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2018年7月18日

人事評価のフィードバックは未来の話をした方が盛り上がるという話です





おはようございます。

2018年7月の人事評価に関する配信記事です。

人事評価は何のために行うかというと、それぞれの対象社員のキャリア形成やモチベーションアップのために行うべきだという答えが結構返って来ます。

しかしながら、単なる給与や賞与の水準を決定する評価であると考えてしまうと、単に決まった「評定」を「通知」するだけの面白くない場になってしまうのも、また人事評価面談における面白いところです。

筆者も、評価されたり評価したりするということを繰り返して社会人となり、実に20年以上、さまざまな組織でこのような評定なりフィードバックなりを受けたりしたりしてきましたが、最近ようやく、この手の面談が、面接側被面接者双方に対して最も満足するのは、評定結果の通知はさっさと済ませて、対象社員と管理職双方の未来について話し合うことであると思い至りました。

ですので、最近では、下記のようにフィードバック面談というのを進めています。

①評定結果を淡々と伝える(通知するのではなく、できれば「共有」する気持ちで)

②その結果を踏まえて、評価された側から忌憚ない意見を貰う(管理職は聞き役に徹する)

③管理職と評価された社員との「未来」の話をする

全体で30分の時間が取れるなら、①②③をそれぞれ10分ずつ、時間を区切って行うようにすれば、タイムマネジメントも取れた有益な話し合いになると思います。

①については、包み隠さず、できるだけ率直に伝えた方が良いです。

いい評価だろうがよくない評価だろうが、それが評価だからです。

まずは、それは受け入れてもらわなければなりません。

そして、究極的に納得できない場合は、転職するなり退職するなりの手段が、社員個人個人には当然いつでも留保されているということも合わせて伝えます。

しかしながら、辞めてもらいたいというアウトプレースメントの面談ではないので、結果を共有したらすぐ②や③に移って前向きな希望をや姿勢を評価して、チームとして何を成し遂げたい、そしてそれよりもより大切な、そのような未来に向かう姿勢をどのようにして個人およびチームで持つように話し合ったらいいか、とにかく未来に向けた話をするのです。

こうすると、やはりいつでも、人間区切りをつけて、また頑張ろうといい意味でリセットできるのではないかと考えました。

評価の面談などで、何を話したら良いのかよくわからない管理職の方がいらっしゃれば、参考にしていただければと思います。

自らについても、前向きに、ここまでの低い評価を見返すような動きを期待したいと願う筆者からは以上です。

(平成30年7月18日 水曜日)

2018年7月13日

仕事や他人に関心など持たなくても良いからただ外形的に仕事をしている「ふり」を続けてくださいと言ってみる話







おはようございます。

2018年7月の人付き合いに関する配信記事です。

人付き合いやコミュニケーションと書いて、筆者が真っ先に思い出しますのは、東京の大手コンサルティング会社が行なっている会社幹部の管理職研修という泊りがけの研修を受けることになって行った際に、いわゆる無気力な部下をどのようにモチベートして上手に仕事に集中してもらうか、その面談を行うというシミュレーションでした。

これは相当きつく、ああ言えばこう言う、という部下役の研修側講師のプロののらりくらりとした演技に、はらわたが煮え繰り返りそうな感情を抱いたものです。

しかし、パワハラや心理的な追い込みは厳に慎め、という事前のお達しがあった以上、有効な打ち手はないものか非常に疑問です。

さらに、人手不足の世の中であり、代わりの人はすぐ採用できないのであくまで、目の前のいわゆる「不良社員」を更生させる方向でやってくれということなのです。

喉の先まで、「じゃああんた辞めてくれ」と言いたいところを、我慢して語りかけたのですが、なかなか厳しいところでした。

実際、やる気がない役職員というのは、生暖かい作業する置物という状況以上の者にはなりにくく、打ち手がないような感じです。

ただし、人間ですから息して飯も食っているわけですし、家族とも疎遠であって完全に他人には関心がないということであっても、それでも何かのきっかけで社会や世間や他人との接点を持とうとするかもしれない、とその講師は筆者にシミュレーション後の振り返りで筆者に問うたのです。

そのソリューションとは、相手にわかってもらおうとはしない、ただ率直にこちらの思っていることを素直に伝え続ける、という手法でした。

こういう条件を与えるので、こうしてもらいたい、という通常の「交渉」プロセスでは、こうした心のスイッチというのは決して入らない、むしろ固まってしまう方が多いというのです。

そして、具体的な行動として、相手に求めたいのは、仕事や他人に関心など持たなくても良いから、ただ外形的に仕事をしている「ふり」を続けてください、ということだったのです。

言い換えれば、形から入る、ということでしょうか。

求められた作業を復唱して、実行し、報告する。

同僚や取引先が感謝の気持ちを持つであろう言葉を並べて報告する、そして感謝されたら少し自ら咀嚼して返す、という「仕事やコミュニケーションのふり」を、別に心の底からそんな気持ちが全く湧き出てこなくても、単なる学校の勉強の課題宿題のように、めんどくせーと本当に思っても淡々と、「こう書けば概ね正解」というテンプレで結構なので作業して返して感謝している「ふり」をしばらく続ける、これを意識的にやっていただきたいと依頼してみるわけです。

あなたの内面や内心には全く立ち入らない、ただ会社としては給料を支払い仕事をしてもらいたいので、外形的にそのように振る舞ったその姿勢と具体的外部作業成果にはお金を払う、と伝えるわけです。

ポイントは、本音でどのように考えていても考えていなくたって結構、ただ他人にそう見える「ふり」をしばらく続けてみてください、というところです。

このソリューションは、最近になって、講演した高校の場で、聴いていた高校生から疑問が出た、「いわゆる国語の問題がわからなくてしんどい、主人公の気持ちとかわからんし」というヘルプに対して、「主人公の気持ちなどわかる必要はない、つまり大多数の採点者がそれなりに納得するロジックの文章を回答として提供すればOK、で、その回答案はほぼパターン化できるから、そのパターン練習のために、できるだけ良質とされる原文と、問題解答例をたくさん読んで書いて、無意識レベルで取り出して書けるようになっておけば良いだけである」という当方からの回答がもっとも多数の聴講者の納得感を得られた、ということからも、概ね有効なものではないかと思います。

それで、面白いことに、そうして採点者との意識レベルが合って採点自体が上がってくると、何となく「国語が得意」というふうに学習者自身も自己満足し出し、今度は自ら進んで学ぼうとしていくようになるのが面白いところで、このように、形から入って本質に至るアプローチもありじゃないのかなと思ったわけです。

形から入るということでは、例えば食事会で話が盛り上がらない、といっても心配することはありません。

ただ二人で並んで無言で弁当食べることからでも、始めたらいいと思います。

コミュニケーションは言葉だけではありません。

ただ並んで食べている、というだけでも随分と違うものなのです。

そんなことをふと思いました。

食事のお誘いをお待ちしておりますが、デートで食事しても、話題が取り出せずになかなかしゃべれない、そんな実は引っ込み思案な筆者からは以上です。

(平成30年7月13日 金曜日)

2018年6月22日

筆者史上四半世紀(25年)振りに体重60キロ代まで戻すことに成功した話です





おはようございます。

2018年6月の食事と生活習慣に関する配信記事です。

ビルメン王、ついに戻ってまいりました。

実に筆者史上25年ぶり2回目の、体重60キロ台への回帰です。

筆者の身長は約172センチメートルですから、BMIと言われる計算式で算出される適正体重はサイトでの計算式などで簡単に求められ、約65キログラムとなっております。

思えば、その体重は、おそらく大学で入ったボート部入部前には全く達していなかったのが、朝晩の牛乳や卵と納豆、エッセン(ドイツ語)と呼ばれる大量の食事と運動と睡眠によって、一気に75キログラム程度の筋肉の塊になってしまったところで一気に加重したのでした。

よって、今から25年前、ということになります。

その後、ボート部は引退したくせに、社会人になっても大きくなってしまった胃袋にお酒その他をご丁寧に放り込んできたため、筋肉の塊が脂肪の塊になっても構わず体重はキープしてしまったのです。

そのまま、何と逆に体重が増える(80キロ台という未踏の領域に近づく)という時期もあり、これは取引先の接待が重なった、とか言い訳はいくらでもできるのですが、これでは逆に腹回りについた脂肪で動きも取りにくいし、何より喉や顎についた脂肪で夜寝るときに快眠できない、いびきもひどい、時々無呼吸に近い喉の圧迫が起こっているに違いない、というところを少しは気にするようになりました。

