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2018年5月15日

ローズマリーを使った安い材料で簡単にできる美味しい料理を紹介しておきます








おはようございます。

2018年5月の食材調理に関する配信記事です。

家の庭に、いつか植えてみたローズマリーが、まるで木のように生い茂って来ておりまして、何か使い道はないかと考えております。

ローズマリーは非常に強い植物なので、痩せた土地でもどんどん成長しますし、その放つ独特の香りは防虫効果もあるということで、便利な植物です。

一年中濃い緑色の葉をつけまして、絶えず小さなしずくのような花を咲かせるローズマリー、これは地中海沿岸を原産地とした低木です。

学名では「Rosmarinus officinails」といいます。

ラテン語の「しずく(Ros)」と「海(marinus)」を意味していて、ローズマリーがたくさんの海のしずくのような花をつける姿を示し、またofficinailsとあるように、古くから薬用に使用されていたことを表しています。

なので、ローズマリーの持つツンとした芳香は虫除け効果もありますし、これを煮詰めてハーブティーにして飲めば、自然の薬用効果もあって最高です。

さてこのようなローズマリーですが、ほっとけばどんどん増えるので、ハーブティー以外にも何か使いようがないかということで、これを使った料理のご紹介です。

確かに切って玄関なり窓際においておくだけでも、防虫効果が見込めますのでそれはそれでよいのですが、料理のスパイスとして使うとまた面白さも引き立ちます。

スーパーか、近所の肉屋で安い鶏の胸肉一枚を買って来ます。

これをビニール袋に入れて、生姜やらみりんやら塩やら砂糖やらを混ぜてもみもみして、最後に切ったローズマリーを数本入れて、そのまま袋を縛って閉じて冷蔵庫に一昼夜くらい寝かします。

あとは、食べる時に取り出して、水を薄く張った鍋の中に陶器の皿の上に胸肉を載せて蓋をして、そのまま10分から15分程度蒸す、これだけです。

蒸しあがったかどうかは、竹串やつまようじを刺してみて、透明な汁が出てくるようでしたら大丈夫です。

火を止めて、熱いのでしばらく放置して、少し冷ましてから包丁でさっくり切って盛りつければ完成です。

お酒のつまみにも、お弁当にも(汁気がないので)活躍するお料理の出来上がりです。

ローズマリーの香りが非常に高級で、超安い材料なのに料亭並みの美味しさに仕上がります。

本当は牛のフィレ肉ステーキが食べたいですが、健康に良いということでこちらを推奨いたします肉付きの筆者からの食べ物投稿は以上です。

(平成30年5月15日 火曜日)



2018年5月13日

会食の入れ過ぎをどのように防ぐようにして体調を整えたらよいかを考えてみました






おはようございます。

2018年5月の会食入れすぎの筆者に関する配信記事です。

プロとして飲み屋の経営をしているような特殊な事情がなければ、会食というのは基本的に楽しいもので、その予定は積み上がって行く傾向があります。

例えば、筆者は昨日の土曜日の夜は、校区のPTAおやじ関係の飲み会でしたが、こういう機会はありがたいものです(校長教頭も来てくれたというまたとない会です)。

しかしながら、仕事で営業的なポジションにおります関係で、会食はほっておけば積み上がって行く傾向がございます。

例えば、激しかったある一週間を例にとりますと

月曜日から、昼、夜、火曜日なくて水曜日から金曜日まで3日連続で夜の飲み会、そして土日も披露宴やらで飲んじゃう、といった感じです。

さらに出張などが入ると、さすがの筆者のような頑健を売りにしている者でも、いいかげん疲れてまいります。

基本的に、会いたい人に会えて、話が弾んでうまいものを食べるというのは、それ自体完全に楽しい、かつ良いことであるのは間違いないのですが、悪影響も多くなってきます。

体力を消耗するし、夜更かしになり生活リズムが崩れます。

無理して朝早起きしても寝不足なので、なんか頭に霞がかかったように過ごすのは非常に勿体無く、さらに集中力も切れて例えば通勤中につまづいたり電柱に衝突したりするということにもなりかねません。

あと、当たり前なのですがお金が減ります。

あまり続くともったいないです。

二日酔いは辛いし、辛い中でも普通に仕事に出ないといけないというのがまたきついですし、きついということを顔に出そう者なら「自業自得」「自己責任」とばかり世間の目はおじさんには冷たいです。

全て、おっしゃる通りなので、ここは原因を特定し、対処するルールを決めることが大切になってきます。

何十年も行きてきて、ようやく一つルールを決めるだけということにたどり着いたわけですが、守れないルールを作ってもそれは意味がないので、悩みどころです。

お誘いをいただいたり飲もうかということになったときに、こうした自分なりのルールがないと、予定の空白がある限り「OKOK!」と入れつづけてしまった結果、飲み会の10連荘といったデスマーチが出来上がってしまうのです。

いろいろありますが、筆者としては、二つ

・同じ日の会食は、朝昼夜どれか一つに絞る
・会食がある日は、昼食を抜く

ということで定めてみました。

すでに昼食(ランチ)が入っているならば、夜の会食は予約しない、また夜の会食が入っているから同じ日の昼にスライド、というのもやめてみます。

最近流行っている朝食会(パワーブレックファスト)があった場合も昼夜の会食を入れないようにします。

それから、会食が入った日の昼食は、どうせ食べ過ぎてしまうので一日あたりのカロリー摂取を一定に保つということで、昼食を抜いてみます。

こうするだけで、何かよりいい感じになればと思います。

少し節制するのではと思われるかもしれませんが、実は本当の目標は、超高齢になってもバリバリ飲んで食って寝れるための深謀遠慮だと思っています人生これからの筆者からは以上です。

(平成30年5月13日 日曜日)

2018年4月3日

本格的にGoogle Mapのカーナビゲーション機能をメインで使ってみていろいろ気づいた話






おはようございます。

2018年4月のカーナビゲーションシステムに関する配信記事です。

カーナビという、これまで自動車専業メーカーとその周辺のパーツ会社の独壇場であった世界にGoogleがMap機能を拡充する形でカーナビゲーション機能で殴り込みをかけて来て数年、いよいよその性能が既存のGPSでの車載ナビゲーションシステムに迫って来ているように感じます。

今回は、その技術進歩をひしひしと感じるべく、長距離ドライブにおいて初めて車載のカーナビゲーションではなくiPhone7のモバイル通信機能(4G)を利用したGoogleMapを利用してみたそのレポートです。

福岡市中央区を出て、大分県玖珠郡九重町、いわゆる日本一の大吊橋がかかっているあたりまでのドライブで、往復で利用してみました。

具体的には、持っている手持ちのiPhone7でGoogleMapのナビ機能を起動させ、運転席の前のメーター表示のところに立てかけておくだけです。

なお途中で電源が切れないように、電源もシガーソケットから給電してつないだままにしました。

これで準備完了です。

…結果、片道あたりこれまでの車載カーナビを利用したドライブより約10分程度の「短縮化」を図ることができました。

理由を大別して書いてみようと思います。




道路の混み具合をリアルタイムで把握している模様




GoogleMapでは、リアルタイムで道路の混み具合を把握しているようです。

したがって、いつものカーナビでは途中の高速ではやたら到着時刻が前倒しに(早く)なっていくのに、目的地周辺や帰路の自宅の周辺では逆に到着時刻が遅れていくというのが通常でした。

これは考えてみればそのとおりで、普通の車載カーナビでは道路の混み具合を把握していても、道路は例えば一般道なら時速40km、高速道なら時速100kmといった風に決まっている速度から到着時刻を割り出しているだけだと思われるので、こうした傾向になるのは仕方ないものだと思っていました。

