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2018年7月10日

反射的に概念を理解できる漢字かな交じり文という日本語の優れたところについて考察する






おはようございます。

2018年7月の漢字に関する配信記事です。

上の作文は、最初はさらりと読んでしまいますが、おかしいと思って読み返すと気持ち悪い文章です。

なにしろ、使われている漢字が実に半分間違っているという状況なのです。

それでも、なんとなく語感で意味を取ることができるのが漢字かな交じり文という、世界でも独特の文字文化を持って、日々学校や教育現場でそれを鍛え続けている日本人の優れた認識能力ということになります。

これは、表意文字と言われる日本語の「漢字」の持つ素晴らしい機能でありまして、特に漢字2文字の「単語」の種類はことのほか多く、2語を瞬時に意味ある概念につなげて認識することができるのは、漢字かな交じり文を小学校1年生(6歳)からひたすら読み書きして訓練している賜物です。

ですので、「文宇」も「文字」とすんなり読めますし、「埋解」も「理解」できるのです。

文字の字が宇宙の宇と書くことは、通常では極めて稀でありますし、理解の理が埋めるという文字になることも、めったに起こりません。

この、あり得ない組み合わせ、を自動的に排除し、あり得る組み合わせを瞬時に脳内にフラッシュバックするというのが、いわゆる学習効果ということになります。

そして、こうした地道な学習や勉強の「訓練」や「習慣」がついたものにしか、本当に新しい発想や仕組みというものは「降りて」来ないものなのかもしれないと思いました。

そのためにも、日々勉強する姿勢や習慣を大切にしたいと改めて思いました。

今日から勉強、と思いながら明日に先延ばししてしまうことだけは得意な筆者からの意気込みは以上です。

(平成30年7月10日 火曜日)

2018年6月30日

第二次世界大戦時にチャーチルの演説でイギリス国民の目が覚めたという例え話です







おはようございます。

2018年6月最後の、よい演説に関する配信記事です。

第二次世界大戦前夜、自分の意思を貫く政治指導者がまずドイツに現れました。

名前はアドルフ・ヒトラー。

第一次世界大戦に敗北し、ハイパーインフレに喘ぐドイツの国の誇りを威信を取り戻し、経済を発展させ、アウトバーンを通し、産業企業を育成し、ドイツ民族の敵としてユダヤ人を敵視しました。

そのヒトラーの信じるところに、ドイツ国民は熱狂的な支持を集め、そしてドイツの拡大主義は頂点に達します。

そして、それまで宥和政策で鳴らしたイギリスでは、その行き詰まりを察して退陣したチェンバレン首相の後任として、与党の中では人気がなく、野党と国民の支持を勝ち取りつつあった偏屈者で、こちらも自分の意思を貫くことでは人後に落ちない政治指導者に恵まれました。

名前はウィンストン・チャーチル。

チャーチルは、ドイツとは徹底的に対決しなければならないことを、イギリス国民に語りかけるため、演説の機会を持つことにしました。

ヴェルサイユ条約での決まりごとに、いかにドイツが反して軍備増強を図っているか、勝手に領土的野心を露わにしてチェコの北部一帯のズデーテン地方、ここにはドイツ人居住者が多かったことから、ヒトラーがドイツへの併合を要求し、1938年のミュンヘン会談で英仏がひたすら容認の姿勢を崩さなかったため、ドイツに割譲されたこと、その際に、ヒトラーは、「領土的要求はこれで最後とする」と演説したものの全くそんな気がないこと、ドイツの増強中の艦船や航空機(戦闘機や爆撃機)の実働数、といった具体的状況や事情を滔々と述べるという方法もありました。

しかし、チャーチルは道すがら考えて、聴く人にとってわかりやすい、例え話から話し始めることにしたのです。

「みなさん、ベルリンの動物園では、羊と狼が同じ檻で、仲良く暮らしているそうです」

「そしてそれはとても人気の訪問スポットになっているそうですよ」

「私は、その動物園で、そんな羊と狼が仲良く暮らす檻がある、その秘訣は何ですかと聞いたのです」

「飼育員は、それに答えて、ああそうですね。。。狼の方はそんな問題ではないのです。簡単に、すぐに見つかります。でも、羊の方はね。。。毎朝、違う子羊を連れてこないといけないので、大変なんですよ」

この例え話は、獲物を喰らう、ナチスドイツの姿を、イギリスの「見たい現実しか見ない」聴衆にありありと思いえがかせ、イギリスが、現在、一体どのような悲惨な状況下にあるのか、すぐに想像イメージさせたのです。

いくら数字や政治のデータを見せたところで、それを心から信じていない希望的観測を、予見を持ってしまっている人には響きません。

それよりも、本質をズバリと突く、例え話の方が、聴衆に、聴くものにダイレクトに訴えることができる技術がある、そんな自分の意思を貫き通した、偏屈かつユーモアに溢れた指導者、チャーチルの演説のお話でした。

だいぶ年を重ねておっさんとなり、人前で講演などする機会も増えて来ましたが、なかなかチャーチルの域どころか足元にも達しない浅才の筆者からの記事は以上です。

(平成30年6月30日 土曜日)

2018年6月26日

行きつけの中華料理屋で実に四半世紀ぶりの半分メニューをお願いしてしまったというお話です





おはようございます。

2018年6月の行きつけの中華料理屋に関する配信記事です。

筆者は職場の近くに、いつもビートルズの音楽が店内に流れている、一風変わった中華料理のお店があります。

そして、筆者はその店が好きでよく行くのですが、いつも注文する直前までいろんなメニューを食べたいなと思いながら、注文するときには一点食いで「パリパリかた焼きそば」ばかり頼んでいます。

他のメニューも、きっとそれぞれにうまいはずなのですが、どうしても、筆者はこのパリパリかた焼きそばの魅力に勝てません。

今日などは、すでにお取引先様と昼食を食べていたのにもかかわらず、どうしてもかた焼きそばを食べたくなってしまい、ふらふらとお店の前まで来てしまいました。

そうして、お店に入り、勇気を出して頼んでみたのです。

「いつもの、かた焼きそばを、半分でできますか?」

と。

筆者としては、子供のうどんを半分にして2人に分けてとお願いしたことはありますが、さすがに自分自身の半メニューをお願いしたのは、実に高校時代に早弁して食堂の定食も食べた後に友人の溝口君とおやつ代わりに素うどんを半分こにしてもらって食べた、あの伝説の高校食堂素うどん半分案件群からですから、実に四半世紀ぶりとなります。

店主は、聞くや否や、ああパリパリかた焼きそばなら、半分はできます、と言っていただき、待つことわずか1分少々、待望の半分かた焼きそばが運ばれてまいりました。

素晴らしいです。

思わず、写真におさめてしまうくらいの出来栄えです。

食べ終わった後、これは普通に一人前行けたなーと思わずにはいられないいつものうまい焼きそばでした。

これで、おやつ代わりに行けるようになるなと感じた筆者からの感想は以上です。

(平成30年6月26日 火曜日)