そうして、ジュースやお酒の代わりに白湯やお茶を飲むとか、夜中食べたくなったら水飲んで寝るとか(そして早朝起きて本当に食べたかったら食べる)、アイスを一個だけに我慢するとか、バス亭ひとつ分は歩くとか、シェアリングエコノミーのメルチャリで移動するとか(メルチャリはポートまで置かないといけないので、実際結構歩くことになる)、そして一番これが効くのですが、毎朝体重をつけるとかFitbitの歩数計で1日13,500歩以上歩くようにするとか、こういう積み重ねでじわじわ体重と体脂肪率が下がって来たところでした。

この調子でいけば、順調に70キロを切るかな、と思っていたところでまさかの唐揚げ食べ放題フィーバーなどでリバウンドを繰り返しながらも、ようやく、実に四半世紀ぶりに、60キロ台へ戻ってまいりましたというわけです。








体重を落とす、というより生活習慣や心構えを少し変える、ということなんだろうと感じました。

変えるべきは体重ではなく生活そのものということです。

よく寝たほうが体重は落ちるし、寝不足だと身体は無駄に食物を欲するようです。

このままキープして、適正体重65キロへの軟着陸を目指し、高校卒業時点の体格まで戻すことが次の目標となります。

と、いいながらこうして記事として公開したので、ここから大きくV字回復で大きな後悔、というシナリオが現実的かもしれない筆者からのダイエット記事は以上です。

(平成30年6月22日 金曜日)

2018年6月9日

短所を改善することと長所を伸ばすことを両方やることが本当は必要だと思う話です






おはようございます。

2018年6月の人材教育に関する配信記事です。

よく、個々人の長所を伸ばすべきか短所を改善するべきかという問いがなされることがあります。

この点、最近の流れとしては、圧倒的に長所を伸ばす方が良い、企業や組織にも良い影響があるという論調が強いようです。

しかしながら、ことビジネスについては、短所を短所のままにしておくことによるデメリットは相当大きいと思います。

なぜなら、ビジネスというのは、相手があってのものですので、その相手方や顧客側が、いくらよい商品やサービスや営業担当といっても、基本的なことができていない場合、どうしても全面的に信用できず、取引や商品購入を躊躇してしまうことがよくあるからです。

つまり、長所を伸ばす教育も良いが、両方必要で、短所を改善することも当然大切であるということになります。

さらに、目線を思い切り下げれば、全てが長所となりますので、その意味でも、長所を伸ばすとか短所を改善するとかいう意味もそれほどないのかとも思います。

ただ、組織や企業においては、得てして短所を指摘する方が簡単でありよく目につくので、組織のトップや責任者の目線としては、できるだけ部下やメンバーの「長所」に目を向けて、長所も短所も等しく伸ばすように努めなければならないのではないか、というところです。

他人の長所を褒めることは意識しないと出来ません。

ですが、組織のトップや部門責任者自体が、長所をより伸ばして短所はそのままで良い、という風に考えることは危険です。

彼らは、短所を組織の中からは指摘され「にくい」立場にいるからです。

ですので、組織のトップに近い位置にいるものほど、むしろ短所を改めるように意識していかないと行けないのかもしれません。

危険なのは、自らが頼む長所といわれる部分を、トップが自らの時間を使いすぎて、例えばセミナーや同業者団体会合やらに出て、または本を読んで、自分に都合のよい共感できる本や講演ばかりに触れてしまうことかもしれません。

それだと、人の育て方や自己啓発に関わる本や情報ばかりになってしまい、自分の既に知っていることをさらに追体験して悦に入ってしまうことの繰り返しになってしまう危険性もあるのです。

偏りをできるだけ排除するように、バランスを取ること。

これも、経営者や組織のリーダーには必要な能力なのかもしれません。

記事の内容が、アニメコンテンツに若干偏っております筆者からは以上です。

(平成30年6月10日 土曜日)

2018年6月7日

上場を目指さず地域に根ざして世界と勝負しようという素敵な会社があるという話です






おはようございます。

2018年6月の地域に根ざしたいい会社を紹介しようとする配信記事です。

筆者は北九州市八幡の出身です。

昭和49年の生まれですから、ずいぶん生きて来ましたが、遥か前に北九州の地に生まれてしっかりと根を下ろした会社があります。

シャボン玉石けん、という会社です。

現社長の祖父であります森田範次郎が、その名を冠した商店を起こしたのが、1910(明治43)年と言いますから、日露戦争が終わり、ハレー彗星がやって来てほうき星と言われて日本中大騒ぎになっていた頃のことです。

そして、先代の故森田光徳社長が、合成洗剤の危険性に気づいて、すべてを無添加石けんの製造・販売に切り替えたのが1974(昭和49)年、すなわち筆者が生まれた年となります。

しかし、そこから売り上げは急減。それまでの実に1%にまで落ち、そして足掛け17年もの赤字が続くという状態となります。

真にお客のためになるという長期的な価値の提供という理念を続け、そうしてようやく光明が見えたのは1991(平成3)年のこと、光徳社長による『自然流「石けん」読本』の上梓がきっかけとなり、折からの環境問題への意識の高まりの気運とぴったり合致し、翌年会社はようやく黒字に転じたのです。

筆者は高校生になっていました。

そして、今は三代目の森田隼人社長が率いるシャボン玉石けんは、創業100周年を超え、ますます意気軒昂、先代の築いた「健康な体、きれいな水」の石けん、というスローガンを守りながら、そして伸ばしていこうとますます意気軒昂です。

地域に根ざし、地域から世界を伺い、上場は考えず、それは花王、P&G、ライオンが代表するメジャーの「合成洗剤会社」に買われてその無添加事業部になっては困るからだと堂々と宣言する森田社長と、シャボン玉石けんの役職員のみなさんのこれからの活躍を、地元出身の者として応援しております。

福岡市在住ですが、故郷にはできるだけの応援をしたいと思います筆者からの北九州市レポートは以上です。

(平成30年6月7日 木曜日)

2018年6月1日

本当の賢さというものは何かということについて今一度考えてみたという話です






おはようございます。

2018年6月の組織に関する配信記事です。

日本大学アメリカンフットボール部の試合中の「笛が鳴ってプレイが止まった」後のタックルがなされたという問題で、企業のコンプライアンスや企業統治、セクハラやパワハラといった問題が一気に非営利団体、いわゆるプロスポーツとしてお金を取っていない大学や高校や中学などの部活動や体育会(文化部も含む)にまで及んできたことについて、昭和生まれの筆者などは非常に感慨深く見ています。

いわゆる昭和的な根性論では、現代の組織のマネジメントはできないということで、そのズレは決定的な所にきているということです。

つまり、暴力癖のある指導者には誰もついていかない、知性や教養が不足している学長や理事教授陣を抱えて自浄能力のない大学には誰も入学しない、ということなのだろうと思います。

選手たちが黙っていなかった、その選手側にも世間の同情、いやそれ以上の支持が集まったのは、当該プレイが何度でも動画を検索すれば一瞬にして見られるという、インターネット時代による情報拡散共有が一役買っていることはもちろん否めませんが、状況を正しく認識して適切な対応を個人レベルで取ることができるという意味で、個々の学生が自らの身を守るために弁護士など周囲の助けを得ることができる環境に世の中が一段先に進化したというのは特筆すべきことだと思っています。

もう平成も30年となりまして、来年で元号も変わります。

世論はもうはるか先に行っておりまして、世論の支持が得られない蛸壺型の組織は、いくら学校法人にしろ、公益法人日本相撲協会にしろ、いくら閉じた世界で運営されていたとしても、世の中の視聴者や利用者からそっぽを向かれては活動できず、存続していけないということが赤裸々になってきている、そのような感じがいたします。

そして、この世論による適切な批判的目は、政治や国会といった国権の最高機関での振る舞いにも徐々に影響を与えてきていると考えられまして、官僚の作成文書の意図的改竄がなされてその官僚組織の当時のトップ(財務省理財局長)が責任者として全ての責任を負うということに形式的になったとしても、そのような危ない橋を渡るような指示をしたのは誰かという当たり前の疑念の存在については広く大衆の知るところとなりました。

次の国政選挙の時にはまたこのような「背景」を踏まえた投票行動になるでしょう。

こう考えますと、世の中というのは急速にいい方向、まともな方向に進んでいるといって良いと考えておりまして、素人が、当たり前と思うことに対して世論が当たり前に寄り添い支持していくことがあらゆる場面で起こってくると思っています。

