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2018年4月1日

すぐできて最高に気持ちいい習慣について改めて書いておきたいと思います





おはようございます。

花見の二日酔いで頭が痛い筆者からの2018年4月の配信記事です。

先日アップした挨拶の習慣から始めよう的記事がわりと評判よかったので、同じような話をもう一つしたいと思います。

頭がスッキリして体に粘りが出て集中力が増してダイエットにもなるというその習慣は、早寝早起きです。

毎日、人間は体内時計にしたがって24時間より少し長いバッファ時間を持っています。

ですが、こうしたバッファ時間は、本当に生命の危機が迫っているといった時にごく稀に使うべき類のものであって、いつもいつも眠くなるまでだらだらだらだらゲームやスマホやPCインターネットやテレビやビデオや飲み会や上司の悪口などを言っていては、そのような貴重なバッファ時間の1時間や2時間、あっというまに消化してしまいます。

勢い、日を重ねるごとに就寝時間が遅くなり、夜型の朝寝坊の身体の出来上がりです。

そして、夜の覚醒時には身体を防衛しようと脳が勘違いをして、食物を取り込もうと空腹神経を刺激するものですからさらにいけません。

真夜中のラーメンに始まりカツ丼、ビールに焼酎と際限がありません。

締めにカレーライスなんていう状況もあるくらいです。

翌日、胃ももたれて大変になること請け合いなのですが、そこはぐっと我慢して、できるだけ、同じ時間に寝て睡眠時間を確保しましょう。

そして、より大事なのは、朝起きる時間を後にずらさないということです。

決めた時間より早くおきてしまうということはあまりありませんが、どうしても二度寝三度寝四度寝の強い要求に耐えられなくなるのです。

起きたと思ったら光を浴びて、布団を跳ね除け立ち上がりましょう。

毎日1時間のバッファ時間をリセットするためには、毎朝同じ時間に起きるようにするしかありません。

ここをずらすと、起床時を起点に勝手に脳は自分の身体をコントロールしますから、なかなか難しいのです。

休日で、たとえ学校や会社が休みであっても、起きる時間はずらさない方がよいということになります。

洗濯掃除に家の片付け、見てなかったドラマの再放送録画を見るのも、夜中ではなく「起きたすぐ」に始めるようにすれば、起きるのがつらくなくなります。

極端な話、寝る時間は不規則でも、起きる時間さえバチっと一定に保っておけば、いつも1日のスタートを安定した状態で迎えることができます。

暖かくなってきたこの頃から、こうした生活習慣の力を利用して心(脳)と身体を整えていきたいと思います。

夜中までの飲み会が大敵の意思弱い筆者からの自戒を込めた話は以上です。

(平成30年4月1日 日曜日)

2018年2月19日

グーグルでの仕事の考え方ややり方についての社内研究がとても参考になった話






おはようございます。

2018年2月の配信記事です。

本日は、世界最強の検索企業グーグルが、自社の中をどうやってマネジメントしたら最も業務効率が上がったかという社内研究を元に、業務と社内立場とは必ずしも一致しないというパラドックスをあぶり出していこうという話になります。



いいチームにするために



言い合えるチームが強いと言われます。

ただし新入社員で出社して第一声で、なんであんたが社長やってんの?と言い放ってしまったら即仕事はさせてもらえないように、ある程度の規律は当然必要です。

しかしながら、規律を保ちつつ、なんでも言い合える、ではなく(業務上のことや会社のことを)言い合える組織になって行くことは大変重要であり、そこが永遠に終わらない組織づくりの基本となるのです。

最初に新しい人たちで集まりチームや部署、組織となります。

しかしながら、お互いのことも上司のことも何もわからないし、その組織の業務目標がどこにあるのかすら曖昧であることはよくあることです。

そういう場合、人は不安に感じ緊張を強いられますので、うかつに意見を言って排除されまいと振る舞い、そうしてみんな不安ながら強い同調圧力が働きます。

しかし、だんだん、組織メンバー間の相互コミュニケーションが取れてきて、お互いのことがわかりはじめますと、このメンバーの間ではここまで言っても良さそうだというキャップラインが見えてきまして、そうして自分の意見や地を表に出してくるようになってきます。

そうしないと、そもそもなんの意見も出てこない組織ではすり合わせることもないのです。

一般的に、日本においてはこのそろそろと各人が個性を出して自分の意見を言い始めることがチームコミュニケーションにとって肝要だという点が強く認識されておらず、そんなとき決まって「仕事しろよ」といった冷たい上司や先輩の言葉にそうした萌芽が遮られるという場面を残念ながら筆者(自分のこととしても他者のこととしても)もよく見てきました。

仕事しろよ、って、何を目標にどう仕事をするかをこれから話し合うって時に、仕事しろよでは話になりません。

そんな、本来ならばいろいろ多様な意見がテーブルに出されてそれに対してああでもないこうでもないといった意見の対立や提案や誘致合戦が行われることそれ自体が組織の存立意義なのですが、日本においては、そうした混乱状態が気持ち悪くて、あえて空気を読んで言いたいことは我慢し、対立が生じたらそれが健全な意見の対立であってもよくわからないなあなあ仲裁を買って出る人が出てきたりして、結局何も決まらないことで落ち着くということが繰り返される傾向があります。

ただし、こうした意見の対立の混乱状態を経験しなければ組織はチームになりません。

サッカーや野球で言うところの、「戦う」集団にはなれないわけです。




心理的安定性のみが共通項であった



そして、こうした組織運営を前に進めるにあたって、天下のグーグルが自社の優れたチームを分析して共通の要素を分析するという、「プロジェクト・アリストテレス」という研究を行なったというのが話題になっています。

上手く行っているチームに共通な要素を洗い出す、という、商品開発や研究においてはよく行われる仮説がことごとく破れ、結局、全部のチームに当てはまった項目は一点だけ、「メンバーが業務上自分の言いたいことを言える心理的安全性がチームに存している」ということだけであったという話です。

とにかく従業員に対しては、首になるかもといった不安を与えないようにしないといけません。

そうしないと、首にならないように、社内の立場を守るために、とにかく仕事なんかほっぽり出して社内政治活動という名の中二階活動に全力を投入するようになり、仕事なんかになりません。

そうして、そうした活動は、他の健全な従業員をも巻き込みますので、まるでインフルエンザのように一瞬にして組織に蔓延します。

業務効率化すると自分の仕事が無くなるといった不安もこうした人間の性から生まれてきます。

ですので、あくまでも「業務」にフォーカスして、業務を効率化することが評価軸になるという軸をぶらさず、逆に社内の効率を劣化させる社内政治的要素の芽を極力排除して、そういう振る舞いをしている従業員の行動が完璧に徒労に終わるように配慮し続けるということが最も大切なマネジメントの要諦ということになります。

しっかり目配りして、心理的安定性の高い、活力ある組織を作っていきたいものです。

社長とは何でも言い合える関係だと思っていたのですが、どうやら思っていたのが当方だけのようで、そろそろクビが宣告されるかもしれない筆者からは以上です。

(平成30年2月19日 月曜日)

2018年2月7日

日本史上類を見ないエクストリーム帰宅選手権「島津の退き口(のきぐち)」について語ります!






おはようございます。

2018年2月の記事です。

全国高校生帰宅選手権、優勝は東京代表という虚構新聞の有名な嘘ニュースがありまして、筆者も大好きなのですが、この虚構新聞の題材となったと筆者が勝手に推測するのが、実際にあったエクストリーム帰宅、またの名を史上最高の帰宅難民事件、古今東西類を見ないダイナミック帰宅として名高い、かの島津の退き口(のきぐち、と読みます)であります。

島津の退き口とは、1600年の関ヶ原合戦の最終盤において、西軍で最後まで戦場に留まった島津義弘公が下知した「相掛けよ」という号令によって火ぶたが切られます。

それまで、大阪に駆けつけた兵1,000あまりで布陣した島津軍は西軍の真ん中に陣を置いておりましたが、近寄る敵は撃退するだけで主だった動きを見せてはおりませんでした。

突如東軍に寝返った小早川秀秋15,000の軍が南から攻める中、他の西軍諸将は散り散りとなり退却、そしておよそ300まで撃ち減らされた島津軍は不気味な沈黙を保っておりました。




島津義弘公の決断は?




義弘公の決断の時が迫ります。

義弘公「敵は何処方が猛勢か」(敵の勢いが最も強いのは何処であるか?)

家臣「東寄の敵、以ての外猛勢」(東側の敵勢の勢いが尋常でなく強いです)

義弘公「その猛勢の中に相掛けよ」(その猛烈な敵の中に突っ込め!)