2018年5月22日

日本競馬界を変えるくらいの超新星を探しに北海道札幌まで試しに行って来ましたという話







おはようございます。

2018年5月の競走馬、ホースレースに関する配信記事です。

実は先日から、北海道は札幌の札幌競馬場に出入りしておりまして、競走馬の競り市(オークション)というものを見学して来ました。

少し統計的な話をいたしますと、日本で年間に産出されるいわゆるサラブレッド種の競走馬は約7,000頭と言われておりますが、その大部分を、この北海道の日高、紋別といった北海道産地が占めているということです。

そうして、ここで産出された競走馬は、生まれた時から複数の競売にかけられ、馬主と言われる人たちの厳しい目に晒されながら値段がついて売られていくということになります。

3年後、3歳馬となったサラブレッドたちは、毎年5月の最後あたりに行われる東京優駿、いわゆる日本ダービーというその世代のトップを決めるレースを目指し、そうしてその数千頭のうちの一頭が、ダービー馬の栄冠に輝くというわけです。

これは、夏の甲子園優勝以上に難しい、大人たちの壮大なギャンブルであり、夢というわけです。

馬の所有者である馬主はもちろん、鞍上に乗る騎手も、お世話やトレーニングに付き合う厩務員やそもそもの生産牧場のみなさんにとっても本気の勝負になります。

馬の競売は、他のオークションと同じく、ハンマープライスといって、あの「トン」と打つところまで値を競り上げていって、独特のリズムで次々と値段が決まって行きます。

中には、値段を出してくれる人が一人も現れず、「主取り(ぬしとり)」といって出品者のところにそのまま引き取られるという馬も少なからずいます。

その、オークションでは値がつかなかった馬の厩舎に、別途出向いて相対で交渉して、比較的手頃な値段で馬を買うという馬主もいます。

今回見たオークションで、筆者が驚いたのは、外国人の馬主がバンバン高値で競り落としていく様子でした。

香港、台湾、タイ、といったアジアの企業オーナーなのか土地持ちなのかビルオーナーなのかわからないのですが、地元の馬主協会連中を尻目に、どんどん強気で競り落としていくような感じでした。

日本の競馬界の売り上げは、代表される組織であるJRA(日本中央競馬会)に限って記載しますと1997年の4兆円に達しましたが、その後長期低落傾向を続け、一旦社会現象にもなったディープインパクトという名駿(生涯14戦12勝という驚異的戦績)が活躍した2004年から2006年については3兆円弱で横ばいで耐えていましたが、その後また低落していき、ついに東日本大震災の2011年には2兆3,000億円程度にまで落ち込みます。

しかし、その後ネット馬券の購入や地方競馬との連携、同じギャンブルである競輪や競艇、事実上のギャンブル同業であるパチンコなどからの顧客獲得もあり、徐々に巻き返してここ数年は前年比上昇傾向を続け、2017年は2兆7,500億円で着地しました。

今後、カジノ法案の成立やIR(インテグレード・リゾート)といった大規模リゾート開発において、競馬というのは世界的に盛んなコンテンツであることから、この市場は数少ない日本で伸びる分野であると思われます。

ちなみに、日本での年間生産サラブレッド数は7,000頭と申し上げましたが、世界に目を転じると、

・北米(アメリカ、カナダ)は20,000頭
・イギリス 5,000頭
・アイルランド 9,000頭
・フランス 5,000頭
・アルゼンチン 7,000頭
・オーストラリア 12,000頭

という具合に、やはり世界は広く裾野は大きく馬たちは強く、凱旋門賞といった欧州やドバイの名門レースや大賞金レースで日本産の馬が勝つのは至難の業であり、これもまた大きな夢ということになります。

これからの日本のコンテンツ分野の発展を祈念します。

株も競馬も、大きく張れずにちょこちょこ負けて、たまに大きく出たらことごとく持っていかれる、その面では才能も度胸も持ち合わせておりません筆者からの見解は以上です。

(平成30年5月22日 火曜日)

2018年3月15日

日本において数字の銀行がいくつか続いて残っているという話について




おはようございます。

2018年3月の日本の銀行に関する配信記事です。

最近、三菱東京UFJ銀行が三菱UFJ銀行に名称を変更するという話がありました。

東京銀行といえば、Bank of Tokyoという通り名で世界にその名を知られた名門銀行であり、かつては外為専門銀行として、いわゆる外貨を独占的に扱っていたというわけですが、1996年に当時の三菱銀行と合併して東京三菱銀行となり、そしてそこから20年あまりをかけて、ゆっくりと東京の名は消えようとしているわけです。

当時の東京銀行をぎりぎり知る身としましては、非常に寂寥感がつのるお話です。

さて、日本の銀行には、そのほかにも、第四、七十七、百五といった漢数字がついた銀行がいくつかありますが、この銀行たちはどのような経緯でかような漢数字の名前を持つようになったかご存知でしょうか。

これは、中学の歴史の教科書にも載っていますが、時代が江戸幕府から明治の新政府に移ったところ、日本政府は西洋列強に対抗すべく急激に世界の奇跡とも呼べる近代化を一気に図りますが、その中で、いわゆる通貨を整備することにも着手します。

これまで、慶長小判とか言われていた通貨を、単位「円」として、「両」単位からの脱却をはかったのです。

ただ、幕藩時代の各藩発行の藩札やら、これまでの小判や銀といった通貨が入り乱れている状態であり、この状況打開のため、明治5年(1872年)に、政府は「国立銀行条例」という法律を制定して、通貨の統一に乗り出したのです。

しかし、そこは当時の明治政府、当面自前で通貨を発行できる予算がなかったため、なんと民間が設立した銀行に、銀行券を発行させて、そしてこれまでの紙幣をこの新しい銀行券と交換させ回収したのです。

国立、といっても国は名前を貸しただけ、つまり今でいう「ネーミングライツ」のような、「PFI」というべき仕組みです。

まず、これに沿って民間が設立した「国立銀行」は4つあります。

東京に設立された国立第一銀行はその後、第一勧業銀行を経て現在はみずほ銀行です。

横浜に設立された第二国立銀行は、現在は名称を変え横浜銀行となっています。

第三国立銀行は大阪に作られるはずでしたが、設立時のトラブルで営業開始前に解散した経緯がありまして今も存在しませんが、「国立」ではない純粋民間の第三銀行というのが三重県松阪市にあり、三重県の三を取って第三銀行として営業していますのでややこしいところです。

新潟にある第四銀行は、今もその名前のまま存続しています。

その後、解散した国立第三銀行の後釜として、第五国立銀行が大阪で設立され、これは現在の三井住友銀行に引き継がれています(三井の方が本流になります)。

さて、その後も銀行条例の柔軟な改正もあり、次々に同様の国立銀行が設立された結果、なんと153番目の国立銀行までが設立されたのです。

そして、これらの「国立」銀行が発行する銀行券は、すべて同じデザインで、発行する各銀行の名称だけが違う(つまり番号が違う)ということになったというわけです。

しかしながら、そんな民間由来の公的紙幣発行という予算が少ない中での合わせ技がいつまでも続くわけもなく、やがて明治15年(1882)年に至って、ついに日本の中央銀行として銀行の銀行というべき日本銀行が設立され、日本銀行券(要するに今の紙幣)が発行され、これらの国立銀行券は日本銀行券と交換されていき姿を消していき、そしてこれらの国立銀行も通貨発行の役目を終えて普通銀行として転換して、一般の民間銀行として営業を継続したというわけです。

