

こんにちはブログ「ライフワーク」管理人やってます筆者です。

だいぶ涼しくなって来ました。

さて震災から5年半が過ぎ、秋の音色も深まってまいりました。

10月は日本の新年度ではなく、まだまだ新入社員というと4月が恒例ですが、欧米諸国では新学期ということで、秋入社として新人が入ってくる会社もめずらしくなくなってきました。

そのような折、日本最大級の広告会社の新人社員が命を絶つという事案が労災と認定されたというニュースも流れてきました。

いわゆる最高学府を卒業して入ってきた彼女の仕事内容がいったいどれほどの実態であったのか、筆者は知る由もありません。

しかしながら、旧社員である我々は年を取っている分、新人もしくはそれに近い若い社会人のみなさんに何らか伝えておくべきことがあるのかもしれないと思ったのです。

私も初心に返って、私がもし今、新入社員だった自分に贈るならばどんなことだろうかと考えてみました。

私は幸いにも同じようなことをたくさん教えていただけるよき先輩に恵まれましたので、その先輩方の恩に報いることになるかもしれません。

まあ劇画演説調にいけばこのような感じになりましょうか。

「さて皆さん。学生時代、君達が持っていた人間関係は、ほとんど同格同列のものだったはずであります」

「1回生から4回生、大学院生や留年組も含めても、所詮は数年スパンの、つまりは『横の』『お友達の』人間関係です」

「体育会でもサークルでもゼミでも、これは変わらないと思います」

「しかし、これからの実社会での人間関係は違います」

「『上下』関係が入ってくるのです」

「いやむしろほとんどが、斜め上を含む上下関係といっていいかもしれないです」

「1年生の新入社員から、社長のその上の会長相談役特別顧問まで連綿と続きます」

「ざっと1年生から50年生くらいまでが平気でいる不思議な社会なのです」

「ここで大事なことは、上の者は配下をどう掌握できるか、下の者は上司に如何に認められるか、それが大人の『働く』実際の、リアルな社会のありようだと思います」

「新人としてこれを認識できなければ、上司といえばただムカつく奴だと思うだけでドロップアウトしていくしかないです」

「もしくは、こちらのほうが圧倒的に多いが、組織の中に埋没し、無気力にマニュアル通りこなすだけの、管理はできるが勝負はできない所詮二流の人材となってしまいます」

「そうであってはならないし、そうならないためにはどうすべきでしょうか」

「そこで、将来君達が会社や組織をしょって立つ時までに備えておくべき徳目を教えておこうと思います」

「それはたった二つです」

「ひとつ、率直であるということ」

「もうひとつ、気前がいいということです」

「まず、『率直である』、ということは正直である、と置き換えて良いです」

「正直に思うところを述べる、物事は本質を率直に語る。回りくどく煙に巻いたりしません」

「素直に、丁寧に自分も相手も大切にします」

「相手の感情や立場を慮って行動します」

「自分の身を固めて防御せず、オープンな態度を貫きます」

「できるだけ開かれたコミュニケーションを対等に取るといった姿勢です」

「次に『気前がいい』、ということについて述べます」

「もちろん、例えばおごるときなどに金を出し惜しむなということももちろん含まれます」

「しかし、『気前がいい』というのは、とりわけ、後輩や部下に対して、自己を盾にして守ってやるという敢闘精神を持つということだと思います」

「下の成果を横取りしない、手柄は部下につける、責任や失敗の責はこちらで負う、というようなことなのです」

「つまり、この二つを自分の感情と同等に相手の感情も人間として大切にすべき、ということであります」

「その結果、上下関係を示す肩書とはあくまでも対等な人間同士の率直な話し合いの結果、本当にどちらが良いかわからない時、最後に要するに命令系統をはっきりさせる記号に過ぎないということがわかるでしょう」

「それを踏まえ、皆さんの社会人としての良きスタートに期待するものです」

・・・いかがでしたでしょうか。

なかなか我ながら気が引き締まりました。

20年目の新人の筆者からは以上です。

(平成28年10月21日 金曜日)