しかし、GoogleMapは違います。

到着時間が、走っても走っても、ちょっと渋滞にかかっても、それでもなかなかブレないのです。

2時間弱の行きの片道ドライブの時間、最初に表示された到着時間を若干(数分)早いだけで、目的地の九重町に到着しました。

帰りは、福岡市内が渋滞していたこともあり、帰り始める際に表示された到着時間より若干遅れましたが、それでも数分程度の遅れですみました。

これは、途中の高速道路でかなり到着時間が繰り上がり、そして帰宅寸前でズーンとまた遅れるといういつものカーナビの20分以上の上下動のブレに比べると、抜群の安定感です。

逆に、どんなに高速を快調にとばしても到着時間はほとんど繰り上がりませんし、逆に高速のジャンクションで軽い渋滞にハマったとしても、それを見越して到着時間を計算しているであろうGoogleMapの到着時間は微動だにしないのです。

これはすごいことだと思いました。

つまり、車の到着時間というものは、流れにのって(渋滞でもスイスイ高速でも)、それなりのスピードで運転した場合、そんなに早くなったり遅くなったりするものではなく、限りなく統計的に近しい結果と同値になるということなのです。

個々の一般ドライバーの技量など、たかが知れているのです。

これは、例えば高速道路でとばしすぎるといった勢いに任せるのではなく、また渋滞で無駄に遅れるといらいらすることもなく、淡々とドライブできるということです。

つまり、刻々と変わりゆく外部要因を全て織り込んだ上での到着時間の表示なので、自らの努力ではどうしようもない渋滞や工事や事故といった外的要因にいちいち主観的に振り回されることがなくなるのです。

高速でできるだけ到着時間を手前にするように稼ごうとか、渋滞を抜けるために無駄に回り道や抜け道を探すといった決まって徒労に終わるような姑息な手段を取らずにすみます。

このような「想定」を刻々と変わりゆくマップ上の全ての要素を織り込んで、最適なルートを適宜提示しているという安心感があるのです。

そして、通常のカーナビとは違ったかなりの強気な到着時刻提示です。

本当に着くのかこんな早く、と思っていたらそれよりも早く到着してさらに驚きました。

本当はもっと混んでいるはずの都市部への帰りについても、適宜適切な帰宅経路を示してくれるので、普段はこんな道使わないのだけどと思いながらその通り進んでいくと、不思議に時間が短縮されたような感じでした(繰り返すようですが、距離が近いというわけでははく一見回り道や曲がる回数が多いなと思うのですが結果としてはなぜか早く着くという感じです)。

これが機械学習を繰り返したテクノロジーの成せる解決策なのかと非常に驚きました。

さらに驚いたのは、グーグルマップを差し置いて、明らかに筆者が知っている道の方が早いと「判断」した数本の行きの道順が、帰りの時点ですでにしっかり「学習」されて、まさに将棋ソフトがより良い手を指すようになるように「改善」されていたことです。

これには驚きました。

他のユーザーの方の事例では、こちらは首都圏にお住いの方ですが、渋滞が田舎福岡の比ではないので渋滞にはまると大変なところ、なんと渋滞部分の首都高速は下道に降りた上で、そして渋滞が緩和されたところで再度首都高に乗るように指示を出す、というような話もありまして、さもありなんと思った次第です。

テクノロジーは刻一刻と進化しています。

ドライブが変わったような気がしました。

次回からも、Google Mapsメインでカーナビを考えようと思いました。

持っているカーナビが古すぎて、よく水の上や山の中を車が疾走(失踪)している運転技量不明な筆者からのドライブレポートは以上です。

(平成30年4月3日 火曜日)

2018年4月1日

すぐできて最高に気持ちいい習慣について改めて書いておきたいと思います





おはようございます。

花見の二日酔いで頭が痛い筆者からの2018年4月の配信記事です。

先日アップした挨拶の習慣から始めよう的記事がわりと評判よかったので、同じような話をもう一つしたいと思います。

頭がスッキリして体に粘りが出て集中力が増してダイエットにもなるというその習慣は、早寝早起きです。

毎日、人間は体内時計にしたがって24時間より少し長いバッファ時間を持っています。

ですが、こうしたバッファ時間は、本当に生命の危機が迫っているといった時にごく稀に使うべき類のものであって、いつもいつも眠くなるまでだらだらだらだらゲームやスマホやPCインターネットやテレビやビデオや飲み会や上司の悪口などを言っていては、そのような貴重なバッファ時間の1時間や2時間、あっというまに消化してしまいます。

勢い、日を重ねるごとに就寝時間が遅くなり、夜型の朝寝坊の身体の出来上がりです。

そして、夜の覚醒時には身体を防衛しようと脳が勘違いをして、食物を取り込もうと空腹神経を刺激するものですからさらにいけません。

真夜中のラーメンに始まりカツ丼、ビールに焼酎と際限がありません。

締めにカレーライスなんていう状況もあるくらいです。

翌日、胃ももたれて大変になること請け合いなのですが、そこはぐっと我慢して、できるだけ、同じ時間に寝て睡眠時間を確保しましょう。

そして、より大事なのは、朝起きる時間を後にずらさないということです。

決めた時間より早くおきてしまうということはあまりありませんが、どうしても二度寝三度寝四度寝の強い要求に耐えられなくなるのです。

起きたと思ったら光を浴びて、布団を跳ね除け立ち上がりましょう。

毎日1時間のバッファ時間をリセットするためには、毎朝同じ時間に起きるようにするしかありません。

ここをずらすと、起床時を起点に勝手に脳は自分の身体をコントロールしますから、なかなか難しいのです。

休日で、たとえ学校や会社が休みであっても、起きる時間はずらさない方がよいということになります。

洗濯掃除に家の片付け、見てなかったドラマの再放送録画を見るのも、夜中ではなく「起きたすぐ」に始めるようにすれば、起きるのがつらくなくなります。

極端な話、寝る時間は不規則でも、起きる時間さえバチっと一定に保っておけば、いつも1日のスタートを安定した状態で迎えることができます。

暖かくなってきたこの頃から、こうした生活習慣の力を利用して心(脳)と身体を整えていきたいと思います。

夜中までの飲み会が大敵の意思弱い筆者からの自戒を込めた話は以上です。

(平成30年4月1日 日曜日)

2018年3月17日

朝の光を浴びて体内時計をリセットすれば1日をスッキリ過ごせるという話です






おはようございます。

2018年3月の生活習慣に関する配信記事です。

本日は、できるだけ同じ時間に起きるようにすれば1日の体のスケジュールが整ってスッキリ過ごせる可能性が高まるという話をしたいと思います。

人間は、太陽を中心とした1日24時間のリズムより少しだけ長い、1日25時間の生体リズムで生きていると言われています。

なぜぴったり24時間に合わせていないのか、そこは遠い遠いご先祖様に聞いて見ないと本当のところはわからないのですが、一説には、完璧に24時間に合わせてしまうと、何かの事情(安全の確保等)で眠らずに遅くまで動いていないといけない場合などに備えて、わざと長くずらしたものと考えられています。

そうして、人間の体内時計は1日に25時間のサイクルで回ろうとしているので、現実の生活としては、毎日毎日1時間分の体内時計を戻して行くという必要があるというわけです。

そうして、その体内時計のリセットに最も有用なのが、朝の陽の光であることもわかってきているということで、日光が目を通して脳に信号として送られると、体内時計が一旦リセットされて、そこからまた1日が始まるというわけです。

それでも、夜は1時間分体内時計がずれたまま進んでいますので、できれば早く寝るように心がけて、そうして翌朝また眠いけれども一気に陽の光を浴びて、体内時計をリセットするのが、長期的に最も人間としてのパフォーマンスを上げる最も適した方策ということになるのです。

ということで、朝起きる時間を一定にし、できれば起きるときに陽の光を浴びて二度寝しないという習慣を身につければ、非常に強力な力となることはわかったと思います。

逆に、夜中に強い光の下にいることや、朝食を抜いたり、夜食を取ったりすることは体内時計を後ろにずらし夜型生活パターンを助長することとなりあまりよくありません。

よいこともよくないことも、よくよくわかったところなのですが、どうしても宵っ張りの朝寝坊、夜中のラーメンから抜け出せない煩悩に浸かった筆者からは以上です。

(平成30年3月17日 土曜日)