そして、前代未聞の前進退却、コンビニ寄ってお家に帰ろう、というくらいのそぶりで、突然、薩摩軍300は死兵となって家康本隊に向かって猛然と突撃したのです。

この時点ですでに関ヶ原の勝敗は決しており、東軍は残党狩りモードでした。

普通ならば300の部隊が80,000の東軍に包囲されている中で、最も強い本隊に向かって行くなど狂気の沙汰ですが、猛将島津義弘公率いる一騎当千の島津軍、それも目の色を変えて突撃してくる軍隊に対し、合間見えた東軍の福島正則は迂闊に手を出しては大火傷を負うと判断、島津軍をそのまま見送ります。

そうして島津軍は徳川家康本隊の目前まで一気に突破し、そのまま本隊の脇をすり抜けて伊勢路方向へ一直線に駆け抜けていったのです。

ここからが壮絶です。

当然、家康の命により東軍は追撃します。

島津軍は、「捨て奸(すてがまり)」や「座禅陣」と呼称される決死の足止め作戦を行い、主君義弘公を逃すべく、捨身で東軍に襲いかかるのです。

これは、火縄銃と槍刀で武装した兵士たちが、ある程度の集団として本隊から離脱して時間稼ぎ役となるもので、座禅を組み座り込んで火縄銃を構え、敵将を狙撃します。

そして撃った直後に槍や刀に持ちかえ敵集団に突っ込み撹乱し、死ぬまで戦いほぼ確実に死ぬという壮絶な戦法です。

そして、義弘公の甥っ子の島津豊久や家老である長寿院盛淳なども、幹部自らの捨て肝(すてがまり)を敢行し、次々に討死していきます。

「ヒャッハー!」
「道連れだー!」

と叫んだのかは不明ですが、真面目に捉えますと、島津軍の最終目標は、義弘公を無事に薩摩に逃すこと、それこそ島津の勝利であり(西軍は敗北しても島津は負けていない)、兵子(へこ)ども今こそ命の使いどき!という場面なのです。

この島津軍とすでに勝利し命を噛みしめている東軍との士気の差は大きいはずです。

こうして、島津義弘公は、多大な犠牲を払ったものの、80名ほどの部下と一緒に薩摩に帰還したのです。

エクストリーム帰宅、ここに完結です。

この前代未聞の「突撃する」撤退戦こそ、後に「島津の退き口(のきぐち)」と呼ばれ、薩摩隼人の武勇を世に知らしめることと相成りました。

そして時代は15年ほど過ぎまして、この薩摩隼人たちが、大坂夏の陣において最後の突撃を敢行した豊臣軍大将の真田幸村を評して、「日本一の兵(ひのもといちのさむらい)」と書き残し、長く後世に伝えたのです。

突き抜けた者たち同士、敵味方を超えて通じ合うものがあったのかと思います。

西の島津義弘と東の真田幸村、一方は生き残り武名を挙げもう一方は死んで名誉を残しましたが、いずれも時の最高権力者である徳川家康を震え上がらせ義理を果たした、後世に語られるにふさわしい生き方だったと思うわけであります。

そろそろ(明後日くらいから)本気出そうと思います筆者からは以上です。

(平成30年2月7日 水曜日)

2018年2月5日

人間めぐまれ過ぎてやりたいことがなくなってしまうことがあるという話です

おしんの舞台となった農村のイメージ





おはようございます。

2018年2月の配信記事です。

昭和の昔、NHK朝の連続テレビ小説30周年記念の1年間ロールで放映されたお化けテレビドラマがあります。

「おしん」です。

1983年(昭和58年)4月4日から1984年(昭和59年)3月31日まで放送された日本のNHK連続テレビ小説の第31作目(全297話)とものの本にはありますが、実際に小さい頃見た世代としては、一緒に見ていた(死んだ)ばあちゃんが号泣しながら見ていたのをよく覚えております。

平均視聴率52.6%、最高視聴率62.9%のお化けコンテンツで、これはビデオリサーチ社の統計史上、テレビドラマの最高視聴率記録とのことです。

日本が世界に「輸出した」コンテンツの中でも最も有名なものの一つであり、スリランカ、インドネシア、フィリピン、台湾、香港、ベトナム、アフガニスタン、シンガポール、エジプト、イランなど世界68ヶ国や地域で放送され、世界各地で大絶賛されました。

今でも、世界のどこかで再放送がなされていると噂の強烈な作品です。

苦難と困難にまみれながら、でも決して諦めずに明治大正昭和という激動の時代を生きてきた主人公のおしんの姿は、日本のみならず世界中の人々の深い共感をよびました。

そして筆者のばあちゃんも、毎朝欠かさず見て泣いておったわけです。

そのおしんの話すたくさんのセリフの中でも、筆者としてとても考えさせる言葉がありましたので紹介します。

今の若い人たちはかわいそうだよ。

めぐまれ過ぎて、やりたいことがないんだもの。

というようなものです。

恵まれすぎると、やりたいことが見つからなくなる。

深い言葉です。

恵まれた環境にいながら、好きなテニスをやりたい、テニスでプロになりたいと名門一族に談判して、勘当同然で九州のテニスの強豪、柳川高校に進んだのは松岡修造さんですが、そのような人間強烈なパッションがあれば、なんでもできるのではないかと思います。

環境の厳しさは、時にそうした人間の心を鍛え、より高みに登るための試練となることが多いということなのでしょう。

寒い日々が続きますが、営業とかは他の人に任せて、家や会社でぬくぬく過ごしたいのが本音の筆者からは以上です。

(平成30年2月5日 月曜日)

2018年2月4日

正義の味方と悪の組織の根本的な違いについて整理しておきたいと思います








おはようございます。

2018年2月の配信記事です。

悪の秘密結社という会社があります。

「株式会社悪の秘密結社です」と電話で名のられると、一瞬どきっとしますが、れっきとした収益企業です。

事業内容は、ヒーローショーの企画運営であり、各地のご当地ヒーローと「提携」して、さまざまなショーに出かけていき、現場をしっかりかき回し、聴衆を楽しませ、そして最後にはきっちりとやられてお客さんに満足して帰ってもらう、という極めて真面目な団体です。

ヒーローとは、正義の味方とも形容されますが、実は単独では生きていけないか弱い存在でして、組織化もされていないし、そもそも自分で何かをしたいという主体性すらありません。




悪の組織には世界征服という目標がある




悪の組織が世界征服などを着々と進めて行く横で、それに気づいた瞬間、刹那的に対処的に反射的に対応するのみなのです。

彼らの行動は、いつも刹那的で、非戦略的で、問題が解決した後の反省も特にありません。

それが正義の味方の宿命ならば、悪の組織はよほど大きな夢を描き、日々努力を怠らず組織拡大に努め、そして反省を次に生かすという、よほど我々としては見習うべき存在になっているのではないでしょうか。

そして、悪の組織はとてもよく笑います。

大声でも笑うし、含み笑いも、嗤う、と書くいわば嘲笑もいたします。

一方、正義の味方は、いつも何かに怒っているし、自分のやりたいことがありません。

今後のヒーロー像を考える際には、是非一緒に笑うことができるという存在になるにはどのように振舞ったら良いか、正義の味方にも大いに考えてもらいたいものです。

そうしないと、悪の秘密結社に仕事をもらう、という笑えない存在から脱却することはかなわないでしょう。

悪の秘密結社の社長以下怪人たちの今後が健やかなることを願っています。

こちらからは以上です。

(平成30年2月4日 日曜日)

2018年1月26日

日本の雇用慣行では正社員というオプション込みで給料が低く抑えられているという事実






おはようございます。

2018年1月の配信記事です。

日本の雇用慣行においては、新卒(大体において大学学部修了時のことをいう)を毎年4月1日という世界的にはずれた年度初めに一括して採用するという独自のスタイルが取られておりまして、そうして集められた新卒社員に、業界内で定めた一定の給与水準でスタートするという世界的に見れば極めて独特なスタイルが採用されております。

ちなみに、日本の社会構造はここからナイアガラの滝の如く人口減少社会に突入していくわけでありまして、筆者も若いころ「世間」から言われていた「競争社会」「お前の代わりの若い奴などいくらでもいるんだ」的世界観とは全く変わってしまいました。