2016年9月4日

「こちら葛飾区亀有公園前派出所(通称こち亀)」40年連載200巻で終了




おはようございます。

2016年9月の記念すべき長寿漫画に関する記事です。

「こちら葛飾区亀有公園前派出所」という長寿漫画が、ついに記念の200巻目をもってフィナーレを迎えることになりました。

作者の秋本治(あきもとおさむ)氏は、1976年にこの漫画の連載を週刊少年ジャンプに始めてから、なんと一本もネームを落としたことがないという伝説的な人です。

この領域には、同じく週刊少年ジャンプで連載を開始し、今(2016年9月時点)でも連載シリーズが続いている「ジョジョの奇妙な冒険」の作者荒木飛呂彦氏くらいしかおられませんが、とにかく激務と極限までのプレッシャーを要求される漫画週刊誌において、40年もの長きの間、根強い支持を得て連載を続けてきたことは驚嘆の一言です。

淡々と努力する、そして非凡に至るという鏡のような方々です。

1976年より節目の40年、思えば主人公の両津勘吉巡査長はあらゆる日常の一コマに登場し、そして神様やロボット、美女に下町に少年時代とありとあらゆる場面で大活躍してきました。



筆者の人生にまさに重なるこち亀



筆者も、この漫画とほぼ時を同じくして生きて過ごしてきましたので、4年に1度オリンピックの時に登場する日暮巡査といったレアキャラや、いつもの定番キャラなど、実に多彩な漫画の世界を見せてくれました。

一つの時代が終わったと感じた瞬間でした。

1976年と言いますと昭和52年、そこから昭和63年まで12年、そして平成はなんと28年間も続けて足かけ40年を旅した壮大な旅となります。

ページ数にすると実に3万ページ強。

連載途中に、本物のほうの「派出所」の呼称が警察庁によって廃止されて「交番」が正式名称となってからも同じ「派出所」のタイトルで連載が続きました。

こんな漫画は今後出ないかもしれません。

最終話に期待しましょう。

実は親が警察官だったという漫画ばっかり読んでいる筆者からは以上です。

(平成28年9月4日 日曜日)

2016年8月8日

「ぼうけんのしょ」を持って旅に出てみたその結果のお話(その2:終)

ルイーダの酒場


さておはようございます。

2016年8月の記事です。

ぼうけんの書のつづきです。

ドラゴンクエスト・スペクタクルツアーに3人のパーティーで参加した話の続きをします。

ドラクエ30周年にちなんで総制作費30億円という巨費と愛が詰まった催しです。

どんなパーティーたちが参加しているのでしょうか。

会場に入ると、耳慣れたコンピュータサウンドが聞こえてきます。

これだけで、これは初代ファミコンの音の再現だと一気に気持ちが高まります。

会場外で唯一撮影可能なブースの前に並んでいる人も多く、さまざまなジャンルの方々が楽しみに待っておりました。

自分たちも、「パーティー揃って」撮ってもらいたいので、次に取る順番の人を振り返ってデジカメやスマホを手渡し、撮ったら自分たちが後ろの人に撮ってもらうという順繰りなルールが出来上がっておりました。

後ろに並んだお母さんと娘さんに、ドラクエ好きなんですかと尋ねますと、一緒にきているお父さんとお兄ちゃんが大好きだとのことです。

ああここにも自分の趣味を家族中に押し付けた勇者がいたのだな、と少し感慨深くなりましたが、我々は家族すら押し切ってのパーティー組成です。

気合の入りようがわかろうものです。

さあいよいよ冒険の始まりです。

プログラムの構成上、撮影は禁止ですので、内容に踏み込んだことを記すことは致しませんが、とにかく作り手の愛が溢れた構成で映像といい役者といい演出といい最高でものすごく感動しました。

教会でセーブ


終わって当然なにも食べていませんでしたのでそのままルイーダの酒場よろしく飲み屋に直行、大いに語り合い宿屋に戻ったのは未明になってからでした。

宿屋の直前に教会でセーブしました筆者からは以上です。

(平成28年8月8日 月曜日)