そんなわけで、明治以来の大事な名前のまま2018年3月現在も営業を続けているのは、第四(新潟)、十六(岐阜)、十八(長崎)、七十七(仙台)、百五(三重県津市)、百十四(香川)の6つとなります。

また、八十二銀行(長野県長野市)は、第十九銀行と六十三銀行が合併してできました。

「19+63=82」というわけです。

冗談のようですが、数字に対するこだわりを垣間見ることができます。

そして、第三銀行については、漢数字ではなく三重県松阪市の三ということですので、厳密にはここから外します。

同じ三重県津市には百五銀行がありますので、さらにややこしいですが、三重県に縁のある方はここのところよく復習しておいてください(テストに出ます)。

三重県に出張で訪れた際に、最高級の松坂牛を一度だけ食べたことがあり、その味がわすれられない筆者(赤福も美味しい)からの感想は以上です。

(平成30年3月15日 木曜日)

2018年3月7日

2分で読んでだいたいわかる日本の医学部等制度についての雑談をします





おはようございます。

2018年3月の日本の医学部等制度に関する配信記事です。

なぜ、医学部と書かずに医学部等と濁して書いたのかと言いますと、日本の医師養成機関としては、◯◯大学医学部、ということで総合大学の医学部に収斂されてきているものの、未だ単科医科大学としての、◯◯医科大学という単科大学も複数残っているため(残っているという言い方も本当のところはよろしくないため)、等という言葉を付させていただくものです。

日本国といたしましては、獣医学部を50年ぶりに新設するということで、国会でもその設置の経緯が大激論となった2017年の記憶も新しいところでありますが、獣医ではなく人間の医療を行う医学部については、かの田中角栄内閣(第二次)の中で1973年に策定された「経済社会基本計画」の中に当時の医師不足を反映して、当時医学部がなかった15県に医学部を設置しようという意欲的な取り組みが行われ、一気に医学部の設置が進んだという背景があります。

日本も、やればできるのです。

黒船の歴史を紐解くまでもなく、危機に際しては一致団結、ことの解決にあたって一斉に動き出すというのは日本人の(良くも悪くも)特性であると思います。

なお、医学部を設置するといっても、その当時の国立の総合大学はいわゆる大学紛争の真っ最中であり、そこに医学部を新設してもまともな教育ができそうにないだろうという特段の配慮がなされました。

すなわち、医学部としての設置は当初、既存国立大学への医学部増設として当たり前に勧められたところ、当時の文部省(現在は文部科学省)がせっかく新設した大切な医学部の学生に、既存の総合大学の学生運動の影響が及ぶことを懸念したのです。

そこで、当時大学ごと新設しつつあった筑波大学と同様の新構想の大学として、単科大学での設置を進めたのです。

こうして、早速1973年に旭川医科大学、山形大学医学部、愛媛大学医学部、筑波大学医学専門学群、1974年に浜松医科大学、宮崎医科大学、滋賀医科大学、1975年に富山医科薬科大学、島根医科大学、1976年に高知医科大学、佐賀医科大学、大分医科大学、1978年に福井医科大学、山梨医科大学、香川医科大学、1979年に琉球大学医学部と、7年間で16校の国立医科大学(総合大学の医学部)が相次いで新設されました。

田中角栄が推し進めた、この一県一医大構想は、わずか発表より6年で実現されることとなったわけです。

政治の力、おそるべしです。

さすが、故郷新潟に新幹線(上越新幹線)を引いた総理大臣です。

やることがいちいちでかいです。

この結果、日本の医学部等の数は同時期に認可された私立大学を含め1979年末時点で80大学となり、入学定員は既存学部の入学定員増を含め8,000人を超える水準となったのです。

そして、琉球大学医学部の設置を最後に、ごく最近(2016年)まで医学部の新設は実に40年弱も沙汰止みになるのです。

その岩盤規制がようやく崩れたのは、東日本大震災を端緒とする災害医療と国際化に対応した医療および国家戦略特区制度による医学部誘致を合わせて行った2つの私立大学の医学部設置です。

2016年に被災地復興支援の特例として「東北医科薬科大学」(東北薬科大学から改称、仙台市)が認可されたのに続いて、2017年4月には国家戦略特区事業の枠組みで、国際医療福祉大学(本部・栃木県大田原市)の成田キャンパス(千葉県成田市)に医学部が新設されました。

また、別途、2004年の国立大学法人化等の改革によって、文部科学省はこれら新設の医科大学と地元国立大学との統合を推進し、浜松医科大学・滋賀医科大学以外の医科大学は同一県内の国立大学と統合し、統合された国立大学の医学部となりました。

筆者は琵琶湖でボートを漕いでいた時に、滋賀大学経済学部のクルーを「しがけい」、滋賀医科大学のクルーを「しがい」、と呼んでいました(彼ら自身もそう呼んでいたと記憶しています)が、筆者は実は今更、両者は同じ大学の違う学部というわけではなく、滋賀医科大学という独立した医科大学のボート部であったのだということにようやく気づいたくらいです(滋賀県界隈の方々、がさつな九州出身者の認識で本当にすみません)。

浜松医科大学については、静岡県に今もくすぶる静岡県の盟主は浜松市か静岡市かどちらか、という根深い問題に根ざしているようですので、ここでのこれ以上のコメントは避けたいと思います(筆者は静岡や浜松にはほぼ縁がございませんので、机上の感覚ですご了承ください)。

最後、旭川医科大学については、これは流石に北海道の広さからして、また北海道大学にはそもそも医学部があることからしても、くっつける国立の総合大学がない例、ということになるのではないかと思います。

以上、2分で読めるわが国の医者養成制度に関する振り返りでした。

琵琶湖に浮かんでいた頃に阪神淡路大震災が起こってから20年余、ようやく滋賀について、滋賀は琵琶湖だけという虚構新聞並みの理解から少しだけ詳しくなった学習の遅い筆者からは以上です。

(平成30年3月7日 水曜日)

2018年2月12日

自分のクローンを作って爆発的に増えている新種のザリガニが発見されたという話です




おはようございます。

2018年2月の記事です。

世界は驚きに満ちていることをお知らせするのがこのブログの使命です。

New Species of Crayfish Can Clone Itself

という原題で、自分のクローンを作れる新種のザリガニが見つかった、という記事が配信されています。

つまり、この「雌の」ザリガニは、父親いらずで、例えば水槽に数匹入れていたら、いつのまにか数百匹に増えている、という恐ろしい倍々ゲームで増えて行く生き物であります。

漫画ドラえもんに、「バイバイン」という、一定時間経過で何でも倍に増やすことができるという夢の機会が現れて、そしてどら焼きを増やし続けて街がどら焼きで溢れかえったというお話がありますが、それと同じように、単為生殖という、要するに体の一部が分離してそれがそのままクローンとして別の固体となる(遺伝子は同じ)という生殖方法をザリガニという割と身体の大きな甲殻類が獲得したというのは驚きです。

例えば、アリやアブラムシといった昆虫は単為生殖を行い、働きアリや樹液を吸う分業を行い社会的な役目を与えられるという例を見ることができますが、いずれも比較的小さな固体において行われるのが単為生殖(クローン)の特徴です。