世界的には、#me too 運動というものが起こって、これまで闇に葬られてきた数々の芸能界含めた各界の大物たちがその地位を追われるといったこともありました。

いわゆる、古い考えの(年齢が高いということではなくて)大人たちの賢いという評価軸は、(自分たちで決めた教科や仕組みの上でのテストにおける)いい成績を取るとか、(こちらも自分たちで決めた甲子園とか箱根駅伝とか世界的には特異すぎるルールや運営方法で行われるもののそうした大人たちには過分な人気のある)スポーツ大会で一番になるということや、世界的にはもはやランキング100位以内の維持すら難しい日本の国立大学のうちの比較で大きいもの(東京とか京都とか)への(学部とか専攻とかをまるで無視した)入学などでありましたが(実は入学だけでOK、退学してもあまり関係ない)、そうした既存の既得権益自体をまとめて本気にぶち壊しにくる、自分の地位なり心の拠り所であるものを一気にひっくり返そうとする、そのような本物の賢さを若者が身につけようとすることについては、非常に(恐怖心からか)冷淡でありました。

しかしながら、そのような本気の既存価値のひっくり返しこそ、真の勇気というか振る舞いというか、本当の賢さではないかと思うわけです。

失うものがまだ多くない、いわゆる若い人ほど正直です。

逆に、積み上げ続けて失うものが多い老人ほど、嘘をつくものです。

記録文書が出てきても、覚えていないと答弁したり、記録より記憶のほうが勝るというのであれば、人工知能に首相をやらせた方がよほど合理的となります。

記憶に頼れば良いのですから。

タックルの反則は見ていなかったと答えたフットボールの監督は、試合の直後あれくらいやらなきゃだめだという持論を展開していました。

反則を犯した選手のその場面の目の前に、監督が立っているのがVTRで残っています。

きっと、眼球は開いていてもその瞬間は目は見えなくなっていたのでしょう。

マルクスが言った、「失うものがない人は正直である」というのはけだし名言だと思います。

さて、積み上げがなくて失うものがないまま中年になってしまった筆者からのコメントは以上です。

(平成30年6月1日 金曜日)

2018年5月31日

「すぐやる」「必ずやる」「出来るまでやる」という三原則に入るための心の準備について考察します

日本電産株式会社ホームページより




おはようございます。

2018年5月のなかなかできない筆者のような人間に効く配信記事です。

筆者も学生時代を過ごした、日本の古都である京都において、

・すぐやる。
・必ずやる。
・出来るまでやる。

という精神を掲げて創業以来驀進する、日本電産という会社があります。

その創業者の永守重信さんは、すぐやることが成功に欠かせない普遍的な原則で、この習慣、癖を持ってさえいれば、どんな人でもどんな分野でも必ず成功されると言っています。

すぐやることの、やることを決めることも大切なのですが、本当は決めているのに行動に移さない、そのリードタイムが無駄だと喝破されているのです。

だいたい、「検討しています」というのは筆者の例に限らず嘘であることが多いです。

既に、やるべきであることは決まっているのですが、そのはじめの一歩が踏み出せないのです。

つまり、

・あとでやる。
・できればやる。
・出来なかったらあきらめる。

ということになってしまいます。

ここまであからさまに書いてしまうと、さすがに書いた方も少しはやらないといけないな、と思うところが面白いところです。

そして、すぐやることに集中するために、つまり最初の一歩を踏み出してそのまま流れていく「フロー」な状態に入るにはどのようにすればよいか、それを書いておきたいと思います。

それは、テレビやインターネットからの「自分ごとではない情報」を絶ってみる、ということです。

たとえば、惰性でテレビをつけるのをやめる。

なんとなくネットサーチや動画視聴をしない。

ということです。

自分の世界の周りに、自分とは全く関係ない他人やその他諸々の情報が、資格や聴覚を通じてどんどん入ってきてしまうという状態で、自分のことを自分ごとで考えよというのは、かなり無理な話であるわけです。

特に、動画や音声というのは、感覚的なものであり、言語や言葉での解釈を飛び越えて心と体にダイレクトに届いてしまいますから、それに引きずられていろいろな感情で反応してしまいます。

自動的に、こうした外からの情報を受動的にダウンロードして、それに影響された感情を持ってしまうわけです。

そうしてダウンロードされてインストールされてしまった情報によって影響された感情は、一体自分の感情なのか、テレビやインターネットによる情報によって掻き立てられた作られた感情なのか、それは当人にもよくわからなくなってしまうのです。

自分の感情をコントロールするためには、受け取る情報、特に視覚と聴覚に直接訴える動画や写真や音声については、その情報を絞る、ということがこの平成も終わりの世の中には絶対に必要な生きる態度であろうと思います。

だいたい、テレビやインターネットで激しく繰り返されている情報というのは、あまり幸せではない情報が多いものです。

その方が、個人の根元の感情を刺激し、メディア側としては中毒性があり、繰り返し見られるので広告収入等も見込めるからでしょう。

例えば、このブログのような、薄口なテイストのものは、あまり受けません。

写真も動画も豊富ではありませんし、センセーショナルなタイトルもございません。

しかし、一般的な強力メディアが流す情報は、ほとんど自分とは直接関係ない他人の話しながら、まるで知っていないと自分の世界が終わる最優先課題のように迫ってくるわけです。

しかし、かの野球界の伝説、国民栄誉賞を受賞した松井秀喜選手もおっしゃるように、

自分ではどうすることもできない自分以外のことについてはフラットに接する

ということができないと、世界中の情報の渦に、自分以外に気をとられて、感情をとられて、思考やマインドシェアをとられて、本当に考えなければならない、付き合わなければならない自分というものがますますお留守になってしまいます。

こうして、自分のことを最もケアして相手をしてあげるべき、自分がいわば外出中となってしまい、本来で会わなければならない未知の自分への探索が止まります。

あらゆる人間が、これからいろいろな出会いをするでしょうが、一番の出会いは自分です。

未知の「我」への出会いのために、自分が主体的にやること、そちらにこだわりフォーカスしていきたいところです。

自分の目を向けずに、思考がお留守になったところに、絶え間なくテレビやインターネットから、またまた自分とは全く関係のない他人や他国や他者の情報や感情や思考が流し込まれるという、ある意味恐ろしいデバイスに囲まれて私たちは生きているともいえるのです。

この状態で「自分の軸」とか「やりたいことをやって生きよう」とか言ってもなかなか難しいわけです。

スマートフォンの画面から顔を上げて、前を向いて歩くだけでも違ってくるでしょう。

そうすれば、身体も適度にほぐれて、心もすっきりし、すぐやる気構えが出来てくるのかもしれません。

テレビやインターネットの情報から一旦距離を置いて、自分のやることをやっていけば、勝手に自分のアンテナが研ぎ澄まされて、自分にとって必要な情報や人や組織には、必ず出会えるような気がしています。

そういう、自分は運がいい、と感じられる自己承認や自己信頼というのが、自分軸で生きるいうことの手始めなのかもしれません。

でもやっぱり、仕事は検討しておきます、と言ってテレビの前で寝転がってでプロ野球見ながらビールとおつまみで一杯やりながらそのまま寝ちゃうというのが最高だと思うダメダメ人間の筆者からは以上です。

(平成30年5月31日 木曜日)

2018年5月30日

全てはこのソファから始まったと語った米国配送大手UPS社長の話を紹介しておきます

UPSのプレスリリースより




おはようございます。

2018年5月の世界のいい会社と素晴らしいトップに関する配信記事です。

米国配送大手にUPSという会社があります。

FedexやDHLと並んで、日本でもお馴染みの名前だと思います。

正式名称は、United Parcel Serviceといいまして、まさに、アメリカ合衆国の貨物運送会社であり、同時に世界でも有数の国際貨物航空会社でもあります。

世界200か国以上の国と地域で一日あたり1,400万個以上の荷物を扱っているとのことです。

日本においては、1990年代から日本の配送最大手のヤマト運輸(現ヤマトホールディングス)と提携関係にあります。

UPSは、社員の制服から保有貨物機や運送車輌にまで徹底して配したコーポレートカラーのブラウン(茶色)と、盾の中にイエローの小文字で「ups」と入れた一目でわかるロゴでアメリカでは非常に有名、というか日常の風景になっています。

そして、ITを利用した合理的な経営に早くから取り組み、巨額の設備投資、労働装備の向上を行うハイテク企業の一面も持っています。

その一つとして、アメリカでは右車線通行であることから、左折時のアイドリング時間を削減するために、極力右折のみで目的地に到着するように配送ルートを組むとか、電気で走る大型トラックなどを導入し、「Go Green(緑化、エコ化、環境に配慮した業務)」への取り組みも積極的に行っています。

2014年9月、この米国総合貨物最大手の一角であるUPSの最高経営責任者(CEO)に、ディヴィッド・アブ二―氏が就任しました。

アブニー氏は、実にこの40年前に、大学生のときにUPSでパートタイマーとして働き始めました。

会社の公式ホームページにも、「who began his career as a part-time loader while in college」ときちんと書いています。

大学生であったアブ二―氏は、大学生活の生活費を稼ぐために、夜はUPSのトラックへの荷積み作業をやって、昼間はクリーブランドのデルタ州立大学でビジネスを学びました。