2018年2月10日

スマホで撮影した写真や動画に位置情報や撮影時刻を付与しない方法があります







おはようございます。

2018年2月の配信記事です。

スマホで撮影した写真や動画が、例えば写真や動画を取り込んで共有するサービス、例えばグーグルフォトにアップロードされていないようで困ることがあります。

これは、グーグルフォトについては撮影日時の順にソートされて並んでいるのですが、例えば過去に撮影した写真をiMaggageなどでもらった場合、そのもらった写真には撮影日時や撮影場所も付与されたまま写真情報としてもらうので、たとえもらった日付が本日の日付であっても、過去のその写真が撮影された日時でグーグルフォトには格納されてしまうので、一見共有されていないのではないかのように見えるというわけです。

そして、もらった写真については残念ながらいつ撮影したかなどわかるはずもなく、大量の写真や動画に埋もれてしまって実際には見つけられないという悲しいことになってしまいます。

これまでは、そうした写真については、もう一度画像キャプチャで取り込んで別の写真にするといった奥の手を使ってきましたが、解像度も落ちますのであまりお勧めできません。

こうしたところ、スマホの写真や動画の位置情報や撮影日時を削除して上書きできるアプリがあるのでご紹介したいと思います。

Koredoko というアプリです。

以下からインストールすることができます。

Koredoko - Exif and GPS Viewer (version 4.3.4)

価格: 無料 (平成30年2月11日時点)

iPhoneとiPadの両方に対応しています。

このアプリを起動して、該当する写真の位置情報や日時を削除すれば、位置情報は削除、日時については今の時刻に上書きされて別の写真ファイルとしてダウンロード(コピー)できるので楽です。

こうして、同じ旅行記やイベントの作品群として、アルバムにまとめやすくなります。

もちろん、もともとデフォルトで付与されるスマホの写真の位置情報を見ながら、ああ、ここに行ったよね、という記憶を呼び覚ますのは楽しいことではありますが、知らず知らずのうちに、自分の行った場所などを世間や世界に晒してしまうという危険もあります。

企業秘密もありますし、そもそも自宅や近辺の場所について他人に把握され放題というのも気持ちが悪いと思うので、位置情報付きの写真をフェイスブックやツイッターにアップロードする際は気をつけていただければと思います。

中洲という特定の場所の位置情報が多く付与されている疑いが強い筆者からは以上です。

(平成30年2月10日 土曜日)

2018年2月8日

りんごの切り方に新たな地平が拓かれてとても驚いた話を早速いたします






おはようございます。

2018年2月の配信記事です。

最近真面目系の記事が続きましたので、今回は軽めのテイストで参ります。

しかし、これまでの常識を覆すイノベーションですので、最後までお読みください。

りんごの剥き方切り方についてです。

みなさん8つに放射状に切ってから、皮を向いて中の芯を三角形に切り取った、あの形を想起されるでしょう。

筆者もこれまではそうでした。

しかし、この方法をはるかに上回り、簡単に切れて、かつ可食部を限界まで広げることができる画期的な方法があるのです。









皮まで食べる派に宗旨替えする必要がある



さて、この画期的な剥き方に転向されたい方におかれましては、ぜひりんごの皮は綺麗に水洗いした上で食べるという方向に変わっていただきたいと思います。

りんごの皮は滋養強壮作用がありまして、表面についている汚れや農薬などをきちんと洗い流せば大丈夫です。

それでは、実際の剥き方です。

まず、りんごを縦に半分に切ります。

そうして、切り面に対して、斜め45度で上から下まで一気に切れ目を入れます。

反対側も切れ目を入れて、細い三角柱のように芯の部分を取り出します。

真ん中のところに、タネが少しだけ残っていますので、それは包丁のおしりを使ってかきとります。

両面ともそうやったら、平らな切り面を下にして、あとは輪切りの要領でさくさくと、皮も一緒に食べるためちょっと細めに切っていけば完成です。

このまま、スライス状になった半円のりんごをやおら食すというわけです。

筆者が時間を測って両方の剥き方切り方でやって見たところ、芯の部分を三角コーナーに捨てることも含めますと約半分に作業時間が削減されたことが確認できました。

それもそのはず、包丁の切れ目を入れる回数が劇的に少ないからです。

当然のように今まで通り行なっている些細な日常的なものであっても、このように改善できる余地はいろいろあるものではないかと思った次第です。

なぜ白雪姫はりんごを切って食べようとしなかったのだろう、そうすれば毒入りだったことくらいわかりそうなものなのに、などとくだらないことをちらりと思った筆者からは以上です。

(平成30年2月8日 木曜日)

2018年2月2日

20年以上同じ会社で働くと退職金の控除額が増えることを知っておくべきという話です







おはようございます。

2018年2月の配信記事です。

筆者は学生を卒業してからこのかた、おかげさまで隙間なく働かせていただき勤続満20年を超えてきているわけでございますが、実は、同じ会社に20年以上勤めていると、その会社を退社した時にもらえる退職手当(退職金)について、税額控除の特典があるという話を改めてしておくことから本日の話を始めたいと思います。

現在の日本の税制を見ますと、退職一時金は退職所得としてカウントされ、給与所得や不動産所得、雑所得などとは合算されず個別に所得税の税率が適用されるという、「分離課税方式」となっております。

これは、退職一時金は、過去の勤務に対する賃金の後払いという性格を持つために別枠で考えて、あとでもらうという給与所得者側の不便を感じてきたということと平仄(ひょうそく)を合わせて、「できるだけ税額が低くなるように」、税法上優遇措置が取られているものです。

ですので、例えば雇用主と実額年俸〇△□万円、と決めたとして、その内訳で、いくらを退職手当、いくらを交通費(通勤費)、残りを給与や賞与の形でください、と交渉することができれば、実は通勤費見合いでもらったり退職手当でもらった方が、税金や社会保険料としての考え方からすると「安い」ということになるのです。

もちろん、あまりにも恣意的に運用すると(例えば本給たる給与より退職金積立見合いの額の方が多いとか、通勤費が一ヶ月10万円を超えてくるとか)、税務当局への説明に雇用主も窮するでしょうが、税法上の建前からすれば、「できる」ということになります。

さらに、退職金については手厚い条項がありまして、勤続20年以下では、40万円×勤続年数が退職所得控除額となるのですが、それを超えた勤続20年を超える部分については、なんと70万円×勤続年数が退職所得控除額となる仕組みなのです。

従いまして、退職金の控除額をできるだけ得ようとするならば、例えば義務教育終了直後の中卒満15歳ですぐ会社に入り、同じ会社を定年まで勤め上げ、転職せずかつ同じ会社でも途中で役員なんかにならない(一旦従業員としては退職扱いになってしまうため)、ということにすれば、20年を超えた部分での退職金の控除額をより多く受けることができるというわけです。

実際の課税対象となる退職所得は、退職一時金からこの控除額を引いた後の額の1/2となります。

さて、この20年を超える部分の控除額が増額されているというのは、日本の雇用慣行上、長年の永年勤続に対する報償的な意味合いもあるし、雇用の定着率をあげるのが個々の企業体としても望ましいという日本的スタイルから是認されてきたものと思われますが、反面、逆に考えると転職に対するインセンティブ(見返りや報償)を減殺する結果となっており、もはやその会社ではお互いに居心地が悪い場合にスムーズな労働市場を通じた雇用主の転換(自ら個人事業主として操業する場合も、自分自身を雇用主と考えれば含まれる)が阻害されているとも言えるわけです。

この制度がどのように今後運用され見直されて行くか、今後政府の税務調査会などでの議論になっていく模様であり特に注視していきたいと考えています。

個人的には、転職はあまりやらない方がよいと思いながらも、通算7回もの回数、職を変えて参りました、まさに流木サラリーマンの通り名がふさわしい筆者からのコメントは以上です。

(平成30年2月2日 金曜日)

2018年1月31日

300円を持って買い物に行きましたというたとえ話で物事の見方を考えるというお話です







おはようございます。

2018年1月の記事です。

300円を持って買い物に行きました。

150円のアイスを買うときのお釣りはいくら?

