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2018年7月8日

居酒屋業態も戦国時代で立ち飲み屋や唐揚げ専門店などで違いを出していかなければ生き残れない時代に






おはようございます。

2018年7月の立ち飲み屋が大規模にまた興隆してきているという配信記事です。

首都圏を中心に、駅前や繁華街で立ち飲みの省スペースの居酒屋が増えているということです。

賃料や運営コストを下げて、その分商品単価に反映したお酒や料理(つまみ)を提供するサービスで、顧客の支持を得ているようです。

働き方改革といった世のトレンドに押され、いわゆる歓送迎会や新年会や忘年会といった大箱での利用がますます少なくなってくる中、こうした立ち飲み屋といった業態はますます増えていくことが予想されます。

メニューの単価が安いということも、こうした店が支持される理由だとは思うのですが、筆者のような昭和生まれでも大きく理由として上げたいと思うのは、こうした店の敷居の低さです。

つまり、少人数、言ってみれば1人でも、さっくり入ってさっと飲んでつまんでさっさと帰る、こうした多忙なライフスタイルに即したその場その場での対応ができるというのが、最も受けている原因ではないかと思うのです。

これは、飲み会のファストフード化とも呼ぶべき現象ではないかと思います。

つまり、お金を持っている人が、いえお金を持っているからこそ、時間の方を大切にして、例えば握り寿し屋で十数カンの握り寿しを食べてさっくり出てくる、そして2万円とか3万円とかをポンと払う、こうした傾向と同じ面があると思うのです。

すなわち、時間でもらう時給ではなく、成果主義的な考え方が、食や飲み会の場でも浸透してきたのではないかと大胆に仮定するのです。

ですから、いきなりステーキのような、立ち食いでいきなりステーキを食べさせる店や、立ち飲み屋が流行るし、こうした店は、おそらくメインの食材であるビールなりステーキなりが、待たずにすぐ出てきて味わえる、ということではないかと思うのです。

さらに加えて、立ち飲み屋は他のお客との距離も近いです。

さらに、酒とフードの受け渡しは、客がカウンターまで取りに行くセルフ方式を採用したり、いろいろとシェアリングの考え方を導入し、人件費を圧縮しています。

こうして、一回の一人当たり利用単価がわずか税抜1,000円であっても、利益を出せる店の構造にしているのです。

居酒屋業界では、こうしてメニューの幅が広い「総合居酒屋」の苦戦というか顧客離れから、各社は例えば原料単価が安い割に意外に高価格で売れる「焼肉」「焼き鳥」「唐揚げ」「ラーメン」といったものに特化したアルコール業態へ転換を進めて、売上減に対抗しています。

そもそも、居酒屋文化の一見した衰退に見えるこのような動きは、決して働き方改革などで、同僚と飲む機会が減ったことが原因ではないと思います。

団体客相手の大箱狙いの業態より、顧客一人一人のニーズを丁寧に汲み取った業態が勝っていく、これは飲食業界に限った話ではないような気がします。

かつて日本を制覇した飲食チェーン「養老の滝」で歓送迎会をよくやっていたことが懐かしい昭和生まれのサラリーマンの回想と見解は以上です。

(平成30年7月8日 日曜日)

2018年5月29日

「己を捨てたら勝てる」経営理念で頑張る地域の老舗タクシー会社のお話です

光タクシー 本社ホームページより





おはようございます。

2018年5月の経営に関する配信記事です。

筆者の好きな漫画に、「賭博黙示録カイジ」(1996年)に始まる「カイジ」シリーズというのがありますが、この漫画は、初出1996年(平成8年)ということで、筆者が社会人生活を始めるときと同じくらいに連載が始まったものであり、世相を反映して長く読み継がれています。

この、同時代的に進んだシリーズとは別に、すでに筆者が学生であった時にはベストセラーの地位を確立していた「ナニワ金融道」シリーズについては、筆者は就職した金融機関(長期信用銀行の関西採用)において学ぶべきところの多い、大阪の下町の金融街の一面の真実が描かれており、銀行の研修では決して教えない経済社会のありかたを教えてもらいました。

さて、そんな世知辛い世の中においても希望を失わない、といったテーマで描かれる上記の漫画の中に、「己を捨てたら勝てる」といった言葉が出てきます。

この精神をそのまま体現している素晴らしいタクシー会社が、人口減の北九州市で奮闘しています。

新日鐵八幡製鉄所(2019年4月から日本製鉄)のおひざ元、八幡東区枝光本町(えだみつほんまち)に本社を構える「光タクシー」は、製鉄所構内に乗り入れ可能な地場タクシー会社として、地域と共に歩んできました。

筆者も北九州市八幡東区出身ですから、子供のころはよく光タクシーを配車してもらい、黒崎やら八幡駅前やらに連れて行ってもらいました。

北九州市は、昭和56年にその人口のピーク106万人を数えましたが、その後続いた「鉄冷え」「産業の空洞化」により、人口は減少をはじめ、平成30年現在では95万人となっております。

高齢化も進み、いわば日本都市圏ではその最先端を行っている地域です。

ピンチに立たされているこの地域の商店街は、大型ショッピングモールやコンビニに押されて、気が付けばシャッター通りとなってしまいます。

そんな中、福岡県北九州市にある枝光本町(えだみつほんまち)商店街は多くの人で賑わっており、わずかながら店の数も増えているといいます。

ここは以前、官営八幡製鉄所の本社事務所のおひざ元でした。

日本で最もイケてる製造業の総本山の一つだったのです。

明治34年に事務所ができ、「鉄の街」として発展しました。

日清戦争で得た賠償金をもとに作られた、1901年の記念高炉が、今もそびえたっています。

筆者が小さい頃は、建設当時の姿でその高炉はあり、そばまで行って眺めたり触ったりすることもできたのです。

日本のサラリーマンたちの憧れの住宅街として、10万人もの人が商店街周辺に住んでいたといいます。

しかしながら、平成2年(筆者中学生のころ)に事務所が移転すると人口は激減、一気に高齢化と人口減少に見舞われます。

「お客が減り、このままでは商店街が無くなってしまう」

危機感を抱いた光タクシーの石橋社長は、年金生活の身にはタクシーは使えないというおばあさんに尋ねます。

「買い物のために、どういう乗り物が必要ですか?」

答えは、

「安い乗り物」

でした。

そこで石橋さんは12人乗りのマイクロバスを導入し、地域を巡回する乗り合いタクシー事業を始めるのです。

「枝光やまさか乗合タクシー」(通称:ジャンボタクシー)です。

この地域の住宅街は、高台にあり(平地は全て工場でした)、お年寄りが歩いて下ってこれたとしても、重い買い物荷物を手にもって坂を上がるのは厳しいところでした。

筆者の育った実家も、高台の公団住宅アパートでしたから、このことはよくわかります。

このタクシーは、どこで乗って、どこまで行っても200円単一料金です。

実に、年間延べ10万人以上が利用する商店街の集客マシンとなりました。

光タクシーは採算度外視でジャンボタクシーを運営していますが、地域の足として貢献している同社の理念は、地域はもちろん全国に知られることになり、同じく少子高齢化に苦しむ地域からの視察も多いということです。

こんなブログで同じ地域出身者が紹介するのも、光タクシーの人徳があるからこそでしょう。

これを読まれましたみなさん、北九州市八幡や戸畑に来られたら、是非光タクシーを利用してあげてください。

己を捨てたら勝てる、その経営を体現している会社の息吹が聞こえると思います。

重ねて、お願いしておきます。

こちらからは以上です。

(平成30年5月29日 火曜日)

光タクシー 企業紹介より

2018年1月25日

彼の名はテリー・フォックス - Terry Fox - カナダの英雄のお話です






おはようございます

2018年1月の記事です

22歳でこの世を去ったテリーフォックスさんはカナダに生まれ、小さい頃からスポーツ万能で、特にバスケットボールが好きで将来プロになることを嘱望されていました

カナダのバンクーバーからほど近い、サイモンフレイザー大学に進み、バスケットボール部に所属し活躍を見せていました

しかし、1977年に悲劇が彼を襲います

バスケットの練習中痛みを感じた右膝を検査した結果、骨のガンともいわれる骨肉腫にかかっていることが判明します

強い転移の恐れあり、彼は右膝から下を切断します

病院のベッドに横たわり、沈むテリーさんのところに、小さな女の子がひっきりなしに訪ねてくるようになります

お兄ちゃん、こんにちは

とても天気がいいね

お兄ちゃんは退院したら何をしたい?