しかし、どうやら突然変異によって、このザリガニ(クレイフィッシュ)は、雌だけで雌(というより自らのクローン)を生み出し、そして生み出したザリガニもまた自らの子供(子供といってもしつこようですがクローンです)を雄なしで生み出すことができるので、増える環境さえあれば歯止めなどなく何百万匹にもなり、今も倍々ゲームで増え続けるということになります。

最初はペットとして持ち込まれたこの種のザリガニが、世界の生態系を破壊する侵略的破壊外来種として当局にマークされるのも時間の問題となるでしょう。

用無しの雄にならぬように頑張りたい筆者からは以上です。

(平成30年2月12日 月曜日)

2018年2月4日

正義の味方と悪の組織の根本的な違いについて整理しておきたいと思います








おはようございます。

2018年2月の配信記事です。

悪の秘密結社という会社があります。

「株式会社悪の秘密結社です」と電話で名のられると、一瞬どきっとしますが、れっきとした収益企業です。

事業内容は、ヒーローショーの企画運営であり、各地のご当地ヒーローと「提携」して、さまざまなショーに出かけていき、現場をしっかりかき回し、聴衆を楽しませ、そして最後にはきっちりとやられてお客さんに満足して帰ってもらう、という極めて真面目な団体です。

ヒーローとは、正義の味方とも形容されますが、実は単独では生きていけないか弱い存在でして、組織化もされていないし、そもそも自分で何かをしたいという主体性すらありません。




悪の組織には世界征服という目標がある




悪の組織が世界征服などを着々と進めて行く横で、それに気づいた瞬間、刹那的に対処的に反射的に対応するのみなのです。

彼らの行動は、いつも刹那的で、非戦略的で、問題が解決した後の反省も特にありません。

それが正義の味方の宿命ならば、悪の組織はよほど大きな夢を描き、日々努力を怠らず組織拡大に努め、そして反省を次に生かすという、よほど我々としては見習うべき存在になっているのではないでしょうか。

そして、悪の組織はとてもよく笑います。

大声でも笑うし、含み笑いも、嗤う、と書くいわば嘲笑もいたします。

一方、正義の味方は、いつも何かに怒っているし、自分のやりたいことがありません。

今後のヒーロー像を考える際には、是非一緒に笑うことができるという存在になるにはどのように振舞ったら良いか、正義の味方にも大いに考えてもらいたいものです。

そうしないと、悪の秘密結社に仕事をもらう、という笑えない存在から脱却することはかなわないでしょう。

悪の秘密結社の社長以下怪人たちの今後が健やかなることを願っています。

こちらからは以上です。

(平成30年2月4日 日曜日)

2018年1月11日

映画「君の名は。」の区切りの書評としてマルチ年齢システムのことについて述べて終わりにします






おはようございます。

2018年1月の記事です。

過去2つほど記事をアップして好評だった映画「君の名は。」(。をつけるのが正解)の書評の最後とします。

実は、結構な反響をいただき、シリーズものとして続けてほしいという声もあったのですが、これでは「執筆」となってしまい、当ブログのその日起きて気づいたことをその都度書くという適当感が鈍ってしまい、それではむしろ興を削ぐ結果にもなるのではないかと思いまして、要するに面倒臭いので一旦区切りにさせていただこうと思ったわけです。

さて本論最後の君の名は。です。

アマゾンで英語字幕版も出ていましたのでこちらも見ました。

また新しい発見もありました。

ぜひ、ジブリ名作「天空の城ラピュタ」「魔女の宅急便」のように、完全セリフも英語オリジナルの海外版も作ってもらいたいと思いました。

英語の勉強にもなりますし、何より40過ぎ男がアニメ見ても訝しがられることが減ります。

さて、長い前置きはこのくらいで終わります。

君の名は。の英題はYour name.です。

?もなく、What’s your name?と疑問形でもありません。

これは、すでに体全体で知っているあの人の名前が出てこない、という強い渇望が生み出した題名なのです。

誰かに、「誰だっけ?」と聞いて「ああそうか」とわかるような軽いもんじゃないのですね。

そして、この映画はこの主人公2人の人物の印象を強く強く観客に与えるため、様々工夫しています。

三葉は美人、瀧はイケメンに描くのは当然として、それを、女子高生のときの三葉、彗星落下後8年経過した(26の)大人の三葉を少し暗い郷愁で描いています。

声優さんも、声を落としたり、その年齢を強く意識してアフレコしています。

瀧くんについてはもっとバリエーションがあります。

三葉が東京に会いに行った時の瀧は中学校2年生、電車の中で単語帳を繰っていますが、いきなり3つくらい上の田舎の女子高生に(美人だけど)声をかけられれば不信感でいっぱいでしょう。

出会い系かよ、といった警戒も頷けます。

そうして、メインの都内の高校2年生の瀧、しかもバイトの格好と制服の格好と2バージョンあり、また大学生になり就職活動をしている瀧、そしてなんとか会社に内定したのでしょう、春になって会社員をやっている瀧までこちらはフルバージョンで揃っています。

タイムトラベルもの、として時間を行き来できる特性をフルに使い、3年間の時間のずれをも計算し尽くして、同じ人物の微妙な、しかし決定的な年齢ごとの違いを明確に書き分けている、このことが物語の幅をグンと広げているということなのです。

この点、なんども言いますが別の名作アニメ、例えばスタジオジブリの古典的名作「となりのトトロ」を例にあげて申し上げますと、主人公のサツキとメイ(いずれも五月という意味ですね)は確かに印象的ですが、この場合、サツキは小学校6年生(12歳)のときのサツキ、メイは4歳のメイだけが登場します。

それはこのお話が時空を飛ぶ話ではなく、せいぜい数ヶ月が普通に経過する中でのお話ですので、物語の中で年を取ったり若返ったりすることはできないわけです。

ジブリアニメでいえば、かろうじて「魔女の宅急便」に出てくる女性キャラクター全てが、実は主人公キキ(12歳)の将来のロールモデルになっている、むしろ同じ人物が年齢を変えて同時に出演しているという隠れた設定を見ることができるくらいです。

すなわち、キキ(12歳)、そして絵描きの卵のウルスラ(18歳、実は声優さんも一緒のダブルボイスキャスト)、26歳のオソノさん(出産して一気にスリムになりますね)、それからケーキやパイを焼くのが大好きな高貴な老婦人(80歳くらい?)というような塩梅です。

(いずれも映画公開当時購入したパンフレットや筆者の記憶から)

しかしながら、「君の名は。」は、かの筒井康隆氏の古典的名作「時をかける少女」から連綿と続くタイムトラベル少年少女もの、という王道を踏襲しつつ、単に過去と現在と未来を行き来するだけではなく、むしろ過去と現在とが逢瀬する(=瀧と三葉がリアルに出会う)シーンを極限まで限定しております。

そして、男の主人公:瀧も女のヒロイン:三葉も、物語の最初では両方高校2年生として登場するのですが、例えばそこから3年前の滝くんや、時空を飛んで行くなかで、大学受験を控えた瀧くん、また大学に進んで就職活動をしている瀧くん、などが登場していくわけです。