という問題がありました。

ここで、算数的に300-150=150円

と反射的に答えてしまってはいけません。

現実の買い物のシーンを「想像」すれば、持っている300円をそのまま出すことはないからです。

通常ならば、200円玉2枚を出して、50円のお釣りをもらうということになるでしょう。

それか、もしかするとこの瞬間に日本に300円玉が登場すれば別でしょうが、そういう前提がなければ150円のお釣りをもらうことは少ないと考えられます。

さらに考えますと、300円としか書いていないので、50円玉が一枚でも入っているのであれば、お釣りなしでいけそうですし、もしかしたら全部10円玉や極端に言えば全部1円玉であっても同じ結論となりそうです。

しかし、日本には法令上の「貨幣」の強制通用力というものがありまして、法令上の「貨幣」、すなわち2018年1月現在にあっては通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律の「貨幣」(一般には「硬貨」)については、同法第7条により、額面の「20倍」まで強制通用力を持つということになっております。

したがいまして、この場合だと全部10円玉で払うのはOKですが、全部1円玉で払うと150枚の一円玉ということになるので強制適用力はないということになります(相手側が支払いを認めてもらえば問題ありませんが)。

このように、物事を複合的多面的に見るというのは大切だというたとえ話でした。

小銭も紙幣もあまり持っておりませんし、仮想通貨にしたら盗られるし、ふんだりけったりの筆者からは以上です。

(平成30年1月31日 火曜日)

2018年1月18日

日本の労働転職市場がどうして硬直したものになっているのか原因に迫ってみます






おはようございます。

2018年1月の記事です。

2日連続で日本の雇用慣行における課題問題点について論じてみたいと思います。

先日は、日本の労働転職市場がどうしてこのように硬直したものになっているかの大きな原因として、解雇規制が厳しすぎるということを挙げてみました。

もちろん、当局(や裁判所)がこの規制を緩和しないことが根源にあるのですが、実は、一見自由主義者のふりをしながら、この解雇規制が緩和されてしまうと実は困るというか不利益を受ける関係者が多く偏在しているため、この制度はおかしいなという一般民の声をずっと無視した形で続いているという現実もあるのです。

具体的に説明しましょう。

まず、一般的に弱者の地位にあると言われるサラリーマンからすれば、解雇規制が緩和されると一見不利益のように見えます。

しかしながら、事実上市井の運用としては、「仕事ないから今月いっぱいで来なくていいから」といった言われようで、退職金ともいえないなけなしのお金で首になってしまうことも珍しくなかった零細企業の従業員にとっては、実は1年分なりの給与を保証するという点を徹底するという点では解雇規制の緩和ではなく強化といっても差し支えないのです。

ですが、一般には解雇規制の緩和というと、すぐ首を切りやすくするための企業側の論理として無条件に反対しがちであるのは否めないのです。

さらに、本来現状の解雇規制があるおかげで正真正銘便益を受けている(甘い汁を吸っている)層も存在します。

それは、例えば一般的な早期退職プログラムで提示される、いわゆる2年分程度の年収相当を早期割増退職金として退職金に上乗せして受け取れるといった条件より、はるかに好条件の退職プログラムの提示を受ける可能性が高い、いわゆる大企業の正社員(労働貴族)たちがそれにあたります。

つまり、こういった大企業に長く務める正社員(もはや少数派)にとっては、たかだか年収1年分程度のお金で首になってしまうといった金銭解雇ルールなどは、まさに悪夢で絶対に避けねばならないというインセンティブが働きます。

なお、巷で言われている限りの日本での最高級の早期退職募集案件は、実は解雇規制反対の論陣の急先鋒でもある日本のマスコミ界の代表ともいって良い朝日新聞社のものでして、なんとこれは年収の5割相当を10年間支給するというものでした。

年収の5割を10年間ですから、ざっと5年分です。

しかも、当然に勤務義務もないので、再就職なり自前で起業しようが自由です。

これぞゴールデンパラシュートではないでしょうか。

これでは、社員総出で解雇規制緩和には否定的な論陣を自社の紙面で張るのも仕方ないことなのかもしれません。

かように、実際としての解雇は、明日から来なくていいと言われるのから向こう10年間に渡って割増退職金を支給し続けるものまで、天と地ほどの差が運用によってバラバラであり、明らかに世間相場というものがない世界になってしまっているというのが実態だと思うわけです。

そこに問題の本質があると思います。

従いまして、解雇に関する金銭解決の指針、みたいなものを整備してもらうだけでよく、それは判例の積み上げでも構いませんし通達レベル(法令改正までは不要)で結構だと思います。

筆者の肌感覚では、1年程度の割増退職金で自由に雇用種側の解雇を認めるような労働契約になれば十分だと思います。

そうすれば、日本の労働者会社双方の生産性が飛躍的に向上し、前向きな転職労働市場の発展にも資すると思います。

なぜかをもう一度説明すると、解雇規制が緩和されて金銭での自由な企業側からの解雇が認められれば、企業側を縛っていた、間違って(少なくとも企業側にとって)ダメな人材を高給で雇ってしまった場合に、首にできないので、したがって怖くて高い給料を払えないという「呪縛」を解くことができるからです。

そして、日本人の社員の年収は間違いなくアップします。

すなわち、日本企業の年収水準が国際的に見て低いのは、間違って雇ってしまった企業側としてダメだと判定された人材を泳がせている給料の分だけ、社業にとって必要で優秀な人材の給料を減らさないといけないからであります。

解雇規制は、まさに薄く広くダメな人材分をみんなで負担する制度であり、企業にとっても働く側にとっても、実は諸悪の根源なのです。

労働者側も、自分をダメと判定する企業に長くいる必要はなく、そんな場合は、どんどん他に再チャレンジすべきなのです。

20歳そこそこでその後の人生を一気に決める決断を迫る、新卒一括採用+解雇規制+終身雇用+年功序列、というコースは、もちろんそれで「はまった」人については良い制度かもしれませんが、それ以外の選択肢が限りなく狭いというのはバランスを欠いていると思うわけです。

わざわざ、意図的に、人材のミスマッチを作り出し硬直化させようとする圧力がかかるのはかなり納得いかないように思っています。

ということで、転職回数なら余人の追随を許しませんが、実は仕事には一途で転職のことは「卒業」と呼んでいるセンチメンタルな筆者からは以上です。

(平成30年1月18日 木曜日)

2018年1月16日

原因は自分にあると考えた方が人生がずっと楽しいと思える話をします






おはようございます。

2018年1月の記事です。

筆者が個人的に座右の銘のように常に考え脇に置いているフレーズは、「自分のことは自分でする」です。

これは母親や祖母より小さい頃から言われてきたと記憶しているものであるので、自分の親もこのように子供を育てたと思われます。

しかしながら、人は成長して、いろいろなことを勉強して大人になり働いたりするに至って、どうも原因を自らの外に置くことで一時の安静を願うようになってしまうようであります。

世の中のせい、政治のせい、会社のせい、客のせい、他社のせい、果ては親のせいやら学校のせいやら、よくもまあ、せいせいせいせいキリがありません。

しかし残念ながら、全ての原因は、なになにのせいにしている自分のせいでありまして、そんな自分のせいにしたところで全ての視点が自分ではない他者にだけ向いていたのではないかと気づかされるわけです。

真に残念なのは、なになにのせいと言っている自分自身でして、それこそが一番始末に負えないのでありまして、それは、他者に目を向けて批判の目を向けているだけでは何も変わりはしないということであります。