2016年7月27日

ポケモンGOという任天堂コンテンツが巻き起こした全国的な社会現象

違いがわかりません…


おはようございます。

2016年7月の記事です。

昨今、日本全国でポケモンGOが席巻しています。

久しぶりの全国的フィーバーです。

これは筆者が小学校の時に体験した初代・二代目ドラゴンクエストのリリースの時に匹敵する社会現象ではないでしょうか。

しかも、今回は親世代もフィーバーしています。

私と年の頃が同じようないい年したおじさんが、「よっしゃピカチュウゲット!」みたいなことを堂々と街中でできる世の中になったわけです。

日本のアニメやゲームが数十年かけて市民権を得て世界に雄飛したことを改めて感じたようで灌漑深いものです。



花札会社と呼ばれた任天堂という会社



任天堂というメーカーは、花札などの遊具を作っていた京都のメーカーでした。

この会社が、ファミリーコンピュータ(ターと伸ばさない)という世界を変える家庭用ゲーム機をリリースしてからゲーム市場は本格的に始まり、そして現在はスマホやソーシャルゲーム全盛の時代となりました。

ドンキーコングやバルーンファイト、そしてツインビーなどをやり込んできた昭和世代の者からすれば隔世の感がいたします。

しかし、ゲームの世界も、RPGで物凄い謎解きにはまる難しいものから、結局ポケモンGO(ゲーム運営は別会社ですが登場するキャラクターはあくまで任天堂商標のものという意味で)的な親子で楽しめる簡単なルールのものに収斂してきているような気がいたします。

約30年以上かけて、結局体験型の、親子で楽しめるファミリータイプのゲームが世界中で流行るというのは不思議な気もいたします。

ポケモンGOというゲームは基本的には「ひたすら歩く」「ポケモンを捕まえる」のみです。

人間の速さで移動することがカギのようで、電車や車での移動はあまり得策ではないようです。

せいぜい自転車で走り回るくらいなのでしょうが、それならば歩いたほうが安全だし結局早いようです。

歩いて「ポケストップ」「ジム」「ポケモン」といった場所やキャラクターを探してキャラクターを集めるというゲームです。

ゲーム上の地図ではなく、リアルな場所とリンクしているのがこんなに面白い、人を熱中させるものだとは思いませんでした。

さて、本当に書きたいことは別にあるのですが、前段で長くなりすぎたようですので、続きは次回とさせていただきます。

早朝ポケモンハンターの筆者からは以上です。

(注) 読者のご指摘あり、ポケモンGOは任天堂ではなく、Nianticというアメリカの会社が運営しており、あくまでも登場するキャラクターが任天堂商標であるということがわかるように記事を修正致しました。

(平成28年7月27日 水曜日)

2016年5月31日

不都合な真実を直視するということが進歩に不可欠なふるまいという話




おはようございます。

アカウント名はビルメン王(shinya_ueda)です。

2016年5月最後の記事をお送りいたします。

2016年5月のオバマ大統領の広島訪問は、核廃絶の世界的流れを作ろうというものですが、そもそも日米はなぜ開戦したのかということを改めて考えますとなかなか厳しく考えさせられるものです。

すでに亡くなりましたが、当時を生きてその戦争に出征した私の母方の祖父も、何となく突然開戦してしまった、というようなことを申しておりました。

あの戦争がなぜ起きたのか、果たして防げたのか否か、様々な研究がなされていますが統一した見解は未だ得られず歴史家の検証もさまざまです。

そんなところで一つ、ぜひ知っておいて欲しいのは、旧日本軍が日米開戦の結果を完璧に予想していたという驚きの事実です。

開戦前夜、昭和16年に政府の命で立ち上げられた総力戦研究所という研究機関がありました。

ここで、各分野(軍事外交内政)の実務を担う中堅幹部や若手を集め、模擬的に内閣を構成し、日米開戦に突入した場合、どのような結末を迎えるかというシミュレーションでした。

国家運営において、このようなシミュレーションは、人工知能が開発されるずいぶん前でも、よく行われていたのです。


驚くべき不都合な結果に



結果は、驚くべきものでした。

「日本の乾坤一擲の奇襲作戦は成功し、緒戦の勝利は見込まれるが、じき長期戦となり物資不足が決定的となったところでソ連の対日参戦を招き必敗」

という、不都合な真実が突きつけられたのです。

この「結果」は、当時の近衛内閣にも報告され、陸軍大臣であった次の首相となる東条英機にも伝えられたということですが、これが採用されたという形跡はありません。

不都合な真実は葬り去られたのです。

ここで刮目すべきは、結末を見通している人たちがいて彼らによる不都合な真実が明らかに示されているにも関わらず(本報告は政府の命で行われたもの)、それらは「不都合」ゆえにうやむやにされてしまい、なんだかよくわからない「支配的な空気」に押し流されて悪い方向に流れていくという空気です。