彼の大学の奨学金は、授業料こそカバーしてくれましたが、当然生活費は足りません。

大学のキャンパス内に住む余裕も仕送りもなかった彼は、自宅から遠く通学していたといいます。

ただ、時に、家に帰ることができずに、大学のソファでそのまま夜を過ごしたこともあるそうです。

学業と仕事の両立、アメリカの大学のことです、それは厳しかったことでしょう。

アブニー氏は後日、時折母校を訪れた際にはそのソファを指さして、「全てはここから始まった」と語るそうです。

それから40年。

パートタイマーとして仕事を始めたUPSで、彼の働きとリーダーシップ、献身と大きな構想(ビジョン)、何よりもUPSの現場を知り尽くしているその人徳により、UPSは彼をCEO、および取締役会の議長に推戴します。

全てはここから始まった。

このような経営者に出会いたいし、もしかしたら自らもなれるかもしれません。

そのような良いお話でした。

Go Greenと書いて、UPSがゴルフ事業を始めるのかと思ったソファで寝るのは得意なゴルフ下手の筆者からは以上です。

(平成30年5月29日 水曜日)

2018年5月21日

組織において成功した人が気をつけるようにした方がよりよいと考えることについて






おはようございます。

2018年5月の企業組織における成果主義に関する配信記事です。

実は、昨日から新緑の北海道は札幌に来ておりまして、羽を伸ばして楽しんでおります。

さて、そんな休暇中の身として考えたのですが、筆者は年功主義が幅を利かせていた時代に社会人となり、そして成果主義というものが世の中を席巻したのを目の当たりにして、そしてまたいき過ぎた成果主義というか間違った?成果主義の揺り戻しとして長期的に組織にコミットする人をやっぱり大切にしようという風潮に戻ったような感覚で今を生きている、そんな社会人生活ベテランの一人だと思っています。

では、成果主義とは一律に否定されたのでしょうか、という問いから本日の記事を始めたいと思います。

終身雇用が維持できないということは、経済全体が右肩上がりでなく、個々の企業の体力や勢いが永続するものではなく、従業員の方の寿命の方が往々にして長いということがわかってきた現在においては常識になりつつあり、その中においては、完全なる年功主義に戻ることはできないと思います。

しかしながら、成果主義、すなわち、従業員の報酬や昇進や職位について、年功要素ではなく、仕事の成果を基準に求める考え方ということが、一見合理的なのに定着しない、それはどういう要因なのかと考えてみたいと思います。

まず、日本の雇用慣行においては、総合職や基幹職といった、新卒一括採用の慣行から、詳細な職務記述書(ジョブディスクリプション)がないまま採用される、ということがあると思います。

例えば米系欧州系の企業になりますと、仕事は、スペシャリティに基づいた採用が一般的であり、そこには、職務記述書(ジョブディスクリプション)という、何を仕事としてやってもらうのかの業務内容を詳しく記述した記述文書が必ず存在します。

逆に、それもなく採用活動に邁進できる日本の新卒一括採用の方が、世界的には驚きということになります。

この点、日本企業は、声を揃えて、いろいろな仕事をやってもらいますから、という前提のゼネラリスト採用というものをやっている、というのですが、筆者のように、社会人になって20年超、ろくでもない専門性もつかないまま漫然と過ごしていたということにもなりかねない危険性もはらんでいるのです(やばい、旅先で落ち込みますね)。

こうした、一括採用のゼネラリスト採用においては、個々の従業員に、成果による評価というものが落ちてきていないため、成果主義といっても一体なんの業務をやっていかなる評価基準で評価されるのかがそもそも不明確なので、うまく行きようがないのではないかと思うのです。

したがって、まず成果主義を考える場合、これまでどおりのどんぶり勘定で回した方が、会社全体がうまくいく、と考えるのであれば特に成果主義を標榜しなくてもよいと考えております。

しかしながら、やはり会社の売り上げや収益を劇的に好転させる、スーパーな人材を求めたいと考える場合、それでは、全員素人の小学生サッカーチームのように、全員で球を追うだけになってしまいます。

例えば、現在の世界最強の企業の一つであろう、米国グーグル社の人事責任者は、実際の発言として、以下のように宣言しています。

グーグルでは、同じ業務を担当する2人の社員が会社にもたらす影響に100倍の差があれば、報酬も100倍になる場合が実際にある、というのです。

実際の現金報酬は別にして、例えばストックオプションをある社員が別の社員の100倍分もらったというような話はあるということです。

しかし、こうして高評価された従業員には、また新たなミッションが与えられるのです。

それは、そういう高評価で遇してくれた会社組織と構成員(必ずしも高評価されていない従業員も含んだ総体として)に対して、その組織がさらに発展するための種まきや後進の育成や教育、補助を惜しまない、という態度を求められる、ということなのです。

勝ち逃げは許しませんよ、ということです。

ゲームプレイヤーとして抜群の能力を発揮し、成果を上げたものには、そのゲームマスターシステムに対する別の、同じくらい重要な貢献を求めるという方式です。

これは、成果主義を推し進める組織が陥りがちな「皆が他人に無関心で、自分の利益だけを追求する組織」に対する強力な防御壁となり得ます。

米国グーグル社においては、このあたりのマネジメントが非常にうまく、実際現在持ち株会社であるアルファベットに創業者たちが全面的に異動した後の事業部門としてのグーグル社の舵取りを任された、現在の社長のサンダー・ピチャイ氏は、グーグル社の中で「あの人はいい人だ」という評判が通っている人らしく、巨額報酬を得ているグーグル社のCEOであっても、人懐こさと笑顔を絶やさない、この人と一緒に仕事をしたいという人でありつづけているそうです(筆者は残念ながらお会いしたことありませんが)。

話を米国から日本に向けてみても、このように組織に対する貢献を、高評価者により求めるという企業文化で異彩を放っている企業があります。

それは、日本のお笑いの殿堂、吉本興業です。

吉本興業は、日本人なら誰でも聞いたことがある、いわゆるお笑いのプロ集団です。

芸人として有名になりたいのであれば、吉本の門を叩くのが一つの登竜門とも言えます。

しかしながら、芸人として世に出るというのは本当に大変です。

ですので、吉本興業は非常に厳しい成果主義で知られています。

ギャラは相当安いです。

実力がなければ、劇場や現場までの交通費すら打ち切るという厳しさです。

しかし、その反面、吉本興業は、新人芸人の発掘や育成については非常に熱心です。

これまで、昭和の時代までは、徒弟制度が中心だった芸人の育成そのものについて、自前で養成学校を作ることで間口を大きく広げたのです。

これは画期的です。

ダウンタウンの浜田さんや松本さんも、この養成学校の出身です。

さらに、お笑いの本場の大阪において新人発掘や若手育成のために「よしもと漫才劇場」を経営しています。

ここでは若手中心のプログラムが組まれていますが、ベテランや旬の芸人もプログラムを持っており、この劇場に「客寄せ」「収益維持」にも余念がないのです。

そして、ベテランや旬の芸人は、本来そのような若手の稽古場に等しい劇場に出演するよりも、在京キー局のテレビ出演などのおいしい仕事がたくさんあるはずなのに、一定の労力や時間をそのようなプログラム出演に割くのです。

それは、吉本所属の芸人たちの共通認識に、個々の芸人のパフォーマンスにおける報酬の差はなければならない、その上で、その成果については、無論個人のパフォーマンスが第一だが、そのパフォーマンスを発揮するに至った組織と他の所属芸人との切磋琢磨のおかげでもあるから、パフォーマンスが高いものはそれ相応の組織への貢献を、「後進の育成」などを通じて行わなければならない、ということなのです。

こうすると、成果を上げられる人間が、さらに(高い報酬を保証できる)組織への貢献を通じて組織強化にもっとも力を注ぐ、という良いエコシステムが回り始めると思われます。

これが、本当の意味での成果主義ではないでしょうか。

高い報酬を得る組織の構成員ほど、自分の仕事以上に、組織全体に貢献するように仕向ける、そのような組織文化が育てば最高です。

売れたら、自分の組織に砂をかけて独立して、そして自分で稼げばいいじゃない、ではなく、後進を育てて自らの地位も合わせて上げていく、そのような裾野の広い組織にしていくという仕組み、それこそ、全体への貢献を高評価者により求めるという、非常に納得感のある、多くの人が努力しようと思える、まっとうな仕組みではないかと思うのです。

これからの時代、自分勝手な業務成果の追求者という態度では、ある程度までしかいけない、そんな運用になってきているような気がします。

さて、今日の記事も残り少なくなりました。

成果を出す前の準備運動については非常に得意な筆者からの見解は以上です。

(平成30年5月21日 月曜日)