テリーさんが無視しても邪険にしても、その女の子は毎日やってきて話しかけました

僕は、バスケットボールが好きだったんだ

だけど足を無くしてしまったからバスケットボールはもうできない

お兄ちゃん、元気を出して頑張ってね

できないことはないよ、私も頑張るからさ

テリーさんは、そんな女の子と頑張ることを約束します

そのうち、ぱったりとその女の子は来てくれなくなりました

こちらから、その女の子のことを訪ねにいくと、看護師さんよりつい先日その女の子は亡くなったとのことです

その女の子も、テリーさんと同じ病気だったのです

テリーさんはそれから考えました

自分やこの女の子のような人を減らすために、ガンの研究をする資金を集めたい

カナダの人たちから1カナダドルを寄付してもらえたら、それでガンの治療研究が進むのではないか

そして、テリーさんはテレビの中継で訴えます

募金金額は100万カナダドル

カナダ国民に1人1ドル寄付してほしい

それを訴えるためにカナダの東端から西の端まで総距離8,000㎞を走ります

1980年4月12日、テリーさんは宣言通り、練習を積み、カナダの東端の海岸に立ち、走りはじめました

義足のランナーは、1日40㎞以上を走っていきます

しかし、カナダ国内に知れ渡った彼のマラソンも長くは続きませんでした

走り始めて4ヶ月経過した1980年9月1日

ついに彼の肉体は限界を迎え、ドクターストップがかかります

なんと転移したガンは肺に達していました

テリーさんはそのまま入院

しかし、走れなくなったテリーさんの夢を今度は自分たちが実現させようとカナダ国民が立ち上がります

彼らは道に出て、募金を集めたのです

動けなくなったテリーさんの代わりに我々が動く

そしてテリーさんがマラソンをリタイアしてわずか2週間で集まった募金は2,500万カナダドルに達したのです

彼は亡くなる間際、カナダの皆さんありがとう!とお礼を残して息を引き取ります

享年22歳

そして2005年、「テリー・フォックス」デザインの記念1ドル硬貨が発行され、普通にカナダ国内で流通しています

国民1人に1ドル出してもらいたい

そんなテリーさんの願いにカナダ国民は自らの誇りをもって応えたのです

テリーさんの像は、母校のサイモンフレイザー大学に、マラソンを走っている姿でそこに立っています

1カナダドル記念硬貨をこの目で拝むのを合わせて、ぜひ一度会いに行きたいものです

自分が弱冠18歳で、ガンの告知を受け、片足を失い、それでも走って国民に訴えることができるだろうか

自分は一体何ができるだろうか

…22年の太い生涯を終えた英雄のお話でした

その2倍を生きようとするのにいまだ生きる意味をつかめていない、まだまだ伸びしろ多い筆者からは以上です

(平成30年1月25日 木曜日)

2017年10月18日

iPhoneのポッドキャストを使って気軽に英語のリスニングの勉強をしよう





おはようございます。

2017年10月の記事です。

さて昔は「ヒアリング」と呼ばれていた外国語(特に英語)のリスニングのお勉強ですが、筆者もその昔「ウォークマン」に吹きこんだカセットテープを再生しながら聞いていたものですが、iPhoneをはじめとするデジタルデバイスの登場で、こうした語学学習のハードルは極めて下がって来ていると感じます。

もはや、基礎語学力の領域では、先生は人口知能(AI)となる時代がすぐやって来そうです。

これは、AIに向かって話しかける英語、もしくは黒板なりノートなりに書いた英語、朗読する英語に、AI先生が話しかける英語の読む聞く話す書くの4技能を同時に伸ばし、話者の英語レベルを数分で把握したAI先生が、その学習者に最適な英語上達プランを適宜提案して学習を進めていくという方式です。

いわば、完全に自分の語学能力を把握していて24時間いつでも最適の授業進度で教えることができるスーパー先生の誕生です。



まず第一段階として英語聞きっぱなしの実現



さて、その前段階ではありますが、より多くの種類の英語を大量に「聞く」ことであれば、誰でも持っているスマホのオーディオ機能で簡単にできるようになりました。

筆者ももっているiPhoneを例にしますと、ポッドキャストという音楽配信アプリを使い、無料の、英語で提供されるプログラムをいくつか登録すれば、あとは勝手にこの番組プログラムの更新のたびに新しい放送内容を、続けてシームレスに聞き続けることができるのです。

ポッドキャストのアプリを開いて「編集」というタブをタップして、聞きたいポッドキャストの番組をいくつか選び、自分オリジナルの放送内容を作ったら、今度はその自作番組の最新版から再生するという設定で、ほぼ自動で英語内容の番組を流し続けることができます。

筆者はブルートゥースの片耳イヤホンを連動させ、これで家事などしながら聞き続けることで、英語力を少しでもあげようと努力しています。

ときどき、かかって来た電話が自動的にイヤホンの方に連動されてしまうので、これをいちいちスピーカー音声に変更するためにタップするのが面倒ですが、それでも、この片耳イヤホンスタイルは非常にながら学習にはいいのではないかと思っております。

全て英語だとやはり疲れて嫌になりますので、時々落語や虚構新聞なども挟み込みながら進めています。

英検1級も夢ではないところまで来ました。

このように、学習の方法としては日進月歩で、本も最新のKindle端末は防水仕様なので風呂の中でも読めるようになるそうです。

世の中の動きは早いものです。

ゆとりでしょ?そういう私はバブルでもない谷間の世代の筆者からは以上です。

(平成29年10月18日 水曜日)

2017年9月25日

現代の自動車の動力源について一旦素人整理しておこうという話




おはようございます。

2017年9月の記事です。

今回は、我々がいつも乗っている自動車が、一体どのような動力源で動いているのかを改めて考察しながら論を進めるというものにしたいと思います。

EVだのHVだのe-POWERだのいろいろと、開発している完成車メーカーの側では宣伝に余念がありませんが、使う方からすれば、乗り心地や燃費がよければいいわけで、方式についてもこうした観点から考察する方が良いと考えております。

まず、自動車の歴史ですが、まずは全ての産業革命の元と言えば石炭で燃やす蒸気機関がその最初でした。

今でも蒸気機関車が走る線路もありますが、実用としてはもっと熱効率のよいガソリンエンジンが、そして液状化した経由を噴霧することで爆発させることのできるディーゼルエンジンや、3枚の羽根がまるでぐるぐる回るように動き、驚異的な加速度の得られるロータリーエンジンなどが生まれました。

この、内燃機関と訳されるガソリンエンジン(ディーゼルエンジンを含む)は、その爆発力で得られた動力を、そのままシャフトに伝えてタイヤの回転力を得るというものです。



電気自動車はもともとラジコンとして実用化されていた



一方、今やEVと呼ばれて次世代輸送の主役にならんとしている電気自動車ですが、これは電池から取り出した電力でモーターを回してタイヤを回転させようとしているもので、もともと内燃機関は搭載できないくらいに小型の、走行距離も短くて良い類の乗り物に搭載されるシステムでした。

ですので、極端に言えばミニ四駆やラジコン飛行機、も立派なEVなのです。

動力は単三電池だろうが、現在のEVに搭載されている大規模リチウム電池だろうが、原理は変わりません。

ここでの問題は、バッテリー(電池)に蓄電できる電気で、一体どれだけの走行距離が得られるのかという問題です。

今筆者がこの記事を打ち込んでいるMacや、それをテザリングしているiPhone7と同様に、こうしたデバイスにはバッテリーが搭載されていますがその容量は、躯体全体の半分を超える状況です。