開戦前夜と、現在の我々と、意思決定のシステムはそんなに変わっていないと思います。

ですのでこの点は未だ克服されてない解決すべき課題であると考えております。

小さいことからですが、とりあえず空気読まないでいきたい筆者からは以上です。

(平成28年5月31日 火曜日)


2015年8月13日

「質より量」才能ある人のすさまじい努力を定量的に見てみようという話



おはようございます。

2015年8月の記事です。

漫画の話です。

手塚治虫が書いたのが10万ページ。

石ノ森章太郎が書いたのが13万ページ。

「こち亀」160巻まででだいたい3万ページ。

ということらしいです。



すごい才能の物凄い創作量



もともとものすごい才能がある人が、これだけの「量」を叩き出すわけです。

「質」とか言ってられません。

物凄い「量」です。

才能のある人の努力は凄まじいです。

両人とも、太く短い人生だったが、後悔はないと思われます。

太く短い飲み会人生を送っております筆者ですが以上です。

(平成27年8月13日 最終更新:平成28年8月13日 土曜日)

2015年7月27日

シティグループ個人事業の日本撤退というニュース(2015年)

40歳の意欲


本稿の執筆は2015年7月です。

米金融大手シティグループの日本における個人事業を他に譲渡し、事実上日本から撤退する意向を表明し、実際の譲渡が平成27年11月にもなされることになりました。

個人向け銀行業を営む日本法人シティバンク銀行は、国内大手の三井住友銀行グループのSMBC信託銀行へ全部が事業譲渡され、「ダイナース」ブランドのクレジットカード事業を展開するシティカードジャパンは、そのすべてを三井住友信託銀行が取得するということです。

念のため申し上げますと、三井住友銀行と三井住友信託銀行は同じグループではありません。

それぞれ、都市銀行同士、大手信託銀行同士が合併して誕生した金融グループですが、同じ系列ではありません。

ですので三井住友銀行というメガバンクのグループ子会社に、SMBC(Sumitomo Mitsui Banking Corporation)の名を冠した別の信託銀行があるというわけです。



シティバンク銀行が日本からなくなる



シティバンク銀行のサービスの中で特筆すべきは、何といっても世界約200の国と地域で保有する口座から現地通貨を引き出せる現金自動預払機(ATM)サービスです。

シティバンク銀行の日本円預金口座を持っていると、現地通貨で、その時のレートで交換した現地通貨がATMで手に入れられるわけです。

これは便利なサービスです。

今後、日本のメガバンクの傘下になるSMBC信託銀行において、こうしたサービスがどのように継続されていくのか見ていきたいと思います。

日本の銀行業界には少しだけ詳しい筆者からは以上です。

(平成27年7月27日 火曜日 最終更新:平成28年7月27日 水曜日)

2015年7月18日

ありがとう体育館という小学校の古い体育館とのお別れをするという会






おはようございます。

2015年7月のある地方の小学校でのとてもいい話をいたします。

近くの地元の小学校は、今年で90周年です。

その節目の記念事業として、45年間小学生の運動や行事を支えてくれた体育館を建て替えることになりました。

この体育館は、プールも図書室も技術図工室も倉庫も併設している、いわゆるオールインワン型の施設でしたが、夏休みに入る本日を節目に供用を終了し、明日から1年強にもわたる取り壊しての建て替え作業が始まります。

体育館という建物に、まるで人格を与えるように接するのは我々日本人の特性なのかもしれません。









前の日までに体育館を綺麗に拭き掃除して、そして壁や窓に児童や職員保護者の気持ちを書きました。

横には工事作業者用の工事現場建屋も建設されている中、いよいよ本日を持って慣れ親しんだ体育館ともお別れです。

45年間ありがとう、のビデオメッセージを各教室で見て体育館に入る前に既に筆者は泣いています。

最後の全校集会、全児童と教職員やPTA関係者、見に来た保護者達も混じって、各学年代表の体育館への挨拶や思い出の発表、そして子供たちのくす玉割り、そして全員起立しての六年生伴奏による万感迫る校歌斉唱でした。

六年生に限らず、泣いています。

筆者もまた泣きました。

親子でこの小学校という方々もいます。

体育館卒業おめでとう。

ありがとうございました。

新しい体育館は約2年後の竣工となります。

(平成27年7月18日 土曜日 最終更新:平成28年7月18日 月曜日)