人は本当にいないので、企業側とすればお願いして来てもらわないといけないわけです。

大きなコストをかけて採用した新卒社員が、例えば3日で辞めてしまった、というようなことは極力避けなければならないのです。

一方パートの時給が上がっていくのは当たり前であり、これは正当な労働力の需給による価格上昇が反映されただけのことです。

企業側としては、毎年一定しか入らない(そしてかなりの部分が途中で離脱する)正社員に頼っていては必要な労働力が集まりませんから、非正規雇用と呼ばれるパート・アルバイト・派遣社員等の時給を上げていきます。

一方で正社員については、時給を上げなくても転職退職あんまり変わりません。

年功序列で給料が上がっていく「権利」がありますので、それを放棄してまで外部に活路を求めるという判断はできないのです。

したがって経営側としては正社員の賃上げのインセンティブはあまりありません。

この点、会社が儲かっている、儲かっていない、ということは「超越」しています。

外部環境が急変している第二次世界大戦(大東亜戦争、太平洋戦争)直前の状況下にあっても、通常の定期異動に定期昇進を行い、飛行機のことなんか基本ほとんどわからなかった司令官を空母機動部隊の司令官とし(航空戦術のわかる人は各空母の艦長クラスにしかいなかった、飛行機というものの時代がそれだけの年月しか経っていなかったため将官級の人材がいなかった)、「先輩に花を持たせよう」とした旧陸海軍を笑えないのであります。

実際、企業の儲かり具合と正社員の給与水準は、会社が赤字の場合は切り詰められますが、会社が儲かっているときはそれほどの相関はないように感じます。

正社員としての、全体の賃上げの低さの原因は、確実に終身雇用年功序列という雇用の身分保障の対価として、高いオプション料を支払って各正社員は「安心」を日々買っているのです。

ですから、会社が大統合したり(メガバンク)、究極的に事業に失敗したり(原発発動機会社や電力会社)した場合においては、正社員たちの狼狽・心配はマックスに達します。

いずれも、オプション料を支払っていた終身雇用年功序列という保障が取れるという恐怖心からくるものです。

安くない機会利益を会社という運命共同体に日々支払っているわけですから、その落胆や失望、会社に対する怒りもわかります。

筆者もメガバンクの構成要素の一つであった銀行に勤めていたこともありますので、その気持ちは痛いほどよくわかります。

さて、このような状況であれば、そのぬるま湯状況から飛び出し、外資系および日本的雇用慣行のない会社に転職すれば給料は上がるでしょうが、身分保障は失います。

したがいまして、身分保障による幸せ増幅機能がどの程度個々人の正社員にとって有用かという観点からすれば、それもポジティブに考えれば納得感もあるかもしれません。

極端な話をしますと、例えば東大東工大工学博士の天才プログラマーであっても、日本の、例えば白物家電メーカーの代表格のこの木なんの木気になる木のグループに就職したとすれば、事務職社員と同じ年収400万円からスタートするというのが、現在の日本の平等な雇用慣行であります。

むろん、この天才プログラマーが適正な処遇を求めていくことはできますが、そのスピードは、年功序列終身雇用オプションを支払っている以上非常に小さいものに留まることが予想されます。

同じ条件であれば、たとえば機電情報系の博士に加えて、プログラミング、英語、中国語をそうですね1年くらいかけてとりあえずできるレベルまでマスターしたら、中国の深圳市(Shenzhen)で年収1,000万円、アメリカのシリコンバレーで年収2,000万円の初任給の待遇になる人材だと思われますので、その格差たるや驚きです。

世界は広い、そういったお話でした。

とりあえず大きな話をしたので今日は奮発してお昼は1,000円のラーメンチャーハン定食を食べようと決意した日本のサラリーマン筆者からは以上です。

(平成30年1月26日 金曜日)

2018年1月18日

日本の労働転職市場がどうして硬直したものになっているのか原因に迫ってみます






おはようございます。

2018年1月の記事です。

2日連続で日本の雇用慣行における課題問題点について論じてみたいと思います。

先日は、日本の労働転職市場がどうしてこのように硬直したものになっているかの大きな原因として、解雇規制が厳しすぎるということを挙げてみました。

もちろん、当局(や裁判所)がこの規制を緩和しないことが根源にあるのですが、実は、一見自由主義者のふりをしながら、この解雇規制が緩和されてしまうと実は困るというか不利益を受ける関係者が多く偏在しているため、この制度はおかしいなという一般民の声をずっと無視した形で続いているという現実もあるのです。

具体的に説明しましょう。

まず、一般的に弱者の地位にあると言われるサラリーマンからすれば、解雇規制が緩和されると一見不利益のように見えます。

しかしながら、事実上市井の運用としては、「仕事ないから今月いっぱいで来なくていいから」といった言われようで、退職金ともいえないなけなしのお金で首になってしまうことも珍しくなかった零細企業の従業員にとっては、実は1年分なりの給与を保証するという点を徹底するという点では解雇規制の緩和ではなく強化といっても差し支えないのです。

ですが、一般には解雇規制の緩和というと、すぐ首を切りやすくするための企業側の論理として無条件に反対しがちであるのは否めないのです。

さらに、本来現状の解雇規制があるおかげで正真正銘便益を受けている(甘い汁を吸っている)層も存在します。

それは、例えば一般的な早期退職プログラムで提示される、いわゆる2年分程度の年収相当を早期割増退職金として退職金に上乗せして受け取れるといった条件より、はるかに好条件の退職プログラムの提示を受ける可能性が高い、いわゆる大企業の正社員(労働貴族)たちがそれにあたります。

つまり、こういった大企業に長く務める正社員(もはや少数派)にとっては、たかだか年収1年分程度のお金で首になってしまうといった金銭解雇ルールなどは、まさに悪夢で絶対に避けねばならないというインセンティブが働きます。

なお、巷で言われている限りの日本での最高級の早期退職募集案件は、実は解雇規制反対の論陣の急先鋒でもある日本のマスコミ界の代表ともいって良い朝日新聞社のものでして、なんとこれは年収の5割相当を10年間支給するというものでした。

年収の5割を10年間ですから、ざっと5年分です。

しかも、当然に勤務義務もないので、再就職なり自前で起業しようが自由です。

これぞゴールデンパラシュートではないでしょうか。

これでは、社員総出で解雇規制緩和には否定的な論陣を自社の紙面で張るのも仕方ないことなのかもしれません。

かように、実際としての解雇は、明日から来なくていいと言われるのから向こう10年間に渡って割増退職金を支給し続けるものまで、天と地ほどの差が運用によってバラバラであり、明らかに世間相場というものがない世界になってしまっているというのが実態だと思うわけです。

そこに問題の本質があると思います。

従いまして、解雇に関する金銭解決の指針、みたいなものを整備してもらうだけでよく、それは判例の積み上げでも構いませんし通達レベル(法令改正までは不要)で結構だと思います。

筆者の肌感覚では、1年程度の割増退職金で自由に雇用種側の解雇を認めるような労働契約になれば十分だと思います。

そうすれば、日本の労働者会社双方の生産性が飛躍的に向上し、前向きな転職労働市場の発展にも資すると思います。

なぜかをもう一度説明すると、解雇規制が緩和されて金銭での自由な企業側からの解雇が認められれば、企業側を縛っていた、間違って(少なくとも企業側にとって)ダメな人材を高給で雇ってしまった場合に、首にできないので、したがって怖くて高い給料を払えないという「呪縛」を解くことができるからです。

そして、日本人の社員の年収は間違いなくアップします。

すなわち、日本企業の年収水準が国際的に見て低いのは、間違って雇ってしまった企業側としてダメだと判定された人材を泳がせている給料の分だけ、社業にとって必要で優秀な人材の給料を減らさないといけないからであります。

解雇規制は、まさに薄く広くダメな人材分をみんなで負担する制度であり、企業にとっても働く側にとっても、実は諸悪の根源なのです。

労働者側も、自分をダメと判定する企業に長くいる必要はなく、そんな場合は、どんどん他に再チャレンジすべきなのです。

20歳そこそこでその後の人生を一気に決める決断を迫る、新卒一括採用+解雇規制+終身雇用+年功序列、というコースは、もちろんそれで「はまった」人については良い制度かもしれませんが、それ以外の選択肢が限りなく狭いというのはバランスを欠いていると思うわけです。

わざわざ、意図的に、人材のミスマッチを作り出し硬直化させようとする圧力がかかるのはかなり納得いかないように思っています。

ということで、転職回数なら余人の追随を許しませんが、実は仕事には一途で転職のことは「卒業」と呼んでいるセンチメンタルな筆者からは以上です。

(平成30年1月18日 木曜日)