すなわち、電気自動車の半分以上は実はバッテリーであると言われるくらい、蓄電池の容量は今後のEV開発のネックとなっているのです。



ガソリンエンジンを発電機として使うという逆転の発想



こうして、トヨタ自動車のハイブリッドエンジン搭載の「プリウス」が世に出た1997年(平成9年)以降、世界中の完成車メーカーは、技術の総力を挙げて、さまざまなガソリン車に変わる駆動方式を発表し、発売して世に問うてきました。

2010年(平成12年)には、日産から電気自動車「リーフ」が発売されておりますが、実は電気自動車としては「リーフ」にははるか上の先輩がありまして、それこそ同じく日産が開発した元祖電気自動車「たま」なのです。

「たま」が製作されたのは1947年(昭和22年)、当時日本は終戦直後の深刻な石油不足に悩まされていたところ、そこで山の中にあった水力発電所を利用し、電気による新たな移動手段として「たま」が誕生したのです。

「たま」は木製ですが、ガソリンを使わないから燃える心配は少なく木は電気の非伝導材であることから感電の危険も少ないなど、むしろ都合がよかったようです。

東京から西に少しばかり入った、北多摩郡府中町の立川飛行機工場跡で活動を始めたので、「たま」と呼ばれるようになったそうです。

昔のことを知るたびに、我々のご先祖様や先輩先達たちの発想の豊かさに驚かされます。

さて、話がだいぶ逸れましたが、電気自動車のバッテリーにどのように給電するかという課題に取り組むため、では発電機も一緒に積んでしまおうという逆転の発想で生まれたのが、外部から充電する代わりに、エンジンで発電してモーターだけで走るという車です。

同じく日産が開発したNote e-powerという車種です。

これは、他の完成車メーカーが、ガソリンエンジンで駆動しながらアシスト的にバッテリー動力も使う、バッテリーで加速して最高速付近ではガソリン駆動に戻すといった作業をしているハイブリッドカー(HV)全般の開発方向のまるで反対向きに、エンジンを発電機と割り切って、駆動はバッテリー一本に絞って軽量化した割り切り商品です。

ガソリンエンジンですので、動力源はガソリンですが、そのエンジンを一旦稼働させてガソリンを消費しながら電力をバッテリーに貯め、バッテリーからの電力で車を走らせます。

アイドリングという観念が極限まで削減されるというわけです。

ガソリンエンジン車の感覚で、電気自動車に乗るという発想になります。

ここが現時点での開発の到着点なのでしょうが、さらにもっと先の、例えばソーラーカーの実用化などの新方式が生まれてくるのが楽しみではあります。

足こぎバッテリー充電方式の車が出てくれば、買いたいと思っています。

おそらく一人乗りしか実用化できないでしょうが、エクササイズにもなるので一石二鳥だと思います。

以上、久しぶりに素人の妄想たくましい記事をお送りいたしました。

こちらからは以上です。

(平成29年9月25日 月曜日)

2017年8月15日

小学校3年生の国語の教科書に載っているちいちゃんのかげおくりを読んで泣いた話




おはようございます。

平成29年8月15日の記事です。

終戦の日です。

正確には、1945年(昭和20年)8月15日に、玉音放送により、日本の降伏が国民に公表された日であり我が国では8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とすることが閣議決定されています。

今回もこの閣議決定に基づいて8月15日に全国戦没者追悼式が行われる予定です。

さて本日は終戦記念日ということで、先日中学校3年生の国語の教科書に掲載されている「握手」という話のルロイ修道士の言葉を紹介しましたが、今回は小学校3年生の国語の教科書に掲載されている「ちいちゃんのかげおくり」という作品を紹介したいと思います。

ちいちゃんのかげおくりのあらすじはこうです。

「かげおくり」と遊びがあります。

地面に映った自分の影を長い時間まばたきをせずに見つめて、すっと一気に空に視線を移すと残像現象で大きな影が見える、というものです。

ちいちゃんは、お父さんの出征の前日にこの遊びを教えてもらい家族でやってみたのでした。

みんなのかげを空に送って写したのです。

病弱なお父さんが出征するくらいですから戦争の行方は芳しくありません。

でも、ちいちゃんはそんなこととは知らずにお兄ちゃんとかげおくりをして遊んでいました。

しかし、ちいちゃんの住む街にも空襲がやってきて、そうして家族ともはぐれてしまい(お兄ちゃんもお母さんも亡くなったことが暗喩されます)

そうしてちいちゃんの命も消えようとしています。

最後にかげおくりで、すうっと空に吸い込まれ、家族と再開します。

なつの はじめの あるひ
こうして 小さな 女の子の
いのちが 空に 消えました。

でお話はおわります。



朗読する小学校の先生も泣く話



小学校3年生の国語の教科書ですから、先生も朗読します。

感情を込めてゆっくり読みますと、かなり感情が高ぶる内容です。

最後はクラスの何人かの子が泣き出し、読んでいる先生も泣いたという話がよくあるそうです。

戦争とは何か、そういうことがよくわかる話です。

筆者も読み聞かせて泣くので困りました。

21世紀に入って20年近く経過するのに、いまだ北朝鮮のように他国を挑発する国があったり、アメリカやロシアといった超大国の横暴もなかなかなくならないという世界の現実ですが、なぜ戦争するのか、そういうことも含めて人類の方向をよく議論していかなければならないと思いました。

以上です。

(平成29年8月15日 火曜日)

2017年5月7日

フェイクニュース全盛の起源は昭和の日本の漫画誌上にあったという話






おはようございます。

2017年5月のフェイクニュースに関する配信記事です。

近年、フェイクニュースというのが世間をにぎわすようになったと思います。

最近ではフェイスブックやグーグルといったSNS系のサイトや動画に本当ではない記事やニュースが掲載されるという問題でフェイクニュースということが言われるようになったように思いますが、少し前を振り返りますと、日本発祥の虚構新聞がそのはしりではなかったかと思います。

虚構新聞とは、京都近辺の滋賀県に居を構える社主UK氏が主宰するフェイクニュース媒体で虚構新聞という名の通り冗談を売り虚構世界のニュースを配信しています。

面白いことに、紙面の広告も一部虚構にすり替わっており、徹底しております。

記事内容も、現実と虚構のはざまに潜む面白さを抉り出すものに仕上がっており、社主主筆のレベルの高さが推測されます。

このように、虚々実々のニュースサイトですが、実は、これらのフェイクニュースが有名になるはるか前に、少年週刊漫画誌に彗星の如く登場したフェイクニュースの元祖ともいうべき存在を紹介したいと思います。




民明書房刊と言えば思い出す人もいるかも




それは、少年ジャンプ「魁!男塾」で引用された各種武術系の関連専門紙です。

民明書房や太公望書房といえば、その存在を思い出す方々も多いのではないでしょうか。

作中登場する超人的な格闘技の解説によく出てくる民明書房ですが、もちろん民明書房の解説は全て虚構、フィクションなのですが、なんとなくもっともらしいエピソード(これも虚構)や専門的学術的用語を駆使した解説コラム欄は読者の人気も高く、少年誌としては異例の文字の多さながら民明書房の解説は作中に出てくるいわゆる「技」の公式解説本として絶大な人気を誇りました。

そのうち漫画の中であるところを忘れてしまった読者が、本気で民明書房の書籍を東京神田に探しに出かけるといった嘘か本当かわからない逸話もあるくらいで、間違いなくこの民明書房等のフェイク出版社のフェイク記事が、現在のフェイク市場の歴史、土壌を作ったといえると思います。

フェイクか本当か、嘘か真か、ますます見極める眼力が読者に求められる世の中になったといえそうです。

正確であることを追及してはいますが、ブログ記事の内容には妄想が混じっており責任を持てない筆者からは以上です。

(平成29年5月7日 日曜日)

2017年5月2日

「陛下」「殿下」の敬称はどのような場合に用いられるか再度おさらい






おはようございます。

2017年5月のゴールデンウィーク中日の敬称に関する配信記事です。

2017年は平成29年ですが、平成は近い将来終了し、今上天皇陛下が譲位され、新しく現在の皇太子殿下が即位されて天皇となり、新しい元号が始まるというそのためにさまざまな有識者会議での検討や答申、そしてそれを受けた政府の法律改正案の上程や国会での承認といったスケジュールで、着々と昨年2016年夏に今上天皇陛下が発せられたおことばに強くにじんだ天皇の職位を全うするための適切な継承者への生前譲位を目的としてものごとが進んでいるようです。