この、世知辛い外に向かって拡散するだけの負の感情を、一度自らに向けて見ましょう。

そうすると、いかに自らがつまらないことで人のせいにしてきたのかがわかろうというものです。

センター試験で試験官が寝ていていびきをかいたから集中できないと3人あまりの苦情があったから試験官が処分された、というニュースがありましたが、50万人が受ける全ての試験会場で同じ条件を満たすことが一体可能なのか甚だ疑問です。

駆り出された臨時試験官の大学院教授も不幸です。

それよりも、隣で誰が寝てようが、イビキかこうが歯ぎしりしようが、貧乏ゆすりをしてようが、奇声を発しようが、それを気にするのは自分の問題と考えてどっしり構えて試験に没頭できる胆力を持った者の方が、よほど今後の人生充実して過ごせると思います。

人に意識を向ければ、その問題は決して解決できません。

自分に意識を向ければ、その問題は解決可能な課題となり、その課題解決の過程こそが人生の味であります。

人を変えることは不可能ですが、自分は一瞬で変えることができます。

その後の人生は完全に自分のものです。

かの最年少での野球殿堂入り(2018年1月現在)を果たした松井秀喜選手も、自分の力でどうにもできないこと(天気など)には極力こだわらない、自分のできることに集中する、というようなことを仰っていますが、これも、限られた人生の時間をどのように振り向けるか真剣に考えた結果出てくる至言だと思います。

ということで、自分に原因を向けるという意識を極限まで高めますと、今上天皇の前の前の前の天皇であった明治天皇は、

当時大逆事件を起こした社会主義者たちのことを見て、

「罪あらば吾をとがめよ天津神 民はわが身の生みし子なれば」

と、原因と責任が自らにあると詠まれました。

筆者も、少しはこれらを見習って、原因を自らに向けてまた今年も頑張っていこうと思いました。

しかしながら、一点だけブログ記事の閲覧PVが伸びないのはサーバーが貧弱だからであるせいに違いないと思っている筆者からは以上です。

(平成30年1月16日 火曜日)

2017年12月24日

今さらプリンタをWifi経由にしてワイヤレスにできたという笑えない話です

まだ3Dプリンタには行ってません



おはようございます。

2017年12月の記事です。

実は筆者はパソコンやスマホはそれなりに使いこなせていると思っていたのですが、それを印刷する、すなわちプリントについての技術は全く持ち合わせておりませんでした。

もともと紙が嫌いなので、PCやタブレット画面をキャプチャして送ることができる、そのような業務ネットワークコミュニケーションアプリ(例えばチャットワークとかスラックとかトカロとか)を使えば確かにそれ以上の印刷は必要ないとも言えそうです。

しかしながら、どうしてもプリンタ出力する必要がある場合もあります。

書面を作成して、それにサインしたり捺印したりすることが必要な場合や、PCスキルがない例えば子供に勉強を教えたりするような場合です。

例えば英作文や国語の課題作文を添削する場合、手書きで書くよりPCで打ち込んで見てもらった方が格段に早いというような場合があります。

こうした時、素早く「印刷」してしまって見せられた方が格段に楽な訳です。

そのまま、その印刷物を差し上げてしまえば、それを頼りに書き写したりそのままノートに切り貼りしたりもできます。

そういうわけで、これまで有線でプリンタに繋がっているウィンドウズパソコンからしか印刷できない仕様をなんとか脱却しようと考えました。

使っているプリンタは、すでに数年使っているものですが、問題なくWifi経由での無線LANプリントにも対応しているようです。

ここで、なんでもグーグルになりますが、グーグルのクラウドプリント、という機能を使えば、同じWifi下に設置されたプリンタから問題なく出力ができるというわけです。

いちいちPC側の設定を行う必要はありません。

プリンタ側も、手動で無線LANを設定する、という設定で目指すWifiを認識されればあとは問題ありません。

早速、テストとして何枚か刷り出してみましたがさすがグーグルのクラウドプリントです。

プリンタドライバ経由の有線プリンタ接続より格段に早く印刷キューが流れるようです。

これには驚きました。

すでに、筆者など知らないところで板書で書くようにPCやタブレットの画面で書いたものが、すぐ印刷されるようになる、そのような時代になっていたというわけです。

早速、国語の作文の解答例などを出力して見せてみました。

非常に使えます。

これからは、さまざまな情報、例えばウィキペディアにおける情報なども気軽に出力して見せることができそうです。

生活が格段に変わりそうな予感のする、Wifi経由のプリンタ出力のお話でした。

出力しすぎて紙が枯渇した筆者からは以上です。

(平成29年12月24日 日曜日)

2017年12月19日

チームの目標には幅を持たせたほうが良いという話です





おはようございます。

2017年12月の記事です。

チームの目標には幅を持たせたほうが良いという話を聞いてなるほどと思ったので書いておきます。

目標設定は大変重要です。

それに向かう心構えももちろん重要ですが、まずどこに向かうかという目標設定がないと、仕事もプライベートも、第三の場所においても張り合いがなく楽しくありません。

さてそのように常時設定する目標ですが、これまでは筆者などは確かに「点」として認識していました。

個人としてそれを設定するときには明確にイメージするために、目標を「点」にして「星」の如く強く輝くものとして捉えたほうがその達成へのモチベーションも湧きいい感じであるように思えます。

しかしながら、チームとして目標を設定する場合、あくまで総体としてのチームでそのゴール(目標)を達成しようとする場合、どうしても「点」の目標ではチーム内で貢献しただの乗っかっただけだのといった相互コンフリクトが生じてメンバーみんなが幸せにならないというわけです。

これを防ぐためには、チームとして目標を定める場合、少々ぶれる、ぼけることは覚悟の上で幅を持たせた目標にしておくことが有用です。

例えばシステム開発をして納品するという場合、最低限ここまでやって満たす品質を上げたら契約上のお金をもらえる、もっととびぬけた品質や納期前の納品であれば、次はもっといい仕事を回してください、と頼める関係が作れます。

ですので、目標を点から幅をもった線として置くことで、それを超える能力を持っている者のモチベーションダウンも防ぐことができますし、能力取得途上の者にも、「それは無理」という異常に高く見えてしまう目標ではなく、幅を持った最低限の目標をまず超えてみようと思えることで、モチベーションを保つことができるというわけです。

そのようなマネジメントになるよう日々精進したいものです。

サッカーのシュートが、そもそもゴール枠内に飛ばない筆者からは以上です。

(平成29年12月19日 火曜日)

2017年12月12日

性急な結論を求めずお金とは何か改めて考えてみるという話です





おはようございます。

2017年12月の記事です。

今回は、お金というものの本質がどのようなもので、時代によってさまざまな使われ方をしたけれども、本質としては一緒のものであるのではないかというような話をしたいと思います。

まず、お金が時代によってどのようにとらえられてきたかをざっくり語ると、

お金を、モノとモノとの交換価値ととらえる考え方(米と野菜の交換とか)

から始まり、そして、

時間を節約してコトをお金でやり取りするという時間主義的な考え方(列車とか)

に発展し、そして、

価値自体、つまり「信用」をやり取りする資本主義的な考え方(株式会社とか)

に発展してきて来たのではないかと思っています。

しかし、こうした異なる考え方には一つの大きな本質的な一致があるように思うのです。

それは、お金は人間が生きている間に積み上げることのできるネットワーク手段の最も大きなツールの一つであろうということです。

どうも、お金があるだけでは人は幸せにはならないのです。

しかし、お金を通じた人々の「信用」の結びつきは、人々を幸せにする場合が多いようです。

お互いがお互いのために財やサービスをやり取りしながら、間に通貨すなわちお金が行ったり来たりするだけで、社会全体の富が増えていくというのは資本主義社会の原理でもあります。

ただし、積みあがった富自体が価値を持つわけではないのです。

お金がもっと欲しいと思うのは人情なのですが、お金さえあれば人生は楽になるわけでもないし、お金では買えないものもどうやらあるようだということもようやく21世紀になってわかってきたわけです。