人物像に、年齢による輪切り効果が加わり、同じ人物の歴史を感じて感情移入しやすくなっているわけです。

見る方も、多種多様な年齢性別の組み合わせなわけですから、これは当然「狙って」作っています。

それが証拠に、最初のシーンで主人公が高2時点のヒロインと背中合わせで並んでいる時の背の高さから違っていて、それをきっと制作側は意識して書き分けています。

特に男の子は、中学生から急激に背が伸びて心持ちも大人になって行くというところをよく捉えていると思います。

同じ人物の年齢ごとを書き分ける、こんな神業的な荒行に挑んだ制作側の努力は、少なくとも正当に報われました。

日本のアニメの未来は明るいものだといえそうです。

(ここで目を閉じるとRADWIMPSの映画テーマソングの数々が次々と脳内リフレインされ、まぶたの裏に割れた彗星が落下していく様が浮かび上がります)

ここまで書きましたが、アニメはそこまで詳しくなくこれから勉強だと思っております筆者からは以上です。

(平成29年3月27日 月曜日)

2017年12月1日

現時点での価値観を過去の歴史に無理に当てはめようとするのは疲れるという話です




おはようございます。

多様な価値観や働き方ということが言われて久しくなりました。

個人個人大切にしている価値観は違うのだから、それは他人の自由や権利を侵害ないしは邪魔しない程度において最大限に尊重すべきというのは、日本国憲法に限らず現代の世界においては極めて支持されうる考え方であり理念だと思っています。

ここまで来るのに、少なくとも有史以来数千年の戦争や紛争、内乱や混乱、内戦やテロといった戦いの歴史ばかり世界は経験してきました。

さて、そういった過去の先人たちの紡いだ共通知に基づいて現代の我々は生きているわけですが、そうして得られた共通の現代の価値観を、無理に過去の時点に当てはめてしまうと、なかなか難しいことになってまいります。

これは、多様な価値観や振る舞い方を認めるという共通知に反することでもあるのです。

例えば、日本の戦国時代、諸侯が相争っていた時代における織田信長は、明智光秀から見ればどう控えめに見ても明らかにパワハラ上司であったはずです。

しかしながら、光秀は信長をテロによって暗殺するのではなく司直の判断に委ねるべきだったといった現代の価値観を持ち込むとかなりおかしなことになります。

裏切りは悪、という価値観の前に、当時に生きる明日をも知れない極限状況の中、武将や諸侯はどうやったら一族一門が生き残るか、それを真剣に考えた末での決断だったはずです。

信長に猿と呼ばれた秀吉だって、そんなの差別発言の最たるものですし、その秀吉も、信長がシスコンで溺愛したお市の娘の茶々に入れあげますが、その迫りようといったらセクハラ以外の何者でもないでしょう。

しかしながら、いろいろ葛藤はあったにせよ現実に秀吉を受け入れた茶々は秀頼を産んで淀君として大坂城の事実上の主となります。

本来の正妻である北政所を押しやり、不貞の妾が本妻を追い出したわけで、略奪愛といって糾弾されて文春砲の餌食になるのは必定でしょう。

こうした設定は、ライトノベルで時空を行き来する小説やドラマで演じれば面白い筋書きになるかもしれませんが、あくまで事実とそれに対する評価というものを分けて検討すべきという態度からは慎みたいものであります。

繰り返しますが、多様な価値観があるということを認めるということと、それを是とするということは別だということです。

当時は当時の論理や考え方や振る舞いがあった、ということをそのまま理解するというのが大切なことで、価値判断はその上で分けて行うべきだということです。

そうやって少しづつ社会は良くなっていくものではないかと信じています。

信長や秀吉、光秀や淀君に会ったことはもちろんありませんが、それぞれ自分の人生を思い切り生きたという意味で大変羨ましく思います。

なかなか本気出せないのですが、来年くらいからはそろそろ本気出して行こうと考えている筆者からは以上です。

(平成29年12月1日 金曜日)

2017年11月27日

実際の選挙において法定得票数に至らず再選挙という珍しい事例が起こったという話です




おはようございます。

2017年11月の記事です。

さて、日本における首長選挙(いわゆる町長とか市長とか)において、非常に珍しい再選挙になってしまった事例が出ましたので報告させていただきます。

千葉県市川市長選挙において、選挙結果が確定し、その結果、当選者なしとなり、さらに50日以内に「再選挙」が行われるということになりました。

確かに、異例の事態です。

選挙というのは、もちろん一位になった人が当選するというのが原則なのですが、実は選挙全般において「法定得票数」というものが存在し、有効投票数の1/4以上を獲得しないと、たとえ一番得票数が多くても当選できないというルールが存在するのです。

そうして、日本の公職選挙法においては、上位2者による決選投票といったいわばプレーオフ制度は全く用意されておりませんので、はじめに戻って選挙自体のやり直しを行うということになるのです。

こうしてみますと、明らかに得票数が見込めない泡沫候補であっても、限りなく候補者を立てていけば、一位二位の得票数が見込める候補者を事実上無効に引き摺り下ろすことができるというわけなのです。

つまり、得票数100人の選挙で、候補者が10人いた場合、その10人の候補者個人の票は自分に入れるとしても、あと24人の仲間を集めないといけないというのは相当高いハードルです。

自分のライバル9人に勝る自分の強みをアピールするというのは非常に大変です。

2者の一騎打ち、という構図以上にこれは燃える選挙戦になるというわけです。

おさらいしますと、今回の千葉県市川市の市長選挙の場合、法定得票数12万票弱となりますので、法定得票数は約3万票弱となります。

しかし、この選挙、完全ガチンコの泡沫候補なしの5候補で争い、大激戦となり、1位の候補でもこの3万票に届かず、まさかの再選挙となったわけです。

めずらしいことですが、法の予定するところというのが実現するというのは難しく、とても考えさせらる話だと思いました。

こちらからは以上です。

(平成29年11月27日 月曜日)



2017年11月23日

素数は本当に面白くて難しくて止まらなくなるということをできるだけわかりやすく話します




おはようございます。

2017年11月の記事です。

さていよいよ来年早々にも行われる私立高校の入学試験に向けたカウントダウンが始まりました。

受験生の中学校3年生のお子さんをお持ちの保護者の方々にとっても、気が気でない年末年始になってきそうです。

さて、そのような中、高校入試で大きな得点源にも弱点にもなりうる数学について、ちょっと息抜きの話をしようと思います。

息抜きといっても、とりあえず実際の問題から話は始まります。

√(n^2-48)が整数となる条件を満たす全てのnを求めよ、という問題がありました(実際の高校入試問題です)。

ルートの中は、とりあえず中学数学までは0以上しかありえませんから(高校数学になると二乗してマイナスになるという虚数という概念が登場しますがとりあえず先の話です)、これだけで、二乗して48以上になる数、つまりn=7以上の自然数であることは確実となります。

そうです、まずはn=7が正解となります。

49-48=1で、ルート1は1となり整数となるからです。

次に、 8,9,10...と力技で当てはめていくという方法もありますが、少しだけ一般化して、結果整数となる数をaとすると、ルートの中に入る数字としてはa^2(aの二乗)ということになり、つまり、n^2-48=a^2 これを変形すると

n^2-a^2=48

となるnとaの組み合わせを探せば良いと言うことになります。

そして、この式は、

(n+a)(n-a)=48

と書き換えられますから、48を素因数分解して、

48=1*2*2*2*2*3

n=7のとき、a=1とすれば、

(7+1)(7-1)=8*6=48

となったわけです。

もう一つ、n=8,a=4とすれば、

(8+4)(8-4)=12*4=48

となりますので、n=8も答えです。

もう一つ探すのが困難になりますが、

掛け合わせて48になる組み合わせとして、

8*6(見つかった)
12*4(見つかった)