さて、そもそも天皇陛下という「陛下」の敬称はどのように引き継がれてきたのでしょうか。

陛下は日本においては天皇等に対して用い、陛下の陛の字は宮殿に上るための階段のことを指します。

つまり、天皇のおわします宮廷に登るための階段の下を意味しており、尊敬の対象である天皇といった高貴な存在から遠く離れたところにいけばいくほど敬意を表するということにつながるわけです。




殿下や閣下も同じ流れで説明します




同じように、殿下という敬称もありまして、これは皇太子などの皇族の方々に用いる敬称ですが、これは皇族の方々のおわします「宮殿の中に入った階下」といった意味になります。

陛下より若干近づくというわけですが、まだまだ階段の下であることは変わりません。

そして、政府や朝廷の高官(皇族の方が兼ねることもあります)に対しては、閣下という敬称で呼びます。

閣下の閣は楼閣の意味で、行政府の長官の職務場といった意味になりましょう。

こちらも、その楼閣の中に入った階下というような意味になります。

その他、例えば医者の紹介状などには、何々先生机下、といった風に、何かの下につくという言い方はよくあるものです。

さて陛下に戻りますが、2017年5月現在において陛下の称号を使う対象は、天皇陛下、皇后陛下、皇太后陛下、太皇太后陛下といったところに限られます。

今上天皇の譲位がなされた場合、上皇となられた今上天皇は、引き続き上皇陛下と呼ばれるということになりそうです。

古く奈良平安の律令の時代よりある陛下という称号、現行の皇室典範においても23条において「天皇、皇后、太皇太后及び皇太后の敬称は、陛下とする」、同条2項において「前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする。」と定められております。

現代のマスコミにおいては、親しみを込める意味でひらがなの「さま」を特に皇后陛下に使う場合も多いですが、本来天皇陛下、皇后陛下ということになります。

天皇皇后両陛下、と縮めていう場合でも、両方に陛下という敬称が付くということです。

本日は基本的な常識の確認をさせていただきました。

次の元号になりますと、昭和生まれがますます遠くなってしまいそうで気が焦ります筆者からは以上です。

(平成29年5月2日 火曜日)

2017年1月25日

20世紀は人口爆発の世紀、21世紀は世界人口が減る世紀となるか






おはようございます。

2017年1月の配信記事です。

国連の「世界人口白書」によりますと、2011年10月に世界人口が70億人に到達したと推計されています。

世界人口が50億人に到達したと推計される1987年7月11日を記念して、国連人口基金ではこの日を「世界人口デー」と1989年に制定しています。

50億人から70億人に増えるのに実質20年間しかかからなかったわけで、この爆発的な伸びが如何にすごいものかわかります。

人類の誕生は約20万年前ですが、18世紀の産業革命以降に世界人口の増加ペースは急速に高まってきました。


そして、20世紀に人類は人口爆発と呼ばれる人類史上最大の人口増加を経験したのです。

国連の推定では19世紀末の1900年におよそ16億人だった世界人口は20世紀半ばの1950年におよそ25億人となり、20世紀末の1998年には60億人にまで増加したそうで、特に第二次世界大戦後の増加が著しいです。





21世紀後半には人口減少の世界となる




ここまでは爆発的な人口増加ですが、どうやら21世紀になりその成長スピードは急激に鈍化したようです。


教育の高度化と長期化などで、多産が減少し、2~3人程度の子供を持つのが一般的になり生涯独身も珍しくない今日の世界では21世紀末の人口は90億人をピークに下降に転じると言われているのです。

世界的な少子高齢化、そして人口減少の世界です。

人類は経験したことのないステージに入ることになります。
その時は、確実に迫っているのです。

不思議な時代にいきていると日々実感する筆者からは以上です。

(平成29年1月25日 水曜日)

2017年1月6日

表現の自主規制の変遷について(妖怪人間ベムはもう見れないのか?)




おはようございます。

2017年1月の記事です。

2017年新春の特別番組もひと段落し、いよいよ通常運転の2017年の始動というところでしょうか。

さて、そんな新春番組を見ながら考えたのですが、小学校の頃大人気だった週刊少年ジャンプ600万部発行世代の筆者としまして、最近の映画やアニメやいわゆるコンテンツの自主規制というか表現の自由といいますか、視聴者に受け入れられる程度が劇的に変わってきたことを感じましたので述べさせていただきたいと思います。

筆者が小学生の時に読んでいた週刊漫画雑誌の代表格と言える「週刊少年ジャンプ」におけるキラーコンテンツは、名作「ドラゴンボール」を筆頭とした錚々たる面々でした。

「北斗の拳」「魁!!男塾」や「ジョジョの奇妙な冒険」といった、ありとあらゆるヒーローたちの独壇場だったのです。

しかし、そんな少年少女の心を鷲掴みにした、例えばドラゴンボールの第1巻を改めて手に取って見ますと、いきなりノーパンのブルマ(主人公の悟空のお守り役のお姉さんの名前です)を見て鼻血を垂らす武天老師(かめはめ派を編み出したその時点では無敵のお師匠さん)、といった塩梅です。

これは、今の少年誌ならばNGではないでしょうか。

また、毎週のように数人(または数十人単位で)殺戮を繰り返す「北斗の拳」など論外でしょう。

筆者の昔のうっすらとした記憶ですが、この漫画のアニメ版が、ヨーロッパのある国(たしかフランスと記憶しております)で放映されたところ、あまりにも批判・非難の声が多すぎて、放映中止に追い込まれたという話もあるようです。

確かに、いかに悪者とはいえ、少々殺しすぎではあると思うのですが、あの時代(本記事執筆よりおよそ35年ほど前)の少年たちは、嬉々として「お前はもう死んでいる」といいながら経絡秘孔(けいらくひこう)を突き合っていたのです。

心臓が右についている、と言えば聖帝サウザーが即座に出てくる、そんな時代だったのです。

絶対に、北斗七星はケンシロウの胸についていなければならなかったのです。

そのほか、さらに時代がさかのぼりますが、「妖怪人間ベム」これはもうネーミングからしてNGのような感じです。

三つ指の不完全擬態の妖怪人間ベム、ベラ、ベロ。

妖怪人間の目標は、「早くにんげんになりたい」とアニメ主題歌に歌われます。

もはや21世紀の小学校では、その存在すら口に出せそうにありません。

筆者が小学校の自分に校内で行われたのど自慢大会において、筆者は細川たかしの「北酒場」を歌いましたが、筆者の弟は友達5人で水中眼鏡と被って「妖怪人間ベム」の歌を燃焼して踊り、見事特別賞に輝きました。

児童も生徒も教師も校長も、保護者も教育委員会ですら、みんなそんな歌唱を、仮装を微笑ましく見ていたのです。

時代は変わったと本当に思います。

そのほか、飛ぶシーンでは必ず下着が見えてしまい、父親が絵描きでバイトはヌードモデルで超能力者である「エスパー魔美」とかも、普通に月曜19時のゴールデンタイムでアニメでやっていたのですが、これももはやお茶の間には流せない類のものになってしまっているのでしょう。

ドラえもん、の主要女性キャラクターであるしずかちゃんは、さまざまな時代の要請を受けてスポーツもできる活発な女性の側面も付与されてきましたが、最初はいつものび太にお風呂シーンを覗かれるだけだったのです。

日本のコンテンツに限りません。

映画界の名作とあることは疑いない、「スタンド・バイ・ミー」という映画があります。

CGのドラえもんの「スタンドバイミードラえもん」ではありませんよ。

このドラえもん版は、オリジナルの「スタンド・バイ・ミー」を当然にオマージュしてつけた邦題だとわかるのは、実は本稿執筆時点(2017年)において35歳以上の人だけではないのでしょうか。