逆に言えば、お金で買えない人からの承認や評価といったものを、いとも簡単に集めてしまえる生き方ができる人は、クラウドファンディングといった手法を使えば、そうした人々が実現したい未来に人は簡単にお金を預けたり、投資したり、ともすれば寄付しちゃったりするという信頼主義の時代になってきたのです。

お金の形も、中央銀行が発行するいわゆる円やドルといった通貨から、ブロックチェーン技術を利用したビットコインなどの仮想通貨に一気にシフトしてきているように思えますし、ビットコインが2017年の1年でその価値を12倍にしたといったニュースを見れば、この有限と決められているものであればなんでも価格が吊り上がるように見えて面白いものです。

そして、このような時代においては、お金は信用のという金庫から出力したものにすぎないといった考え方が主流になり、お金は貯めることを目指すのではなく、お金を生むような信用のある個人を作り上げていくことのほうがよほど大切になってくるというようなところかなと思っています。

金の卵を数えて愛でるよりも、金の卵を産むめんどりを育てよう、自分の中にそのような信用創造機を作りだして強化しようというような方向です。

信用さえあれば、無一文でもクラウドファンディングや寄付などでお金など簡単に集まります。

お金とは信用の出力形態の一つである、といったお金の起源や本質をもっと紐解いていけば、仮想通貨を含む現代の通貨の行く末も少しは見通せることができるのかもしれません。

国家とか、経済とか、社会や宗教、技術の変化を軸にして、お金という媒体が各時代をどのように生きてきてこれからどういう方向に向かうのか、非常に興味が尽きないところです。

さて題名の通り結論なく終わりますが、とにかくお金は天下の回りもの、を地で行き自らの財布にはちっともとどまってくれない筆者からは以上です。

(平成29年12月12日 火曜日)

2017年12月7日

働くということに時間を問うことが過去のことになって行く気がするという話です






おはようございます。

だらだら社員を長くやっております筆者より、2017年12月の記事をお送りします。

現在の会社組織の中で最もイノベーティブだと言われる世界中のあらゆる情報をわかりやすく整理することを会社のミッションとしているGoogleという会社においては、「労働時間」というものが問われないそうです。

問われない、ということはどういうことかというと、いつどのように働くかというのは大幅に社員側の自主性に委ねられているということなのですが、もっとより根源的な意味があります。

それは、業務成果としての質の高いアウトプットを出し続けることが求められており、すなわち、それぞれの社員に求められるゴールのハードルが他の会社や組織に比べて桁違いに高いという背景があるのです。

ものすごいプレッシャーに耐えながら仕事を進めて行くには、自らの使えるリソースである自分のエネルギーや健康状態、使える時間という非常に限られたリソースを最適化しつづける必要があるのです。

求められるアウトプットが高くなればなるほど、少ない時間で成果を上げなければならなくなり、そして健康な状態で集中できる時間をきっちり確保するためには、しっかり休んでリフレッシュしないといけないし、何よりきっちり寝ておかなければ本番でパワーを発揮できません。

重要な試験の日、もしくは大事なスポーツの試合の前日に、徹夜する人は少ないと思います(東京大学物語という漫画がありましたね…)。

きちんと食べて、きちんと寝ている人には敵わない、と有名なコピーライター(糸井重里氏)もいっていましたが、まさにこうした自らのマネジメントがきちんとできる人が、長期的に組織の求める成果を出し続ける有為な人材として重宝されるというわけです。

そして、長時間労働の問題ですが、筆者は単に長時間働いているように見える、ということと、真にその労働者、社員が自主的に「ゾーン」に入って集中して一気呵成に業務成果目指してフルパワーで取り組んんでいるのか、それによって評価が全く違ってくると思っています。

日本においては、昭和時代から(ひょっとして平成の末期に至っても?)、単に長時間業務場所にいるから、残っているからというだけでなんとなく仕事を頑張っている、評価されるという時代が続いてきました。

そもそも、それは労働時間で管理することで比例的に業務成果が向上する一定の相関性がみられた高度経済成長期の振る舞いであり、現在においてはそのセオリーはかなり崩れていると言わざるを得ません。

工場での製造業やサービス業といった、アウトプットが定型化して業務の形、型ができあがっている職務において、「労働時間で管理する」というのは一定の合理性を認めうることですが、例えば筆者のような営業、企画、管理、新規事業開発といった職種において、「時間で管理する」というのはあまり合理的ではありません。

それよりも、さあいくぜとゾーンに入って集中する時間をどれくらい作り出せるか、それからそのゾーンに入って作業できるだけの準備として膨大なインプットをどれだけ受けておくことができるか、といった「時間の使い方」にフォーカスすべきなのです。

たとえ金曜日の22時でも準備万端になってモードに入ったら、思い切り仕事してもらえればよいのです。

もともと仕事自体が定型化されたものではないのですから、時間帯だけ定型化されても困ります。

質の高いアウトプットを出せるように振舞えているか、時間を支えているかということに立ち戻って考えるべきなのです。

そして、非定型の、仕事の仕組み自体を創り出すような仕事は、営業にしろ企画にしろ新規事業にしろ、意味のある仕事として非常に質が高いものになります。

同じ訪問営業でも、そうやって仕組みから考えて行く人と、単にノルマをこなす人とでは有為な差がつきます。

「大きな仕事をするためには、成果を挙げる能力を会社経営に示さなければならない」

「そのために、具体的にどんな実績が必要で、どんなやり方がふさわしいのか」

というふうに目的思考で作業を考えていくのがふさわしい態度ということになります。

そして、できれば売上とか利益とか成約件数といった数字を直接に追うよりも、顧客である相手の立場にたって、どんな振る舞いをすれば喜んでもらい、喜んでもらった結果として何かで返して上げたいと向こうに思ってもらい結果お買い上げに至るのかを考えて行動して行くほうが、むしろ成果に繋がりやすくなると思います。

そうしたほうが、搾取しているというような無駄な罪悪感に苛まれることもなく、自己肯定感に沿って仕事ができるというものです。

そして、準備万端、思い切り作業したい時にはゾーンにはいって、気のすむまで作業や仕事に没頭すれば良いと思います。

ただ、そうしたターボエンジンを燃やしている状態というのは決して頻繁に長く続くことはないので、そのあとはしっかりと休みを取るなりリフレッシュして身体を元に戻すということをマネジメントするのが、本当の管理職や上司のやるべきミッションだと思います。

さてお約束ですが、毎夜毎夜飲み屋でターボエンジン並みに飲んで歌って騒いで喉を痛めて回復が遅れております筆者からは以上です。

(平成29年12月7日 木曜日)

2017年11月22日

冬にダウンの衣服や寝具を使って温かく過ごす方法について話します




おはようございます。

2017年11月の記事です。

いよいよ本格的な冬の到来でして、重衣料品であるコートなどのお世話になることになります。

しかしながら、例えばせっかくのダウン(羽毛)のジャンパーがあっても、着方がまずいとあまり温かくなくなるということを書いておきまして、無用な暖房に頼ることなく冬を楽しく過ごそうというのがこの記事の趣旨になります。



ポイントは動かない空気の層を作ること



ダウンは空気を閉じ込め、空気の断熱層を作って、身体の中の熱が逃げないようにすることで保温するという仕組みです。

ですので、ダウンでなくても、究極には陶器などの破損防止のためによくついている、あのビニールのぷちぷちでも、体に巻きつけておくとものすごい保温効果を発揮します。

ぷちぷちの中の止まっている空気が重要なのです。

ですので、例えば家の中で窓際がスースーして寒い、というような場合、窓の下側にこのぷちぷちか、またはダンボールでも立てかけて貼っておくだけで部屋の中の温度低下は避けられます。