2018年1月13日

スポーツ選手における全人格的教育がとても大切であることに改めて気づいた点について






おはようございます。

2018年1月の記事です。

オリンピックレベルを目指す日本代表を決める大会において、にわかには信じられない問題が起こりました。

2017年9月に行われたカヌーの日本選手権の大会期間中、何と2020年の東京オリンピックを目指す同競技のベテランの鈴木選手(32歳)が、後輩でありメキメキと頭角を現してきていた小松選手(25歳)の飲料ボトルに禁止薬物を投入したのです。

試合は、小松選手の勝ちでしたが、同時に行われたドーピング検査において禁止薬物の陽性反応が出たため、ルールに則り成績は無効とされ、さらに今後の選手活動もできなくなりました。

この全く身に覚えのない行為で将来を失った小松選手は、信じている先輩に相談したとのことです。

それが鈴木選手です。

鈴木選手は、良心の呵責に耐えられず自らの不正行為を告白します。

こうして、小松選手は再び選手活動ができるようになったということです。

日本アンチ・ドーピング機構(JADA)は、この結果、改めて鈴木選手に8年間の資格停止処分を科すとともに、暫定的な資格停止となっていた小松選手の処分を解除したということになります。

この二人は、 ともに2017年夏のカヌー世界選手権(チェコ)にも出場し、2020年東京五輪を目指すトップ選手でありました。

いわば日本の競技カヌー界の代表です。

ライバルを陥れるようなことがあってはいけません。

正々堂々と勝負しなければなりません。

小松選手は、鈴木選手が自白してくれてありがたいと述べ、ドリンクから目を離した自分にも責任があるという殊勝なコメントを残しました。

これは、スポーツでも勉強でもそのほかの才能を発揮する何においても、まずは人格の形成こそが大切であるということを考えさせられる話でした。

鈴木選手がスポーツに限らず、人生においてもっとも大切な信頼というやつに大きな傷をつけたことは間違いありません。

そして、信頼というものがどれだけ大切なのかということを改めまして教えられたとも思うのです。

カヌーと同じ水上競技のボート部に所属しておりましたため、他人事(ひとごと)ではないと思いまして触れさせていただきました。

こちらからは以上です。

(平成30年1月13日 土曜日)

2017年12月25日

やっぱりいまを生きていくしかないと改めて思った話をします





おはようございます。

2017年12月の記事です。

あらためて、時間というものは大切だと感じた話です。

ところで、お金というのは貯めておくことができます。

貯めておくと、価値が下がって二束三文になってしまうこともありますが、一気に価格が数倍数十倍になることもあります。

しかしながら、毎日起きた時に与えられる86,400秒という時間は、寝て次に起きる時には毎回ゼロになってしまいます。

1日=24時間=1,440分=86,400秒

です。

そうして、起きた瞬間、また86,400秒が与えられるというわけです。

つまり、この86,400秒の中で、我々がその日のうちにうまく使えなかった分は、全て消えて無くなってしまうということです。

二度と戻ってきません。

残念ながらこの時間というものは貯めておくことはできないし、投資などで増やすことを狙うこともできないのです。

そして、この時間がいつもらえなくなるかは誰にもわからない

このような世界に私たち一人一人は生きているのです

あなたなら、私なら、どうするのでしょう。

こう考えたなら、きっとみなさん毎日の86,400秒をきちんと全額引き出し、なんとか有意義に使おうとするのではないでしょうか。

有意義に使う、と行っている意味は、休むなとか寝るなとかだらだらするなとかそういうことを行っているのではありません。

休むなら休む、きちんと自分で決めて自分の時間を過ごすことが大切だということです。
 
1日は24時間
24時間は1440分
1440分は86400秒

なのです。

みな平等に与えられる毎日の86,400秒という時間、使い方は人それぞれですが、人それぞれ、使ったように人間なっていきます。
 
翌日に繰り越す事も、過去に戻ってやり直すこともできないのです。
 
我々がうまく使いきらなかったと思ってしまった時間でも、毎晩、消えてなくなってしまいます。

結局、我々は今、今日与えられた時間を使い(その確率はだんだん減っていきます)、今を精一杯生きるしかないということになります。
 
たとえば、不幸にして残念にも昨日亡くなってしまった人にとっては、今日という日はとても生きたかった特別の日であったでありましょう。

そんな大切な日を、我々は生きて「プレゼント(現在)」として受け取っているとも言えるのです。

年末の押し迫った日に、不幸ごとに接し改めまして思いました。

故人と関係の皆様に謹んでお悔やみ申し上げます、合掌。

こちらからは以上です。

(平成29年12月25日 月曜日)

2017年12月23日

自分の才能の棚卸しをしてみてこれからの指針として活かしてみようという話です





おはようございます。

2017年12月の記事です。

自分探しも43年目を迎えていますが道半ばの筆者です。

さて、ふとしたきっかけで、人事才能メソッド「ストレングス・ファインダー」というのを手にする機会がありました。

こては、1998年にアメリカの心理学界の大家となったドナルド・クリフトン博士(ドナルド・トランプではないです)によって生み出されたどんな人間でも持っている資質を34に類型化したものです。

博士の数十年に及ぶ調査研究の集大成として開発され、30分程度の心理テストのようなものに直感で答えていくと、結果類型化された34の資質があなたの特質として序列がついて、1番から34番まで並ぶという、なかなか優れもののメソッドになります。

こうして、客観的に自らの「才能」「特質」を眺めて見て、自らの強く現出している才能を伸ばして自らの仕事や人生に生かすという方法です。

アメリカ人がいかにも好きそうな心理類型化メソッドでありますが、面白そうなので筆者もやってみたわけです。


結果をおしらせします


結果出ました。

1  学習欲 Learner 
2  共感性 Empathy
3  原点思考 Context
4  運命思考 Connectedness
5  活発性 Activator



34 競争性 Competition

となりました。

学習欲とは、なんでもその仕組みや背景を知ろうとする態度です。要するにおたく的に調べたがるということです。

本人は勉強しているという感覚すらありません。

好きなことを調べているだけなので、それだけで満たされるのです。

要するに趣味です。

共感性とは、相手の気持ちになって一緒に泣き、笑い、そのような感情の総量が多いということのようです。

確かに、映画でも子供の卒業式でもすぐ泣くし、フェイスブックでもいいね押して終わっておけばいいのにいちいちコメントを残したりしています。

原点思考とはそもそもの成り立ちや過去の事例や前例に強いこだわりを見せる性向で、筆者の歴史好きはここからきているのは間違い無いようです。

運命思考とは何かもっと大きな存在の一部と自己を規定できる能力のことのようで、確かにいろいろな宗教的ものの考え方や文化の違いをそのまま受容できるのはこの能力のおかげかと思います。

海外にいっても、知らない国でも普通にやっていけそう、というところにも通じるでしょう。

5番目の活発性は、とにかく動きながら考える、じっとしていられない、という特質で、すぐやることをモットーにとにかくうろついている自分にぴったりです。

さて、このように見てみますと筆者の特質を一言で表しますと、

・すぐ泣く知りたがりで歴史おたくなどこでも生きていけるこだわりなしのせっかちさん

というようなところでまとめられると思います。

逆に、最も少ない特質に「競争性」があるのも面白いと思いました。

勝負は挑まず挑まれても避けてしまう、そんな日和見の性格も加え、上記を改訂し、以下を改めて自己紹介文とさせていただきます。

・すぐ泣く知りたがりで歴史おたくなどこでも生きていけるこだわりなしの日和見せっかちさん

そんな筆者からの自己分析は以上です。

(平成29年12月23日 土曜日:天長節)

2017年12月19日

チームの目標には幅を持たせたほうが良いという話です





おはようございます。

2017年12月の記事です。

チームの目標には幅を持たせたほうが良いという話を聞いてなるほどと思ったので書いておきます。

目標設定は大変重要です。

それに向かう心構えももちろん重要ですが、まずどこに向かうかという目標設定がないと、仕事もプライベートも、第三の場所においても張り合いがなく楽しくありません。

さてそのように常時設定する目標ですが、これまでは筆者などは確かに「点」として認識していました。

個人としてそれを設定するときには明確にイメージするために、目標を「点」にして「星」の如く強く輝くものとして捉えたほうがその達成へのモチベーションも湧きいい感じであるように思えます。

しかしながら、チームとして目標を設定する場合、あくまで総体としてのチームでそのゴール(目標)を達成しようとする場合、どうしても「点」の目標ではチーム内で貢献しただの乗っかっただけだのといった相互コンフリクトが生じてメンバーみんなが幸せにならないというわけです。