2018年4月1日

すぐできて最高に気持ちいい習慣について改めて書いておきたいと思います





おはようございます。

花見の二日酔いで頭が痛い筆者からの2018年4月の配信記事です。

先日アップした挨拶の習慣から始めよう的記事がわりと評判よかったので、同じような話をもう一つしたいと思います。

頭がスッキリして体に粘りが出て集中力が増してダイエットにもなるというその習慣は、早寝早起きです。

毎日、人間は体内時計にしたがって24時間より少し長いバッファ時間を持っています。

ですが、こうしたバッファ時間は、本当に生命の危機が迫っているといった時にごく稀に使うべき類のものであって、いつもいつも眠くなるまでだらだらだらだらゲームやスマホやPCインターネットやテレビやビデオや飲み会や上司の悪口などを言っていては、そのような貴重なバッファ時間の1時間や2時間、あっというまに消化してしまいます。

勢い、日を重ねるごとに就寝時間が遅くなり、夜型の朝寝坊の身体の出来上がりです。

そして、夜の覚醒時には身体を防衛しようと脳が勘違いをして、食物を取り込もうと空腹神経を刺激するものですからさらにいけません。

真夜中のラーメンに始まりカツ丼、ビールに焼酎と際限がありません。

締めにカレーライスなんていう状況もあるくらいです。

翌日、胃ももたれて大変になること請け合いなのですが、そこはぐっと我慢して、できるだけ、同じ時間に寝て睡眠時間を確保しましょう。

そして、より大事なのは、朝起きる時間を後にずらさないということです。

決めた時間より早くおきてしまうということはあまりありませんが、どうしても二度寝三度寝四度寝の強い要求に耐えられなくなるのです。

起きたと思ったら光を浴びて、布団を跳ね除け立ち上がりましょう。

毎日1時間のバッファ時間をリセットするためには、毎朝同じ時間に起きるようにするしかありません。

ここをずらすと、起床時を起点に勝手に脳は自分の身体をコントロールしますから、なかなか難しいのです。

休日で、たとえ学校や会社が休みであっても、起きる時間はずらさない方がよいということになります。

洗濯掃除に家の片付け、見てなかったドラマの再放送録画を見るのも、夜中ではなく「起きたすぐ」に始めるようにすれば、起きるのがつらくなくなります。

極端な話、寝る時間は不規則でも、起きる時間さえバチっと一定に保っておけば、いつも1日のスタートを安定した状態で迎えることができます。

暖かくなってきたこの頃から、こうした生活習慣の力を利用して心(脳)と身体を整えていきたいと思います。

夜中までの飲み会が大敵の意思弱い筆者からの自戒を込めた話は以上です。

(平成30年4月1日 日曜日)

2018年2月19日

グーグルでの仕事の考え方ややり方についての社内研究がとても参考になった話






おはようございます。

2018年2月の配信記事です。

本日は、世界最強の検索企業グーグルが、自社の中をどうやってマネジメントしたら最も業務効率が上がったかという社内研究を元に、業務と社内立場とは必ずしも一致しないというパラドックスをあぶり出していこうという話になります。



いいチームにするために



言い合えるチームが強いと言われます。

ただし新入社員で出社して第一声で、なんであんたが社長やってんの?と言い放ってしまったら即仕事はさせてもらえないように、ある程度の規律は当然必要です。

しかしながら、規律を保ちつつ、なんでも言い合える、ではなく(業務上のことや会社のことを)言い合える組織になって行くことは大変重要であり、そこが永遠に終わらない組織づくりの基本となるのです。

最初に新しい人たちで集まりチームや部署、組織となります。

しかしながら、お互いのことも上司のことも何もわからないし、その組織の業務目標がどこにあるのかすら曖昧であることはよくあることです。

そういう場合、人は不安に感じ緊張を強いられますので、うかつに意見を言って排除されまいと振る舞い、そうしてみんな不安ながら強い同調圧力が働きます。

しかし、だんだん、組織メンバー間の相互コミュニケーションが取れてきて、お互いのことがわかりはじめますと、このメンバーの間ではここまで言っても良さそうだというキャップラインが見えてきまして、そうして自分の意見や地を表に出してくるようになってきます。

そうしないと、そもそもなんの意見も出てこない組織ではすり合わせることもないのです。

一般的に、日本においてはこのそろそろと各人が個性を出して自分の意見を言い始めることがチームコミュニケーションにとって肝要だという点が強く認識されておらず、そんなとき決まって「仕事しろよ」といった冷たい上司や先輩の言葉にそうした萌芽が遮られるという場面を残念ながら筆者(自分のこととしても他者のこととしても)もよく見てきました。

仕事しろよ、って、何を目標にどう仕事をするかをこれから話し合うって時に、仕事しろよでは話になりません。

そんな、本来ならばいろいろ多様な意見がテーブルに出されてそれに対してああでもないこうでもないといった意見の対立や提案や誘致合戦が行われることそれ自体が組織の存立意義なのですが、日本においては、そうした混乱状態が気持ち悪くて、あえて空気を読んで言いたいことは我慢し、対立が生じたらそれが健全な意見の対立であってもよくわからないなあなあ仲裁を買って出る人が出てきたりして、結局何も決まらないことで落ち着くということが繰り返される傾向があります。

ただし、こうした意見の対立の混乱状態を経験しなければ組織はチームになりません。

サッカーや野球で言うところの、「戦う」集団にはなれないわけです。




心理的安定性のみが共通項であった



そして、こうした組織運営を前に進めるにあたって、天下のグーグルが自社の優れたチームを分析して共通の要素を分析するという、「プロジェクト・アリストテレス」という研究を行なったというのが話題になっています。

上手く行っているチームに共通な要素を洗い出す、という、商品開発や研究においてはよく行われる仮説がことごとく破れ、結局、全部のチームに当てはまった項目は一点だけ、「メンバーが業務上自分の言いたいことを言える心理的安全性がチームに存している」ということだけであったという話です。

とにかく従業員に対しては、首になるかもといった不安を与えないようにしないといけません。

そうしないと、首にならないように、社内の立場を守るために、とにかく仕事なんかほっぽり出して社内政治活動という名の中二階活動に全力を投入するようになり、仕事なんかになりません。

そうして、そうした活動は、他の健全な従業員をも巻き込みますので、まるでインフルエンザのように一瞬にして組織に蔓延します。

業務効率化すると自分の仕事が無くなるといった不安もこうした人間の性から生まれてきます。

ですので、あくまでも「業務」にフォーカスして、業務を効率化することが評価軸になるという軸をぶらさず、逆に社内の効率を劣化させる社内政治的要素の芽を極力排除して、そういう振る舞いをしている従業員の行動が完璧に徒労に終わるように配慮し続けるということが最も大切なマネジメントの要諦ということになります。

しっかり目配りして、心理的安定性の高い、活力ある組織を作っていきたいものです。

社長とは何でも言い合える関係だと思っていたのですが、どうやら思っていたのが当方だけのようで、そろそろクビが宣告されるかもしれない筆者からは以上です。

(平成30年2月19日 月曜日)

2018年2月7日

日本史上類を見ないエクストリーム帰宅選手権「島津の退き口(のきぐち)」について語ります!






おはようございます。

2018年2月の記事です。

全国高校生帰宅選手権、優勝は東京代表という虚構新聞の有名な嘘ニュースがありまして、筆者も大好きなのですが、この虚構新聞の題材となったと筆者が勝手に推測するのが、実際にあったエクストリーム帰宅、またの名を史上最高の帰宅難民事件、古今東西類を見ないダイナミック帰宅として名高い、かの島津の退き口(のきぐち、と読みます)であります。

島津の退き口とは、1600年の関ヶ原合戦の最終盤において、西軍で最後まで戦場に留まった島津義弘公が下知した「相掛けよ」という号令によって火ぶたが切られます。

それまで、大阪に駆けつけた兵1,000あまりで布陣した島津軍は西軍の真ん中に陣を置いておりましたが、近寄る敵は撃退するだけで主だった動きを見せてはおりませんでした。

突如東軍に寝返った小早川秀秋15,000の軍が南から攻める中、他の西軍諸将は散り散りとなり退却、そしておよそ300まで撃ち減らされた島津軍は不気味な沈黙を保っておりました。




島津義弘公の決断は?




義弘公の決断の時が迫ります。

義弘公「敵は何処方が猛勢か」(敵の勢いが最も強いのは何処であるか?)

家臣「東寄の敵、以ての外猛勢」(東側の敵勢の勢いが尋常でなく強いです)

義弘公「その猛勢の中に相掛けよ」(その猛烈な敵の中に突っ込め!)