とくれば、

16*3(こっちは見つからない)
24*2(下記の通り見つかる)

もあるのではないかというのは気づいて欲しいところです。

そうすれば、足して13、引いて2になる二つの数の組み合わせとして、

n=13,a=11

という組み合わせが見つかるのではないでしょうか。

そうして、n=14以上で

48*1

という組み合わせを満たす二つの数はないなと感覚的にわかるので、これで検討は終了、答えn=7,8,13

となるというわけです。

このように、整数論や素数という考え方は非常に奥が深いものです。

なお、「1はなぜ素数ではないのか」という疑問がありますが、そもそも素数とは1で割切るかその数自身で割切るしかない数、という定義であり、さらに言えばあらゆる素数はあらゆる他の素数の掛け算では示せないということも合わせて言っています。

すなわち、素数3は素数2では表せませんし、素数5は素数2、素数3の掛け算では表現できません。

素数7は、素数2,3,5どれを使っても適切に表現できないのです。

しかしながら、ここで1も素数としてしまいますと、素数2も1*2で表現できてしまうことになり、すなわち、1を素数としたことにより2以上のあらゆる無限にあると言われる素数が死滅するという非常い厄介かつ寂しい状態を招来してしまうので、1は素数には含めないということになっているのです。

なかなか割り切れない人生を送っております、明日には重大発表を控えております筆者からは以上です。

(平成29年11月23日 木曜日)

2017年10月29日

なぜノートやメモに書くのかということを科学的に考察してみた話




おはようございます。

2017年10月の記事です。

筆者は、こうして毎日ブログを「書いて」いますが、PCやスマホに文字を打ち込む以上に、実際にノートに書いたりメモを取ったりするというのも大切にしています。

これは、筆者が昭和生まれであることとはあまり関係ありません。

だいたい、書きたいことや整理しておきたいことが頭の中に沸き起こるのは一瞬です。

そして、その一瞬の際にちょうど手がキーボードにあれば良いですが、だいたいそういう運の良いことはありません。

スマホのエバーノートを立ち上げて、というのもその一瞬の起動が面倒です。

だいたいこういうときに限って、このエバーノートというアプリの特性か欠点か、回線不良でうまく立ち上がらなかったりするのです。

ですので、ノートを取り出すか、ポケットに突っ込んでいるポストイットに書き込むことになります。

以前、「博士の愛した数式」という本を読みまして、映画も見ましたが、記憶が80分きっかりしか保たない数学博士が自分のしたことすべきことを自分のジャケットにメモをピンで貼り付けておくという描写があります。

このような極端な例でなくても、人は膨大に物を忘れていく動物ですから、その中で忘れておきたくないことは書き留めておく方が良いと思うのです。

実は、自分も自分で書いたブログを後で読み返して見ると、へー、意外に面白いこと書いてるねーとかいやー熱いねーとか、自分の文章のくせに、まるで他人が書いたものを批評して読んでいるようなそんな変な感覚に陥ることがあります。

例えば読者に読まれている記事があったとすると、この記事のどこが面白くて読まれているのか考えながら読むと、これまた他人が書いた文章を批評しているような気分になります。

書いているときには、非常に集中しています。

ですので、逆説的ですが、書いているときには書いていることの記憶がないのです。

何を考えながら書いていたのか、それはもうきれいさっぱり忘れてしまいます。

ここは、睡眠から目覚めて見ていた夢をすっかり忘れてしまうのに似ているかもしれません。

ということで、集中力を活かすために、なんでもノートに書いておけば、自分専属の秘書がそこにいて、自分をいい状態に導いてくれるというそんな感じがするということになります。

もちろん、情報の保存や検索の容易化のために、エバーノートなどのデジタルツールも積極的に使うべきだと考えておりますが、これは、ノートを写真に取ってグーグルフォトにアップしておくということでも最悪代替できるので、デジタルVSアナログという単なる対立構造を提示してどちらがすぐれるということを言いたいわけではありません。

かくして、私は自分の外部記憶装置兼秘書として、自分の能力の拡張要素としてノートやポストイットを使っていくと思います。

それを写真に撮っておいてクラウドにアップしておけば、後から振り返っても面白いというものです。

さて、そんな自分へのご褒美も欲しい筆者からは以上です。

(平成29年10月29日 日曜日)

2017年10月7日

「事実上の」という枕詞は魔法のように便利だけれども多用すると気持ち悪い話




おはようございます。

2017年10月の記事です。

引き続き、筆者として興味が尽きない今の「事実上の」国政選挙について書きたいと思います。

ところで、事実上という言葉は非常に便利な言葉でして、本当はそうなんだけれども建前上そうと言い切ってはいろいろと都合が悪い場合に使われます。

時に便利なこの言葉ですが、多用すると、よくゴシップ紙上で使われる「〜へ」「〜も」「〜か」といういわゆる「へもか言葉」に似てあまり気持ちの良いものではありません。

政治家や企業のトップが、たとえば下手を打って大問題になった時、健康を理由に自分から辞めたとしても、事実上の更迭(首)になりますし、スポーツの決勝戦の前に、前評判が極めて高いチーム同士が戦うと、それは準決勝でも準々決勝でも、事実上の決勝戦と言われたりします。

昔の夏の甲子園、松坂投手擁する横浜と大阪のPL学園の準々決勝など(延長17回で横浜勝利、その後横浜高校は優勝)が振り返っても事実上の決勝戦だと言われたりするものです。

ちなみにその年の横浜高校は、なんと公式戦44戦無敗という、文字通り漫画のような戦績を収めています。

硬式野球では事実上の歴代最強の高校だと思います。



今回の衆議院議員選挙について



さて本当に書きたい選挙についてですが、公職選挙法によって、本当の選挙活動ができるのは閣議決定がされた2017年10月10日の公示日からです。

ですので前日までは、「事実上の選挙戦」となっています。

ここで、現在の野党第1党であるところの民進党は、なんとこの選挙で自らの党の名前を使わずにできたばかりの希望の党という政党から公認を受けて衆議院議員選挙を事実上希望の党の党員として戦います。

しかしながら、相変わらず民進党の代表も今のままの前原代表ですし、参議院議員や地方議会議員については民進党として活動するので、名前や存在はあるけれども選挙では消えるということで、事実上の解党と言われております。

そして、事実上の解党を受けた所属議員のうちの一部が、今の民進党の代表に代わり自らこそ民進党(ではなく名称変更の前の長く活動した民主党)の事実上の正当な後継者であるという自負を持って、希望の党の公認を得られなかったという事実上の全議員の移籍が不可能であることがわかった時に立ち上がり、民進党へ離党届を出して離党し、新しく立憲民主党を立ち上げ事実上の正統性を主張しているというところになります。

そして、民主党時代のマスコットにギターのリッケンバッカーを持たせて、事実上の復活を果たし、ツイート始めるとすごい勢いでフォロワーとリツイートされている、というところなのです。