これを防ぐためには、チームとして目標を定める場合、少々ぶれる、ぼけることは覚悟の上で幅を持たせた目標にしておくことが有用です。

例えばシステム開発をして納品するという場合、最低限ここまでやって満たす品質を上げたら契約上のお金をもらえる、もっととびぬけた品質や納期前の納品であれば、次はもっといい仕事を回してください、と頼める関係が作れます。

ですので、目標を点から幅をもった線として置くことで、それを超える能力を持っている者のモチベーションダウンも防ぐことができますし、能力取得途上の者にも、「それは無理」という異常に高く見えてしまう目標ではなく、幅を持った最低限の目標をまず超えてみようと思えることで、モチベーションを保つことができるというわけです。

そのようなマネジメントになるよう日々精進したいものです。

サッカーのシュートが、そもそもゴール枠内に飛ばない筆者からは以上です。

(平成29年12月19日 火曜日)

2017年12月12日

性急な結論を求めずお金とは何か改めて考えてみるという話です





おはようございます。

2017年12月の記事です。

今回は、お金というものの本質がどのようなもので、時代によってさまざまな使われ方をしたけれども、本質としては一緒のものであるのではないかというような話をしたいと思います。

まず、お金が時代によってどのようにとらえられてきたかをざっくり語ると、

お金を、モノとモノとの交換価値ととらえる考え方(米と野菜の交換とか)

から始まり、そして、

時間を節約してコトをお金でやり取りするという時間主義的な考え方(列車とか)

に発展し、そして、

価値自体、つまり「信用」をやり取りする資本主義的な考え方(株式会社とか)

に発展してきて来たのではないかと思っています。

しかし、こうした異なる考え方には一つの大きな本質的な一致があるように思うのです。

それは、お金は人間が生きている間に積み上げることのできるネットワーク手段の最も大きなツールの一つであろうということです。

どうも、お金があるだけでは人は幸せにはならないのです。

しかし、お金を通じた人々の「信用」の結びつきは、人々を幸せにする場合が多いようです。

お互いがお互いのために財やサービスをやり取りしながら、間に通貨すなわちお金が行ったり来たりするだけで、社会全体の富が増えていくというのは資本主義社会の原理でもあります。

ただし、積みあがった富自体が価値を持つわけではないのです。

お金がもっと欲しいと思うのは人情なのですが、お金さえあれば人生は楽になるわけでもないし、お金では買えないものもどうやらあるようだということもようやく21世紀になってわかってきたわけです。

逆に言えば、お金で買えない人からの承認や評価といったものを、いとも簡単に集めてしまえる生き方ができる人は、クラウドファンディングといった手法を使えば、そうした人々が実現したい未来に人は簡単にお金を預けたり、投資したり、ともすれば寄付しちゃったりするという信頼主義の時代になってきたのです。

お金の形も、中央銀行が発行するいわゆる円やドルといった通貨から、ブロックチェーン技術を利用したビットコインなどの仮想通貨に一気にシフトしてきているように思えますし、ビットコインが2017年の1年でその価値を12倍にしたといったニュースを見れば、この有限と決められているものであればなんでも価格が吊り上がるように見えて面白いものです。

そして、このような時代においては、お金は信用のという金庫から出力したものにすぎないといった考え方が主流になり、お金は貯めることを目指すのではなく、お金を生むような信用のある個人を作り上げていくことのほうがよほど大切になってくるというようなところかなと思っています。

金の卵を数えて愛でるよりも、金の卵を産むめんどりを育てよう、自分の中にそのような信用創造機を作りだして強化しようというような方向です。

信用さえあれば、無一文でもクラウドファンディングや寄付などでお金など簡単に集まります。

お金とは信用の出力形態の一つである、といったお金の起源や本質をもっと紐解いていけば、仮想通貨を含む現代の通貨の行く末も少しは見通せることができるのかもしれません。

国家とか、経済とか、社会や宗教、技術の変化を軸にして、お金という媒体が各時代をどのように生きてきてこれからどういう方向に向かうのか、非常に興味が尽きないところです。

さて題名の通り結論なく終わりますが、とにかくお金は天下の回りもの、を地で行き自らの財布にはちっともとどまってくれない筆者からは以上です。

(平成29年12月12日 火曜日)

2017年12月2日

仕事ができるやつというのはどういった状態に至った者をいうのか自分なりに考えてみた話







おはようございます。

2017年12月の記事です。

会社組織に属しているのは、個としてそれぞれ活動するよりチームで取り組んだことが得られる効用が高いということを信じているからであるというのが持論の筆者ですが、最近、チームとしての進化と同じくらい個としての成長も大切であると思うようになりました。

職人やアスリートで考えるとよくわかるのですが、和して勝つというより、彼らはまず激烈なチームや球団の中の競争に勝ち抜き、そして対外的に勝って喜ぶ、つまり和すのは組織目標であるところの勝利やペナント制覇の結果であるという意識を強烈に持っています。

弱い者同士がただつるんでも勝てない、ということを知っているのです。

そうした職人やアスリート、もしくはアーティスト的な仕事を生業にしている人々は、それぞれ個としての自分の理想像を追い求め、日々それに向かって修練を積み重ねるわけですが、例えば一般の仕事やサラリーマンであっても、この最高の状態をイメージして日々努力すれば、かなりのところまで行けるのではないかと確信しています。

しかしながら、何をもって最高かというのが結構大変で、それはそれぞれが置かれた環境や目標設定によってかなり変わりうることも承知の上で、あえて共通して最も大切であろうと思う特質を公開してみて、読者各位のご意見をいただこうと思います。

それは、感情をコントロールするという一点です。

人間は感情の動物ですから、あらゆる感情を持つのは当然のことです。

これは、無表情になれといっているわけではありません。

喜ぶ時は喜べば良いし、悲しむ時は悲しむ、それはそれで自然なことです。

しかしながら、仕事は感情でやるものではありません。

ハイな時は無敵でも、落ち込んだときに何も手につかないのは使い物になりません。

そうであれば、ハイな時などいらないから、淡々と感情をコントロールしていつも一定の成果を他人に信頼され期待される、そのような仕事人こそプロと言えるでしょう。

かのイチロー選手は、高校3年生の夏の甲子園県予選の決勝を負けた翌日も、淡々と練習を行ったそうです。

甲子園の道が絶たれたその翌日に、彼が練習を普通にできたのは、彼の次の目標がプロ野球にいくことであると明確に決まっていたことに由来するのでしょう。

ここで、甲子園に出場するライバルに差をつけられるわけにはいかない、スカウトにアピールしてドラフトにかかるようにしておかないと夢が絶たれる、といった冷徹な判断もあったのでしょう。

どんな状況下にあっても事象を客観的に捉え、そして湧き上がる感情をコントロールできる人間は、「仕事ができる」という印象を他に与えるものであろうと思います。

イチロー選手のスカウトは、その自分を成長させることができることをもって才能だと見抜いたわけです。

これは、単なるアピールではありません。

感情をコントロールすることができるかというのは、揺れた経験、例えば夏の甲子園県予選大会決勝にして負ける、といった大きな経験の際によく表出されるものなのです。

それには、普段から、「こうなっても、こう振る舞う」という意識を持ち、感情をコントロールする方法を自分なりに確立しておくことが必要だと思うのです。

さてそのような心づもりで毎日記事をアップしていますが、あまりにも閲覧なく過疎っちゃうとすぐ心が折れてしまいそうで、読まれなかったら泣いちゃいそうな弱い筆者からは以上です。

(平成29年12月2日 土曜日)

2017年10月23日

衆議院議員総選挙結果を受けて一市民としてコメントを出しておきます




おはようございます。

2017年10月の記事です。

昨日、第48回衆議院議員選挙が終わりました。

政府与党の大勝となり、公示前勢力とほぼ同数の勢力を与党が維持しましたので、当面の政策運営に大差はないと思われますが、それでも筆者がこの選挙を歴史的に意味のあるものと位置付けたいのには理由があります。

それは、野党の中できっちりと政策や方向性に違いが出て、非常にわかりやすくなったということです。

分裂とか排除とか、そうした方法論に批判や意見はあれども、さまざまな公示後からの動きから、本来あるべき組織に候補者が凝集していったという意味では大変興味深い動きでありました。

ただ、あと一歩、いわゆる希望の皮をかぶった本来の民進左派の方々が離脱するなり立憲民主党に頭を下げて再加入する(再稼働ではない)ことで、さらにすっきりとした構図になりそうです。