そのオリジナル「スタンド・バイ・ミー」のあらすじを一行で述べるとこうです。

線路に轢かれて死んだ少年の死体を見にいく12歳の少年4人組の旅。

冒頭、よくある少年たちの秘密基地で12歳の少年たちは、タバコをふかしながらカードゲーム(おそらくポーカー)に興じています。

おそらく金も賭けていたでしょう。

これでは、のっけから現代の地上波放送は難しいと言わざるを得ません。

最近発表された「風立ちぬ」という宮崎駿監督の最後の作品と言われるアニメーションにおいても、登場人物(当然大人)の喫煙シーンが多すぎると批判されているくらいです。

30年も経てば世の中変わります。

その中を、1年生から100年生くらいまでが平気で同じ時間を生きているというのが改めて不思議な感じがいたしました。

つまり、同じものを見ても、感じることは全く違うということなのです。

新春、業務に疲れてうつ病になり自殺した社員の責任を取って、その会社のトップ(社長)が辞める、といったことがありました。

これだけ、時代が変わったのです。

残業月間80時間の社員がいる会社は公表されるという、その一方で、深夜23時を回っても、近所のコンビニにたむろす学習塾や予備校帰りの中高生が制服着てたむろしている、というよくわからないバランスの社会に生きている気も少しだけいたします。

昭和は遠くになりにけり。

平成も29年目になりました。

皇紀で言えば2677年です。

そんなことを考えます新春ですが、今年も本ブログをご贔屓に、よろしくお願いいたします。

昭和49年生まれ寅年、今年は本気出したい筆者からは以上です。

(平成29年1月6日 金曜日)

2017年1月3日

日本の少子高齢化はレジャーの世界にも影響しているという話






おはようございます。

2017年1月の記事です。

新年最初のアクティビティとして、スキーに行ってきたという話をしましたが、ここで感じたもう一つのことは、こんなに整備されて綺麗なスキー場でありながら、参加している人が筆者の想像よりもとても少ないように見える、ということでした。

具体的には、およそ20年以上前の記憶を辿りますと、とにかくスキー場といえば夜行バスを連ねてやってくる団体のみなさんや、車をシェアして乗り込む若者たちの合宿などでものすごくごった返していて、昼食の休憩の席を取るのも一苦労、スキー場に行くためのレンタルスキールームも激混みであるというのが定番でした。

しかし、今回ほぼ空手で来たにも関わらず、駐車場からスキー場に歩いてほぼすぐ、そしてレンタルスキーも問題なく借りられ、洒落たウエアに身を包み、そのまま外に出ればすぐゲレンデと、ほぼ全くストレスなくスキーできる状態になったのです。

そして、スノーボードを楽しむいわゆる若者たちの群れというのも特になく、確かにあまり広くない人工雪スキー場ではありましたが、皆トラブルもなく楽しく譲り合いながらリフトに乗っておりました。

なんだか、とても綺麗に整備されたレジャー施設となっていたのです。

これはこれでとてもアメニティ的には素晴らしいことです。

しかし、昭和な香りを懐かしいと感じる筆者には少しの違和感があったのです。

すなわち、もっと昔はごちゃごちゃしていたが、よくわからない活気がありました。

しかし、今はとても整備されて小綺麗になったけれども、「寂しい」感じがしたのです。

スキーリゾートに行って寂しいと感じるとは相当ずれているかもしれませんが、これは、筆者が普段取り組んでいる「地域の活性化」的な話とものすごく相似形だと思ったのです。

すなわち、我が国の地方都市が等しく抱える問題が、少子高齢化による中心市街地の過疎化です。

過疎化というと過激ですが、要するに昔はお店とか人だかりとかがごちゃごちゃしていた中心市街地の街並みが、なんだかすっかり「整備」されて「小綺麗」になって「景観」は良くなったと思うのですが、どうもそこを行き交う人々はいなくなって、代わりに整備された「景観」の中に、セレモニーホール(要するに葬儀場)やらビジネスホテル(要するに地方への異動ではなくて出張で用を済ますビジネス形態)ばかりが乱立して、そして食事処といえばナショナルチェーンの居酒屋くらいしかないという「景色」との奇妙な一致です。

綺麗な街並みに、人々の行き交う「賑わい」があればいいのですが、こうした賑わいは、郊外のショッピングセンターに片寄せされているようで、しかも、こうした作られた屋内の賑わいは、なんだか力強さに欠ける感じがします。

スキー場においても、昔の(しつこいようですが昭和の昔という意味で言っていますがいい意味も悪い意味も含みます)それにおいてはよくわからないエネルギーが充満していました。

スキー場の経営も、少ない資本でなんとかやっていたと思いますが、努力や工夫によって集客が図られ、それはそれで楽しみがあったような気がするのです。

今の時代においては、これだけの人工雪製造機を設置し、整備されたレンタルルームに食事処(宿泊施設も兼用)を擁し、そしてリフト券も完全ICでいちいち係員に見せる必要もないという省エネ運営で非常に合理的でありながら、それでも利用客の集客に苦労しているという状況なのです。

思えば、昭和48年、第二次ベビーブームのピークの年には、実に209万人もの出生数がありました。

しかるに、平成28年の推定出産数は、100万人を割ることが確実視されています。

すなわち、子供の数が半分になった、ということは、その子供たちにスキーをさせてみようと思う親の数も減っているということに他ならないのです。

こうした黄昏の世の中に生きているということを改めて感じた新春のスキーでした。

肝心のスキーの技量もほとんど向上していませんでしたが、どうやら自転車と同じようなもので、昔乗れた程度にはこなせることも同時にわかりました。

そんな昭和の残り香を今のゲレンデには合わないショッキング原色のスキーウエアに包んでスキー場に残して来ました中年の筆者からは以上です。

(平成29年1月3日 火曜日)

2016年12月26日

コンプガチャからカジノから仮想通貨にまで至る射幸性というものについて

カジノのチップ



おはようございます。

2016年12月の記事です。

今日はカジノ法案も成立した2016年年末にちなみまして、射幸性というテーマで話をしたいと思います。

2012年初めに、いわゆるコンプガチャ騒動というものがありました。

コンプガチャとは1回数百円程度の有料ガチャという電子画面上でカード(あくまで電子データに過ぎませんが)を引き、特定のカードがそろうと、希少かつゲームが有利になる最強グループの「レアカード」(しつこいですがカードといっても電子データですから現物はありません)が手に入るという、極めて射幸性の強いクジ引きのシステムです。

2012年5月に消費者庁が「景品表示法に違反している」と指摘して、グリー(ン)などのモバイルゲーム各社は廃止せざるを得なくなりました。


そもそも電子データなのですから、システムアルゴリズムの変更で、何とでも調整できます。

実際の人間や馬が八百長ゲームをするわけではないのです。

100%こちら側で決めることができるというシステムです。

レアカードといいながら無限に作り出すこともできます。

そして顧客側で勝手にあれ持ってないという競争心が煽られていくのと合わせ技で、短期間に多くの課金ゲーム収益を上げることができるのです。

閉じた世界で有名になりたいという人間の業が生み出した会員制ビジネスの変形と言えますが、何らの現物すらない、ゲームが廃れてしまえば強えぇぇぇぇぇぇといってくれる人もいなくなる電子カードゲームというのは、儚いものです。

実際に、2012年に流行ったゲームのレアキャラを今もって大事に持っている人がどれくらいいるのか、筆者は寡聞にして存じ上げませんが、それらのみなさんは軒並み民族大移動的に今はポケモンGOにはまっているのかもしれません。

これは、筆者の少年時代の昭和の昔に流行った(今でもあるのでしょうが)ビックリ男(マン)ホログラムシール入りのチョコレートウエハース菓子並みに寿命の長い、古くて新しいビジネスなのかもしれません。

ビックリマンシールだけ欲しい友達から、チョコレートだけもらって食べていたことが懐かしい昭和な筆者からは以上です。

(2016年12月26日 月曜日)