そして、前代未聞の前進退却、コンビニ寄ってお家に帰ろう、というくらいのそぶりで、突然、薩摩軍300は死兵となって家康本隊に向かって猛然と突撃したのです。

この時点ですでに関ヶ原の勝敗は決しており、東軍は残党狩りモードでした。

普通ならば300の部隊が80,000の東軍に包囲されている中で、最も強い本隊に向かって行くなど狂気の沙汰ですが、猛将島津義弘公率いる一騎当千の島津軍、それも目の色を変えて突撃してくる軍隊に対し、合間見えた東軍の福島正則は迂闊に手を出しては大火傷を負うと判断、島津軍をそのまま見送ります。

そうして島津軍は徳川家康本隊の目前まで一気に突破し、そのまま本隊の脇をすり抜けて伊勢路方向へ一直線に駆け抜けていったのです。

ここからが壮絶です。

当然、家康の命により東軍は追撃します。

島津軍は、「捨て奸(すてがまり)」や「座禅陣」と呼称される決死の足止め作戦を行い、主君義弘公を逃すべく、捨身で東軍に襲いかかるのです。

これは、火縄銃と槍刀で武装した兵士たちが、ある程度の集団として本隊から離脱して時間稼ぎ役となるもので、座禅を組み座り込んで火縄銃を構え、敵将を狙撃します。

そして撃った直後に槍や刀に持ちかえ敵集団に突っ込み撹乱し、死ぬまで戦いほぼ確実に死ぬという壮絶な戦法です。

そして、義弘公の甥っ子の島津豊久や家老である長寿院盛淳なども、幹部自らの捨て肝(すてがまり)を敢行し、次々に討死していきます。

「ヒャッハー!」
「道連れだー!」

と叫んだのかは不明ですが、真面目に捉えますと、島津軍の最終目標は、義弘公を無事に薩摩に逃すこと、それこそ島津の勝利であり(西軍は敗北しても島津は負けていない)、兵子(へこ)ども今こそ命の使いどき!という場面なのです。

この島津軍とすでに勝利し命を噛みしめている東軍との士気の差は大きいはずです。

こうして、島津義弘公は、多大な犠牲を払ったものの、80名ほどの部下と一緒に薩摩に帰還したのです。

エクストリーム帰宅、ここに完結です。

この前代未聞の「突撃する」撤退戦こそ、後に「島津の退き口(のきぐち)」と呼ばれ、薩摩隼人の武勇を世に知らしめることと相成りました。

そして時代は15年ほど過ぎまして、この薩摩隼人たちが、大坂夏の陣において最後の突撃を敢行した豊臣軍大将の真田幸村を評して、「日本一の兵(ひのもといちのさむらい)」と書き残し、長く後世に伝えたのです。

突き抜けた者たち同士、敵味方を超えて通じ合うものがあったのかと思います。

西の島津義弘と東の真田幸村、一方は生き残り武名を挙げもう一方は死んで名誉を残しましたが、いずれも時の最高権力者である徳川家康を震え上がらせ義理を果たした、後世に語られるにふさわしい生き方だったと思うわけであります。

そろそろ(明後日くらいから)本気出そうと思います筆者からは以上です。

(平成30年2月7日 水曜日)

2018年2月5日

人間めぐまれ過ぎてやりたいことがなくなってしまうことがあるという話です

おしんの舞台となった農村のイメージ





おはようございます。

2018年2月の配信記事です。

昭和の昔、NHK朝の連続テレビ小説30周年記念の1年間ロールで放映されたお化けテレビドラマがあります。

「おしん」です。

1983年(昭和58年)4月4日から1984年(昭和59年)3月31日まで放送された日本のNHK連続テレビ小説の第31作目(全297話)とものの本にはありますが、実際に小さい頃見た世代としては、一緒に見ていた(死んだ)ばあちゃんが号泣しながら見ていたのをよく覚えております。

平均視聴率52.6%、最高視聴率62.9%のお化けコンテンツで、これはビデオリサーチ社の統計史上、テレビドラマの最高視聴率記録とのことです。

日本が世界に「輸出した」コンテンツの中でも最も有名なものの一つであり、スリランカ、インドネシア、フィリピン、台湾、香港、ベトナム、アフガニスタン、シンガポール、エジプト、イランなど世界68ヶ国や地域で放送され、世界各地で大絶賛されました。

今でも、世界のどこかで再放送がなされていると噂の強烈な作品です。

苦難と困難にまみれながら、でも決して諦めずに明治大正昭和という激動の時代を生きてきた主人公のおしんの姿は、日本のみならず世界中の人々の深い共感をよびました。

そして筆者のばあちゃんも、毎朝欠かさず見て泣いておったわけです。

そのおしんの話すたくさんのセリフの中でも、筆者としてとても考えさせる言葉がありましたので紹介します。

今の若い人たちはかわいそうだよ。

めぐまれ過ぎて、やりたいことがないんだもの。

というようなものです。

恵まれすぎると、やりたいことが見つからなくなる。

深い言葉です。

恵まれた環境にいながら、好きなテニスをやりたい、テニスでプロになりたいと名門一族に談判して、勘当同然で九州のテニスの強豪、柳川高校に進んだのは松岡修造さんですが、そのような人間強烈なパッションがあれば、なんでもできるのではないかと思います。

環境の厳しさは、時にそうした人間の心を鍛え、より高みに登るための試練となることが多いということなのでしょう。

寒い日々が続きますが、営業とかは他の人に任せて、家や会社でぬくぬく過ごしたいのが本音の筆者からは以上です。

(平成30年2月5日 月曜日)

2018年2月4日

正義の味方と悪の組織の根本的な違いについて整理しておきたいと思います








おはようございます。

2018年2月の配信記事です。

悪の秘密結社という会社があります。

「株式会社悪の秘密結社です」と電話で名のられると、一瞬どきっとしますが、れっきとした収益企業です。

事業内容は、ヒーローショーの企画運営であり、各地のご当地ヒーローと「提携」して、さまざまなショーに出かけていき、現場をしっかりかき回し、聴衆を楽しませ、そして最後にはきっちりとやられてお客さんに満足して帰ってもらう、という極めて真面目な団体です。

ヒーローとは、正義の味方とも形容されますが、実は単独では生きていけないか弱い存在でして、組織化もされていないし、そもそも自分で何かをしたいという主体性すらありません。




悪の組織には世界征服という目標がある




悪の組織が世界征服などを着々と進めて行く横で、それに気づいた瞬間、刹那的に対処的に反射的に対応するのみなのです。

彼らの行動は、いつも刹那的で、非戦略的で、問題が解決した後の反省も特にありません。

それが正義の味方の宿命ならば、悪の組織はよほど大きな夢を描き、日々努力を怠らず組織拡大に努め、そして反省を次に生かすという、よほど我々としては見習うべき存在になっているのではないでしょうか。

そして、悪の組織はとてもよく笑います。

大声でも笑うし、含み笑いも、嗤う、と書くいわば嘲笑もいたします。

一方、正義の味方は、いつも何かに怒っているし、自分のやりたいことがありません。

今後のヒーロー像を考える際には、是非一緒に笑うことができるという存在になるにはどのように振舞ったら良いか、正義の味方にも大いに考えてもらいたいものです。

そうしないと、悪の秘密結社に仕事をもらう、という笑えない存在から脱却することはかなわないでしょう。

悪の秘密結社の社長以下怪人たちの今後が健やかなることを願っています。

こちらからは以上です。

(平成30年2月4日 日曜日)

2018年1月26日

日本の雇用慣行では正社員というオプション込みで給料が低く抑えられているという事実






おはようございます。

2018年1月の配信記事です。

日本の雇用慣行においては、新卒(大体において大学学部修了時のことをいう)を毎年4月1日という世界的にはずれた年度初めに一括して採用するという独自のスタイルが取られておりまして、そうして集められた新卒社員に、業界内で定めた一定の給与水準でスタートするという世界的に見れば極めて独特なスタイルが採用されております。

ちなみに、日本の社会構造はここからナイアガラの滝の如く人口減少社会に突入していくわけでありまして、筆者も若いころ「世間」から言われていた「競争社会」「お前の代わりの若い奴などいくらでもいるんだ」的世界観とは全く変わってしまいました。

人は本当にいないので、企業側とすればお願いして来てもらわないといけないわけです。

大きなコストをかけて採用した新卒社員が、例えば3日で辞めてしまった、というようなことは極力避けなければならないのです。

一方パートの時給が上がっていくのは当たり前であり、これは正当な労働力の需給による価格上昇が反映されただけのことです。

企業側としては、毎年一定しか入らない(そしてかなりの部分が途中で離脱する)正社員に頼っていては必要な労働力が集まりませんから、非正規雇用と呼ばれるパート・アルバイト・派遣社員等の時給を上げていきます。