なお、みんなで移籍の先の希望の党ですが、たとえこの党が今回の国政選挙で過半数を取ったとしても、憲法第67条において、総理大臣は国会議員でなければならないと定められているので、東京都知事であっても国会議員では(現時点では)立候補しない小池代表がなれないため、これも事実上の総理ということで良いのでしょうか。

こうした場合に、例えば沖縄県と日本政府の意見が割れたように、東京都と国との意見が割れた場合には、どちらの味方をするのか、公職の副業は明示的にも事実上においても憲法体系の厳しく禁止している趣旨からしても非常に面白い論点であります。

もしかすると、国会議員でなくても首相になれる、そのような「憲法改正」を事実上の隠れた争点、にしているのかもしれません。

事実上の軍隊である、世界でも精強で鳴らす日本の自衛隊の扱いについても、事実上の憲法の争点だと思います。

そろそろ事実上紙面が尽きてきました。

ブログメディアと言いながら、事実上一人で編集出稿しております筆者からは以上です。

(平成29年10月7日 土曜日)

2017年6月5日

2017年中学校の運動会のエキシビジョンでリレーに出してもらったというお話






おはようございます。

2017年6月、当年42歳にして運動会のリレーに出たという話です。

ちなみに憧れのスポーツ選手は(同世代ですが)イチロー選手です。

イチロー選手は現在43歳、実は私より一つ上の学年でずっと先輩にあたります。

その年で、メジャーの舞台に立ち、打って守ってそして一流の走塁術を見せています。

まさに、準備さえおこたらければ年齢など関係ない、を地で行く偉大な先輩です。

さて、後輩としましても、少しくらい見習わなければと思いまして、今回、中学校で行われた部活動対抗リレーに、エキシビジョンチームとしてPTAで組織する「おやじ組」の1メンバーとして出場することができましたのでそのご報告をいたします。




2チーム編成することができました





おやじ組といいましても、いろいろいまして、我々は2チーム編成することができました。

1チーム目は文字通り親父中心ですが、もう1チームには去年まで中学生だった高校生だの、高校卒業まもない卒業生だのも含め、急遽チームを組成したのです。

筆者はその2チーム目のアンカーとなりました。

そうしてレースはスタートしたのですが、さすが各部活動の精鋭を集めた200メートルトラック3週、走者6名のリレーでトップを取るのは難しかったです。

夢中で走り、とにかく見せ場は作ったと思いましてゴールしましたが、先頭を走ったサッカー部や野球部にはだいぶ差をつけられる結果となりました。

非常に悔しいところでしたが、コケないだけよかったのかもしれません。

とにかく、また次回も機会を得て出場したいと思います。

当然の如く翌日は筋肉痛による全身の発熱に苦しむことになりました筆者からは以上です。

(平成29年6月5日 月曜日)

2017年6月4日

リアル鬼ごっこに参加し数十年ぶりに本気で逃げまどってみたという話







おはようございます。

2017年6月の鬼ごっこに関する配信記事です。

かけっこは得意の筆者です。

昔小学校のときに、手つなぎおにという、捕まったら2人1組、3人1組になり、4人になったら2人ずつに分離するという鬼に追いかけられ、最後まで残ったことがあるというのが唯一の自慢です。

さてそんな筆者も中年に差し掛かったわけですが、某社の組合イベントでリアル鬼ごっこというものが催されるということでしたので早速行ってまいりました。

某日休日の午前中、広い城址の公園に集合します。

運営側から説明を受け、逃走範囲などの説明を理解しスマホで連絡先の登録を行ったら早速逃走開始です。

ハンターは黒服、黒サングラス、黒革靴のいわゆる「メン・イン・ブラック」ないでたちの方々です。

普段は家庭や職場でとてもいい人たちなのでしょうが、今回ばかりはとても恐ろしく見えます。

さてとりあえず捕まりたくないので逃走するのですが、ただ逃走してどこかに隠れているだけでは面白くないので、運営側から様々なミッションが発動されます。

たとえば、①の地点に行き、そこにいる係員に秘密の言葉をもらえ、といったようなことです。

係員も裏切り者である場合があり、そこに逃走者がいるという情報を流したりするもんですから大変です。

今いる安全なところにとどまっていたい、という気持ちがあるのですが、どうしてもそこは禁止エリアになってしまうようなもので、これは昔見た「バトルロワイヤル」という小説の映画版に似て緊張です。




さっそくハンターが現れる





そろそろと進んでいくと、ハンターが現れます。

1人から逃げるのは割と簡単なのですが、彼らはスマホで連絡を取り合いながら、挟み撃ちにするように仕組んできます。

したがって、こちらも狭い道に踏み込まないように、できるだけ広い、かつ木やベンチなどの障害物があるところを選んで進みます。

実際、数回囲まれましたが、幸い広いところでしたので、木々を利用しながらうまく巻いて逃走することができました。

また、一直線のところで休んでいるところにハンターが迫ってきたのを見逃し、目の前数メートルまで迫ったところで気づくという失態もありましたが、これもジグザグダッシュの末反対方向に方向転換するという技でなんとか逃げ切ることができました。

だんだんダメージが蓄積されていきます。

しかしながら、捕まった仲間の逃亡者を救い出すため、牢屋近くにいくというミッションが発令され、そのに向かう途中に待ち構えていたハンター3人に囲まれるという絶体絶命の状況に陥りました。

必死に逃げたのですが、ちょうど草むらで方向を変えようとしたときに足が滑り、すてんと転んでしまって万事窮す、制限時間を10分残して(競技時間は90分)残念ながら捕まってしまいました。

2回目も行ったのですが、だんだんハンター側の捕獲スキルも向上し、より厳しい逃走となりました。

こちらも、制限時間を残し狭い道に挟まれるという状況で最後捕まってしまいました。

しかしながら、運営の差配もすばらしく、大変楽しいイベントでした。

まだ走れると思ったのもつかの間、終了後数時間にして身体が動かなくなった筆者からは以上です。

(平成29年6月4日 日曜日)

2017年3月19日

真夜中0時に太宰府天満宮を出発して福岡まで歩く夜のピクニック出発





おはようございます。

2017年3月、卒業式のシーズンの配信記事です。

筆者の子供たちが通う(通った)小学校では、もう10年も続いている伝統行事「夜のピクニックーもう一つの卒業式(通称夜ピク)」というイベントがあります。

何かと申しますと、本チャンの卒業式を迎え感動冷めやらぬ小学校六年生の卒業生たちの有志を募り、その保護者と一緒に真夜中の終電車で一路福岡県太宰府市の太宰府天満宮まで向かい、太宰府天満宮を起点に午前0時に出発し、福岡市内の小学校まで歩いて20キロを走破ならぬ歩破しよう、というイベントです。

朝も白んだ午前6時に、目的の小学校に到着し、近くの公民館で仕出してもらった味噌汁とおにぎりを頬張りながら、大人になって一度やってみたかった完徹(完全なる夜更かし徹夜)をやっていることがいかに疲れるのか、朦朧とする中で保護者主催のもう一つの卒業式を厳かに執り行うというものです。