2015年7月15日

初心を忘れないことを社会人初めてのあの集合研修課題にて新たにする


研修会館




おはようございます。

2015年7月の研修に関する記事をお届けします。

もう20年も前になりますか、学校を卒業して初めて新人として入った会社の新人研修合宿のクライマックス、忘れもしない「フライングコーポレーション」という模擬プロジェクトがありました。

完成形のフライングマシーンを見ることができるのは1人、それを伝えるのが1人、設計図を書けるのが1人、部品を調達することができるのが1人、組み立てることができるのは1人…という具合に、各人の持ち場をこなしリーダーの采配のもと相互コミュニケーションをとりながら、決められた時間(納期)までに決められた仕様のフライングカーを決められた数量納入できるかという模擬演習です。




我がチームは惨敗したのを何年経っても覚えています





忘れもしない、わがチーム、名付けて「スカイウォーク1 (空のさんぽ)」は惨敗しました。

チームリーダーの敗戦の弁を非常にすがすがしく聞きました。

メンバーとはその後、隣の部署になったり遠く分かれたりしましたが、うち一人とは日常的に話す仲が続いており、残る2人とも年賀状のやり取り程度ですが音信があり、他のメンバーも元気にやっていることを人づでに聞いたりすることがたまにあるという状況です。

20年経っても意外に鮮明にその場面を思い出せるというのは凄いことだと思いますが、それだけ印象深かったのではないかと思います。

初心忘るべからずとは能の創始者世阿弥の言葉ですが、人間いつになっても、初心でことに当たれば、その苦い結果も含めて後々まで味わうことができるというものなのかもしれません。

日々新鮮に過ごしたいものです。

ドラマの多かった研修会館の舞台からは以上です。

(平成27年7月15日 水曜日 最終更新:平成28年7月15日 金曜日)

2015年7月7日

昭和の頃のデジタルカメラたちが生まれる前のお話をしたいと思います

モニターも画期的でした




おはようございます。

2015年7月のデジタルカメラに関する配信記事です。

昭和生まれの筆者にはお馴染みのフィルム銀塩カメラをもうほとんど見なくなりましたので、忘れないうちにデジタルカメラがどのように生まれたのか書いておこうと思います。

平成生まれの人にとって見れば、カメラとはデジタルカメラしかないと思われるでしょうが、そもそもカメラの原理は約200年ほど前、銀塩フィルムに光を当てて焼き付けるという技術により発明されたものです。

以来カメラといえばフィルムカメラという時代が長く続きました。

このアナログな光の情報をデジタル信号に変えてモニタに映し出す、これが当時夢と言われた技術デジタルカメラの原理です。

世はバブル経済まっただ中、カシオ計算機が中心となり数社が開発して売り出した初のデジタルカメラは、テレビモニタに静止画を映し出すという画期的なものでしたが、同時期にソニーが売り出した8ミリビデオカメラに瞬く間に淘汰され、まったく売れない代物となってしまいました。

不良在庫を抱えた各社の研究者は、屈辱の量販店での投げ売りに向かいます。

そして、デジタルカメラ開発部隊は各社で冷遇され、雌伏の時を過ごすのです。




そして10年後です





名誉挽回の機会は10年が経過しようとした頃やってきます。

当時流行っていたポケットテレビにカメラ機能を搭載するという奇抜な商品開発アイデアでした。

そしてテレビモニタに代わって台頭しつつあったパソコンへの写真データ転送端子をつけ、開発を進め、ウィンドウズ95という画期的なOSの発売とパソコンブームに商機を合わせて、一気に勝負をかけたのです。

曰く、「テレビ機能は捨てて、カメラ一本でいきましょう」

最初からそのつもりだったな、と言った社長にゴーサインを貰い、10年前の復活戦をかけました。

パソコンと接続するという最初の周辺機器という地位を勝ち取ったデジタルカメラは、瞬く前にヒット商品となり、ここにカシオ計算機を中心とした各社のデジタルカメラ開発屋たちは本懐を遂げたのです。

デジタルカメラは世界シェア過半を制し、日本のモノづくりを象徴する製品となりました。

成功するまで開発する、仕事をするならこれくらいこだわってみたいものです。

今日のこだわったお話は以上です。

(平成27年7月7日 火曜日 最終更新:平成28年7月7日)

2015年6月10日

決断する習慣をつけることがよく生きる上で非常に大切だという話です

何を切る?