一方で正社員については、時給を上げなくても転職退職あんまり変わりません。

年功序列で給料が上がっていく「権利」がありますので、それを放棄してまで外部に活路を求めるという判断はできないのです。

したがって経営側としては正社員の賃上げのインセンティブはあまりありません。

この点、会社が儲かっている、儲かっていない、ということは「超越」しています。

外部環境が急変している第二次世界大戦(大東亜戦争、太平洋戦争)直前の状況下にあっても、通常の定期異動に定期昇進を行い、飛行機のことなんか基本ほとんどわからなかった司令官を空母機動部隊の司令官とし(航空戦術のわかる人は各空母の艦長クラスにしかいなかった、飛行機というものの時代がそれだけの年月しか経っていなかったため将官級の人材がいなかった)、「先輩に花を持たせよう」とした旧陸海軍を笑えないのであります。

実際、企業の儲かり具合と正社員の給与水準は、会社が赤字の場合は切り詰められますが、会社が儲かっているときはそれほどの相関はないように感じます。

正社員としての、全体の賃上げの低さの原因は、確実に終身雇用年功序列という雇用の身分保障の対価として、高いオプション料を支払って各正社員は「安心」を日々買っているのです。

ですから、会社が大統合したり(メガバンク)、究極的に事業に失敗したり(原発発動機会社や電力会社)した場合においては、正社員たちの狼狽・心配はマックスに達します。

いずれも、オプション料を支払っていた終身雇用年功序列という保障が取れるという恐怖心からくるものです。

安くない機会利益を会社という運命共同体に日々支払っているわけですから、その落胆や失望、会社に対する怒りもわかります。

筆者もメガバンクの構成要素の一つであった銀行に勤めていたこともありますので、その気持ちは痛いほどよくわかります。

さて、このような状況であれば、そのぬるま湯状況から飛び出し、外資系および日本的雇用慣行のない会社に転職すれば給料は上がるでしょうが、身分保障は失います。

したがいまして、身分保障による幸せ増幅機能がどの程度個々人の正社員にとって有用かという観点からすれば、それもポジティブに考えれば納得感もあるかもしれません。

極端な話をしますと、例えば東大東工大工学博士の天才プログラマーであっても、日本の、例えば白物家電メーカーの代表格のこの木なんの木気になる木のグループに就職したとすれば、事務職社員と同じ年収400万円からスタートするというのが、現在の日本の平等な雇用慣行であります。

むろん、この天才プログラマーが適正な処遇を求めていくことはできますが、そのスピードは、年功序列終身雇用オプションを支払っている以上非常に小さいものに留まることが予想されます。

同じ条件であれば、たとえば機電情報系の博士に加えて、プログラミング、英語、中国語をそうですね1年くらいかけてとりあえずできるレベルまでマスターしたら、中国の深圳市(Shenzhen)で年収1,000万円、アメリカのシリコンバレーで年収2,000万円の初任給の待遇になる人材だと思われますので、その格差たるや驚きです。

世界は広い、そういったお話でした。

とりあえず大きな話をしたので今日は奮発してお昼は1,000円のラーメンチャーハン定食を食べようと決意した日本のサラリーマン筆者からは以上です。

(平成30年1月26日 金曜日)

2018年1月18日

日本の労働転職市場がどうして硬直したものになっているのか原因に迫ってみます






おはようございます。

2018年1月の記事です。

2日連続で日本の雇用慣行における課題問題点について論じてみたいと思います。

先日は、日本の労働転職市場がどうしてこのように硬直したものになっているかの大きな原因として、解雇規制が厳しすぎるということを挙げてみました。

もちろん、当局(や裁判所)がこの規制を緩和しないことが根源にあるのですが、実は、一見自由主義者のふりをしながら、この解雇規制が緩和されてしまうと実は困るというか不利益を受ける関係者が多く偏在しているため、この制度はおかしいなという一般民の声をずっと無視した形で続いているという現実もあるのです。

具体的に説明しましょう。

まず、一般的に弱者の地位にあると言われるサラリーマンからすれば、解雇規制が緩和されると一見不利益のように見えます。

しかしながら、事実上市井の運用としては、「仕事ないから今月いっぱいで来なくていいから」といった言われようで、退職金ともいえないなけなしのお金で首になってしまうことも珍しくなかった零細企業の従業員にとっては、実は1年分なりの給与を保証するという点を徹底するという点では解雇規制の緩和ではなく強化といっても差し支えないのです。

ですが、一般には解雇規制の緩和というと、すぐ首を切りやすくするための企業側の論理として無条件に反対しがちであるのは否めないのです。

さらに、本来現状の解雇規制があるおかげで正真正銘便益を受けている(甘い汁を吸っている)層も存在します。

それは、例えば一般的な早期退職プログラムで提示される、いわゆる2年分程度の年収相当を早期割増退職金として退職金に上乗せして受け取れるといった条件より、はるかに好条件の退職プログラムの提示を受ける可能性が高い、いわゆる大企業の正社員(労働貴族)たちがそれにあたります。

つまり、こういった大企業に長く務める正社員(もはや少数派)にとっては、たかだか年収1年分程度のお金で首になってしまうといった金銭解雇ルールなどは、まさに悪夢で絶対に避けねばならないというインセンティブが働きます。

なお、巷で言われている限りの日本での最高級の早期退職募集案件は、実は解雇規制反対の論陣の急先鋒でもある日本のマスコミ界の代表ともいって良い朝日新聞社のものでして、なんとこれは年収の5割相当を10年間支給するというものでした。

年収の5割を10年間ですから、ざっと5年分です。

しかも、当然に勤務義務もないので、再就職なり自前で起業しようが自由です。

これぞゴールデンパラシュートではないでしょうか。

これでは、社員総出で解雇規制緩和には否定的な論陣を自社の紙面で張るのも仕方ないことなのかもしれません。

かように、実際としての解雇は、明日から来なくていいと言われるのから向こう10年間に渡って割増退職金を支給し続けるものまで、天と地ほどの差が運用によってバラバラであり、明らかに世間相場というものがない世界になってしまっているというのが実態だと思うわけです。

そこに問題の本質があると思います。

従いまして、解雇に関する金銭解決の指針、みたいなものを整備してもらうだけでよく、それは判例の積み上げでも構いませんし通達レベル(法令改正までは不要)で結構だと思います。

筆者の肌感覚では、1年程度の割増退職金で自由に雇用種側の解雇を認めるような労働契約になれば十分だと思います。

そうすれば、日本の労働者会社双方の生産性が飛躍的に向上し、前向きな転職労働市場の発展にも資すると思います。

なぜかをもう一度説明すると、解雇規制が緩和されて金銭での自由な企業側からの解雇が認められれば、企業側を縛っていた、間違って(少なくとも企業側にとって)ダメな人材を高給で雇ってしまった場合に、首にできないので、したがって怖くて高い給料を払えないという「呪縛」を解くことができるからです。

そして、日本人の社員の年収は間違いなくアップします。

すなわち、日本企業の年収水準が国際的に見て低いのは、間違って雇ってしまった企業側としてダメだと判定された人材を泳がせている給料の分だけ、社業にとって必要で優秀な人材の給料を減らさないといけないからであります。

解雇規制は、まさに薄く広くダメな人材分をみんなで負担する制度であり、企業にとっても働く側にとっても、実は諸悪の根源なのです。

労働者側も、自分をダメと判定する企業に長くいる必要はなく、そんな場合は、どんどん他に再チャレンジすべきなのです。

20歳そこそこでその後の人生を一気に決める決断を迫る、新卒一括採用+解雇規制+終身雇用+年功序列、というコースは、もちろんそれで「はまった」人については良い制度かもしれませんが、それ以外の選択肢が限りなく狭いというのはバランスを欠いていると思うわけです。

わざわざ、意図的に、人材のミスマッチを作り出し硬直化させようとする圧力がかかるのはかなり納得いかないように思っています。

ということで、転職回数なら余人の追随を許しませんが、実は仕事には一途で転職のことは「卒業」と呼んでいるセンチメンタルな筆者からは以上です。

(平成30年1月18日 木曜日)

2018年1月13日

スポーツ選手における全人格的教育がとても大切であることに改めて気づいた点について






おはようございます。

2018年1月の記事です。

オリンピックレベルを目指す日本代表を決める大会において、にわかには信じられない問題が起こりました。

2017年9月に行われたカヌーの日本選手権の大会期間中、何と2020年の東京オリンピックを目指す同競技のベテランの鈴木選手(32歳)が、後輩でありメキメキと頭角を現してきていた小松選手(25歳)の飲料ボトルに禁止薬物を投入したのです。

試合は、小松選手の勝ちでしたが、同時に行われたドーピング検査において禁止薬物の陽性反応が出たため、ルールに則り成績は無効とされ、さらに今後の選手活動もできなくなりました。