その他、最大与党の自民党にしても、さすがにこれだけの図体の大きさでは各派閥やグループによって考え方はかなり違います。

この違いを、できるだけ国民にオープンにしながら党内での議論を活性化させないと、今の政権の支持率イコール政党の支持率では、自浄作用が働かず2009年に民主党に政権を一気に奪われた轍を踏むことになるでしょう。



改憲議論もいよいよ始まる模様



さてこれまでは野党イコールすべて改憲については反対の立場でしたが(公式には)、今後は改憲にむしろ与党(特に公明党)より積極的な野党という存在が認められたことで、いよいよ本格的に「何を」「どう」変えるのかという本来の議論が出てくることが期待されます。

憲法の改正といえば、たとえば第一章をまるごと削除してしまえば天皇制そのものがなくなってしまい、これでは国会を召集することのできる主体を失い憲法基盤が崩壊してしまう、といったところに至るといったことがきちんと制定者である国民に周知させなければならないという地道な作業が待っているのです。

それから、ネット選挙の浸透により、これまで党や政府の役員の看板がなければなかなか泡沫候補としてしか認識されなかった場合においても、本人の資質や能力、声や振る舞いや演説、熱意、それから書いているブログや演説内容などを瞬時に拡散することが可能となり、そうした腕に覚えがあり、また政党のしがらみに躊躇しない実力者は、むしろ無所属で出馬した方が当選することもあるという、政党政治が始まる以前の本来の個人投票の色彩を取り戻しつつあるという感じが、新しい時代の予感を感じさせました。

無所属で通ってしまえば、むしろ党議拘束などに頓着することなく、是々非々で国会において活動でき、そして責任も自分で被ることから自由な議員活動ができるという、そしてその活動内容もネットやSNSの浸透によって、かなりの高齢者にも瞬時に拡散できるというのは、新しい個人主義という歓迎すべき流れではないかと思ったりしました。

筆者も、無所属でも通った候補の顔が複数思い浮かぶようになったわけで、今後はこうした個人としての活動で、一点政策主義の国会議員も出てくるのではないかと思いました。

ネット社会のおかげでもあると思います。

このようなことを考えながら、ゆくゆく訪れるであろうネット投票社会に向けて、発信力をますます鍛えておかなければいけないなと強く感じるところでございました。

さて出馬については未定の筆者に関しては以上です。

(平成29年10月23日 月曜日)

2017年10月15日

日本の将来のためには社会の格差是正が一番に必要だと思った話です





おはようございます。

2017年10月の記事です。

来週日曜日の衆議院議員選挙投票日(2017年10月22日)まであと1週間となりました。

ここで改めて、日本を取り巻く状況について筆者なりの観点で記しておきたいと思います。

2012年12月に、逆政権交代が起こり、自民党公明党に政権が戻って約5年が経過しようとしております。

この間、首相はずっと自民党総裁の安倍晋三氏です。

この間この政権が取り続けてきた経済政策は、端的に言えば大規模金融緩和と大規模財政出動と規制緩和、というものでした。

そして、小さい政府を掲げて新自由主義的に各種規制を打破して経済界を活性化させ、ついでに法人税減税に加えて円安に誘導して日本の製造業である輸出企業群に恩恵を与えました。

それから、政権中枢を担う経済産業省系の官僚が音頭をとって、特区制度と補助金制度と企業減税を図っています。

しかしながら、当然副作用もございます。

まずは、金融緩和による国内不動産業界のバブル状態です。

これは、資源配分をあえて歪ませた結果、本来リスクある資産である株式や為替、といった企業投資に繋がる資源配分ではなく、農耕民族日本人お得意の不動産へのマネー流出が招いた失策と言えましょう。

もはや、まともな不動産開発で収支を得ようとする業者などのはるか上の価格で、どのような立地の不動産でも買い漁られている状態です。

これは資源配分のゆがみです。

すでに日本は人口減少時代に入って久しいです。

異常なペースで新築住宅を増やせば、空き家が増えることは確実で、現在の空き家率15%が30%に到達するのも近いでしょう。

また、株価が上がっていることは良いことなのですが、これは日本銀行や年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)に事実上株を買わせているという官製相場でもあるということで、だいぶ苦しいところまで積み上がってきたというのが筆者の率直な感想です。

上場企業の多くで日本銀行が大株主になってしまっている、という事態は、いったい日本は資本主義国家なのかという根本的な疑問を想起せざるを得ませんで、ここを海外のヘッジファンドなどに突かれ、かつて2003年くらいに経験した日本株総売り浴びせによる株価暴落などのリスクシナリオも高まってきていると思います。

また、国家による資本主義の修正というか官製相場の現出、というもう一つの事例としては、国の機関である経済産業省や国土交通省が前面に出て国際的なビッグビジネスを主導してこうとする、中国やロシアが得意とする「国家資本主義」的な経済政策を取りがちであるということです。

新自由主義的な規制改革を標榜し、一応小さな政府を作って行くという色合いを出しながら、一方で原発輸出、武器の輸出、そして新幹線などのインフラ資産の輸出を国策として、海外に売り歩いて日本の利権を得ようとする、そうした覇道的な国家資本主義的側面を多分に持ちながら、地球儀外交という言葉で所狭しと世界のあらゆる国にビジネスを仕掛けていっているのです。

その割には、あまり商売がうまくないようで、どうもロシア相手には相手が70年間不法占拠している島の開発金を出してあげるという、盗人に追い銭的なふるまいも多いような気もいたします。

カジノ解禁にも熱心ですし、福島の事故についての総括もままならない中での原発を海外に輸出しようとするのに至ってはなかなか剛毅だと言えるかもしれません。

まとめますと、経済政策ではだいぶ今だけ金だけな対処療法的な方策が多く、また世界の大国と渡り合おうとする気概は見えますが最もビシッと言わないといけない相手には今ひとつ、といったところでしょうか。



笛ふけど踊らず



法人減税や円安、官製相場で上場企業の株価、収益力、GDPといった指標が上がった面はありますが、どうも企業は溜め込んだ内部留保の使い道に困っているようなところであり、人出不足は深刻で労働者の実質賃金はなかなか上がっていきません。

人口減に歯止めはかからず、上場企業や富裕層が潤ったとしても、社会全体の格差は緩やかに広がっているような感覚です。

政府による極端な財政出動は経済の資源配分をゆがめるので、生産性にはマイナスであり、補助金に群がり書類を書くだけの作業を経済活動とは言わない、という手厳しい識者のコメントがありましたが、確かに財政出動による公共事業のばらまきは、借金と維持管理費の負担増になるだけで、将来世代にツケを残しつづけています。

ここで大切なのは、格差是正のための方策であり、予算配分権を持っている政府の利益誘導ではないということです。

経済成長を損なうことなく、不平等を減らすことができる政策としては、金融資産への課税強化や所得税「額」の累進性をきちんと担保するなどの方策により、経済成長を損なうことなく、格差の是正が図ることが期待されます。

具体的には、21世紀の知識社会・知識経済における経済成長に沿った方策として、コンクリートの道路や橋といった公共投資よりも、人材への投資にシフトします。

公共事業工事よりも、サービス産業に力を入れます。

教育、保育、医療、介護、障がい者支援等のことです。

特に、医療や介護、障がい者支援といった分野の就業者に対して待遇改善を行い、その地位の向上を図ることにして、社会の実質的セーフティネットを強化し、カネを溜め込むばかりの将来不安いっぱいの社会を少しでも変えて行く必要があります。

子供の妊娠がわかった瞬間、期間無期限の「出産保育チケット」が即電子的に届いて使えるような、そんな取り組みをしないと、早晩日本国民は居なくなってしまうでしょう。

将来の不安の少ない社会をつくるというのは、少子化対策として最も効果の見込める方法だと思います。

格差是正をする、ということは理屈に合わないボランティアではなく、日本国民の将来がかかった大切なプロジェクトではないかと思います。

それでもやっぱりお金は欲しい煩悩にまみれた筆者からは以上です。

(平成29年10月15日 日曜日)

2017年10月8日

私が新党を結成するならば決めたい3箇条について発表します(追記予定)




おはようございます。

2017年10月の記事です。

来たる投開票2017年10月22日(日)の衆議院議員選挙に向けて、新しい政党が2つも誕生するという何事も速い時代ですから、筆者も、自分が新党を結成するならばこんな踏み絵の10箇条ならぬ3箇条を決めたいと思いましたので共有します。

その前に、今回の国政選挙で誕生した新しい政党のうちの一つ、希望の党のほうは、公認予定者が数名辞退して立候補自体を取りやめたり、立候補はするが無所属で行うといった事例も出てきています。