おはようございます。

2015年6月の決断に関する配信記事です。

生きていくとは小さな決断の連続です。

昔学生時代にボート部(端艇部と当時は言いました)に所属していましたが、走ったり柔軟体操をしたりウエイトトレーニングをしたり、様々なトレーニングをしましたが、船を漕いで速く走らせるために一番大切なのは、やはり船に乗って漕ぎこむことだと思いました。

同じように野球がうまくなりたければ(陸トレも大切ですが)野球をやるべきだし、サッカーがうまくなりたければやはりサッカーボールを操るのが一番大切ということです。

その時もっとも目的に合致した行動(この場合は練習メニュー)をとれるかどうか、これは決断の力です。

同じ期間をある部活動やクラブに所属していたとしても、日々決断してきた結果が、現在のあなたの選手としての能力となります。

決断力とは、情報を集め環境を理解し、決定を下すための力であり、これは勝手に進んでいくのではありません。

自ら「決める」力なのです。何かをやらない、ということも積極的に「決める」のです。

時間は有限ですから、すべてを実施し尽くすことはできません。

やることも、やらないことも、前向きに決めなければなりません。




自らの決断によって人生はわりと簡単に変わる





決断により運命が左右されます。

真珠湾攻撃で、第一次攻撃(第一波、第二派)に続いてもし第二次攻撃(第三派)を行い、米軍石油タンクと造船ドックを破壊し、米空母まで撃沈していれば日本に圧倒的に有利になったのではないかと言われますが、そもそもそれまでの外交努力の帰結として長躯遠征しての飛行部隊による攻撃というリスクの高い奇策を取らざるを得ないところに追い込まれてしまった日本が積み上げてきた国策の誤りだったとも取れます。

敢えて言うならば、いくら陸海軍を増強しようが国威を発揚しようが、とにかく米国との戦争はしてはいけなかったのです。

良いと思ったことは、素早く決断して具体的な行動に移しましょう。

良くないと思ったことは、同じく素早く決断して具体的に流れないようにしましょう。

成功しない人は、良いことを後に延ばす「決断」をしているともいえます。

良いことを決断する習慣をつけたいものです。

昨日は惰性で飲んでしまったので、今日は積極的にコミュニケーションするために飲もうとやっぱり今決断した筆者からは以上です。

(平成27年6月10日 水曜日 最終更新:平成28年6月10日 金曜日)

2015年5月29日

RPG「ドラゴンクエスト」シリーズの男女主人公に見るジェンダー論

スライムとメタルスライム






おはようございます。

2015年5月のロールプレイングゲームに関する配信記事をお送りします。

ジェンダーとは主として人間の性別に基づいて社会的に「一般に」要求される役割といった「社会的性差」をさす言葉です。

生物学的な性差ではなく、社会的なもので、時代や地域または文化によって様々異なるものです。

筆者が好きなRPG(ロールプレイングゲーム)のはしりであるドラゴンクエスト(Ⅰ、1986(昭和61)年)、に始まるシリーズにおいて、初版の勇者は男のみでした。

伝説の勇者ロト(性別不明)の子孫として、さらわれたローラ姫を途中で助けて悪い竜を倒すという定番ストーリー上、主人公を女にしてさらわれた王子を助けるという筋立てにすることはできなかったのです。

まだまだゲームは男のやるもの、でした。

第二版(Ⅱ、1987(昭和62)年)において、主人公を3人で構成するパーティーというシステムになりましたが、ここでも、主人公は王子2人と王女1人という構成でした。

そして、王女は最後にパーティー入りしますが、最初は犬に変えられた悲劇の姫として登場しますので、ローラ姫的要素も多分に含まれたムーンブルクの王女でした。

ただ、超爆魔法イオナズンを操るなど戦力的にはかなり重宝しましたので、ただ助けられるだけのか弱い乙女というわけではなくなりました。




ついに女性の勇者が誕生





続いて第三版(Ⅲ、1988(昭和63)年)、第四版(Ⅳ、1990(平成2)年)においては、初めて主人公の性別を選べるようになりました。

そして、女の勇者というキャラクターデザインも、天才鳥山明のデザインにより発表されました。

購入層の拡大を狙ったものと思われますが、とにかくここにおいて、セリフを発しない同シリーズの主人公の男女平等が確立されたのです。

しかし、第五版(Ⅴ、1992(平成5)年)において、副題「天空の花嫁」という壮大な家族ストーリーという設定に挑戦したことで、またもや主人公は男に限定されてしまうことになりました。