このための、専用の卒業証書も保護者個人個人に作ってもらいます。

そして、それを読み上げながら授与するのです。

一体、なんのために歩き通すのか、さらに真夜中にやるのは何故?という疑問が湧く方がほとんどだと思いますが、毎年、この変なイベントに10組程度の物好きな親子が集い、PTAおやじ組と称するイベントお祭り好きな保護者たちの万全なサポート体制で、20㎞にも及ぶ真夜中の歩行体験ができるというわけです。




最初は3組のみの参加




最初に、このイベントを発案し、実際に参加した親子の話によりますと(もう子供の方は22歳で大学卒業です。小学校卒業時12歳ですからちょうど10年)、なんか面白いことやりたいね、という中で、たまたま太宰府天満宮の宮司に知り合いがいる保護者がいて、それなら祝詞(のりと)もあげてあげるよ、ということに話がトントン進んで実施の運びとなったそうです。

最初の参加は3組、そして10年目の今回は10組以上が集まりました。

これ、子供も大変ですが、一緒について行く親も大変です。

さらにサポートする方も大変です。

天気が良さそうなのが救いです。

筆者は、実はサポート含め数回目の参加になるのですが、毎回なんでこのようなことをやるのだろうと自問することが多いです。

しかし、伝統とは理不尽なほど続くものだといいますし、忙しくなっていく世の中に、このような変なイベントが続くだけ続くのもよいかなと思っています。

それでは、昼寝もまともにできませんでしたが真夜中歩行に行ってまいります。

こちらからは以上です。

(2017年3月19日 日曜日)

2016年8月19日

国民的5人グループについて面白い話があったのでご紹介します





おはようございます。

2016年8月の記事です。

面白い話がインターネット上で出回っていましたので、アレンジしてシェアします。

あの国民的5人グループは揃ってもう見れないのか。。

なか◯◯君、◯◯ぎ君、◯◯ら君、かと◯君、い◯◯◯君

5人が5人とも個性的で素晴らしいグループでした。

いままで夢をありがとう。

・・・

ザ・ドリフターズ。

昭和生まれの筆者からは以上です。



[答え合わせ]



・正解

なかもと君、たかぎ君、しむら君、かとう君、いかりや君

・間違い

なかい君、くさなぎ君、きむら君、かとり君、いながき君
(◯には一文字のみ)


(平成28年8月19日 金曜日)

2016年8月7日

「ぼうけんのしょ」を持ってまた新しい旅に出てみた話(その1)

ぼうけんへしゅっぱつ


おはようございます。

2016年8月の記事です。

今年はドラゴンクエストシリーズ30周年ということです。

1986年の秋、記念すべき「ドラゴンクエストⅠ」が上梓されました。

筆者は中学生でしたが、このタイトルが発売されることを週刊少年ジャンプの特設折り込みページで知りました。

当時は少年週刊誌は全盛の時代で、実に600万部を週刊で売り上げていたお化け漫画雑誌の週刊少年ジャンプは、それこそ今のグーグルかフェイスブック以上の影響力を全国の小中学生に対してもっておりました。

その特設折り込みページには、ドラゴンボールの鳥山明のデザインした「冒険できる世界」の地図が広がっていたのです。

剣と魔法の勇者になりきって冒険できるゲーム。

日本におけるRPG(ロールプレイングゲーム)のはしりと言って良いでしょう。

半年以上前から、この特設ページで断続的に行われる週刊少年ジャンプの折り込みカラーページを切り取って眺めながら発売日を待ちました。

近くの百貨店「そごう」に向かい、おもちゃコーナーのテレビゲームコーナーにおいて、発売当日の予約を取りに行くことも怠りませんでした。

そうして発売当日より手に入れたソフトで、筆者も冒険の旅に身を投じていくことになったのです。



それから30年後



・・・それから早30年。

ドラクエシリーズも外伝やスピンアウトも含めてすっかり市民権を獲得したようです。

今回、30周年を記念して、〈ミュージカル〉「ドラゴンクエスト ライブスペクタクルツアー」がさいたま福岡名古屋大阪横浜をまたにかけて行われることになりました。

このライブは、ドラクエの世界を緻密に具現化し、観客ひとりひとりが勇者・冒険者となって壮大なライブスペクタクルショーを作り上げるというものです。

広大なアリーナ会場が、宙に海に洞窟に海に神殿に城に街に変化し、映像と音楽と役者の息詰まる装備と演技で、ドラクエの世界を再現します。

どんな戦いが待っているのか、どんな冒険が待っているのか、呪文やモンスターはどのように登場するのか?

まさに冒険の旅なのです。

このライブツアー、福岡初日の夜公演に筆者は自らのなつやすみとばかり参加してきました。

一緒に行くことになったパーティーは3名、いずれもドラクエ第一世代の強者です。

せんし、ぶとうか、しょうにんといったところで、すぐに、パーティー間では

*ルイーダの酒場は博多駅博多口でしょうか

→はい
 いいえ

*チケット代9,500ゴールドは現地精算

*そうびはかわのふくまで

といったやりとりが頻繁になされ、行く前からすでにかなりの盛り上がりを見せていました。

→次回へ続く

(平成28年8月7日 日曜日)

2016年8月1日

「かわるビジネスリュック」を買ってみたら凄く便利で驚いた話

本棚が書斎に!


持ち物をすぐどこにしまったか忘れてしまうビルメン王@修行中です。

携帯電話すら、家のどこに置き忘れたかわからなくなり(忘れたということはわからない、ということですが)、別の固定電話から電話をかけて場所を特定しようとしたらマナーモードのサイレントモードにしていて全く鳴らず、「すわ、外で落としたか!」と大騒ぎした挙句の果てに、脱衣所の洗濯乾燥機の上に見つけるといったことは日常茶飯事です。

さて、そんな欠格ビジネスマンの筆者は、できるだけ必要なものを一度に持ち運ぶようにしたいという傾向を強く持っています。

これまで、いろいろとビジネスバッグを探し訪ねてきましたが、今回、ほぼ究極の形ではないかと(現時点では)思える一品に出会えましたのでご紹介いたします。

「かわるビジネスリュック」という製品です。

これは、背負うタイプのリュック型ビジネスバッグですが、なんと、空き口が背中のウレタン側についています。

よって、背中から亀が甲羅をひっくり返したように「置く」のが正式ということになります。



そのまま取り出せるのが便利



そこから、おもむろに背中のウレタン部分をぐるっと巻いているファスナーを開けると、そこになんの仕切りもない大空間が広がっているというわけです。

その他、付属のポケットなどは極力排されています(唯一の例外として、PCを入れる専用の背中側ケースがありますが)。

そこで、筆者は自宅において、本棚を利用して写真のように、PCとこのリュックを配してみました。

すると、なんということでしょう!

本棚が一瞬で書斎に様変わりです。

必要なものは、リュックに入っていますので、ここのファスナーを開ければ雑誌でも資料でもPCでも携帯電話でも出てきます。

そうして、この作業台部分(書棚ですが)で作業をすれば良いのです。

あぐらをかくのが疲れれば、立って次の写真のように作業もできます。

これは便利です。

つまり、このリュックは、置けばそのまま机のキャビネットの中身にも早変わりするというわけです。

しばらく、このリュックで、自前のこの自宅書斎での執筆が増えそうです。

書斎の要らない、極めて現代的なある一般家庭からは以上です。

(平成28年8月1日 月曜日)


疲れたら立って作業