2016年12月22日

2008年リーマンショックというわずか数年前の歴史に多くの学びがあるという話




おはようございます。

2016年12月の記事です。

2008年リーマン・ショックの直前、振り返ってみれば世界はかなりのバブル経済状態でした。

消費も盛り上がり、日本の輸出も好調、国内消費こそなかなか浮上しないけれどもアメリカや欧州、中国の消費も上向きになってきており特に問題ない、アメリカのサブプライムローンの問題がそろそろ言われはじめてきていましたが、金融政策で対応できる範囲の些細な問題にとどまるというのがほぼ共通した「プロたちの」見立てでした。

アナリストやエコノミストは、当時の米国FRB(中央銀行)総裁を金融のマエストロ(指揮者)と称賛し、あたかも市場主義の恩恵が世界中を包むその教祖のように存在自体を崇めました。

時の大統領や国務長官も彼のところに日参し、まさに「教えを請う」状態だったのです。
しかしどうもそのような素敵な世の中ではありませんでした。

アメリカの空前の好景気は上がり続ける住宅価格を元にした銀行の貸付によって支えられていた過剰消費であっただけで、住宅価格が上昇しなくなれば途端に破綻する砂上の楼閣だったのです。

担保価値目いっぱいまで借り続けるサブプライム層(実質は明日の金利も支払えない貧困層が多かったと聞きます)に対し、我も我もと絶対に回収が見込めない条件での貸付を行ったアメリカの大手銀行は、金融緩和と規制緩和という名のもとに自らに規制をかけてこない中央銀行を金融市場主義の権化、自分たちの守護者と崇めました。


彼らがいる限り、総量規制などといった当局の規制の匂いがする政策は行われない、彼らの温和な性格と自由に任せる市場主義政策のもと、実際に金融機関が収益拡大と自らのボーナス獲得に走ったのが、残念ながら実質は目減りした担保価値しかない家を購入したサブプライム層への大幅な貸付けでした。

この層を含むアメリカの大衆消費は、住宅価格が上昇する限りクリスマス商戦などで続いたので、そのうちは良かったのです。


しかし夢は覚めました。


真実に気づいたときは既に遅し。

それまでのカネのなる木だった投融資は全て不良債権と化し、溝に捨てられる運命となりました。

振り返れば簡単なことなのです。

ほんの数年前に実際に世界で起こったことです。
しかし渦中にいる時期の我々にはわかりませんでした。

歴史に学びましょう。

何よりも含蓄のある、冷徹な事実がそこにあります。

失敗に学ぶことです。

モノの値段は世間の値段ではないこと、自分自身の座標軸をぶらさないことが大切です。

高い受領料でしたが、こののちその教訓を活かせるか否かで変わってくると思います。

なんども申し上げまして恐縮ですが投資については全く先を読めていない筆者からは以上です。

(2016年12月22日 木曜日)

2016年12月15日

北方領土の実効支配を解かなければ経済協力する道理が立たないと思う話です

独立行政法人北方領土問題対策協会HPより


おはようございます。

本日は2016年12月15日午前0時です。

最近「空気を読んではいけない」という本を読んで少しばかり意を強くしたので、今回はできるだけ空気読まずに自分の考えを素直に出してみたいと思います。

北方領土とは、択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島のことです。

これら北方四島は、1945年にソ連に法的根拠なく占拠され、ソ連が崩壊して、ロシアとなった2016年現在もその状態が続いています。

ロシアのプーチン大統領と日本の安倍首相との山口県長門市における会談が迫ってきました。

安倍首相は2016年7月、札幌市での街頭演説で、ロシア側と調整中のプーチン大統領の訪日日程について「今年来日する」と明言しました。

ちなみにその前の2016年5月にロシア・ソチで行われた首脳会談において、「最も適切な時期を探る」ことで両国は一致していました。

プーチン大統領の訪日が実現すれば、ロシア連邦大統領として2005年11月以来となります。

ちなみに、2005年11月にロシア連邦大統領として来日したのも、同じプーチン氏であり、この時の日本の内閣総理大臣は小泉純一郎氏でした。

なんだか日本のトップは小泉氏以降ころころ変わっておりますが、かの国はずっとプーチン氏が握っているという感じです。

大統領になったり、首相に一旦スライドしたり、いろいろしていますが、明らかに同氏が事実上の同国の最高権力者であることは間違いありません。

そして、その11年ぶりのロシア連邦トップの訪日ですが、現在、日米欧が連携してウクライナ問題でロシアを制裁対象としているという状況であることから、会談場所は公式訪問の意味合いが強く出る(要するに目立つ)東京や京都ではなく、安倍首相の地元でもある山口県の長門市が選定されました。

当然、日本側としては、安倍首相も言明したように、「プーチン大統領としっかりと交渉を進め、北方四島の帰属問題を解決し、平和条約を締結する」ことを求めていきます。

しかしながら、トップ同士の首脳会談前に至って、事務レベルでの事前交渉は冷え切っているようです。

改めて、2005年11月の日露首脳会談の内容を北方領土関係に絞って以下再掲します(外務省より)。

北方領土問題

(1)小泉総理より、1956年の日ソ共同宣言、1993年の東京宣言、2003年の日露行動計画等の諸合意はいずれも極めて重要かつ有効であり、これらに基づいて平和条約締結交渉を継続していく必要がある、日露両国には、四島の帰属に関する問題を解決して平和条約を可能な限り早期に締結するとの共通の認識がある、その意味で真剣な話合いを行うことは重要である、日露双方が受け入れられる解決を見いだす努力を続けていきたい旨述べた。

(2)これに対してプーチン大統領より、この問題を解決することは我々の責務である、ロシアは本当にこの問題を解決したいと思っている、平和条約が存在しないことが日露経済関係の発展を阻害している、その一方で、この問題は第二次世界大戦の結果であり、他の問題への連鎖という難しい問題がある旨述べた。

(3)両首脳は、平和条約締結問題につき、これまでの様々な合意及び文書に基づき、日露両国が共に受け入れられる解決を見出す努力を行うことで一致した。

(4)小泉総理より、国後島沖で拿捕された「第78栄幸丸」の速やかな解放を要請したのに対し、プーチン大統領より、解決できない問題はない旨述べた。

ここを出発点として、どう解決するかということが問われています。

これまで、安倍政権となりロシアとの交渉の中で、日本側は、新しいアプローチとして経済協力を積極的に行いロシアに恩恵を与えれば、必ずや日本の望んでやまない領土問題をついて「考慮」してくれるはずだ、と考えてきた節があります。

すなわち、安倍総理は、日本の従来の立場である四島返還のためには、政治経済不可分に交渉してこなければならない、という「政治経済不可分の原則」を捨てて、北方四島が返還されるかどうかとは別に、極東開発という、日本がロシアに餌を撒くことで、経済協力を行い、日本の「言わずもがな」の四島返還に結び付けたいと、強く思ったのです。

しかし、そうは問屋が卸しません。

ロシアが望んでいるのは、経済協力を彼らが言うサハリン(日本では樺太と呼ぶ)やクリル諸島(日本では千島列島と呼ぶ)で前進させてくれるのは本当にありがたい、そのための平和条約締結もしたい、でも領土問題については1956年日ソ共同宣言におけるちっちゃい方の2島(歯舞諸島と色丹島)の返還のみが軸になりますよ、と言っているだけなのです。

極東開発はロシアの主権の及ぶ北海道以外のすべてが含まれ、ロシアの法的枠組でどんどん外資の導入をするので、日本は外国として積極的に投資してくださいね、と言っているだけなのです。

その総仕上げとしての平和条約締結時において、ロシアからの特別な恩恵、施しとして、色丹島と歯舞諸島は両国平和の象徴として格別の恩寵として差し上げましょう、と言っているに過ぎないわけです。

勝手に期待しておいて、勝手に失望していては、何も進まないような気がしますが仕方ありません。

だったら、経済協力もしない、ということで必要十分ということになります。

そして、日本がロシアに対して、固有の領土であるという四島に対する日本の領有権を確立するということであれば、まずは主権の行使として、自衛隊による実力制圧を考えるべきということになります。

これは、憲法の禁じる戦争ではありません。

どの国も固有に保有する自国を防衛するという自衛権の行使です。

日本国の主権が及んでいる範囲において、不法に外国が長期にわたって占拠しているわけですから、自衛権の行使として、当然に憲法も認める範囲の実力行使を図らなければならないということになります。