ここでは、主人公は勇者ですらなく(王様であることが後に判明しますが)、主人公が結婚した天空の花嫁(候補2人!)との間にできた「息子」が伝説の勇者に擬せられます。

この点、双子の妹も生まれるのですがこちらは勇者ではないのです。

どうも不平等で昭和に戻ってしまったような感じもしますが、主人公の極めて数奇かつ過酷な人生を花嫁側に味合わせるのはあまりにも女子に酷という制作側の配慮もあったのかもしれませんし、ゲーム設定容量の限界だったのかもしれません。

このⅤの主人公が舐める辛酸たるや相当なものです。

主人公の親父も極めて厳しい人生です。

繰り返しますがジェンダーとは時代や地域または文化によって様々異なるものです。

商業的成功を運命づけられた同作品シリーズにおいて、開発者達はまさに骨身を削って作品を世に出していったのです。

その軌跡を辿ってみました。

要するにⅤが一番好きだという話なのかもしれません。

ちなみに、女装もわりといけます筆者からは以上です。

(平成27年Ⅴ月29日 最終更新:平成28年Ⅴ月29日 日曜日)

2015年5月1日

21世紀のスポーツ漫画の一番の特徴はリアリティを追求している点か

星飛雄馬




おはようございます。

2015年5月最初のスポーツ漫画に関する配信記事です。

いつも漫画ばっかり読んでいる筆者です。

さて週刊少年マガジン(講談社)といえば、週刊少年ジャンプ(集英社)に並ぶ大手少年漫画誌です。

休日に近くのファストフード店に珈琲を飲みに行った時に、その週刊少年ジャンプとのタイアップ企画として、歴代漫画主人公のクリアファイルを配布するというのがあり興味を持ちました。

6種類程度の漫画があったのですが、筆者が特に興味深かったのは、「巨人の星」と「ダイヤのA(エース)」の2つです。同じ野球漫画というジャンルながら、両者は全くその趣を異にしています。

この2つの毛色の全く違う漫画が、時代を超えつつも同じ漫画誌に連載されるとは実に面白いです。

巨人の星はいわゆるスポーツ根性モノ野球漫画のはしりであり、とにかく過酷な訓練を乗り越えたものには、消える魔球などの常軌を逸した力が宿るという「漫画らしい」漫画です。

才能や体格に恵まれない凡人の主人公が「努力と根性」で飛躍的に成長し、たいてい投手の主人公が努力と根性で身につけた剛速球や特殊な変化球(消える魔球など)を駆使してライバル打者との駆け引きに臨む姿が中心に描かれています。

言ってみれば野球漫画の王道と言えましょう。




21世紀の漫画はリアルティが格段に向上しています




一方、ダイヤのA(エースと読む)はこうした「特殊な」シチュエーションとは一線を画します。

高校野球において甲子園全国制覇を果たすため、部員数が100人を超す選手層の厚い名門野球部の中でチームメイトと合宿し練習する中で、エースピッチャー目指す主人公沢村投手とその周りの選手たちやライバルを描いています。

そして、甲子園出場には最も過酷な西東京地区を舞台に、名門校や新興強豪校がひしめく中、甲子園出場が目的ではなく、全国制覇することを目標にしています。

しかしながら、主人公も、快刀乱麻のピッチングを武器にしているわけではなく、事例が少ない左投げの変則ピッチャーであり、球速は130km/hに満たないと言及されていますが、手元で変化するブレ球を武器に、固い守り(バック)を信じて打たせて取るスタイルを徹底しています。

同学年であり最大の自チームライバル投手である右の本格派である降谷投手も登場しますが、こちらも豪速球ゆえのスタミナやコントロールに課題があるという、リアリティを追求したものとなっています。

いきなり試合で盛り上がると高校生にして160km/h超の速球を投げてしまう他の野球漫画に比べ、現在までの連載までで、降谷投手の最速は高校2年生の春のセンバツで計測した151km/hです(もう少し出たかもしれませんが)。