また、希望の党の現時点で最大かつ唯一の「地方組織」であります東京都の都民ファーストという地域政党ですが、この地域政党こそ希望の党の党首でもある小池代表の権力基盤でもあるわけですが、この足元で、先の東京都知事選においてファーストペンギンとして最初に小池知事を支持した東京都議会議員の音喜多氏と上田氏の2人が、都民ファーストを離党するという発表を行いました。

都民ファーストの幹部は、「この時期に最悪」と憤ったということですが、希望の党というのは国政政党であり、小池さんが個人的に別にやっているいわばバイトのようなもので、そもそも都民ファースト自体の党首も都議会議員選挙が終わったら都知事に専念するために外れています。

そもそも、なぜ東京都民のために働く都議会議員が国政政党である希望の党を自動的に応援することになるのか、社長がコンビニバイト始めたからといって社員全員が同じこと始めないといけないというのは変な感じです。

だいたい、都議会の方も課題は山積みであるはずですし(都民でないから詳しくは知りませんが)、国政のお手伝いにバイト出るのが正しい選択とは到底思えない、という離脱派の論理も当然だと思います。


私の3箇条


いつもながら前段が長くて恐縮ですが、私の3箇条を勝手に並べて終わりにしたいと思います。

都民も国民も、国民や都民全体の利益のために働く人を選挙で選ぶものです。

1 原発は廃炉含めて時間かけていいのできっちりと廃止する。代わりの代替エネルギーは核融合発電で、日本の大学の特に理工系をスーパー強化して、とにかく世界に先駆けて核融合発電を安全に開発する。日本の道路予算や箱物建物橋梁系の公共事業費については大幅に核融合発電開発に投入する。

2 憲法において自衛権を明記する。自衛権の範囲は当然主権の範囲であるので択捉島も竹島も尖閣諸島も当然に含まれる。国際紛争解決の手段としての戦争は放棄するのはもちろんそのままで、国の交戦権も認めない。ただし日本国の主権の範囲における不当不法な行為(70年以上も不法占拠するなど)については毅然として国の根本原則たる自衛権の対象としてその発動も行う。これは自衛権の発動であり国際紛争を解決する手段である戦争ではないことを明確にする。

3 高齢者に手厚い社会福祉制度(健康保険や年金)を切り下げて、これから生まれてくるべき世代を産み育てる若い現役世代に手厚く配分し直し、少子化を一刻も早く解消する。終末期医療の公的補助の撤廃、生まれてくる権利を憲法に盛り込むことすら検討したい。

議論を呼ぶかもしれないし、そもそもスルーされるだけかもしれませんが、とりあえず主張として置いておきます。

こちらからは以上です。

(平成29年10月8日 日曜日)

2017年10月6日

立憲民主党のツィッターフォロワー数が15万人を超えた(2017年10月6日現在)




おはようございます。

2017年10月の記事です。

解散された衆議院議員選挙の公示(衆参両議院議員の選挙の時だけは公示を使い、その他の選挙、例えば東京都知事選挙であっても告示の文字を用いるのが慣例)の日の予定である2017年10月10日(火)を控え、各党の「事実上の選挙戦」というべき活動もヒートアップしてまいりました。

そんな中、野党第一党である民進党所属議員が丸ごと公認を取り下げ、一旦全員小池百合子東京都知事が率いる希望の党の公認を得て立候補するという奇策を打ってきました。

しかし、全員移籍といった都合の良いことにはならずに、民進党代表である前原議員も想定内と強弁する、民進党の事実上の分裂を招くこととなります。

ここで、つい最近行われたばかりの民進党の代表選挙を前原相手に戦った、枝野議員が立ち上がったのです。

立憲民主党の旗揚げです。

なぜ、民進党のままではなく、離党届を出さなければならなくなったかといえば、民進党としては相変わらず存続しその代表は前原議員であることから、自らが率いる政党を作るには、既存の民進党を離れなければならなかったからです。

しかし、枝野議員の一派は、性急に離れることをよしとせず、希望の党から排除され、考えが違うといってさんざんいじめられるまでじっと耐えていました。

その上で、民進党の中で声を上げてももはや無理、というぎりぎりのタイミングまで待って義理を果たして仁義を切った上で、背水の陣で打って出てきたわけです。

自らこそ民主党・民進党として20年の歴史のある歴史の正当者だという強烈な使命感です。

まさに、枝野立つ。

東日本大震災(2011年3月)時の、官房長官として不眠不休で業務会見交渉対応に当たっていた枝野官房長官(当時)には、枝野寝ろというハッシュタグがつき、非常に応援されていたことは筆者も覚えています。

当時の民主党政権、首相以下内閣の面々も右往左往するばかりのところ、官房長官として全ての情報を差配し、適切に国民に呼びかける姿は今でも国民に残っていたのでしょう、立憲民主党の立ち上げたツイッターアカウントが、アカウント設定わずか2日で10万人を超え、2017年10月6日現在15万人を超えるまでに急成長したのです。

ちなみに、自民党で11万人ですから、その急速な広がりの大きさには驚くばかりです。

このツイッター上で、希望の党より公認を得られなかった、元議員および新人候補者、さらに今回の選挙では関係のない参議院議員までも、ネットの1分動画で政治家自身の言葉で語りかけるようになってきました。

記事のリツイート数も上昇し、実際かなりの順のネット検索で立憲民主党の面々の言葉が聞けるようになっております。

対する希望の党のツイッターフォロワー数は、1万人に満たない6,000千人程度です。

希望の党の紹介は代表の顔をわざと出さないよくわからない演出で、無駄に金だけかけたような感じですが、立憲民主党のツイッターで見れる動画は、1分といったダイジェストでまとめ、拡散しやすく軽く動く作りにしており、内容も、枝野議員の街頭演説のダイジェストで聞いている市民がちゃんと入るように工夫された迫力のあるものです。

そうして、日本には、意思を持って立ち上がり、自分の言葉で訴える気骨ある政治家に対して、純粋に自らを重ねて共感し、関心を持ち、支持や応援をするという人が多いのだと思うのです。

もちろん同党ツイッターの中の人の努力や1分動画の埋め込みといった編集手腕のおかげもあると思いますが、枝野幸男という政治家への期待が急速に高まっていることの証左であると考えれれます。

今までの、なんでも反対で党内バラバラと言われた民主党や民進党では埋まらなかった渇望感が一気にこの一連の流れによって誕生した新しい政党に流れたような感じです。

やはり、政治家の武器は決意と言葉です。

人として信用して自らの気持ちを重ねたいと願えるかどうか、そうした選別はネット社会の一瞬で広がる速報性と相まって、大きな動きになるのかもしれません。

先に民進党を離党し小池代表の側近気取りで元同僚を選別した細野議員も、それに乗っかり民進党ごと売り渡したとも言える前原議員も得られなかった圧倒的な支持の広がりを見せるかもしれず、こうしたドラマがあるのが選挙のダイナミズムだと非常に感心して見ています。

投票日予定の10月22日まであと2週間、日々の動きを追うのが楽しい筆者からは以上です。

(平成29年10月6日 金曜日)

2017年9月20日

実は解雇というのはそんなに恐ろしいことではないのではないかと思った話




全国数千万人の労働者自営業者のみなさんおはようございます。

2017年9月の記事です。

勤め人にとって、会社を解雇されるというのは非常に恐れられていることです。

確かに、会社をクビになるのはプライドが大きく傷つけられることであります。

しかしながら、実際会社をクビになったところで、あまり大したことはないのです。

会社に勤めていたのも自分なら、クビになったのも自分であり、自分になんの変わりもないことです。

そして、会社側としては、あまりやりたくない解雇(退職勧奨を含む)という手段をとり、労働者から一時的に恨まれることがあってもそれをあえて行うことで、会社と労働者双方のこれからの時間を有意義なものに引き戻そうとしているという解釈も取れるわけです。

つまり、会社を辞めてしまえば、当たり前ですが会社に自分の労働力その他もろもろを提供する義務は無くなります。

会社も、その労働者から提供してもらえる労働力その他もろもろをうまく会社のシステムで売上や利益に結び付けられないと考えているということなので、無理してその会社に居座っても、期待できる効用は限られると思うわけです。


最も恐るべきはぬるま湯での「飼い殺し」ではないか


前置きが長くなったようです。

つまり、会社にとっても労働者側に真の最大リスクは「飼い殺し」であるのではないかということです。

これは、会社側にも損害ですが、労働者側にとってはよりリスクです。

自らが向いてないよと会社がきちんと教えてくれる会社というのは、時にいきなり解雇といった非情な手段を取ることもありますが、それはその会社に限った保有権を手放すことと同値で、サッカーや野球と同じように別のチームでは役割があり輝くかもしれないということを強調したいのです。