もちろん、自衛隊の将兵(隊員)の数万人規模の犠牲や、東京大阪名古屋京都札幌仙台福岡といった大都市に核兵器が向けられ、実際に打ち込まれるリスクを背負っての重大な決断となります。

しかしながら、日本の端っこだからと言って、主権に濃淡などありません。

これが仮にロシアに限らず外国によって皇居や京都御所、伊勢神宮や秋葉原が占拠されて、日本人は入るなと言われればほとんどの日本人は立ち上がるのではないでしょうか。

日本が取っている「固有の領土」という立場というものはそういうことではないかと思っています。

ここまでの覚悟を見せて、かつ国際司法裁判所に訴える等のあらゆる国際的アプローチや経済的「餌」もチラつかせつつ当たらないと、生き馬の目を抜く国際社会での名誉ある地位は保持できないという時代に来ていると思います。

75年前に始まった先の大戦末期において、本土決戦が行われたのは沖縄だけではありません。

沖縄だけではなく、樺太も、千島列島も、そして北海道の一部といえる北方四島も、すべて本土決戦が行われた凄惨な地でした。

日本国は、先の大戦で米英欄仏に対してはきっちりと国家の意思をもって開戦を決議して戦いました。

しかし旧ソビエト連邦に対しては日ソ中立条約を守り、開戦していません。

それでありながら、相手は日ソ中立条約をヤルタ密約で一方的に破って攻め込んできたのです。

このようなことが通用するならば、日本が樺太全島とカムチャッカ半島までまとめて実力で占拠しても良いわけです。

国際社会の信義上も、許しがたいそのような歴史的事実があった、ということは改めて記しておきたいと思います。

改めまして、2016年12月15日の日本国山口県長門市における日露首脳会談、大変注目しています。

領土回復をライフワークとして願っております一国民であります筆者からは以上です。

(平成28年12月15日 木曜日)

2016年7月27日

ポケモンGOという任天堂コンテンツが巻き起こした全国的な社会現象

違いがわかりません…


おはようございます。

2016年7月の記事です。

昨今、日本全国でポケモンGOが席巻しています。

久しぶりの全国的フィーバーです。

これは筆者が小学校の時に体験した初代・二代目ドラゴンクエストのリリースの時に匹敵する社会現象ではないでしょうか。

しかも、今回は親世代もフィーバーしています。

私と年の頃が同じようないい年したおじさんが、「よっしゃピカチュウゲット!」みたいなことを堂々と街中でできる世の中になったわけです。

日本のアニメやゲームが数十年かけて市民権を得て世界に雄飛したことを改めて感じたようで灌漑深いものです。



花札会社と呼ばれた任天堂という会社



任天堂というメーカーは、花札などの遊具を作っていた京都のメーカーでした。

この会社が、ファミリーコンピュータ(ターと伸ばさない)という世界を変える家庭用ゲーム機をリリースしてからゲーム市場は本格的に始まり、そして現在はスマホやソーシャルゲーム全盛の時代となりました。

ドンキーコングやバルーンファイト、そしてツインビーなどをやり込んできた昭和世代の者からすれば隔世の感がいたします。

しかし、ゲームの世界も、RPGで物凄い謎解きにはまる難しいものから、結局ポケモンGO(ゲーム運営は別会社ですが登場するキャラクターはあくまで任天堂商標のものという意味で)的な親子で楽しめる簡単なルールのものに収斂してきているような気がいたします。

約30年以上かけて、結局体験型の、親子で楽しめるファミリータイプのゲームが世界中で流行るというのは不思議な気もいたします。

ポケモンGOというゲームは基本的には「ひたすら歩く」「ポケモンを捕まえる」のみです。

人間の速さで移動することがカギのようで、電車や車での移動はあまり得策ではないようです。

せいぜい自転車で走り回るくらいなのでしょうが、それならば歩いたほうが安全だし結局早いようです。

歩いて「ポケストップ」「ジム」「ポケモン」といった場所やキャラクターを探してキャラクターを集めるというゲームです。

ゲーム上の地図ではなく、リアルな場所とリンクしているのがこんなに面白い、人を熱中させるものだとは思いませんでした。

さて、本当に書きたいことは別にあるのですが、前段で長くなりすぎたようですので、続きは次回とさせていただきます。

早朝ポケモンハンターの筆者からは以上です。

(注) 読者のご指摘あり、ポケモンGOは任天堂ではなく、Nianticというアメリカの会社が運営しており、あくまでも登場するキャラクターが任天堂商標であるということがわかるように記事を修正致しました。

(平成28年7月27日 水曜日)

2016年7月26日

やっぱり暑い夏にはウィルキンソン炭酸水が一番うまいなという話

注:これは地域限定のサイダーです


おはようございます。

2016年7月の爽快な記事です。

特に夜に車を運転する予定や可能性がありますと、ビールなどの酒類は飲めないので代わりに炭酸水を飲むのですが、「ウィルキンソン炭酸水」のうまさに驚いています。

ウィルキンソンというくらいですから、エビアンとかボルヴィックといった外資のメーカーブランドかと思っていたのですが違いました。

これは明治時代に日本にやってきて神戸宝塚でよい鉱泉を見つけたウィルキンソンという英国人が日本で創業した「ウヰルキンソン・タンサン」という会社が元で、その販売を朝日麦酒、今のアサヒビールが行っていたという歴史だそうです。

ヰは旧字体のわ行「わゐうゑを」「ワヰウヱヲ」の「ヰ」です。



ウィルキンソンさんが日本に持ち込んだ日本の会社でした



今はィと現代風になっています。

ウィルキンソン・タンサンは、その後アサヒビールが一括して引き取る形で統合されましたが、クリアで磨かれた水に強めの炭酸を染み込ませたウィルキンソンブランドは、そのまま今に続くブランドとして生きているというわけで、こうして筆者なども好んでコンビニなどで買い求めて飲んでいるというわけです。

最近のハイボールブームや、ミネラルウォーターブームもあり、この信頼のブランドの製造販売量も上がっているということですが、実に1890(明治23)年から基本的な形を変えずに125年以上連綿と続いているこの商品には尊敬の一言です。

ウィルキンソンさんにあやかって、ブログもあと1年くらいは続けたいなと考えている筆者からは以上です。

(平成28年7月26日 火曜日)

2016年7月12日

和暦に親しんでいくことで日本の歴史がより深く理解できますという話

することがありません…




おはようございます。

2016年7月の和暦に関する日本の記事です。

筆者は歴史、特に自分の国である日本史が好きですが、よく考えれば現在の日本史の学校教育は少し矛盾しています。

全て西暦で覚えるので、正確に、できるだけ当時の人々に寄り添うことができないのです。

例えば、関ヶ原に集った西軍東軍数十万の軍勢は、きりのいい西暦1600年に互いの存亡をかけて戦ったわけではありません。

この日は安土桃山時代の慶長5年旧暦9月15日(西暦1600年10月21日)です。

慶長5年のことなのです。

このように、日本の歴史における大きな出来事で、応仁の乱とか大化の改新とかありますが、いずれも「和暦」の「元号」です。

文永の役も弘安の役も、建武の新政も、保元・平治の乱も、承久の乱も、貞観の治も享保の改革も天平の甍(いらか)も、すべて和暦の元号です。

応仁、というと、ああ京都のみならず日本全国津々浦々内乱状態でしたな、と当時の日本の人たちが考えてそう名付けたのです。

大化の改新は、大臣の地位に歴代ついてきた蘇我氏を文字どおり宮中でその頭領を殺害し、さらに一族もろとも滅ぼして天皇による親政体制を確立したときに、改めて元号を定め、時の支配者になろうとした天智天皇(当時は中大兄皇子)の考えだったと思われます。