この全く身に覚えのない行為で将来を失った小松選手は、信じている先輩に相談したとのことです。

それが鈴木選手です。

鈴木選手は、良心の呵責に耐えられず自らの不正行為を告白します。

こうして、小松選手は再び選手活動ができるようになったということです。

日本アンチ・ドーピング機構(JADA)は、この結果、改めて鈴木選手に8年間の資格停止処分を科すとともに、暫定的な資格停止となっていた小松選手の処分を解除したということになります。

この二人は、 ともに2017年夏のカヌー世界選手権(チェコ)にも出場し、2020年東京五輪を目指すトップ選手でありました。

いわば日本の競技カヌー界の代表です。

ライバルを陥れるようなことがあってはいけません。

正々堂々と勝負しなければなりません。

小松選手は、鈴木選手が自白してくれてありがたいと述べ、ドリンクから目を離した自分にも責任があるという殊勝なコメントを残しました。

これは、スポーツでも勉強でもそのほかの才能を発揮する何においても、まずは人格の形成こそが大切であるということを考えさせられる話でした。

鈴木選手がスポーツに限らず、人生においてもっとも大切な信頼というやつに大きな傷をつけたことは間違いありません。

そして、信頼というものがどれだけ大切なのかということを改めまして教えられたとも思うのです。

カヌーと同じ水上競技のボート部に所属しておりましたため、他人事(ひとごと)ではないと思いまして触れさせていただきました。

こちらからは以上です。

(平成30年1月13日 土曜日)

2017年12月25日

やっぱりいまを生きていくしかないと改めて思った話をします





おはようございます。

2017年12月の記事です。

あらためて、時間というものは大切だと感じた話です。

ところで、お金というのは貯めておくことができます。

貯めておくと、価値が下がって二束三文になってしまうこともありますが、一気に価格が数倍数十倍になることもあります。

しかしながら、毎日起きた時に与えられる86,400秒という時間は、寝て次に起きる時には毎回ゼロになってしまいます。

1日=24時間=1,440分=86,400秒

です。

そうして、起きた瞬間、また86,400秒が与えられるというわけです。

つまり、この86,400秒の中で、我々がその日のうちにうまく使えなかった分は、全て消えて無くなってしまうということです。

二度と戻ってきません。

残念ながらこの時間というものは貯めておくことはできないし、投資などで増やすことを狙うこともできないのです。

そして、この時間がいつもらえなくなるかは誰にもわからない

このような世界に私たち一人一人は生きているのです

あなたなら、私なら、どうするのでしょう。

こう考えたなら、きっとみなさん毎日の86,400秒をきちんと全額引き出し、なんとか有意義に使おうとするのではないでしょうか。

有意義に使う、と行っている意味は、休むなとか寝るなとかだらだらするなとかそういうことを行っているのではありません。

休むなら休む、きちんと自分で決めて自分の時間を過ごすことが大切だということです。
 
1日は24時間
24時間は1440分
1440分は86400秒

なのです。

みな平等に与えられる毎日の86,400秒という時間、使い方は人それぞれですが、人それぞれ、使ったように人間なっていきます。
 
翌日に繰り越す事も、過去に戻ってやり直すこともできないのです。
 
我々がうまく使いきらなかったと思ってしまった時間でも、毎晩、消えてなくなってしまいます。

結局、我々は今、今日与えられた時間を使い(その確率はだんだん減っていきます)、今を精一杯生きるしかないということになります。
 
たとえば、不幸にして残念にも昨日亡くなってしまった人にとっては、今日という日はとても生きたかった特別の日であったでありましょう。

そんな大切な日を、我々は生きて「プレゼント(現在)」として受け取っているとも言えるのです。

年末の押し迫った日に、不幸ごとに接し改めまして思いました。

故人と関係の皆様に謹んでお悔やみ申し上げます、合掌。

こちらからは以上です。

(平成29年12月25日 月曜日)

2017年12月23日

自分の才能の棚卸しをしてみてこれからの指針として活かしてみようという話です





おはようございます。

2017年12月の記事です。

自分探しも43年目を迎えていますが道半ばの筆者です。

さて、ふとしたきっかけで、人事才能メソッド「ストレングス・ファインダー」というのを手にする機会がありました。

こては、1998年にアメリカの心理学界の大家となったドナルド・クリフトン博士(ドナルド・トランプではないです)によって生み出されたどんな人間でも持っている資質を34に類型化したものです。

博士の数十年に及ぶ調査研究の集大成として開発され、30分程度の心理テストのようなものに直感で答えていくと、結果類型化された34の資質があなたの特質として序列がついて、1番から34番まで並ぶという、なかなか優れもののメソッドになります。

こうして、客観的に自らの「才能」「特質」を眺めて見て、自らの強く現出している才能を伸ばして自らの仕事や人生に生かすという方法です。

アメリカ人がいかにも好きそうな心理類型化メソッドでありますが、面白そうなので筆者もやってみたわけです。


結果をおしらせします


結果出ました。

1  学習欲 Learner 
2  共感性 Empathy
3  原点思考 Context
4  運命思考 Connectedness
5  活発性 Activator



34 競争性 Competition

となりました。

学習欲とは、なんでもその仕組みや背景を知ろうとする態度です。要するにおたく的に調べたがるということです。

本人は勉強しているという感覚すらありません。

好きなことを調べているだけなので、それだけで満たされるのです。

要するに趣味です。

共感性とは、相手の気持ちになって一緒に泣き、笑い、そのような感情の総量が多いということのようです。

確かに、映画でも子供の卒業式でもすぐ泣くし、フェイスブックでもいいね押して終わっておけばいいのにいちいちコメントを残したりしています。

原点思考とはそもそもの成り立ちや過去の事例や前例に強いこだわりを見せる性向で、筆者の歴史好きはここからきているのは間違い無いようです。

運命思考とは何かもっと大きな存在の一部と自己を規定できる能力のことのようで、確かにいろいろな宗教的ものの考え方や文化の違いをそのまま受容できるのはこの能力のおかげかと思います。

海外にいっても、知らない国でも普通にやっていけそう、というところにも通じるでしょう。

5番目の活発性は、とにかく動きながら考える、じっとしていられない、という特質で、すぐやることをモットーにとにかくうろついている自分にぴったりです。

さて、このように見てみますと筆者の特質を一言で表しますと、

・すぐ泣く知りたがりで歴史おたくなどこでも生きていけるこだわりなしのせっかちさん

というようなところでまとめられると思います。

逆に、最も少ない特質に「競争性」があるのも面白いと思いました。

勝負は挑まず挑まれても避けてしまう、そんな日和見の性格も加え、上記を改訂し、以下を改めて自己紹介文とさせていただきます。

・すぐ泣く知りたがりで歴史おたくなどこでも生きていけるこだわりなしの日和見せっかちさん

そんな筆者からの自己分析は以上です。

(平成29年12月23日 土曜日:天長節)

2017年12月19日

チームの目標には幅を持たせたほうが良いという話です





おはようございます。

2017年12月の記事です。

チームの目標には幅を持たせたほうが良いという話を聞いてなるほどと思ったので書いておきます。

目標設定は大変重要です。

それに向かう心構えももちろん重要ですが、まずどこに向かうかという目標設定がないと、仕事もプライベートも、第三の場所においても張り合いがなく楽しくありません。

さてそのように常時設定する目標ですが、これまでは筆者などは確かに「点」として認識していました。

個人としてそれを設定するときには明確にイメージするために、目標を「点」にして「星」の如く強く輝くものとして捉えたほうがその達成へのモチベーションも湧きいい感じであるように思えます。

しかしながら、チームとして目標を設定する場合、あくまで総体としてのチームでそのゴール(目標)を達成しようとする場合、どうしても「点」の目標ではチーム内で貢献しただの乗っかっただけだのといった相互コンフリクトが生じてメンバーみんなが幸せにならないというわけです。

これを防ぐためには、チームとして目標を定める場合、少々ぶれる、ぼけることは覚悟の上で幅を持たせた目標にしておくことが有用です。

例えばシステム開発をして納品するという場合、最低限ここまでやって満たす品質を上げたら契約上のお金をもらえる、もっととびぬけた品質や納期前の納品であれば、次はもっといい仕事を回してください、と頼める関係が作れます。

ですので、目標を点から幅をもった線として置くことで、それを超える能力を持っている者のモチベーションダウンも防ぐことができますし、能力取得途上の者にも、「それは無理」という異常に高く見えてしまう目標ではなく、幅を持った最低限の目標をまず超えてみようと思えることで、モチベーションを保つことができるというわけです。

そのようなマネジメントになるよう日々精進したいものです。

サッカーのシュートが、そもそもゴール枠内に飛ばない筆者からは以上です。

(平成29年12月19日 火曜日)