つまり、世の中にはほぼ無限の職業や仕事や会社があり、その全てを体験し尽くして一番良いものを選べることはないので、とりあえず入った会社が合わないということであれば、時には労働者自らがぬるま湯の組織を一旦リセットして飛び出さないと、その労働者の未来自体が失われてしまうのではないかと思うのです。

その意味で、労働者のパフォーマンスが同じもしくは落ちていったとしても、年功序列で雇用や地位や給与といったもろもろを保証する会社があるとすれば、これは気をつけたほうが良いということになります。

なぜなら、将来に向けて経験を積み重ねることができない労働者、そのような仕事を任せることができない社員というのは、スキルや能力、顧客やネットワーク、そういうのをひっくるめた評判が落ちる一方だからです。

これは多くの日本企業が大変残念なところなのですが、そもそも新卒一律採用して、40代も半ばになってからでないと、自らの昇進含めたキャリアが見えないということなのです。

執行役員や取締役になれたとしても、社長まで行けるかどうか全くわかりません。

ほとんど運みたいなところがあります。

しかしながら、40歳後半になって、改めてこの会社ではこれ以上上には上がれません、ということが(薄々わかっていたと思いますが)はっきりわかってしまったところで、その時点で、よしこっちだとキャリアチェンジできる可能性はほとんどありません。

やる気も出ないし、それより外で通用するスキルが極端に少ないからです。

日本の大企業勤めの方々、確かに20数年間頑張ってきた、という人はたくさんいまして、よほど専門性があったりものすごい顧客ネットワークを(個人で)抱えているといった特殊状況にないと、労働転職市場ではほとんど価値がないということになります。

逆に、解雇や退職勧奨、明日から来なくていいよと言われる外資系企業の中のプロフェッショナルファームについては、確かに厳しいけれども、キャリアの初期段階で、この会社に合っているのかどうかがわかるという意味で優れているとも言えます。

確かに解雇通知を受けるのは厳しいです。

筆者も解雇する側にもされる側にもいたのでよくわかります。

しかし、こういうのが耐えられない、と皆言いますが、それははっきり言っているかはっきり言わずにずるずる先延ばしにしているか、そのどちらかであり、会社側としては非情にも社員を格付けして自社の売上利益に貢献する順に仕事や地位をつけるというのは経済主体として当たり前ということなのです。

でないと会社が潰れてしまい、経営者はもちろん全ての社員が路頭に迷います。

愛する顧客にこれまで以上のサービスや製品を提供できなくなるのは、残念です。

つまり、合わないのならば早くここまでですよと労働者側からも会社側からも言える雰囲気の会社というのは会社のためでもありますし本人のためでもあると思うわけです。

本当は昇進昇給の目がないのに、頑張ったら上がれるからというのは不誠実です。

言う人事部の方も精神不安定になります。

となれば、他の道を選択できるできるだけ若い時期に言うほうが本人のためだし、会社にとっても良いということ、これがいわゆる「飼い殺し」の弊害だと思うのです。

試合に出さないのに保有権を手放さないプロスポーツのチームがあるようなもので、選手にとってもファンにとっても、そのチームにとっても不都合なので、移籍やトレード、ポスティングといった制度がかの世界では整備されています。

もっと普遍的に、会社間でのトレードなり移籍といった話が取られるような世の中になったほうが、社会全体が良い方向に発展するのではないか、そのように考えます。

以上、解雇という手段がそんなに恐ろしいものではないということを言いたい記事としてお送りしました。

こちらからは以上です。

(平成29年9月20日 水曜日)

2017年8月22日

お金との前向きで意義のある付き合い方についてのまとめをしておきます



おはようございます。

2017年8月の記事です。

お金との付き合い方についてまとめておきたいと思います。

まず、お金は稼ぐか使うかの2通りに分けられます。

そして、稼ぐ方法には、以前のこのブログ記事でも申し上げたことがあるかと思いますが大きく2通りあります。

1つは、労働市場に自らの労働力を投入して稼ぐ方法で、サラリーマンや勤め人、自営業などはこの類型に入ります。

しかし、あまり多くの人々が気づいていない稼ぐ方法のもう1つは、資本市場に自らが稼いだお金の一部を投資して振り向け、自分のお金に働いてもらうという方法です。

こちらも、自らの部下というか分身として、せっせと資本市場において勝負を繰り返します。

負けることもありますが、大きく勝ち越すこともあります。

配当や値上げ益をもたらしてくれたり、株主優待としてクオカードとかその会社の商品ギフトとか、そういったちょっとしたメリットをもたらしてくれたりもします。



使う方法は3通りあります


それでは、反対にお金を使う行為類型は幾つに分けられますでしょうか。

1つは上で述べた資本市場へ持っているお金を投入することです。

投資とか、資産運用などとも呼ばれる行為がこれにあたります。

なんでも投資対象になりえますから、例えば教育、特に自分自身への教育投資は最もリターンが期待できる行為となります。

自分の知見や能力が広がるのであれば、積極的に自分に投資しましょう。

そうすれば、自分の労働力やノウハウを労働市場に提供した場合の期待リターン、要するに給料や報酬が上がることも期待されます。

自分への投資と言っても株を買うだけではなく、自分を成長させるための読書や勉強、旅行や出張、目標となりうる人と仲良くなる交際費などの機会や費用も、立派な投資と言って良いと思います。

それ以外のお金の使い方には、さくっと行きていくための最低限必要な消費と、あとは無駄遣いになりかねない浪費ということになるでしょう。

同じ食費をかけるのでも、それは投資になったり消費になったり浪費になったりします。
心がけ1つなのです。

お金というものは、「今の能力熱意の自分がしたことの対価」として雇用主や取引先から払われるわけのものですから、自分自身が成長しない、するつもりもないのにお金だけもっと寄越せというのは成り立たないわけです。

この点、日本のある種の大企業、では年齢を重ねていくだけで給金が増えるように見えますが、そのような虫の良い話ではなく、この会社の要求に忠実に応えてきた、ということの処遇対価の面もあるのかもしれません。

ここは今後の研究を待ちたいと思います。

さて、そんなわけで本日も時間となりました。

自分の持ち能力や時間を自分で納得して大事に使って楽しい人生を送りたいものです。

発泡酒で酔える安上がりの筆者からは以上です。

(平成29年8月22日 火曜日)

2017年8月20日

やりたいことを増やしていくには勉強がどうしても必要になるという話




おはようございます。

2017年8月の記事です。

やりたいことを増やすためには勉強が必要だという話をしたいと思います。

現在の世の中、ググればなんでもわかってしまうのではないかと思う向きもあるかもしれません。

確かに、コンピュータによる検索は非常に網羅的になっておりまして、ある一定の条件を設定して検索すれば答えの候補は優先順で一気に羅列されることは間違いありません。

しかしながら、検索するツールの方に問題はなくても、検索する人の側に問題がある場合が多々あります。

つまり、そもそもの見識や気づきがなければ、そもそもググることができない=調べることができないので、ググれない範囲=知らない領域ばかり広がる、という大きな問題が残るのです。

もちろん、人の一生は有限で全知全能でないので、ググれない領域をなくすことはできないと思いますが、それでも、ググれる範囲を増やすためにググる人自体を鍛えておくことは非常に有用だと思います。

そして、勉強が有用なのは、ググれる範囲を増やすというだけではないのです。

ググれる範囲が増えるということは、まわりまわってググる人の好奇心をさらに刺激します。

そうして、ググれる範囲の中に、ググらなくても理解している領域というのが増えて来て、そしてその理解している領域が広がって行くその中に自らが真に本当にやりたいことというのが次々と出て来るようになるのです。



理解していないことはできない



人は、自身が理解していないものをやりたいとは思えないのです。

自身の理解が進んで行けると挑戦しようと思ったものにのみ、本当に突っ込んで行けるものだと思っています。

したがいまして、勉強するということは、理解している領域を広げてその中に真に自らがやりたいことを増やしていく、要するに生きることそのものであるという結論になるのです。

どうせググったら同じ、ではなく、学ばないものにはググれる領域も増えないという冷徹な事実があるのです。

知らないことをググることができる程度の能力。

それが現代における勉強ということなのかもしれません。

そういうことなので、自らのやりたいという可能性を広げるために勉強は不断に進めるべきだということになります。

ということを書きましたが、暑いしなかなか勉強する気にならない筆者からは以上です。

(平成29年8月20日 日曜日)