蘇我氏が一括してそれまで保管していた歴史書の類は全て消失してしまったので、新しく歴史というものを組み直さなければならなかったわけです。




そして現存する最古の歴史書が出来上がった





そして、稗田阿礼(ひえだのあれ)という超・天才児にして記憶力抜群の文才がいなかったら、現存する日本最古の歴史書である「古事記」は無かったと思われます。

時代が生んだ天才のおかげで、筆者などはこうして記事のネタにすることができるのです。

さて、その中大兄皇子も、自らが天智天皇として即位したときには元号を特に定めませんでした。

しかし、その後天皇の即位といった世が改まるときに元号も制定することが一般的となり、日本独自の和暦が形作られたわけです。

ちなみに戦国時代の後半期で秀吉による天下統一がほぼ完成する期間の年号は「天正」です。

西暦で1573年8月26日から1593年1月10日までの20年も続いているので信長秀吉好きの方は覚えておかれるとどこかで役に立つこと請け合いです。

ちなみに現在の元号平成の前は昭和ですが、昭和は64年まであります。

昭和64年1月7日までが昭和で、次の日からは平成元年1月8日となり平成になります。

したがって、平成元年1月1日というのはありません。

同じ1989年でも、日によって呼ぶ元号名が違うということです。

この、ある一定年齢以上のおじさんおばさんには常識であるこのことも、今の単一元号しか知らない若い人には新鮮かもしれません。

平成元年のバブルの狂奔は知らなくてもいいですが、和暦のことくらいは覚えておかれた方が世の中というものを少し深く理解できるかもしれません。

慶應義塾大学の慶應を、早稲田大学と同じどこかの地名だと最近まで思っていた(明治の前の元号です)今の若い人はなどと言えない筆者からは以上です。

(平成28年7月12日 火曜日)

2016年6月12日

スマホ中古販売市場もSIM自由化で戦国時代を迎えているというお話






おはようございます。

2016年6月のスマホ市場に関する配信記事です。

九州の地にも、本格的にスマホの中古市場が上陸してきたようです。

筆者も利用したブックオフ系のハードオフという店の他に、レンタルビデオのTSUTAYAやゲオといった業態も、続々とこの中古スマホ市場に参入してきているようです。

スマホのハード本体と、差し込むSIMを分離することができるようになったためで、特に海外での通信業者のSIMも差し込むことができるSIMフリーの端末、その中でも人気のアップルのiPhone端末などは古い機種でもかなりの値段で取引されています。

直近の機種ですと、まさに瞬間蒸発してしまうようで、全く店頭には並ばないようです。

海外での使用を半ば諦め、ほとんどの格安SIM業者が利用しているNTTドコモ通信網を利用して国内準SIMフリー端末として使えるドコモのiPhoneも、その格安SIMメーカーへの市場開放効果で、auやソフトバンクの端末より割高で取引されています。

モノや商品の値段は、需要が多いと高くなるという市場原理そのままです。




SIMカードの仕様も多様化





差し込むSIMカードも、データ通信に特化したものから(電話はLINE電話などを使って済ます)、やはり電話番号で「電話」したいというニーズを汲み取って電話に特化したもの(その代わり、データ通信はブロードバンドではなくてナローバンドにすぎない)など、いろいろと出てきています。

やはり、通話品質で考えると電話番号でかかる電話に一日の長がありそうですが、データ音声通信を利用した通話アプリも性能もここ数年劇的に進化してきています。

電話の旗色はもしかしたら悪いのかもしれません。

名刺に表示するアドレスも、電話番号からLINEのIDなどに変わっていくのかもしれません。

携帯電話から電話するのは失礼にあたる(携帯電話はビジネスシーンでは使わない)と就職活動の時に言われた昭和生まれの筆者からは以上です。

(平成28年6月12日 日曜日)

2016年5月30日

(記録記事)2016年5月27日に米国大統領が被爆地広島訪問された話






おはようございます。

2016年5月の配信記事です。

ツイッターネームはビルメン王(shinya_ueda)です。

2016年5月27日に、米国のオバマ大統領が同国首脳として初めて広島の地を訪れました。

歴史的な瞬間です。

先の大戦で原爆を開発してそれを最初に使った国のトップが、それを最初に使われた国の被爆地に出向いて献花する、正直筆者はこのような日が来るとは思ってもみませんでした。

米国側にも日本側にも、他の国の立場としても、さまざまな思いが錯綜した瞬間でありました。




ベルリンの壁崩壊も歴史的瞬間でした





思い出されるのは、筆者自身が中学生であった時分に起こったベルリンの壁崩壊です。

1989年11月9日に東ドイツ政府が東ドイツ市民に対して、旅行許可書発行の大幅な規制緩和を「事実上の旅行自由化」と受け取れる表現で発表したことをきっかけに、東西ベルリンを隔てていたベルリンの壁と言われる国境ゲートが開放され、翌11月10日には東西ベルリン市民によって実際に壁の破壊が開始されたのです。

この時の映像ニュースを見ながら、大人たちや学校の先生が口々に「このような日が来るとは思ってもみなかった」と言うのを聞きました。

当時子供であった筆者からすれば、壁を壊してフィーバーしているドイツの人たちってそんなものなのか、と思ったものですが、今回の広島訪問は、まさにあの当時の「大人たち」に自らがなったのだな、と妙に納得したのです。

世界は、時代はゆっくりですが確実に良い方向に前に進んでいるようです。

今回の広島訪問で、日本と米国を隔てていたタブーが解き放たれ、今後ますます相互理解が進むと思います。

昭和の時代には考えられなかったことです。

平成元年にベルリンの壁崩壊、平成28年に米国大統領の広島訪問。

確実に、先の大戦の清算と評価が進んでいるのかもしれません。

そんなことを思いながら近く長崎に向かいます。

平和公園近くの長崎ちゃんぽんが楽しみな筆者からは以上です。

(平成28年5月30日 月曜日)

2016年5月25日

適度に劣悪な環境から発見は生まれるものという昔からの真理について






おはようございます。

2016年5月、今回は逆説的なお話をいたします。

ものすごく恵まれた環境で、勉学でもスポーツでも取り組みたい、取り組ませたいと考えるのは人間の常だと思いますが、そうでないいわば劣悪な環境だからこそ、生まれる世紀の発見というのもあります。

万能薬とも言ってよい抗生物質ペニシリンを発見した英国ロンドンのアレクサンダー・フレミングの研究室は、特に整備されたものではなく、どちらかというと劣悪で雑然とした環境でした。

研究室の窓ガラスは割れているものもあり、風や埃も舞いましたが、彼は構わずカビの研究に没頭しました。

しかし、かような環境では、対象培養物質の汚染(コンタミネーション)が問題となります。

細菌は、あらゆる環境下に溢れていますので、どこからか目的以外の細菌が入り込んで繁殖し、研究対象として培養している細胞を侵食、圧倒してしまうのです。

そして、まさにフレミングが培養しようとしていたブドウ球菌のシャーレに、どこからか青カビの胞子が飛び込み、繁殖していたのです。

普通なら、こういうのはダメになってしまった研究結果として打ち捨てるところですが、フレミングは、この青カビが生えた周りには猛毒のブドウ球菌がいないことに気がついたのです。




まさに世紀の発見は汚れたシャーレから生まれた





ここに、青カビが何らかの抗菌物質を生成しているのではないかと彼は気づいたのです。

怒って劣悪な環境に舌打ちして培地を捨ててしまわずに、考えを深めたフレミングの世紀の発見でした。

振り返りますと、もしフレミングにもっとよい環境が与えられていたならば、青カビが飛び込んでくるような割れた窓ガラスや隙間がなかったら、この発見がなされたか疑問です。

これがやがて何百万人の命を救う、万能薬ペニシリンの登場でした。

フレミングが最初にペニシリンを発見した、その適度に汚染されたシャーレは、その後他の菌が生えぬよう処置された上で、現在も大英博物館に展示されているそうです。

またフレミングの実験室も、セントメアリー病院内にその当時の様子が再現され伝わっているそうです。

重要なのは、実は適度に劣悪な環境なのかもしれません。

そしてもっと重要なのは、環境に左右されない個人の意志だとフレミングも言いたかったのかもしれません。

どうも最近環境に恵まれなくて悩んでいる筆者からは以上です。

(平成28年5月25日 水曜日)