巨人の星の初出は1966(昭和41)年ですから、およそ半世紀を経て、漫画もかなりリアリティを追求したものになってきたのではないかと思うのです。

実は漫画はあまり読まないのであまり詳しくないと言ってみたい筆者からは以上です。

(平成27年5月1日 金曜日 最終更新:平成28年5月1日 日曜日)

[関連記事]
第1話で語り尽くす

2014年10月18日

始めるのは今しかない

経営の神様と言われる松下幸之助さんは、実家が商才もなく店を畳んだため、尋常小学校を4年で中退、わずか9歳で火鉢店に丁稚奉公に出されます。

そこでいろいろと商才を発揮し、大阪に導入された路面電車を見て感動し、電気に関わる仕事を志し16歳で大阪電燈(現:関西電力)に入社しました。

これを見ていた親戚でもある三洋電機創業者の井植歳男さんは、尋常小学校4年で仕事の道に入られた先輩を横目に、自分は高等小学校4年(現在の中学校2年)まで出てしまった、それで仕事を覚えるのが遅すぎたと回想しているそうです。

始めるのに早過ぎることはありません。

まさに今なのです。

反対に、「カーネル・サンダース」ことハーランド・デーヴィッド・サンダースというお爺さんが、各職場や仕事を転々としながらケンタッキーフライドチキンを創業したのはなんと68歳の時です。

カーネルは本名ではなく大佐という称号で、ケンタッキー州に貢献した人としてケンタッキー・カーネルという名誉称号が贈られたのです。

古くはお江戸の時代の伊能忠敬も、引退して地図と測量の勉強を始めたのは50歳を過ぎてからです。

当時は人生五十年と言われた時代でした。

始めるのに遅すぎることはないのです。

今なのです。

2014年10月の今日、筆者は40歳になりました。

まだまだこれからです。

ビルメン大佐と言われるくらいに頑張ろうと思います。

こちらからは以上です。

(平成26年10月18日 土曜日)

2009年3月10日大阪道頓堀より引上げ


2014年9月26日

実際の北方領土回復アプローチについて私見を述べておきます

ボリス・エリツィン


おはようございます。

2014年9月の記事です。

北方領土についてここ数回書いていますが、では実際にその返還交渉はどのように行われてきたのか、またこれからありうるアプローチは何かという私案も示さないといけないと思いましたので書きます。

戦後の北方領土占拠から、日本も手をこまねいていたわけではなく、時の政権トップはこの問題に様々なアプローチを続けてきました。

1956年の日ソ共同宣言において、両国の国交は回復、関係も一応正常化しましたが、肝心な国境問題は先送りされました。

その後、田中角栄総理とプレジネフ書記長との会談では田中総理側からしつこく四島問題について尋ね、プレジネフに領土問題についての存在を認識させ言質を得、さらに1993年の細川護煕総理とエリツィン大統領との東京宣言において、領土問題として北方四島の島名を具体的に列挙して、その帰属に関する問題と位置づけることにこぎつけました。

そして、1997年、ロシアのクラスノヤルスクにおいて、橋本龍太郎総理とエリツィン大統領の間で、東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くすことで一致しました。

そして1998年4月、日本の川奈における橋本総理とエリツィン大統領の間で、平和条約に関し、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決することを内容とし、21世紀に向けた日露の友好協力に関する原則等を盛り込むことで一致したのです。

この川奈合意の交渉の席上、橋本総理側から日本外交の乾坤一擲の矢が放たれたそうです。



国境だけとりあえず定める



それは、「ウルップ島と択捉島の間を国境と定める」、ただそれだけというものです。後は当面何もしなくてよい、ただ観念的な国境のみをそこに引くことで、あとは100年かけてでも実在としての主権をじっくり回復していけばよいという気の長いアプローチです。

筆者はこの話を聞いて日本の政治家や外交官も相当やるなあと思いました。

国境線を引くということを認めるだけで、各種の経済支援やら経済交流などの「実利」を取れるのであれば、実際の主権回復をロシア側の都合で相当先延ばしにしていけばこの先数十年ロシア側にとってもおいしい案だと言えるからです。

一日三食バランスよく、原理原則を大切にしたいと思いつつも、つい目の前のお菓子は別腹と食べてしまい、夜は飲み屋帰りの四食目五食目と延長しがちな筆者からは以上です。

(平成26年9月26日 金曜日)