無駄に暖房を強くして、喉を痛めたりするのは残念です。

断熱こそ保温の方策、そして、どこにでもある究極の断熱材が「止まった空気」であることを繰り返しておきます。



逆に水に濡れると全く保温できません



逆に、例えばダウンのコートも水に濡れてしまってはまったく空気の層を作ることができずに寒いだけの湿った布きれになってしまいます。

雨の日などは、傘をさすなりレインコートを着るなりして、身体に直接触れる衣服部分が極力濡れないように注意しましょう。

一旦濡れてしまうと、乾かさない限り保温効果は回復しません。

昔、冬の北アルプスで雪崩により遭難してしまった登山家が奇跡的に助かったという事例がありましたが、それも下着が濡れやすい綿ではなく、ウールであったこともその一因と言われました。

今は、かなり性能のよい化学繊維がありまして、濡れにくく、濡れてもすぐに蒸散して乾くという性能を売りにしています。

肌触りはどうしても綿のほうがいいかもしれないですが、このように、防寒という観点から空気の層を作り出す機能にすぐれた素材を選ぶというのも一考です。

若かりし頃の年末の忘年会で、よくパンツを何枚か重ね着しておき、脱いだ(脱がされた)けどセーフ、という脱ぎ芸をしていたというのはここだけの秘密の筆者からは以上です。

(平成29年11月22日 水曜日)

2017年11月9日

今更ながらアマゾンの「Kindle Unlimited」を始めた話をします




おはようございます。

2017年11月の記事です。

2016年8月に日本でも始まったアマゾンの電子書籍読み放題サービスである「Kindle Unlimited」ですが、筆者は紙の本(特に漫画)が好きだったのでしばらく見送っておりました。

しかしながら、このたびアマゾンの電子書籍を解禁する出来事が起こり今更ながら「Kindle Unlimited」を始めてみましたので、今回はそのことを書きたいと思います。

そもそも、紙の本(特に漫画)が手に入るのであれば、電子書籍は敬遠するのがこれまでの筆者のスタンスでした。

しかしながら、昔の漫画など、復刻版が電子書籍のみという作品も多くあるのです。

例えば、週刊少年ジャンプといった少年週間漫画においては、古典となったドラゴンボールのような長寿人気漫画の側で、十数週で打ち切りの憂き目にあった漫画もたくさんございます。

しかしながら、週間漫画紙の宿命で、人気が出なければ打ち切りの危険があるこれらの漫画も、視点が面白かったりするもので、あとで読みたいなと思う作品も多いのです。

いくつか挙げておきます。

「アカテン教師梨本小鉄」「セコンド」、そして「てんぎゃん」などです。

中でも、近代日本の生んだまさに天才児と言える野口英世と南方熊楠に、興味を持ったのはいずれもこれらを題材にした「漫画」である筆者にとって、てんぎゃんは時々読み返して天才児とは社会の仕組みにそぐわないところがどうしてもあるなと思い直すために必要な漫画でした。

この「てんぎゃん(南方熊楠物語)」が「Kindle Unlimited」で電子書籍としてリリースされていたのです。

普通、こうした古典作品は、古本サービスでしか手に入りません。

しかし、テクノロジーの進化により、またこうした古い漫画は人気がなく版権料的にも読み放題サービスのラインナップに加えやすくなっているのでしょう、時々このようなマニア受けする作品群がリリースされているのです。

正直、読み放題和書10万冊以上、という謳い文句そのままを信じるわけには行きません。

ほとんどの本が読めるというわけではなく、読者個人個人の趣味趣向は極めて異なるので、個々人が読める本はかなり限られるというのが実際のところだと思います。

それから、最近出た本で結構売れている本については、ほとんど読めないという感覚がいたします。

これは当たり前で、実際に紙にして売る本が一旦売れきってから、電子書籍でもう一度こうした再販を行うのが常道だと思われるからです。

映画館で封切りする前に、DVD販売を始めてしまったら、興ざめでしょう。

それと同じようなものなのかもしれません。

また、ある本が読まれれば読まれるほど、アマゾンが出版社に払う金額(版権料?)が増える仕組みのようであり、あまりにも人気すぎる本だとかなりコストがかかるみたいです。

そのため、人気本に限って読み放題ラインナップから削除されているという事態も頻繁に起きているようです(特に漫画においては)。

しかしながら、昔の本であれ読んでみたかったな、という記憶を読める本のラインナップを眺めて拾い読みするという読書スタイルには最高です。

加えて、時間の制約が大きい社会人の当職などにとっては、読みたいけど紙の本が手元にないという状況に陥らず、テクノロジーと通信環境の進化でかなり手軽にあらゆるデバイスで本が読めるようになったというのは素晴らしいことだと思います。

次は、キンドル専用端末を買い直してみようと思いました。

結局、古い漫画ばっかり読んでいる進歩のない筆者からは以上です。

(平成29年11月9日 木曜日)

2017年10月17日

車の給油残量少の警告ランプが点灯してから一体何キロくらい走れるのか





おはようございます。

2017年10月の記事です。

車で高速道路を走っておりまして、ふとガソリンの残量が少なくなっていることに気づきました。

本当は気づいていたのですが、なんとかなるだろ的に高速に乗ってしまい、そしてガスステーションのあるパーキングエリア(PA)を颯爽と過ぎ去ったところで気づいたわけです。

さて困りました。

高速道路を逆走するのは辛いですし、一旦出てしまって探せば見つかるでしょうが、そんなことをするのもおっくうです。

結局、そのまま走り続けることになりました。

この先の高速道路のPAにガスステーションはなく、自宅近辺に帰り着くまで約50キロメートルとありますが、果たしてガソリンはもつでしょうか。


結果余裕であったがやりすぎは危険



結果から申し上げますと、かなり余裕があって間に合ったようです。

ガソリンの給油量の残量は、どのくらいで警告ランプが表示されるのか、それは車種やメーカーによっても違いますがだいたいガソリンの残業が10リットルくらいで警告されるという仕様になっているものが多いということです。

とすれば、車種によっても違いますが、燃費リッター5キロメートルとしても、50キロメートルは走行できることになります。

そして、この50キロメートルという距離は、高速道路のPA間でガスステーションが置かれている距離ということなので、高速道路を走っていて警告ランプが点灯しても最寄りのガスステーションに立ち寄れば問題ない、ということになります。

問題は、筆者のようにそのままガソリンスタンドをスルーしてしまった場合です。

それでも、ガソリンの最大給油量は、タンクの容量以上に配管等がありますので、数リットルは多いとみられます。

したがって、例えば車のカタログ上、筆者の乗っていた車は60リットルと書いてありますが、実際にはそれ以上満タンにすれば入っているということになります。

タンク容量はタンク自体の容量であり、給油口までの配管の容量もありますので、カタログ表示のタンク容量よりも少しだけ多くガソリンが入るのは自明です。

結論として、給油ランプは一般的に高速道路でも次のガスステーションがあるところまでは十分走れる距離で設定されている、ということで、ランプ点灯してからでも50キロ程度は走れる計算で考えておけば良さそうです。

さて先ほどの筆者の車ですが、ぎりぎりだと思っておりましたが給油したところ56リットル入りました。

したがいまして、4リットル以上は余裕があったということになりますが、当然空になるに従ってエンジンの内部の負担が空焚きになって半端ないものになりますので、このようなことはあまりやらない方が良いと思います。

実は、ガソリン自体も当然重量がありますので、燃費やエコのことを考えるとタンク残量半分以下くらいでいつも走行する方が走行成績は良いという話もあります。

いろいろ難しいものです。

車についてはあまり詳しくない筆者からは以上です。

(平成29年10月17日 火曜日)

2017年10月1日

小学校運動会プログラム25番「保護者による会場後片付け支援」

運動会の通路であったトラロープを巻き取るの図



おはようございます。

最近は小学校の運動会の運営がとても良くなってきたと感じています。

前日から張り込んでの場所取りといった、一体どこに労力を使っているのか良くわからない使役を課すようなイベントから、あくまで出場する子供たちのことを考慮したレイアウトおよび運営に変わってきていることが良くわかります。

まず、保護者の入場は8時過ぎまでできないように、PTAの保護者たちが早朝から客列整備をするようになりましたし、並ぶに際しても、登校する本来の主人公である児童たちの邪魔にならないように、横によけて並ぶようになりました。

並ぶ大人の群で、当の子供たちが歩道を歩けずに車道を歩くといった、良くわからないこともなくなりました。

それから、今回特に強調したいのが、全てのプログラムが終わり、赤白勝敗も決定し閉会式、国旗降納も済ませた後、児童も保護者も下校するのですが、一部の有志の保護者たちは率先して会場の片付けを手伝うようになったことです。

これは、入場の際の客列整備と同様、素晴らしいことで、筆者などはこのプログラムこそ保護者が主体となって参加できるPTA競技、まさにプログラム25番(大玉転がしと閉会式がプログラム24番でしたので)のれっきとしたイベントだと思って楽しくやっています。

最近では、保護者のほうで入場門の杭を先生が到着する前に抜いてしまい、保管場所の倉庫に自ら片付けることすらできるようになりました。

これも、普段からそういうことをやっておけば自然と手足が動くという意味で大変よい地域の習慣であると思いました。

こんなことを書けるようになったのですが、以前は前日の真夜中に学校の塀の向こうからテントやシートを投げ込んで場所取りをしたり、それなのに必要な競技を見たら片付けを手伝うでもなくさっさと帰ってしまいゴミの一つも拾わないなど、どうも子供には見せられないような振る舞いが多かったのですが今はだいぶ良くなりました。

まず、無用なゴミが落ちていません。

会場の使い方、例えば昼食のお弁当時には体育館が解放されますが、その使い方も大変綺麗です。

こうした世の中の変化については、積極的に誇って良いのではないかと思いました。

なお、本番でのPTA競技「綱引き」で力を込め過ぎ、翌日全身筋肉痛に苛まれるであろう筆者からは以上です。

(平成29年10月1日 日曜日)

2017年9月27日

仕事はなかなか時給では測れないと改めて思った昭和な話をいたします





おはようございます。

2017年9月の記事です。

昭和後期生まれ、社会人としてどうにか働いて20年の筆者です。

思えば、会社を取り巻く環境はこの20年で劇的に変わりました。

筆者が新人をやらせていただいた職場は、この職場以外の日本のあらゆる職場でそうだったのかもしれませんが、連日深夜残業は当たり前田のクラッカー(古いギャグです)でした。

筆者も指導担当としてついてご指導をいただいた当時の課長代理(当時のデフォルトでは男性)と、あまりにも深夜にわたる業務となり、終電もないので近くの東京神田のカプセルホテルに宿泊し、上司にそのカプセルホテル代まで出してもらい、あげく缶ビールまで奢ってもらいながら、翌日寝坊して7時に起きたのですが上司はとっくに出社していた、といったような経験がございます。

実話です。

1997年(平成9年)の出来事です。

今の会社を取り巻く環境で、このようなことが起こるとは到底想定できません。

例えば、待遇もよく、仕事内容も合っている、しかしながら上司から飲みに連れて行かれて時間を潰されるのが勘弁というのが平成29年に至った平成末期の社会人新人のデフォルトであるかもしれません。

仕事はあくまで業務時間内のこと、自分の時間を犠牲にして上司や会社の人と飲みに行くことなどに意味が見出せないという、よくある論調です。

筆者も、18時から始まった部署の飲み会が翌日の午前3時まで続き(大量に飲んで8曲くらい歌いました)、タクシーで帰って着替えてそのまま翌日(土曜日)のゴルフに向かいそのまま電車を乗り過ごして取引先に大迷惑をかけた、という経験の持ち主ですから、あまりにも長時間にわたる事実上の拘束が大変であることはわかっているつもりです。

しかしながら、それでも敢えて申し上げたいところがあります。

それは、業務時間以外に拘束されたくない、というならば、それならば時給にしてもらえや、ということなのです。

有りていに申し上げれば、それは歯車といった部品の立場に甘んずるということであり、そうした立場になることで文句はない、ということと表裏一体なのです。

自分自身を部品として、レンタルする時間以外、会社や組織と組む、絡むのは勘弁ということであれば、そうしたバイトの延長で時給にしてもらって、とっとと帰って、家で自分の好きなことでも何でもやれば良いと思うわけです。

どういうわけか、そのように主張する者ほど、実は一方で自分は社会の歯車ではない、クリエイティブな仕事をしたいとか言い出すので面白いのですが、世の中ものすごく進んで平成末期になっても、いや時代が進んだからなおさら、そのような部品の歯車な考えの人の代わりなど捨てるほどいるので、社会や取引先や責任と綺麗に切り分けられたところの時給の仕事がいつなくなるかは考えておいた方が良いと思います。

だいたい、たとえば小学校からエスカレーターで、日本国内ブランドだけはある大学のキラキラネーム学部を出ました、英語も中国語もできませんし(日本語もおぼつかないし)、理系文系関わらず専門知識も特にありませんし、プログラミングもできません。

でも、学生時代にサークルと飲食バイトでコミュニケーション力は磨きました。

というのなら、会社の上司と飲みに行くくらい朝飯前だし、それくらいしか最初はできないのではないかと思うわけです。

唯一の強みがコミュ力とネットワークならば、それを武器に世の中渡っていかなければなりません。

それなのに、コミュ力とネットワークだけを誇るそうした学生ほど、なぜか泥臭い営業は嫌です、海外もロンドンニューヨークはいいですが中国の四川省や東南アジアの奥地、ブラジルやロシアやブルガリアなんかは絶対勘弁といった趣味趣向を堂々と披瀝され、できれば都心の本社の内勤であるクリエイティブな感じのマーケティングやら広報やらをやりたいとおっしゃるように見えるのには本当に不思議な感じがいたします。



ということで、黙って飲んどけ



ということで、それが違うというのであれば黙って飲んでおくことをお勧めします。

サラリーマンに限らず仕事人にとっての飲み会やコミュニケーションの場は、スポーツ選手における腕立てや腹筋といったルーティンと同じで日々の積み重ねによる大切なトレーニングの場であり、人や社会や会社を見極める最良の競技場、リング、舞台であるとも言えるのです。

勝負のトラックに上がらずに時給感覚でバイトしたいという労働者に、組織も企業も上司も、責任ある業務を与えることは「ない」のではないのでしょうか。

バイトにも失礼です。

企業も組織も利益を追求しており、上司も自らの評価や評判を背負って部下の指導を行い、部下と一緒に働き大きな成果を得たいと思っております。

しかるに、それを受ける立場の者が時給のバイト感覚で来られては、こちらの期待の空振りといわずして何といいましょうか。

飲み会に限らず、家を一歩出たなら社会人は日々の積み重ねのビジネストレーニングに晒されていると考えた方がよく、そういうとても地味だけれども大変神聖なる反復トレーニングを前にして、それは効果があるのかなど青二才がごちゃごちゃ文句言ったところで誰も聞く耳持ちません。

飲み屋に限らず、ビジネスマン同士のコミュニケーションとは、本気で人との付き合い方や仕事のやり方進め方を学んで、仲間や人脈を作って助け助けられ進んでいき、そうやって率先して汗をかいてリスクを取れ、いろいろ批判されたり指導されたりしながら加えて日々の地道な仕事の成果が伴ったときに、初めて世間や取引先、社内からも必要かどうか判断され、そうして生き残っていく、そういう世界なのです。

少なくとも、朝3時まで飲んでいた昭和の生き残り世代が大量にまだ現役世代として社会のそこかしこに生息している、そうした24時間戦えますかというある意味理不尽なる境遇を過ごし生き残った先達が一定の割合で存在しているという事実を改めてお知らせしたいと思いまして筆をとらせていただきました。

携帯電話で取引先に電話するのは失礼と当時学んだ昭和世代の筆者からのコメントは以上です。

(平成29年9月27日 水曜日)